ダニエル・C・デネット「心の進化を解明する バクテリアからバッハへ」青土社 木島泰三訳
本書の内容は、私たちの心がいかに存在するに至ったか、私たちの脳がその驚異のわざを生み出すのはいかにしてか、それにとりわけ、心と脳について、暗に潜む哲学的罠の数々に引っかからずに考えるにはどうすべきか、といった問題に関する、今のところ最善の科学的説明の素描であり、またその根幹となるものである
――はじめに私たちの中には「正当化しやすい決断を好むが、必ずしも優れた決断を好むわけではない」ような才能が根を下ろしているのである。
――第10章 ミームの目からの視点…発見は勝ち誇って説明するが、コストの大きな誤りや見当ちがいの探索は見過ごしてしまうものなのだ。
――第13章 文化進化の進化
【どんな本?】
ヒトには心がある。その心は、どのように生まれたのか。心を持つには、どんな条件が必要だったのか。なぜヒト以外の種は心を得なかったのか。精巧な巣をつくるシロアリは、どうヒトと違うのか。そして、現在、凄まじい勢いで発達しつつあるAIは、心を持ちうるのだろうか。
ダーウィン的な進化論および人間機械論の立場に立ち、神秘的な魂などの仮定を用いずに、ヒトが心を獲得した過程を明らかにし、またAIと共生する将来を想い描く、一般向けの哲学書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は From Bacteria to Bach and Back : The Evolution of Minds, by Daniel C. Dennett, 2017。日本語版は2018年7月18日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約600頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント47字×19行×600頁=約535,800字、400字詰め原稿用紙で約1,340枚。文庫なら上下巻~上中下巻ぐらいの大容量。
文章はやや硬い。何せ青土社の本だし、読む人は覚悟してるだろうなあ。でも、もう少し親しみやすさにも配慮してほしい。「ないわけじゃない」等の二重否定を減らすとか、長い文は幾つかに分けるとか。
内容は、やはり面倒くさい理屈が多い。言ってる中身そのものが難しいのもある。それに加え、著者の癖が少なくとも二つある。一つはクドいこと、もう一つは例えとしてコンピュータをやたら引き合いに出すこと。詳しくは後で述べる。
【構成は?】
原則として前の章を踏まえて次の章が展開するので、素直に頭から読もう。ただ、後で述べる理由で、11章は飛ばしてもいい。また、気が短い人は、「第15章 ポスト知的デザインの時代」の「旅を終え、帰還へ」だけ読もう。たったの6頁で済みます。
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- はじめに
- 第1部 私たちの世界をさかさまにする
- 第1章 序論
- ジャングルへようこそ
- この旅の鳥観図
- デカルトの傷
- デカルトの重力
- 第2章 バクテリアとバッハの前に
- なぜバッハか?
- 前生物的世界の探求とチェスの類似点
- 第3章 理由の起源
- 目的論は死んだのか、復活したのか?
- 「なぜ」の様々な意味
- 「なぜ?」の進化 「いかに生じるか?」から「何のために?」へ
- 前進し数を増やせ
- 第4章 二つの奇妙な推理の逆転
- ダーウィンとチューリングはいかに呪縛を解いたか
- 存在論と外見的イメージ
- エレベーターを自動化する
- オークリッジとGOFAIの知的デザイナーたち
- 第5章 理解の進化
- アフォーダンスに向けてデザインされたものとしての動物
- 志向システムとしての高等動物 理解力の創発
- 理解力は斬新的に発展する
- 第2部 進化から知的デザインへ
- 第6章 情報とは何か?
- 情報時代へようこそ
- 私たちは意味論的情報をどのように特徴づけられるだろうか?
- 企業秘密、特許、著作権、そしてバードのビバップへの影響
- 第7章 ダーウィン空間 幕間として
- 進化について考える新しい道具
- 文化進化 ダーウィン空間を逆転させる
- 第8章 多くの脳から作られている脳
- トップダウン式のコンピューターとボトムアップ式の脳
- 脳の中の競争と同盟
- ニューロン・ラバ・シロアリ
- 脳はいかにしてアフォーダンスを選び出すか?
- 野生化したニューロン?
- 第9章 文化進化における語の役割
- 語の進化
- 語に関するさらに詳しい考察
- 語はいかにして自己複製〔増殖〕するか?
- 第10章 ミームの目からの視点
- 語とその他のミーム
- ミーム概念の利点
- 第11章 ミーム概念の難点 反論と答弁
- ミームなど存在しない!
- ミームは「離散的」かつ「信頼性のある仕方で伝達される」ものだと述べられているが、文化的変化の多くはそのいずれにも当てはまらない
- ミームは遺伝子とは違い、遺伝子座をめぐって競合する対立遺伝子をもたない
- ミームは、私たちが文化についてすでに知っていることに何も付け足さない
- ミーム科学と称する者が予測力をもつことはない
- ミームが文化の様々な特徴を説明することはできないが、伝統的社会科学にはそれができる
- 文化進化はラマルク主義的進化である
- 第12章 言語の諸起源
- 「ニワトリが先か、卵が先か」問題
- 人間の言語へ至る、複数の曲がりくねった道
- 第13章 文化進化の進化
- ダーウィン流の出発点
- 人間のコミュニケーションにおける浮遊理由
- 思考のための道具を用いる
- 知的デザインの時代
- ピンカー、ワイルド、エジソン、フランケンシュタイン
- 知的デザインのランドマークとしてのバッハ
- 人間文化に対して〔自然〕選択を及ぼす環境の進化
- 第3部 私たちの精神を裏返す
- 第14章 進化したユーザーイリュージョン
- 開かれた心で心に向き合う
- 人間の脳が「局所的」有用性を用いて「大局的な」理解を達成するのはいかにしてか?
- 私たちの外見的イメージはいかにして私たちにとっての外見となるのか?
- 私たちはなぜ物事をこのように経験しているのか?
- ヒュームの奇妙な推理の逆転
- 志向的対象としての赤い縞
- <デカルトの重力>の正体と、それが根強い理由
- 第15章 ポスト知的デザインの時代
- 私たちの理解力の限界はいかなるものか?
- 「ママ見て、ひとりでできたよ!」
- 知的行為者の構造
- この先私たちに何が生じるか
- 旅を終え、帰還へ
- 付録 本書の背景/訳者あとがき/文献表/索引
【感想は?】
結局、私もよくわかってない。ただ、著者の意気込みはわかる。
テーマはルネ・デカルト(→Wikipedia)の二元論への挑戦だ。
デカルトはヒトを身体と心に分けた。じゃ心はどこから来たのか、というと、そこはムニャムニャ。対して著者は、身体で全てを説明しようとする。まあ、身体というより、脳なんだけど。
ただ、あまり脳の医学的な部分には立ち入らない。それより、機能に注目する。いかにして様々な機能を獲得したのか。その機能とは、どんなモノか。
ここで議論の中心軸をなすのは、ダーウィンの進化論だ。それも適者生存と突然変異の、素朴な理解で充分。まあATCGとか出てくるけど、あんまし気にしなくていいです。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる式に、遺伝と突然変異が組み合わさり、当たった弾の末裔が私たちヒトであり他の生物である、そんな感じ。
ここは、けっこうエキサイティング。私は機能としたが、著者は有能性と言っている。つまりは生き残り子孫を残すのに役立つ能力だ。
ダーウィンとチューリングは共に、人間の心について真に心休まらぬものを発見したのである――すなわち理解力なき有能性という発見を。
――第4章 二つの奇妙な推理の逆転
例えばシロアリは見事なコロニーを作るが、考えて設計してるワケじゃない。Google翻訳はそこそこ使えるが、単語や文の意味はわかってない。そんな具合に、ヒトの脳も、わかっちゃいないが役に立つ、一見したら知的に見える有能性を幾つか獲得してきた。この獲得の過程も、「脳細胞同士の競争の結果だろう」ってのは、なかなかに面白い仮説だ。
脳は、知的にデザインされた共同組合や軍隊よりも、シロアリのコロニーによく似ているのである。
――第8章 多くの脳から作られている脳
実際、それを支持する現象もある。ヒトは、意外な事柄に驚き、強く記憶する。例えばジェット機がビルに突っ込むとかだ。ジェット機を見たら、上空を飛び去るだろうと予想する。その予想が外れると驚く。ヒトの脳は常に予測していて、当たれば何もしないが、外れると思考回路を調整するのだ。
脳は絶え間なく「先取りモデル」ないし確率論的な予測を創り出し、得られた情報を――必要に応じて――正確さを高めるための情報の刈り込みに利用する
――第8章 多くの脳から作られている脳
そうやって、生存競争の過程で幾つもの有能性をヒトは獲得した。その一つが「語」だ。
私たち人間は他の動物と同じく、必要な研究開発の見返りとして得られる目的を達成すべく、秀逸きわまる仕方でデザインされたさまざまなシステムの、無自覚な受益者なのであり、これは理解力をほとんど、あるいはまったく要せずに進化した有能性のまた別の事例である。
――第12章 言語の諸起源
正直、このあたり、つまり「どのように語を獲得したか」は、よく分からなかった。が、語が便利極まりないことは、よくわかる。
語というものが、単なる状況に結びつけられた音声ではなく、私たちのおなじみの道具になってしまうと、私たちは語を用いて、自分たちが遭遇するあらゆるものについての新たな視座を創り出すようになるのだ。
――第15章 ポスト知的デザインの時代
集団で狩りをするにしても、一部の者を伏兵として潜ませるとか、勢子が獲物を追い詰めるとかの手口は、相当なコミュニケーション能力が必要だろう。
ただ、そうやって獲得した「心」を、いざ分析しようとすると、案外と私たちの「心」は役に立たない。ここでも、内省を重んじたパスカルに異議を申し立てている。
私たちの思考に対する私たちのアクセス、またとりわけ、思考のサブパーソナルな部分での因果作用や動態に対する私たちのアクセスは、実のところ消化作用に対する私たちのアクセスと大差ないものである。
――第14章 進化したユーザーイリュージョン
「ヒトは内省だけじゃ自分の消化器官の事がわからないように、思考の事もわかんないんだよ」というわけ。まあ、わからないからこそ、心理学や行動経済学があるわけだし。
とはいえ、わからんからといって、機械に任せすぎると、ソレはソレでヤバかったりする。今だって Twitter じゃBOT が暴れまわってるし。ソコには何らかの規制が必要だよねってのは、多くの人が同意すると思う。
私たちは気づいてみるといつのまにか、自分たちが間接的に作り出した存在物を自分たちが部分的にしか理解しておらず、しかもそれらの存在物が、今度は自分たちにはまったく理解できない存在を創り出すことがありうる、という状態に至っていた。
――第15章 ポスト知的デザインの時代
以上、よくわからないなりに、本書を紹介してみた。
なお、本論とは関係ないいが、逸話で「なるほど」と思ったのが、麺。極東から東南アジアまで、麺の文化は豊かに実っている。けどインドでプッツリ途絶えペルシャ・アラブ・バルカンの不毛地帯を経て、なぜかイタリアでひょこり顔を出すのだ。不思議に思っていたが、マルコ・ポーロが持ち帰ったって説があるとか。今調べたら、Wikipedia のマルコ・ポーロの項にも書いてあった。でもパスタの項を見ると紀元前四世紀の道具がローマで出土してる。うーん、結局わからん。
【著者の癖】
さて、先に述べたように、著者には悪い癖が少なくとも二つあって、これが取っつきやすさを損ねている。クドさとコンピュータへの偏愛だ。
クドさの原因は、予想される異論に対し丁寧に反論していること。これは「解明される宗教」でもそうだったんで、著者はそういう人なんだろう。
本書だと11章が目立つ例だ。章一つを丸ごと使って、「ミーム」への異論を取り上げ、それにいちいち答えている。確かに姿勢としては姿勢だ。また、「現代の哲学じゃそういうのが流行ってるのか」と哲学全体を見渡せるのはいい。が、正直まだるっこしくて、「さっさと論を先に進めろ」と言いたくなる。
もう一つは、やたらコンピュータの例えを使いたがること。これ、きっと著者の好みのせいだ。世間じゃコンピュータやスマートフォンの動作原理を分かってる人なんか滅多にいない。そもそもプログラミングで飯食ってる者でも、機械語を使える者は1%未満だろう。だもんで、ソースプログラムとコメントと実行コードの例は、ごく一部の者にしか通じない例えになっちゃってる。
一般向けとしては、自動車の運転席の方が伝わりやすい。例えば電気式燃料計。
あれ、燃料の容量そのものを表してるんじゃない。ガソリンタンク内に「浮き」があり、浮きは可変抵抗に連動してる。で、可変抵抗の電気抵抗を測り、その値を換算して燃料計に示している。にも関わらず、ドライバーは燃料計から残りの燃料を読み取るし、たいていはソレでうまくいく。もちろん、燃料計の針をイジっても、燃料は増えない。
長々と書いたが、要は「ナニかを示す表象であって、ナニかそのものではない」、そんな例です。
そういう点では、機動戦士ガンダムの「たかがメインカメラをやられただけだ!」は、見事な演出だったなあ。見てる人が「頭」だと思い込んでたのを、「たかがメインカメラ」と冷水を浴びせた。いやどうでもいい話だけど。
また、プラットフォーム(OS)を選ばない例として、JAVA アプレットを出してたけど、それよか Microsoft Excel のマクロか JavaScript の方が伝わりやすいよね。もっとも、最近のスマートフォン・ユーザだと、JavaScript すら意識してないもかもしれない。
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