アントニー・ビーヴァー&リューバ・ヴィノグラードヴァ編「赤軍記者グロースマン 独ソ戦取材ノート1941-45」白水社 川上洸訳
本書はグロースマンの戦時中の取材ノートと執筆記事にもとづいて編集されたが、(略)ほかに令嬢と義理の子息の所蔵する書簡の一部もくわえた。
――編者まえがき
【どんな本?】
ヴァシーリイ・グロースマン(→Wikipedia)は1905年にウクライナで生まれたユダヤ系の作家、1964年没。1941年6月22日のドイツによるソ連侵攻に伴い、赤軍の公式機関紙「クラースナヤ・ズヴェズダー」の記者として前線を取材し、序盤の赤軍壊滅からスターリングラートの激戦・クールスクの大戦車戦・「死の収容所」解放そしてベルリン攻略まで、戦う将兵とそこに住む人々を記録に残す。
スターリングラート戦を中心とした代表作「人生と運命」は当局から発禁を食らう。戦時中の記事はスターリン礼賛に不熱心であり、またユダヤ系のグロースマンが他国のユダヤ人と連携を図った点が、当局のお気に召さなかったようだ。しかし友人に預けた原稿のコピーがスイスに流出し、世界各国で出版される。なお祖国での出版は共産主義崩壊後となる。
人類史上最大の戦争となった独ソ戦において、熱心に前線での取材を続け、戦う将兵たちから絶大な人気を得たグロースマンが遺した記事とメモを中心に、編者が背景事情の説明を加え、赤軍の壊滅的な敗走からスターリングラートの死闘そしてベルリン陥落まで、戦場の生々しい様子をソ連側の視点から伝える、貴重な資料である。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は A Writer at War : with the Red Army 1941-1945, by Antony Beevor and Luba Vimogradova, 2005。日本語版は2007年6月10日発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約500頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント45字×20行×500頁=約450,000字、400字詰め原稿用紙で約1,125枚。文庫なら上下巻ぐらいの分量。
グロースマンの文章は拍子抜けするほど読みやすい。ロシア文学は文がやたら長くて哲学的という印象があるが、グロースマンの記事は正反対だ。文は短くて無駄がなく、描写は具体的。ハードボイルド小説でも、これほどキレのいい文章は滅多にない。理想的な記者の文章だ。ただし取材メモの場合は、背景事情をそぎ落としており、また行数あたりの情報量は濃いので、解説を読まないと真意を見逃しかねない。
内容もわかりやすい。当然ながら地獄の独ソ戦の現場報告なので、相応のグロ耐性が必要。特に強制収容所を描く「第24章 トレブリーンカ」には覚悟しよう。
【構成は?】
基本的に時系列順に進む。各章はほぼ独立しているので、気になった所から拾い読みしてもいい。
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- 凡例/訳語・用語解説
- 編者まえがき
- 第1部 ドイツ軍侵攻の衝撃 1941年
- 第1章 砲火の洗礼 8月
- 第2章 悲惨な退却 8~9月
- 第3章 ブリャーンスク方面軍で 9月
- 第4章 第50軍とともに 9月
- 第5章 ふたたびウクライナへ 9月
- 第6章 オリョール失陥 10月
- 第7章 モスクワ前面へ撤退 10月
- 第2部 スターリングラートの年 1942年
- 第8章 南西方面軍で 1月
- 第9章 南方での航空戦 1月
- 第10章 黒師団とともにドネーツ河岸で 1~2月
- 第11章 ハーシン戦車旅団とともに 2月
- 第12章 「戦争の非情な真実」 3~7月
- 第13章 スターリングラートへの道 8月
- 第14章 9月の戦闘
- 第15章 スターリングラート・アカデミー 秋
- 第16章 10月の戦闘
- 第17章 形勢逆転 11月
- 第3部 失地回復 1943年
- 第18章 攻防戦の後 1月
- 第19章 祖国の領土を奪回 早春
- 第20章 クールスク会戦 7月
- 第4部 ドニェープルからヴィースワへ 1944年
- 第21章 修羅の港ベルジーチェフ 1月
- 第22章 ウクライナ横断オデッサへ 3~4月
- 第23章 バグラチオーン作戦 6~7月
- 第24章 トレブリーンカ 7月
- 第5部 ナチの廃墟のさなかで 1945年
- 第25章 ワルシャワとウッチ 1月
- 第26章 ファシスト野獣の巣窟へ 1月
- 第17章 ベルリン攻略戦 4~5月
- 編者あとがき 勝利の虚偽
- 謝辞
- 訳者あとがき
- 主要地名表記一覧/引用出典一覧/参照文献
【感想は?】
先にも書いたが、地獄の独ソ戦の現場報告だ。充分に覚悟しよう。
グロースマンの文章は、抜群にキレがいい。これはスターリングラート奪取後、ドイツ占領下にあった村を取材した記事だ。
村にオンドリは一羽もいない。農婦らが殺してしまった。ルーマニア兵がオンドリの鳴き声で隠しておいたメンドリを見つけ出すから。
――第18章 攻防戦の後
文が短いため、文章のキレが良くなる。内容も濃い。「農婦ら」で、村に男がいない由も伝える。男は兵役に出たのだ。「ル―マニア兵が…見つけだす」で、占領軍の容赦ない略奪もわかる。
もっとも、略奪はお互いさまで。これはポーランドに入ってからの赤軍兵の様子を描いたもの。
兵士らは官給品など食べていない。ポーク、シチメンチョウ、チキン。歩兵部隊には、これまでついぞ見受けられなかったような血色のいい肥った顔が見られるようになった。
――第25章 ワルシャワとウッチ
どうやって肉を手に入れたのか。もちろん、略奪だ。では、余った官給品はどこに消えたのか。それを考えると、赤軍の上級将校が兵の略奪を熱心に諫めない理由も見えてくる。そういう軍の暗部も、グロースマンは否応なく目にする羽目になった。
ペペジェとは(略)若い看護婦や司令部勤務の女性兵士、たとえば通信兵や事務員などで、(略)高級将校のメカケとなることを強制された女性たちである。
――第13章 スターリングラートへの道
「戦争は女の顔をしていない」が描いたように、当時の赤軍は多くの女を用いた。そして、当然ながら、そういう問題も起きたのだ。
その多くは狙撃兵だった、とあるが、どうも当時の赤軍の「狙撃兵」は歩兵を表していたらしい。もちろん、私たちが考える狙撃兵もいたが、こちらは「狙撃手」と呼ばれる。その狙撃手曰く…
装薬の品質がまったく不安定で、(狙撃手が)同じ目標をねらって二発発射しても、同じ場所に着弾したためしがない
――第15章 スターリングラート・アカデミー
既に戦争は工業力の時代。特に精密を求められる狙撃では、品質管理も重要なのだ。装薬の量と質が変われば弾丸の飛び方も変わるし。ちなみに当時のソ連じゃ狙撃手は英雄で、戦果は水増しして報道された様子。
なお、このメモはスターリングラートでの取材。激戦のスターリングラートの様子を物語る一節が、これ。
師団司令部は敵から250メートルの距離にある。
――第16章 10月の戦闘
だもんで、指揮下の部隊に連絡するには無線は要らず怒鳴ればよかった、なって話も。砲声・銃声渦巻く中だし敵に聴こえたらマズいから、まあ法螺だろうけど。
そんな激戦を戦う将兵も、最初から気合が入ってたワケじゃない。
あごヒゲをのばしほうだいの赤軍兵士に将校がたずねる。「なぜ剃らない?」
兵士「かみそりがありません」
将校「よろしい、そのまま百姓に変装して敵の背後の偵察に行け」
兵士「今日剃ります。隊長、まちがいなく剃ります!」
――第2章 悲惨な退却
もっとも、兵も常に上官に従順とはいかない。
兵カザコーフは分隊長に言った。「おれの銃にはあんたのための弾がとっくに装填ずみだぞ」
――第8章 南西方面軍で
やっぱり居るんだね、後ろから気に入らない上官を撃つ兵って。などと軋轢はあるものの、砲火と血肉にまみれて、将兵は少しづつ戦場に馴染んでゆく。
やがてドイツ軍縦隊の攻撃で戦果をあげた飛行隊が高度を下げて着陸。先頭機のラジエータにこびりつく人肉。
――第1章 砲火の洗礼
当時の赤軍の空軍は評判が悪い。対して陸軍は戦車を中心として今でも恐れられている。そんな戦車も、もちろん無敵とはいかず…
戦闘中、重戦車の操縦手が砲弾で頭を吹き飛ばされた。死んだ操縦手がアクセルを踏み続けていたので、戦車はそのまま森に突っ込み、木々をなぎたおしながらわれわれの村までやってきて停止した。内部には首のない操縦手がすわっていた。
――第5章 ふたたびウクライナへ
第四次中東戦争でのシナイ半島のイスラエル・エジプト戦を描いた「砂漠の戦車戦」でも見た気がする。こっちは小隊指揮車がやられたので、後ろに指揮下の戦車がゾロゾロとついてきた、とか。そのイスラエル軍戦車部隊を苦しめたのはエジプト軍の歩兵が持つ対戦車ミサイル。そのルーツは独ソ戦にあった。
人家の多い地域での追撃戦でいちばん危険なのは、パンツァーファウスト(対戦車ロケット弾、→Wikipedia)を持った歩兵だった。
――第25章 ワルシャワとウッチ
パンツァーファウストの有効性は独軍も学んだようで、「ベルリン陥落」では自転車にパンツァーファウストをくくりつけた少年兵がT34に立ち向かっている。
なお、独ソ戦とイスラエル軍の共通点は他にも多い。例えばイスラエル空軍は第三次中東戦争(→「第三次中東戦争全史」)やバビロン作戦(→「イラク原子炉攻撃」)でもメシ時を狙って空襲をかけてるんだが、どうもメシ時が狙い目なのは戦場の常らしい。
歩兵部隊からドイツ兵はラッパの合図で食事に行くとの報告があった。彼(砲兵タラーソフ)は煙で炊事場の位置を確認したうえで、射撃諸元を設定し、砲に装填し、準備が終わったら報告せよと命じた。〔ラッパが聞こえたのち〕集中射を浴びせ、ドイツ兵は悲鳴をあげた。
――第11章 ハーシン戦車旅団とともに
もちろん、指揮官が戦場で学ぶように、歩兵も戦場に適応してゆく。
「靴にもえらく苦労したね。歩くと血まめができちまう。戦死者からまともなやつを頂戴したが、サイズが小さすぎた」
――第14章 9月の戦闘
「戦死者から頂戴」って…まあ、そういうコトだろう。なお靴の大切さはチェ・ゲバラが「ゲリラ戦争」でしつこく強調してます。そりゃ歩兵は足が命だし。
靴ばかりでなく、何もかも足りない戦場では、将兵も現地で手に入るモノを工夫する知恵を身に着ける。
鉄帽でつくったストーブ。煙突は銅製の薬筒。燃料はブリャーン〔ステップに生える丈の高い草の総称〕。行軍中は一人がブリャーンの束を、二人目が木くずを、三人目が薬筒を、四人目がストーブを運ぶ。
――第17章 形勢逆転
もちろん、変化は赤軍の組織までにも及び…
攻撃戦がはじまったいまでは、中堅将校の大多数は兵や下士官から抜擢された連中だ。
――第19章 祖国の領土を奪回
もっとも、緒戦の壊滅状態から考えるに、事態はもっと悲惨なのかも。例えば、前線で指揮する少尉や中尉が戦死したんで、その後を軍曹や曹長が引き継いだ。で、次の指揮官が来るのを待つ余裕はないんで、今の指揮官つまり軍曹や曹長を昇進させ、引き続き部隊の指揮を任せた、みたいな。
とまれ、戦場のドサクサとはいえ、兵や下士官を将校に任命する柔軟性は赤軍にもあったんだね。同様に壊滅状態を経験した帝国陸軍はどうなんだろ? あましそういう話は聞かないけど。知ってたら教えてください。
それはさておき、情報統制の厳しいソ連じゃ、グロースマンの記事もすべて活字になるとは限らないし、編集者がアチコチに手を入れたりもするし、グロースマンがそれを愚痴る場面もチラホラある。また、最初から方針が決まってる場合もある。
編集長「なぜオリョールの英雄的防衛の記事を書かなかった?」
グロースマン「オリョールは防衛戦などやらなかったので」
――第7章 モスクワ前面へ撤退
こういった所は、現代日本のマスコミも同じだね。自由主義社会の民間企業が、共産主義社会の御用新聞と同じ体質ってのは、どういうことだ?
そんなグロースマンは、進撃する赤軍を追い西へと進むうちに、ユダヤ人虐殺の影に出会う。
キーエフからやってきた人びとの話では、ドイツ当局は1941年秋にキーエフで殺害したユダヤ人5万人を埋めた広大な集団墓のまわりに軍隊を配置し、大あわてで遺体を掘り出し、トラックに積み込んで西方へ運んでいる。遺体の一部は現地で焼却しようとしている。
――第21章 修羅の港ベルジーチェフ
特にポーランドで絶滅収容所を取材した「第24章 トレブリーンカ」は、心臓の弱い人・想像力の豊かな人にはお勧めしかねる。人間がどこまで卑劣かつ冷酷になれるかの、おぞましい実例だ。
ばかりでなく、バレそうになると隠そうとするナチスの卑劣さも腹立たしい。つまり、自分は非難される事をやってると、わかってたんだから。「それが正義だ」と命を懸けて主張する度胸はなかったのだ、この連中。対して、前線の将兵は命を懸けて戦っているのに。
もっとも、そんな将兵も、戦う機械じゃない。人間らしい気晴らしだって、時には必要だ。
みんなドイツ製のアコーディオンをもっている。これは兵隊の楽器。がたがた揺れる荷車や車両に乗っていても演奏できるし、むしろそのほうが演奏しやすいから。
――第23章 バグラチオーン作戦
やっぱり物語と音楽は必要なのだ、人間らしい心を保つためには。とまれ、誰もが戦場に順応できるとは限らず…
わが方の兵士の60%は戦争中にそもそも一発も射撃しなかった。
――第11章 ハーシン戦車旅団とともに
この記述は「戦争における[人殺し]の心理学」とも近い。数字の多寡はあるが、自らの命が危険にさらされる前線の兵でも、意外と多くの者が人を殺せないらしい。例え憎い敵でも。なお、先の本だと、二次大戦の米兵の発砲率が15~20%とあるが、これは数字の取り方の違いなのかお国柄なのか。
そのお国柄だと、こんな話も。
解放された[ロシア人]娘ガーリャが、さまざまな国籍の捕虜男性の女性にたいするお愛想の特徴を語り、こう言う。「フランス人はいろんな言い方を知っているのよ」
――第26章 ファシスト野獣の巣窟へ
なんか、わかる気がするw イタリア人じゃないのは、枢軸側だからかな?
他にも、ワルシャワ郊外に赤軍が達した1944年7月末に、ソ連のラジオ放送がポーランド人に蜂起を呼びかけた、なんて衝撃的な記述がサラリとあって、細かい所まで油断ができない恐ろしい本だった。ようこそ地獄の東部戦線へ。
【なぜ蜂起の呼びかけが衝撃的なのか】
ドイツに占領されながらも、ポーランド国内軍と市民は密かにドイツへの抵抗を続け、また一斉蜂起の時をまっていた。そして1944年8月1日、地下に潜っていたポーランド国内軍は一斉に叛旗を翻す。自ら放棄した実績があれば、戦後も独立を勝ち取れるだろう、との望みを賭けて。占領下でもありロクな装備もないポーランド国内軍だが、拳銃と火炎瓶でドイツの戦車に立ち向かう。
だが赤軍はワルシャワを目前にして立ち止まるばかりか、支援物資を空輸しようとする英米軍航空機の燃料補給まで拒んだ。戦後のポーランド占領政策の邪魔になりそうな骨のある者たちを、ナチスに始末させようとした。そういう思惑を、ラジオ放送が裏付ける。なお、最終的に蜂起は失敗し、ワルシャワは廃墟と化す。
詳しくは「ワルシャワ蜂起1944」をどうぞ。つか今 Wikipedia を見たら、ラジオ放送の件もちゃんと書いてあった。ダメだね、ちゃんと複数の資料を照らし合わせないと。
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【今日の一曲】
Roads To Moscow Al Stewart
世の中には独ソ戦の歌もあります。歌っているのはイギリスというかスコットランドのシンガー・ソングライター Al Stewart、Year of the Cat(→Youtube)で有名な人。この曲を収録したアルバム Past, Present And Future はファンの間でさえ評判はイマイチなんだけど、私は初めて聞いた時に一曲目の Old Admirals から一気に引き込まれました。重苦しくも哀愁を帯びた生ギターで始まりつつも、盛り上がる所じゃ大げさなコーラスが入るあたり、「ロシアってそういう印象なんだなあ」と思ったり。
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