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2021年5月17日 (月)

メアリ・ロビネット・コワル「宇宙へ 上・下」ハヤカワ文庫SF 酒井昭伸訳

「脱出しないと。このクソったれの惑星から」
  ――上巻p133

「いまはね、おばちゃんみたいな宇宙飛行士になりたいって思うの」
  ――上巻p304

「いきなさい。なにがなんでも、宇宙へ」
  ――下巻p193

【どんな本?】

 アメリカの新鋭SF作家、メアリ・ロビネット・コワルによる歴史改変SF長編小説。

 1952年3月3日、巨大隕石がワシントンD.C.近くの大西洋に落下した。合衆国東海岸が壊滅したほか、大西洋に面する国々は甚大な被害を被る。合衆国はホワイトハウスに加え議会開催中の上院と下院も全滅した。幸い農場視察に出ていて生き延びた農務長官チャールズ・F・ブラナンを大統領代行として合衆国政府は体裁を整える。

 エルマ・ヨークは数学の天才で計算も異様に速い。二次大戦中は陸軍航空軍夫人操縦士隊=WASPとして輸送任務をこなす。今はアメリカ航空査問委員会=NACAに計算者として勤めている。悲劇の日、エルマは夫ナサニエルと共にペンシルベニアのポコノ山脈にいた。かろうじて生き延びたはいいが、災害の影響を概算したところ、おぞましい結果が出た。

 隕石落下の衝撃で大気中に噴出した水蒸気により気候は激変し、近い将来に地球は地獄となる。人類が生き延びるには、宇宙へ飛びださなければならない。

 多くの問題を抱えつつも、国際的な協調関係を整え、人類は急ピッチで宇宙開発へと突き進む。

 実際の歴史よりも順調に宇宙開発が進んだ世界を舞台に、女でありながら宇宙飛行士を目指すエルマの奮闘を描く、爽快な宇宙開発SF。

 2018年度ネビュラ賞長編小説部門、2019年度ヒューゴー賞長編小説部門、2019年度ローカス賞SF長編部門受賞。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Calculating Stars, by Mary Robinette Kowal, 2018。日本語版は2020年8月25日発行。文庫本で縦一段組み上下巻で本文約404頁+387頁=約791頁に加え、堺三保の解説8頁。9ポイント40字×16行×(404頁+387頁)=約506,240字、400字詰め原稿用紙で約1,266枚。文庫の上下巻としてはやや厚め。

 文章はさすがの酒井昭伸、この手の爽快なSFを手掛けたらピカ一の読みやすさ。基本的に娯楽作品なので、わからない所は読み飛ばしても結構。もちろん、マニア向けの拘りやクスグリはしこたま仕込んであります。

【感想は?】

 伝統的な素材を現代風に味付けした本格宇宙開発SF。

 まず気が付くのは、現代的な味付け。主人公のエルマが女なのもそうだが、やたら夫のナサニエルとイチャイチャするのも今風だろう。二人とも元気に…まあ、アレだ。

 60年代あたりからSFも性をテーマに取り扱いはじめたが、そこはSF。「タブーに挑む」姿勢が強く出たためか、マニアックなプレイばっかりで、普通の夫婦の営みはまず描かれなかった。そういう衒いやぎこちなさが消え、ごく自然体で描いているあたりに、SFの作家・読者ともに大人になったんだなあ、としみじみ。

 時は冷戦まっさかり。隕石が落ち、空が光ったとき、まず思いつくのが核攻撃ってあたりに、時代の空気を感じる。そこでラジオから「音楽が流れ続けている」ので核攻撃ではないと判断する所で、主人公が理系頭なのが伝わってくる。ところであなた、電が光ったとき、音が鳴るまで、時間を数えます?

 さて。宇宙への進出で最大の難点は、やっぱりロケット・エンジン。現実だと、ロケット開発を先導したのはソ連で、その目的は軍用ミサイルだった。これはソ連の宇宙開発技術を率いた「セルゲイ・コロリョフ」の伝記に詳しい。

 アメリカも核開発に熱心だったが、エノラ・ゲイとボックス・カーの成功に釣られたのか、当初は「爆撃機でいいじゃん」な方向だった。これを変えたのが1957年のスプートニク・ショック(→Wikipedia)。

 これらは、二つの意味を持っている、一つは、宇宙開発には政治的な情勢が大きく関わっている、ということ。ソ連は軍事的な目的で、アメリカも世論に突き動かされて、ロケット開発・宇宙開発に熱を入れた。もう一つは、政治的な情勢さえクリアできれば、いくらでも宇宙開発は加速できるのだ、という点。なんといっても、ロケットの開発と打ち上げはカネがかかるし。

 その政治的情勢を隕石落下にするのも巧いが、そこで農務長官をトップに据えるのもさすが。ロケットと農業は一見関係なさそうだが、気候変動を絡めたのが賢い。なんたって農業は日照りや冷夏など、天候に左右される産業だし。

 といった宇宙開発に並んで本書の大きなテーマとなっているのが、性別や人種の問題。

 時は1950年代。アメリカじゃ公民権運動(→Wikipedia)が盛り上がり始めたころ。実際、アメリカの最初の宇宙飛行士オリジナル・セブンも白人の男ばっかりだった。彼らを扱ったトム・ウルフの「ザ・ライト・スタッフ」は傑作ドキュメンタリーであると同時に、本書の参考図書としてもお薦め。特に本書の下巻に入ってからの展開は、宇宙飛行士をめぐる人間関係が実にリアルに描かれている。

 オリジナル・セブンはみな白人の男、しかも軍のパイロットばかりだ。空軍3人、海軍3人、海兵隊が1人。心技体とも卓越しており、度胸があって、鼻っ柱も強い。そういう世界に、女のエルマが割り込もうとすれば、どうなるか。有形無形の困難を、どうやって乗り越えていくのか。

 そういう点で、本書は王道の冒険物語の楽しさも併せ持っている。見たこともない巨大怪獣とは違い、男社会に女が割り込もうとして味わう困難は、少しでも想像力があれば誰だって切実に感じるだろう。そして立ちふさがる壁が高ければ高いほど、冒険物語は盛り上がるのだ。

 エルマの仕事が「計算者」なのも、本書の美味しい点の一つ。よく「1969年に月へ行ったアポロ宇宙船のコンピュータは任天堂のファミコンより貧弱だった」とか言われる。69年にファミコン未満なんだから、50年代は推して知るべし。「あの計算機、室温が18℃を超えると計算がおかしくなる」には苦笑い。ICどころかトランジスタでもなく真空管だろうし、何かとデリケートなんです。Fortran の開発が1954年だから、当時はアセンブラだろうなあ。

 そんなんだから、問題によっては機械より人間のほうが速かったりする。機械は式をいじれないけど、ヒトは式を最適化して計算量を劇的に減らせるし。とかの事情が、エルマの運命に大きく関わってくるのも、思わず脱帽しちゃうところ。

 そして、冒険物語に欠かせない最後のピースが、強く魅力的な悪役。本書ではステットスン・パーカー大佐が強大かつ狡猾な敵として立ちはだかる。なかなかに傲岸不遜でムカつく登場をするんだが、肝心のパイロットとしての腕も優れているのがいい。いかにも伝統的な戦闘機パイロットなんだよなあ。

 加えてF-86セイバーやP-51マスタングなど、往年の名器が顔を出すのも、マニアには嬉しいサービス。

 不利な立場に居る者があまたの困難を乗り越える冒険物語として、宇宙開発の生々しい現場の空気を味わえる宇宙開発SFとして、そして「人類が辿れたはずのもう一つの道筋」を照らす物語として。明るい未来を望むSFの王道を、新しい味付けで蘇らせた、爽快な長編SF小説だ。

 にしても<浮き足くん>、最後まで名前が出ないのは酷くね? ぜひ続編では活躍してほしい。

【余計なおせっかい】

●第二次世界大戦時、アメリカ空軍は存在しない。当時は陸軍航空軍だった。大戦後の1947年に陸軍から分かれて空軍となる。

●アン・スペンサー・リンドバーグは、初の大西洋単独無着陸飛行を成しとげたチャールズ・リンドバーグの娘で作家。

●サビハ・ギョクチェン(→Wikipedia)はトルコの国父ケマル・アタチュルクの養女で世界初の女性戦闘機パイロット。

●プリンセス・シャホフスカヤ(→英語版Wikipedia)はロシア皇帝のいとこ。第一次世界大戦では偵察機で活躍した。本書では史実と違う運命を辿る。

【関連記事:小説篇】

【関連記事:ノンフィクション篇】

【今日の一曲】

空へ - カルメンマキ&OZ

 本書は「宇宙へ」と書いて「そらへ」と読む。となれば、この曲でしょう。黎明期、男だけの世界で女が頑張るお話でもあるし。カルメン・マキも、男ばかりの日本ロックの黎明期に、ド迫力のサウンドで男と肩を並べるどころか、むしろシーンを引っ張る活躍を果たしました。逆に力強い歌声と凛とした佇まいの印象があまりにもハマりすぎて、以降は「ロックをやる女は女王然としてシンガーを務めなきゃいけない」みたいな思い込みを日本のロック・ファンに刷り込んじゃった罪な人でもあります。こういう強烈なロールモデルとなった所も、本書のテーマと響き合うところ。

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