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2020年8月31日 (月)

小川哲「ゲームの王国 上・下」早川書房

闇の中からは、光がよく見える。
  ――上巻p9

「誰が勝ってて、誰が負けてるか、どうして勝ち、どうして負けるか。その仕組みが知りたくて、ときどきそういったことを考えるんだ」
  ――上巻p141

政治とは正しい考えを競うゲームではなく、正しい結果を導くゲームだ。
  ――上巻p279

ルールには二種類ある、とムイタックは説明した。みなが守るべきルールと、ルールに関するルールだ。
  ――上巻p304

「俺たちがずっと探していたものは、これなんじゃないかな」
  ――下巻p130

くじ引きにおいて、人々は神とゲームで対決する。
  ――下巻p155

【どんな本?】

 「ユートロニカのこちら側」で2015年の第3回ハヤカワSFコンテスト大賞を受賞した小川哲が、激動のカンボジア現代史を描いたSF/ファンタジイ長編。

 1956年、カンボジア。高校の歴史教師サロト・サル(後のポル・ポト)は、穏やかな人柄で生徒から人気を得ていた。だが夜には人目を避けつつ、共産党の集会でシハヌーク政権を覆す戦略を練っている。同年、郵便局員のヒンはサロト・サルの娘らしき赤子を預かり、ソリヤと名づけ育て始めた。

 1964年。ロベープレソンの農民の息子ティウンは6歳。その日に生まれた弟ムイタックに、老師は奇妙な予言をする。「この子はクメール人に大きな災いか、あるいは大きな幸福をもたらすでしょう」。村では賢い方だったティウンたが、ムイタックは更に鋭い頭脳を持っていた。

 1975年。ソリヤとティウンとムイタックはバタンバンで出会う。ムイタックはそれまでトランプのゲームでは負け知らずだったムイタックだが、ソリヤが相手だと互角の勝負になる。楽しく遊んでいた三人だが、街にクメール・ルージュが雪崩れ込んできた。

 腐敗が蔓延したカンボジア王国時代・クメール共和国時代、高い理想のもとに虐殺が横行した民主カンプチア時代、そして近未来のカンボジア王国を舞台として、「ゲーム」を機に出会ったソリヤとイムタックを軸に、そこに生き死んでいった人々の姿を描き出す、衝撃の長編小説。

 2018年に第38回日本SF大賞と第31回山本周五郎賞受賞に加え、 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2018年版」でベストSF2017国内篇の第2位に輝いた。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2017年7月25日発行。私が読んだのは2018年5月20日の4刷。単行本ハードカバー縦一段組み上下巻で約383頁+353頁=736頁。9ポイント43字×20行×(383頁+353頁)=約632,960字、400字詰め原稿用紙で約1,583枚。文庫なら上中下でもいい分量。なお今はハヤカワ文庫JAから文庫の上下巻で出ている。

 文章はこなれていて読みやすい。内容もわかりやすい。クメール・ルージュのキリング・フィールドで有名なカンボジアが舞台だが、カンボジア現代史を知らなくても、読んでいれば自然と雰囲気は伝わってくる。仕掛けはSFというよりファンタジイに近いので、あまり難しく考えない方が吉。

【感想は?】

 まずは上巻の圧倒的な筆致で描くカンボジア現代史に圧倒される。

 クメール・ルージュの頃(民主カンプチア時代)の酷さは映画「キリング・フィールド」などで有名だが、それ以前のカンボジアはよく知らなかった。

 が、この作品でなぜクメール・ルージュが成功したのか、なんとなくわかってくる。もともと腐敗しきってて、みんな変化を求めていたのだ。ソリヤの養父母ヒンとヤサの物語は、当時のカアンボジア政府の出鱈目さを嫌というほど見せつけてくる。秘密警察の無駄な強引さも凄いが、郵便制度もこれじゃなあ。

 対してティウンとムイタックのパートは、同時期の農村ロベープレソンを描く。こちらは政府の力が及ばない分、牧歌的ではあるが、そこに暮らす人々は野放図って言葉じゃ収まらない強烈な個性の持ち主ばかり。二人の父のサムも、頼りがいのある働き者の村長ではあるんだが、理屈の通じなさっぷりは、いかにも田舎のトーチャンらしい。

 そんな父の息子として生まれたティウン、下手に賢いのが災いして、事あるごとに拳骨の雨が降ってくる。こういう親子関係がよく書けるなあ、と感心してしまう。もっとも、その後に描かれる村の子供たちの社会も、やっぱり理屈が通じないのは同じだったり。こういう社会でなまじっか賢いと苦労するんだよなあw

 もちろん、理屈が通じないのは大人も同じ。そもそも彼らの呼び名が「養豚ニム」「脱糞ナン」「輪ゴム」「泥」「鉄板」と、小学生のあだ名並みのセンスなのが、なんともw

 しかも、彼らの個性が名前に負けてないんだよなあw 脱糞ナンはともかく、泥と鉄板のイカレっぷりときたら…。単にイカレてるだけじゃなく、彼らなりに筋が通てるのも本物っぽい。こういうイカレた人を創造する能力は、筒井康隆以来の才能かも。

 そんな彼らの暮らしが、否応なしに壊されてゆくのが、上巻の後半。お待ちかね?のキリング・フィールドの始まりだ。普通に考えればオンカー(組織)こそが元凶なのに、怒りの矛先が仲間や隣人たちへと向かってゆく過程が怖い。キリング・フィールドを引き合いに出すと遠い世界の事のようだが、似たような事は私たちの職場や近所づきあいでもよく起きてたりする。

 高邁な理想を掲げて思い切った改革をしたクメール・ルージュだが、結果はご存知の通り。ここで自分たちの間違いを認めず、更に暴走に拍車がかかるあたりも、権力の怖さが伝わってくるところ。スターリンが散々やらかしてたんだけど、彼らは知らなかったのか、知ってて自分には関係がないと思っていたのか。

「もっとも高い理想を掲げている人が、もっとも残酷なことをするの」
  ――上巻p297

 下巻では、そんな時代を生き延びた、近未来の人々を描きつつ、焦点は次第に主人公格のソリヤとティウンとムイタックに絞られてゆく。いや、やっぱりロベープレソンの強烈な面々も顔を出すし、WPなんて強烈な奴も新しく登場してくるけど。同様の強烈さを備えたダラ医師との対決は、これだけで独立した短編にして欲しいぐらいの濃い場面。

 などの混沌が支配するカンボジアで、ある意味じゃ正攻法で立ち向かおうとするソリヤと、別の道を探るティウンとムイタック。

 彼ら三人が主人公格として描かれるが、三人とは全く異なったアプローチをとるのがラディー。同じ「ゲーム」に対し、鮮やかにルールの裏をかくラディーは、この物語でトリックスターとしての役割を果たす。ある意味、彼は裏主人公なのかも。

 一見ルール無用に見える過酷なカンボジアの現代史の中で、見えないルールに支配されたゲームとして解釈しようとする者、頑なに自分のルールで生きる者、そしてルールの穴をついてスリ抜ける者などを役に配し、ヒトの社会を見事にデフォルメして描き切った問題作。読みやすくて面白いのは保証する。SFやファンタジイが苦手でなければ、きっと夢中になれる。

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