デイビッド・ウォルトナー=テーブズ「排泄物と文明 フンコロガシから有機農業、香水の発明、パンデミックまで」築地書館 片岡夏実訳
世界保健機構とユニセフ(国連児童基金)の報告によれば、毎年150万人の五歳未満の子供が下痢で死んでいる。これはマラリア、麻疹、エイズの合計よりも多い。下痢は必ずといっていいほど、食品や水が糞便で汚染されることで起きる。
――第5章 病へ至る道 糞口経路
【どんな本?】
私たちはみんなウンコを出す。そして下水道の整備は都市計画の重要な問題だ。にもかかわらず、ウンコについて大っぴらに語られることは少ないし、ウンコの話は往々にして下品でくだらないこととされる。これは現代日本だけに限らず、多くの文化で共通している。
どの文化でも、古代ローマ(そこでは市の主下水道、クロアカ・マキシマを戦争捕虜が掃除していた)から18世紀のイングランド(汚水溜めの清掃人は夜働くことを命じられた)まで、みんなのために糞を扱う人は、もおっとも尊敬されない労働者のカテゴリーに入れられている。
――第6章 ヘラクレスとトイレあれこれ
だが、科学的にも社会的にも、ウンコは充分に研究に値する。健康診断では検便があるし、生態系の維持には動物の糞便が欠かせない。糞便の不適切な処理は伝染病を蔓延させるが、鳥の糞の奪い合いは時として戦争にまで発展する(→Wikipedia)。
やっかいではあるが、否応なしについてまわり、時として役に立つウンコについて、「国境なき獣医師団」創設者でもある疫学者が、幅広い視点でユーモラスに語る、一般向けの科学・社会解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The Origin of Feses : What Excrement Tells Us About Evolution, Ecology, and a Sustainable Society, by David Waltner-Toews, 2013。日本語版は2014年5月20日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約211頁に加え、訳者あとがき3頁。9ポイント46字×17行×211頁=約165,002字、400字詰め原稿用紙で約413枚。文庫ならやや薄めの一冊分。
文章は比較的にこなれている。内容もわかりやすい。ただし、当たり前だがウンコの話てんこもりなので、潔癖症や想像力豊かな人には向かない。
【構成は?】
各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。
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- 序章 フンコロガシと機上の美女
- 第1章 舌から落ちるもの
- 第2章 糞の成分表
- 第3章 糞の起源
- 第4章 動物にとって排泄物とは何か
- 第5章 病へ至る道 糞口経路
- 第6章 ヘラクレスとトイレあれこれ
- 第7章 もう一つの暗黒物質
- 第8章 排泄物のやっかいな複雑性とは何か
- 第9章 糞を知る その先にあるもの
- 参考文献/訳者あとがき
【感想は?】
くり返すが、想像力が豊かな人には向かない。また食事中に読むのも薦めない。わざわざ、そんな事をする人は滅多にいないだろうけど。ご想像の通り、本書は「ウンコ」の連呼だ。訳者あとがきに曰く「訳者がこんなに『ウンコ』を連発したのは小学生のとき以来かもしれない」。
「解剖男」もそうなんだが、一見キワモノに思われるシロモノを研究してる学者は、敢えてそれを芸にしたがる傾向がある気がする。本書も、著者が夫婦でタンザニアに旅行した際、ガイドを独占して動物の糞を探し、同行者や奥さんに呆れられる場面で本書は始まる。そうか、野生の肉食獣の糞は白いのか。一つ勉強になった。
もちろん、ふざけているワケじゃない。ただ、著者は仕事柄、ユーモアの大切さが身に染みてるんだろう。なにせ…
ウンコは社会学者と科学者がやっかいな問題と呼ぶものである。
――第1章 舌から落ちるもの
ここで社会学者と科学者の二者が出てくる点に注意しよう。今、まさに問題となっている新型コロナが示すように、疫学とは、科学と社会の双方が密接に絡み合う学問なのだ。それだけに、著者の視野は広い。ミクロな視点では…
成人の便1mm3には、10の11乗(略)前後のバクテリアがいる。(略)このようなバクテリアは500から1000ほどの異なる種からなり、大部分はあまりよくわかっていないものだ。
――第2章 糞の成分表
と、ウンコの中身を分析する。にしても、「大部分はあまりよくわかっていない」とは。もちろん、対象はヒトばかりじゃない。
いくつかの種では、糞食は健康を増殖し病気を防ぐ意味を持つ。ウサギはタンパク質と水溶性ビタミンを摂取する。ハツカネズミはビタミンB12と葉酸を糞を食べて摂取していると言われる。実験用ラットに糞を食べさせないようにすると、うまく成長せず、ビタミンB12とビタミンKの欠乏症を起こす。
――第4章 動物にとって排泄物とは何か
そして、ヒトと動物との関わりにも目を配る。それも世界的な視野で。
牛糞は木とほぼ同じ発熱量を持つ(ただしどちらも灯油が生成する熱の半分に満たない)。リャマの糞もウシのものとほぼ同じ熱量を持つ。全世界で一年間に燃料として利用される牛糞の40から50%はインドで燃やされている。
――第9章 糞を知る その先にあるもの
更に、時間的にも遠くを見通そうとする。
新石器時代の定住地では、排泄物を定住地の中と周囲に、恐らく堆肥として置いていた痕跡がある。
――第6章 ヘラクレスとトイレあれこれ
そうか、ヒトは大昔から排泄物が植物の成長を促すと知っていたのか。まあいい。こんな風に、ウンコについて遠大な時空を見渡すと、どこかの禅僧みたいな悟りの境地にまで至る。
すべてを包みこむ生命系(=生態系)を思い描けるなら、このように想像できるだろう。ウンコは存在しない。
――第3章 糞の起源
まあ、要は、動物の排泄物もバクテリアが分解して植物の養分になる、みたいな話なんだけどね。自然界じゃ、そんな風にすべてがリサイクルされているのだ。もっとも、その循環に、困った奴も乗り合わせてくるんだけど。
寄生虫のライフサイクルは排泄物のライフサイクルなのだ。
――第7章 もう一つの暗黒物質
だた、現在のグローバル社会は、このサイクルが大きく変わりつつある。この変化を描く第7章以降は、なかなかの迫力だ。例えば、動物の肉は多くのリンを含む。そしてアメリカやアルゼンチンは、牛肉を大量に輸出している。肉の元を辿れば、飼料のトウモロコシに行きつく。土中のリンがトウモロコシに移り、それが牛に行き、太平洋を渡って私たち日本人が食べ、ウンコとして出す。
私たちは意識しないうちに、太平洋の向こうからリンを輸入していたのだ。なんか得した気分だが、それもウンコを再利用すれば、の話だ。特にアメリカ産の牛は難しい。アメリカでは大企業が多くの牛や豚や鶏を狭い所に閉じ込め、大量生産方式で育てている。伝染病の蔓延を防ぐため、多くの抗生物質を与える。これがウンコにも混ざり、抗生物質に耐性を持つ菌が繁殖してしまう。
本来、牛糞は処理次第で優れた肥料になるし、先に挙げたように燃料にもなる。そういえば「大地」でも、牛糞を拾う場面で、ヒロインの阿蘭の勤勉さを描いてたなあ。ってのは置いて。
アメリカの牛は抗生物質漬けで育ってるから、その糞にも抗生物質や耐性菌が入っていて、再利用が難しいのだ。まあ、それもやりようなんだけど。
炭素、窒素、酸素(適切なバクテリアの繁殖を促す)がちょうどよく混ざり、うまく作られた堆肥の山では、温度が54~66℃に達することを研究者は示している。これは鳥インフルエンザウイルスを十分殺せる温度だ。
――第9章 糞を知る その先にあるもの
そんな風に、著者は幅広い視野と深い知識を持ちつつも、肝心の解決策については、万能の策はない、と慎重だ。その場に応じ、関係する様々な人々の話を聞いた上で、慎重に考えましょう、と。
我々の技術がどんなに優れていようと、それが効果を発揮し役に立つのは、適切な社会-生態学的背景に合わせて設計され、その中で使われるときだけだ。
――第9章 糞を知る その先にあるもの
こういったあたりは、「世界文明における技術の千年史」とも通じる考え方だなあ。他にも…
現実世界の理解に近づくための唯一の方法は、できるだけ多くの視点を集め、全体像を作ろうと努力することだ。
――第8章 排泄物のやっかいな複雑性とは何か
なんてところは、計算屋には身につまされる話だよね。組織の上長と、実際に操作する人とじゃ、話がまったく違うとか、よくあるケースだし。
科学と社会学が交わる疫学者として、世界中を飛び回った著者だけに、話題は幅広く、視点もバクテリアから国際貿易に至るまで、バラエティ豊かだ。もっとも、すべてウンコにまつわる話なんだけど。また、現場をよく知っている人らしく、特に終盤では現実社会の面倒くささも滲み出ている。イロモノ的な題材ではあるが、エンジニアを含め問題解決に携わるすべての人にお薦め。
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