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2021年2月の4件の記事

2021年2月24日 (水)

クリスティン・デュボワ「大豆と人間の歴史 満州帝国・マーガリン・熱帯雨林破壊から遺伝子組み換えまで」築地書館 和田佐規子訳

(大豆の)ほとんどの加工と販売は国際的企業の四社が牛耳っている。アーチャー・ダニエルズ・ミッドランド(ADM)、ブンゲ、カーギル、ルイ=ドレフュス
  ――第5章 家畜を肥やす肥料となって

政府が(バイオディーゼルに)経済的な支援をするのは主に次の三つの理由からだ。まず農作物のさらなる市場を作ることで農家を支援するため、輸入燃料への依存を軽減するため、そして、大気汚染の緩和だ。
  ――第10章 試練の油 大豆バイオディーゼル

【どんな本?】

 味噌に醤油、豆腐に納豆。暑い日のビールには枝豆が欠かせないし、甘党は黒蜜ときなこの誘惑に勝てない。そして味噌ラーメンにはタップリもやしを盛ってほしい。日本の食卓には大豆が溢れている。

 日本では「畑の肉」とも呼ばれ親しまれる大豆だが、実は世界情勢に大きな影響を与えている。大日本帝国の満州進出を促し、アメリカの戦略作物となり、鶏や豚の飼料として世界中の貧しい者のたんぱく質摂取を支える反面、南米では森林を破壊し、政権の転覆まで引き起こした。男の精子を減らすという噂もあれば、女の乳がんを防ぐとも言われている。なおアメリカ産大豆の90%以上は遺伝子組み換えだ。

 そんな大豆は、いつ、どこで栽培が始まったのか。豆腐や納豆のほかに、世界ではどんな大豆食品があるのか。大豆と戦争に何の関係があるのか。現代の国際貿易で、大豆はどのように扱われているのか。遺伝子組み換え大豆は安全なのか。

 ジョンズ・ホプキンス大学大豆プロジェクト研究部長を務めた著者が、私たちの食卓を彩る大豆の持つ様々な姿を、歴史・生産・流通・加工・消費・貿易・政治・経済・栄養など多様な視点で描く、一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Story of Soy, by Christine M. Du Bois, 2018。日本語版は2019年10月31日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約329頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント52字×20行×329頁=約342,160字、400字詰め原稿用紙で約856枚。文庫なら厚い一冊か薄い上下巻ぐらいの文字量。

 文章は比較的にこなれていて読みやすい。内容もわかりやすさに気を配り、なるべく専門用語を使わないなど工夫をしている。その分、遺伝子組み換えの科学・技術的な説明は、やや物足りなく感じた。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、美味しそうな所だけをつまみ食いしてもいい。また、「序章 隠された宝」が見事に全体をまとめているので、試食にはちょうどいいだろう。

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  • 序章 隠された宝
    大豆と戦争/大豆たんぱく質が家畜を太らせる/巨大化する大豆貿易/大豆と根粒菌の共生関係/マーガリンを作る/南米と大豆/さまざまな工業製品への利用
  • 第1章 アジアのルーツ
    大豆栽培の始まり/食用に加工され始める/豆腐の誕生/フビライ・ハンがインドネシアに豆腐製造を伝える/大豆を発酵させるアジアッ人/相異にあふれるアジアの大豆食品
  • 第2章 ヨーロッパの探検家と実験
    大航海時代にヨーロッパにもたらされる/ヨーロッパで花開く大豆研究/高まる大豆への関心/第一次世界大戦後に始まった新しい利用方法
  • 第3章 生まれたばかりの国と古代の豆
    新大陸と大豆栽培/いかにしてアメリカに大豆食品を根づかせるか/栄養失調の子どもたちに豆乳を/産業・医療への利用 大豆に価値を見いだす/フォード社と大豆
  • 第4章 大豆と戦争
    兵士の食べ物/太刀素は大豆の重要性に気づいていた/満州に目をつけた日本/捕虜の栄養源となる/食糧難のソビエトで渇望された大豆食品/戦時下のイギリスで健康改善に貢献した大豆/戦争に勝つためにはもっと大豆を/戦後のアメリカでは、食用から飼料へ変身する/醤油と豆腐の製造方法が変わった戦後の日本/戦争と結びつけられた大豆
  • 第5章 家畜を肥やす肥料となって
    エジプトから始まった鳥インフルエンザ/鳥の血のソーセージ/飼料大豆の普及/骨付き鶏肉が日本にやってきた/スペインでのオリーブオイルvs大豆油/世界征服をねらうアメリカ産大豆/大豆で大量生産される鶏肉/劣悪な環境で飼育される豚たち/安い肉が引き起こす問題/消費者の健康と大量生産された肉/森林を破壊する飼料大豆/大量の排泄物が引き起こす問題
  • 第6章 大豆、南米を席巻する
    二つの生き方 ブラジル先住民と大農場主/カタクチイワシ不漁に始まる日本のブラジル進出/二人の大豆王/劣悪な環境に置かれた労働者/アマゾンの森林とブラジル農業/アルゼンチンでの闘い/アルゼンチンが大豆かす輸出第一位へ躍り出る/抗議運動/パラグアイでの大豆栽培を巡る緊張/「大豆連合共和国」
  • 第7章 大豆が作る世界の景色
    法的に疑わしいカーギル社の穀物ターミナル/輸出港へのジャングルを貫く道路建設/なぜ南米にばかり環境保護を押しつけるのか/単一栽培が農業を危機にさらす/雑草対策のためのグリホサート耐性をもつ遺伝子組み換え大豆/遺伝子組み換え作物に対する懸念/除草剤の使用を増やす遺伝子組み換え大豆の栽培/遺伝子組み換え作物が土壌に与える影響/グリホサートの農民への影響/クリホサート耐性大豆と不耕起栽培/農業には欠かせない淡水と環境汚染
  • 第8章 毒か万能薬か
    大豆の効果を単純化してはならない/大豆の基本的な知識/大豆に関する三大論争 精子減少・循環器疾患・乳がん/バイオテクノロジーと豆 遺伝子組み換えの基本的ステップ/遺伝子組み換え作物は「フランケンフード」か?/人体への影響は?/非GE大豆とGE大豆/遺伝子組み換え作物のリスク 二つのケース/GMO表示は義務化必要ないか/遺伝子組み換え食品議論のアイロニー/救援物資としての大豆
  • 第9章 大豆ビジネス、大きなビジネス
    大豆のはるかなる旅/先物取引の対象として/大豆をめぐるスキャンダル/懸念を生むアメリカ政府の自国農家への支援/反対運動にあう輸入GE大豆/栽培農家と企業間の不公平な契約/豆乳はミルクか?/大豆産業による土地の強奪
  • 第10章 試練の油 大豆バイオディーゼル
    大豆ディーゼル燃料がインドネシアに与える影響/バイオディーゼルと環境/バイオディーゼルの適切な使用法/バイオ燃料の再生可能燃料識別番号(RIN)制度/気候変動への影響/使用済み油からバイオディーゼルを/使用済み油をめぐる争い/大豆油の需要の高まり/世界の片隅にしわ寄せが/自分の身近な所で変革を
  • おわりに
  • 謝辞/訳者あとがき/参考文献/引用文献/索引

【感想は?】

 先に書いたとおり、「序章 隠された宝」が味見用として見事にこの本をまとめている。20頁に満たないので、好みに合うか否が、ざっと当たりをつけるのにとても都合がいい。なんとも親切な本だ。

 日本人にはお馴染みの大豆だが、作物としては傍役の印象が強い。なんといっても日本の食卓は米が主役で、それ以外は傍役なのだから仕方がない。が、作物としては世界的に極めて重要である由が、ヒシヒシと伝わってくる。

大豆は世界でもっとも多く栽培されている油糧作物で、他を大きく引き離している。また農作物全体では四番目に広い面積で耕作されている(上位三つはトウモロコシ、小麦、それから米で、すべて穀類だ)。
  ――第9章 大豆ビジネス、大きなビジネス

 これら主要作物のうち、トウモロコシは南米がルーツ、小麦はメソポタミア、米は東南アジアあたり。大豆は、というと…

すぐれた品種の野生大豆を見つけだして、農民である母の所に持ち帰ったというこの物語が、9000年前の中国北西部、賈湖の村の近くで実際にあったと推測できる。
  ――第1章 アジアのルーツ

 南京と徐州の真ん中ぐらいかな? そのためか、大豆の利用は中国・朝鮮そして日本と、歴史的にも東アジアが最も発達している。中でもいち早く近代化を成し遂げた日本は、積極的な貿易を繰り広げる。

日本の大豆輸入は1882年と1902年の間で400倍にもなっていた。
  ――第4章 大豆と戦争

 輸入元は満州だ。これは後の満州進出の動機にもなる。にしても、この極端な増え方は、明治維新で食生活が大きく変わったせいかな? いずれにせよ、その成果が世界に広まるきっかけが戦争なのは、なんとも切ない。

(日露戦争から学んだ)ヨーロッパ人が出した一つの結論は、大豆は重要な軍用食料となりうるということだ。
  ――第2章 ヨーロッパの探検家と実験

 中でも最も熱心に大豆栽培に取り組んだのはアメリカ。もともと土地が有り余ってるしね。これは第二次世界大戦で功を奏し…

1942年、ソビエトとイギリスを合わせて、マーガリンなどに使うため、およそ4憶5400万キログラム[45万4千トン]の油脂をアメリカに求めた。こうした需要によって製造が加速し、アメリカの農家は大豆の収穫をたった1年の間に75%も増やした。
  ――第4章 大豆と戦争

 自由の国と言いつつ、戦時体制への移行は素早い原因は何なんだろう? にしても当時のアメリカ、他にも鉄とトラックもソビエトに送ってるんだよなあ。農業と工業のいずれでも世界一って、とんでもねえチート国だ。もっとも、その大豆の使い道、豆腐を愛する日本人にとっては、いささか切ない。

近年では世界で生産される大豆たんぱく質のおよそ70%が鶏や豚の飼料になり、残りのほとんどすべてが牛や羊、馬、養殖魚、その他の家畜、ペットなどの餌として消費されている。
  ――第5章 家畜を肥やす肥料となって

 家畜の餌なのだ。ああ、もったいない。とはいえ、世界的に増えている肉の消費を支えているのも大豆。特に最近、急激な経済成長により肉の消費が増えた中国も…

…アメリカからの輸出大豆のおよそ70%を受け取る中国…
  ――第8章 毒か万能薬か

 はい、アメリカからの大豆輸入に頼ってます。ここでもアメリカが支配力を発揮してる。米中関係が煩い昨今だけど、アメリカは中国の命綱を握ってるんだよね。同様に、かつての日本もアメリカの大豆に頼ってたんだが、今は南米との関わりが深い。この物語も、「風が吹けば桶屋が儲かる」的な顛末が面白い。

  • 1972~73年、南米西海岸の気候変動によりペルーのカタクチイワシの漁獲量が90%近く落ち込む。
  • カタクチイワシは国際的な家畜の飼料だ。アメリカは国内の肉の高騰を恐れ、同じく飼料となる大豆の輸出を禁じる。
  • アメリカ産大豆に頼っていた日本は、他の供給元を探すが見つからない。なきゃ作る、とばかりにブラジルの大豆生産を支援する。

 この努力が実って…

1970年に150万トンだったブラジルの大豆生産量は、2015~2016年にはほとんど1億トンにまでふくれ上がった。
  ――第6章 大豆、南米を席巻する

 今でも大豆生産はアメリカとブラジルが激しくトップを争ってる。これは他の南米諸国にも波及し…

1995年になるとアルゼンチンは大豆油の主要輸出国となり、1997年には大豆かすの輸出国第一位となり、それ以降この地位を維持し続けている。
  ――第6章 大豆、南米を席巻する

 ばかりではない。大豆は非常時の支援物資としても優れているのだ。

2011年の日本での地震と津波、原発事故の後には、特に大豆は、非常時の援助と助け合いの手段となった。日本が窮地に陥った時、日本政府から何年にもわたって受け取っていた援助に対して、南米の農家がお返しとして援助を行ったのだ。(略)
(パラグアイの)日系人大豆生産者たちの協同組織が100トンもの大豆を寄付してくれたと、後日JICA(国際協力機構)が報告した。(→JICA)
  ――第8章 毒か万能薬か

 ちなみに、この時に提供された大豆は「遺伝子組み換えでない」んだが、これはかなり貴重なのだ。なにせ…

すべての栽培作物の中で、大豆は遺伝子組み換え(GE)種が作付けされている割合が最も大きい(2016年には世界の大豆作付け面積のおよそ80%)。そして、大豆は世界中のGE作物の作付け総面積の最大を占めている(2016年には50%)。
  ――第7章 大豆が作る世界の景色

 遺伝子組み換え技術には様々な意見がある。著者は穏やかな肯定派で、「慎重に検証しながら取り入れていこう」みたいな姿勢だ。中には医薬品用のGE種もあるし。とはいえ、そもそも「遺伝子とは何か」からして、多くの人はわかってない。そういう、よくわらかんモノに対し、人々は…

明確な解説が存在しない時、代わりに推測による解釈が広まる。
  ――第8章 毒か万能薬か

 今回の新型コロナに対しても、様々な噂が飛び交ったしなあ。ワクチンにケチつける人もいるし。少し歴史を調べれば、天然痘がどれほど怖いかわかりそうなモンだけど、ヒトってのは喉元過ぎれば熱さを忘れる生き物なんです。

 ソレはソレとして、欧米じゃ食品としての大豆に馴染みが薄いせいか、大豆に対してイロイロな噂が飛び交ってる。たんぱく質・食物繊維・ミネラルが多いんで健康的って説もあれば、男の精子を減らすって嫌な噂もある。じゃ、本当のところはどうなのか、というと…

医学的研究では、大豆食品がそれほど劇的な効果を持っていることは証明されていない。唯一の例外が、極端なたんぱく質欠乏の状況で人々の命を救っているという点だ。
  ――第8章 毒か万能薬か

 うん、知ってた。魔法の食品なんか、ないんだ。ガックシ。こういう、不慣れっぷりで笑っちゃうのがフランス。EUでミルクと言っていいのは「乳房の分泌物から製造され」たものだけ。じゃ豆乳をどう呼ぶのかっつーと、例えばフランスでは「トウニュウ」って、まんまじゃねーかw ナメとんのかエスカルゴ野郎w

 と、この記事では明るい側面ばかりを取り上げたが、もちろん本書は暗黒面もちゃんと扱っている。例えば冒頭の引用に挙げたように、大豆の流通は寡占状態で、これは結構ヤバい。南米では大規模な農場による土地の収奪が起きているし、大豆飼料で食用肉が増えたはいいが排泄物処理が追い付いてなかったり。また被災時の緊急食糧支援にしても、下手すると現地の農業を潰しかねない。

 などと大豆の様々な側面を、多くの具体例や数字を挙げ、素人にも分かりやすくかつ切実に伝える解説書だ。豆腐や枝豆が好きな人はもちろん、国際情勢に興味がある人にもお薦め。とまれ、つくづくアメリカってのはチートな国だなあ。

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2021年2月18日 (木)

アルド・A・セッティア「戦場の中世史 中世ヨーロッパの戦争観」八坂書房 白幡俊介訳

中世初期では、軍事活動は四月から九月に集中するのが一般的だった。最も多いは六月で、少ないのは十二月と一月である。
  ――第Ⅳ章 季節と時刻 1 四季と農作業

明るい日中だけが「戦闘に臨む戦士にふさわしい」
  ――第Ⅳ章 季節と時刻 3 日没から日の出まで

中世の人間は日常生活のあらゆる局面で絶えず暴力に取り囲まれていた。ゆえに、彼らが暴力を振るい、振るわれる環境を受け入れるのは、さほど難しくはなかっただろう。
  ――第Ⅴ章 身体 2 傷と病

15世紀における大規模な軍事作戦では、医療・衛生組織が準備されることはなかったと言ってよいだろう。
  ――第Ⅴ章 身体 2 傷と病

【どんな本?】

 中世の西欧の戦場といえば、多くの人は騎士たちを思い浮かべるだろう。名誉と忠誠を重んじ、逞しい駿馬を駆って、きらびやかな甲冑をまとい、長槍を構えて突撃する、勇ましい戦士たちだ。だが、それらは物語で語られる風景であって、実際の戦場はどんなものだったのだろうか。

 何のために彼らは戦ったのか。それぞれの作戦は、何を目指していたのか。戦いを仕掛ける者は、敵にどのような打撃を与えようとしたのか。どんな戦術が効果的だったのか。戦場に赴く際は、何を準備し、何を現地で調達したのか。何を食べ、何が原因で倒れたのか。そもそも、戦場に現れた者たちは、何者なのか。

 中世イタリア史を専門とする著者が、その専門を活かし主に中世のイタリアを中心として、実際の戦場を臭気漂うほどに生々しく描く、軍事を中心とした歴史書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Rapine, Assedi, Battaglie : La Guerra Nel Medioevo, Aldo A. Settia, 2002。日本語版は2019年12月10日初版第1刷発行。私が読んだのは2020年1月10日発行の第2刷。売れたんだなあ。単行本ハードカバー縦一段組み本文約400頁に加え、訳者あとがき6頁。9ポイント50字×20行×400頁=約400,000字、400字詰め原稿用紙で約1,000枚。文庫なら上下巻ぐらいの分量。

 やや堅苦しくとっつきにくい印象を受ける文体だが、読み始めると意外とわかりやすい。単に言葉遣いが学者っぽいだけで、文の構造は素直なのだ。二重否定などのややこしい表現は少ないし、下手なジョークもない。ただし、中世の西欧が背景のため、内容にはソレナリの覚悟が必要。最も多く扱っているのは、中世イタリアのコムーネ(自治都市,→Wikipedia)の戦争だ。また「マルコ」「カンタロ」「リブラ」などの意味不明な単位が解説なしに出てくるし、サラセン人(→Wikipedia)やムーア人(→Wikipedia)など、当時ならではの言葉も多い。

 とはいえ、中世の西欧史については「小説家になろう」の異世界転生物程度しか知らない私でも充分に面白かった。ええ、「わからない所は気にしない」タイプです。もちろん、西欧史、特に中世イタリア史に詳しい人は、もっと楽しめると思う。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。各項は、最初に「全体のまとめと結論」があり、その後に主な具体例と希少な判例が並ぶ形が多い。なので、忙しい人や西欧史に疎い人は、具体例を読み飛ばしてもいいだろう。

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  • 第Ⅰ章 略奪
  • 1 兵士 楽しき略奪者
  • 2 国境での略奪
    メロヴィング朝のガリア/ビザンツ帝国キリキア地方/襲撃の第二派 ヴァイキング・サラセン・ハンガリー/スペイン 「熱い国境」/ロベルト・イル・グイスカルドの「勝利の戦利品」/都市政府におけるスカラーニ(無法者)/とグアルダーナ(騎馬による略奪)
  • 3 「自然発生的」略奪
    友軍による略奪/傭兵
  • 4 騎馬略奪行 組織化された破壊
    征服と抑圧の技術/フランスにおけるイングランド人の「略奪騎行」/愚弄と挑発/「戦略的」略奪行と「戦術的」略奪行/犠牲者の側から/破壊兵器としての「火」/荒廃と荒廃部隊
  • 5 略奪品
    戦場での「はぎ取り」/大規模な略奪/略奪の筋書きと目録/分配と良心
  • 第Ⅱ章 攻囲
  • 1 城郭建築の普及と攻囲戦という悪夢
  • 2 西ヨーロッパにおける攻囲戦術
  • 3 「驚異の職人」 軍事技師たち
  • 4 飢餓による勝利
  • 5 兵器 有効性とその限界
    攻城塔/「砲撃兵器」/心理的効果
  • 6 土と火
  • 7 はしご攻め、力攻め、裏切り
  • 8 防衛のリソース
    攻撃手段の不足/対抗手段/火という「戦友」/火を点ける技術/攻囲戦の神話的側面 煮たてた油と地下の抜け道
  • 9 騎兵への執着
  • 第Ⅲ章 会戦
  • 1 望まれぬ会戦と虚像の勝利
  • 2 戦場の恐怖
  • 3 戦闘隊形
  • 4 敵と向き合う瞬間
    棍棒と不名誉/騎兵と歩兵
  • 第Ⅳ章 季節と時刻
  • 1 四季と農作業
    春は戦争の季節/牧草の芽吹く五月/「軍事的」刈り入れと葡萄摘み/煩わしい夏/厳しい冬
  • 2 過酷な天候
  • 3 日没から日の出まで
    戦死の短い休息/長い夜/暁の攻撃
  • 第Ⅴ章 身体
  • 1 食料
    軍事作戦中の耐乏生活/肉とパン/食事の配給量/食事と戦術の関係
  • 2 傷と病
    傷ついた騎士/弓矢の隠れた危険/戦場での外科治療/医者にかかるべきか否か
  • 3 死
  • 訳者あとがき/索引/原註

【感想は?】

 物語に出てくる、誇り高く華やかな「騎士」の姿を、木っ端みじんに粉砕する本だ。

 「遠い鏡」や「補給戦」で、ある程度は覚悟していた。それでも、最初の章がいきなり「第Ⅰ章 略奪」ときた。私たちが創造する戦場は、例えばポワティエの戦い(→Wikipedia)だ。英仏百年戦争でエドワード黒太子が長弓部隊を率いて仏軍を粉砕したアレである。が、実際には…

どこの軍隊も会戦を回避したいと考えていたのだが、一方で彼らは戦力を誇示し、戦闘を決意したかのように振る舞うことで敵を畏怖させ、会戦が起こらなかった理由を相手の臆病のせいにしようと考えていたのだ。
  ――第Ⅲ章 会戦 1 望まれぬ会戦と虚像の勝利

 正面切っての戦いは避けたがった様子。そもそも会戦の意味も…

会戦はどの時代でも「特別な儀式」であり、中世では神明裁判であった。全軍が団結し、決定的な結末を迎えるまで戦うことで、神の審判が下される場だったのだ。
  ――第Ⅲ章 会戦 1 望まれぬ会戦と虚像の勝利

 と、心理的な側面が大きかった模様。もっとも、大日本帝国も「神風」なんて名前に、人ならざるものにすがる想いが滲み出てるんで、実は今もあまり変わってないんだろうなあ。

 まあいい、じゃ、実際はどんなモンなのか、というと…

中世を通じて長期間採用され、最も普及した戦争のやり方というのは、時間と空間を限定したうえで行われる、全面的な略奪襲撃と破壊であった。
  ――第Ⅰ章 略奪 1 兵士 楽しき略奪者

 要は焦土作戦ですね。敵の米蔵や金庫を奪う、または潰すのが目的。何せ当時の軍は、ロクに兵站なんか考えちゃいない、というか出来ない。だもんで…

中世のように飢餓が一般的だった時代では、大軍が移動するだけで「人為的な」飢餓を発生させるには十分であった。そうした状況では、従軍する兵士は飢餓の原因であり、かつ犠牲者でもあった。そしてもちろん、そこに住む人々も飢餓に巻き込まれたのである。
  ――第Ⅴ章 身体 1 食料

 ソコに居る、ただそれだけで、その地域を潰してしまう、そういう存在だったわけ。兵そのものが生物兵器みたいなモンだな。ロクに制御できないあたりも、生物兵器そのもの。だって連中、戦争があれば兵なんだけど、戦争がなけりゃ山賊に早変わりだし。その手段だって…

中世の全期間を通して実用的な破壊手段とは、基本的に「火」の使用であった。
  ――第Ⅰ章 略奪 4 騎馬略奪行 組織化された破壊

 火ったって、火器じゃない。放火だ。家や畑を燃やす、そういう意味だ。目的は、現在の経済制裁や第二次大戦の戦略爆撃と同じ。敵から食料や財産を奪うこと。ついでに財産が自分の手に入れば更によし。先のエドワード黒太子のフランス遠征にしたって、実態は略奪と破壊だし。うん、まるきしヤクザだ。そもそも、当時の兵の練度ときたら…

軍事に奉仕する際の様々な素質の中でも、第一にあげられるのはきちんと隊列に並ぶことができるという能力であった。
  ――第Ⅲ章 会戦 3 戦闘隊形

 その程度でも充分に敵を威圧できたのだ。今でも学校じゃ儀式のたびに生徒並ばせたり行進させたりするけど、それはこういう歴史の名残りなのかも。もっとも、ロクに兵が統率できないのにも理由があって…

多くの兵士はおそらく、「頭脳明晰なままよりは、むしろ完全な泥酔状態で闘争の場へと投げ込まれた」
  ――第Ⅴ章 身体 1 食料

 なんで酔うのかというと、ヒロポン的な意味もあるんだけど、同時に安全な飲み水を手に入れるのが難しいってのもある。あっちの水は硬いし、慣れない水で身体を壊す事もよくあったらしい。だもんで、代わりにワインを飲んだんです。こういう愚連隊を率いるはずの騎士は、というと…

通常、真っ先に逃亡するのは騎兵だった。馬は攻撃をかけるのに優れた手段であるが、一方で危険から素早く身を遠ざけ、無様に逃亡するにも役立った。
  ――第Ⅲ章 会戦 4 敵と向き合う瞬間

 真っ先にトンズラかますんですね。もっとも、当時の重い鎧を着こんだ重騎兵は、馬から落ちただけでも死にかねないとか、意外と脆い所もあったとか。そんな風に、物語と実態の違いは著者も困ったらしく…

「少なくとも記録され書かれたものから、現実の感情を知り尽くすことはできない」
  ――第Ⅲ章 会戦 2 戦場の恐怖

 などと、当時の文献のいい加減さをアチコチで愚痴ってて、少し笑ってしまう。まあ物語は作家がデッチ上げるもんだけど、現場にいた将兵の証言もあましアテにならないのは「[戦争]の心理学」が述べてたり。では、本格的な戦争はどんなのか、というと…

中世は、騎兵が歩兵に対して次第に優位になった時代とみなすことはできない。むしろ城郭が騎兵にも歩兵にも優位を確立していた時代なのだ。
  ――第Ⅱ章 攻囲 9 騎兵への執着

 築城技術が進むにつれ、攻囲戦が主体となっていった様子。となれば、城を築くにせよ、攻略用の武器を作るにせよ、優れた技術者は歓迎されそうなモンだが…

そうした人々(軍事技師たち)の姿が史料から垣間見えることは稀だ。彼らは、金や雇用を求めて各地を転々としながら、軍事技術を必要とする雇用主にその知識でもって奉仕する、社会の最下層に位置付けられた人々たちだった。
  ――第Ⅱ章 攻囲 3 「驚異の職人」 軍事技師たち

 ああ、階級社会のなんと残酷なことか。この身分は死後もつきまとい…

戦死者たちはそれが敵か味方か、キリスト教徒か異教徒かで区別されたが、とりわけ暗に認められていた区別は、彼がどの社会階層に属しているか、つまりあけすけに言えば貴族ないし金持ちであるかどうか、だった。
  ――第Ⅴ章 身体 3 死

 と、あるんで、どうにも切ない。まあ、今の日本だって、エンジニアは軽く見られてるしなあ。それはともかく、城攻めで大事なのは…

城郭を攻略する方法は三つある。すなわち渇き、空腹、そして戦闘である
  ――第Ⅱ章 攻囲 4 飢餓による勝利

 はい、まずは水です。「泣いて馬謖を斬る」の街亭の戦い(→Wikipedia)の故事にもあるように、立てこもる際に最も大事なのは、水の確保なのですね。対して攻める側は、というと…

エジディオ・ロマーノいわく、城郭を「戦って」奪取する方法のうち、最も「一般的でよく知られた」ものは、はしごを持って城壁に近づき、弓兵・弩兵・投石兵の援護射撃を受けながら攻撃することである。
(略)こうしたはしごを使った攻撃を行うのはたいてい夜間で、城壁の中でも警備が手薄で、登攀が容易な部分が選ばれた。
  ――第Ⅱ章 攻囲 7 はしご攻め、力攻め、裏切り

 元男の子としては、どうしても派手な投石機とかに目が行っちゃうけど、現実には地味なはしごが最もよく使われたらしい。しかも目立たない夜に。こういう、絵にならない夜こそが本来の襲撃の舞台ってのは、「現代海賊事情」にもあったなあ。

 対して守る側の工夫としては、日本だと楠木正成の赤坂城の戦い(→Wikipedia)の熱湯攻めが思い浮かぶんだが…

城壁をよじ登ってくる敵兵に対して籠城側が投げつけた中世の飛び道具といえば、「煮たった油」が真っ先に連想されてきた。だが近年では、熱した油を敵の頭上にぶちまけるなどというのは、「防衛戦のカリカチュア(戯画)」にすぎないとされている。
(略)実際に使われたのは、固体の投擲物か火、さもなければ石灰を混ぜた水、あるいはもっと平凡なものとしては糞尿桶の中身などだった。
  ――第Ⅱ章 攻囲 8 防衛のリソース

 うん、確かに汚物をひっかけられるのは勘弁してほしいよね。そもそも物資を節約せにゃならん籠城戦で、油を熱する薪をどうやって調達するんだって疑問もあるし。その点、ヒトが出すモンなら捨てるほどあるんだから。

 現代じゃ籠城戦は滅多にないけど、逆に現代も同じだな、と感じるのは、戦いの時刻。

日没と日の出の瞬間こそが最も危険な時間帯である。
  ――第Ⅳ章 季節と時刻 3 日没から日の出まで

 特に、いわゆる「暁の襲撃」は定石で、明るくて戦いやすく、かつ敵の陣営が整っていないうちに叩いちまえってこと。もう一つ襲撃に相応しいのが食事時で、これを常套手段にしてるのがイスラエル空軍。第三次中東戦争じゃエジプト軍の空軍基地(→「第三次中東戦争全史」)を、バビロン作戦じゃイラクの原子炉(→「イラク原子炉攻撃!」)を、いずれも陣が崩れるメシ時を狙って空襲し、大きな戦果をあげている。

 物語じゃ何かと美化されてる中世の騎士たちだけど、描かれる悲惨さは現代の戦場より遥かに酷い。特に最も大きな被害を受けるのは、戦場となった地に住む民間人なのは現代のイラクやシリアと同じ。またコムーネ同士がにらみ合う当時のイタリア情勢は、応仁の乱から関ヶ原の戦いまでの日本を思わせる雰囲気で、あのころの日本の農民も同じような境遇だったんだろうなあ、と思ったり。

 歴史書としては、教科書や物語で主役を務める王や領主の勢力争いではなく、お話に出てこない末端の将兵や市井の人々が描かれるのが嬉しいところ。というか、本書を読むと、当時の権力者って要はヤクザだよね、と思ったり。また、随所を飾るバイユー・タペストリー(→Wikipedia)などの図版は、贅沢な雰囲気を醸し出していて、部屋に飾りたくなったり。

 と、一見とっつきにくそうな印象だけど、実は意外と読みやすく、かつ「物語や聞きかじったエピソードによる思い込み」を根こそぎひっくり返してくれて、本を読む楽しみがギッシリ詰まった本だった。軍ヲタや歴史ヲタ向けの本だけど、むしろそれらに疎い人こそ楽しめる本だろう。

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2021年2月 8日 (月)

高田博行「ヒトラー演説 熱狂の真実」中公新書

本書は、一方で言語面に、他方で演説の置かれた政治的・歴史的文脈にスポットライトを当てて、ヒトラー演説に迫ろうとするものである。
  ――プロローグ

ヨーゼフ・ゲッベルス「総統はまだ一度も、空爆を受けた都市を訪問していない」
  ――第六章 聴衆を失った演説 1939-45

(マイク&スピーカーやラジオや映画などの)新しいメディアを駆使したヒトラー演説は、政権獲得の一年半後にはすでに、国民に飽きられはじめていたのである。
  ――エピローグ

【どんな本?】

 ヒトラーは演説が上手く、聴衆を巧みに煽り、それがナチスの台頭につながった、と言われる。それは果たして事実なのか。彼の演説には、どの様な特徴があるのか。演説に際し、彼は何をどう工夫したのか。有名なミュンヘンのビアホールでの演説から、敗色濃い末期まで、彼の演説はどう変化したのか。それに対する聴衆の反応は、どう変わっていったのか。

 著者は、四半世紀にわたるヒトラーの演説から558回150万語をデータ化し、それを統計的に分析した。また、弁論術やレトリックからの考察や、発声法とゼスチャーの習得、そしてレコードやスピーカーなどテクノロジーの使い方など、アナログ的な方法論も取り入れている。そういった多方面からの視野により、主に演説に焦点をあてて、ヒトラーのメディア戦略を明らかにする、一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2014年6月25日発行。新書版縦一段組み本文約256頁に加え、あとがき3頁。9ポイント42字×17行×256頁=約182,784字、400字詰め原稿用紙で約457枚。文庫なら普通の厚さの一冊分。

 文章は比較的にこなれている。内容もわかりやすい。本書を読みこなすには、幾つか前提知識が要る。演説当時の社会情勢や弁論術の基本などだ。幸い、これらの基礎知識は、必要になった所でちゃんと説明があるため、素人でも充分についていける。というか、私は本書で弁論術の基本がわかった、というか、わかったつもりになった。

【構成は?】

 話は時系列順で進む。各章は比較的に独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。また、各賞の頭に1頁で章の概要をまとめてあるので、読み飛ばすか否かは章の頭の1頁で判断できる。

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  • プロローグ
  • 序章 遅れた国家統一
  • 第一章 ビアホールに響く演説 1919-24
  • 1 見出された弁舌の才
  • 2 「指導者」としいての語り
  • 3 「一揆」の清算演説
  • 第二章 待機する演説 1925-28
  • 1 禁止された演説
  • 2 演説の理論
  • 3 演説文の「完成」
  • 第三章 集票する演説 1928-32
  • 1 拡声される声
  • 2 空を飛ぶヒトラー
  • 第四章 国民を管理する演説 1928-32
  • 1 ラジオと銀幕に乗る演説
  • 2 総統演説の舞台
  • 第五章 外交する演説 1935-39
  • 1 領土拡大の演説
  • 2 戦時体制に備える演説
  • 第六章 聴衆を失った演説 1939-45
  • 1 同意されない演説
  • 2 機能停止した演説
  • エピローグ
  • あとがき/文献一覧/ヒトラー演説のドイツ語原文

【感想は?】

 舞台役者ヒトラーの栄光と挫折。

 なにせヒトラーの演説に賭ける情熱はすさまじい。まあ演説というよりプロパガンダ、もっと平たく言えば宣伝なんだけど。例えば政権奪取に挑んだ1932年の選挙だ。

ヒトラーは(1932年)7月15日から30日まで、三回目となる飛行機遊説で53か所を回り、200回近くの演説をこなした。
  ――第三章 集票する演説 1928-32

 スターを目指すロック・バンドでも、当時のヒトラーほど激しいライブ・ツアーをくぐり抜けるバンドは、まずいないだろう。確かビーチボーイズが「年300回のライブをこなした」と威張ってたが、たった2週間で200回となると、密度は桁違いだ。

 しかも、単純に同じことを繰り返してるんじゃない。かなりアドリブを利かしてる。

ヒトラーは、きちんとした読み上げ演説原稿を用意することはなかった。その代わりに、演説で扱うテーマについて、扱う順にキーワードもしくはキーセンテンスを書き留めたメモを作成した。
  ――第一章 ビアホールに響く演説 1919-24

 予め決めているのは、大雑把な話の流れと、盛り上げるポイントとなるキーワードだけ。後はその場の雰囲気を読みながら、アドリブで細かい所を詰めてったのだ。相当に頭の回転が速くないとできない芸当だ。

 逆に聴衆がいないスタジオじゃ意気が上がらなかったようで、1933年の最初のラジオ演説は「原稿を読み上げただけ」で、以降はライブの中継や収録を流すようになる。スタジオ盤はショボいけどライブは抜群って、ブレイク前の REO Speed Wagon かい。いやマジ Golden Country とか、スタジオ盤(→Youtube)はイマイチだけどライブ(→Youtube)は盛り上がるのよ。

 すまん、話がヨレた。こういった彼の芸当を、本書は様々な角度から分析していく。その一つは、今世紀ならではの手法、つまりコンピュータを使い単語の出現頻度を調べるのである。

筆者は、(略)ヒトラーが四半世紀に行った演説のうち合計558回の演説文を機械可読化して、総語数約150万語のデータを作成した。
  ――第二章 待機する演説 1925-28

 これで何がわかるか、というと、例えば…

ヒトラーはナチ運動期には「ひと」(man)、「あなた、君」(du, dir, dich)、「われわれ」(wir, uns)を特徴的に多く使用したこと、それに代わってナチ政権期にヒトラーは私(ich, mir, mich)を特徴的に多く使用したことがわかる。
  ――第五章 外交する演説 1935-39

 これから支持者を得てのし上がる時期には、「俺たち仲間だよな」と訴える「あなた」や「われわれ」が多い。対して政権を取ってからは、自分の指導力を示すために「私」が多くなる。

 また政権を取った1933年以降では名詞的文体が増えるのも特徴。これは動詞が名詞になった語を使う文で、「『作る』の代わりに『作成を行う』」とかの、書き言葉っぽい言い方だ。この効果は「荘厳な印象を与える」、要はそれまでの馬鹿っぽい言い方から頭よさげな言い方に変えたんですね。親しみやすさから威厳を持つ感じにした、みたいな。

 と、こういう、立場が変わったら話し方も変わったとか、言われてみりゃ当たり前だが、そこを数字で裏を取るのが学問なんだろう。

 もちろん、著者は統計的な手法だけでなく、内容や話の流れなどに踏み込んだ分析もしている。例えば初期の演説の特徴として…

ヒトラーは失望感の強い帰還兵たちに、誰が敵であるのかをうまく印象づけたのである。
  ――第一章 ビアホールに響く演説 1919-24

 なんて指摘もしてる。こういう手法は、ドナルド・トランプが巧みに使ってたし、日本でも差別主義者がよく使う。

 本書は論の組み立て方も見ていて、例えば「先取り方」だ。これは予想される異論を演説に取込み、それに反論する手口だ。そうすると、話の中身が論理的だと感じる。うん、今度やってみよう。やはりアレな人がよく使うのが対比法。「ガイジンはココがダメだけど日本人はココがいい」とかね。二つを比べ、コントラストを高める手口で、差別主義者はコレを効果的に使う。

 加えて声の使い方も本書は分析してる。先に挙げたように、政権を取る前のヒトラーは熱心にライブをこなした。これは喉に大きな負担がかかる。そこでヒトラーはオペラ歌手デヴリエントの指導を仰ぐ。これは秘密裏に行われ、表ざたになったのは1975年ってのも驚きだが、指導の内容も興味深い。

 喉に負担をかけない発声法はもちろん、声の高さも「出だしはできるだけ低い声で、そうすりゃクライマックスの高い声が際立つ」とか「感情を動かす語にはふさわしい響きを」など、声の使い方も教えている。また、身振りについても「目線は身内がいる前列じゃなく聴衆がいる後列に」や「姿勢はまっすぐ」など、演技の本を持ち出して指導してたり。つくづく「役者やのう」と感心してしまう。

 これらを当時の動画や録音で検証する第四章も、本書のクライマックスのひとつ。

 とまれ。実績はなくて当たり前で、国民を巧いことノせればよかった政権奪取前はともかく、実績が問われる政権奪取後となると…

公共の場で演説を行うことが少なくなっていったことで、ヒトラーと国民とのつながりが減り、溝が広がっていった。大きな演説は、1940年には9回、41年には7回、42年には5回しかなくなった。
  ――第六章 聴衆を失った演説 1939-45

 と、次第に国民の前に姿を現さなくなっていく。特に敗色濃い44年~45年になると壊滅で、まるきし「問題が起きると姿を消す」と言われた某首相だね。

 あくまでヒトラーの演説に焦点を絞った本書だが、同時にあらゆる政治家の演出の手口や、日頃の会話で使われるレトリックも学べるお得な本でもある。もっとも、レトリックについてはサワリだけで、詳しくは修辞学を学んでねって姿勢だが、そこは巻末の文献一覧が参考になる。焦点を絞ったからこそ、具体的な例が多くてイメージが伝わりやすく、素人にもとっつきやすい初心者に親切な本だ。

【我が闘争】

 「第二章 待機する演説 1925-28」では、「我が闘争」の引用を中心として、ヒトラーの宣伝戦略を語っている。これが一世紀前とは思えないほど生々しく、現代の日本でも選挙や政治宣伝では全く同じ手口が使われているので、ここに紹介する。

 まずは宣伝の基本、「誰を対象とするか」。

理念は「大衆の力なくして」実現することはできないと考え、大衆の支持を獲得する手段としてプロパガンダ活動を最重要視する。プロパガンダは「永久に大衆に対してのみ向けられるべき」であって、インテリはその対象とならない。
  ――第二章 待機する演説 1925-28

 賢い人は相手にするな、無学な者だけを対象としろ、というわけ。ドナルド・トランプがモロにこの戦略で大旋風を巻き起こしたんだよなあ。

「その作用は常に感情のほうに向けられるべきで、いわゆる分別に向けられることは大いに制限しておかねばならない。(略)その知的水準は、プロパガンダが向かう対象とする人々のなかでも最も頭の悪い者の知的水準に合わせるべきである」

 論理はどうでもいい、感情を動かせ、と。これまたドナルド・トランプの戦略そのもの。

「人を味方につけるには、書かれたことばよりも語られたことばのほうが役立ち、この世の偉大な運動はいずれも、偉大な書き手ではなく偉大な演説家のおかげで拡大する」

 たいていの人は文章を読むより、話を聞くほうを好むし、影響も聞いた時のほうが大きい、と。先の「論理より感情」の理屈で考えれば、確かに音声のほうが感情を動かしやすいし。音声に映像が加われば、更に影響力は増すんだろうなあ。かつてインターネットは文章だけだったけど、最近は音声や動画が増えてきたんで、更に感情の力が増してるはず。

「本能的な嫌悪、感情な憎悪、先入観にとらわれた拒絶という障壁を克服することは、学術的な意見の誤りを正すことよりも1000倍も困難である」

 差別や因習が、なかなか消えないのも、理屈じゃなくて感情に根ざしてるから、と考えると、スンナリ納得できちゃうのが怖い。

「朝、そしてまた日中には、人間の意志力は自分と異なった意思と見解を強制しようとする試みに対しこの上ないエネルギーで抵抗するように見える。他方、晩には、人間の意志力はより強い意志に支配されやすくなるのである」

 人間ってのは、朝や昼間より、夜のほうが流されやすく盛り上がりやすい。ブラック企業やカルトの合宿研修は、こういう人間の性質を利用してるんだろう。

生活上の重要問題を国民に忘れさせる目的で、政権が意義深く見えるような国家的行事を作り上げて、新聞で大々的に扱わせる。すると、「一か月前には全く誰も聞いたこともなかったような名前」が「何もないところから魔法のように作り出され」、知れ渡り、大衆はそれに大きな希望を寄せるようになるのである。

 「サッカーと独裁者」にもあった。アレな国じゃ、ヤバめで重要な法案は、スポーツ・イベントの開催中に通しちゃうとか。国民がサッカーに熱中し、政治から目を離したスキに、既成事実を作ってしまうのだ。それを考えると、東京オリンピックって…

 地元ドイツじゃ禁書扱いだったりとヤバい本の代表みたいな「我が闘争」だけど、実は民衆をナメきった自分の手口を赤裸々にぶっちゃけてもいて、ちょっとした大衆扇動の教科書というかペテン師の手口紹介というか。いやもちろん、思想的にヤバい部分もあるんだけど。

 当時のドイツじゃ爆発的に売れたけど、果たして買った人のうち何割がちゃんと読んだんだろうか。ちゃんと読んでいたら、「俺たちを馬鹿扱いしやがって」と怒ったり、演説も「どんなペテンの手を使うんだろう」と冷めた姿勢で聞いたはず。ホント、世のベストセラーも、そのうちどれだけがちゃんと読まれていることやら。

 ってな愚痴は置いといて。いずれにせよ、政治の話をする際は、演出や群集心理や感情操作の知識も必要だよね、と思うわけです、はい。

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2021年2月 1日 (月)

ルース・カッシンガー「藻類 生命進化と地球環境を支えてきた奇妙な生き物」築地書館 井上勲訳

本書は、惑星上で最も強力な生物である藻類が、善かれ悪しかれ、私たちの生活に及ぼしている影響、そして藻類が私たちの将来に果たし得る役割を理解する旅の物語である。
  ――プロローグ

【どんな本?】

 日本人にとって海藻はお馴染みだ。ワカメの味噌汁、昆布ダシ、そしてパリパリの海苔。だが不愉快な藻類もある。池や湖に生える藻はドロドロして気持ち悪いし、赤潮・青潮は沿岸の水産業を潰す。

 そもそも藻類とは何者か。いつごろ地球に発生したのか。どんな連中がいて、何を元に育ち、どうやって増えるのか。日本以外に藻を食べる文化はあるのか。そのレシピは。食用以外の使い道はあるのか。そして、生態系や地球環境に、藻類はどんな役割を果たしているのか。

 科学系ジャーナリストが、世界を飛び回り、人と藻の係わりの過去と現在の取り組み、そして未来の展望を描く、科学・産業ルポルタージュ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は SLIME : How Algae Created Us, and Just Might Save Us, by Ruth Kassinger, 2019。日本語版は2020年9月11日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約313頁に加え、「料理の幅を広げる海藻料理のレシピ」8頁+「訳者あとがきにかえて 地球進化と生物進化を再構築できる藻類研究の魅力」5頁。9ポイント46字×19行×313頁=約273,562字、400字詰め原稿用紙で約684枚。文庫ならやや厚い一冊分。

 文章は比較的にこなれていて親しみやすい。内容も特に難しくない。一部に「真核生物」などの生物学の用語が出てくるが、分からなくても大きな問題はないので読み飛ばそう。

 なお、訳の井上勲は力の入った藻類の解説書「藻類30億年の自然史」でもある。

【構成は?】

 各章は比較的に独立しているので、気になった所だけをつまみ食いしてもいい。全4部構成で、それぞれテーマが決まっている。

  • 第1部 地球史から見た藻の誕生と歴史
  • 第2部 藻を食べる
  • 第3部 藻の使い道、過去と現在
  • 第4部 藻と地球環境
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  • プロローグ
  • 第1部 藻類と生命誕生
  • 1章 池と金魚とアゾラ
    有機農法に効くアゾラ
  • 2章 酸素を放出! シアノバクテリア
    藻類がネバネバしている訳
  • 3章 原核生物の支配は続く
    微細藻類の誕生
  • 4章 藻類、上陸への第一歩
    乾燥と紫外線に強いシアジクモ藻類/陸上植物の先駆者、苔類
  • 5章 地衣類の登場
    土壌を作った地衣類
  • 6章 地衣類観察ツアー
    大気汚染の監視役
  • 第2部 海藻を食べる人々
  • 1章 脳の進化と海藻
    進化の鍵はヨウ素とDHA/人類が辿ったケルプ・ハイウェイ
  • 2章 日本の海苔を救ったイギリス女性藻類研究者
    日本人と海苔/海苔の成長の謎を解いたドリュー博士
  • 3章 韓国の海苔事情
    国家プロジェクトで海苔生産/活気にあふれる海苔産地
  • 4章 ウェールズ人も海苔が好き
    ラバー海苔の可能性
  • 5章 持続可能な海藻採取
    味噌汁の効用/昔からの海藻採集法/天然物へのこだわり
  • 6章 広まる大規模海苔養殖
    貝養殖から海藻養殖へ/養殖が天然ものを守る
  • 7章 子どもたちを救うスピルリナ
    拡大を続けるスピルリナビジネス
  • 第3部 高まる藻類の可能性
  • 1章 農家と海藻の深いつながり
    注目を集めるロックウィード/海藻抽出物の力/海藻とプレバイオティクス
  • 2章 微生物研究と藻類
    需要が高まる藻類コロイド/救世主、寒天誕生
  • 3章 イスラエルで海藻養殖
    陸上海藻養殖の未来/広がる魚の陸上養殖
  • 4章 藻類からランニング・シューズを作る
    ガラス製造とケルプ/藻類プラスチックができるまで/原料をさがし求めて/新たな生分解性プラスチック
  • 5章 夢の燃料、藻類オイル
    原油価格と藻類オイル開発/苦難が続く藻類オイル生産/世界初の屋外藻類農場/光合成をしない藻類の活用
  • 6章 魚とヒトの栄養食
    減少を続ける飼料用魚/天然魚を救う藻類/藻類関連企業の躍進
  • 7章 コストの壁に阻まれる藻類エタノール
    藻類エタノールを最初に思いついた男/遺伝子改変に成功/藻類エタノールの敗北
  • 8章 藻類燃料の未来
    オイル生産に最適な藻類を探せ/地球温暖化がもたらす巨額の損失/電気自動車の弱点
  • 第4部 藻類をとりまく深刻な事態
  • 1章 サンゴの危機
    美しいサンゴ礁の風景/サンゴと褐虫藻の共生関係/海水温上昇と窒素の流入
  • 2章 サンゴ礁を守る人々
    サンゴの移植作業体験/サンゴが生き残る条件/サンゴ礁は待ってくれない
  • 3章 有毒化する藻類
    藻類ブルームの大規模発生/「死の海域」の出現
  • 4章 藻類による浄化
    芝生状藻類の活用/人口湿地の限界/浄化までの長く険しい道のり
  • 5章 暴走を始めた藻類
    大発生が止まらない
  • 6章 気候変動を食い止められるか
    鉄散布の是非
  • エピローグ
  • 謝辞
  • 料理の幅を広げる海藻料理のレシピ
  • 参考文献
  • 索引
  • 訳者あとがきにかえて 地球進化と生物進化を再構築できる藻類研究の魅力

【感想は?】

 テーマの一部は「藻類30億年の自然史」とカブる。特に本書の第1部は「藻類30億年の自然史」の短縮版と言っていい。

 「藻類30億年の自然史」は専門の研究者が書いた本だが、本種はジャーナリストの作品だ。それだけに、力を入れる所はだいぶ違う。第1部の主役は科学だが、第2部は地理と歴史、第3部は産業、そして第4部は環境問題が中心となる。私は第3部で起業家を訪ねる所が最も面白かった。

 皆さんご存知のように、日本の食卓には海藻が欠かせない。ここでは豊作と不作の波に悩まされたポルフィラ(海苔)の養殖と、その生態の解明にまつわる挿話も楽しい。映画「この世界の片隅に」で、すずさんの実家は海苔を作ってたが、この説の通りなら、戦後もしばらくは不作に悩まされただろう。それはさておき、おかげで日本人の体質まで変えてしまった、というのも驚きだ。

ポルフィラは長年にわたって日本の食生活の重要な部分を占めてきたために、日本人の生物学的特性が大きく変わった。日本人が持っている特定の腸内細菌が、海藻の堅い細胞壁を壊す酵素(ポルフィラナーゼ)を合成する遺伝子を持っており、海藻をよりうまく消化することができる。
  ――第2部 海藻を食べる人々 2章 日本の海苔を救ったイギリス女性藻類研究者

 私たちの腸は海苔やワカメやヒジキに適応したのだ。なんとまあ。もちろん、肉体だけでなく、文化的にも適応してたんだなあ、と思ったのが、この一節。

見た目が海藻そのままのものを、(アメリカ人に)実際に食べてもらうのは難しかった。
  ――第2部 海藻を食べる人々 6章 広まる大規模海苔養殖

 私は味噌汁のなかで泳ぐワカメを見ればヨダレが出てくる。でも、あーゆー「モロに海藻」な姿は、欧米人には嬉しくないらしい。なんとも勿体ない話だ。海苔を巻いた寿司は食べるのにね。いずれにせよ、乾燥ワカメなどの原型を保った食品はあまり売れない。そのため、食品として売り出す企業は、細切れにしたり粉にしたりと、製品化するには加工した製品ばかり。

 ただし、食用以外なら、海藻と関わりが深いのは、日本人だけじゃない。昔はガラスを作るのに海藻を焼いた灰を使った。アイルランドの農民は、もっと凄い。

アイルランドの西海岸沖にある石灰岩でできたアラン諸島では、何世紀にもわたって、住民が海岸から大量の海藻と砂を採取して、それを散布する事で、それまで何もなかったところに農場を作り上げた。
  ――第3部 高まる藻類の可能性 1章 農家と海藻の深いつながり

 農地の開拓は土づくりから、なんて言われるけど、彼らは本当に土から作ったのだ。ちなみにアラン諸島とは、一時期フィッシャーマン・セーターが話題になった所(→Wikipedia)で、アイルランド共和国(南アイルランド)の西にある。

 水産業では、合衆国北東部のメイン州でケルプ(昆布)養殖事業を立ち上げたトレフ・オルソンの背景も波瀾万丈だ。

 メイン州ではロブスター漁が盛んだが、厄介者がいた。ロブスターの餌を横取りし、罠を詰まらせ、住処となるケルプを食い荒らす。憎き奴の名は…ウニ。そう、我ら日本人の大好物だ。1980年代、日本の輸入業者がこれに目をつける。冬に漁ができないロブスター漁師にはいい稼ぎとなり、1993年に漁獲量18000トンに達する…が、乱獲が祟り、2016年には680トンに落ちる。

 トルフ氏はこれに懲り、乱獲の心配のない養殖事業を立ち上げたのだ。「ばくち草」とまで呼ばれた江戸時代の海苔といい、水産業は浮き沈みが激しいビジネスなんだなあ。

 海苔同様、寒天の物語も縁と偶然の物語だ。1658年(万治元年、徳川家綱の時代)の冬、宿屋の美濃屋太郎左衛門が晩飯の海藻汁を外に捨てる。次の朝、汁は桃色のゼリーになっていた。宿の主人は考える。「これ、料理に使えるんじゃね?」寒天の誕生である。ああ、みつ豆が食べたい。

 時は流れ1870年代。ロベルト・コッホは悩む。炭疽菌が牛の炭疽病の原因だ、と証明したい。それには炭疽菌を純粋培養せにゃならん。雑菌が入っちゃマズい。相応しい培養地はないか。最初に成功したのは牛の目の後ろから抽出した液だ。だが、こんなモン、安定して量を確保するのは難しい。ゼラチンを試すが、35℃で溶けてしまう。哺乳類の体温で溶けるんじゃ培養できねーじゃん。

 そこに幸運の女神が現れる。同僚ヴァルター・ヘッセの妻ファニーだ。ファニーは思い出す。東アジアに住む友人から教わった、寒天を使ったジャムやゼリーのレシピを。寒天は60℃まで溶けない。これ、いけるんじゃね? やってみたら、そりゃもう、バッチリ。お陰でコッホは炭疽菌・結核菌・コレラ菌の培養に成功する。近代細菌学の誕生だ。

 もちろん、21世紀の今日でも寒天は微生物培養じゃ必需品だ。美濃屋太郎左衛門さんも、捨てた汁が労咳を治す役に立つとは思いもよらなかっただろう。世の中、何が何の役に立つのか、わからんもんです。

 現代のビジネスでは、アルジックス社の逸話が、いかにも21世紀で印象的だ。アルジックス社は藻の死骸からプラスチックを作り、サーフボードやスポーツシューズ用の酢酸ビニルをアディダス社などに納めている。

 技術は完成したものの、製造ラインに乗せるには問題があった。企業としてやっていくなら、原料の藻を安く大量に安定して調達せにゃならん。でも自社で養殖するには資金が足りない。そこで彼らはどうしたか。

 グーグルアースを使ったのだ。目当ては藻の緑で覆われた水域。

 見つけたのは、ミシシッピ州とアラバマ州のナマズ養殖場。ここではナマズの餌に魚粉を与えるが、食い残しが藻になる。藻は邪魔で、養殖場は処分に困っていた。そんな藻を買い取ると持ち掛けたから、養殖場は大喜び。

 Google は何かと便利だけど、資源探索にも使えるんだなあ。他にも Google のお陰で起こせた事業は沢山ありそう。優れた情報技術は、経済も活性化するんですね。

 なお、酢酸ビニルはプラスチックの一種。プラスチックって、石油から作るんだとばかり思っていたが…

プラスチック自体は有機物で、炭素系のポリマー(重合体のこと)である。つまり、プラスチックの種類によるが、酸素、窒素、または他のいくつかの元素と結びついた炭素を長い鎖なのである。
  ――第3部 高まる藻類の可能性 3章 イスラエルで海藻養殖

 その石油の起源、無機成因説もあるが、本書は生物すなわち古代の藻が原料だって立場だ。天然だと 藻→石油→プラスチック だったのを、アルジックス社は 藻→プラスチック と短縮したんだ、と説明してる。

 第3部では、他にも藻に燃料油を作らせようと研究する企業が幾つか出てくるが、いずれも2つの点が共通してる。一つは大胆に遺伝子改変技術を使ってること、もう一つは価格の点で石油に太刀打ちできないこと。原油高だと勝負できるそうで、けっこういいセン行ってると思う。少なくとも桁は揃った。ただ、実際に生き延びてる企業は、化粧品やサプリメントなど、桁違いに単価が高い用途で食ってるのが現状。

 もちろん、藻類もいいことばかりじゃない。代表的なのがスーパーブルーム(赤潮などの藻の大発生)。これで魚などが酸欠になるとは聞いていたが、メカニズムは私が思ってたのより複雑だった。

スーパーブルームは最悪の問題ではない。最悪の事態は、ブルーム発生の後に起こる、死んだ藻類を餌にして好気性の細菌が思うがままに増殖することである。最悪の環境破壊は、細菌が海中の溶解酸素を消費するために起こる。
  ――第4部 藻類をとりまく深刻な事態 3章 有毒化する藻類

 問題は、赤潮の後なのですね。いずれにせよ、原因はリンや窒素などの富栄養化と地球の温暖化で、これの解決に藻を使う例も第4部に出てくる。その地球温暖化では、なかなか大胆な発想をする人もいる。

モスランディング海洋研究所所長ジョン・マーチイン博士「タンカー一杯分の鉄があれば地球を氷河期に戻せる」
  ――第4部 藻類をとりまく深刻な事態 6章 気候変動を食い止められるか

 どういう事か。実は、南氷洋には藻類が異様に少ない。この原因は、鉄分が足りないため。そこで鉄をバラ撒いて南氷洋を藻で満たせば、藻が増えて二酸化炭素を食いまくり、地球は寒冷化する、そういう理屈です。幾つか実験もしていて、ソレナリに手ごたえはあるものの、生態系などへの影響も考えると、慎重に考えた方がいいよね、ってのが著者の立場。

 SF者としては「金星の大気に藻を撒いてテラフォーム」なんてネタを思い浮かべるけど、それを本職の科学者が考えているとは。是非はともかく、こういう壮大なアイデアはワクワクしてしまう。

 インパクトのある表紙に釣られて、ついフラフラと書棚に手を出してしまった本だが、中身は藻そのものより「藻とヒトとの関わり」が中心で、特に起業家の話が多い第3部は資金調達の生々しさと「いま、そこにあるセンス・オブ・ワンダー」が共存する、なかなかにエキサイティングな章だった。バイオ技術とビジネスに興味がある人には、強くお勧めする。

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