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2021年4月の5件の記事

2021年4月30日 (金)

アントニー・ビーヴァー&リューバ・ヴィノグラードヴァ編「赤軍記者グロースマン 独ソ戦取材ノート1941-45」白水社 川上洸訳

本書はグロースマンの戦時中の取材ノートと執筆記事にもとづいて編集されたが、(略)ほかに令嬢と義理の子息の所蔵する書簡の一部もくわえた。
  ――編者まえがき

【どんな本?】

 ヴァシーリイ・グロースマン(→Wikipedia)は1905年にウクライナで生まれたユダヤ系の作家、1964年没。1941年6月22日のドイツによるソ連侵攻に伴い、赤軍の公式機関紙「クラースナヤ・ズヴェズダー」の記者として前線を取材し、序盤の赤軍壊滅からスターリングラートの激戦・クールスクの大戦車戦・「死の収容所」解放そしてベルリン攻略まで、戦う将兵とそこに住む人々を記録に残す。

 スターリングラート戦を中心とした代表作「人生と運命」は当局から発禁を食らう。戦時中の記事はスターリン礼賛に不熱心であり、またユダヤ系のグロースマンが他国のユダヤ人と連携を図った点が、当局のお気に召さなかったようだ。しかし友人に預けた原稿のコピーがスイスに流出し、世界各国で出版される。なお祖国での出版は共産主義崩壊後となる。

 人類史上最大の戦争となった独ソ戦において、熱心に前線での取材を続け、戦う将兵たちから絶大な人気を得たグロースマンが遺した記事とメモを中心に、編者が背景事情の説明を加え、赤軍の壊滅的な敗走からスターリングラートの死闘そしてベルリン陥落まで、戦場の生々しい様子をソ連側の視点から伝える、貴重な資料である。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は A Writer at War : with the Red Army 1941-1945, by Antony Beevor and Luba Vimogradova, 2005。日本語版は2007年6月10日発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約500頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント45字×20行×500頁=約450,000字、400字詰め原稿用紙で約1,125枚。文庫なら上下巻ぐらいの分量。

 グロースマンの文章は拍子抜けするほど読みやすい。ロシア文学は文がやたら長くて哲学的という印象があるが、グロースマンの記事は正反対だ。文は短くて無駄がなく、描写は具体的。ハードボイルド小説でも、これほどキレのいい文章は滅多にない。理想的な記者の文章だ。ただし取材メモの場合は、背景事情をそぎ落としており、また行数あたりの情報量は濃いので、解説を読まないと真意を見逃しかねない。

 内容もわかりやすい。当然ながら地獄の独ソ戦の現場報告なので、相応のグロ耐性が必要。特に強制収容所を描く「第24章 トレブリーンカ」には覚悟しよう。

【構成は?】

 基本的に時系列順に進む。各章はほぼ独立しているので、気になった所から拾い読みしてもいい。

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  • 凡例/訳語・用語解説
  • 編者まえがき
  • 第1部 ドイツ軍侵攻の衝撃 1941年
  • 第1章 砲火の洗礼 8月
  • 第2章 悲惨な退却 8~9月
  • 第3章 ブリャーンスク方面軍で 9月
  • 第4章 第50軍とともに 9月
  • 第5章 ふたたびウクライナへ 9月
  • 第6章 オリョール失陥 10月
  • 第7章 モスクワ前面へ撤退 10月
  • 第2部 スターリングラートの年 1942年
  • 第8章 南西方面軍で 1月
  • 第9章 南方での航空戦 1月
  • 第10章 黒師団とともにドネーツ河岸で 1~2月
  • 第11章 ハーシン戦車旅団とともに 2月
  • 第12章 「戦争の非情な真実」 3~7月
  • 第13章 スターリングラートへの道 8月
  • 第14章 9月の戦闘
  • 第15章 スターリングラート・アカデミー 秋
  • 第16章 10月の戦闘
  • 第17章 形勢逆転 11月
  • 第3部 失地回復 1943年
  • 第18章 攻防戦の後 1月
  • 第19章 祖国の領土を奪回 早春
  • 第20章 クールスク会戦 7月
  • 第4部 ドニェープルからヴィースワへ 1944年
  • 第21章 修羅の港ベルジーチェフ 1月
  • 第22章 ウクライナ横断オデッサへ 3~4月
  • 第23章 バグラチオーン作戦 6~7月
  • 第24章 トレブリーンカ 7月
  • 第5部 ナチの廃墟のさなかで 1945年
  • 第25章 ワルシャワとウッチ 1月
  • 第26章 ファシスト野獣の巣窟へ 1月
  • 第17章 ベルリン攻略戦 4~5月
  • 編者あとがき 勝利の虚偽
  • 謝辞
  • 訳者あとがき
  • 主要地名表記一覧/引用出典一覧/参照文献

【感想は?】

 先にも書いたが、地獄の独ソ戦の現場報告だ。充分に覚悟しよう。

 グロースマンの文章は、抜群にキレがいい。これはスターリングラート奪取後、ドイツ占領下にあった村を取材した記事だ。

村にオンドリは一羽もいない。農婦らが殺してしまった。ルーマニア兵がオンドリの鳴き声で隠しておいたメンドリを見つけ出すから。
  ――第18章 攻防戦の後

 文が短いため、文章のキレが良くなる。内容も濃い。「農婦ら」で、村に男がいない由も伝える。男は兵役に出たのだ。「ル―マニア兵が…見つけだす」で、占領軍の容赦ない略奪もわかる。

 もっとも、略奪はお互いさまで。これはポーランドに入ってからの赤軍兵の様子を描いたもの。

兵士らは官給品など食べていない。ポーク、シチメンチョウ、チキン。歩兵部隊には、これまでついぞ見受けられなかったような血色のいい肥った顔が見られるようになった。
  ――第25章 ワルシャワとウッチ

 どうやって肉を手に入れたのか。もちろん、略奪だ。では、余った官給品はどこに消えたのか。それを考えると、赤軍の上級将校が兵の略奪を熱心に諫めない理由も見えてくる。そういう軍の暗部も、グロースマンは否応なく目にする羽目になった。

ペペジェとは(略)若い看護婦や司令部勤務の女性兵士、たとえば通信兵や事務員などで、(略)高級将校のメカケとなることを強制された女性たちである。
  ――第13章 スターリングラートへの道

 「戦争は女の顔をしていない」が描いたように、当時の赤軍は多くの女を用いた。そして、当然ながら、そういう問題も起きたのだ。

 その多くは狙撃兵だった、とあるが、どうも当時の赤軍の「狙撃兵」は歩兵を表していたらしい。もちろん、私たちが考える狙撃兵もいたが、こちらは「狙撃手」と呼ばれる。その狙撃手曰く…

装薬の品質がまったく不安定で、(狙撃手が)同じ目標をねらって二発発射しても、同じ場所に着弾したためしがない
  ――第15章 スターリングラート・アカデミー

 既に戦争は工業力の時代。特に精密を求められる狙撃では、品質管理も重要なのだ。装薬の量と質が変われば弾丸の飛び方も変わるし。ちなみに当時のソ連じゃ狙撃手は英雄で、戦果は水増しして報道された様子。

 なお、このメモはスターリングラートでの取材。激戦のスターリングラートの様子を物語る一節が、これ。

師団司令部は敵から250メートルの距離にある。
  ――第16章 10月の戦闘

 だもんで、指揮下の部隊に連絡するには無線は要らず怒鳴ればよかった、なって話も。砲声・銃声渦巻く中だし敵に聴こえたらマズいから、まあ法螺だろうけど。

 そんな激戦を戦う将兵も、最初から気合が入ってたワケじゃない。

あごヒゲをのばしほうだいの赤軍兵士に将校がたずねる。「なぜ剃らない?」
兵士「かみそりがありません」
将校「よろしい、そのまま百姓に変装して敵の背後の偵察に行け」
兵士「今日剃ります。隊長、まちがいなく剃ります!」
  ――第2章 悲惨な退却

 もっとも、兵も常に上官に従順とはいかない。

兵カザコーフは分隊長に言った。「おれの銃にはあんたのための弾がとっくに装填ずみだぞ」
  ――第8章 南西方面軍で

 やっぱり居るんだね、後ろから気に入らない上官を撃つ兵って。などと軋轢はあるものの、砲火と血肉にまみれて、将兵は少しづつ戦場に馴染んでゆく。

やがてドイツ軍縦隊の攻撃で戦果をあげた飛行隊が高度を下げて着陸。先頭機のラジエータにこびりつく人肉。
  ――第1章 砲火の洗礼

 当時の赤軍の空軍は評判が悪い。対して陸軍は戦車を中心として今でも恐れられている。そんな戦車も、もちろん無敵とはいかず…

戦闘中、重戦車の操縦手が砲弾で頭を吹き飛ばされた。死んだ操縦手がアクセルを踏み続けていたので、戦車はそのまま森に突っ込み、木々をなぎたおしながらわれわれの村までやってきて停止した。内部には首のない操縦手がすわっていた。
  ――第5章 ふたたびウクライナへ

 第四次中東戦争でのシナイ半島のイスラエル・エジプト戦を描いた「砂漠の戦車戦」でも見た気がする。こっちは小隊指揮車がやられたので、後ろに指揮下の戦車がゾロゾロとついてきた、とか。そのイスラエル軍戦車部隊を苦しめたのはエジプト軍の歩兵が持つ対戦車ミサイル。そのルーツは独ソ戦にあった。

人家の多い地域での追撃戦でいちばん危険なのは、パンツァーファウスト(対戦車ロケット弾、→Wikipedia)を持った歩兵だった。
  ――第25章 ワルシャワとウッチ

 パンツァーファウストの有効性は独軍も学んだようで、「ベルリン陥落」では自転車にパンツァーファウストをくくりつけた少年兵がT34に立ち向かっている。

 なお、独ソ戦とイスラエル軍の共通点は他にも多い。例えばイスラエル空軍は第三次中東戦争(→「第三次中東戦争全史」)やバビロン作戦(→「イラク原子炉攻撃」)でもメシ時を狙って空襲をかけてるんだが、どうもメシ時が狙い目なのは戦場の常らしい。

歩兵部隊からドイツ兵はラッパの合図で食事に行くとの報告があった。彼(砲兵タラーソフ)は煙で炊事場の位置を確認したうえで、射撃諸元を設定し、砲に装填し、準備が終わったら報告せよと命じた。〔ラッパが聞こえたのち〕集中射を浴びせ、ドイツ兵は悲鳴をあげた。
  ――第11章 ハーシン戦車旅団とともに

 もちろん、指揮官が戦場で学ぶように、歩兵も戦場に適応してゆく。

「靴にもえらく苦労したね。歩くと血まめができちまう。戦死者からまともなやつを頂戴したが、サイズが小さすぎた」
  ――第14章 9月の戦闘

 「戦死者から頂戴」って…まあ、そういうコトだろう。なお靴の大切さはチェ・ゲバラが「ゲリラ戦争」でしつこく強調してます。そりゃ歩兵は足が命だし。

 靴ばかりでなく、何もかも足りない戦場では、将兵も現地で手に入るモノを工夫する知恵を身に着ける。

鉄帽でつくったストーブ。煙突は銅製の薬筒。燃料はブリャーン〔ステップに生える丈の高い草の総称〕。行軍中は一人がブリャーンの束を、二人目が木くずを、三人目が薬筒を、四人目がストーブを運ぶ。
  ――第17章 形勢逆転

 もちろん、変化は赤軍の組織までにも及び…

攻撃戦がはじまったいまでは、中堅将校の大多数は兵や下士官から抜擢された連中だ。
  ――第19章 祖国の領土を奪回

 もっとも、緒戦の壊滅状態から考えるに、事態はもっと悲惨なのかも。例えば、前線で指揮する少尉や中尉が戦死したんで、その後を軍曹や曹長が引き継いだ。で、次の指揮官が来るのを待つ余裕はないんで、今の指揮官つまり軍曹や曹長を昇進させ、引き続き部隊の指揮を任せた、みたいな。

 とまれ、戦場のドサクサとはいえ、兵や下士官を将校に任命する柔軟性は赤軍にもあったんだね。同様に壊滅状態を経験した帝国陸軍はどうなんだろ? あましそういう話は聞かないけど。知ってたら教えてください。

 それはさておき、情報統制の厳しいソ連じゃ、グロースマンの記事もすべて活字になるとは限らないし、編集者がアチコチに手を入れたりもするし、グロースマンがそれを愚痴る場面もチラホラある。また、最初から方針が決まってる場合もある。

編集長「なぜオリョールの英雄的防衛の記事を書かなかった?」
グロースマン「オリョールは防衛戦などやらなかったので」
  ――第7章 モスクワ前面へ撤退

 こういった所は、現代日本のマスコミも同じだね。自由主義社会の民間企業が、共産主義社会の御用新聞と同じ体質ってのは、どういうことだ? 

 そんなグロースマンは、進撃する赤軍を追い西へと進むうちに、ユダヤ人虐殺の影に出会う。

キーエフからやってきた人びとの話では、ドイツ当局は1941年秋にキーエフで殺害したユダヤ人5万人を埋めた広大な集団墓のまわりに軍隊を配置し、大あわてで遺体を掘り出し、トラックに積み込んで西方へ運んでいる。遺体の一部は現地で焼却しようとしている。
  ――第21章 修羅の港ベルジーチェフ

 特にポーランドで絶滅収容所を取材した「第24章 トレブリーンカ」は、心臓の弱い人・想像力の豊かな人にはお勧めしかねる。人間がどこまで卑劣かつ冷酷になれるかの、おぞましい実例だ。

 ばかりでなく、バレそうになると隠そうとするナチスの卑劣さも腹立たしい。つまり、自分は非難される事をやってると、わかってたんだから。「それが正義だ」と命を懸けて主張する度胸はなかったのだ、この連中。対して、前線の将兵は命を懸けて戦っているのに。

 もっとも、そんな将兵も、戦う機械じゃない。人間らしい気晴らしだって、時には必要だ。

みんなドイツ製のアコーディオンをもっている。これは兵隊の楽器。がたがた揺れる荷車や車両に乗っていても演奏できるし、むしろそのほうが演奏しやすいから。
  ――第23章 バグラチオーン作戦

 やっぱり物語と音楽は必要なのだ、人間らしい心を保つためには。とまれ、誰もが戦場に順応できるとは限らず…

わが方の兵士の60%は戦争中にそもそも一発も射撃しなかった。
  ――第11章 ハーシン戦車旅団とともに

 この記述は「戦争における[人殺し]の心理学」とも近い。数字の多寡はあるが、自らの命が危険にさらされる前線の兵でも、意外と多くの者が人を殺せないらしい。例え憎い敵でも。なお、先の本だと、二次大戦の米兵の発砲率が15~20%とあるが、これは数字の取り方の違いなのかお国柄なのか。

 そのお国柄だと、こんな話も。

解放された[ロシア人]娘ガーリャが、さまざまな国籍の捕虜男性の女性にたいするお愛想の特徴を語り、こう言う。「フランス人はいろんな言い方を知っているのよ」
  ――第26章 ファシスト野獣の巣窟へ

 なんか、わかる気がするw イタリア人じゃないのは、枢軸側だからかな?

 他にも、ワルシャワ郊外に赤軍が達した1944年7月末に、ソ連のラジオ放送がポーランド人に蜂起を呼びかけた、なんて衝撃的な記述がサラリとあって、細かい所まで油断ができない恐ろしい本だった。ようこそ地獄の東部戦線へ。

【なぜ蜂起の呼びかけが衝撃的なのか】

 ドイツに占領されながらも、ポーランド国内軍と市民は密かにドイツへの抵抗を続け、また一斉蜂起の時をまっていた。そして1944年8月1日、地下に潜っていたポーランド国内軍は一斉に叛旗を翻す。自ら放棄した実績があれば、戦後も独立を勝ち取れるだろう、との望みを賭けて。占領下でもありロクな装備もないポーランド国内軍だが、拳銃と火炎瓶でドイツの戦車に立ち向かう。

 だが赤軍はワルシャワを目前にして立ち止まるばかりか、支援物資を空輸しようとする英米軍航空機の燃料補給まで拒んだ。戦後のポーランド占領政策の邪魔になりそうな骨のある者たちを、ナチスに始末させようとした。そういう思惑を、ラジオ放送が裏付ける。なお、最終的に蜂起は失敗し、ワルシャワは廃墟と化す。

 詳しくは「ワルシャワ蜂起1944」をどうぞ。つか今 Wikipedia を見たら、ラジオ放送の件もちゃんと書いてあった。ダメだね、ちゃんと複数の資料を照らし合わせないと。

【関連記事】

【今日の一曲】

Roads To Moscow Al Stewart

 世の中には独ソ戦の歌もあります。歌っているのはイギリスというかスコットランドのシンガー・ソングライター Al Stewart、Year of the Cat(→Youtube)で有名な人。この曲を収録したアルバム Past, Present And Future はファンの間でさえ評判はイマイチなんだけど、私は初めて聞いた時に一曲目の Old Admirals から一気に引き込まれました。重苦しくも哀愁を帯びた生ギターで始まりつつも、盛り上がる所じゃ大げさなコーラスが入るあたり、「ロシアってそういう印象なんだなあ」と思ったり。

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2021年4月23日 (金)

ジェイムズ・クラブツリー「ビリオネア・インド 大富豪が支配する社会の光と闇」白水社 笠井亮平訳

超富裕層の台頭、格差がもたらす複合的問題、企業が持つ強固な権力――本書はインドの現代史のなかで決定的な意味を持つ、これら三つの要素を描き出してゆく。
  ――序章

メディアをめぐるインドの状況はとにかく大規模かつ複雑で、新聞は8万2千紙、テレビは900局近くにのぼり、大半が英語以外の言語だ。
  ――第11章 国民の知る権利

【どんな本?】

 2016年11月8日、インド首相のナレンドラ・モディ(→Wikipedia)は、何の前触れもなく衝撃的な政策を発表する。

「腐敗の蔓延を断ち切るべく、現在流通している500ルピー紙幣(約7ドル)と1000ルピー紙幣(約14ドル)は今晩零時をもって法的紙幣としての効力を失うとの決定を下しました」
  ――第5章 汚職の季節

 いきなり高額紙幣を紙切れに変えてしまったのだ。無茶苦茶なようだが、これには現代インドの政界・財界の深刻な現状に対するモディなりの真摯な対策でもあった。

 幾つかの点で、インドは中国に似ている。人類文明の黎明期にまで遡る悠久の歴史。第二次世界大戦後の建国。広大でバラエティに富む国土と民族。13億5千万もの膨大な人口。そして政府による統制経済から自由主義経済の導入に伴う、目覚ましい経済成長。

 と同時に、大きく異なる点もある。最大の違いは、インドが民主主義である事だろう。強固な共産党一党支配が続く中国に対し、インドは独立当時から普通選挙による民主主義を貫いてきた。

 今世紀の前半において最も高い経済成長が期待されるインドだが、ロシア同様に巨大な経済格差が広がりつつもあり、社会的にも経済的にも懸念は尽きない。政治的にも、初代首相のジャワハルラール・ネルー率いる国民会議が支配的な地位を占めていたが、2014年からインド人民党のナレンドラ・モディが首相となり、新たな潮流を成しつつある。

 インドの政界と財界は、どんな関係なのか。なぜ現在のような関係が生まれたのか。インドの社会主義はどのようなもので、自由主義経済の導入はどのように行われたのか。その過程で、どんな問題が起きているのか。そして、今後もインドは成長を続けられるのか。

 ファイナンシャル・タイムズ紙ムンバイ支局長を務めたジャーナリストの著者が、成長するインド経済を率いる大富豪たちやモディ首相を筆頭とする政界の大物たちを追い、インド経済の現状とその歴史を語り、未来のインドを描こうとする、政治・経済ルポルタージュ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Billionaire Raj : A Journey Through India's New Gilded Age, by James Crabtree, 2018。日本語版は2020年9月10日発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約420頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント46字×20行×420頁=約386,400字、400字詰め原稿用紙で約966枚。文庫なら上下巻ぐらいの分量。

 文章は比較的にこなれていて親しみやすい。内容も、各章の扉に地図があるなど、親切でわかりやすい。日本人には馴染みのないインドの政界・財界の話だが、いずれも丁寧な紹介があるので、素人でも大丈夫。ただし、地名や人名などの固有名詞が、慣れないヒンディー語だったりするので、覚えるのにちと苦労した。冒頭の「主要登場人物」は何度も見返すので、栞を挟んでおこう。また、「第10章 スポーツ以上のもの」はクリケットのネタなので、クリケットに詳しい人は楽しめるだろう。

【構成は?】

 各章の繋がりは穏やかだ。なので、美味しそうな所をつまみ食いしてもいいが、できれば頭から読んだ方がいい。

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  • 主要登場人物
  • プロローグ
  • 序章
  • 第1部 泥棒貴族
  • 第1章 アンバニランド
  • 第2章 栄光の時代の幕あけ
  • 第3章 ボリガルヒの台頭
  • 第2部 政治マシーン
  • 第4章 「モディファイ」するインド
  • 第5章 汚職の季節
  • 第6章 金権政治
  • 第7章 南インド式縁故主義
  • 第3部 新・金ぴか時代
  • 第8章 債務の館
  • 第9章 苦悩する豪商
  • 第10章 スポーツ以上のもの
  • 第11章 国民の知る権利
  • 第12章 モディの悲劇
  • 終章 革新主義時代は到来するか?
  • 謝辞/訳者あとがき/参考文献/原注

【感想は?】

 政治と経済の本だ。もっと言うと、経済に重点を置きつつ、政治、というか政界との関わりも見る、そんな本だ。

 この手の本は大雑把に二種類ある。「ショック・ドクトリン」のように現状を描く新聞や週刊誌的な本と、「国家はなぜ衰退するのか」のように原理・原則を探る教科書的なものと。

 本書は前者、つまり現状報告に近いが、教科書的に原理原則を語る部分もある。分量にすると8割が現状報告、2割ぐらいが教科書かな。

 右派・左派だと、穏やかな右派だろう。あくまでも主題は国家の経済成長だ。貧富の差も懸念しているが、それは貧富の差が経済成長を妨げるからだ。目的は国家の経済成長であって、貧富の差を減らすのは手段に過ぎない。終盤では腐敗を扱っているが、「ある程度は仕方ない」という姿勢だ。「発展途上の国家に腐敗は付き物で、少しなら有益ですらある。酷すぎると害だけど」、そういう姿勢だ。ちなみにニューディール政策には好意的。

 さて。冒頭では軽くインドの歴史に触れる。ここでいきなり驚いた。

17世紀後半、イギリスがインド沿岸部でわずかに数カ所の都市を支配しているにすぎなかったころ、ムガル帝国は世界全体のGDPの1/4近くを手にしていた。それが1947年の独立から間もなく、イギリス軍が完全撤退したころには、その割合は4%になっていた。
  ――序章

 もともとインド(というかムガル帝国)は強国だったのだ。にしても、分母すなわち世界全体の経済が成長したのもあるだろうが、1/4から1/25とは。

 それでも、成長できる底力はあるのだ。「ルワンダ中央銀行総裁日記」などから見えるアフリカ諸国とは、社会構成が違う。アフリカでは商業が未発達だが、インド商人は南アジアからアフリカまで、世界中で活躍している。

 また、人口構成でも、少子高齢化が進む中国と違い…

インド総人口の半分以上が25歳以下である。
  ――第2章 栄光の時代の幕あけ

 と、今後の市場の拡大も期待できる。もっとも、同時に、そういった若い世代に、いかに職を与えるかって課題もあるんだけど。加えて、富の極端な偏在も深刻だ。

GDPに超富裕層の資産が占める割合を計算したところ、インドはロシアに次いで二位だった
  ――第3章 ボリガルヒの台頭

 ロシアの酷さは別格で、「ショック・ドクトリン」や「強奪されたロシア経済」に詳しい。要はソ連崩壊のドサクサにまぎれた火事場強盗ね。インドも経済の自由化に伴う現象って点は似ている。

「土地、天然資源、政府との契約もしくはライセンスという三つのファクターが、インドの億案長者が持つ富の圧倒的に大きな源泉なのです」
  ――第3章 ボリガルヒの台頭

「すべての主要インフラ企業には、二つの興味深い共通点ある。一つは政治家かその近親者によって経営されているという点。もう一つは公共セクターの金融機関から莫大な額の借り入れをしているという点だ」
  ――第7章 南インド式縁故主義

投資銀行のクレディ・スイスは、インドの大規模上場企業のうち2/3が同族経営だと算出し、規模の大きい世界各国の市場のなかで最大の比率になっていると算出した。
  ――第9章 苦悩する豪商

 要は政治家と経営者の癒着ですね。これには大きく二つの理由があって、一つは民主主義だって点。選挙で勝つにはカネがかかる。だから政治家はカネが必要。そこで企業経営者と取引するワケです。これはアメリカなど、どの国でも見られる現象。

 もう一つは元社会主義的な国だったって点。起業しようにも規制がガチガチで、大量の許可を得なきゃいけない。インドのお役所の動きの鈍さは、バックパッカーなら「ノープロブレム」の連続で身に染みてる。というか貧乏旅行者が感じる役人のやる気のなさは、かつての中国の「没有」も有名で、これは共産主義・社会主義国に共通してるんだろう。

2016年に当時の最高裁長官が涙ながらに訴えたように、審理中の案件が3300万件にものぼっている。別の判事の指摘によると、現在のペースで進められた場合、すべての案件の審理を終えるのに300年かかるという。
  ――第12章 モディの悲劇

 もっとも、インドの場合、役人に鼻薬を利かせりゃ上手くいくあたりは融通が利くというかなんというか。更に早く動かしたければ、トップの政治家にドカンと払い、政治力で突破すりゃいい。そんなんだから、インド人は政治家を実行力で評価する。

2014年に当選した下院議員のうちざっと1/5が誘拐や恐喝、殺人といった「重大な」犯罪歴を持つ者で、この割合は10年前と比べてほぼ倍増している。(略)
犯罪容疑をかけられている候補者が当選する確率は犯罪歴のない候補者よりも三倍高くなっている。
  ――第6章 金権政治

 強引であろうとも、モノゴトを動かせる者は頼もしい、そういう価値観だ。昔の自民党もそうだったね。「仁義なき戦い」を読むと、ヤクザと癒着どころかヤクザが政治家やってたりするし。

 これに加え、グローバル経済の影響もある。

国際貿易のなかで扱われるすべての物品とサービスの半分以上が比較的少数の巨大多国籍企業で行き来している
  ――第3章 ボリガルヒの台頭

 例えばハイデラバードは英語力を活かしたコールセンターなどで成長してるけど、取引してるのはマイクロソフトなどの巨大多国籍企業だ(→Wikipedia)。貿易が増えれば経済も成長するけど、成長の半分以上は巨大資本が吸い取っていく。つまり金持ちの所に金が集まるわけ。これを是正しようにも、役所はガバガバで…

額の多寡に関係なく所得税を納めているインド人はわずか1%しかおらず、収入1000万ルピー(15万5千ドル)以上の者の中ではわずか5000人…
  ――終章 革新主義時代は到来するか?

 ガチガチに規制をかあけてるクセに金の流れはガバガバってのは旧ソ連も同じだったなあ。なんなんだろうね、こういうバランスの悪さ。本書じゃ「無理に規制すると裏技が発達する」みたく説明してる。アメリカの禁酒法でマフィアが稼いだようなモンかな?まあいい。これは金融業界も同じで…

「債務の館」企業10社の借入金は、まったくもって次元の違うスケールだった。債務額を合計すると840億ドルにもなり、これは銀行業界全体の総貸出額の1/8以上にもなったのである。
  ――第8章 債務の館

 発電所を作るにせよ、道路を通すにせよ、元手が要る。インドの起業家たちはコネを使って公営銀行からカネを借りた。銀行は借り手の懐具合をロクに調べもせず貸した。結果、不良債権が膨れ上がった。これを当時のインド準備銀行総裁ラグラム・ラジャンは苦労して調べ上げたんだが…

「わたしたちが次に直面したのは、問題が存在することを彼ら[銀行]に認めさせることでした」
  ――第8章 債務の館

 独ソ戦末期のヒトラーとか、太平洋戦争末期の大日本帝国上層部とか、権力者なんていつもそんなモンだ。我が国の現内閣も新型コロナに関してはコレだよなあ。この辺は「愚行の世界史」が楽しいです。まあ、どんな組織でも、上昇期に出世する人ってのは、楽観的な見積もりで攻撃的な手を好むんだよね。お陰で情報ネットワークのインフラ担当者とかはセキュリティ対策の予算獲得に苦労するんだけど。

 これを本書は「計画錯誤」(→NIKKEI STYLE)としている。「鉄鋼需要は永遠に増え続けるから製鉄所をガンガン作れ、石炭はずっと安いから発電所は作るだけ儲かる」みたいな見通し。景気がいい時はそれで巧く行くけど、ブレーキがかかったらボロボロになる。今のモディ政権は、そういう苦境に立ってる。

 加えて、モディ政権の支持層も、問題を抱えてる。ドナルド・トランプが狂信的な福音派を支持母体にしたように、モディも原理主義的なヒンディーの支持を頼りにしてて、著者はそこを危ぶみつつも…

インドが豊かになるにつれて、総じて暴力を伴う事件は減少していった。過去数十年間で宗教対立による暴動発生率は着実に減少しているのである。たとえそうであっても、ヒンドゥー狂信者ら――ほぼ全員がモディ支持者――による憂慮すべき事件が2014年以降増加しているのも確かだ。
  ――第12章 モディの悲劇

 と、「もう少し見守ろう」みたいな態度だ。そういったお堅い内容だけでなく、「第10章 スポーツ以上のもの」では、イギリスの遺したもう一つの遺産クリケットを巡る国際的な醜聞も扱ってる。

 日本人には馴染みがないクリケットだけど、インド・パキスタン・オーストラリアなど旧イギリス植民地じゃ国際的な人気スポーツなのだ。中でもインドは野球におけるアメリカのように強くて市場もデカく、よって国際クリケット界でも図抜けた発言力を持つ。そういう「私たちの知らない世界」が見えるのも楽しいところ。いや知ったからどうなるって事もないんだけど。

 なお、その市場のデカさは社会主義から自由主義への移行に伴うインドのクリケット界の市場開拓努力が功を奏した結果。目ざとくチャンスを見つけテレビ局と契約を結びイベントを催して盛り上げたのだ。このあたりは国家の体制とスポーツ・ビジネスの関係が見えて、なかなか楽しかった。似たような問題は中国の卓球でもあるんだろうか。

 また、本好きとしては、インドの出版状況のネタも。

ベストセラー作家アミーシュ・トリパティ「10年くらい前までは、インドの出版業界と言っても『インド』というのは名ばかりだったんです」
「イギリスの出版業界がたまたまインドに拠点を置いている、というのが実情でした」
  ――第11章 国民の知る権利

 このトリパティさんのベストセラーは「ヒンドゥー教のシヴァ神を題材にとった神話サスペンス小説三部作」って、中国の封神演義や吉川英治の三国志みたいなのかな? なんにせよ、インドじゃ娯楽小説の市場が広がりつつあるそうで、ならいずれ「三体」並みの傑作SFも…と期待しつつ、今日はここまで。

【関連記事】

【今日の一曲】

Tu Meri Full Video | BANG BANG! | Hrithik Roshan & Katrina Kaif | Vishal Shekhar | Dance Party Song

 インドで思い浮かぶのは、やっぱり To Me Ri でしょう。火柱がドッカンドカンと燃え上がるなか、ノリのいいリズムと覚えやすいメロディをバックに、イケメンと美女を中心に大人数が、やたらキレのいい、でも微妙にブロードウェイとは違うダンスを踊りまくる、踊るドラッグみたいな動画です。歌はヒンディー語らしく、何言ってんだかサッパリわかんないんだけどw

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2021年4月16日 (金)

劉慈欣「三体」早川書房 立原透耶監修 大森望,光吉さくら,ワン・チャイ訳

「全宇宙があなたのために点滅する」
  ――p105

「ニセ科学がいちばん恐れるのは、騙すのがものすごくむずかしいタイプの人間――マジシャンだよ」
  ――p152

「人類全体が、だれも祈りを聞いてくれないところにまで到達したんです」
  ――p226

「三体問題に解は存在しない」
  ――p260

「人類の専制を打倒せよ!」
  ――p276

「艦隊は、いまから四百五十年後に到着する」
  ――p346

【どんな本?】

 中国のベテランSF作家である劉慈欣が、世界中に大旋風を巻き起こした話題のSF長編。

 汪淼の専門はナノ素材で、ナノテクノロジー研究センターに勤めている。いきなり警察に踏み込まれ、謎の組織「作戦司令センター」に連れ込まれた。そこには軍人と科学者ばかりか、NATOの連絡将校とCIAまで居る。聞かされた話は更に奇怪なものだ。

 最先端の物理学者が集い交流を促す国際的学術組織<科学フロンティア>、そのメンバーである優秀な理論物理学者次々と自殺している。<科学フロンティア>に参加し、内情を探ってほしい。その一人は、汪淼が尊敬する楊冬もいた。

 物理学者には基礎系と応用系がいる。<科学フロンティア>は基礎系の集まりだが、汪淼は応用系だ。汪淼は迷った末に話を受けるが、今度は奇怪な事件が汪淼の身に降りかかり…

 2006年の第19回中国銀河賞特別賞、2015年ヒューゴー賞長編小説部門賞、2020年星雲賞海外長編部門受賞など、SFに関わる世界中の主要な賞を総ナメにしたほか、SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2020年版」のベストSF2019でも、2位のピーター・ワッツ「巨星」にダブルスコアの大差をつけて堂々のトップに輝いた。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は劉慈欣「三体」重慶出版2008年1月+The Three-Body Problem, 2014。日本語版は2019年7月15日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約416頁に加え、大森望の訳者あとがき9頁+立原透耶の監修者解説3頁。9ポイント45字×21行×416頁=約393,120字、400字詰め原稿用紙で約983枚。文庫なら上下巻ぐらいの長さ。

 文章はこなれていて読みやすい。内容は直球のサイエンス・フィクションだし、最新の物理学の成果を惜しげもなくつぎ込んでいる。が、それらは口うるさいSFマニア向けの仕掛けなので、わからなかったら無視してもいい。むしろハラハラするサスペンスと、思いっきりフカした大法螺を楽しむ娯楽作品だ。

【感想は?】

 オラフ・ステープルトンの壮大な哲学を骨組みとして、バリトン・J・ベイリーの奇想で肉付けし、ロバート・R・マキャモンの外連味で味付けした、骨太ながらもサービス満点な娯楽作品だ。

 SF者として言いたい事は沢山あるが、まずは娯楽作家としての手腕を語りたい。

 まず、冒頭の文化大革命の場面の生々しい迫力が素晴らしい。著者は「政治的意図はない」としている。だとすれば、これは娯楽作としての意図だ。ハリウッド映画の脚本では、始まってスグに観客を引き込め、と言われる。冒頭にショッキングな場面を置くのは、この定石に適っている。

 などと思っていたら、次は主人公の汪淼がいきなり警察に連行される。先の文化大革命で中国の当局の危険を散々思い知らされた直後だけに、この衝撃は大きい。が、その後も衝撃は次々と読者に襲い掛かる。あの中国で、軍人が中心を占める<作戦司令センター>に、なんとNATOの士官とCIAまで居る。おいおい。

 「中国人の作品だから、きっとお説教臭くて退屈なんだろう」なんて思い込みは、この辺ですっかり吹っ飛ぶだろう。と同時に、三国志演義よろしく「じゃ稀有壮大だけど荒唐無稽なのね」となりそうなもんだが、どっこいそうはいかない。

 私が感心したのは、<作戦司令センター>でコンピュータ機器が乱雑に置かれている描写だ。後先考えない突貫作業の結末を、たった数行で見事に描き切っている。多少なりともネットワーク管理などを齧った人なら、思わず悲鳴をあげてしまうだろう。

 こういうリアルなメカの描写は、私たちが思い浮かべる中華ファンタジイとは明らかに一線を画すもので、むしろスティーヴン・キングなどアメリカの人気作家が生み出すリアリティに近い。

 そういうリアリティで読者を物語に引きずり込んだ直後に、いきなり大法螺をかます。自殺した物理学者の遺言に曰く。

これまでも、これからも、物理学は存在しない。
  ――p66

 この辺から、物語は次第にホラーの雰囲気をまとい始める。次に汪淼の身に起きる怪奇のあたりは、瀬名英明のデビュー作「パラサイト・イヴ」の後半を思わせるカッ飛び感があったり。

 わたしはこれで「なるほど、ホラーか」と思い込んだんだが、終盤で見事にカウンターを食らった。ホラーなんてとんでもない、SFの王道ド真ん中をいく剛速球でフッ飛ばされた。いやあ、とんでもねえ力技だ。

 そう、著者のSFに対する深い愛情も、そこかしこに溢れている。これも<作戦司令センター>の場面で、アシモフの傑作短編が出てきたり。

 噂のゲーム「三体」の場面でも、「折りたたみ北京」収録の短編「円」ををどう組み込むのか、楽しみにしていたんだが、そうきたか~、とひたすら感心するばかり。<秦1.0>とか、大笑いが止まらない。

 などと、大法螺をカマしながら来た終盤、<ジャッジメント・デイ>襲撃作戦の場面では、山田正紀のアクション作品を彷彿とさせる鮮やかなアイデアが炸裂するんだからたまらない。ラリイ・ニーヴンのリングワールドに出てきたアレをちょいと拝借しつつ、その欠点を綺麗に解決しているのも嬉しい。

 冒頭は緊迫感あふれるリアリティで読者を引きずり込み、ホラーっぽい仕掛けで恐怖を煽り、<三体>ゲームで壮大なスケールに慣れさせた後に、極大のアイデアで読者の想像力をブッちぎる。娯楽作品としても本格SFとしても、思いっきり楽しめる作品だ。いやあ、面白かった。

【関連記事】

【今日の一曲】

龍革命 Anarchy in the UK

 中国発の闇雲なパワーといえばコレ、ドラゴンズ。締め付けの厳しい80年代初頭の中国でロックに挑んだけど当局に目をつけられ云々とか、いや元々ヤラセだったとか、胡散臭い噂が飛び交ったバンド。胡散臭さではオリジナルのセックス・ピストルズにも負けていないw 歌詞も分からなかったのか「♪アーアーアー」と叫んでたりと、「とにかくやったるで!」みたいな勢いだけはあります。

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2021年4月 7日 (水)

ケン・リュウ「生まれ変わり」新☆ハヤカワSFシリーズ 古沢嘉通・幹瑤子・大谷真弓訳

「あなたはもっとも合理的な存在になりたいとは思っていないでしょ」
「あなたはもっとも正しい存在になりたがっている」
  ――ビザンチン・エンパシー

【どんな本?】

 「紙の動物園」で大ヒットを飛ばすとともに、「三体」に代表される中国SFを精力的に紹介し、SF界の台風の目となったケン・リュウの20篇を収めた、日本オリジナル短編集第三段。

 今までと同様に、多彩な芸を活かしたバラエティ豊かな味が楽しめるとともに、著者の思想が最も強く出た作品集でもある。

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2020年版」のベストSF2019海外篇で第4位に食い込んだ。

 なお、今はハヤカワ文庫SFより文庫版が「生まれ変わり」「神々は繋がれてはいない」の二分冊で出ている。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2019年2月25日発行。新書版で縦二段組み本文約499頁に加え、編者あとがき8頁。9ポイント24字×17行×2段×499頁=約407,184字、400字詰め原稿用紙で約1,018枚。文庫なら二分冊が妥当なところ。

 プログラムのソースコードが出てきたり、面倒な数学理論が展開したりするが、面倒くさかったらソコは読み飛ばして構わない。そういうのに拘るのは面倒くさいSFマニアだけです。いや自分のことは棚に上げてるけどw それより、その奥にある著者ならではの情感を楽しもう。

【収録作は?】

 それぞれ 作品名 / 原題 / 初出 / 訳。

生まれ変わり / The Reborn / Tor.com 2014年1月29日 / 古沢嘉通訳

「都合よくやつらが自分たちのやったことを忘れられるからといって、おれたちも忘れるべきということにはならん」

 地球はトウニン人に侵略された。記憶を失い続けるトウニン人は、歴史を軽んじる。トウニン人に恨みを抱き反乱を企てる地球人もいる。共存を目指すトウニン人は、そんな者たちが持つ恨みの記憶を奪い、別人として生まれ変わらせる。トウニン保護局の特別捜査官ジョシュア・レノンの目の前で、今日もトウニン人と生まれ変わりの地球人を狙うテロが起きた。
 SFとしては、常に記憶を失っていくトウニン人のアイデアが見事。未来志向と言うのは簡単だが、恨みを忘れろってのも無茶な話。なら記憶を消してしまえってのが、本作の重要なアイデア。実は現在のほぼすべての国や政府が、トウニン人でもあり地球人でもあるワケで、トウニン人と地球人に、どの国や政府を当てはめるかが、読者の政治的立場を写す鏡になる。
介護士 / The Caretaker / First Contact : Digital Science Fiction Anthology 2011年 / 大谷真弓訳

介護ロボットには、ひとつ長所がある――ロボットの腕のなかで裸になっても、恥ずかしさや照れはほとんど感じない。

 老いて妻を喪い、脳卒中で体の自由が利かなくなったチャーチは、介護ロボットのサンディの世話になる。最新のAIを搭載しているはずのサンディだが、チェスを知らないなど、微妙に間が抜けたところがある。どころか、信号を待たずに道路を突っ切ろうとするなど、致命的な欠陥すらあった。
 最近になって現場への投入が進みつつある、介護ロボットを題材にした作品。少し前にオンライン・ゲームで似たような話を聞いたけど、その使い方がいかにもケン・リュウらしい。「折りたたみ北京」収録の「童童の夏」に少し味わいが似ている。
ランニング・シューズ / Running Shoes / SQマグ16号 2014年9月 / 古沢嘉通訳
 家族を養うため、14歳のズアンは日に16時間、靴工場で働いている。ヴオン親方はズアンを目の敵にする。蒸し暑い夏の日、フラついたズアンは作業台に倒れ込み…
 これまた生々しいネタを、メルヘンっぽいファンタジイに包んだ作品。近年になって急速に進んだグローバル経済は、国際企業のアジアへの進出を促すが、まあ某社みたいな話もあるワケで。こんな黒い作品も書くんだなあ。
化学調味料ゴーレム / The MSG Golem / Unidentified Funny Object 2 2013年 / 大谷真弓訳

「汝はわたしと言い争うことはできるが、アインシュタインと言い争うことはできん」

10歳のレベッカは、両親とともに宇宙船<星雲のプリンセス号>でバカンスに出かけた。目的地はニュー・ハイファ。地球を出て二日目、神がレベッカに話しかける。「ゴーレムを作り、船内のネズミをすべて捕まえるのだ」
 この神はアブラハムの神、つまりユダヤ教・キリスト教・イスラム教の神、創造主。10歳ながらも理知的で口が減らないレベッカと、愚痴っぽくて癇癪持ちな神の会話が、やたらと楽しいユーモア作品。フレドリック・ブラウンを現代風に洗練させたような雰囲気が心地いい。
ホモ・フローレシエンシス / Homo Floresiensis / Solaris Rising 3 2014年 / 古沢嘉通訳

「どこであれホモ・サピエンスがやってきたところでは、ほかのヒト属は消えてしまっている」

 鳥を研究する大学院生のベンジャミンは、調査のため一人でインドネシアを訪れた。一万八千以上の島からなるインドネシアには、前人未到の地域がたくさんある。妙なブツを売り込みにきた現地人と剣呑な雰囲気になったとき、現地に住み着いた研究者のレベッカが仲裁に入った。手打ちで買ったブツは小さな頭蓋骨で…
 孤立した部族といえば、インドの北センチネル島(→Wikipedia)が有名だ。インド政府は余計なおせっかいはしない方針だが、先の記事によると、なまじ有名になったためチョッカイを出す輩が増えたとか。
訪問者 / The Visit / オン・ザ・プレミシーズ13号 2011年3月 / 大谷真弓訳
 ある日、453機の探査機がやってきた。異星人のモノらしい。高さ150cm直径30cmぐらいお円筒形で、地面から30cmほど浮いている。人が近づくと離れていくし、音や電波や光による通信の試みは全て失敗した。きままにフラつくような探査機だが、その近くだと人は振る舞いが上品になる。マットとララは、探査機の前でイチャついてみせた。
 誰かに見られていると、人は振る舞いが変わる。プログラマも、公開するソース・プログラムは、ちと綺麗にコーディングする。外国人に自国を紹介する際は、いい所だけを見せようとする。ってことで、情報公開は大事なんですよ、という話なんだと、私は解釈した。いや昔からの持論に引き寄せて解釈しただけなんだけどね。
悪疫 / The Plague / ネイチャー2013年5月15日号 / 古沢嘉通訳
 母さんといっしょに川で魚を捕っているとき、大きな男が水の中に転がり込んだ。ガラスの鉢を頭にかぶり、分厚い服を着ている。ヒャダがない。ドームから来たんだ。母さんは言う。「助けられないよ」「空気も水も、この人たちには毒なんだ」
 先の「ホモ・フローレシエンシス」と、対を成すような作品。テーマは宮崎駿の某作コミック版と通じるものがあるが、5頁と短いだけに、メッセージはより直接的に伝わってくる。
生きている本の起源に関する、短くて不確かだが本当の話 / A Brief and Inaccurate but True Account of the Origin of Living Books / ソロモン・R・グッゲンハイム美術館何鴻殻家族基金中国美術展「故事新編/Tales of Our Time」カタログ 2016年 / 大谷真弓訳
本は変化しなかったが、読者は変化した。
 かつて、本は固定されたもので、生きてはいなかった。そこに命を吹き込もうとする者たちが現れた。また、本を書く機械を作ろうとする者たちもいた。
 ヴァネヴァー・ブッシュのmemex(→Wikipedia)などを引き合いに出しながら、本の進化を描く短編。読むたびに変わる本は面白そうだが、「ふたりの読者が同じ本を読むことはない」のは、ちと寂しい気がする。だって好きな本の感想を語りあえないじゃないか…と思ったけど、シミュレーションゲームのシヴィライゼーションとかは、ファン同士が活発に交流してるなあ。
ペレの住民 / The People of Pele / アシモフ2012年2月号 / 古沢嘉通訳
「われわれは生きている者に義務を負っているのであり、死者に負っているわけじゃない」
 地球から約29光年、主観時間で約30年間かけて、<コロンビア>号は惑星ペレにたどり着く。最初の太陽系外移民船だ。帰りの推進剤はない。冷凍睡眠から最初に目覚めた司令官シャーマンに続き、副司令官のクロウズが起きる。数日して、地球から通信が届く。30年前に発信した指令だ。「周辺の主な天体でアメリカの主権を主張せよ」。ペレでは奇妙な結晶体が見つかった。
 未知の惑星で見つかる異様な現象=結晶体は、SFの古典的な題材。ケン・リュウには珍しく(と言ったら失礼かもしれないが)、ちゃんと真っすぐにSFしてる。と同時に、背景に国家間の対立が深まる地球の情勢と、そこから30光年の空間と30年間の時間を隔てたペレを巧みに絡めるあたりは、しっかりケン・リュウならではの味。
揺り籠からの特報:隠遁者 マサチューセッツ海での48時間 / Dispatches from the Cradle : The Hermit : Forty-Eight Hours in the Sea of Massachusetts / Drowned Worlds 2016年 / 大谷真弓訳
これがぼくらの家なんだ。ぼくらはここで暮らしてる。
 地球は温暖化で海面が上昇し、金星や火星のテラフォームが進みつつある未来。高名なファイナンシャル・エンジニアのエイサは、全財産を現金化し家族とも縁を切り、サバイバル居住キットを買って海に出た。そんなエイサを追ってマサチューセッツ海でかけたわたしは、幸い彼女に客として招かれる。
 温暖化により気候も地形も大きく変わった地球の風景をじっくり描いた作品。ボストンの市街が魚の住処になっている場面が印象に残る。確かに都市は地形が複雑だから、いい人工漁礁(→Wikipedia)になりそうだ。機構や地形が変われば人の集う所も変わるわけで、そういう世界で生まれ育った人にとっては、そこが故郷になるんだよなあ。
七度の誕生日 / Seven Birthday / Bridging Infinity 2016年 / 古沢嘉通訳
つねに技術的な解決方法はあるものだ。
 ミアの七歳の誕生日、パパは凧揚げを教えてくれた。ママは世界中を飛び回っていて、少ししか時間が取れない。パパもママもわたしを愛してる。でもお互いを愛してはいない。
 世界を変えるために忙しく働く母と、家族をないがしろにする妻に納得がいかない父。そんな家族の風景で始まった物語は、壮大な人類史へと広がってゆく。誕生日を迎えるたび、次々と風呂敷を広げてゆく様は、オラフ・ステープルドン を思わせる芸風ながら、いずれの風景も情感が漂うあたりが、ケン・リュウらしい。
数えられるもの / The Countable / アシモフ2011年12月号 / 古沢嘉通訳
 言葉はわかる。意味もわかる。でも、意図を取り違える。そして、人は腹を立てる。デイヴィッドは、そんな問題を抱えていた。どうも、言葉とは違う言語があるらしい。そう気づいたデイヴィッドは、身振りや手振りや表情から法則を見いだし、目立たずにいる方法を身に着けた。
 数学の才能に秀でた高機能自閉症の連れ子デイヴィッドと、バリバリのマチズモな継父のジャック。ただでさえギクシャクしがちな親子なのに、性格の相性も最悪じゃなあ。という児童虐待の問題に、ゲオルグ・カントールによる無限集合の濃度(→Wikipedia)を組み合わせた、野心的な作品。
カルタゴの薔薇 / Carthaginian Rose / Empire of Dreams and Miracles : The Phobos Science Fiction Anthology 1 2002年 / 古沢嘉通訳
「肉体はまさにもっとも重要なサバイバル用品だけど、弱くて、不完全なの。いつだって持ち主を裏切るの」
 幼い頃から妹のリズは衝動的で無計画だったが、明るくて機転が利きいた。しょちゅうトラブルを引き起こしたが、アドリブで切り抜ける才能を持っていた。大学を卒業すると、リズは北米最大のAIコンサルティング会社に入り、世界中を飛び回る。従来のAIと違い、想定外の事態や不慣れな状況でも、なんとか切り抜けられる、そんなAIを目指す企業だ。
 いるよね、リズみたいな人。つくづく羨ましい。いわゆる「人格アップロード」の問題点を、実に見事に指摘している。そうなんだよなあ、脳科学の難しい点は、生きたヒトの脳を充分な精度で観察できないことなんだよなあ。商業誌デビュー作とはとても思えぬほどの才気を感じさせる作品。
神々は鎖につながれてはいない / The Gods Will Not Be Chained / The End is Nigh. Book Ⅰ of the Apocalypse Triptych 2014年 / 幹瑤子訳
神々は殺されはしない / The Gods Will Not Be Slain / The End is Now, Book Ⅱ of the Apocalypse Triptych 2014年 / 幹瑤子訳
神々は犬死はしない / The Gods Have Not Died in Vain / The End Has Come, Book Ⅲ of the Apocalypse Triptych 2015年 / 幹瑤子訳
現実の世界は野蛮な戦いに満ちている。
 父を喪い転校したマディ―は、女王きどりのクラスメイトに目をつけられ、教室でもネットでもイジメにあっている。その日、入ってもいないチャット・サービスから、絵文字だけのメッセージが届く。絵文字だけのメッセージには思い出がある。よく父と絵文字を使いピクショナリー(→Weblio)で遊んだ。相手をしてみると、どうも謎のチャット相手は敵じゃないようだ。
 先の「カルタゴの薔薇」を書き直したような作品。三つの短編というより、一つの中編を三つに分けて発表した感じで、物語は素直に繋がっている。やはりテーマは「不完全な人格アップロード」で、ちょっとイーガンの「ゼンデギ」に似ている。主人公マディーのキャラ作りが巧い。プログラミングが得意な賢い女の子。そりゃSFオタクは入れ込んじゃいます。
 抒情的な作品が多いケン・リュウだが、本作におけるコンピュータの描写はなかなかのもの。第二部で炸裂する最終兵器とかは、思わずうなってしまった。一種の焦土作戦というか自爆装置というか。第三部で出てくる LAMBDA 式も、ごく一部のマニアは大喜びだw 連中がちゃんと仕事してりゃ、CSS も JavaScript も HTML も、全部S式でイケたのにw
 他にも「不気味の谷」を手慣れた感じで使うあたりもいい。将来、ロボットの顔はミクさんになるかもね。何より「AIに肉体は必要か?」って問題に、鮮やかな解を示してるのに参った。そうきたかあ。
闇に響くこだま / Echos in the Dark / Mythic Delirium, Issue 0.1 July-September 2013 / 大谷真弓訳
自国の民を外国の砲艦から守りもせず、むしろ虐殺する支配者がどこにいる?
 清朝末期、上海。南北戦争に従軍したわたしは、水道技師の従兄弟に警備担当として招かれた。近郊を見回る際、太平天国の乱の生き残り、“飛翔する蝙蝠”こと蔡強圀の一味に攫われる。連れていかれた彼らのアジトは、崖の下にあり四方を壁で囲んである。そこに清朝の兵が襲い掛かってきた。
 図やグラフを大胆に使ったSFならではの作品。一般に攻城戦は籠城側が有利とはいえ、それは充分に考えて築いた守りの堅い城での話。砦とすら言えぬ塀に囲まれただけのアジトで、兵力・装備ともに劣る蔡強圀の一味が、どう戦うかが読みどころ。もっとも、バトル系の漫画が好きな人は、見当がつくだろうけど。加えて、同じ現象に対する中国とアメリカの考え方の違いが著者のオリジナリティだろう。
ゴースト・デイズ / Ghost Days / ライトスピード2013年10月号 / 大谷真弓訳
 銀河の反対側で立ち往生した人々は、救援が来るのを諦め、ノヴァ・パシフィカで新しい世界を築き始めた。環境も生態系も異なる異星で生き延びるため、次世代の子どもたちは現地に適応するよう遺伝的な改造を施す。そんな子供たちは、親の世代が熱心に語る地球の歴史に意味を見いだせない。
 ここでも、いきなり LISP のコードが出てきたのにビックリ。SFでも、これほどS式に拘る人は珍しい。未来の異星・1989年のアメリカ・1905年の香港、三つの物語で親と子の考え方の違いを描きつつ、受け継がれてゆくものと変わってゆくものを浮かび上がらせる。そういえば私も若い頃はあまし歴史に興味がなかったなあ。
隠娘 / The Hidden Girl / The Book of Swords 2017年 / 古沢嘉通訳
「拙僧は命を盗んでいる」
 朝廷の権力が衰え、封建領主である節度使が相争う八世紀初頭の唐。将軍の娘は謎の比丘尼に才能を見込まれ、攫われて隠娘の名を与えられ、暗殺者としての訓練を受ける。姉弟子の精精児・空空児と共に修業を積んだ娘は、六年後に初任務へと向かうが…
 ファンは「良い狩りを」でニヤリとするところ。舞台こそ唐時代の中国だが、日本人としては忍者物の香りを嗅ぎ取ってしまう。彼女らが使う「忍術」に、ちゃんとSFな理屈をつけてるのも楽しい。ただ、お話としては、短編というより、長いシリーズ物のプロローグっぽいんだよなあ。漫画家と組んでシリーズ化して欲しい。
ビザンチン・エンパシー / Byzantine Empathy / MIT Technology Review's Twelve Tomorrows 2018年 / 古沢嘉通訳
「機械は司法制度よりはるかに透明かつ予測可能なのです」
 中国との国境近くのミャンマーでは、少数民族の反政府勢力と政府軍が争い、多くの難民が死んでいる。その記録VRを「視」たジェンウェンは衝撃を受た。だがアメリカも中国も政治的な理由で黙殺しており、NGOも介入を拒んでいる。事態を変えようと考えたジェンウェンは、暗号通貨/ビットコインを基盤としたエンパシアムを開発するが…
 これまたグレッグ・イーガンの「失われた大陸」と共通したテーマ。まずVRの使い方に感心した。そういう使い方もあるんだなあ。同じ救済運動でも、人々の感情つまり共感を重要視するジェンウェンと、合理性を重んじ専門家による組織で働くソフィア。作中の「これは苦痛の商品化だ!」と同じ理由で、私の考えはソフィアに近い。北朝鮮人民が飢えても、「しょうがない」で済ます。だが、奴隷制でやられた。そうなのだ。こういう運動を生み支えるのは、合理性じゃなくて感情なんだ。どう折り合いをつければいいのか、というと、うーん。

 芸幅の広い人だとは思っていたが、「ランニング・シューズ」のように、黒い面が見れたのは収穫だった。「化学調味料ゴーレム」の軽快なユーモアも楽しい。最後の「ビザンチン・エンパシー」には、ヘビー級のボディブローを食らった感じ。ちと編者の悪意を感じるのは、被害妄想だろうか。相変わらず芸幅の広さと中国文化の奥深さを見せつけながらも、底にある姿勢は人類普遍のものであり、著者の作品集の中でもソレが最も強く出ている。

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2021年4月 1日 (木)

デイビッド・ウォルトナー=テーブズ「排泄物と文明 フンコロガシから有機農業、香水の発明、パンデミックまで」築地書館 片岡夏実訳

世界保健機構とユニセフ(国連児童基金)の報告によれば、毎年150万人の五歳未満の子供が下痢で死んでいる。これはマラリア、麻疹、エイズの合計よりも多い。下痢は必ずといっていいほど、食品や水が糞便で汚染されることで起きる。
  ――第5章 病へ至る道 糞口経路

【どんな本?】

 私たちはみんなウンコを出す。そして下水道の整備は都市計画の重要な問題だ。にもかかわらず、ウンコについて大っぴらに語られることは少ないし、ウンコの話は往々にして下品でくだらないこととされる。これは現代日本だけに限らず、多くの文化で共通している。

どの文化でも、古代ローマ(そこでは市の主下水道、クロアカ・マキシマを戦争捕虜が掃除していた)から18世紀のイングランド(汚水溜めの清掃人は夜働くことを命じられた)まで、みんなのために糞を扱う人は、もおっとも尊敬されない労働者のカテゴリーに入れられている。
  ――第6章 ヘラクレスとトイレあれこれ

 だが、科学的にも社会的にも、ウンコは充分に研究に値する。健康診断では検便があるし、生態系の維持には動物の糞便が欠かせない。糞便の不適切な処理は伝染病を蔓延させるが、鳥の糞の奪い合いは時として戦争にまで発展する(→Wikipedia)。

 やっかいではあるが、否応なしについてまわり、時として役に立つウンコについて、「国境なき獣医師団」創設者でもある疫学者が、幅広い視点でユーモラスに語る、一般向けの科学・社会解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Origin of Feses : What Excrement Tells Us About Evolution, Ecology, and a Sustainable Society, by David Waltner-Toews, 2013。日本語版は2014年5月20日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約211頁に加え、訳者あとがき3頁。9ポイント46字×17行×211頁=約165,002字、400字詰め原稿用紙で約413枚。文庫ならやや薄めの一冊分。

 文章は比較的にこなれている。内容もわかりやすい。ただし、当たり前だがウンコの話てんこもりなので、潔癖症や想像力豊かな人には向かない。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

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  • 序章 フンコロガシと機上の美女
  • 第1章 舌から落ちるもの
  • 第2章 糞の成分表
  • 第3章 糞の起源
  • 第4章 動物にとって排泄物とは何か
  • 第5章 病へ至る道 糞口経路
  • 第6章 ヘラクレスとトイレあれこれ
  • 第7章 もう一つの暗黒物質
  • 第8章 排泄物のやっかいな複雑性とは何か
  • 第9章 糞を知る その先にあるもの
  •  参考文献/訳者あとがき

【感想は?】

 くり返すが、想像力が豊かな人には向かない。また食事中に読むのも薦めない。わざわざ、そんな事をする人は滅多にいないだろうけど。ご想像の通り、本書は「ウンコ」の連呼だ。訳者あとがきに曰く「訳者がこんなに『ウンコ』を連発したのは小学生のとき以来かもしれない」。

 「解剖男」もそうなんだが、一見キワモノに思われるシロモノを研究してる学者は、敢えてそれを芸にしたがる傾向がある気がする。本書も、著者が夫婦でタンザニアに旅行した際、ガイドを独占して動物の糞を探し、同行者や奥さんに呆れられる場面で本書は始まる。そうか、野生の肉食獣の糞は白いのか。一つ勉強になった。

 もちろん、ふざけているワケじゃない。ただ、著者は仕事柄、ユーモアの大切さが身に染みてるんだろう。なにせ…

ウンコは社会学者と科学者がやっかいな問題と呼ぶものである。
  ――第1章 舌から落ちるもの

 ここで社会学者と科学者の二者が出てくる点に注意しよう。今、まさに問題となっている新型コロナが示すように、疫学とは、科学と社会の双方が密接に絡み合う学問なのだ。それだけに、著者の視野は広い。ミクロな視点では…

成人の便1mm3には、10の11乗(略)前後のバクテリアがいる。(略)このようなバクテリアは500から1000ほどの異なる種からなり、大部分はあまりよくわかっていないものだ。
  ――第2章 糞の成分表

 と、ウンコの中身を分析する。にしても、「大部分はあまりよくわかっていない」とは。もちろん、対象はヒトばかりじゃない。

いくつかの種では、糞食は健康を増殖し病気を防ぐ意味を持つ。ウサギはタンパク質と水溶性ビタミンを摂取する。ハツカネズミはビタミンB12と葉酸を糞を食べて摂取していると言われる。実験用ラットに糞を食べさせないようにすると、うまく成長せず、ビタミンB12とビタミンKの欠乏症を起こす。
  ――第4章 動物にとって排泄物とは何か

 そして、ヒトと動物との関わりにも目を配る。それも世界的な視野で。

牛糞は木とほぼ同じ発熱量を持つ(ただしどちらも灯油が生成する熱の半分に満たない)。リャマの糞もウシのものとほぼ同じ熱量を持つ。全世界で一年間に燃料として利用される牛糞の40から50%はインドで燃やされている。
  ――第9章 糞を知る その先にあるもの

 更に、時間的にも遠くを見通そうとする。

新石器時代の定住地では、排泄物を定住地の中と周囲に、恐らく堆肥として置いていた痕跡がある。
  ――第6章 ヘラクレスとトイレあれこれ

 そうか、ヒトは大昔から排泄物が植物の成長を促すと知っていたのか。まあいい。こんな風に、ウンコについて遠大な時空を見渡すと、どこかの禅僧みたいな悟りの境地にまで至る。

すべてを包みこむ生命系(=生態系)を思い描けるなら、このように想像できるだろう。ウンコは存在しない。
  ――第3章 糞の起源

 まあ、要は、動物の排泄物もバクテリアが分解して植物の養分になる、みたいな話なんだけどね。自然界じゃ、そんな風にすべてがリサイクルされているのだ。もっとも、その循環に、困った奴も乗り合わせてくるんだけど。

寄生虫のライフサイクルは排泄物のライフサイクルなのだ。
  ――第7章 もう一つの暗黒物質

 だた、現在のグローバル社会は、このサイクルが大きく変わりつつある。この変化を描く第7章以降は、なかなかの迫力だ。例えば、動物の肉は多くのリンを含む。そしてアメリカやアルゼンチンは、牛肉を大量に輸出している。肉の元を辿れば、飼料のトウモロコシに行きつく。土中のリンがトウモロコシに移り、それが牛に行き、太平洋を渡って私たち日本人が食べ、ウンコとして出す。

 私たちは意識しないうちに、太平洋の向こうからリンを輸入していたのだ。なんか得した気分だが、それもウンコを再利用すれば、の話だ。特にアメリカ産の牛は難しい。アメリカでは大企業が多くの牛や豚や鶏を狭い所に閉じ込め、大量生産方式で育てている。伝染病の蔓延を防ぐため、多くの抗生物質を与える。これがウンコにも混ざり、抗生物質に耐性を持つ菌が繁殖してしまう。

 本来、牛糞は処理次第で優れた肥料になるし、先に挙げたように燃料にもなる。そういえば「大地」でも、牛糞を拾う場面で、ヒロインの阿蘭の勤勉さを描いてたなあ。ってのは置いて。

 アメリカの牛は抗生物質漬けで育ってるから、その糞にも抗生物質や耐性菌が入っていて、再利用が難しいのだ。まあ、それもやりようなんだけど。

炭素、窒素、酸素(適切なバクテリアの繁殖を促す)がちょうどよく混ざり、うまく作られた堆肥の山では、温度が54~66℃に達することを研究者は示している。これは鳥インフルエンザウイルスを十分殺せる温度だ。
  ――第9章 糞を知る その先にあるもの

 そんな風に、著者は幅広い視野と深い知識を持ちつつも、肝心の解決策については、万能の策はない、と慎重だ。その場に応じ、関係する様々な人々の話を聞いた上で、慎重に考えましょう、と。

我々の技術がどんなに優れていようと、それが効果を発揮し役に立つのは、適切な社会-生態学的背景に合わせて設計され、その中で使われるときだけだ。
  ――第9章 糞を知る その先にあるもの

 こういったあたりは、「世界文明における技術の千年史」とも通じる考え方だなあ。他にも…

現実世界の理解に近づくための唯一の方法は、できるだけ多くの視点を集め、全体像を作ろうと努力することだ。
  ――第8章 排泄物のやっかいな複雑性とは何か

 なんてところは、計算屋には身につまされる話だよね。組織の上長と、実際に操作する人とじゃ、話がまったく違うとか、よくあるケースだし。

 科学と社会学が交わる疫学者として、世界中を飛び回った著者だけに、話題は幅広く、視点もバクテリアから国際貿易に至るまで、バラエティ豊かだ。もっとも、すべてウンコにまつわる話なんだけど。また、現場をよく知っている人らしく、特に終盤では現実社会の面倒くささも滲み出ている。イロモノ的な題材ではあるが、エンジニアを含め問題解決に携わるすべての人にお薦め。

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