ピーター・ゴドフリー=スミス「タコの心身問題 頭足類から考える意識の起源」みすず書房 夏目大訳
感覚、知性、意識というものが、果たして物質からどのようにして生じたのか。大きすぎるテーマかもしれないが、本書ではそれを考えていく。(略)
注目するのは頭足類だ。
――1 違う道筋で進化した「心」との出会い頭足類のほとんどの種は色の識別ができないらしいのだ。
――5 色をつくる
【どんな本?】
「心」とは、どのように生まれたのか。この疑問に対し、著者は幾つかの道筋で挑んでゆく。
一つは、科学的・生物学的な手法だ。どんな器官が必要か。それはどんな役割を果たすのか。生き延び、子孫を残すのに、そんな役割が有利となる環境と生態は、どのようなものなのか。
もう一つは、哲学的な手法である。ヒトの心には、どんな働きがあるのか。哲学者は、心をどう捉えてきたのか。それを「心」と呼ぶためには、どんな能力を持たねばならないのか。
哲学者でありダイバーでもある著者は、オーストラリア東海岸の海で、多くのタコが集まる「オクトポリス」を見つける。そこで観察したタコやコウイカたちの生態と、科学・哲学にまたがる大量の文献から、一つの大胆な仮説を思い付く。
「頭足類にも心があるのではないか? もっとも、それはヒトの心とは全く違うものだろう」
頭足類を深く愛する著者が、科学・哲学双方の知識を駆使して、「心」の問題に挑む、ちょっと変わった一般向けの解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Other Minds : The Octopus, the Sea, and the Deep Origins of Consciousness, by Peter Godfrey-Smith, 2016。日本語版は2018年11月16日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約246頁に加え訳者あとがき4頁。9ポイント47字×19行×246頁=約219,678字、400字詰め原稿用紙で約550枚。文庫なら普通の厚さの一冊分。
この手の本にしては、文章はこなれている部類。面倒くさい問題を扱っているわりに、内容もわかりやすい。科学や哲学の概念や理屈も出てくるが、たいていはその場で基本的な事柄を説明しているので、じっくり読めばだいたい理解できる。
【構成は?】
だいたい前の章を受けて後の章が展開する形なので、素直に頭から読もう。
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- 1 違う道筋で進化した「心」との出会い
- 二度の出会い、そして別れ
- 本書の概要
- 2 動物の歴史
- 始まり
- ともに生きる
- ニューロンと神経系
- エディアカラの園
- 感覚器
- 分岐
- 3 いたずらと創意工夫
- カイメンの庭で
- 頭足類の進化
- タコの知性の謎
- オクトポリスを訪ねる
- 神経革命
- 身体と制御
- 収斂と放散
- 4 ホワイトノイズから意識へ
- タコになったらどんな気分か
- 経験の進化
- 「新参者」説vs「変容」説
- タコの場合
- 5 色をつくる
- ジャイアント・カトルフィッシュ
- 色をつくる
- 色を見る
- 色を見せる
- ヒヒとイカ
- シンフォニー
- 6 ヒトの心と他の動物の心
- ヒュームからヴィゴツキーへ
- 言葉が人となる
- 言語と意識的経験
- 閉じたループへ
- 7 圧縮された経験
- 衰退
- 生死を分かつ問題
- 老化の進化理論
- 長い一生、短い一生
- 幽霊
- 8 オクトポリス
- タコが集住する場所
- オクトポリスの起源
- 平行する進化
- 海
- 謝辞/訳者あとがき/原注/索引
【感想は?】
旧いSFファンなら、デビッド・ブリンの傑作「スタータイド・ライジング」をご存知だろう。
あの作品だと、人類はイルカとチンパンジーに手を加えて知性を与えていた。ヒト以外に知性を持ちうる生物がいるとしたら、それは鯨類か猿類だろう、当時はそう考えていた。現代では、それにコンピュータが加わっている。いわゆる「シンギュラリティ」だ。
いずれにせよ、肝心の問いをおいてけぼりにしている。そもそも「知性」や「心」とは、何なんだろう? たしか人工知能の学会でも、「とりあえずその問いは棚上げにしよう、今は結論が出せないし」みたいな合意に至った…と思う。
そこにタコとイカだ。「は?」と思う人が大半だろう。そんな人に対し、著者はタコが持つ不思議な能力のエピソードを紹介していく。曰く「ヒトの好き嫌いがある」「電灯に水を吹きかけて水族館を停電に陥れた」「ヒトの目を盗んで逃げる」「タコは遊ぶ」。
それだけなら、犬や猫などの特定の生物に入れ込んだ人には、よくあるケースだ。特に猫に関するエピソードは多い。
本書の特徴は、それらに加えて、頭足類の神経系など、科学的な知見を多く盛り込んである点だ。神経の研究では実験動物としてイカがよく使われるように、頭足類は妙に神経系が発達している。
ごく普通のタコ(マダコ)の身体には、合計で約5億個のニューロンがある。(略)
人間のニューロン数は(略)約1000億個だ(略)
タコのニューロン数は、犬にかなり近い。
――3 いたずらと創意工夫
ただ、その設計はヒトなど哺乳類と大きく違う。
タコの場合、(略)腕にあるニューロンの数は、合計すると脳にある数の二倍近くになる。
――3 いたずらと創意工夫
ヒトの神経系が強力な中央集権型、つまり巨大コンピュータと多くの端末のような形なのに対し、頭足類の神経系は分散型である。ハードウェアが違うんだから、そこで走るソフトウェアもまったく違うだろう。
とはいえ、生物の進化は、まずもって要らない器官を発達させない。そこで著者は、「そもそもなぜ神経系が必要なのか」「神経系は何をやっているのか」から迫ってゆく。ここでは、単細胞生物から多細胞生物への進化から始まる議論が、なかなかに面白い。つまりは刺激を受けて行動するまでの間、生物の神経系は何をしているのか、みたいな話である。
ここでは環境も大きな役割を果たす。食うか食われるかの関係は、神経系の発達を促す。食う側は獲物の動きを予測できれば有利だし、食われる側も脅威の行動が判れば逃げやすい。カンブリア紀以降に、この淘汰圧が強くなったと著者は語る。
この時点(カンブリア紀)以降、「心」は他の動物の心との関わり合いの中で進化したのだ。
――2 動物の歴史
もちろん、神経系には別の働きもある。私たちの目は、動くモノを捉えるのが巧みだ。ただし、視神経が捉えた変化を、「動いた」と解釈してはマズい。そうした場合、単に首を傾げただけでも「世界が動いた」と解釈してしまう。自分の動きも、計算に入れなければならないのだ。別の言い方をすると、計算に入れられれば、動きを捉えられる。
ヒトの場合、このシステムは意外と柔軟性が高い。本書では、視覚障碍者向けの視覚代行器を紹介している。
視覚代行器のシステムは、その映像情報を、圧力や振動などのパターンに変換して、使用者の背中へと伝える。訓練を積んだ使用者は、単に背中に圧力や振動を感じたという風には経験しない。目の前を何かの物体が通り過ぎたと感じるのだ。ただし、そういう現象が起きるのは、使用者がカメラの操作をできる場合に限られる。
――4 ホワイトノイズから意識へ
ソレを思い通りに制御できれば、自分の体の一部だと認識できるのだ。ベテランのタクシー運転手が自動車を自分の体のように扱えるのも、この働きによるものだろう。逆に下手なドライバーは、自分が運転している自動車の位置や形がよくわからない。だから縦列駐車は難しい。
つまり、神経系の発達には、体の形が重要な意味を持つ。ところがタコは…
タコには、体が決まった形を持たないという稀有な特徴がある。
――4 ホワイトノイズから意識へ
うーむ、これは困った。しかも、著者には更なる追い打ちが待っている。
ジャイアント・カトルフィッシュのように大きく複雑な構造を持った動物でも、寿命は非常に短いのだ。わずか1,2年しか生きない。
――7 圧縮された経験
ここでは動物を分類する際の基準として、一生のうちの生殖の回数、つまり一生に一回だけ生殖するホタルと、何度も生殖する哺乳類の違いなどの話も興味深かった。そういう分け方もあるのね。
などと絶望に叩き落した末に、「8 オクトポリス」では鮮やかな逆転の目を見せてくれるから嬉しい。
オクトポリスを観察していると、タコがこれから先、今とは違った生物に進化し得る道筋の一つが垣間見えるのは事実である。
――8 オクトポリス
そう、私はこの章で、デビッド・ブリンともシンギュラリティとも違う、もう一つの「知性化」の方法を思い浮かべたのだ。デビッド・ブリンの手段が改造、シンギュラリティが創造なら、本書の手段は「養殖」とでも名付けるべきか。
「心」とは何か。それはどのように生まれたのか。何が必要で、それを育てる環境と生態はどんな状況か。そしてヒト以外に「心」を持つ生物は存在しえるのか。哲学的に大きな問いであると同時に、ファースト・コンタクトSFが好きなSFファンにはたまらなく楽しい問題でもある。ケッタイな異星人が好きな人には、とても美味しい本だ。だからと言って異星人がタコ型であるとは限らないけどw
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【今日の一曲】
The Beatles - Octopus's Garden
タコといえば、もちろんこの曲。読んでいる最中、この曲が頭の中で流れっぱなしで、なかなか読み進められなかったw
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