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2020年8月の11件の記事

2020年8月31日 (月)

小川哲「ゲームの王国 上・下」早川書房

闇の中からは、光がよく見える。
  ――上巻p9

「誰が勝ってて、誰が負けてるか、どうして勝ち、どうして負けるか。その仕組みが知りたくて、ときどきそういったことを考えるんだ」
  ――上巻p141

政治とは正しい考えを競うゲームではなく、正しい結果を導くゲームだ。
  ――上巻p279

ルールには二種類ある、とムイタックは説明した。みなが守るべきルールと、ルールに関するルールだ。
  ――上巻p304

「俺たちがずっと探していたものは、これなんじゃないかな」
  ――下巻p130

くじ引きにおいて、人々は神とゲームで対決する。
  ――下巻p155

【どんな本?】

 「ユートロニカのこちら側」で2015年の第3回ハヤカワSFコンテスト大賞を受賞した小川哲が、激動のカンボジア現代史を描いたSF/ファンタジイ長編。

 1956年、カンボジア。高校の歴史教師サロト・サル(後のポル・ポト)は、穏やかな人柄で生徒から人気を得ていた。だが夜には人目を避けつつ、共産党の集会でシハヌーク政権を覆す戦略を練っている。同年、郵便局員のヒンはサロト・サルの娘らしき赤子を預かり、ソリヤと名づけ育て始めた。

 1964年。ロベープレソンの農民の息子ティウンは6歳。その日に生まれた弟ムイタックに、老師は奇妙な予言をする。「この子はクメール人に大きな災いか、あるいは大きな幸福をもたらすでしょう」。村では賢い方だったティウンたが、ムイタックは更に鋭い頭脳を持っていた。

 1975年。ソリヤとティウンとムイタックはバタンバンで出会う。ムイタックはそれまでトランプのゲームでは負け知らずだったムイタックだが、ソリヤが相手だと互角の勝負になる。楽しく遊んでいた三人だが、街にクメール・ルージュが雪崩れ込んできた。

 腐敗が蔓延したカンボジア王国時代・クメール共和国時代、高い理想のもとに虐殺が横行した民主カンプチア時代、そして近未来のカンボジア王国を舞台として、「ゲーム」を機に出会ったソリヤとイムタックを軸に、そこに生き死んでいった人々の姿を描き出す、衝撃の長編小説。

 2018年に第38回日本SF大賞と第31回山本周五郎賞受賞に加え、 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2018年版」でベストSF2017国内篇の第2位に輝いた。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2017年7月25日発行。私が読んだのは2018年5月20日の4刷。単行本ハードカバー縦一段組み上下巻で約383頁+353頁=736頁。9ポイント43字×20行×(383頁+353頁)=約632,960字、400字詰め原稿用紙で約1,583枚。文庫なら上中下でもいい分量。なお今はハヤカワ文庫JAから文庫の上下巻で出ている。

 文章はこなれていて読みやすい。内容もわかりやすい。クメール・ルージュのキリング・フィールドで有名なカンボジアが舞台だが、カンボジア現代史を知らなくても、読んでいれば自然と雰囲気は伝わってくる。仕掛けはSFというよりファンタジイに近いので、あまり難しく考えない方が吉。

【感想は?】

 まずは上巻の圧倒的な筆致で描くカンボジア現代史に圧倒される。

 クメール・ルージュの頃(民主カンプチア時代)の酷さは映画「キリング・フィールド」などで有名だが、それ以前のカンボジアはよく知らなかった。

 が、この作品でなぜクメール・ルージュが成功したのか、なんとなくわかってくる。もともと腐敗しきってて、みんな変化を求めていたのだ。ソリヤの養父母ヒンとヤサの物語は、当時のカアンボジア政府の出鱈目さを嫌というほど見せつけてくる。秘密警察の無駄な強引さも凄いが、郵便制度もこれじゃなあ。

 対してティウンとムイタックのパートは、同時期の農村ロベープレソンを描く。こちらは政府の力が及ばない分、牧歌的ではあるが、そこに暮らす人々は野放図って言葉じゃ収まらない強烈な個性の持ち主ばかり。二人の父のサムも、頼りがいのある働き者の村長ではあるんだが、理屈の通じなさっぷりは、いかにも田舎のトーチャンらしい。

 そんな父の息子として生まれたティウン、下手に賢いのが災いして、事あるごとに拳骨の雨が降ってくる。こういう親子関係がよく書けるなあ、と感心してしまう。もっとも、その後に描かれる村の子供たちの社会も、やっぱり理屈が通じないのは同じだったり。こういう社会でなまじっか賢いと苦労するんだよなあw

 もちろん、理屈が通じないのは大人も同じ。そもそも彼らの呼び名が「養豚ニム」「脱糞ナン」「輪ゴム」「泥」「鉄板」と、小学生のあだ名並みのセンスなのが、なんともw

 しかも、彼らの個性が名前に負けてないんだよなあw 脱糞ナンはともかく、泥と鉄板のイカレっぷりときたら…。単にイカレてるだけじゃなく、彼らなりに筋が通てるのも本物っぽい。こういうイカレた人を創造する能力は、筒井康隆以来の才能かも。

 そんな彼らの暮らしが、否応なしに壊されてゆくのが、上巻の後半。お待ちかね?のキリング・フィールドの始まりだ。普通に考えればオンカー(組織)こそが元凶なのに、怒りの矛先が仲間や隣人たちへと向かってゆく過程が怖い。キリング・フィールドを引き合いに出すと遠い世界の事のようだが、似たような事は私たちの職場や近所づきあいでもよく起きてたりする。

 高邁な理想を掲げて思い切った改革をしたクメール・ルージュだが、結果はご存知の通り。ここで自分たちの間違いを認めず、更に暴走に拍車がかかるあたりも、権力の怖さが伝わってくるところ。スターリンが散々やらかしてたんだけど、彼らは知らなかったのか、知ってて自分には関係がないと思っていたのか。

「もっとも高い理想を掲げている人が、もっとも残酷なことをするの」
  ――上巻p297

 下巻では、そんな時代を生き延びた、近未来の人々を描きつつ、焦点は次第に主人公格のソリヤとティウンとムイタックに絞られてゆく。いや、やっぱりロベープレソンの強烈な面々も顔を出すし、WPなんて強烈な奴も新しく登場してくるけど。同様の強烈さを備えたダラ医師との対決は、これだけで独立した短編にして欲しいぐらいの濃い場面。

 などの混沌が支配するカンボジアで、ある意味じゃ正攻法で立ち向かおうとするソリヤと、別の道を探るティウンとムイタック。

 彼ら三人が主人公格として描かれるが、三人とは全く異なったアプローチをとるのがラディー。同じ「ゲーム」に対し、鮮やかにルールの裏をかくラディーは、この物語でトリックスターとしての役割を果たす。ある意味、彼は裏主人公なのかも。

 一見ルール無用に見える過酷なカンボジアの現代史の中で、見えないルールに支配されたゲームとして解釈しようとする者、頑なに自分のルールで生きる者、そしてルールの穴をついてスリ抜ける者などを役に配し、ヒトの社会を見事にデフォルメして描き切った問題作。読みやすくて面白いのは保証する。SFやファンタジイが苦手でなければ、きっと夢中になれる。

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2020年8月27日 (木)

グラント・キャリン「サターン・デッドヒート」ハヤカワ文庫SF 小隅黎・高林慧子訳

「あれの製作者は六という数字に固執していたのです」
  ――p76

「あのふたりの豚野郎を地球軌道まで運んでいける人間はわたししかいませんから」
  ――p163

「何か新しいことを学ぶのはけっして無駄づかいじゃないよ」
  ――p202

「元気を出せよ、提督。もし<キャッチャー>があなたをひろいあげそこねたら、いずれにせよあなたは死ぬんだから」
  ――p313

「もう、六じゃ駄目かもしれないよ、ディンプ」
  ――p386

【どんな本?】

 合衆国空軍で宇宙技術者将校を務め、NASAの宇宙ステーション計画にも参加したSF作家グラント・キャリンによる、近未来の太陽系それも土星近傍を舞台としたエキサイティングで爽快な冒険サイエンス・フィクション。

 人類が太陽系に進出し始めた未来。クリアス・ホワイトティンプルは、四十代の考古学教授だ。勤め先は地球近傍のスペースコロニー、ホームⅢの大学。彼にコロニー集団を仕切るスペースホーム社のジョージ・オグミから連絡が入る。土星の衛星イアペトゥスで、異星人の遺物らしき物が見つかった。六角形の容器に入った厚さ1cmほどの合金で、表面に円・円弧・直線そして六角形からなる線画が描かれている。

 どうやら「異星人の宝物」の地図らしい。地図は土星近傍を示している。宝物が手に入れば、スペースコロニーは地球から財政的な独立が叶う。そこで遺跡の発掘と古文書の解読に長けたクリアスを呼んだのだ。

 せかされて土星近傍へと向かうクリアスだが、そこには同じ宝物を狙う地球の宇宙船も来ていた。人類の未来を賭けた宝探しレースが始まる…

 ボイジャーがかき集めた当時の最新情報を盛り込みつつ、個性豊かな登場人物と迫真の風景描写そして手に汗握るストーリーが楽しめる。

 なお訳者の小隅黎は柴野拓美のペンネーム。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は SATURNALIA, by Grant Callin, 1986。日本語版は1988年5月31日発行。文庫で縦一段組み本文約397頁に加え、高橋良平の解説6頁。8ポイント42字×18行×397頁=約300,132字、400字詰め原稿用紙で約751枚。文庫では厚い部類。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。土星とその衛星が舞台だが、その辺に疎くても大丈夫。必要な事柄は本文内にちゃんと説明がある。当然、メカ好きには嬉しいガジェットが続々と登場する。あと一種のバディ物でもあるので、腐った人には嬉しいかも。

 それと、少し基礎的な数字などを。温度0℃は約273K。地球の地表の気圧は約千ミリバール=1バール≒千ヘクトパスカル。有機水素=有機結合水素は炭化水素、要は石油や天然ガスのこと。

 ただ、今は新刊はもちろん古本でも発掘は難しいと思うので、図書館で借りよう。なんとかならん、早川さん?

【感想は?】

 ボビー・ドラゴン,マーヴェリック,シン・カザマ。この名前にピンときたあなたに、この本はお薦め。

 実はガッチリとしたサイエンス・フィクションの傑作として有名な作品だ。

 他恒星系が舞台の代表作が「竜の卵」なら、太陽系が舞台の作品としては本作が順当なところだろう。「竜の卵」は、中性子性という異様な環境がもたらす、私たちの感覚と全く異なる、というよりほとんど相いれないアレやコレやが、サイエンスを突き抜けたセンス・オブ・ワンダーを生んでいた。

 対して、本作はかろうじてヒトの感覚の枠内に収まる。違いもせいぜい2~3桁だ。あ、当然、十進数で。いや2~3桁ってのもなんだが、SFや天文学ってのはそうなんだからしょうがないw

 まあいい。そんな風に、なんとか想像できる範囲内に収まるだけ、本作は「過酷な状況でのスリリングな冒険物語」としての面白さが際立っている。そのクライマックスは、もちろんタイトル通り土星が舞台なんだけど、それはまた後で。

 冒頭から、冒険SF小説の王道を行ってる。土星の衛星イアペトゥスで見つかった、異星人の遺物らしきモノ。それには円と円弧と直線、それに六角形で構成された線画が描かれていた。調べたところ、線画は土星とその衛星に隠された「宝の地図」らしい。お宝を巡り、地球とスペース・コロニーのレースが始まる。

 冒頭でこの地図の謎を解くあたりから、SF冒険物の楽しさがギチギチに詰まってる。そもそも、相手は言葉も通じない異星人だ。そんな奴に、どうやってメッセージを伝えるか。ファースト・コンタクト物のセンス・オブ・ワンダーに加え、宝探しのワクワク感が味わえる、心地よい滑り出しだ。

 そこでスペースコロニー側の探偵役に選ばれるのが、クリアス・ホワイトディンプル、後に提督と呼ばれるオッサン。考古学者の宝探しというとインディ・ジョーンズが思い浮かぶが、残念ながら提督はアレほど肉体派じゃない…少なくとも、最初は。むしろ現状に満足している公務員に近い、知的で穏やかな人物だ。

 その提督のバディとなるのは、20歳の小鬼ことジュニア。優れた頭脳と卓越した操縦技術と邪悪なユーモア、そして脆弱な肉体の持ち主。

 「おいおい、そんなんでトップガンやれるのか?」と思われるかもしれないが、幸い舞台は大気圏じゃない。速度こそ秒速数kmなんて F-14 Tomcat も耐えられない高速度だけど、効いてくるのは空気力学じゃなくて軌道力学だ。しかも、土星なのがミソ。木星と違い土星にはアレがあって…。この風景も、本作の欠かせない味の一つ。

 パイロット物の主人公に共通した性質が幾つかある。飛ぶのが好きで、鼻っ柱が強くて、組織に馴染めない。そして人を評価する基準は地位でも財布の中身でもなく、飛ばす腕がすべて。登場時の提督は何一つ備えてないけど、ジュニアと共に危機をくぐり抜けるうち、次第に汚染されてきて…。こういうのも、本書の冒険物としての面白さに繋がっている。もっとも、ノリはライトノベルっぽいけどw

 また、単に飛ぶ場面だけじゃなくて、「降りる」場面の緊迫感が半端ないのも、本作の特徴だろう。この辺は、主に整備された滑走路での離着陸が多い固定翼機ではなく、整備もされず土地勘もない所での離着陸を求められる回転翼機に近いかも。

 そして、終盤では表紙イラストにあるように、なんと提督は土星にまで潜る羽目になる。それまでの低温低圧低重力とは正反対の、高温高圧高重力の環境だ。しかも厳しい環境は通信すらも阻害し、パイロットは孤独な戦いを余儀なくされる。ここでの静かに迫りくる恐怖は、潜水艦物を思わせる。

 当然ながら環境ごとに活躍するマシンも違うし、地球とコロニー双方の機体が出てくるので、メカ好きにも嬉しい場面が盛りだくさん。高圧環境に慣れパワーあふれる機体を贅沢に操る金持ちの地球に対し、知恵と工夫と腕で挑むコロニー陣営。いやあ、アクション物の王道だねえ。

 そんなわけで、科学でガッチリと設定を固めたサイエンス・フィクションの面白さと、向こう見ずなパイロットが危険に挑む冒険物の緊張、そして宝探し競争のゾクゾク感を兼ね備えた、王道の娯楽冒険SF小説だ。残念ながら今は手に入りにくいが、黄金期の爽快なSFが読みたいなら、頑張って探す価値はある。ほんと、何とかしてくださいハヤカワさん。

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2020年8月23日 (日)

C.ヴェロニカ・ウェッジウッド「ドイツ30年戦争」刀水書房 瀬原義生訳

1618年5月23日は、プラハ蜂起の日である。この日が、30年戦争の勃発の日と伝統的に見なされてきた。
  ――第1章 ドイツとヨーロッパ 1618年

1630年の降伏は、確かに、「ドイツの自由」の放棄を意味したかもしれない。しかし、これらの「自由」は、支配する君侯、せいぜい都市当局者の特権であって、人民の権利とはなんら係わりをもたないものなのである。
  ――第6章 デッドロック 1628-30年

マクデブルクの三万の住民のうち、生き残ったのはおよそ五千人であり、しかも大部分は女であった。兵士たちは、まず彼女たちを保護し、キャンプへ連れ込み、それから略奪するために都市に引き返した。
  ――第7章 スウェーデン王 1630-32年

1635年5月21日、(略)キリスト教最高のフランス国王ルイ13世が、カトリックの国王陛下、スペインのフェリーペ四世に対し、戦いを宣言した
  ――第8章 リュッツェンからネルトリンゲンへ、そしてその後 1632-35年

スイス連邦の存在は、これまで承認を受けてはいなかった。彼らは、いまや、これを要求し、与えられた。
  ――第11章 平和に向かって 1643-48年

この戦争は、ヨーロッパ史の中で、跳び抜けて無意味な紛争の典型であろう。
  ――第12章 平和、そして、その後

【どんな本?】

 ドイツ30年戦争(→Wikipedia)は、1618年のプラハ王宮窓投下事件(→Wikipedia)に始まり1648年のウェストファリア平和調印(→Wikipedia)で終わったとされる。

 主な戦場となったドイツ(神聖ローマ帝国)はもちろん、スウェーデン・デンマーク・オランダ・フランス・スペイン・オーストリアなど周辺国を巻き込みまたは積極的に介入し泥沼の様相を呈した戦争は、戦闘による被害はもちろん、軍による略奪や脱走兵・敗走兵の野盗化に加え、重税・疫病・凶作などもあり、ドイツの国力を激しく落とすとともに、欧州各国の力関係も大きく変えた。

 本書は30年戦争の顛末に加え、主な人物の背景事情と思惑、当時の軍の様子と戦闘の推移、そして戦争がドイツや欧州情勢に与えた影響などを、多岐にわたる大量の資料を基に再現する、重量級の歴史書である。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Thirty Years War, by Cicely Veronica Wedgewood, 1956。日本語版は2003年11月13日初版1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約568頁に加え、訳者による解題5頁。9ポイント52字×20行×568頁=約590,720字、400字詰め原稿用紙で約1,477枚。文庫なら三冊分の大容量。

 文章は硬い。要は学者の文章だ。二重否定・三重否定の英国人らしい皮肉なユーモアが多いので、原文も硬いんだろう。それに加えて、「主語A→主語B→述語B→述語A」みたいな入れ子の文もよく出てくる。

 ただし内容は不思議なくらいわかりやすい。多様な勢力が入り乱れる泥沼の内戦であるにも関わらず、各勢力の状況や動機そして共闘・対立・裏切りの構図をスッキリした形で示すので、読者の頭にはスンナリと入ってくる。

 当然ながらドイツおよび近隣の地名が次々と出てくるので、Google Map や地図帳があると便利。もっとも、国境は現在と違っているし、ボヘミアがチェコに、モラヴィアがスロバキアになど、国の名前も変わっているのは覚悟しよう。

【構成は?】

 目次でわかるように時系列順に進むので、素直に頭から読もう。末尾の「三十年戦争主要人名録」はとても役に立つ。

  • はじめに
  • 第1章 ドイツとヨーロッパ 1618年
    • 1 不安定な年1618年
    • 2 非効率な政治/粗野な日常生活
    • 3 神秘主義的世界観の横行/宗教上の対立 カトリック、ルター派、カルヴァン派/反宗教改革 ジェスイット教団とカプチン派
    • 4 世界を支配するハプスブルク・スペイン王国/ネーデルランドの情勢/北・東欧の諸国/フランスの台頭/「スペイン街道」の要所ヴァルテリーナ渓谷
    • 5 分裂した国家ドイツ/帝国政府のメカニズム/「ドイツの自由」/七人の選帝侯
    • 6 信仰問題を左右した領邦君主
    • 7 ドイツの知的生活/17世紀初頭の政治的小紛争
    • 8 オランダをねらうスピノーラ/ファルツ選帝侯フリードリヒ、イギリス王女エリザベスと結婚/選帝侯の執事アンハルト/シュタイヤーマルク大公フェルディナント
    • 9 ザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルク/バイエルン大公マクシミリアン
  • 第2章 ボヘミアのための王 1617-19年
    • 1 宗教問題の錯綜する国ボヘミア/ボヘミアの国制/シュリックとトゥルン伯/フェルディナント大公、ボヘミア王に就任/プラハ城窓投下事件
    • 2 皇帝軍、ボヘミアに侵入/選帝侯執事アンハルトの誤算/マンスフェルトと傭兵群体
    • 3 フェルディナントの最初の危機/ベートレン・ガボルの蜂起/選帝侯フリードリヒ、ボヘミア王に選出される/二日後、フェルディナント(二世)、ドイツ皇帝に選挙される
    • 4 選帝侯フリードリヒ、孤立のまま、ボヘミア王を受諾
  • 第3章 スペイン、警鐘を鳴らし、ドイツは警報を発す 1619-21年
    • 1 ボヘミア王フリードリヒの政治的孤立
    • 2 諸外国、ボヘミア王に冷淡
    • 3 ウルムでの一蝕即発の危機回避/スピノーラ、ラインへの侵攻開始
    • 4 ザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルク、帝国体制維持を口実に、ボヘミア王を見放す
    • 5 「冬の王様」/ティリー軍、ボヘミアへ侵攻/スピノーラ、ファルツへ侵攻/ヴァイサーベルクの戦い/ボヘミア王亡命/プラハの降伏
    • 6 フリードリヒ、降伏せず/マンスフェルト、ビルゼンを確保/大公マクシミリアン、報酬(選帝侯位)を要求/紛争の焦点、ラインに移る
  • 第4章 皇帝フェルディナントと選帝侯マクシミリアン 1621--25年
    • 1 ボヘミア反徒の処
    • 2 スペイン宰相オリヴァーレス/ライン河流域に戦線拡大
    • 3 ボヘミア王の頭脳はエリーザベト王妃/ブラウンシュヴァイクのクリスティアン、彼女に心酔/ヴィンペンの戦い/マンスフェルトとクリスティアン合流、アルザスに侵攻/ベルゲン包囲戦開始/ハイデルベルク落城
    • 4 マクシミリアンへの選帝侯譲位
    • 5 フェルディナントのボヘミア収拾策/ヴァレンシュタインの登場/ボヘミア、カトリックに復帰/オーストリア帝国の創造
    • 6 北ドイツの情勢/クリスティアン、シュタットローンの戦いでティリーに惨敗
    • 7 マンスフェルト、雇い主を探す/宰相リシュリュー登場/鼠色の猊下ジョセフ神父/対ハプスブルグ大包囲網の結成
  • 第5章 バルト海に向けて 1625-28年
    • 1 ヴァレンシュタイン、軍備増強を献策/スピノーラ、ブレダを陥落させる/ハンザ同盟圏に危機迫る
    • 2 デンマーク王クリスティアン四世、北ドイツに侵攻/ブラウンシュヴァイクのクリスティアンの死/デッサウ橋の戦いでヴァレンシュタイン、マンスフェルトを破る/ルッターの戦いでデンマーク軍、ティリーに惨敗/マンスフェルトの死
    • 3 オーバー・オーストリアの農民反乱
    • 4 軍隊駐留による社会的荒廃/ヴァレンシュタインの北ドイツ制圧の野望
    • 5 ヴァレンシュタイン、メックレンブルク大公に叙せられる
  • 第6章 デッドロック 1628-30年
    • 1 ヴァレンシュタインの中欧帝国構想
    • 2 マントヴァ戦争開始
    • 3 ヴァレンシュタイン、シュトラールズント市攻略失敗/ヴォルガストの戦いでデンマーク王敗退/ヴァレンシュタインに対する不満増大
    • 4 「教会領回復令」の発布/その実施対象 マクデブルク司教区の問題
    • 5 マントヴァ危機の深化/オランダ軍攻勢に出る/スウェーデン王、デンマーク王と会見/リューベックの平和/グスターヴ・アードルフ、ドイツ侵攻を決意
    • 6 民衆の悲惨な生活
    • 7 レーゲンスブルク選帝侯会議/ヴァレンシュタイン罷免される
  • 第7章 スウェーデン王 1630-32年
    • 1 フランス・スウェーデン同盟条約成立
    • 2 スウェーデン軍、ドイツ侵攻開始/国王グスターヴ・アードルフ/宰相ウクセンシェルナ/スウェーデンの兵士/ベアヴェルデ条約
    • 3 ザクセン大公、「教会領回復令」の撤回を迫り、拒絶される/ディリー軍、マクデブルクを攻略/マクデブルクの惨状/スウェーデン王とブランデンブルク、ザクセン両選帝侯の同盟成立
    • 4 ブライテンフェルトの戦い/ティリー軍敗れ、プロテスタント救われる
    • 5 グスターヴ・アードルフ、南ドイツへ進撃
    • 6 ヴァレンシュタイン復帰への要請強まる/フランスの政情不安/リシュリューの複雑な外交政策/グスターヴの目的
    • 7 グスターヴ、バイエルンに進撃/ヴァレンシュタイン、復帰受諾/ティリーの死/グスターヴ、ミュンヘンを経て、ニュルンベルクへ後退/リュッツェンの戦い/グスターヴ戦死
    • 8 ドイツ社会の苦悩/ボヘミア王フリードリヒの死
  • 第8章 リュッツェンからネルトリンゲンへ、そしてその後 1632-35年
    • 1 平和へのかすかな芽生え
    • 2 ウクセンシェルナ、スウェーデンの体制を立て直す/「ハイルブロン連盟」結成される
    • 3 ネーデルラントでの休戦討議/枢機卿インファンテの出現
    • 4 将軍バッペンハイムとホルク/ヴァレンシュタインからの離反相次ぐ/ヴァレンシュタイン排除の陰謀/ヴァレンシュタインの暗殺
    • 5 ハンガリー王フェルディナント(のち皇帝、三世)の登場/ブルボン家内部の確執/ザクセン・ヴァイマールのベルンハルトの台頭/ネルトリンゲンの戦い/皇帝軍、勝利す
    • 6 ハンガリー王、西ドイツを席巻/ベルンハルト、リシュリューに接近
    • 7 宗教の後退、ナショナリズムが前面に/軍隊はなおナショナリズムの埒外
    • 8 「プラハの平和」、ザクセン大公とハプスブルクの和解/フランスとスウェーデンの同盟強化/フランス、対スペイン宣戦布告
  • 第9章 ラインのための戦い 1635-39年
    • 1 マクシミリアン、「プラハの平和」を受諾
    • 2 ウクセンシェルナ、スウェーデン軍を立て直す/皇帝軍、アルザス・ロレーヌに進出/ローアン将軍、ヴァルテリーナを制圧/ベルンハルト、リシュリューの支配下に入る/皇帝軍のパリ攻撃、挫折する/ヴァルテリーナ、フランスから失われる/ハンガリー王フェルディナント、「ローマ人の王」に選挙される
    • 3 皇帝フェルディナント二世の死/ドイツ社会の疲弊どん底をつく
    • 4 ドッセ河畔の戦いでスウェーデン軍、皇帝・ザクセン軍を破る/ベルンハルト、ラインフェルデンの戦いで勝利/ブライザッハの陥落と人間リシュリュー
    • 5 ベルンハルトの野心とその死
    • 6 ファルツ選帝侯カール・ルードヴィヒの失策
  • 第10章 スペインの崩壊 1939-43年
    • 1 スペイン領ネーデルランドの弱体化/スペインで内乱勃発/枢機卿インファンテの死
    • 2 ヘッセン・カッセル地方伯未亡人、フランスと同盟/皇帝フェルディナント三世の弟のレオポルト、皇帝軍司令官となる/皇帝、レーゲンスブルクに国会を召集し、平和の拡大をはかる/ブランデンブルクの新選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルム、皇帝より離反/ブランデンブルク、スウェーデンと休戦
    • 3 平和会議の予備交渉もたつく/スウェーデン軍総司令官バナー、北ドイツを確保/バナーの結婚と死/スウェーデン軍指揮官、トルステンソンに交替/第二次ブライテンフェルトの戦い/ウェストファリアの平和会議招集される
    • 4 アンギャン公、フランス軍の総指揮官となる/リシュリューの死/フランス王ルイ13世の死/アンギャン公、ロクロワの戦いでスペイン軍を撃破
  • 第11章 平和に向かって 1643-48年
    • 1 皇帝、ウェストファリア平和会議を認める/バイエルン軍司令官マーシー、フランス軍司令官テュレンヌと渡り合う/宰相マザラン登場/アンヌ・ドートリッシュ、フランスの立場を堅持/オランダ、これ以上のフランスの進出を恐れる/平和会議、ようやく開会
    • 2 会議出席者の顔ぶれ
    • 3 会議の主要議題/オスナーブリュックでプロテスタント、ミュンスターでカトリック、それぞれ会合
    • 4 トルステンソン、ヤンカウの戦いで皇帝・バイエルン軍を撃破/フランス軍、ドナウ河沿いに東進/ハプスブルク、追い詰められる
    • 5 皇帝代理人トラウトマンスドルフの登場/マクシミリアン、フランスへのアルザス譲渡の意向を示唆/ブランデンブルク選帝侯、西ボンメルンのスウェーデン譲渡に同意
    • 6 諸問題の解決進む/「教会領回復令」永久に棚上げされる
    • 7 スウェーデン軍南下し、バイエルンに侵入/フランスのオランダ制圧失敗/オランダ、スペインと和解(ミュンスターの平和)/ツースマルハウゼンの戦いで皇帝・バイエルン軍、最後の打撃を受ける/スウェーデン軍、プラハを包囲/ミュンスターで平和条約調印/戦争の終結
  • 第12章 平和、そして、その後
    • 1 困難な軍隊の引き上げ・解散
    • 2 戦争による経済的疲弊/人口の激減
    • 3 社会諸階級の動向/ドイツへのフランス文化の流入
    • 4 戦後の国際政治地図
    • 5 戦争に対するドイツ政治家の功罪
    • 6 ウェストファリア平和の評価
  • 解題
  • ハプスブルク王室婚姻関係図、プロテスタント王家・諸侯婚姻関係図
  • 三十年戦争主要人名録
  • 三十年戦争略年表
  • 索引

【感想は?】

 そう、文句なしに本格的な歴史書だ。

 さすがに1956年の著作だけあって文体はいささか古風だし、訳文もけっこうクセが強い。例えばやたら句点が多いとか。

 が、ソレに慣れると、意外とスンナリ頭に入ってくる。これは著者の巧みな分析によるものだろう。これを見事に現わすのが、次の文だ。

…三つの要素があった。カトリックとプロテスタント(略)、ハプスブルクとブルボン(略)、土着ドイツ人とスウェーデン侵入者…
  ――第7章 スウェーデン王 1630-32年

 30年戦争の分かりにくい点の一つが、これでクリアになる。一般には宗教戦争のように言われるが、それにしては奇妙な点が多い。例えばフランスの動きだ。当時のフランスはカトリック国で、プロテスタントであるユグノー(→Wikipedia)の反乱に手を焼いていた。にも関わらず、30年戦争ではプロテスタントに肩入れしている。カトリック vs プロテスタントの宗教戦争と捉えると、フランスの動きは理解しがたい。

 これを著者は三次元の対立軸で捉えなおす。X軸はカトリック vs プロテスタント、Y軸はハプスブルク(オーストリア&スペイン) vs ブルボン、そしてZ軸はドイツ人 vs 外国人だ。まあ、実際には、それに加えて、同陣営内の足の引っ張り合いや、それぞれの損得勘定もあるんだけど。

 そういう目で見ると、フランスの立場も見えてくる。フランス最大のライバルはスペイン=ハプスブルクで、ハプスブルクはカトリック。だからハプスブルクを弱らせるため敵に回ったのだ。

 同様に宗教じゃ割り切れないのがザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルク(→Wikipedia)。プロテスタントのルター派なんだが、あまし目立って動かず、終盤近くになって皇帝=カトリック側っぽい動きを見せる。彼の行動原理は「ドイツ人によるドイツ」で、フランスやスウェーデンの介入が嫌なのだ。なにせ、それまでの神聖ローマ帝国ときたら…

帝国は、理論的には、ドイツの民族的国家ではなく、国際的国家であり、そのなかで、運命の変遷から、ドイツ語を話す部分だけが残ったのである。フランス王だけでなく、イギリス、イタリア、スペイン、そして、デンマーク王までが、過去の皇帝選挙において、立候補しようと考えた。
  ――第7章 スウェーデン王 1630-32年

 と、地元とは関係ない者が出しゃばってたのだ。もっとも、この戦争をきっかけにお国意識が育ってくるんだけど。

 などの各陣営や人物像がハッキリと見えてくるのが本書の特徴の一つ。私はヴァレンシュタイン(→Wikipedia)が好きだなあ。土地価格の暴落に便乗して買い漁るとか、機を見るに敏な成り上がり者だけど、軍を育て維持し動かす能力はピカ一。なんたって…

ヴァレンシュタインは、ヨーロッパの支配者のなかで、戦争遂行集中体制の国家を考えた最初の人ではないか、とおもわれる。
  ――第7章 スウェーデン王 1630-32年

 当時じゃ唯一、生産・輸送・保管・流通すなわち兵站をキチンと考えていた人なのだ。戦場でも優れた指揮を見せ、流通前半におけるカトリックの優勢をもたらす立役者。なのに、あの最後は…

 当時の軍の様子が判るのも、軍ヲタとしては美味しいところ。スウェーデン王グスターヴ・アードルフ(→Wikipedia)の方形陣とかね。マスカット銃の三撃ちとか、まるきし信長だ。

 それ以上に面白かったのが、当時の将兵の編成や、軍の内情がわかる点。今も一人の前線兵に対し十人の後方が必要って言われてるけど、それは当時も同じ。

通常、一人の兵士には、一人の女、一人の女を付け加えて計算する(略)小・中尉一人当たりにつき五人の召使、大佐になると18人のそれが付く(略)。
砲兵隊は、整備工を雇い、整備工は、大砲主任のもとで、巨大な輸送馬のチームの世話をし、また妻や下働きを連れており、それらは、基本的には、軍隊とは別の、まとまった一団を形成していた。
  ――第3章 スペイン、警鐘を鳴らし、ドイツは警報を発す 1619-21年

 最近は後方を民間軍事会社すなわち傭兵に任せる傾向が強くなった。当時はそれ以上に傭兵頼りな上に、兵は各国人が入り乱れてた。軍人ってのは、一種の職人みたいな立場なんだろう。そんなんだから、兵の忠誠は国家じゃなくて傭兵隊長にある。

 軍隊それ自体は、ナショナリズムの成長によって影響を受ける最後のものであった。
  ――第8章 リュッツェンからネルトリンゲンへ、そしてその後 1632-35年

 職人の弟子が国より親方を重んじるようなもんかな? 当然、親方=傭兵隊長は金を払ってくれる人につく。だもんで、軍紀を保つのも難しい。

軍隊全体における無秩序の主要な原因は、即時の、規則的な支払いが行われないことにあった。
  ――第7章 スウェーデン王 1630-32年

 雇い主にしても、打ち出の小づちがあるワケじゃなし、いずれ財布はカラになる。特に国が荒れて税収も減ってくると…

双方にとって戦術理論は無用のものになっていた(略)
食料を供給することが、軍事行動の指導的考え方となった。
(略)軍隊という大きな団体は、一地域を所有し、種蒔き時から収穫まで、そこに定着し、土地を耕す農民があまりにも少ないところでは、軍隊自身が種を蒔き、刈り入れをし、なんらか余剰があれば、それを売ったのである。
彼ら集団の頭の仕事は、土地から食い物をかき集めてくること、深刻な戦闘を避ける事であった。
  ――第10章 スペインの崩壊 1939-43年

 「戦闘を避ける」って、もはや軍でもなんでもない。もっとも自分で畑を耕しゃマシな方で、そもそも当時の軍は兵站なんざロクに考えてない。食料などは途中の町や村を襲って奪うのだ。この辺がヴァレンシュタインの偉大な所。

文民に対して兵隊の割合が高くなると、平和の気運が増すとともに、これら兵隊の大集団を解体させるという問題が、次第に恐ろしい問題となってくるのである。
  ――第10章 スペインの崩壊 1939-43年

 加えて兵が足りなくなりゃ人を攫って兵に仕立て上げる。だもんで、スウェーデン軍も最初は国民兵が中心だったのが、次第に地元民や元敵軍の傭兵が多くなり、軍紀も乱れてくる。戦争中は軍に組み入れてるけど、戦争が終われば連中はお払い箱だ。

「わたしは、戦争の中で生まれた」「わたしは、家ももたず、土地もなく、友達もない。戦争は、わたしの富のすべてである。いま、わたしは、どこへ行ったらいいのだろう」
  ――第12章 平和、そして、その後

 と、そんな飢えて武器の扱いを覚えた失業者が国に溢れたら、ヤバいったらありゃしない。戦争を続けても地獄、終わらせても地獄。

紙のうえでは、ドイツでは、皇帝の権威が至高の存在であったが、事実上は、ただの兵隊たちが支配していた。
  ――第9章 ラインのための戦い 1635-39年

 もっとも、軍として動くのも考え物で…

…軍隊は、(略)疫病を持ち運び、(略)猛毒の伝染病を残した。彼はアルザスにチフスをもたらし、(略)逃げ込んだ逃亡者のうち、数百人が2,3カ月のうちに死んだ。(略)
兵士たちは、食料を求めて農村を荒らし、持ち運べない物を焼いたり、破壊した。
  ――第3章 スペイン、警鐘を鳴らし、ドイツは警報を発す 1619-21年

 と、そこに居れば厄介だが、動き回れば災厄を撒き散らす。さすがに諸侯も懲りて終戦に向け話し合いを始めようとしても…

代理人たちが、「戦われているテーマ Subjecta Bellingerantia」について、なお疑問を抱いているということに気が付いたのは、会議が開かれてから、ほぼ一年間経ってからであった。
  ――第11章 平和に向かって 1643-48年

 なにせフランス・スウェーデン・オランダ・スペインとかの外国が、戦争にガッチリ食い込んでるから、感情も利害も絡まりきってる。それでもアルザス(現フランス)やボンメルン(現ポーランド)を犠牲に、なんとか終戦にこぎつけたはいいいが、決算としては…

人口が、1600万人から400万人に落下したという伝説は、想像の産物である。(略)アルザスを含め、ネーデルランド、ボヘミアを除いたドイツ帝国は、1618年には、おおよそ2100万人を数え、1648年には、1350万人を数えた。
  ――第12章 平和、そして、その後

 人口で見ても、元の約2/3に減った。対外戦争ではなく、一種の内戦なのも、悲惨さを増す原因だろう。にも関わらず、他国が何かと干渉したのも悲劇の要因として大きい。当時の軍の様子は「補給戦」である程度の予想がついていたが、これだけの大著で細かく描かれると、改めて酷さを実感する。

 複雑怪奇な欧州情勢のルーツの一つを圧倒的な調査で描き切った歴史の大著だ。気力体力を整えじっくり腰を据えて挑もう。

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2020年8月16日 (日)

上田岳弘「ニムロッド」講談社

「金を掘る仕事」というのが、ぼくの新たな課の担当業務だ。
  ――p7

駄目な飛行機があったからこそ、駄目じゃない飛行機が今あるんだね。
  ――p33

古いものに継ぎ足して、開発期間の短縮と経費削減を狙ったことが、最悪の結果に繋がった。
  ――p46

「ドルは紙切れとコイン、それから武器でできている。仮想通貨はソースコードと哲学でできている」
  ――p69

言ってることと、望んでいることが一致していないことはよくある。
  ――p107

【どんな本?】

 2013年に第45回新潮新人賞を受賞した「太陽」で華々しくデビューした上田岳弘による中編。

 中本哲史は小さなIT企業でマシンの保守を受け持っている。社長の気まぐれで新たに仮想通貨の採掘を命じられた。先輩で別事業所の荷室仁ことニムロッドから、ときおりメールが届く。最近は「駄目な飛行機コレクション」の話が多い。証券会社に勤める彼女の田久保紀子は、海外それもシンガポールへよく出張に行く。仮想通貨採掘は当初それなりに採算が取れていたが…

 2019年1月の第160回芥川賞受賞。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2019年1月28日第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約134頁。9.5ポイント40字×17行×134頁=約91,120字、400字詰め原稿用紙で約228枚。中編ぐらいの分量。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。サーバーだの仮想通貨だのといったコンピュータ関係の小道具が出てくるが、分からなくてもお話には大きな問題はない。むしろ大事なのは題名であるニムロッド(→Wikipedia)だろう。あと、「太陽・惑星」など過去作を読んでいると、ニヤリとする仕掛けがある。

【感想は?】

 まずは芥川賞の変貌ぶりに驚く。

 「SFが読みたい!2012年版」では、円城塔が日本ブンガク界の理系アレルギーを危ぶんでいた。当時は石原慎太郎 vs 田中慎弥みたいな構図で報じられたけど、実際は石原慎太郎 vs 円城塔だったんだよなあ。今思えば、あれがSFの地位が変わるきざしだった。次は藤井太洋に直木賞を取ってほしい。

 そんなワケで、ブンガクはテクノロジーと相性が悪いような雰囲気だったんだが、本作ではいきなりサーバーだ Facebook だデータセンターだと、ソッチ系の言葉が次々と飛び出す。

 そもそも主人公からしてサーバーのメンテ担当だ。物語はサーバールームにノートパソコンを持ち込む場面から始まる。てっきり RS232C で telnetかと思ったら…いえ、なんでもないです。いや最近の状況は疎くて。そうか、最近は静かなのか。

 テーマは色々あるんだろうけど、私の印象は「一流半の人たちの物語」だ。

 その象徴の一つが、「駄目な飛行機コレクション」。試験機が飛ばなかったとか、事故が起きて量産に至らなかったとか、使ったけどそもそもアレだとか、そんな航空機を集めたサイトだ。なかなか楽しい記事なので、忙しい時にクリックしてはいけない。

 と書くと、まるきし駄目なモノばかりのようだが、それは書いてる人の目線であって。これらの飛行機たちは、少なくとも予算をかけて実機を作るまではいったのだ。最初から「駄目じゃん」と言われ企画段階で潰れたワケじゃない。これら一機の影には、設計図の段階で十機が消えていて、アイデアに至っては千以上が消えているはずだ。

 この記事は、ニムロッドが送ってくるメールに出てくる。そのニムロッドは小説を書いていて、「新人賞の最終選考に三回連続で残っては落選している」。この文章じゃ落ちた点に注目しちゃうけど、こうしたら、どう感じる? 「新人賞の選考に三回連続で最終選考に残った」。

 これが一流半の所以だ。

 私のような半端な文章書きからすれば、最終選考に残ったってだけで、凄いと思う。どころか、そもそも小説を完成させただけでも尊敬してしまう。だがニムロッドは違う。ちゃんと小説の書き方を心得ていて、三回も、しかも連続で最終選考まで行った。遥かな高みにいて、にも関わらず、いやだからこそ、更なる高みへの道の険しさが見えている。

 これは彼女の田久保紀子も同じだ。外資系の証券会社に勤め、大きなビジネスに関わっている。が、密かに絶望を抱えている。個人的な過去の傷を負ってもいるが、それに加え…

「どうせもうほとんどの人はこの世界がどうやって運営されているのかなんて、知らないし興味だってないんだから」
  ――p87

 いや「もう」じゃないでしょ。昔から、ほとんどの人は世界のことなんか知らなかったし、興味もなかったよ。食ってくのに精いっぱいで、もう少し美味いモン食いたいとか楽したいとか、その程度しか考えちゃいないって。そういう事を悩んじゃうのも、彼女が大きなビジネスの世界を知り、その世界で生きているためだ。

 そんな一流半の人たちの愚痴の屑籠となった中本哲史はボヤく。「僕にできるのは、ただ敗北を認めることだけだ」「僕が思い付くようなことはきっとどこかの誰かが既にやっているだろう」。

 そうボヤいてる中本哲史も会社じゃ便利屋としてソレナリに役に立ってるんだけど、何せ周囲が優秀すぎる。こういう「優れた人と自分を比べた時の落ち込み」みたいなのは、インターネットの普及で更に激しくなってたり。今までは「町内一の歌自慢」ぐらいで鼻高々でいられたけど、今は Youtube で世界トップクラスの歌手と比べられちゃう。

 そういったミュージシャンの格差は「50 いまの経済をつくったモノ」に書いてあったけど、同時にアマチュアが作品を発表する機会も増えた。私のような泡沫ブロガーも、マイペースで記事を書き続けていられる。

僕の思考なんて誰も興味ないかもしれないけど、わずかな現象が静かに連鎖していって、大きな変調を起こすことだってあるかもしれない。
  ――p90

 まあ大きな変調とまではいかないまでも、「王様の耳はロバの耳」と叫ぶ穴ぐらいの気晴らしにはなってるから、ま、いっか。

 なんてとりとめのないことを考えながら読んでいくと、やっぱり出ました上田岳弘節w とにかくこの人、例のアレやらないと気が済まないらしいw 今回は巧いこと衣に包んでるけど、隙あらばSFにしようとする魂胆がたまらんw

 今までの上田作品に比べると登場人物も少ないし、現実世界からの飛躍も読者の抵抗をなくすように工夫している。その分、上田色は薄いけど、それだけアクが弱く万民向けな味に仕上がっている。そういう位置づけなので、「濃いSFは苦手だけど『少し不思議』なら」な人に向くだろう。

 …って、結局SFとして読むのかいw

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2020年8月14日 (金)

ジャン=バディスト・マレ「トマト缶の黒い真実」太田出版 田中裕子訳

加工トマト産業に国境はない。
ドラム缶入り濃縮トマトは、コンテナに乗って世界中を巡る。
本書は、世界中に知られる商品の知られざる歴史を追ったルポルタージュである。

自動車メーカーのフォードが、標準化された車をアセンブリーラインで組み立てはじめる前から、ハインツはトマト味のベイクドビーンズの缶詰をピッツバーグ工場でライン生産していた。(略)T型フォードより11年も前のことだ。
  ――第3章 伝説化されたアメリカの加工トマト産業

現在、大さじ二杯以上ならトマトペーストが「野菜」と認められていることから、ピザはアメリカの給食で「野菜」に分類されている。
  ――第10章 ハインツの経営合理化とその影響

【どんな本?】

 肉のトマト煮やミートソースを作るのにトマト缶は便利だ。カレーに使ってもいい。

 ところで、手近にトマト缶があれば、産地を見て欲しい。Amazon にはイタリア産のトマト缶が多く出回っている。ビザもパスタもイタリアが本場だ。だから、きっとイタリアはトマトの生産が盛んなんだろう。それは正しい。が、ラベルに書いてあるのは「トマト缶」の産地であって「トマト」の産地ではない。

 西欧でもトマト缶は大人気で、様々なブランドがある。それ以上にトマト缶はアフリカを席巻している。

 著者はトマト畑から加工工場・技術研究所・港そして市場を訪ね、中国・イタリア・アメリカ・ガーナを駆け巡り、また瓶詰の起源やハインツ社などの社史を漁り、トマト缶の歴史から現状までを調べて回る。

 そこで明らかになった事実は、いささか食欲を失わせるものだった。

 フランスのジャーナリストが体当たり取材で世界中を巡り、トマト缶の生産・加工・流通の実態を暴き、グローバル経済が食に及ぼす影響を明らかにした、衝撃のルポルタージュ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は L'empire de l'or rouge: enquete mondiale sur la tomate d'industrie, Jean-Baptiste Malet, 2017。日本語版は2018年3月10日第1版第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約321頁に加え、訳者あとがき7頁。10ポイント42字×17行×321頁=約229,194字、400字詰め原稿用紙で約573枚。文庫なら普通の厚さの一冊分。

 文章はこなれていて読みやすい。内容もわかりやすい。中国・イタリア・ガーナなどの地名が出てくるので、Google Map か地図帳があると便利。また、イタリア経済の南北問題を、南は貧しく北は豊か、程度に知っていると迫力が増す。ただし、日頃から安いイタリア産のトマト缶をよく使っている人は、読まない方が幸せかも。

【構成は?】

 地理的にも時系列的にもアチコチ飛びまわるんだが、全体として一つのストーリーとなっているので、できれば頭から読もう。

  • 第1章 中国最大のトマト加工工場
  • 第2章 「中国産」のトマトペースト
  • 第3章 伝説化されたアメリカの加工トマト産業
  • 第4章 濃縮トマト輸出トップの会社
  • 第5章 イタリアの巨大トマト加工メーカーのジレンマ
  • 第6章 中国産トマトも「イタリア産」に
  • 第7章 ファシズム政権の政策の象徴、トマト缶
  • 第8章 トマト加工工場の奇妙な光景
  • 第9章 中国の加工トマト産業の暴走 始まりと発展、強制労働
  • 第10章 ハインツの経営合理化とその影響
  • 第11章 加工トマト業界トップ企業、驚異の生産力
  • 第12章 消費者に見えない「原産国」
  • 第13章 天津のトマト缶工場の秘密
  • 第14章 トマト31%に添加物69%のトマト缶
  • 第15章 農薬入りのトマトか、添加物入りのトマト缶か
  • 第16章 アフリカを席巻した中国産トマト
  • 第17章 「アグロマフィア」の象徴、南イタリア産トマト缶
  • 第18章 イタリアの労働者の違法な搾取
  • 第19章 酸化トマト「ブラックインク」をよみがえらせる最新研究
  • 訳者あとがき/原注

【感想は?】

 今度からトマト缶を買う時は原産地をシッカリ確かめよう。イタリア産はヤバい。

 幕あけは新疆ウイグル自治区のトマト収穫の場面だ。そう、たった今噂の新疆ウイグル自治区である。キナ臭いのは感じていたが、相当なものだ。

(新疆生産建設)兵団のもともとの使命は、新疆を漢族の植民地にすることだった。
  ――第4章 濃縮トマト輸出トップの会社

世界ウイグル会議議長ラビア・カーディル「中国で最も多くの労改収容者(政治犯)が働かされているのが、新疆ウイグル自治区です」
  ――第9章 中国の加工トマト産業の暴走

 それはさておき、まず感じたのは、トマトの収穫・輸送方法がやたら荒っぽいこと。んな手荒く扱ったらトマトが潰れる…と思ったが、その心配は無用だった。

加工用トマトと生食用トマトは、リンゴとナシほどに違う。別の目的のために、別の環境で作られた、別の果実と考えるべきだ。
  ――第2章 「中国産」のトマトペースト

収穫機のなかでトマトの実がつるから簡単に離れるようになったのは、機械収穫に適した品種を作るために、研究者たちが幾度も試行錯誤を重ねてきたおかげなのだ。(略)機械に合うトマトを作るほうが、トマトに合う機械を作るよりうまくいくように思われたのだ。
  ――第11章 加工トマト業界トップ企業、驚異の生産力

 サラダに入っているトマトとは品種が違う。茎を揺すれば簡単に落ちるので機械で収穫でき、硬く潰れにくいので痛みにくく運びやすく、水分が少ないので加工しやすい、そういう品種を開発したのだ。ブランドによっては缶に長細いトマトの絵のラベルがついてる。アレだ。トマトが苦手な人の中には、ウニョッとした口当たりが嫌って人がいるが、そういう人には向くかも…じゃなくて。

 さて。なぜ新疆ウイグル自治区か、というと。実はここが加工用トマト生産じゃ世界的な産地だからだ。知らなかったぜ。

トマト加工品の原材料となる濃縮トマトの生産は、アメリカ、中国、イタリアの上位三ヵ国が世界の市場をほぼ独占していて、スペインとトルコがそれに続く。
  ――第1章 中国最大のトマト加工工場

 生産はトップ3なんだが、輸出用となると話は違ってくる。おっとその前に。輸出ったって、トマトをそのまんま輸出するワケじゃない。中国の工場で皮をむきタネを取り除き砕いて水分を飛ばし三倍に濃縮し、ペースト状にしてドラム缶に詰めコンテナ船で輸出するのだ。その方が輸送しやすいし長持ちするしね。

現在、中国は世界最大の濃縮トマト輸出国だ。(略)ほかの生産国は国内に大きな市場があるので、まずはそちらに供給しなければならない。(略)中国の場合、世界第2位の生産国でありながら、その生産量のほとんどすべてを輸出している。
  ――第9章 中国の加工トマト産業の暴走

 コンテナ船は天津を出てイタリアに向かう。そこで…

関税を支払うことなく、「再輸出加工手続き」によって輸入された中国産三倍濃縮トマトは、水で希釈されてわずかな塩を加えられただけで、「イタリア産」の商品に生まれ変わる。
  ――第6章 中国産トマトも「イタリア産」に

 トマトの原産地が大事なのは、そういう事だ。どっかの「国産」でも聞いたような話だね。さて、工場は量産効果か効く。大量に作るほど一個当たりの費用は安くなる。品目ごとにブレンドの割合を変えると費用がかさむ。そこで…

大手スーパーチェーンは、独自のブランド商品を掲げて互いに競合している。ところが、別の店で売られるそれぞれ個性的に見える商品は、いずれもこの巨大工場で生産されるまったく同じものなのだ。
  ――第12章 消費者に見えない「原産国」

 違うのはラベルだけ。マジかい。しかも、最近は西欧市場に加えアフリカ市場も伸びてきた。なにせ…

ガーナの人口は2800万人で、アフリカで13番目だ。ガーナの大衆料理のほとんどにトマトが使われており、国民の野菜消費量の38%をトマトが占めている。
  ――第15章 農薬入りのトマトか、添加物入りのトマト缶か

 トウモロコシもそうなんだが(→「トウモロコシの世界史」)、新大陸原産の作物はアフリカの気候に合うんだろうか。それはさておき、アフリカ市場の美味しいところは…

グローバル化した市場では、ある国で衛生基準を満たさなかった濃縮トマトは、別の国に運ばれて安く売り飛ばされる。
  ――第6章 中国産トマトも「イタリア産」に

 ま、バレても役人には鼻薬が効くし。ってなワケで、無茶苦茶なシロモノがはびこってる。なにせ貧しい地域だ。大事なのは価格。品質は二の次。おかげで、商談じゃ…

「うちの缶詰はリーズナブルですよ。濃縮トマトが45%しか入ってませんからね」
  ――第14章 トマト31%に添加物69%のトマト缶

 そこを席巻するには、価格的な競争力が大事。って言えば偉そうだが、要は「それだけ安いか」だ。そこで強いのが中国産。

今日、アフリカが輸入するトマトの70%が中国産だ。西アフリカだけ見れば、その割合は90%に達する。
  ――第16章 アフリカを席巻した中国産トマト

 いや地元でもトマトを作ってるんだ。でも農業は豊作凶作の波がある上に、市場価格の変動も大きい。

ガーナの農家「トマトは博打だ」
  ――第15章 農薬入りのトマトか、添加物入りのトマト缶か

 何年か損しても食いつなげる金持ちならともかく、小さい農家はすぐ行き詰る。でも食ってかにゃならんので、地中海を渡り出稼ぎに出る。

ある公式統計によると、2012年、イタリアの農業従事者81万3千人のうち、EU圏外からの正規移民は15万3千人で、EU圏内からは14万8千人だった。この数字には不法就労者は含まれていない…
  ――第18章 イタリアの労働者の違法な搾取

 はいいが、違法移民が歓迎される筈もなく。彼らがマフィアのタコ部屋で搾り取られる場面は、なかなかにおおぞましい。とはいえ、日本も技能実習って名目で…

 さて、中国人も馬鹿じゃない。イタリアは中間の加工で稼いでいるが、いつまでも甘い汁を独占させるほど中国商人は甘くない。そこで…

今わたしが望んでいるのは、アフリカ中にトマト缶を広めることだ。そのために、新疆ウイグル自治区の濃縮トマトを、このガーナで再加工して販売することにしたんだ。(略)わたしがここでしているビジネスは、習近平国家主席による国家発展計画に組みこまれているんだよ。(略)新シルクロード(一帯一路)構想だ。
  ――第19章 酸化トマト「ブラックインク」をよみがえらせる最新研究

 一帯一路ってのは、そういう事かい。この最終章では、中国共産党のお偉方とその子弟が、何を目論んでいるのかが明らかになる。先の「ショック・ドクトリン」と考え合わせると、恐るべき未来が間近に迫っているのがわかる。

 たかがトマト缶、されどトマト缶。きっとトマト缶だけでなく、あらゆる加工食品で似たような事が起きているに違いない。スーパーで買い物をする際は、もっと注意深く注意書きを確かめよう、そういう気にさせる怖ろしい本だ。そういえば外食産業も費用削減には熱心だから…いや、やめておこう。

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2020年8月12日 (水)

ロジャー・ゼラズニイ「虚ろなる十月鵜の夜に」竹書房文庫 森瀬繚訳

私は番犬だ。名前はスナッフ。
ロンドンの郊外で、御主人のジャックと同居している。
  ――p4

「…邪悪なる男女とその使い魔たちが、何か大きな心霊的なイベントに参加していて、互いに戦い合い、人類の平安を脅かす」
  ――p67

「猫は旧き神々が知らないことを知っているものだ」
  ――p187

「今回のゲームは、色々とおかしかったんだ」
  ――p282

【どんな本?】

 華麗な筆致で神話的世界を描き出したアメリカのSF/ファンタジイ作家ロジャー・ゼラズニイの最後の長編。

 19世紀末のロンドン郊外。十月になると、≪プレイヤー≫たちが町に集まってきた。奴らは使い魔を従え、月末の満月に向けて素材を集めている。プレイヤーは≪閉じる者≫と≪開く者≫に分かれているが、互いに誰がプレイヤーなのか、そして誰がどちらかなのかは知らない。

 語り手はジャックの使い魔で犬のジャック。御主人さまを手伝うと共に、同じ使い魔で猫のグレイモークやフクロウのナイトウィンドと語らい、または協力して≪素材≫や情報を集め、儀式に向けて準備を整えてゆくが…

 世紀末のロンドン郊外を舞台に、切り裂きジャック,名探偵ホームズ,怪僧ラスプーチン,魔術結社黄金の夜明け団(→Wikipedia),ドラキュラ伯爵,フランケンシュタイン博士などに加えクトゥルー神話を交えた豪華なキャストで、ホラー風味ながらも使い魔の犬を語り手として可愛らしく展開するアニマル・ホラー・ミステリ―。

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2018年版」のベストSF2017海外篇で第18位。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は A Night in the Lonesome October, by Roger Zelazny, 1993。日本語版は2017年11月2日初版第一刷発行。文庫本で縦一段組み本文約332頁に加え訳者あとがき9頁。9ポイント39字×16行×332頁=207,168字、400字詰め原稿用紙で約518枚。文庫本では普通の厚さ。

 文章はこなれていて読みやすい。訳も見事で、ゼラズニイのスタイリッシュな文章の味を日本語で巧みに再現している。内容も特に難しくない。クトゥルー神話を始め多くの元ネタを取り入れているが、知らなくても大きな問題はない。疎い人は解説を先に読もう。重要なネタバレを避けつつ、巧みに元ネタを明かしている。ただ、登場人?物が多いので、できれば登場人?物一覧が欲しかった。

【主な登場人?物】

 ということで、主な登場人?物の一覧。

  • スナッフ:犬。ジャックの使い魔。
  • ジャック:プレイヤー。スナッフの御主人。
  • 墓場の老いた番犬
  • グレイモーク:猫。ジルの使い魔。
  • ジル:プレイヤー。狂った魔女。グレイモークの御主人。
  • ナイトウィンド:フクロウ。モリスとマッカブの使い魔。
  • モリスとマッカブ:プレイヤー。ナイトウィンドの御主人。
  • クイックライム:蛇。ラストフの使い魔。
  • ラストフ:プレイヤー。飲兵衛の修道僧。正教? クイックライムの御主人。
  • チーター:リス。オーウェンの使い魔。
  • オーウェン:プレイヤー? ドルイド教派の老人。
  • ニードル:コウモリ。伯爵の使い魔。
  • 伯爵:プレイヤー? ニードルの御主人。
  • ブーボー:ネズミ。博士の使い魔。
  • 博士:プレイヤー? ブーボーの御主人。
  • ラリー・タルボット:プレイヤー?
  • 名探偵と相棒:プレイヤー?
  • テケラ:白いワタリガラス。ロバーツの使い魔?
  • 教区司祭ロバーツ:プレイヤー?
  • リネット:ロバーツの義理の娘

【感想は?】

 何といっても、語り手を犬のスナッフにしたのがいい。

 もちろん、ただの犬じゃない。使い魔だ。そのせいか、スナッフ君、かなり賢い。なにせ猫やフクロウとお話ができる。犬や猫やフクロウや蛇が仲良く?お話する物語だ。ホラーなんだけど、なんともほっこりする情景じゃないか。

 彼らは<プレイヤー>として、<開く者>と<閉じる者>に分かれ争う間柄なんだが、みな誰がプレイヤーなのか、誰が<開く者>で誰が<閉じる者>なのか知らない。そこで互いの周囲を嗅ぎまわったり陰険な足の引っ張り合いもあるんだが、けっこう慣れ合って情報交換したり力を合わせて調べまわったりする。

 この協力し合うあたりが、童話の動物物語みたいで可愛らしくニタニタしてしまう。語り手のフナッフは力強いが、高い所は苦手だし狭い所には入れない。そこで役割分担して…。なんともメルヘンな絵柄だw もっとも、相性の良し悪しはあるんだけどw ブーボーも災難だよねw

 しかも、スナッフ君、下手すると御主人のジャックより賢そうだったり。もっとも、やたら散歩が好きなあたりは、さすがのスナッフ君もやっぱり犬だね、と思ったり。こういう賢さと本能のギャップが、とっても可愛らしくて楽しい。いやあ、ゼラズニイにこんな芸風があるとは知らなかった。

 ≪円の中のもの≫,≪衣装箪笥の中のもの≫,≪旅行鞄の中のもの≫,≪鏡の中のもの≫などのクトルゥー神話ネタに加え、切り裂きジャック,ドラキュラ伯爵,フランケンシュタイン博士などホラーの有名な役者を揃える顔ぶれは、どう見てもホラーだ。実際、ジャックも序盤で「仕事」してるし。

 じゃ怖いのかというと、実は味付けはユーモラスで。冒頭の番犬との会話もそうなんだが、プレイヤーたちが大急ぎで≪素材≫を集める場面などは、読者も狂ったように笑うしかなく、前半のクライマックスかも。いいのか、こんなんがクライマックスでw

 とかのギャグで油断してると、「明日、月が死に絶える」なんてゼラズニイならではの表現が出てきて、やっぱりゼラズニイはスタイリッシュだよなあ、と感心したり。

 そしてホラーであると同時にミステリでもある。誰がプレイヤーなのか。誰が≪開く者≫で誰が≪閉じる者≫なのか。

 ジャックがプレイヤーなのは最初から明らかだ。だが、他の連中は、というと。伯爵と魔女は、あからさまに怪しい。役割もホラーっぽいし。だが名探偵は、なんか毛色が違うよなあ。職業柄、何かに気づいて嗅ぎまわってるだけかも。とすると、儀式に関係ない者が紛れ込んでいるのか? でも相棒を連れているんだよなあ…。

 といった謎で物語を引っ張りつつ、終盤では番狂わせが次々と起こるあたりは、ベテラン作家らしい手並みが味わえる。

 ゼラズニイならではの華麗な筆致と、世紀末ロンドン郊外に集めた豪華キャスト、そして可愛らしい動物たちに加え意外なドタバタ・ギャグ、そしてさりげない伏線を活かした鮮やかなオチ。ベテラン作家らしい熟練の技が味わえる、楽しい娯楽作品だ。特に犬が好きな人にお薦め。

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2020年8月10日 (月)

フェルナンド・バエス「書物の破壊の世界史 シュメールの粘土板からデジタル時代まで」紀伊国屋書店 八重樫克彦+八重樫由美子訳

抑圧者や全体主義者は書物や新聞を恐れるものである。それらが“記憶の塹壕”であり、記録は公正さと民主主義を求める戦いの基本であるのを理解しているからだ。
  ――最新版を手にした読者の皆さまへ

勝者が敗者に法と言語を課すのだ。
  ――第2部 東ローマ帝国の時代から19世紀まで 第6章 メキシコで焼かれた写本

激しく本を憎む行為はしばしば人種差別と結びつく。人種差別が他の文化の性質を徹底的に否定するためだ。結局のところ他の文化とは、自分たちとは別の民族が生み出した行為の結果である。
  ――第2部 東ローマ帝国の時代から19世紀まで 第14章 書物の破壊に関する若干の文献

ハインリヒ・ハイネ≪本を燃やす人間は、やがて人間も燃やすようになる≫
  ――第2部 東ローマ帝国の時代から19世紀まで 第15章 フィクションにおける書物の破壊

エウゲーニイ・サミャーチン≪ロシアで作家にとっての最高の栄誉は、『禁書目録』に名前が載ることだ≫
  ――第3部 20世紀と21世紀初頭 第6章 恐怖の政

実に奇妙な話だが、(キリスト・コミュニティ教会のジャック・)ブロックも彼の信奉者たちも、この善良な少年が活躍する小説(ハリー・ポッター・シリーズ)を一冊たりとも読みとおしたことはないという。
  ――第3部 20世紀と21世紀初頭 第8章 性、イデオロギー、宗教

【どんな本?】

 シュメールの粘土板から現代のイラク国立図書館まで、書物は様々な理由で失われてきた。地震や洪水などの自然災害,虫やネズミまたは紙の劣化など不適切な保存,検閲や焚書など意図的な破壊,そして火災や戦争など人為的な災厄。

 本書は時代的には古代から今世紀まで、地理的にはシュメール・エジプト・欧州・中南米・東アジアなど世界中を巡り、意図の有無にかかわらず書物の破壊の歴史をたどり、豊富な例を挙げてその傾向と原因を探り、また次世代に残すべき貴重な資料の現状を訴えるものである。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Nueva Historia Universal de la destrucción de Libros : De las tablillas a la era digital, Fernando Báez, 2013。日本語版は2019年3月22日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約631頁。9ポイント44字×20行×631頁=約555,280字、400字詰め原稿用紙で約1389枚。文庫なら上中下ぐらいの大容量。

 文章はややぎこちない。まあ O'Reilly よりマシだけど←一般人には通じない表現はやめろ 内容も比較的に分かりやすい。地理的にも時代的にも世界史を飛び回る本だが、エピソードごとに時代背景を説明しているので、歴史に疎くても大丈夫だ。敢えて言えば、著者がベネズエラ出身のためか、スペイン語圏の話が多いのが特徴だろう。

【構成は?】

 各章はそれぞれ独立しているので、気になった所だけをつまみ食いしてもいい。

  • 最新版を手にした読者の皆さまへ
  • イントロダクション
  • 第1部 旧世界
  • 第1章 古代オリエント
    書物の破壊はシュメールで始まった/エブラほかシリアに埋もれた図書館/バビロニア王国時代の図書館/アッシュルバニパルの大図書館/謎に包まれたヒッタイトの文書/ペルセポリスの焼き討ち
  • 第2章 古代エジプト
    初期のパピルス文書の消滅/ラムセウム/秘密の文書の焚書/“生命の家”/トートの禁じられた文書
  • 第3章 古代ギリシャ
    廃墟と瓦礫の間に/エンペドクレスの詩の破壊/プロタゴラスに対する検閲/プラトンも書物を焼いた/アルテミス神殿の破壊/古代ギリシャの医師/ふたりのビブリオクラスタ
  • 第4章 アレクサンドリア図書館の栄枯盛衰
  • 第5章 古代ギリシャ時代に破壊されたその他の図書館
    ペルガモン図書館/アリストテレスの著作の消失/廃墟と化したその他の図書館
  • 第6章 古代イスラエル
    契約の箱と十戒の石板の破壊/エレミヤ書/ヘブライ語聖書の崇拝/死海文書/聖書を食べる預言者たち
  • 第7章 中国
    秦の始皇帝と前213年の焚書/始皇帝以後の書物の破壊/仏教文書に対する迫害
  • 第8章 古代ローマ
    帝国の検閲と迫害/失われた図書館の世界/ヘルクラネウムの焼け焦げたパピルス文書
  • 第9章 キリスト教の過激な黎明期
    使徒パウロの魔術書との戦い/テュロスのポルピュリオスの『反キリスト教論』/グノーシス文書/初期の異端/ヒュパティアの虐殺
  • 第10章 書物の脆さと忘却
    無関心による書物の破壊/使用言語の変化がもたらした影響
  • 第2部 東ローマ帝国の時代から19世紀まで
  • 第1章 コンスタンティノープルで失われた書物
  • 第2章 修道士と蛮族
    図書館が閉ざされていた時代/アイルランドの装飾写本/中世ヨーロッパの修道院/パリンプセスト/書物の守護者たち
  • 第3章 アラブ世界
    初期に失われた図書館/イスラムを攻撃したモンゴル人たち/アラムトにあった暗殺者たちの図書館/フラグによるバグダートの書物の破壊
  • 第4章 中世の誤った熱狂
    アベラールの焚書/反逆者エリウゲナ/タルムードその他のヘブライ語の書物/マイモニデスに対する検閲/ダンテの悲劇/“虚栄の焼却”/キリスト教のなかの異端
  • 第5章 中世スペインのイスラム王朝とレコンキスタ
    アルマンソルによる焚書/イブン・ハズムの禁じられた詩/シスネロスとコーランの破壊
  • 第6章 メキシコで焼かれた写本
    先コロンブス期の絵文書の破壊/先住民側による自発的な破壊
  • 第7章 ルネサンス最盛期
    グーテンベルク聖書の破壊/ピコ・デラ・ミランドラの蔵書/コルヴィナ文書の消滅/ミュンスターの再洗礼派/異端者ミシェル・セルヴェ/迫害と破壊/興味深いふたつの逸話
  • 第8章 異端審問
    異端審問所と書物の検閲/新世界における異端審問
  • 第9章 占星術師たちの処罰
    エンリケ・デ・ビリェナの蔵書の破壊/トリテミウスの『ステガノグラフィア』/ノストラダムスの発禁処分/ジョン・ディーの秘密の蔵書
  • 第10章 英国における焚書
    正統派による弾圧/迫害された論客/英国の宗教的対立
  • 第11章 厄災の最中で
    ロンドン大火/エル・エスコリアル修道院と古文書の焼失/アイザック・ニュートンをめぐる書物の破壊/アウルトニ・マグヌッソンの蔵書/天災・人災の世紀/海賊の襲撃/海難事故/戦争・暴動/ワシントンの焼き討ちと米国議会図書館の消失/コットン卿の写本コレクションの消失/メリダの神学校図書館
  • 第12章 革命と苦悩
    自由思想に対する責め苦/フランスにおける知識人への攻撃/フランス革命時の書物の破壊/啓蒙専制君主の時代から19世紀にかけてのよもやま話/1871年のパリ・コミューン/スペインとラテンアメリカにおける独立戦争と革命
  • 第13章 過剰な潔癖さの果てに
    ヤコブ・フランク/ナフマン・ブラツラフ/バートンの忌まわしき原稿/猥褻罪による焚書/ダーウィンと『種の起源』/ニューヨーク悪徳弾圧協会とコムストック法
  • 第14章 書物の破壊に関する若干の文献
  • 第15章 フィクションにおける書物の破壊
  • 第3部 20世紀と21世紀初頭
  • 第1章 スペイン内戦時の書物の破壊
  • 第2章 ナチスのビブリオコースト
  • 第3章 第二次世界大尉戦中に空爆された図書館
    緒戦/フランス/イタリア/英国/ドイツ/終焉
  • 第4章 現代文学の検閲と自主検閲
    ジョイスに対する攻撃/著作が破壊されたその他の作家たち/北米における国家の検閲/迫害された作家たち/サルマン・ラシュディ対イスラム原理主義/作家が自著を悔やむとき
  • 第5章 大災害の世紀
    翰林院と『永楽大典』/日中戦争/記憶が危機にさらされるとき/スペイン科学研究高等評議会の蔵書/図書館の二大火災、ロサンゼルスとレニングラード/アンナ・アマリア図書館
  • 第6章 恐怖の政権
    ソビエト連邦における検閲と焚書/スペインのフランコ主義/検閲政権/中国の文化大革命/アルゼンチンの軍事政権/チリの独裁者ピノチェトと文化に対する攻撃/原理主義者たち/アフリカにおける大惨事/パレスチナ、廃墟と化した国
  • 第7章 民族間の憎悪
    セルビアの書物殺し/書物のないチェチェン
  • 第8章 性、イデオロギー、宗教
    性の追放/文化の“粛清”/学生が教科書に抱く憎しみ/『ハリー・ポッター』事件/コーランの焚書騒動
  • 第9章 書物の破壊者
    文書にとっての天敵/自滅する紙/唯一残った書物/出版社や図書館/税関
  • 第10章 イラクで破壊された書物たち
  • 第11章 デジタル時代の書物の破壊
    図書館に対するテロ/ワールドトレードセンターに対する攻撃/書籍爆弾事件/紙の書籍vs電子書籍
  •  謝辞/原注/参考文献/人名索引

【感想は?】

 書名から、焚書などの意図的・人為的なものが中心かと思った。

 実際、最も多いのは抑圧や略奪、または放火や戦火に巻き込まれた場合だ。だが、意外と災害によるケースも多い。例えばエジプトのパピルス。

今日、現存する前四世紀以前のギリシャ語パピルス文書の例はない。
  ――第1部 旧世界 第10章 書物の脆さと忘却

 経年劣化でダメになったのだ。幸いにして幾つかの書物は羊皮紙の写本として残っているが、原本は消えてしまった。これと似た事を現代でも繰り返していいるのが切ない。終盤に出てくる酸性紙(→Wikipedia)である。

 確かに集英社も週刊少年ジャンプを何千年も保存するなんて考えちゃいないだろうが、数世紀未来の人類にとっては、アレも貴重な歴史的資料と目される筈なんだよなあ。同じく未来のことを考えると、現代の電子書籍も…

現在使用している(電子書籍の)端末機器が2100年になっても有効かどうかは疑問だ。
  ――第3部 20世紀と21世紀初頭 第11章 デジタル時代の書物の破壊

 端末もそうだし、元データもサーバ側がちゃんとバックアップ取ってりゃいいけど。あとユニコードもいつまでもつやら。今だって配布元の倒産や買収で読めなくなる危険はあるんだよね。もっとも、それは紙も同じで、サンリオSF文庫とかブツブツ…

 などと人類史レベルの規模で「記録」を考えたくなるのが、この本の特徴。

 このブログにしたって、いつまでもつやら。もっとも、残す価値があるかというとムニャムニャ。個人的にも暫くしたら黒歴史になりそうだし。作家自らが自著を葬った話も「第3部 20世紀と21世紀初頭 4章 現代文学の検閲と自主検閲 作家が自著を悔やむとき」で扱ってる。アドガー・アラン・ポーやホルヘ・ルイス・ボルヘスにさえ黒歴史があるなら、泡沫ブロガーが屑記事を書いても当然だよね。

 とか呑気なことばかり言ってられないのが、戦争による被害。これは意図的な場合もあれば、単なる無思慮の時もある。絨毯爆撃すれば、当然ながら図書館だって燃えてしまう。

ドイツ軍はソビエト連邦の侵略に失敗したが、両者の激しい戦闘で1億冊もの本が消滅した(計算違いではない。1億冊である)。
  ――第3部 20世紀と21世紀初頭 第3章 第二次世界大尉戦中に空爆された図書館

 広島と長崎はもちろん東京大空襲でも、貴重な本が大量に失われたんだろうなあ。こういう悲劇は今も続いていて…

イラク国内の郭遺跡の略奪で、未発掘の粘土板の断片が15万枚失われたともいわれる。
  ――第3部 20世紀と21世紀初頭 第10章 イラクで破壊された書物たち

 きっとシリアでも同じなんだろう。そんなイラクでも、資料を守ろうとする人はいるんだけど。こういう人は昔からいて…

(イタリアのモンテカッシーノ修道院は)1944年、第二次世界大戦中に連合国軍の空襲を受けて全滅した(略)。事前にドイツ占領軍内にいた、敬虔なカトリック信者の将校たちの判断で、古代以来の貴重な写本や芸術品の多くがヴァチカンに移送されていたのは、奇跡としかいいようがない。
  ――第2部 東ローマ帝国の時代から19世紀まで 第2章 修道士と蛮族

 と、あの激戦(→Wikipedia)から逃れた本もあったのだ。

 そうした幸運に恵まれず、戦争による被害で最も有名なのは、アレクサンドリアの図書館(→Wikipedia)だろう。俗説じゃアラブ人が燃やした事になっているが、本書じゃ三つの説を挙げている。215年~395年のローマ人によるもの,320年~の地震,無関心による放置。俗説と全然ちがうじゃないか。いずれにせよ、戦争は人の命に加え多くの本も道連れにするのだ。

 これに意図的な破壊が加わると、事態は壊滅的になる。中でも最も悲惨なのがスペインによる中南米の侵略だろう。

絵文書、いわゆるアステカ・コデックスに関しては、当時の略奪・破壊の成果で、彼らの歴史を知るうえで重要かつ貴重な写本はほとんど残っていない状況だという。(略)最も重要とされる文献のほとんどが、ヨーロッパにあるという事実に眩暈を覚える。
  ――第2部 東ローマ帝国の時代から19世紀まで 第6章 メキシコで焼かれた写本

焚書の嵐を生き延びた先コロンブス期のマヤの絵文書は三つのみだった。
  ――第2部 東ローマ帝国の時代から19世紀まで 第6章 メキシコで焼かれた写本

 と、文明そのものを滅ぼした上に、その痕跡までも消し去っている。これも一つのショック・ドクトリンなんだろう。今ある文化を壊して白紙に戻し、自分たちの文化で上書きしよう、そういう発想だ。

(焚書の)先導者たちの意図は明白だ。過去の記憶も制度も消し去り、聖書の解釈をすべて再洗礼派の思想にゆだねる。
  ――第2部 東ローマ帝国の時代から19世紀まで 第7章 ルネサンス最盛期

 もちろん、やられる側も黙っているワケじゃない。そこで、どうしたって暴力、それも組織的な暴力が必要となる。

教条主義はいつの時代にも自らの教義を庇護し、それに同意せぬ者を威嚇する機関を必要とする。
  ――第2部 東ローマ帝国の時代から19世紀まで 第8章 異端審問

 スペインの異端審問はトビー・グリーンの「異端審問」が怖かった。ブレーズ・パスカルが語るように…

≪人は宗教的確信に促されて行うときほど、完全に、また喜んで悪事を働くことはない≫
  ――第2部 東ローマ帝国の時代から19世紀まで 第12章 革命と苦悩

 宗教が絡むとヤバい上に、イベリア半島では容疑者の財産の没収など俗な欲望も絡み凄まじい事になる。もっとも変わった異端もあって、2世紀の北アフリカで流行ったアダム派(→Wikipedia)の主張の一つは「裸の状態に回帰」。どうもヒトには「裸になりたい」って欲があるらしい。

 落穂ひろい的なネタとしては、写本時代の本の価格のヒントが嬉しい。

 1573年、スペインのフェリペ二世は筆写者としてニコラオス・トゥリアノスを雇う。トゥリアノスは30年間で「ギリシャ語の古文書40冊の40冊の写本を作成した」。極めて大雑把な計算で年一冊。当時の筆写者は相当なインテリだろう。なら写本一冊はエリートの年収ぐらい。印刷以前の本は、とんでもなく高価なシロモノだったのだ。グーテンベルクに感謝。あと蔡倫に始まる製紙法の発明者たちにも。

 今は私のような庶民でも図書館に行けば読み切れないほどの本に出合える。なんと幸福で贅沢で奇跡的な社会であることか。こんな時代がずっと続くといいなあ。

 あ、ただし、「○○で××冊の本が失われた」みたいな記述が延々と続くため、本が大好きで繊細な人は心が痛くて読み通せないかもしれない。そこは覚悟して挑もう。

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2020年8月 6日 (木)

ナオミ・クライン「ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く 上・下」岩波書店 幾島幸子・村上由見子訳 4 イラク編

「(イラク経済の)民営化のことなんか誰一人気にしちゃいませんよ。彼らは生き延びるだけで精一杯なんです」
  ――第16章 イラク抹消

「まだ流血が続いているときこそが投資に最適の時期です」
  ――第16章 イラク抹消

 ナオミ・クライン「ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く 上・下」岩波書店 幾島幸子・村上由見子訳 3 から続く。

【どんな本?】

 民営化・規制緩和・社会支出の大幅削減を目指す経済学者集団シカゴ・ボーイズは、その政策を進める方法ショック・ドクトリンを見いだす。災害に見舞われ人々が呆然としているスキに、手早く政策をまとめ実施してしまえ。

 やがて彼らは気づく。手をこまねいて災害を待つ必要はない。人為的に災害を起こせばいい。

 彼らの目論見はネオコンが率いるブッシュJr.政権で日の目を見る。標的はサダム・フセインが支配するイラク。ここを政治的に更地にして過去のしがらみを断ち切り、シカゴ・ボーイズが理想とする政体を作り上げよう。

 経済学者のミルトン・フリードマン率いる新自由主義者シカゴ・ボーイズとIMF(国際通貨基金)および世界銀行の蛮行を暴く、驚愕のドキュメンタリー。

【はじめに】

 この記事ではイラク戦争(→Wikipedia)と占領政策を描く第16章~第18章を紹介する。私はここが最も面白かった。ニワカとはいえ軍ヲタで、「戦争請負会社」「戦場の掟」「ブラックウォーター」などでソレナリに知ったつもりになっていたのもある。

 現場で何が起きているのかは、多くの本で描かれている。「兵士は戦場で何を見たのか」などは、とても生々しい。だが、そもそもなぜブッシュJr.政権がイラク侵攻に拘ったのかは、見えてこなかった。タテマエ上は大量破壊兵器が云々だったが、それは良くて被害妄想、下手すりゃデッチアゲだとバレている。改めて思えば、当時のブッシュJr.政権は異様に執着していた。

【動機】

 これに対しミルトン・フリードマンはこう語る。

「われわれがイラクで行おうとしているのは国家の建設ではない。新たな国家の創設である」

 つまりシカゴ学派の理想郷を建設しようというワケだ。理想の社会を築くため、今ある国家の破壊も辞さない。もはや経済学者というより狂信者であり、手段は自由主義というよりクメール・ルージュにソックリだ。

【占領】

 もっとも、CPA(連合国暫定当局)にはクメール・ルージュほどの兵員はいない。そもそも治安維持への熱意が欠けていた。代表のポール・ブレマーが最初に打った手は経済政策で貿易の自由化だ。経済封鎖を受けていたイラクにとってはありがたい…

 ワケじゃない。なにせチグリスとユーフラテスの地だ。人類史上の貴重な資料が山ほどあり、市場じゃ高値がつく。そして多国籍軍は兵力が足りず、博物館の警備に余計な人員を割けない。だもんで、イラクの博物館や図書館は大規模な略奪の被害に遭う。そこで貿易を自由化だ。賊どもは戦利品をやすやすと国外に持ち出せる。

 だけでなく、国家所有の車やトラックなども続々とパクられた。なにせフセイン政権下のイラクは社会主義で、事業資産の多くは国家所有だ。となれば損害は膨大なものになる。だが、合衆国企業は大喜びだった。

「プログター&ギャンブルの製品をイラクで流通させる権利が得られれば、金鉱を当てたようなものだ」
  ――第16章 イラク抹消

 モノがなければ有望な市場ってわけだ。にしても、せめてウォルマートやフェデックスが全国展開できるぐらいに治安が良ければ、イラクの人にも恩恵があったんだけどねえ。

【占領】

 そんな新自由主義者が手本としたのは、東欧崩壊後のポーランドとソ連崩壊後のロシアである。特にロシアでは大きなミスを犯してしまう。国営企業を買い漁る際、ロシア人に仲介させたため、転売ヤーであるオリガルヒの台頭を許してしまったのだ。そこで合衆国政府はキッチリとタマを握る。

 代理人であるポール・ブレマーに仕切らせ、IMFも世界銀行もカヤの外に置いたのだ。イラク暫定政府は単なる飾り物にすぎない。そしてブレマーは徹底した新自由主義社会を築こうとする。

ある法律は、それまで約45%だった法人税を一律15%へと引き下げ(略)、別の法律は、外国企業がイラクの資産を100%保有することを認めた。(略)投資家はイラクで上げた利益を100%無税で国外に持ち出せるうえ、再投資の義務もなかった。
  ――第17章 因果応報

 海外の投資家の皆さん、存分にイラクを食い物にしてください、そういう法律である。これをドナルド・ラムズフェルド国防長官は絶賛する。

ラムズフェルド国防長官は上院の委員会で、(アメリカ代表特使ポール・)ブレマーの「抜本的な改革」によって「自由世界でも有数の賢明かつ魅力ある税法および投資法」が誕生したと証言した。
  ――第17章 因果応報

 そりゃ確かに投資は活発になるだろう。企業が盛んに進出すれば仕事も増える。折しもバース党員の追放で街には失業者でいっぱいだ。彼らだって仕事を得られれば嬉しい。となるはずが…

 「戦場の掟」で、ひっかかる所があった。民間軍事企業が雇うトラック・ドライバーは、なぜかパキスタン人ばかりなのだ。地元に失業者がたくさんいるんだから、地元の者を雇えばいいのに。なぜワザワザ外国から人を連れてくる?

 「アメリカン・スナイパー」では、基地で働くイラク人を SEAL の著者がからかう場面がある。多少は地元の人を雇っていたらしい。が、やはり抵抗組織のスパイが紛れ込むのは怖かった。逆らわないパキスタン人の方が都合がよかったのだ。パキスタン人は現地のアラビア語もわからないから、地元の抵抗組織に寝返ったりしないだろうし。ま、少々費用がかさんでも、原価加算方式だしね。

 「ブラックウォーター」ではブッシュJr.政権とキリスト教カトリックの関係を暴いていたが、本書も右派キリスト教の選挙協力やモルモン教との関係にも触れている。「カルトの子」でも統一協会の自民党への選挙協力が書いてあったけど、どの国でも宗教組織と保守系政党の癒着があるんだなあ。

【叛乱】

 当然、イラク人の中には不満が渦巻き、グリーンゾーンの外では職を求めるデモが続く。対する合衆国の対応は、力づくで抑え込むこと。その象徴がアブグレイブ刑務所での捕虜虐待(→Wikipedia)である。

「アブグレイブは反米抵抗勢力の温床となった。(中略)辱めや拷問を受けた連中は今すぐにでも報復してやろうという気になった」
  ――第18章 吹き飛んだ楽観論

 これ「倒壊する巨塔」でエジプトの刑務所でサイイド・クトゥブが過激化し、「ブラック・フラッグス」でザルカウィが覚醒したのと同じ構図じゃないか。米軍は、わざわざ敵を筋金入りに鍛えていたのだ。

【決算】

 そうやって海外からの投資を促した結果、果たして効率はよくなったのか、というと…

イラク復興事業の監査にあたったスチュアート・ボーウェン特別監査官の報告によれば、イラク企業が直接契約した数少ない事業のほうが「効率的かつ安価であり、イラク国民に職を与えたことで経済も活性化させた」という。
  ――第18章 吹き飛んだ楽観論

 金を無駄遣いして無意味に血を流したあげく、経済も悪化させた、と。いいことなしじゃん。でも、ブラックウォーターにとっては、そっちの方がいいのだ。だって治安が悪くなれば護衛の仕事が増えるし。

【おわりに】

 やたら興奮して書いたため、支離滅裂な記事になってしまったが、それぐらいこの本はエキサイティングで面白かったのだ。とりあえず鼻息の荒さだけでも伝われば幸いです。

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2020年8月 5日 (水)

ナオミ・クライン「ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く 上・下」岩波書店 幾島幸子・村上由見子訳 3

1994年12月、エリツィンは、いつの時代でも必死で権力にしがみつこうとする多くの指導者がやったのと同じことを実行する――戦争である。
  ――第11章 燃え尽きた幼き民主主義の火

ハリケーン(・カトリーナ)災害関連の契約事業は87憶5千万ドルに上ったが、連邦議会の調査委員会は「大幅な過剰請求、無駄な出費、ずさんな管理」などがあることを指摘した。
  ――第20章 災害アパルトヘイト

「災害の被災者に緊急支援を提供しようという政府の温情的措置は、民間市場のリスク管理対策に悪影響を及ぼす」
  ――第20章 災害アパルトヘイト

1993年イスラエル外相シモン・ペレス「国家間の和平を目指そうというのではない。市場の和平が重要なのだ」
  ――第21章 二の次にされる和平

外国勢力によってプライドを傷つけられたと感じた人々は、国内の最も弱い者に攻撃の刃を向けることで国家の誇りを取り戻そうとしているのだ。
  ――終章 ショックからの覚醒

2005年、IMFの融資総額のうちラテンアメリカ諸国への融資は80%を占めていたが、2007年にはわずか1%に激減している。(略)わずか三年間で、IMFの世界各国への融資総額は810憶ドルから118億ドルに縮小し、現在の融資の大部分はトルコに対するものだ。
  ――終章 ショックからの覚醒

 ナオミ・クライン「ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く 上・下」岩波書店 幾島幸子・村上由見子訳 2 から続く。

【どんな本?】

 ミルトン・フリードマンを首魁とする経済学者集団シカゴ・ボーイズは、三つの政策を主張する。民営化,規制緩和,社会支出の大幅削減だ。これらの政策を推し進めるべく、彼らは合衆国政府・IMF・世界銀行と手を組み、世界各国でショック・ドクトリンによる強引な手段に出る。

 政変や災害などで人々が呆然としているスキにつけこみ、強引に政策を実現させてしまえ。

 南米で、アジアで、東欧とロシアで。彼らが行ったショック・ドクトリンの手口とその結果を暴く、衝撃的なルポルタージュ。

【ロシア】

 第11章と第12章はソ連崩壊と現在のロシアに至る道筋を描く。細かい手口は「強奪されたロシア経済」に詳しいが、本書はより俯瞰した視点で描いてゆく。

 ゴルバチョフは生ぬるい改革で共産党支配体制の存続を望んでいた。それが私の印象だが、本書では北欧型の高福祉社会を目指していた、とある。しかも10~15年ほどかけて。対するエリツィンは、より早くより過激な自由主義化を目論む。

 その顛末はご存知の通り、エリツィンの勝利だ。以後、民営化の名のもとに火事場泥棒が跳梁する。まずオリガルヒが民営化した企業の株を握り、多国籍企業に売り飛ばす。オリガルヒって転売ヤーだったのね。その結果…

ショック療法が実施される前の1989年、ロシアでは約200万人が1日当たりの生活費4ドル未満の貧困状態にあったが、世銀の報告によれば、ショック療法の「苦い薬」が投与された90年代半ばには、貧困ラインを下回る生活を送る人は7400万人にも上った。
  ――第11章 燃え尽きた幼き民主主義の火

 この時、エリツィンの尻を叩いたのが「貧困の終焉」のジェフリー・サックス。U2のボノが師を仰ぐ経済学者だ。まあボノはミュージシャンであって学者じゃないからなあ。

【アジア】

 某ゲームにこんな台詞がある。「死体は探すより作るほうが簡単」。フリードマンらも同じ事に気づく。「危機は待つより作ったほうが確実じゃね? 超インフレとか」。ということで彼らは危機感を煽る。

1995年には、ほとんどの西側民主主義国家の政治的言説においては、「債務の壁」や「迫りくる経済崩壊」といった言葉が飛び交い、政府支出のさらなる削減や積極的な民営化促進が叫ばれていた。その旗振り役を担っていたのが、(ミルトン・)フリードマン主義を奉じるシンクタンクだった。
  ――第12章 資本主義への猛進

 かくして1997年のアジア通貨危機(→Wikipedia)が演出される。その目的は…

米連邦準備制度理事会(FRB)議長アラン・グリーンスパン「今回の危機はアジア諸国にいまだ多く残る政府主導型経済システムの撤廃を促進するだろう」
  ――第13章 拱手傍観

 民営化と言えば聞こえはいいが、実態は政府部門や国内企業の海外資本への切り売りだったりする。

【逆流】

 この波は合衆国にも押し寄せる。刑務所・教育・医療そして国防の民営化だ。国防に関しては「戦争請負会社」や「戦場の掟」「ブラックウォーター」が生々しい。上手いこと経費を削減できりゃいいが…

イラク戦争の際に連合国暫定当局が置かれたバグダッドのグリーンゾーンでも「大丈夫、原価加算方式だから」という言葉が盛んに飛び交った
  ――第14章 米国内版ショック療法

 掛けた費用に利益を上乗せして請求すりゃ政府には気前よく払ってくれる。効率化もヘッタクレもない。これを後押ししたのが911。

9.11以前には存在しなかったに等しいセキュリティー産業は、わずか数年のうちに映画産業や音楽産業をはるかに上回る規模へと驚異的な成長を遂げた。しかし、もっとも驚くべきなのは、セキュリティー・ブームが一つの経済分野として分析されたり議論されたりすることがほとんどないという点だ。
  ――第14章 米国内版ショック療法

 そしてブッシュJr.政権のドナルド・ラムズフェルドやディック・チェイニーやジェームズ・ベイカーも荒稼ぎする。そんな彼らが目を付けたのがイラク。このイラクを扱う第六部は本書のハイライトなんだが、敢えて後に譲る。いや文字数の関係なんだけど。

【津波】

 第19章は2004年12月26日のスマトラ沖地震に伴う津波に襲われたスリランカ東海岸が舞台だ。漁民たちは家も船も失う。世界中から彼らに義援金が送られ、スリランカ政府はこの金を再開発プロジェクトに使う。問題はこの「再開発プロジェクト」の実態だ。漁村の再建? うんにゃ。

「津波が観光産業に味方をしてくれました。無許可の建造物のほとんどが津波で壊され、海岸から姿を消したからです」
  ――第19章 一掃された海辺

 観光業者は、前から美しいビーチに目をつけていた。でもみすぼらしい漁民が邪魔だ。そこで津波を言い訳に、関係者以外立ち入り禁止にする。関係者とは他でもない、観光業者だ。そしてビーチには美しいホテルが立ち並びました。そして漁民は避難所に閉じ込められたまま。

【ハリケーン】

 2005年8月末、ハリケーン・カトリーナ(→Wikipedia)が合衆国島南部を襲い、ニューオーリンズが水没する。ブッシュJr.政権はいち早く対応に動き出す。

 ハリバートン傘下のKBRに南部沿岸の米軍基地修復を、悪名高い傭兵企業ブラックウォーターにFEMA(連邦緊急事態管理庁)職員の護衛を委託する。ちなみにFEMAは、まさしくカトリーナのような災害に備える組織だ。計画策定を民間企業に委託していたが、肝心の対策は「何ひとつ実施されていなかった」。原因は予算不足。

 福島の原発事故の除染作業での中抜きみたいなのはカトリーナでもあって、防水シートをかぶせる仕事に対しFEMAは1平方フィート175ドル払っているが、現場作業員が受け取るのは2ドルのみ。そりゃカニエ・ウエストも怒るよ。

【約束の地】

 風が吹けば桶屋が儲かる。911に象徴されるテロは、意外な者に利益をもたらす。

「イスラエルでは日々テロの脅威にさらされているが、(テルアビブの株式)市場はずっと上がり続けている」
  ――第21章 二の次にされる和平

カリフォルニア州オークランド国際空港航空部門責任者スティーヴン・グロスマン「セキュリティー分野ではイスラエルの右に出るものはいない」
  ――第21章 二の次にされる和平

 そう、イスラエルだ。なにせ彼らには実績があるしね。お陰でイスラエルはアラブの意向を気にする必要はなくなった。今までは近隣のアラブ諸国を相手に商売してたけど、最近は欧米相手のITやセキュリティー産業で稼げる。それまでパレスチナ人に頼ってた労働力も、崩壊したソ連から逃げてきたロシア系ユダヤ人が担ってくれる。

 ここでは、大量に雪崩れ込んだロシア系移民と、第二次インティファーダや分離壁や入植地との関係がクッキリ見えてきたのが面白かった。いやむしろパレスチナ問題の解決は絶望的になってるんだけど。

【おわりに】

 社会支出の大幅削減はわかるけど、民営化や規制緩和が何をもたらすかは、実のところよくわかってなかった。その目的や結果を見せつけてくれる点では、極めて刺激的な本だ。とはいえ、岩波書店って所で、なんとなく避けちゃう人も多いだろう。あと、ハードカバー上下巻の圧迫感も避けられる原因になってしまう。ハヤカワ文庫NFあたりで抄録の文庫版を出してほしい。あ、一応、次の記事で終わる予定です。

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【今日の一曲】

Blackberry Smoke / One Horse Town (Official Acoustic Video)

 いや本書とは全く関係ないんだけど、どしても紹介したくなったんで。好きなんすよ、こーゆーの。浜田省吾ファンにはウケると思うんだけど、どう?

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2020年8月 4日 (火)

ナオミ・クライン「ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く 上・下」岩波書店 幾島幸子・村上由見子訳 2

イギリス労働党議員トニー・ベン「…問題はサッチャー夫人の評判であって、フォークランド諸島ではまったくない」
  ――第6章 戦争に救われた鉄の女

危機に直面した国民は、魔法の薬を持つと称する者には誰にでも多大な権限を喜んで預ける
  ――第8章 危機こそ絶好のチャンス

2006年の調査によれば、中国の億万長者の90%が共産党幹部の子息だという。こうした党幹部の御曹司(中国語では「太子」と呼ばれる)およそ2900人の資産は、総計2600憶ドルにも上る。
  ――第9章 「歴史は終わった」のか?

気まぐれなグローバル市場に対して自国市場を解放すれば、シカゴ学派の正統理論から外れた国は瞬時に、ニューヨークやロンドンのトレーダーから通貨の下落という痛い仕打ちを受け、その結果危機は深まってさらなる債務の必要性が生じ、いっそう厳しい条件がつけられる
  ――第10章 鎖につながれた民主主義の誕生

 ナオミ・クライン「ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く 上・下」岩波書店 幾島幸子・村上由見子訳 1 から続く。

【どんな本?】

 経済学のシカゴ学派は新自由主義を信奉し、俗にネオリベとも呼ばれる。フリードリヒ・ハイエクに始まりミルトン・フリードマンが熱心に広げた彼らは、三つの政策を唱える。民営化,規制緩和,社会支出の大幅削減だ。

 この政策を広げるために、彼らはショック・ドクトリンを採用した。危機こそ機会である。戦争や経済危機や自然災害などで人々が呆然としているスキに、政府を乗っ取り強引に政策を進めてしまえ。

 南米に始まりイラクで今なお続くショック・ドクトリンの歴史と成果を赤裸々に暴く、一般向けの衝撃的な告発の書。

【南米】

 ネオリベこと新自由主義は最近になって出てきたように思っていたが、とんでもない勘違いだった。というか本書に出てくる彼らの手口は、かつてのファシストとたいして変わらない。つまり軍と富裕層が組んで支配権を握り国民を奴隷化する、そういう政策だ。往々にして伝統的な宗教勢力も支配層に媚びを売る。

 本書の最初の例は、チリの軍事クーデターだ。1973年9月11日、アウグスト・ピノチェト将軍(→Wikipedia)がサルバドール・アジェンデ大統領(→Wikipedia)を倒し政権を握る。悪名高いピノチェト政権の誕生だ。この陰で動いていたのがCIAとシカゴ学派だ。

 つか今 WIkipedia のチリ・クーデターを見たら、かなり詳しく書いてありました。なんにせよ、新自由主義者が先導するショック・ドクトリンは、少なくとも1973年には姿を現していたんです。

 同1973年にウルグアイで、続く1976年にはアルゼンチンで、同じ手口が繰り返される。

 もっとも合衆国のカリブ海諸国や中南米諸国に対する傲慢な振る舞いは「バナナの世界史」や「砂糖の歴史」で見当はついてたけど、予想以上の酷さだ。

【イギリス】

 第6章ではフォークランド紛争を巧みに利用したイギリスのマーガレット・サッチャー政権を取り上げる。このドタバタでサッチャーの支持率は25%から59%に跳ね上がる。その結果は「チャヴ」に詳しい。保守党にとって目障りな労働党は壊滅し、福祉社会は粉みじんに吹き飛んでしまう。

 911もそうだけど、現役のタカ派にとって、軍事衝突は美味しいのだ。日本でも国会議員選挙が近づくと、中国軍や北朝鮮軍の活発な動きのニュースがなぜか増えるんだよなあ。

【ブッチとサンダンス】

 第7章では1985年のボリビアにおけるジェフリー・サックスの活動を暴く。そう、「貧困の終焉」の著者だ。ハイパーインフレに対して彼が提案した政策は「食料補助金の廃止、価格統制の撤廃、石油価格の300%引き上げ」。あの人、こんな事してたのか。これに対しIMF職員は…

「これはまさにIMFの職員全員が夢見てきたことだ。でも、もしうまくいかなかった場合、外交特権のある私はすぐに飛行機で国外に逃げ出しますがね」
  ――第7章 新しいショック博士

 IMFってのは、そういう所らしい。その結果はコカ栽培の急増である。輸出産業が育ってよかったね。

【対外債務】

 第8章では、荒れた国が立ち直る際に足を引っ張る対外債務の正体を、アルゼンチンの例で描き出す。一般に強権的な政府の元では貧富の差が激しくなる。軍や政府と結託した金持ちは、更に金をため込むわけだ。特に新自由主義下の場合、政府は電力網や水道など政府機関を売り飛ばす。代価を受け取るのはもちろん貧民じゃない。アルゼンチンは1983年まで軍政が続いたが、例えば1980年には…

FRBによれば、1980年1年間でアルゼンチンの債務は90憶ドル増大し、同年、アルゼンチン人による海外預金の合計額は67憶ドル増加していた。
  ――第8章 危機こそ絶好のチャンス

 国としてカネを借りる。受け取ったカネは権力者がパクって海外に隠す。そして国民には借用書が残る。そういうコトです。だからジェフリー・サックスは「借金を棒引きにしろ(→『貧困の終焉』)」って言うのね。

 しかも、政権交代直前の1982年に、大手多国籍企業の債務を国が引き受けてる。外国企業の借金まで国民に押し付けてトンズラかましたのだ。

【失望】

 第8章ではレフ・ワレサが率いたポーランドの連帯の、第9章ではネルソン・マンデラで有名な南アフリカのANCの失墜を描く。ANCは政治的な平等を手に入れたが、経済部門の交渉で大きなミスをした。

南アフリカの調査報道ジャーナリストのウィリアム・グリード「あの時(南ア体制移行期)は政治のことしか頭になかった」「でも本当の戦いはそこにはなかった――本当の戦いは経済にあったんです。自分があまりにも無知だったことが不甲斐ない」
  ――第10章 鎖につながれた民主主義の誕生

 白人が持つ土地に政府は手を出せない。銀行や鉱山も白人の支配下にある。旧政権下の公務員の職と年金も保証せにゃならん。そのため新政府は借金まみれ。資金を調達するため、新政府は「民営化によって国家の財産」を売る。買い手はもちろん…。

 そもそもマンデラ氏に対し…

彼(ネルソン・マンデラ)が釈放されるや、南アの株式市場はパニック状態に陥って暴落し、通貨ランドは10%下落した。数週間後、ダイヤモンド関連企業デビアス社は、本社を南アからスイスに移した。
  ――第10章 鎖につながれた民主主義の誕生

 そうか、デビアスの本社は南アフリカにあったのか。それはさておき、南アフリカの黒人たちは旧政府の白人の年金のため、今もせっせと税金を払い続けている。その結果…

マンデラが釈放された1990年以降、南ア国民の平均寿命はじつに13年も短くなっている
  ――第10章 鎖につながれた民主主義の誕生

 結局のところ、政治的な差別が経済的な差別に変わっただけで、しかも格差はさらに酷くなっているのだ。

【おわりに】

 うう、まだ上巻が終わらない。どうしよう。などと悩みつつ次の記事に続く。

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2020年8月 3日 (月)

ナオミ・クライン「ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く 上・下」岩波書店 幾島幸子・村上由見子訳 1

アメリカン・エンタープライズ研究所「ルイジアナ州の教育改革者が長年やろうとしてできなかったことを(中略)ハリケーン・カトリーナは一日で成し遂げた」
  ――序章 ブランク・イズ・ビューティフル

ピノチェトは急激な収縮によって経済に刺激を与えれば、健全な状態に戻すことができるという未検証の理論に基づき、故意に自国を深刻な不況に追いやった。
  ――第3章 ショック状態に投げ込まれた国々

国家による虐殺が認められる限りにおいて、軍事政権はそれをソ連国家保安委員会(KGB)から資金を受けた危険な共産主義テロリストとの戦いであるとして正当化した。
  ――第3章 ショック状態に投げ込まれた国々

治安当局の手入れによって逮捕された人々の大多数は軍事政権が主張する「テロリスト」ではなく、政府が推進する経済プログラムにとって重大な障害になるとみなされた人々だった。
  ――第4章 徹底的な浄化

拘束者に対して広範に行われる虐待は事実上、その国や地域の多くの人々が反対するシステム――政治的なものであれ、宗教的、経済的なものであれ――を政治家が強制的に実施しようとしていることの確実な兆候である。
  ――第5章 「まったく無関係」

【どんな本?】

 チリ・グアテマラ・アルゼンチンなどの中南米諸国,ベルリンの壁崩壊後のロシアや東欧諸国,サッチャー政権下のイギリス,アパルトヘイト撤回後の南アフリカ,通貨危機時のアジア,フセイン政権打倒後のイラク、そしてハリケーン・カトリーナに見舞われたルイジアナ州。

 財政危機・体制崩壊・経済危機・戦争・自然災害と、それぞれ原因は様々だが、そこに住む人々は、いずれも似たような状況に陥った。とりあえず生きていくのに精いっぱいで、他のことに頭が回らない。

 そんな時、彼らを支えるべきIMF(国際通貨基金)や世界銀行は、一貫して共通の姿勢を示した。

 それはどんな姿勢なのか。そこにはどんな思惑があるのか。彼らは何を目指しているのか。その思想の源流はどこにあるのか。

 カナダ生まれのジャーナリストが、グローバル経済の発展と多国籍企業の躍進がもたらした「惨事便乗型資本主義」の来歴と正体を暴き、その危険性を警告する、一般向けの啓蒙書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Shock Doctrine : The Rise of Disaster Capitalism, by Naomi Klein, 2007。日本語版は2011年9月8日第1刷発行。単行本ハードカバー上下巻の縦一段組みで本文約345頁+325頁=約670頁に加え、訳者幾島幸子による訳者あとがき4頁。9ポイント46字×19行×(345頁+325頁)=約585,580字、400字詰め原稿用紙で約1,464枚。文庫なら上中下巻ぐらいの大容量。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。敢えて言えば、南米やスリランカなど日本人にはなじみの薄い地域が舞台となるので、人によっては戸惑うかも。

【構成は?】

 章ごとに舞台が変わるので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

  •  上巻
  • 序章 ブランク・イズ・ビューティフル 30年にわたる消去作業と世界の改革
  • 第1部 二人のショック博士 研究と開発
    • 第1章 ショック博士の拷問研究室
      ユーイン・キャメロン、CIA そして人間の心を消去し、作り変えるための狂気じみた探求
    • 第2章 もう一人のショック博士
      ミルトン・フリードマンと自由放任実験室の探求
  • 第2部 最初の実験 産みの苦しみ
    • 第3章 ショック状態に投げ込まれた国々
      流血の反革命
    • 第4章 徹底的な浄化
      効果をあげる国家テロ
    • 第5章 「まったく無関係」
      罪を逃れたイデオローグたち
  • 第3部 民主主義を生き延びる 法律で作られた爆弾
    • 第6章 戦争に救われた鉄の女
      サッチャリズムに役だった敵たち
    • 第7章 新しいショック博士
      独裁政権に取って代わった経済戦争
    • 第8章 危機こそ絶好のチャンス
      パッケージ化されるショック療法
  • 第4部 ロスト・イン・トランジション 移行期の混乱に乗じて
    • 第9章 「歴史は終わった」のか?
      ポーランドの危機、中国の虐殺
    • 第10章 鎖につながれた民主主義の誕生
      南アフリカの束縛された自由
    • 第11章 燃え尽きた幼き民主主義の火
      「ピノチェト・オプション」を選択したロシア
  • 原注
  •  下巻
  • 第4部 ロスト・イン・トランジション
    • 第12章 資本主義への猛進
      ロシア問題と粗暴なる市場の幕あけ
    • 第13章 拱手傍観
      アジア略奪と「第二のベルリンの壁崩壊」
  • 第5部 ショックの時代 惨事便乗型資本主義複合体の台頭
    • 第14章 米国内版ショック療法
      バブル景気に沸くセキュリティー産業
    • 第15章 コーポラティズム国家
      一体化する官と民
  • 第6部 権力への回帰 イラクへのショック攻撃
    • 第16章 イラク抹消
      中東の“モデル国家”建設を目論んで
    • 第17章 因果応報
      資本主義が引き起こしたイラクの惨状
    • 第18章 吹き飛んだ楽観論
      焦土作戦への変貌
  • 第7部 増殖するグリーンゾーン バッファーゾーンと防御壁
    • 第19章 一掃された海辺
      アジアを襲った「第二の津波」
    • 第20章 災害アパルトヘイト
      グリーンゾーンとレッドゾーンに分断された社会
    • 第21章 二の次にされる和平
      警告としてのイスラエル
  • 終章 ショックからの覚醒 民衆の手による復興へ
  • 訳者あとがき/原注/索引

【感想は?】

 経済学とは、科学のフリをした宗教なのだ。

 何かと数式を持ち出して科学っぽい雰囲気を出しちゃいるが、肝心の元になるデータは都合のいい所のつまみ食いだ。主張はいろいろある。が、どれにしたって、結論が最初にあって、それに都合のいい理屈をつけてるだけ。データから結論を導き出す科学とは、まったく逆の手口でやりあってる。

 同じ不況対策でも経済学者によって正反対の意見が出るってのも奇妙だ。数学や工学じゃまずありえない話だが、最初から結論が決まってるんだからそうなるのも当然である。この辺は「経済政策で人は死ぬか?」の冒頭に詳しい。

 宗教なんだから、宗派争いも激しい。大雑把には二派に別れる。ケインズ派とハイエク派だ(というか、私は大雑把にしか知らない)。ケインズ派は大きな政府を望み貧乏人に優しく、ハイエク派は小さな政府を望み金持ちに優しい。

 ケインズ派の始祖はジョン・メイナード・ケインズ(→Wikipedia)で、その理論はニューディール政策(→Wikipedia)で結実する。不況に対し政府が大金を投じて大事業を行い、人びとに職と収入を与えた。

 これを憎むのがフリードリヒ・ハイエク(→Wikipedia)の名を冠するハイエク派だ。本書ではミルトン・フリードマン(→Wikipedia)が頭目のシカゴ学派や新自由主義としているが、ネオリベ(→Wikipedia)の方が通じるかも。「ゾンビ経済学」では淡水派と呼んでいる。

 新自由主義の政策は三つに集約できる。政府事業の民営化,規制緩和,そして社会支出の大幅削減だ。たいていの事は政府より民間企業の方が効率的で巧くやれる、だから政府は事業を売り払って民営化を進め、自由競争に任せろ。そういう主張だ。どっかで聞いたことがありませんか?

 東欧に続くソ連崩壊で共産主義の幻想は消えた。ベルリンの壁崩壊後、東欧からはウヨウヨとトラバント(→Wikipedia)が這い出してきた時、私は思い知った。アレが東欧の大衆車なのだ。当時の日本の大衆車といえば、ニッサン・サニーかトヨタ・カローラだ。私はホンダ・シビックが好きだが。いや排気量的にダイハツ・ミラやスズキ・アルトと比べるべき? いずれにせよ資本主義の方がクルマの質はいいし庶民にも普及してる。政府は余計な事すんな。自由競争ばんざい。

 などと唱えるものの、なかなか世間は納得しない。東欧崩壊以降はだいぶ風向きが変わったが、その前は強い抵抗にあった。そこでシカゴ学派は思い切った手段に出る。それがショック・ドクトリン、著者が呼ぶところの惨事便乗型資本主義だ。

 カタカナだったり漢字ばっかりだったりで小難しそうだが、火事場泥棒に雰囲気は掴める。大惨事で人々が右往左往しているウチに政府を乗っ取り、強引に民営化・規制緩和・社会支出の大幅削減をやってしまえ、そういう手口である。酷い時には、自ら火をつけたり。

 この時に協力するのが合衆国政府だったりIMFだったり世界銀行だったり。そして利益を得るのはグローバル企業だ。人々は職を失うだけで済めば御の字で、土地や家、そして命までも奪われる。

 ショック・ドクトリンの源を探る第1部に続き、第2部以降では世界を股にかけたシカゴ学派の活躍を描いてゆく。そのメロディはどれも同じだ。政治的・経済的・軍事的または自然災害などの大規模な衝撃が人々に襲い掛かる。政府が財源に悩み人々がアタフタしている間に、電気や水道など政府の公共事業や規制されていた土地が民間それも海外の企業に叩き売られる。企業は経費削減で従業員のクビを切り、失業者が大幅に増える。

 それで経済が立ちなおりゃともかく、まずもってロクな事にならない。停電や断水が頻発し物価は上がり医療は崩壊する。人々は街に繰りだしデモで政府を批判するが、政府もシカゴ学派も反省しない。「御利益がないのは信心が足らないから」とばかりに、更なる民営化と規制撤廃を進めてゆく。

 このあたりは、「ポル・ポト ある悪夢の歴史」が描くクメール・ルージュとソックリだったり。この記事の冒頭で「経済学とは、科学のフリをした宗教」としたのは、そんなシカゴ学派の姿勢が狂信者とソックリだからだ。誰だって「自分は間違った」と認めるのは嫌だ。まして、結果として多くの人が死んだのなら尚更だ。この辺は「まちがっている」が詳しい。

 ああ、ゴタクばっかしでなかなか本書の紹介に入れない。それというのも、本書がとてもショッキングであり、頭が混乱して右往左往しているからだ。次の記事から、少し落ち着いて内容を紹介するつもりだ。

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