« ロジャー・ゼラズニイ「虚ろなる十月の夜に」竹書房文庫 森瀬繚訳 | トップページ | 上田岳弘「ニムロッド」講談社 »

2020年8月14日 (金)

ジャン=バディスト・マレ「トマト缶の黒い真実」太田出版 田中裕子訳

加工トマト産業に国境はない。
ドラム缶入り濃縮トマトは、コンテナに乗って世界中を巡る。
本書は、世界中に知られる商品の知られざる歴史を追ったルポルタージュである。

自動車メーカーのフォードが、標準化された車をアセンブリーラインで組み立てはじめる前から、ハインツはトマト味のベイクドビーンズの缶詰をピッツバーグ工場でライン生産していた。(略)T型フォードより11年も前のことだ。
  ――第3章 伝説化されたアメリカの加工トマト産業

現在、大さじ二杯以上ならトマトペーストが「野菜」と認められていることから、ピザはアメリカの給食で「野菜」に分類されている。
  ――第10章 ハインツの経営合理化とその影響

【どんな本?】

 肉のトマト煮やミートソースを作るのにトマト缶は便利だ。カレーに使ってもいい。

 ところで、手近にトマト缶があれば、産地を見て欲しい。Amazon にはイタリア産のトマト缶が多く出回っている。ビザもパスタもイタリアが本場だ。だから、きっとイタリアはトマトの生産が盛んなんだろう。それは正しい。が、ラベルに書いてあるのは「トマト缶」の産地であって「トマト」の産地ではない。

 西欧でもトマト缶は大人気で、様々なブランドがある。それ以上にトマト缶はアフリカを席巻している。

 著者はトマト畑から加工工場・技術研究所・港そして市場を訪ね、中国・イタリア・アメリカ・ガーナを駆け巡り、また瓶詰の起源やハインツ社などの社史を漁り、トマト缶の歴史から現状までを調べて回る。

 そこで明らかになった事実は、いささか食欲を失わせるものだった。

 フランスのジャーナリストが体当たり取材で世界中を巡り、トマト缶の生産・加工・流通の実態を暴き、グローバル経済が食に及ぼす影響を明らかにした、衝撃のルポルタージュ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は L'empire de l'or rouge: enquete mondiale sur la tomate d'industrie, Jean-Baptiste Malet, 2017。日本語版は2018年3月10日第1版第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約321頁に加え、訳者あとがき7頁。10ポイント42字×17行×321頁=約229,194字、400字詰め原稿用紙で約573枚。文庫なら普通の厚さの一冊分。

 文章はこなれていて読みやすい。内容もわかりやすい。中国・イタリア・ガーナなどの地名が出てくるので、Google Map か地図帳があると便利。また、イタリア経済の南北問題を、南は貧しく北は豊か、程度に知っていると迫力が増す。ただし、日頃から安いイタリア産のトマト缶をよく使っている人は、読まない方が幸せかも。

【構成は?】

 地理的にも時系列的にもアチコチ飛びまわるんだが、全体として一つのストーリーとなっているので、できれば頭から読もう。

  • 第1章 中国最大のトマト加工工場
  • 第2章 「中国産」のトマトペースト
  • 第3章 伝説化されたアメリカの加工トマト産業
  • 第4章 濃縮トマト輸出トップの会社
  • 第5章 イタリアの巨大トマト加工メーカーのジレンマ
  • 第6章 中国産トマトも「イタリア産」に
  • 第7章 ファシズム政権の政策の象徴、トマト缶
  • 第8章 トマト加工工場の奇妙な光景
  • 第9章 中国の加工トマト産業の暴走 始まりと発展、強制労働
  • 第10章 ハインツの経営合理化とその影響
  • 第11章 加工トマト業界トップ企業、驚異の生産力
  • 第12章 消費者に見えない「原産国」
  • 第13章 天津のトマト缶工場の秘密
  • 第14章 トマト31%に添加物69%のトマト缶
  • 第15章 農薬入りのトマトか、添加物入りのトマト缶か
  • 第16章 アフリカを席巻した中国産トマト
  • 第17章 「アグロマフィア」の象徴、南イタリア産トマト缶
  • 第18章 イタリアの労働者の違法な搾取
  • 第19章 酸化トマト「ブラックインク」をよみがえらせる最新研究
  • 訳者あとがき/原注

【感想は?】

 今度からトマト缶を買う時は原産地をシッカリ確かめよう。イタリア産はヤバい。

 幕あけは新疆ウイグル自治区のトマト収穫の場面だ。そう、たった今噂の新疆ウイグル自治区である。キナ臭いのは感じていたが、相当なものだ。

(新疆生産建設)兵団のもともとの使命は、新疆を漢族の植民地にすることだった。
  ――第4章 濃縮トマト輸出トップの会社

世界ウイグル会議議長ラビア・カーディル「中国で最も多くの労改収容者(政治犯)が働かされているのが、新疆ウイグル自治区です」
  ――第9章 中国の加工トマト産業の暴走

 それはさておき、まず感じたのは、トマトの収穫・輸送方法がやたら荒っぽいこと。んな手荒く扱ったらトマトが潰れる…と思ったが、その心配は無用だった。

加工用トマトと生食用トマトは、リンゴとナシほどに違う。別の目的のために、別の環境で作られた、別の果実と考えるべきだ。
  ――第2章 「中国産」のトマトペースト

収穫機のなかでトマトの実がつるから簡単に離れるようになったのは、機械収穫に適した品種を作るために、研究者たちが幾度も試行錯誤を重ねてきたおかげなのだ。(略)機械に合うトマトを作るほうが、トマトに合う機械を作るよりうまくいくように思われたのだ。
  ――第11章 加工トマト業界トップ企業、驚異の生産力

 サラダに入っているトマトとは品種が違う。茎を揺すれば簡単に落ちるので機械で収穫でき、硬く潰れにくいので痛みにくく運びやすく、水分が少ないので加工しやすい、そういう品種を開発したのだ。ブランドによっては缶に長細いトマトの絵のラベルがついてる。アレだ。トマトが苦手な人の中には、ウニョッとした口当たりが嫌って人がいるが、そういう人には向くかも…じゃなくて。

 さて。なぜ新疆ウイグル自治区か、というと。実はここが加工用トマト生産じゃ世界的な産地だからだ。知らなかったぜ。

トマト加工品の原材料となる濃縮トマトの生産は、アメリカ、中国、イタリアの上位三ヵ国が世界の市場をほぼ独占していて、スペインとトルコがそれに続く。
  ――第1章 中国最大のトマト加工工場

 生産はトップ3なんだが、輸出用となると話は違ってくる。おっとその前に。輸出ったって、トマトをそのまんま輸出するワケじゃない。中国の工場で皮をむきタネを取り除き砕いて水分を飛ばし三倍に濃縮し、ペースト状にしてドラム缶に詰めコンテナ船で輸出するのだ。その方が輸送しやすいし長持ちするしね。

現在、中国は世界最大の濃縮トマト輸出国だ。(略)ほかの生産国は国内に大きな市場があるので、まずはそちらに供給しなければならない。(略)中国の場合、世界第2位の生産国でありながら、その生産量のほとんどすべてを輸出している。
  ――第9章 中国の加工トマト産業の暴走

 コンテナ船は天津を出てイタリアに向かう。そこで…

関税を支払うことなく、「再輸出加工手続き」によって輸入された中国産三倍濃縮トマトは、水で希釈されてわずかな塩を加えられただけで、「イタリア産」の商品に生まれ変わる。
  ――第6章 中国産トマトも「イタリア産」に

 トマトの原産地が大事なのは、そういう事だ。どっかの「国産」でも聞いたような話だね。さて、工場は量産効果か効く。大量に作るほど一個当たりの費用は安くなる。品目ごとにブレンドの割合を変えると費用がかさむ。そこで…

大手スーパーチェーンは、独自のブランド商品を掲げて互いに競合している。ところが、別の店で売られるそれぞれ個性的に見える商品は、いずれもこの巨大工場で生産されるまったく同じものなのだ。
  ――第12章 消費者に見えない「原産国」

 違うのはラベルだけ。マジかい。しかも、最近は西欧市場に加えアフリカ市場も伸びてきた。なにせ…

ガーナの人口は2800万人で、アフリカで13番目だ。ガーナの大衆料理のほとんどにトマトが使われており、国民の野菜消費量の38%をトマトが占めている。
  ――第15章 農薬入りのトマトか、添加物入りのトマト缶か

 トウモロコシもそうなんだが(→「トウモロコシの世界史」)、新大陸原産の作物はアフリカの気候に合うんだろうか。それはさておき、アフリカ市場の美味しいところは…

グローバル化した市場では、ある国で衛生基準を満たさなかった濃縮トマトは、別の国に運ばれて安く売り飛ばされる。
  ――第6章 中国産トマトも「イタリア産」に

 ま、バレても役人には鼻薬が効くし。ってなワケで、無茶苦茶なシロモノがはびこってる。なにせ貧しい地域だ。大事なのは価格。品質は二の次。おかげで、商談じゃ…

「うちの缶詰はリーズナブルですよ。濃縮トマトが45%しか入ってませんからね」
  ――第14章 トマト31%に添加物69%のトマト缶

 そこを席巻するには、価格的な競争力が大事。って言えば偉そうだが、要は「それだけ安いか」だ。そこで強いのが中国産。

今日、アフリカが輸入するトマトの70%が中国産だ。西アフリカだけ見れば、その割合は90%に達する。
  ――第16章 アフリカを席巻した中国産トマト

 いや地元でもトマトを作ってるんだ。でも農業は豊作凶作の波がある上に、市場価格の変動も大きい。

ガーナの農家「トマトは博打だ」
  ――第15章 農薬入りのトマトか、添加物入りのトマト缶か

 何年か損しても食いつなげる金持ちならともかく、小さい農家はすぐ行き詰る。でも食ってかにゃならんので、地中海を渡り出稼ぎに出る。

ある公式統計によると、2012年、イタリアの農業従事者81万3千人のうち、EU圏外からの正規移民は15万3千人で、EU圏内からは14万8千人だった。この数字には不法就労者は含まれていない…
  ――第18章 イタリアの労働者の違法な搾取

 はいいが、違法移民が歓迎される筈もなく。彼らがマフィアのタコ部屋で搾り取られる場面は、なかなかにおおぞましい。とはいえ、日本も技能実習って名目で…

 さて、中国人も馬鹿じゃない。イタリアは中間の加工で稼いでいるが、いつまでも甘い汁を独占させるほど中国商人は甘くない。そこで…

今わたしが望んでいるのは、アフリカ中にトマト缶を広めることだ。そのために、新疆ウイグル自治区の濃縮トマトを、このガーナで再加工して販売することにしたんだ。(略)わたしがここでしているビジネスは、習近平国家主席による国家発展計画に組みこまれているんだよ。(略)新シルクロード(一帯一路)構想だ。
  ――第19章 酸化トマト「ブラックインク」をよみがえらせる最新研究

 一帯一路ってのは、そういう事かい。この最終章では、中国共産党のお偉方とその子弟が、何を目論んでいるのかが明らかになる。先の「ショック・ドクトリン」と考え合わせると、恐るべき未来が間近に迫っているのがわかる。

 たかがトマト缶、されどトマト缶。きっとトマト缶だけでなく、あらゆる加工食品で似たような事が起きているに違いない。スーパーで買い物をする際は、もっと注意深く注意書きを確かめよう、そういう気にさせる怖ろしい本だ。そういえば外食産業も費用削減には熱心だから…いや、やめておこう。

【関連記事】

|

« ロジャー・ゼラズニイ「虚ろなる十月の夜に」竹書房文庫 森瀬繚訳 | トップページ | 上田岳弘「ニムロッド」講談社 »

書評:歴史/地理」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ロジャー・ゼラズニイ「虚ろなる十月の夜に」竹書房文庫 森瀬繚訳 | トップページ | 上田岳弘「ニムロッド」講談社 »