柴田勝家「アメリカン・ブッダ」ハヤカワ文庫JA
中国南部、雲南省とベトナム、ラオスにまたがるところに、VRのヘッドセットをつけて暮らす、少数民族スー族の自治区がある。
――雲南省スー族におけるVR技術の使用例「あなたは私の過去、小さな粒子の集合体」
――鏡石異譚祖母は私を「オトリアゲ」するのだと言い、大人達の前でウワヌリに向かうように促した。
――邪義の壁「僕と“天使”を捕まえに行こう」
――1897年:龍動幕の内ジョンの国は世界で唯一、物語を病気として扱う国だ。
――検疫官僕たちアゴン族は、仏陀の教えを伝える唯一のインディアンなんだ。
――アメリカン・ブッダ
【どんな本?】
2014年に「ニルヤの島」で第二回ハヤカワSFコンテスト大賞を受賞し、特異なのはペンネームと芸風だけでなく風貌や言動も異様だと日本SF界を震撼させた柴田勝家の初の短編集。
論文の形式でIT技術が生み出す近未来の少数民族社会を騙る「雲南省スー族におけるVR技術の使用例」,国際リニアコランダーと少女の奇縁譚「鏡石異譚」,増築を重ねた旧家の秘密に迫る「邪義の壁」,若き南方熊楠が謎解きに挑む「1897年:龍動幕の内」,物語を禁じた国家を描く「検疫官」,大量の仕掛けを満載した「アメリカン・ブッダ」の六編を収録。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2020年8月25日発行。文庫で縦一段組み本文約293頁に加え、日本SF作家クラブ会長・池澤春菜の解説7頁。9ポイント40字×16行×293頁=約187,520字、400字詰め原稿用紙で約469枚。文庫では普通の厚さ。
若いわりに文章はこなれていて読みやすい。SFというより土俗ファンタジイと呼びたい芸風なので、理科が苦手でも大丈夫。
【収録作は?】
それぞれ 題名 / 初出 の順。
- 雲南省スー族におけるVR技術の使用例 / SFマガジン2016年12月号
- 中国南部に住む少数民族スー族は、生まれた時からヘッドセットをつけ、一生をVRの中で過ごす。彼らが「住む」世界を知っているのは、彼らだけだ。
- 2018年の第49回星雲賞日本短編受賞作。文化人類学の論文の体裁をとり、VR世界にドップリ浸かって人生を過ごす人々の暮らしを描き出す。この作品はわかりやすく戯画化しているが、「ピダハン」などを読むと、人は同じ世界に生きていても、実は全く別の世界を見聞きしているんじゃないか、と思う。私にとってはただの「デカいタンポポ」でも、植物学者には「オオクシバタンポポ(→神戸新聞NEXT)」だったりするし。実際、味覚に限れば、本当に別の世界を味わっているとか(→「『おいしさ』の錯覚」)。
- 鏡石異譚 / 2017年 ILC/TOUHOKU
- 幼いころ、私は深い堅坑に落ち、そこで大人の私、未来の私に出会った。それからも何度か未来の私が現れ、トラブルを避けるアドバイスをくれた。ただ、未来の私が見えて声が聴けるのは私だけで、他の人は誰も未来の私は見えず声も聞こえなかった。
- 岩手県北上山地に総延長約31kmの巨大加速器ILC=国際リニアコライダー(→Wikipediaを誘致する計画に基づくSFアンソロジー「ILC/TOUHOKU」収録作。プロジェクトは物理学の先端を探るものだが、著者の手にかかると一気に土俗的な空気になるのが楽しい。とか書いてたら、ロジャー・ペンローズのノーベル物理学賞受賞のニュースが飛び込んできた。にしても素粒子団子w
- 邪義の壁 / 2017年 ナイトランド・クォータリーvol.11
- 私の実家は山村の旧家だった。増改築を繰り替えし、複雑で雑多な屋敷だった。その一角に「ウワヌリ」と呼ばれる白い大きな壁がある。子供の頃、祖母に言われ意味も分からずウワヌリの前で「オトリアゲ」の儀式に加わった。就職・結婚し仙台に家を構え、父を呼び寄せた。実家の祖母が亡くなり、住む者のいない古い屋敷は文化財指定登録の話が出て調査が始まったが…
- 曰くありげな壁を掘り返しちゃいけないのはエドガー・アラン・ポーの「黒猫」以来のお約束。ただしこの作品では旧家だけあって、次から次へと異様なものがザクザクと。ソールズベリのストーンヘンジも、見えてるのは最新の遺跡で、その下や周辺にはさらに古い時代の遺跡が埋まっているとか。
- 1897年:龍動幕の内 / 2019年5月 Hayakawa Books & Magazines(β)
- ロンドンの大英博物館で、若き南方熊楠は逸仙こと孫文と会う。逸仙は熊楠を誘う。「ハイドパークに天使が現れ、光を放ち、高い木の上を事由に飛び回る」「僕と“天使”を捕まえに行こう」。他の者も連れだって、夜のハイドパークに出かけた彼らは、確かに天使を見た。二対四枚の羽根が生え、淡く緑色の光を放つばかりか、見物人と会話している。
- 「ヒト夜の永い夢」の前日譚。いやまだ読んでないけど。博覧強記と奇行で知られる南方熊楠(→Wikipedia)が、孫文と共に天使の謎に挑むミステリ。なんとも出鱈目な奴に描かれてるが、南方熊楠なら「あり得るかも」と思えるからなんともw 謎解きで出かける先がアレだから、奴か?と思わせて、こうきたか。まんまとひっかかったぞ。
- 検疫官 / SFマガジン2018年10月号
- ジョン・ヌスレは空港で働く検疫官だ。彼らは物語の持ち込みを防ぐ。いったん入り込んだ物語は、人から人へと感染を広げ、際限なく増えてゆく。ある日、10歳ほどの少年が空港で足止めを食らう。母親と共に入国したが、その母親は倒れて入院した。母親と一緒に検疫を受けたいと少年は望んでいる。宙ぶらりんの少年は、しばらく空港のラウンジで過ごす羽目になった。
- 新型コロナのせいでキャッチーになってしまった作品。ネタの一つは空港で暮らしたマーハン・カリミ・ナセリ(→Wikipedia)だろう。物語が子供達の間で変異・増殖するくだりは、「ノーライフキング」(→Wikipedia)が描く子供の社会を思わせる。物語が禁じられた国でジャンキーがすがりつくアレは、長期の海外旅行で禁断症状に苦しんだ経験から得たアイデアだろうか。「物語とは何か」を、物語を禁じることで浮かび上がらせる手法が見事だ。「ヒトはなぜ神を信じるのか」によると、ヒトの脳は勝手に物語を創り上げるようにできてるとか。
- アメリカン・ブッダ / 書き下ろし
- 断絶していた向こう側=エンプティから、三千年ぶりにメッセージが届く。語り手はミラクルマンと名乗る二十代前半の若者で、仏陀の教えを伝えるアゴン族のインディアン。大精霊ブラフマンに頼まれ、アゴン族はアメリカを救おうとしている。向こう側とこちら=Mアメリカは、時間の流れが違う。向こうの1秒はこちらの4時間だ。そのため、ミラクルマンの公聴会は何年も続き…
- アメリカ合衆国の先住民問題に日本型仏教など著者ならではのネタに加え、SF定番のアレやコレやの仕掛けを惜しげもなくブチ込み、長編並みの内容をギュッと濃縮して短編にしたような作品。アレンジした仏陀の逸話やアゴン族が仏教に帰依する経過も楽しい(ちなみに「あごん」を変換すると…)が、グレッグ・イーガンと思わせながら手塚治虫を経てロジャー・ゼラズニイへと昇華する豪快かつリリカルな物語は、この作品集の表題作に相応しい。星雲賞候補は確実な傑作だ。
「SFは法螺話だと思っている」は、筒井康隆の言葉だったか。いかにも真面目な論文のフリをして駄法螺をふく「雲南省スー族におけるVR技術の使用例」も楽しいが、やはり巻末を飾る表題作の「アメリカン・ブッダ」が素晴らしい。昔からある歴史の傷と、たった今浮き上がってきた時事問題を、眩暈するほどの大量の仕掛けで巧みに織り上げ、鮮やかに着地を決めてみせる。若手とは思えぬ見事な手腕だ。スレたSF者なら頭から読めばいい。「たまにはSFでも…」とか思っている人は、最後の「アメリカン・ブッダ」だけでも読んでみよう。今、最も美味しいSFがここにある。
ただし著者については、あまし調べない方がいいかもw
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