« SFマガジン2020年6月号 | トップページ | ルーシャス・シェパード「タボリンの鱗 竜のグリオールシリーズ短編集」竹書房文庫 内田昌行訳 »

2020年6月25日 (木)

小笠原弘幸「オスマン帝国 繁栄と衰亡の600年史」中公新書

本書は、そのオスマン帝国が歴史に姿を見せる13世紀末から、1922年の滅亡までを扱う通史である。
  ――はしがき

メフメト二世の治世を通じて、ヴェネツィアは、少なくとも14を超える暗殺計画を用意していたという。
  ――第2章 君臨する「世界の王」

オスマン帝国憲法は、スルタン制を廃止した(1922年)11月1日、あるいはヴァヒデッティンが廃位された11月18日をもって滅亡したとされる。
  ――第4章 専制と憲政下のスルタン=カリフ

【どんな本?】

 13世紀終盤に勃興したオスマン侯国から1453年のコンスタンティノポリス征服を経て、六世紀にわたりアナトリアを中心として地中海と黒海を支配しながらも、第一次世界大戦を機に崩壊したオスマン帝国。

 一時期は地中海と黒海を支配した大帝国だったが、産業化が進んだ西欧に対し硬直した君主国といった印象が強い。だが、その実体はどんなものだったのか。なぜ六百年もの長きにわたり王朝が存続しえたのか。帝国の歴史は、現代の世界情勢にどんな影響を与えているのか。

 主に王朝内の権力構造と近隣国との争いを中心に、大帝国の歴史を俯瞰する、一般向けの歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2018年12月25日初版。私が読んだのは2019年3月5日の3版。売れてます。新書版で縦一段組み本文約303頁に加え、あとがき3頁。9ポイント42字×17行×303頁=約216,342字、400字詰め原稿用紙で約541枚。文庫なら普通の厚さの一冊分ぐらいの分量。

 文章はこなれていて読みやすい。内容もわかりやすい。章の頭に地図があるので、たくさん栞を用意しよう。また幾つかの街は現代と違う国に属しているので、地中海周辺の地図があると味わいが深くなる。例えばベオグラード(→Wikipedia)は現在セルビア共和国の首都だが、本書の第2章で登場する際はハンガリー王国の支配下にある。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に進むので、素直に頭から読もう。

  • はしがき
  • 序章 帝国の輪郭
    • 1 「この国」の呼び方
    • 2 王位継承、権力構造、統治理念
    • 3 四つの時代
  • 第1章 辺境の信仰戦士 封建的諸侯の時代 1299年頃-1453年
    • 1 北西アナトリアという舞台
    • 2 オスマン集団の起源と始祖オスマン
    • 3 14世紀の拡大
    • 4 稲妻王バヤズィド一世の栄光と没落
    • 5 空位時代からの復興
  • 第2章 君臨する「世界の王」 集権的帝国の時代 1453年-1574年
    • 1 征服王メフメト二世とコンスタンティノポリス征服
    • 2 聖者王バヤズィド二世
    • 3 冷酷王セリム一世
    • 4 壮麗なる時代 スレイマン一世の半世紀
    • 5 セリム二世と大宰相ソコッルの時代
  • 第3章 組織と党派のなかのスルタン 分権的帝国の時代 1574年-1808年
    • 1 新時代の幕あけ 分権化の進展
    • 2 王位継承と王権の変容
    • 3 大宰相キョブリュリュの時代
    • 4 18世紀の繁栄
    • 5 近代への助走 セリム三世とニザーム・ジェディード改革
  • 第4章 専制と憲政下のスルタン=カリフ 近代帝国の時代 1808年-1922年
    • 1 マフムト二世 「大王」、「異教徒の帝王」そして「イスラムの革新者」
    • 2 タンズィマート改革
    • 3 アブデュルハミト二世の専制時代
    • 4 第二次立憲政
    • 5 帝国の滅亡
  • 終章 帝国の遺産
    • 1 オスマン帝国史の構造
    • 2 オズマン帝国の残照
  • あとがき/参考文献/年表/索引

【感想は?】

 さすがに600年もの歴史を300頁程度で語るのとなると、どうしても駆け足になる上に、焦点もしぼらなきゃならない。そこで、本書は、歴代スルタンとそれを支えた権力構造が話の中心となる。ある意味、教科書的な構成と言えるだろう。

 その分、民衆の暮らしや帝国周辺の状況、文化や産業などにはあまり触れない。全般的にコンスタンティノポリス=インタンブルを舞台とした、帝国中枢の権力抗争を主に扱っている。

 それだけの長期王朝を可能としたのは、やはり独特の支配構造だろう。

オズマン帝国の長きにわたる存続を可能ならしめたのは、卓越した王位継承のコントロール・システムと、王権を支える柔構造の権力体制であった。
  ――終章 帝国の遺産

 私が思うに、主な特徴は三つだ。1)外姻権力の排除 2)兄弟殺し 3)奴隷の積極的な登用。

 外姻権力の排除については、こんな記述がある。

オスマン朝では、生母の貴賤が問われることはなかった。(略)イスラム法では、母親の身分にかかわらず、認知さえされていれば、子が持つ権利は同等なのである。
  ――第1章 辺境の信仰戦士

 ハレムで有名な地域だが、父親が認知さえすれば、すべての王子はみな同等なのだ。少なくとも、タテマエ上は。実際、「オスマン朝においても、ほとんどの君主の母は奴隷であった」。お陰で姻戚は頼れないが、鎌倉幕府みたく北条氏に乗っ取られることはなくなる。もっとも、北条氏に頼らず源頼朝が幕府を開けたかというと疑問だが、それだけオスマン王家の権力基盤は強かったんだろう。

 ちなみにオスマン王家の初代はオスマン1世だが、その父の名はエルトゥールル。かのエルトゥールル号(→Wikipedia)は、彼から取ったんだろうなあ。

 次の兄弟殺しは、まんまだ。王権を掌握したら、ライバルとなる兄弟を処刑する。残酷なようにも思えるが、将来の反乱の芽を摘むには優れた予防策だろう。もっとも、これは代が下るに従い殺さず軟禁する形に変わり、それに伴い兄弟間の帝位継承も起こるんだけど。

 最後の奴隷の積極的な登用は、イェニチェリが代表的な例だろう。キリスト教徒の農村から見どころのある少年を徴用し、ムスリムに改宗させてトルコ語を仕込む。中でも優れた者は宮廷や常備軍に登用する。これをデヴシルメ制度と呼ぶ。

 何せ彼らは奴隷であり、家族、特に親から切り離されている。そのため、彼らが出世しても、その親がデカいツラする心配はない。当然、彼らの忠誠はスルタンに捧げられる。高級官僚や軍人などの中枢権力を奴隷が占めれば、スルタンのライバルになりそうな国内の有力な一族の台頭を抑えられる。

 もっとも、これも代が下るに従って崩れてきて、イェニチェリも面倒な存在になってくるんだけど。

17世紀には九人のスルタンが即位したが、じつに六度の廃位が行われた(略)。反乱――いずれもイェニチェリ軍団が絡んでいる――による廃位は四回であり、二名のスルタンが殺害されている。
  ――第3章 組織と党派のなかのスルタン

 築城術や火砲の進歩、そして軍制の変化などの近代化にも、既得権益者となったイェニチェリが抵抗したり。それでも西欧やロシアの圧力は次第に強まり、オスマン帝国も改革を余儀なくされてゆく。特に19世紀後半の状況は、日本とよく似ていて胃が痛くなったり。

こうした危機的状況のなか、列強、とくに英仏からの支持を引き出すため、オスマン政府は自分たちが近代国家であることを示す必要性に迫られた。その決め手と考えられたのが憲法制定である。(略)1876年12月23日、オスマン帝国憲法が発布された。
  ――第4章 専制と憲政下のスルタン=カリフ

 大日本帝国憲法が1889年だから、ほぼ同じ時期だ。日本がラッキーだったのは、西欧から遠い上に、ロシアも極東をあまり重視してなかったため、かな?

 対外的には、ウィーン包囲などヨーロッパとの対立が思い浮かぶが、クリミアやバルカン半島を舞台としたロシアも存在感が大きい。また、東では、現在のイラクあたりをめぐりサファヴィー朝と因縁の対決が続いたり。特に終盤の現トルコ共和国誕生のあたりは、記述は短いながらもギリシャとの遺恨がヒシヒシと伝わってきて、トルコの立ち位置の微妙さが少しだけわかった気がする。

 バルカン半島・北アフリカ・シリア・イラクなど、かつてオスマン帝国の勢力下にあった地域は、現代でも紛争が続く。その原因の一つは、民族や宗教の複雑な構成であり、それにはオスマン帝国の興亡が深く関わっている。現代史の背景を知る上でも、なかなか収穫の多い本だった。

【関連記事】

|

« SFマガジン2020年6月号 | トップページ | ルーシャス・シェパード「タボリンの鱗 竜のグリオールシリーズ短編集」竹書房文庫 内田昌行訳 »

書評:歴史/地理」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« SFマガジン2020年6月号 | トップページ | ルーシャス・シェパード「タボリンの鱗 竜のグリオールシリーズ短編集」竹書房文庫 内田昌行訳 »