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2020年8月10日 (月)

フェルナンド・バエス「書物の破壊の世界史 シュメールの粘土板からデジタル時代まで」紀伊国屋書店 八重樫克彦+八重樫由美子訳

抑圧者や全体主義者は書物や新聞を恐れるものである。それらが“記憶の塹壕”であり、記録は公正さと民主主義を求める戦いの基本であるのを理解しているからだ。
  ――最新版を手にした読者の皆さまへ

勝者が敗者に法と言語を課すのだ。
  ――第2部 東ローマ帝国の時代から19世紀まで 第6章 メキシコで焼かれた写本

激しく本を憎む行為はしばしば人種差別と結びつく。人種差別が他の文化の性質を徹底的に否定するためだ。結局のところ他の文化とは、自分たちとは別の民族が生み出した行為の結果である。
  ――第2部 東ローマ帝国の時代から19世紀まで 第14章 書物の破壊に関する若干の文献

ハインリヒ・ハイネ≪本を燃やす人間は、やがて人間も燃やすようになる≫
  ――第2部 東ローマ帝国の時代から19世紀まで 第15章 フィクションにおける書物の破壊

エウゲーニイ・サミャーチン≪ロシアで作家にとっての最高の栄誉は、『禁書目録』に名前が載ることだ≫
  ――第3部 20世紀と21世紀初頭 第6章 恐怖の政

実に奇妙な話だが、(キリスト・コミュニティ教会のジャック・)ブロックも彼の信奉者たちも、この善良な少年が活躍する小説(ハリー・ポッター・シリーズ)を一冊たりとも読みとおしたことはないという。
  ――第3部 20世紀と21世紀初頭 第8章 性、イデオロギー、宗教

【どんな本?】

 シュメールの粘土板から現代のイラク国立図書館まで、書物は様々な理由で失われてきた。地震や洪水などの自然災害,虫やネズミまたは紙の劣化など不適切な保存,検閲や焚書など意図的な破壊,そして火災や戦争など人為的な災厄。

 本書は時代的には古代から今世紀まで、地理的にはシュメール・エジプト・欧州・中南米・東アジアなど世界中を巡り、意図の有無にかかわらず書物の破壊の歴史をたどり、豊富な例を挙げてその傾向と原因を探り、また次世代に残すべき貴重な資料の現状を訴えるものである。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Nueva Historia Universal de la destrucción de Libros : De las tablillas a la era digital, Fernando Báez, 2013。日本語版は2019年3月22日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約631頁。9ポイント44字×20行×631頁=約555,280字、400字詰め原稿用紙で約1389枚。文庫なら上中下ぐらいの大容量。

 文章はややぎこちない。まあ O'Reilly よりマシだけど←一般人には通じない表現はやめろ 内容も比較的に分かりやすい。地理的にも時代的にも世界史を飛び回る本だが、エピソードごとに時代背景を説明しているので、歴史に疎くても大丈夫だ。敢えて言えば、著者がベネズエラ出身のためか、スペイン語圏の話が多いのが特徴だろう。

【構成は?】

 各章はそれぞれ独立しているので、気になった所だけをつまみ食いしてもいい。

  • 最新版を手にした読者の皆さまへ
  • イントロダクション
  • 第1部 旧世界
  • 第1章 古代オリエント
    書物の破壊はシュメールで始まった/エブラほかシリアに埋もれた図書館/バビロニア王国時代の図書館/アッシュルバニパルの大図書館/謎に包まれたヒッタイトの文書/ペルセポリスの焼き討ち
  • 第2章 古代エジプト
    初期のパピルス文書の消滅/ラムセウム/秘密の文書の焚書/“生命の家”/トートの禁じられた文書
  • 第3章 古代ギリシャ
    廃墟と瓦礫の間に/エンペドクレスの詩の破壊/プロタゴラスに対する検閲/プラトンも書物を焼いた/アルテミス神殿の破壊/古代ギリシャの医師/ふたりのビブリオクラスタ
  • 第4章 アレクサンドリア図書館の栄枯盛衰
  • 第5章 古代ギリシャ時代に破壊されたその他の図書館
    ペルガモン図書館/アリストテレスの著作の消失/廃墟と化したその他の図書館
  • 第6章 古代イスラエル
    契約の箱と十戒の石板の破壊/エレミヤ書/ヘブライ語聖書の崇拝/死海文書/聖書を食べる預言者たち
  • 第7章 中国
    秦の始皇帝と前213年の焚書/始皇帝以後の書物の破壊/仏教文書に対する迫害
  • 第8章 古代ローマ
    帝国の検閲と迫害/失われた図書館の世界/ヘルクラネウムの焼け焦げたパピルス文書
  • 第9章 キリスト教の過激な黎明期
    使徒パウロの魔術書との戦い/テュロスのポルピュリオスの『反キリスト教論』/グノーシス文書/初期の異端/ヒュパティアの虐殺
  • 第10章 書物の脆さと忘却
    無関心による書物の破壊/使用言語の変化がもたらした影響
  • 第2部 東ローマ帝国の時代から19世紀まで
  • 第1章 コンスタンティノープルで失われた書物
  • 第2章 修道士と蛮族
    図書館が閉ざされていた時代/アイルランドの装飾写本/中世ヨーロッパの修道院/パリンプセスト/書物の守護者たち
  • 第3章 アラブ世界
    初期に失われた図書館/イスラムを攻撃したモンゴル人たち/アラムトにあった暗殺者たちの図書館/フラグによるバグダートの書物の破壊
  • 第4章 中世の誤った熱狂
    アベラールの焚書/反逆者エリウゲナ/タルムードその他のヘブライ語の書物/マイモニデスに対する検閲/ダンテの悲劇/“虚栄の焼却”/キリスト教のなかの異端
  • 第5章 中世スペインのイスラム王朝とレコンキスタ
    アルマンソルによる焚書/イブン・ハズムの禁じられた詩/シスネロスとコーランの破壊
  • 第6章 メキシコで焼かれた写本
    先コロンブス期の絵文書の破壊/先住民側による自発的な破壊
  • 第7章 ルネサンス最盛期
    グーテンベルク聖書の破壊/ピコ・デラ・ミランドラの蔵書/コルヴィナ文書の消滅/ミュンスターの再洗礼派/異端者ミシェル・セルヴェ/迫害と破壊/興味深いふたつの逸話
  • 第8章 異端審問
    異端審問所と書物の検閲/新世界における異端審問
  • 第9章 占星術師たちの処罰
    エンリケ・デ・ビリェナの蔵書の破壊/トリテミウスの『ステガノグラフィア』/ノストラダムスの発禁処分/ジョン・ディーの秘密の蔵書
  • 第10章 英国における焚書
    正統派による弾圧/迫害された論客/英国の宗教的対立
  • 第11章 厄災の最中で
    ロンドン大火/エル・エスコリアル修道院と古文書の焼失/アイザック・ニュートンをめぐる書物の破壊/アウルトニ・マグヌッソンの蔵書/天災・人災の世紀/海賊の襲撃/海難事故/戦争・暴動/ワシントンの焼き討ちと米国議会図書館の消失/コットン卿の写本コレクションの消失/メリダの神学校図書館
  • 第12章 革命と苦悩
    自由思想に対する責め苦/フランスにおける知識人への攻撃/フランス革命時の書物の破壊/啓蒙専制君主の時代から19世紀にかけてのよもやま話/1871年のパリ・コミューン/スペインとラテンアメリカにおける独立戦争と革命
  • 第13章 過剰な潔癖さの果てに
    ヤコブ・フランク/ナフマン・ブラツラフ/バートンの忌まわしき原稿/猥褻罪による焚書/ダーウィンと『種の起源』/ニューヨーク悪徳弾圧協会とコムストック法
  • 第14章 書物の破壊に関する若干の文献
  • 第15章 フィクションにおける書物の破壊
  • 第3部 20世紀と21世紀初頭
  • 第1章 スペイン内戦時の書物の破壊
  • 第2章 ナチスのビブリオコースト
  • 第3章 第二次世界大尉戦中に空爆された図書館
    緒戦/フランス/イタリア/英国/ドイツ/終焉
  • 第4章 現代文学の検閲と自主検閲
    ジョイスに対する攻撃/著作が破壊されたその他の作家たち/北米における国家の検閲/迫害された作家たち/サルマン・ラシュディ対イスラム原理主義/作家が自著を悔やむとき
  • 第5章 大災害の世紀
    翰林院と『永楽大典』/日中戦争/記憶が危機にさらされるとき/スペイン科学研究高等評議会の蔵書/図書館の二大火災、ロサンゼルスとレニングラード/アンナ・アマリア図書館
  • 第6章 恐怖の政権
    ソビエト連邦における検閲と焚書/スペインのフランコ主義/検閲政権/中国の文化大革命/アルゼンチンの軍事政権/チリの独裁者ピノチェトと文化に対する攻撃/原理主義者たち/アフリカにおける大惨事/パレスチナ、廃墟と化した国
  • 第7章 民族間の憎悪
    セルビアの書物殺し/書物のないチェチェン
  • 第8章 性、イデオロギー、宗教
    性の追放/文化の“粛清”/学生が教科書に抱く憎しみ/『ハリー・ポッター』事件/コーランの焚書騒動
  • 第9章 書物の破壊者
    文書にとっての天敵/自滅する紙/唯一残った書物/出版社や図書館/税関
  • 第10章 イラクで破壊された書物たち
  • 第11章 デジタル時代の書物の破壊
    図書館に対するテロ/ワールドトレードセンターに対する攻撃/書籍爆弾事件/紙の書籍vs電子書籍
  •  謝辞/原注/参考文献/人名索引

【感想は?】

 書名から、焚書などの意図的・人為的なものが中心かと思った。

 実際、最も多いのは抑圧や略奪、または放火や戦火に巻き込まれた場合だ。だが、意外と災害によるケースも多い。例えばエジプトのパピルス。

今日、現存する前四世紀以前のギリシャ語パピルス文書の例はない。
  ――第1部 旧世界 第10章 書物の脆さと忘却

 経年劣化でダメになったのだ。幸いにして幾つかの書物は羊皮紙の写本として残っているが、原本は消えてしまった。これと似た事を現代でも繰り返していいるのが切ない。終盤に出てくる酸性紙(→Wikipedia)である。

 確かに集英社も週刊少年ジャンプを何千年も保存するなんて考えちゃいないだろうが、数世紀未来の人類にとっては、アレも貴重な歴史的資料と目される筈なんだよなあ。同じく未来のことを考えると、現代の電子書籍も…

現在使用している(電子書籍の)端末機器が2100年になっても有効かどうかは疑問だ。
  ――第3部 20世紀と21世紀初頭 第11章 デジタル時代の書物の破壊

 端末もそうだし、元データもサーバ側がちゃんとバックアップ取ってりゃいいけど。あとユニコードもいつまでもつやら。今だって配布元の倒産や買収で読めなくなる危険はあるんだよね。もっとも、それは紙も同じで、サンリオSF文庫とかブツブツ…

 などと人類史レベルの規模で「記録」を考えたくなるのが、この本の特徴。

 このブログにしたって、いつまでもつやら。もっとも、残す価値があるかというとムニャムニャ。個人的にも暫くしたら黒歴史になりそうだし。作家自らが自著を葬った話も「第3部 20世紀と21世紀初頭 4章 現代文学の検閲と自主検閲 作家が自著を悔やむとき」で扱ってる。エドガー・アラン・ポーやホルヘ・ルイス・ボルヘスにさえ黒歴史があるなら、泡沫ブロガーが屑記事を書いても当然だよね。

 とか呑気なことばかり言ってられないのが、戦争による被害。これは意図的な場合もあれば、単なる無思慮の時もある。絨毯爆撃すれば、当然ながら図書館だって燃えてしまう。

ドイツ軍はソビエト連邦の侵略に失敗したが、両者の激しい戦闘で1億冊もの本が消滅した(計算違いではない。1億冊である)。
  ――第3部 20世紀と21世紀初頭 第3章 第二次世界大尉戦中に空爆された図書館

 広島と長崎はもちろん東京大空襲でも、貴重な本が大量に失われたんだろうなあ。こういう悲劇は今も続いていて…

イラク国内の郭遺跡の略奪で、未発掘の粘土板の断片が15万枚失われたともいわれる。
  ――第3部 20世紀と21世紀初頭 第10章 イラクで破壊された書物たち

 きっとシリアでも同じなんだろう。そんなイラクでも、資料を守ろうとする人はいるんだけど。こういう人は昔からいて…

(イタリアのモンテカッシーノ修道院は)1944年、第二次世界大戦中に連合国軍の空襲を受けて全滅した(略)。事前にドイツ占領軍内にいた、敬虔なカトリック信者の将校たちの判断で、古代以来の貴重な写本や芸術品の多くがヴァチカンに移送されていたのは、奇跡としかいいようがない。
  ――第2部 東ローマ帝国の時代から19世紀まで 第2章 修道士と蛮族

 と、あの激戦(→Wikipedia)から逃れた本もあったのだ。

 そうした幸運に恵まれず、戦争による被害で最も有名なのは、アレクサンドリアの図書館(→Wikipedia)だろう。俗説じゃアラブ人が燃やした事になっているが、本書じゃ三つの説を挙げている。215年~395年のローマ人によるもの,320年~の地震,無関心による放置。俗説と全然ちがうじゃないか。いずれにせよ、戦争は人の命に加え多くの本も道連れにするのだ。

 これに意図的な破壊が加わると、事態は壊滅的になる。中でも最も悲惨なのがスペインによる中南米の侵略だろう。

絵文書、いわゆるアステカ・コデックスに関しては、当時の略奪・破壊の成果で、彼らの歴史を知るうえで重要かつ貴重な写本はほとんど残っていない状況だという。(略)最も重要とされる文献のほとんどが、ヨーロッパにあるという事実に眩暈を覚える。
  ――第2部 東ローマ帝国の時代から19世紀まで 第6章 メキシコで焼かれた写本

焚書の嵐を生き延びた先コロンブス期のマヤの絵文書は三つのみだった。
  ――第2部 東ローマ帝国の時代から19世紀まで 第6章 メキシコで焼かれた写本

 と、文明そのものを滅ぼした上に、その痕跡までも消し去っている。これも一つのショック・ドクトリンなんだろう。今ある文化を壊して白紙に戻し、自分たちの文化で上書きしよう、そういう発想だ。

(焚書の)先導者たちの意図は明白だ。過去の記憶も制度も消し去り、聖書の解釈をすべて再洗礼派の思想にゆだねる。
  ――第2部 東ローマ帝国の時代から19世紀まで 第7章 ルネサンス最盛期

 もちろん、やられる側も黙っているワケじゃない。そこで、どうしたって暴力、それも組織的な暴力が必要となる。

教条主義はいつの時代にも自らの教義を庇護し、それに同意せぬ者を威嚇する機関を必要とする。
  ――第2部 東ローマ帝国の時代から19世紀まで 第8章 異端審問

 スペインの異端審問はトビー・グリーンの「異端審問」が怖かった。ブレーズ・パスカルが語るように…

≪人は宗教的確信に促されて行うときほど、完全に、また喜んで悪事を働くことはない≫
  ――第2部 東ローマ帝国の時代から19世紀まで 第12章 革命と苦悩

 宗教が絡むとヤバい上に、イベリア半島では容疑者の財産の没収など俗な欲望も絡み凄まじい事になる。もっとも変わった異端もあって、2世紀の北アフリカで流行ったアダム派(→Wikipedia)の主張の一つは「裸の状態に回帰」。どうもヒトには「裸になりたい」って欲があるらしい。

 落穂ひろい的なネタとしては、写本時代の本の価格のヒントが嬉しい。

 1573年、スペインのフェリペ二世は筆写者としてニコラオス・トゥリアノスを雇う。トゥリアノスは30年間で「ギリシャ語の古文書40冊の写本を作成した」。極めて大雑把な計算で年一冊。当時の筆写者は相当なインテリだろう。なら写本一冊はエリートの年収ぐらい。印刷以前の本は、とんでもなく高価なシロモノだったのだ。グーテンベルクに感謝。あと蔡倫に始まる製紙法の発明者たちにも。

 今は私のような庶民でも図書館に行けば読み切れないほどの本に出合える。なんと幸福で贅沢で奇跡的な社会であることか。こんな時代がずっと続くといいなあ。

 あ、ただし、「○○で××冊の本が失われた」みたいな記述が延々と続くため、本が大好きで繊細な人は心が痛くて読み通せないかもしれない。そこは覚悟して挑もう。

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