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2020年10月12日 (月)

ハワード・グッドール「音楽史を変えた五つの発明」白水社 松村哲哉訳

私は音楽が人間の心に訴えかける力の大きさをしっかりと見極めてみたくなった。それを実際に試みたのが本書である。
  ――はしがき

夢と同じように、耳にした音を紙に書き留めはじめたとたん、それは自分の頭の中で鳴っていた音楽ではなくなり、新しい音楽となって目の前に現れる。
  ――間奏曲 作曲するということ

ヨーロッパ音楽のよりどころとなっているのは、西のグレゴリオ聖歌と東のビザンチン聖歌だが、そのルーツをたどると、どちらもユダヤの宗教音楽に行きつく。
  ――間奏曲 選ばれた人々

【どんな本?】

 現代の音楽は、幾つもの文化から様々な要素を取り入れている。中でも、最も影響が大きいのは、まちがいなく西洋の音楽だ。その西洋の音楽も、元は比較的に単純なグレゴリオ聖歌だった。それから幾つもの穏やかな変化や急激な革命を経て、現代の音楽へと至ったのである。

 本書では、敢えて穏やかな変化を扱わず、急速な進化を可能とした革命的な出来事を、五つに絞って紹介する。グイード・ダレッツォの記譜法、クラアウディオ・モンテヴェルディのオペラ、ヘンリー・モーズリーの金属旋盤が可能とした平均律、バルトロメーオ・クリストフォリ(→Wikipedia)のピアノ、そしてトーマス・アルヴァ・エジソンの蓄音機だ。

 音楽の発展を促したものや音楽そのものを変えたものもあれば、社会における音楽の地位を変えたものや音楽と人との関わり方を変えたものもある。音楽が現代のような形になるまで辿った道のりを、五つの曲がり角で分かりやすく示す、音楽ファンのための少し変わった歴史書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Big Bangs : The Story of Five Discoveries that Changed Musical History, by Howard Goodall, 2000。日本語版は2011年3月10日発行。単行本ハードカバーー縦一段組み本文約254頁に加え、訳者あとがき7頁。9.5ポイント45字×20行×254頁=約228,600字、400字詰め原稿用紙で約572枚。文庫なら普通の厚さの一冊分。

 文章はこなれていて読みやすい。全般的に内容もわかりやすいが、平均律を扱う「3 偶然の産物」だけは少し数学(というより算数)が必要になる。また、音楽の本に漏れず、Youtube などで音源を漁ると、聴き惚れてしまいなかなか読み進められないw

【構成は?】

 ほぼ時系列で進むので、素直に頭から読もう。

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  • はしがき
  • 序曲
  • 1 細く赤い線 グイード・ダレッツォと記譜法の発明
  • 間奏曲 ヴァチカンの秘密
  • 2 革命を引き起こした音楽 オペラの発明
  • 間奏曲 作曲するということ
  • 3 偶然の産物 平均律の発明
  • 4 音量を調整できる鍵盤楽器 バルトロメーオ・クリストフォリとピアノの発明
  • 間奏曲 選ばれた人々
  • 5 メリーさんの羊 トーマス・エジソンと録音技術の発明
  • 終曲 すべては変わらねばならない
  • 謝辞と参考文献/訳者あとがき/索引

【感想は?】

 どのように音楽が進化してきたか。

 それを紐解くには、まず原点を聴いてもらうのが早い。本書はグレゴリオ聖歌を原点としている。こんな感じだ:誠実な十字架(→Youtube)。

 「癒し」なんてキーワードがついている。この理由は澄んだ男声でリズムがゆったりしてるのもあるが、メロディーは単調で起伏が少なく、またコーラスとソロの違いはあっても和音や変調やシンコベーションがなく、刺激に乏しいのも大きい。つまり美しくはあっても単純で、どうにも眠くなる音楽なのだ。

 西欧にキリスト教が根付き聖歌も増えた。七世紀の時点で聖歌は「休みなく演奏しても八時間はかかる」ほどになった。これを聖歌隊に全部覚えさせなきゃいけない。しかも、口移しで。無茶である。この無茶な仕事を仰せつかったグイード・ダレッツォ(→Wikipedia)は考えた。「音楽を読み書き出来たら楽だよね」。そして音の高さと長さを記す手段を生み出す。

史上初めて、人類は音楽を「読む」ことが可能になった。
  ――1 細く赤い線

 これは数学におけるアラビア文字を超え、文学における文字にあたる大発明だろう。彼の譜面は現在の五線譜に比べると単純なものだが、音楽を理屈で考えることを可能にした。それはやがてハーモニーやコードや対位法など、より複雑な技法を生みだしてゆく。西洋音楽が他の音楽と決定的に異なるのが、この点だ。なお彼の遺産は「ドレミファソラシド」として今も残っている。

抜け目のないグイードは、この聖歌(聖ヨハネ賛歌、→Youtube)の各フレーズが最も基本的な旋法の六つの音から始まっていることに気づき、フレーズの最初の音を取って独自の「ウトレミファ音階」による記憶法をつくりあげた。
  ――1 細く赤い線

 おかげでバチカンは秘宝のミゼレーレ(→Youtube)を天才に盗まれたりするんだがw

 次の「2 革命を引き起こした音楽」では、オペラの歴史を辿りつつ、音楽と社会風刺の関係を辿る。最近じゃ社会風刺や時事問題はロックやヒップホップなどポピュラー音楽の専売特許みたいだけど、そのルーツはオペラだし、時として実際に社会も動かしたんだぞ、という話。

オペラの製作者たちは、芝居や朗読よりも歌のほうがはるかに自由な表現が許されるという皮肉な事実に最初から気づいていた。
  ――2 革命を引き起こした音楽

 だからテイラー・スウィフトがBLMを支持するのは、まさしく音楽の伝統に沿った行いなのだ。いや Love Stoory と White Horse しか知らないけど。ファンの人、ごめんなさい。

 続く「3 偶然の産物」では、平均律を扱う。これぞ現代のポップ・ミュージックがガッチリと捉えている枠組みで、エレクトリック・ギターやシンセサイザーは、構造上の問題で平均律から逃れようがない。いやフレットレス・ギターなら話は別だけど。

西洋音楽の楽譜に記されている音符は、実質的にそのほぼすべてが、この平均律といわれる調律システムに基づいて体系化されている。
  ――3 偶然の産物

 つまりはドとレ、レとミ、ミとファ…と、音は次第に高くなる。それぞれの高さを、どういう間隔で分けるか、という話。ギターのフレットは平均律に基づいて区切ってるんで、もう逃げようがない。が、平均律以外だと、調が変わるたびにチューニングしなおさなきゃいけない。まあギターなら曲の途中で持ち替えるって荒業もあるけど。

 いずれにせよ、平均律を現実的にしたのが技術者のヘンリー・モーズリー(→Wikipedia)ってのが面白い。彼の金属旋盤が精密な加工を可能にし、正確なピアノを作れるようになったのだ。先端テクノロジーが音楽を変えた一例だね。

 そのピアノを扱うのが「4 音量を調整できる鍵盤楽器」。ピアノの何が凄いって、音量を調整できるのが凄い。これはピアノより、その先祖のチェンバロ(=ハープシコード)を聴いてもらうのが早い。曲はヘンデルの「調子の良い鍛冶屋(→Youtube)」。確かに上品な音ではあるんだが、弦をはじいて音を出してるんで、強弱をつけられない。

1700年前後にピアノが発明されたことは、西洋音楽の歴史において最も印象的な事件の一つと言って過言ではないだろう。
  ――4 音量を調整できる鍵盤楽器

 ピアノのメカニズムや演奏技術は「ピアノの歴史」が詳しいんだが、本書はピアノが作曲家や生演奏に与えた影響を取り上げている。曰く「ジャズの登場を告げたのはピアノだった」。強弱がつけられるので、強烈なリズムも叩き出せるのだ。確かにチェンバロじゃジャズの弾き語りは無理だよなあ。

 そして最後はヒトと音楽の関わり方を決定的に変えた録音技術を扱う「5 メリーさんの羊」。なんたって…

音楽が歴史上これほど急速に多数の聴き手を獲得した時期は他にない。
  ――5 メリーさんの羊

 音楽が現在のように巨大なカネが動く産業になったのも、録音技術があればこそ。この記事だって、録音技術がなきゃ書けなかったし。私が音楽を好きになったのも、録音技術があればこそ。もっとも、当初エジソンは「それを音楽に利用する気がまったくなかった」のは意外。

 いずれにせよ、音楽を記録するって点ではグイード・ダレッツォの記譜法以来の大転換だ。お陰でカルロス・サンタナみたく楽譜が読めない音楽家まで現れた。ここでは太平洋戦争での大日本帝国のフィリピン占領とLPレコード誕生の逸話が面白い。また、音楽の流行の傾向も変わり…

ロック音楽が常に新しいアーティストと曲を求めたのに対し、クラシック音楽は歴史をどんどんさかのぼることで、レパートリーをふやしていった
  ――5 メリーさんの羊

 そう、今のクラシック・ファンの多くは古典を求めていて、あまし新曲はウケないのだ。もっとも流行音楽も…

1960年から2000年にかけて書かれたポピュラーソングのメロディーとハーモニーを、モーツァルトかシューベルトの声楽曲と照らし合わせてみれば、この二人の作曲家を驚かすような和音やフレーズなどひとつも見あたらないことがわかるだろう。
  ――終曲

 と、音色はシンセサイザー、奏法じゃエレクトリック・ギターのタッピングなど、新しいモノを取り入れちゃいるけど、肝心の楽曲は平均律に縛られ作曲技法もビートルズの焼き直しばっかりだったりと、グチこぼしてる。この辺は平均律からズレてると思うんだけど、どうかな(3 Mustaphas 3 - Bukë E Kripë Në Vatër Tonë,→Youtube)。

 全般的に「音楽の進化史」のコンパクト版みたいな印象はあるが、それだけ手軽に音楽の歴史を辿れるのはありがたい。というか、何はともあれ、音楽の本ってだけで私には嬉しいのだ。

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【今日の一曲】

SKY - Dance of the Little Fairies

 クラシックとポップ・ミュージックの交流と聞いて私が真っ先に思い浮かぶのが SKY。クラシック・ギター奏者ジョン・ウィリアムス(映画音楽の人とは別人)がロック・ミュージシャンと組んだ異色バンド。当時はプログレとかフュージョンとか言われてマニアックな印象があるけど、こんな風に聴きやすくて可愛らしい小曲もやってます。かといって軽く見てると、実は五拍子だったりするから侮れないw

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