ジョン・ヴァーリイ「汝、コンピューターの夢 <八世界>全短編」創元SF文庫 大野万紀訳
母は両足を脱ぎ捨てて、代わりに遊泳足をつけていた。
――ピクニック・オン・ニアサイド「一番難しいのは、息をしないよう体を慣らすことだ」
――逆行の夏ステーションでの一年間で、心が20秒間のタイムラグをたやすく編集し、消し去ってくれる域にまで達していた。
――ブラックホール通過「なぜって、あなたがわたしを養子にしてくれるんだから」
――鉢の底「ええ、別々に三回亡くなられました」
――カンザスの幽霊汝の理解し得ざることがらを
引っかきまわすことなかれ
――汝、コンピューターの夢「誰も、あなたたちリンガーにはかなわない」
――歌えや踊れ
【どんな本?】
70年代にデビューし、斬新な作風で大人気を博したアメリカのSF作家ジョン・ヴァーリイ John Varley による、<八世界>シリーズに属する作品を集め、発表順に並べた短編集。
異星人の侵略により、人類は地球から叩き出される。そして数百年が過ぎたころ、人類は太陽系の外縁をかすめる通信ビームを発見する。発信元はへびつかい座。へびつかい座ホットラインと名づけられたビームは、大量の無意味と思われる信号に紛れ、優れた科学技術の情報も含んでいた。
ごの技術を利用し、人類は太陽系の<八世界>へと進出する。植民先は水星,金星,月,火星,土星の衛星タイタン,天王星の衛星オベロン,海王星の衛星トリトン,そして冥王星。それぞれの環境に合わせ、大胆に人体を改造した人類は、社会制度も変えていった。
当時の最新の科学知識を駆使しつつ、家族や恋人や友人などの親しい者同士の関係を通し、大きく変異した人類の生き方を描く、70年代を代表する傑作SF短編集。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2015年10月16日初版。文庫で縦一段組み本文約350頁に加え、山岸真の解説9頁。8ポイント42字×18行×350頁=約264,600字、400字詰め原稿用紙で約662枚。文庫では少し厚め。
文章はこなれている。ただし、SFとしてはかなり科学的に濃い。例えば「逆行の夏」。かつて水星は公転周期と自転周期が同じだと思われていた。地球に対する月と同じ関係だ。だが、実は太陽に対しわずかに自転している(→Wikipedia)。そのため、水星の地上から見ると、特定の時期に太陽は逆行する。この事象を作中では説明しない。読者は知っているものとして物語が進む。
今思うと、この作品、たぶんラリイ・ニーヴンの「いちばん寒い場所」のオマージュだろうなあ。
そんな風に、背景には相当に突っ込んだ科学設定があるのだが、敢えて説明はせず、読者の知識に委ねる芸風なのだ。
【収録作は?】
それぞれ 作品名 / 原題 / 初出。
- ピクニック・オン・ニアサイド / Picnic on Nearside / F&SF1974年8月号
- 地球が占領されてから214年。月に住むフォックスは12歳の男の子。母親のカーニバルから<変身>の許可が下りずムクれていた所に、親友のハロウが訪ねてきた…グラマラスな美女になって。パニクったフォックスは、ハロウと共にプチ家出を企てる。目的地はオールド・アルキメデス、ニアサイド(月の地球側)にあった町だ。
- 「ぼくが12で、カーニバルが96」とか「母は両足を脱ぎ捨て」などで、細かい背景の説明を省き、技術の進歩と肉体改造の普及をサラリと伝えてしまうあたりが、当時はやたら新鮮だった。親友が女になるなど、性別が選べるのも斬新。フェミニストを自任する人に感想を聞きたい。ニアサイドで出会った変わり者レスターを鏡として、大きく変貌した人類の倫理や社会制度を映し出し、また地球を奪われた人類の悲しみも滲ませる描き方は見事だ。
- 逆行の夏 / Retrograde Summer / F&SF1975年2月号
- 月から来るクローンの姉ジュビランドを迎えるため、ティモシーは水星の宇宙港へ行く。水星には太陽の大きな潮汐力が働く。そのため月と違い地震が多い。慣れないジュビランドは地震に怯える。水星じゃ<服>が必須だ。力場で体を包み、体に酸素を供給し、温度を調整する。今は逆行の夏。水銀洞が楽しい季節だ。
- 水星に地震があるか否か、軽く検索したが、今でもよくわかってないようだ。地震が多発する水星と、小規模な地震しかない月の、安全に対する考え方の違いが面白い。現実の宇宙計画でも、アメリカは二重三重の防護措置を取るのに対し、ロシアは現場で治せるように作り工具と部品を積み込むそうだ。<服>も水銀洞も、鏡面のような銀色で、風景は懐かしい未来っぽい。その水銀洞の顛末で、ジョン・ヴァーリーらしいほのかな喪失感が漂ってくる。
- ブラックホール通過 / The Black Hole Passes / F&SF1975年6月号
- 太陽から130憶km、カイパーベルトの更に外側。へびつかい座からの通信ビームを受け取るには、ここが最適だ。通信の大半はクズだが、わずかにお宝が混じっている。ジョーダンの仕事は、ここのステーションでお宝をより分けること。1日3時間労働の楽な仕事だ。お隣が5憶km離れているのと、やたら暇なのを除けば。そのお隣のトリーモニシャと喧嘩しちまったジョーダンは…
- シリーズの中核を成す、へびつかい座ホットラインに関わる作品。ある種の人には極めて快適な暮らしなんだが、生憎ジョーダンはそうじゃなかった。軍も兵に暇を与えず、常に仕事を与えるとか。普通の人は退屈と孤独に弱いらしい。未来のテレフォンセックスが楽しい作品w え?電子メール?それは言わないお約束。
- 鉢の底 / In the Bowl / F&SF1975年12月号
- 火星住まいのキクは、休暇で金星に来た。目的は爆発宝石。金星の砂漠で稀に見つかるお宝だ。ところが目の調子が悪くなり、辺境で立ち往生する。幸いヤミ医者のエンバーを見つけた。見た目は10~11歳の小娘。おまけに爆発宝石探索のガイドまで頼る羽目になる。ただしガイド料は意外なもので…
- 昔のSFじゃ金星は高温多湿で濃い緑に覆われたジャングルで、美女と荒くれ者と怪物がウヨウヨいる暴力と快楽の星だった。でも実際の観測結果は二酸化炭素の大気に満ちた、高温高圧の灼熱地獄。このギャップを茶化す冒頭に苦笑い。高温高圧の大気が引き起こす幻覚と地形変化や、ぶ厚い雲に覆われた金星に住む人々の習慣が異郷を感じさせる。やはり高圧だからこその移動手段も私の好みにピッタリ。
- カンザスの幽霊 / The Phantom of Kansas / ギャラクシイ1976年2月号
- 二年半、フォックスは死んでいた。殺されたのだ。しかも、三回も。ここ30年ほどは環境芸術家だった。ディズニーランドで天候機を扱ううちに着想を得て、創った作品も認められ人気を博した。自分が創った覚えのない作品が傑作と呼ばれるのは妙な気分だ。月では売り買いのたびに遺伝子分析され、それをセントラル・コンピュータが調べる。殺しても相手はすぐ蘇るし、逃げ切るのも難しい。いったい誰が何のためにフォックスを殺したのか。
- なんとフォックスは環境芸術家になっていた。ついでに女になってるけど、カーニバルともうまくやってるらしい。機動戦士ガンダムでホワイトベースが地球の雲を突っ切った時、宇宙育ちのフラウ・ボウたちが雷を兵器と間違えた場面があった。天候のない人口環境の月で生まれ育った人には、嵐やスコールも一種の芸術なんだろう。いや地球生まれだって鳴門の渦潮や蔵王の樹氷を目当てに旅する人も多いし。私はオーロラが見たいなあ。
- 汝、コンピューターの夢 / Overdrawn at the Memory Bank / ギャラクシイ1976年5月号
- フィンガルがケニヤ・ディズニーでライオンになる日は、生憎と児童学習日だった。メスのライオンになってアンテロープを狩り、野生の本性に身を委ねて休暇を過ごしたあと、問題が起きた。見学に来たクソガキのイタズラのせいで、コンピューターの仮想世界に閉じ込められてしまったのだ。ここで正気を保つにはコツがあって…
- 先の「カンザスの幽霊」に続き、舞台は月のディズニーランド。フィンガルが閉じ込められたのは、今でいう仮想世界だ。ただし、建物などの背景や登場人物などの世界を構築するのは、プログラムでもシステム管理者でもなく、フィンガル自身ってのが独特なところ。だもんで、彼が正気なら世界も正常なんだが、ヤケになって好き勝手やりはじめると…
- 歌えや踊れ / Gotta sing, Gotta Dance / ギャラクシイ1976年7月号
- バーナム&ベイリーは人間と植物の共生体だ。日頃は土星のリング付近に漂い、自給自足で満ち足りた暮らしをしているが、今日は土星の衛星ヤヌスに来た。目的は音楽を売ること。とはいても、彼らは楽譜の読み書きはできない。そこでシンセサイザーを借り、音色から作り始める。
- 世にも珍しい音楽SF。カルロス・サンタナは楽譜が読めない。ジミ・ヘンドリックスも読めなかったらしい。ボブ・マーリーに至っては、ギターの調弦すらできなかった。それでも優れた音楽は創れるのだ。ガジェットではシナプチコンが面白かった。無重力用全身シンセサイザーとでも言うか。
ジョン・ヴァーリイの特徴の一つは、惜しみなくつぎ込まれたSFガジェットの数々だろう。加えてヴァ―リイならではなのが、70年代風の味わいだ。
狂乱の60年代を過ぎた70年代は、失望と内向の時代だった。荒れ狂った若者たちも、職に就いて家庭を持ち、落ち着いてゆく。そのためか、この作品集にも喪失感や成長に伴う痛みが漂う。
「ピクニック・オン・ニアサイド」では、喪った地球を眺める。「逆行の夏」は、子ども時代の象徴が壊れる。「鉢の底」でも、お宝の夢が消えてゆく。ただ、いずれも、失うだけではなく、それを受け入れることで、新しい人生が始まる物語でもあるのが、ヴァーリイらしいところ。
語り手がヒーローでも権力者でもなく、普通の人々なのも独特な点だろう。ありがちな人びとの暮らしを通して、いやだからこそ、大きく変わったテクノロジーと社会が際立って見えてくる。
驚異的なガジェットを使いながらも、あまり得意げに説明しない一見不親切な語り口も、近年のSFに受け継がれている。半世紀も昔の作品なのに、今でも輝きを失わない、稀有なSF作品集だ。
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