ルース・カッシンガー「藻類 生命進化と地球環境を支えてきた奇妙な生き物」築地書館 井上勲訳
本書は、惑星上で最も強力な生物である藻類が、善かれ悪しかれ、私たちの生活に及ぼしている影響、そして藻類が私たちの将来に果たし得る役割を理解する旅の物語である。
――プロローグ
【どんな本?】
日本人にとって海藻はお馴染みだ。ワカメの味噌汁、昆布ダシ、そしてパリパリの海苔。だが不愉快な藻類もある。池や湖に生える藻はドロドロして気持ち悪いし、赤潮・青潮は沿岸の水産業を潰す。
そもそも藻類とは何者か。いつごろ地球に発生したのか。どんな連中がいて、何を元に育ち、どうやって増えるのか。日本以外に藻を食べる文化はあるのか。そのレシピは。食用以外の使い道はあるのか。そして、生態系や地球環境に、藻類はどんな役割を果たしているのか。
科学系ジャーナリストが、世界を飛び回り、人と藻の係わりの過去と現在の取り組み、そして未来の展望を描く、科学・産業ルポルタージュ。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は SLIME : How Algae Created Us, and Just Might Save Us, by Ruth Kassinger, 2019。日本語版は2020年9月11日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約313頁に加え、「料理の幅を広げる海藻料理のレシピ」8頁+「訳者あとがきにかえて 地球進化と生物進化を再構築できる藻類研究の魅力」5頁。9ポイント46字×19行×313頁=約273,562字、400字詰め原稿用紙で約684枚。文庫ならやや厚い一冊分。
文章は比較的にこなれていて親しみやすい。内容も特に難しくない。一部に「真核生物」などの生物学の用語が出てくるが、分からなくても大きな問題はないので読み飛ばそう。
なお、訳の井上勲は力の入った藻類の解説書「藻類30億年の自然史」でもある。
【構成は?】
各章は比較的に独立しているので、気になった所だけをつまみ食いしてもいい。全4部構成で、それぞれテーマが決まっている。
- 第1部 地球史から見た藻の誕生と歴史
- 第2部 藻を食べる
- 第3部 藻の使い道、過去と現在
- 第4部 藻と地球環境
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- プロローグ
- 第1部 藻類と生命誕生
- 1章 池と金魚とアゾラ
有機農法に効くアゾラ - 2章 酸素を放出! シアノバクテリア
藻類がネバネバしている訳 - 3章 原核生物の支配は続く
微細藻類の誕生 - 4章 藻類、上陸への第一歩
乾燥と紫外線に強いシアジクモ藻類/陸上植物の先駆者、苔類 - 5章 地衣類の登場
土壌を作った地衣類 - 6章 地衣類観察ツアー
大気汚染の監視役
- 第2部 海藻を食べる人々
- 1章 脳の進化と海藻
進化の鍵はヨウ素とDHA/人類が辿ったケルプ・ハイウェイ - 2章 日本の海苔を救ったイギリス女性藻類研究者
日本人と海苔/海苔の成長の謎を解いたドリュー博士 - 3章 韓国の海苔事情
国家プロジェクトで海苔生産/活気にあふれる海苔産地 - 4章 ウェールズ人も海苔が好き
ラバー海苔の可能性 - 5章 持続可能な海藻採取
味噌汁の効用/昔からの海藻採集法/天然物へのこだわり - 6章 広まる大規模海苔養殖
貝養殖から海藻養殖へ/養殖が天然ものを守る - 7章 子どもたちを救うスピルリナ
拡大を続けるスピルリナビジネス
- 第3部 高まる藻類の可能性
- 1章 農家と海藻の深いつながり
注目を集めるロックウィード/海藻抽出物の力/海藻とプレバイオティクス - 2章 微生物研究と藻類
需要が高まる藻類コロイド/救世主、寒天誕生 - 3章 イスラエルで海藻養殖
陸上海藻養殖の未来/広がる魚の陸上養殖 - 4章 藻類からランニング・シューズを作る
ガラス製造とケルプ/藻類プラスチックができるまで/原料をさがし求めて/新たな生分解性プラスチック - 5章 夢の燃料、藻類オイル
原油価格と藻類オイル開発/苦難が続く藻類オイル生産/世界初の屋外藻類農場/光合成をしない藻類の活用 - 6章 魚とヒトの栄養食
減少を続ける飼料用魚/天然魚を救う藻類/藻類関連企業の躍進 - 7章 コストの壁に阻まれる藻類エタノール
藻類エタノールを最初に思いついた男/遺伝子改変に成功/藻類エタノールの敗北 - 8章 藻類燃料の未来
オイル生産に最適な藻類を探せ/地球温暖化がもたらす巨額の損失/電気自動車の弱点
- 第4部 藻類をとりまく深刻な事態
- 1章 サンゴの危機
美しいサンゴ礁の風景/サンゴと褐虫藻の共生関係/海水温上昇と窒素の流入 - 2章 サンゴ礁を守る人々
サンゴの移植作業体験/サンゴが生き残る条件/サンゴ礁は待ってくれない - 3章 有毒化する藻類
藻類ブルームの大規模発生/「死の海域」の出現 - 4章 藻類による浄化
芝生状藻類の活用/人口湿地の限界/浄化までの長く険しい道のり - 5章 暴走を始めた藻類
大発生が止まらない - 6章 気候変動を食い止められるか
鉄散布の是非 - エピローグ
- 謝辞
- 料理の幅を広げる海藻料理のレシピ
- 参考文献
- 索引
- 訳者あとがきにかえて 地球進化と生物進化を再構築できる藻類研究の魅力
【感想は?】
テーマの一部は「藻類30億年の自然史」とカブる。特に本書の第1部は「藻類30億年の自然史」の短縮版と言っていい。
「藻類30億年の自然史」は専門の研究者が書いた本だが、本書はジャーナリストの作品だ。それだけに、力を入れる所はだいぶ違う。第1部の主役は科学だが、第2部は地理と歴史、第3部は産業、そして第4部は環境問題が中心となる。私は第3部で起業家を訪ねる所が最も面白かった。
皆さんご存知のように、日本の食卓には海藻が欠かせない。ここでは豊作と不作の波に悩まされたポルフィラ(海苔)の養殖と、その生態の解明にまつわる挿話も楽しい。映画「この世界の片隅に」で、すずさんの実家は海苔を作ってたが、この説の通りなら、戦後もしばらくは不作に悩まされただろう。それはさておき、おかげで日本人の体質まで変えてしまった、というのも驚きだ。
ポルフィラは長年にわたって日本の食生活の重要な部分を占めてきたために、日本人の生物学的特性が大きく変わった。日本人が持っている特定の腸内細菌が、海藻の堅い細胞壁を壊す酵素(ポルフィラナーゼ)を合成する遺伝子を持っており、海藻をよりうまく消化することができる。
――第2部 海藻を食べる人々 2章 日本の海苔を救ったイギリス女性藻類研究者
私たちの腸は海苔やワカメやヒジキに適応したのだ。なんとまあ。もちろん、肉体だけでなく、文化的にも適応してたんだなあ、と思ったのが、この一節。
見た目が海藻そのままのものを、(アメリカ人に)実際に食べてもらうのは難しかった。
――第2部 海藻を食べる人々 6章 広まる大規模海苔養殖
私は味噌汁のなかで泳ぐワカメを見ればヨダレが出てくる。でも、あーゆー「モロに海藻」な姿は、欧米人には嬉しくないらしい。なんとも勿体ない話だ。海苔を巻いた寿司は食べるのにね。いずれにせよ、乾燥ワカメなどの原型を保った食品はあまり売れない。そのため、食品として売り出す企業は、細切れにしたり粉にしたりと、製品化するには加工した製品ばかり。
ただし、食用以外なら、海藻と関わりが深いのは、日本人だけじゃない。昔はガラスを作るのに海藻を焼いた灰を使った。アイルランドの農民は、もっと凄い。
アイルランドの西海岸沖にある石灰岩でできたアラン諸島では、何世紀にもわたって、住民が海岸から大量の海藻と砂を採取して、それを散布する事で、それまで何もなかったところに農場を作り上げた。
――第3部 高まる藻類の可能性 1章 農家と海藻の深いつながり
農地の開拓は土づくりから、なんて言われるけど、彼らは本当に土から作ったのだ。ちなみにアラン諸島とは、一時期フィッシャーマン・セーターが話題になった所(→Wikipedia)で、アイルランド共和国(南アイルランド)の西にある。
水産業では、合衆国北東部のメイン州でケルプ(昆布)養殖事業を立ち上げたトレフ・オルソンの背景も波瀾万丈だ。
メイン州ではロブスター漁が盛んだが、厄介者がいた。ロブスターの餌を横取りし、罠を詰まらせ、住処となるケルプを食い荒らす。憎き奴の名は…ウニ。そう、我ら日本人の大好物だ。1980年代、日本の輸入業者がこれに目をつける。冬に漁ができないロブスター漁師にはいい稼ぎとなり、1993年に漁獲量18000トンに達する…が、乱獲が祟り、2016年には680トンに落ちる。
トルフ氏はこれに懲り、乱獲の心配のない養殖事業を立ち上げたのだ。「ばくち草」とまで呼ばれた江戸時代の海苔といい、水産業は浮き沈みが激しいビジネスなんだなあ。
海苔同様、寒天の物語も縁と偶然の物語だ。1658年(万治元年、徳川家綱の時代)の冬、宿屋の美濃屋太郎左衛門が晩飯の海藻汁を外に捨てる。次の朝、汁は桃色のゼリーになっていた。宿の主人は考える。「これ、料理に使えるんじゃね?」寒天の誕生である。ああ、みつ豆が食べたい。
時は流れ1870年代。ロベルト・コッホは悩む。炭疽菌が牛の炭疽病の原因だ、と証明したい。それには炭疽菌を純粋培養せにゃならん。雑菌が入っちゃマズい。相応しい培養地はないか。最初に成功したのは牛の目の後ろから抽出した液だ。だが、こんなモン、安定して量を確保するのは難しい。ゼラチンを試すが、35℃で溶けてしまう。哺乳類の体温で溶けるんじゃ培養できねーじゃん。
そこに幸運の女神が現れる。同僚ヴァルター・ヘッセの妻ファニーだ。ファニーは思い出す。東アジアに住む友人から教わった、寒天を使ったジャムやゼリーのレシピを。寒天は60℃まで溶けない。これ、いけるんじゃね? やってみたら、そりゃもう、バッチリ。お陰でコッホは炭疽菌・結核菌・コレラ菌の培養に成功する。近代細菌学の誕生だ。
もちろん、21世紀の今日でも寒天は微生物培養じゃ必需品だ。美濃屋太郎左衛門さんも、捨てた汁が労咳を治す役に立つとは思いもよらなかっただろう。世の中、何が何の役に立つのか、わからんもんです。
現代のビジネスでは、アルジックス社の逸話が、いかにも21世紀で印象的だ。アルジックス社は藻の死骸からプラスチックを作り、サーフボードやスポーツシューズ用の酢酸ビニルをアディダス社などに納めている。
技術は完成したものの、製造ラインに乗せるには問題があった。企業としてやっていくなら、原料の藻を安く大量に安定して調達せにゃならん。でも自社で養殖するには資金が足りない。そこで彼らはどうしたか。
グーグルアースを使ったのだ。目当ては藻の緑で覆われた水域。
見つけたのは、ミシシッピ州とアラバマ州のナマズ養殖場。ここではナマズの餌に魚粉を与えるが、食い残しが藻になる。藻は邪魔で、養殖場は処分に困っていた。そんな藻を買い取ると持ち掛けたから、養殖場は大喜び。
Google は何かと便利だけど、資源探索にも使えるんだなあ。他にも Google のお陰で起こせた事業は沢山ありそう。優れた情報技術は、経済も活性化するんですね。
なお、酢酸ビニルはプラスチックの一種。プラスチックって、石油から作るんだとばかり思っていたが…
プラスチック自体は有機物で、炭素系のポリマー(重合体のこと)である。つまり、プラスチックの種類によるが、酸素、窒素、または他のいくつかの元素と結びついた炭素を長い鎖なのである。
――第3部 高まる藻類の可能性 3章 イスラエルで海藻養殖
その石油の起源、無機成因説もあるが、本書は生物すなわち古代の藻が原料だって立場だ。天然だと 藻→石油→プラスチック だったのを、アルジックス社は 藻→プラスチック と短縮したんだ、と説明してる。
第3部では、他にも藻に燃料油を作らせようと研究する企業が幾つか出てくるが、いずれも2つの点が共通してる。一つは大胆に遺伝子改変技術を使ってること、もう一つは価格の点で石油に太刀打ちできないこと。原油高だと勝負できるそうで、けっこういいセン行ってると思う。少なくとも桁は揃った。ただ、実際に生き延びてる企業は、化粧品やサプリメントなど、桁違いに単価が高い用途で食ってるのが現状。
もちろん、藻類もいいことばかりじゃない。代表的なのがスーパーブルーム(赤潮などの藻の大発生)。これで魚などが酸欠になるとは聞いていたが、メカニズムは私が思ってたのより複雑だった。
スーパーブルームは最悪の問題ではない。最悪の事態は、ブルーム発生の後に起こる、死んだ藻類を餌にして好気性の細菌が思うがままに増殖することである。最悪の環境破壊は、細菌が海中の溶解酸素を消費するために起こる。
――第4部 藻類をとりまく深刻な事態 3章 有毒化する藻類
問題は、赤潮の後なのですね。いずれにせよ、原因はリンや窒素などの富栄養化と地球の温暖化で、これの解決に藻を使う例も第4部に出てくる。その地球温暖化では、なかなか大胆な発想をする人もいる。
モスランディング海洋研究所所長ジョン・マーチイン博士「タンカー一杯分の鉄があれば地球を氷河期に戻せる」
――第4部 藻類をとりまく深刻な事態 6章 気候変動を食い止められるか
どういう事か。実は、南氷洋には藻類が異様に少ない。この原因は、鉄分が足りないため。そこで鉄をバラ撒いて南氷洋を藻で満たせば、藻が増えて二酸化炭素を食いまくり、地球は寒冷化する、そういう理屈です。幾つか実験もしていて、ソレナリに手ごたえはあるものの、生態系などへの影響も考えると、慎重に考えた方がいいよね、ってのが著者の立場。
SF者としては「金星の大気に藻を撒いてテラフォーム」なんてネタを思い浮かべるけど、それを本職の科学者が考えているとは。是非はともかく、こういう壮大なアイデアはワクワクしてしまう。
インパクトのある表紙に釣られて、ついフラフラと書棚に手を出してしまった本だが、中身は藻そのものより「藻とヒトとの関わり」が中心で、特に起業家の話が多い第3部は資金調達の生々しさと「いま、そこにあるセンス・オブ・ワンダー」が共存する、なかなかにエキサイティングな章だった。バイオ技術とビジネスに興味がある人には、強くお勧めする。
【関連記事】
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