ロバート・P・クリース「世界でもっとも正確な長さと重さの物語 単位が引き起こすパラダイムシフト」日経BP社 吉田三知世訳
メートル法が世間の注目を浴びる数少ない話題の一つがスポーツだった。
――第7章 メートル好きとメートル嫌いマルセル・デュシャン「絵画は終わった。あのプロペラを超えるものを誰が作れるというのだ?」
――第8章 ご冗談でしょう、デュシャンさん!チャールズ・サンダース・パース「計測の問題に取り組む際、物理学者たちは、絶対の真実に到達できることなどほとんどあり得ないと心得ており、したがって、ある命題が真か偽かではなく、その誤差はどのくらいの大きさかを問いかけるのである」
――第9章 究極の単位という夢ウィリアム・トムソン(ケルビン卿)「自分が話題にしているものを、測定することができるなら、あなたはそれについて何がしかのことを理解している。しかし、それを測定できず、数値で表現できないなら、あなたの知識は貧弱で不十分なものでしかない」
――第9章 究極の単位という夢ヘンリー・ドレフュス「最も効率的な機械とは、人間を中心に作られたものだ」
――第11章 今日の計測を巡る状況
【どんな本?】
世の中には様々な単位がある。食パンは斤、お米や日本酒は号、土地や建物は坪、海の距離は海里。中には「東京ドームn個分」とかもあれば、出版・印刷業界特有のポイントなんてのもある。一般に1ポイント≒0.353mmと中途半端な印象を受ける単位だが、日本の出版・印刷業界には級という単位もあって、こちらはピッタリ0.25mm=1/4mmだ。
中途半端な単位とピッタリの単位の違いは何か。
SI=国際単位系(→Wikipedia)に基づいているか否かだ。
長さ・重さ・時間などについて、人は地域や目的によって色々な単位を使い分けてきた。人の背丈は尺と寸またはフィートとインチで表すが、土地の距離は里やヤードで表す。同じ里でも日本は約4kmだが中国では約500mだ。
村で自給自足しているならともかく、他の地域や国と売り買いする際、単位の乱立や不統一は問題を引き起こす。土地の売り買いで日本の里と中国の里を取り違えたら、大きなトラブルになる。どころか東京ロサンゼルス間の旅客機の燃料補給でキログラムとポンドを間違えたら…
これらの問題を解決するため、SIが登場した。
SI登場前、ヒトはどんな単位を使い、どのように取引していたのか。SIはどう決まり、どう普及してきたのか、または普及を阻まれてきたのか。そしてSIはどう変わってきたのか。現在のSIの奇妙な定義、例えばメートルを「真空中の光の速さ c を単位ms−1 で表したときに、その数値を 299792458」とする定義の由来は何か。
世の中の様々な単位の由来や使われ方、そしてSIに統一されてゆく歴史を辿る、一般向けの科学と歴史の解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は World in the Balance : The Historic Quest for an Absolute System of Measurement, by Robert P. Crease, 2011。日本語版は2014年11月25日1版1刷。単行本ハードカバー縦一段組み本文約382頁に加え、訳者あとがき7頁。9.5ポイント44字×17行×382頁=約285,736字、400字詰め原稿用紙で約715枚。文庫ならやや厚め。
文章はこなれている。内容も特に難しくない。敢えて言えばフランス革命前後のフランスが大きな焦点となるので、その辺の歴史に詳しいとより楽しめるだろう。
【構成は?】
だいたい時系列順に進むので、素直に頭から読もう。
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- はじめに 正午の号砲
- 第1章 ウィトルウィウス的人体図
- 第2章 古代中国 尺と律管
- 第3章 西アフリカ 金の錘
- 第4章 フランス 「生活と労働の現実」
- 第5章 阻まれる普遍化への歩み
- 第6章 現代文明の最大の勝利
- 第7章 メートル好きとメートル嫌い
- 第8章 ご冗談でしょう、デュシャンさん!
- 第9章 究極の単位という夢
- 第10章 普遍的な度量衡体系 SI
- 第11章 今日の計測を巡る状況
- 第12章 さらば、キログラム
- エピローグ
- 謝辞/訳者あとがき/図のクレジット/原注/索引
【感想は?】
単位とは言語に似ている。ほっとくと勝手に変化・増殖するのだ。
国家が政治的に強固で統一されているときには、国家は単位を統一し単純化する傾向がある。一方、国家が衰弱し、分裂しているときには、単位が多様化しがちだ。
――第4章 フランス 「生活と労働の現実」
なぜか。単位は使うためにある。いわば道具だ。道具は使いやすい方がいい。まずは手近なモノで測れること。首都にしかモノサシがなければ、辺境の村では長さが測れない。それより自分の手足で測れた方がいい。そこで手足の長さを基準としたフィートや尺が登場する。
人間の体は、人間が最初に使った、最古の測定器であった。
――第1章 ウィトルウィウス的人体図
そして目的に沿っていること。魏志倭人伝には「水行十日・陸行一月」なんて記述がある。長さで表すより、旅に必要な日程で表す方が、当時の地理情報としては役に立ったのだろう。本書にも「農夫や牛が一日で耕せる土地の広さ」や「一度に洗える牡蠣の量」や「一頭の乳牛から一度の搾乳で得られるミルクの量」などが出てくる。確かに実用的だ。
実用的ではあるんだが、他の地域と取引したり、税金を取り立てようとすると、これじゃ困る。専門性と汎用性のジレンマだね。小権力の乱立状態だと地域の専門性が優先されるんだが、強力な中央集権型になると汎用性が重んじられるのだ。
始皇帝が皇帝として行った最初の政策は、国内の度量衡を統一するという詔勅を出したことであった。
――第2章 古代中国 尺と律
ここでは音楽が大きな役割を担っているのが面白かった。笛の音程は笛の長さや穴の位置で決まる。合奏するには音程を合わせにゃならん。それはすなわち笛の長さや穴の位置を規格化する事で…と、音楽と数学と物理学の関係の深さが意外な所で明らかになるのだ。
残念ながら中国の王朝は国際貿易に不熱心だったが、ヨーロッパは多くの国が乱立していて、かつ貿易も活発だ。そこに産業革命である。工業化で大量生産するには部品などを規格化したいが、単位がバラバラじゃ困る。とはいえ現在の米国がいまだヤード・ポンド法にしがみついているように、どの国や地域も既存の単位系を手放そうとはしない。
ここで既存の権力構造をひっくりかえすフランス革命が起きたのは、人類の幸運だろう。思想的に過激だっただけに、度量衡も人類史上で過激な発想で決まる。
この度量衡体系(メートル法)の最も大きく目立つ特徴は、自然界に存在する基準に体系全体を結びつけようとしていたこと、もう一つ、体系の監督が、政府の役人ではなく科学者によって行われるようにしようとしていたことだった。
――第5章 阻まれる普遍化への歩み
例えば「長さの単位メートルは子午線の長さの1/一千万」とか。ところが地球は正確な球じゃないのが判ったりして、この発想は没になる。ならメートル原器を基準にすりゃいいじゃん。
この条約(1875年5月20日のメートル条約)の条項には、自然に基づく計測基準という考え方はもはやなかった。人工物を基準とした度量衡体系でうまくいくはずだという考え方に移行したのである。
――第6章 現代文明の最大の勝利
こうなると、もうどっちが元だかわかんないんだが、今さらメートルの長さを変えるわけにもいかないし。
ジェームズ・クラーク・マクスウェル「メートルは、新たに測定しなおされ、より正確になった地球の値に合わせて修正されてはいない。逆に子午線弧の長さのほうが、古いメートルの値に基づいて計算されている」
――第9章 究極の単位という夢
そのメートル原器も知らん間にダイエットしちゃったりしてるから困るw そこで異星でも通用する定義にしようという理想論と、現実に現在の人類の技術で測れる程度の精度でないと使えないとする実用論、そして精密工業が求める精度などのバランスで、現在のSIが定義されてゆくあたりは、科学読み物としてなかなかの迫力。
こういったSIの普及に、第二次世界大戦以降の世界史が大きく寄与しているのも興味深いところ。
アフリカの大部分が1960年代初期にメートル法を採用する。新たに独立を遂げつつあったアフリカ諸国は、植民地主義から解放され国際社会の一員となるための前提条件としてメートル法を素直に受け入れた。
――第10章 普遍的な度量衡体系 SI
旧宗主国のしがらみに捕らわれたヤード・ポンド法より、SIの方が「国際社会の一員」っぽいし、権力基盤がシッカリしてるように見えるし。
などの歴史編に対し、やたら精密になりすぎた現代を語る終盤では、売れっ子下着モデルのリタ・マツェラがとってもカッコいい。ワコールなど一流ブランドから引っ張りだこの彼女、ウリは美貌でもスタイルでもない。
ブラジャーは規格化が極めて難しいのだ。サイズにしたって、測るべき所が沢山ある。そもそも形が千差万別な上に、姿勢や動きも人によりけり、上にはおるドレスも肩を出すか否かで違うし、盛りたいのか抑えたいのかも大事。だからメーカーは色々と工夫し、リタに試着を頼む。そしてリタは…
リタ・マツェラ「デザイナーに何を言ってあげればいいか、わたしにはわかっています」
――第11章 今日の計測を巡る状況
以前の製品とどう違うか、どんな不具合があるか。それを正確に、わかりやすく、デザイナーに伝える。それがリタのウリなのだ。ある意味、伝説のテスト・パイロットであるチャック・イエーガーと似た素質と言えるだろう。鋭い感覚に加え、長い経歴で培った商品知識と、それを巧みに言葉にする表現力。リタが売れっ子たる所以は、そこにあるし、そこがカッコいい。
SIは国際的で汎用的だが、用途によっては別の単位の方が便利だ。サッカーのフィールドの大きさはメートル法で定義されているが、アメリカン・フットボールはヤードだ。これは国際スポーツのサッカーと、米独自のアメフトの違いだろう。それぞれの単位から、歴史を探るのも面白そうだし、仕事に役立つ自分なりの単位を作るのも便利かもしれない。そんな妄想が広がる本だった。
【関連記事】
- 2019.4.28 ロバート・P・クリース「世界でもっとも美しい10の科学実験」日経BP社 青木薫訳
- 2019.9.15 ジョージ・ジョンソン「もうひとつの世界でもっとも美しい10の科学実験」日経BP社 吉田三知世訳
- 2018.10.15 イアン・ホワイトロー「単位の歴史 測る・計る・量る」大月書店 冨永星訳
- 2018.6.11 武蔵工業大学編「なんでも測定団が行く はかれるものはなんでもはかろう」講談社ブルーバックス
- 2014.06.08 阪上孝・後藤武編著「<はかる>科学 計・測・量・謀…はかるをめぐる12話」中公新書1918
- 書評一覧:歴史/地理
- 書評一覧:科学/技術
【終わりに】
などとSIを持ち上げている本なのに、なぜか文字サイズはポイントだったり。出版・印刷業界も、こういう所は保守的だよね。とか言ってる私も文字サイズはポイントで表してるんだが、そこはゴニョゴニョ…
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