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2020年6月の3件の記事

2020年6月30日 (火)

ルーシャス・シェパード「タボリンの鱗 竜のグリオールシリーズ短編集」竹書房文庫 内田昌行訳

「グリオールが自分の存在を知らせようとしてるときには、ちゃんと注意を払わないと不幸に見舞われるんだよ」
  ――タボリンの鱗

「わたしたちはいつだって彼を見くびってきた」
  ――タボリンの鱗

「ヤーラは猿みたいに頭がおかしいんじゃない。蛇みたいに頭がおかしいんだ」
  ――スカル

【どんな本?】

 ルーシャス・シェパードはアメリカ合衆国のSF/ファンタジイ作家で、中南米を舞台とした作品が多い。この本は「竜のグリオールに絵を描いた男」に続くグリオール・シリーズの作品集で、「タボリンの鱗」と「スカル」の二編を収める。

 グリオールは邪悪で長命な竜で、巨大な体は1800mにも及ぶ。かつて魔法使いがグリオールと戦い、かろうじて眠りにつかせた。眠るグリオールの周囲には町ができる。1853年にメリック・キャタネイが竜にとどめをさす計画を持ち込む。竜の体に絵を描き、絵の具の毒で殺そう、と。30年をかけて計画は実施された。だが、竜の死は確認できていない。何せ鼓動すら千年に一度しか打たないのだ。

 生死は定かでないグリオールだが、その邪念は近くに住む人々に染みわたり、その人生を操る。少なくとも、そう考える人は多い。実際、グリオールの周囲では様々な事件が起きる。それは竜の邪念によるものなのか、それとも人の邪悪さゆえなのか。

 荒々しい中南米を舞台に、邪悪で巨大な竜グリオールが関わる事件を描く、恐怖と幻想のファンタジイ作品集。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 日本独自の編集。2020年1月2日初版第一刷発行。文庫で本文約303頁に加え、著者による「作品に関する覚え書き」5頁+池澤春奈の解説6頁。8.5ポイント41字×17行×303頁=約211,191字、400字詰め原稿用紙で約528枚。文庫本としては普通の厚さ。

 文章はこなれている。ただ、単位系がヤード・ポンド法なので、慣れない人は少し戸惑うかも。ちなみに1フィートは約30cm。SFというよりファンタジイなので、理科が苦手でも大丈夫。大事なのは竜のイメージだろう。最近のファンタジイにありがちな軟弱なシロモノではない。ひたすら巨大で強力で邪悪な上に狡猾な存在だ。また、現地の言葉はスペイン語である由を心に留めておこう。

【タボリンの鱗】

 ジョージ・タボリンは40歳で趣味は古銭収集。春に三週間ほどグリオールの麓にあるテオシンテ市に出かけ、娼婦と古銭を買い漁って休暇を過ごす。その年は、古い鱗のようなものを見つけた。大きさは親指の爪の三倍ほど、汚れていて黒っぽい。グリオールの鱗にしては小さすぎる。鱗を欲しがる娼婦が居たので、二週間の「仕事」の報酬として渡すことで話がまとまった。鱗の汚れを落とそうと磨いていたところ…

 原題は The Taborin Scale。時系列的には、「竜のグリオールに絵を描いた男」事件のすぐ後ぐらい。グリオールを観光資源としてちゃっかり商売しちゃってるテオシンテ市の逞しさに思わずニンマリしてしまうが、生死の確認ができないってなんやねんw なぜソレを最初から考えないw

 先に出た「竜のグリオールに絵を描いた男」は、グリオールが周囲の者に及ぼす影響が話の中心だった。本書では、これに加えもう一つの重要な軸が加わる。合衆国と中南米の関係だ。とは言っても、政府高官や大企業が関わる大げさなものじゃない。合衆国から訪れた観光客と、現地の人々の関係だ。

 今はともかく、円高だった頃に東南アジアを旅したことがある人は、身に覚えがあるだろう。日本にいるより、はるかに金持ちになった気分が味わえるのだ。これは為替や物価の関係で、物価が1/10ぐらいになったように感じてしまう。別の言い方をすると、自分がいきなり金持ちになったような気分が味わえる。

 比較的に外交が弱い、というか外務省が頼りにならない日本ですら、そうなのだ。米国の市民権を持つ者は、更に政治的な強みもある。本作品の主人公、ジョージ・タボリンが、テオシンテで休暇を過ごすのも、そんな強みを利用するためだ。彼と娼婦シルヴィアは、まさしくそういう関係で始まる。

 とかの生臭い政治色はあるが、同時にグリオールの意外な面が見えるのも本作品のお楽しみ。なんと、若きグリオールが大怪獣ラドンよろしく暴れまわるのだ。さすがに全長1.6kmとまではいかないが、7~8mはある。しかもブンブン飛びまわるからタチが悪い。おまけに竜らしく邪悪な知恵まで備えてる。まさしく覇者の風格と言えよう。

 いろいろあって映画化は難しいが、シェパード作品には珍しくヴィジュアル的なインパクトが大きな作品だ。

【スカル】

 2002年から20088年まで、ジョージ・クレイグ・スノウはテラマグアで過ごした。仕事もしている。いかさま慈善団体で嘘の手紙を書き、米国の篤志家たちから金をだまし取る。ガールフレンドに宿から叩き出されたジョージは、不思議な少女ヤーラと出会う。ヤーラはジャングルの奥で、新興宗教らしき集団の中で、巫女のような役割を果たしていた。しかも、彼女が住んでいるのは…

 原題は The Scull。先の「タボリンの鱗」の更に後の時代。「作品に関する覚え書き」で、テラマグアはグアテマラがモデルだとハッキリ示している。

 そのグアテマラ、コーヒーが好きな人には独特の風味で有名だが、「コーヒーの歴史」を読む限り社会はかなりアレだったり。当然、米国の資本も入ってるワケで、たぶんCIAも暗躍してるんだろうなあ。本作品にそういう話は出てこないけど。

 そんな社会だけに、貧富の差は激しく、人びとの米国人に対する感情も複雑だ。米人の持つ金には興味があるし、下手に手を出して政府を刺激したくはないい。が、地元のルールをわきまえない米人の振る舞いは鼻持ちならないと感じてもいる。

「おめえは自分がどこにいるかわかってねえ。おめえらクソどもはみんなそうだ。ふらふら歩きまわって、自分ならみじめで哀れなテマラグア人よりもすぐれてるから、どんな問題でも解決できると思い込んでやがる。だがおめえらがやることはおれたちの問題を増やすだけなんだ」
  ――スカル

 もちろん、自国の政府に対する不満も溜まっている。どうすりゃいいのかはともかく、今が最悪なのはわかる。そんな気分は、改革を叫ぶ過激な政治集団を台頭させてしまう。

またもや昔ながらの政治的主張――どんなリスクがあろうと、変化は良いものである。
  ――スカル

 と書くと他人事みたいだが、「日本維新の会」の躍進とかを見ると、対岸の火事とばかりは言ってられないんだよなあ。

 など、理不尽かつ突発的な暴力の予兆と、Skull=頭蓋骨が示す不気味な怖ろしさをブレンドして、主人公たちの刹那的で退廃的な行動をトッピングし、低緯度地方の蒸し暑い空気で仕上げた、エロチックでおぞましい物語だ。

【おわりに】

 前にも書いたが、最近は「小説家になろう」にハマってしまい、あまし記事が書けない。しばらく書かないと、書き方を忘れちゃって、よけいに記事が書けなくなったり。いや読みたい本はたくさんあるんだけどね。

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2020年6月25日 (木)

小笠原弘幸「オスマン帝国 繁栄と衰亡の600年史」中公新書

本書は、そのオスマン帝国が歴史に姿を見せる13世紀末から、1922年の滅亡までを扱う通史である。
  ――はしがき

メフメト二世の治世を通じて、ヴェネツィアは、少なくとも14を超える暗殺計画を用意していたという。
  ――第2章 君臨する「世界の王」

オスマン帝国憲法は、スルタン制を廃止した(1922年)11月1日、あるいはヴァヒデッティンが廃位された11月18日をもって滅亡したとされる。
  ――第4章 専制と憲政下のスルタン=カリフ

【どんな本?】

 13世紀終盤に勃興したオスマン侯国から1453年のコンスタンティノポリス征服を経て、六世紀にわたりアナトリアを中心として地中海と黒海を支配しながらも、第一次世界大戦を機に崩壊したオスマン帝国。

 一時期は地中海と黒海を支配した大帝国だったが、産業化が進んだ西欧に対し硬直した君主国といった印象が強い。だが、その実体はどんなものだったのか。なぜ六百年もの長きにわたり王朝が存続しえたのか。帝国の歴史は、現代の世界情勢にどんな影響を与えているのか。

 主に王朝内の権力構造と近隣国との争いを中心に、大帝国の歴史を俯瞰する、一般向けの歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2018年12月25日初版。私が読んだのは2019年3月5日の3版。売れてます。新書版で縦一段組み本文約303頁に加え、あとがき3頁。9ポイント42字×17行×303頁=約216,342字、400字詰め原稿用紙で約541枚。文庫なら普通の厚さの一冊分ぐらいの分量。

 文章はこなれていて読みやすい。内容もわかりやすい。章の頭に地図があるので、たくさん栞を用意しよう。また幾つかの街は現代と違う国に属しているので、地中海周辺の地図があると味わいが深くなる。例えばベオグラード(→Wikipedia)は現在セルビア共和国の首都だが、本書の第2章で登場する際はハンガリー王国の支配下にある。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に進むので、素直に頭から読もう。

  • はしがき
  • 序章 帝国の輪郭
    • 1 「この国」の呼び方
    • 2 王位継承、権力構造、統治理念
    • 3 四つの時代
  • 第1章 辺境の信仰戦士 封建的諸侯の時代 1299年頃-1453年
    • 1 北西アナトリアという舞台
    • 2 オスマン集団の起源と始祖オスマン
    • 3 14世紀の拡大
    • 4 稲妻王バヤズィド一世の栄光と没落
    • 5 空位時代からの復興
  • 第2章 君臨する「世界の王」 集権的帝国の時代 1453年-1574年
    • 1 征服王メフメト二世とコンスタンティノポリス征服
    • 2 聖者王バヤズィド二世
    • 3 冷酷王セリム一世
    • 4 壮麗なる時代 スレイマン一世の半世紀
    • 5 セリム二世と大宰相ソコッルの時代
  • 第3章 組織と党派のなかのスルタン 分権的帝国の時代 1574年-1808年
    • 1 新時代の幕あけ 分権化の進展
    • 2 王位継承と王権の変容
    • 3 大宰相キョブリュリュの時代
    • 4 18世紀の繁栄
    • 5 近代への助走 セリム三世とニザーム・ジェディード改革
  • 第4章 専制と憲政下のスルタン=カリフ 近代帝国の時代 1808年-1922年
    • 1 マフムト二世 「大王」、「異教徒の帝王」そして「イスラムの革新者」
    • 2 タンズィマート改革
    • 3 アブデュルハミト二世の専制時代
    • 4 第二次立憲政
    • 5 帝国の滅亡
  • 終章 帝国の遺産
    • 1 オスマン帝国史の構造
    • 2 オズマン帝国の残照
  • あとがき/参考文献/年表/索引

【感想は?】

 さすがに600年もの歴史を300頁程度で語るのとなると、どうしても駆け足になる上に、焦点もしぼらなきゃならない。そこで、本書は、歴代スルタンとそれを支えた権力構造が話の中心となる。ある意味、教科書的な構成と言えるだろう。

 その分、民衆の暮らしや帝国周辺の状況、文化や産業などにはあまり触れない。全般的にコンスタンティノポリス=インタンブルを舞台とした、帝国中枢の権力抗争を主に扱っている。

 それだけの長期王朝を可能としたのは、やはり独特の支配構造だろう。

オズマン帝国の長きにわたる存続を可能ならしめたのは、卓越した王位継承のコントロール・システムと、王権を支える柔構造の権力体制であった。
  ――終章 帝国の遺産

 私が思うに、主な特徴は三つだ。1)外姻権力の排除 2)兄弟殺し 3)奴隷の積極的な登用。

 外姻権力の排除については、こんな記述がある。

オスマン朝では、生母の貴賤が問われることはなかった。(略)イスラム法では、母親の身分にかかわらず、認知さえされていれば、子が持つ権利は同等なのである。
  ――第1章 辺境の信仰戦士

 ハレムで有名な地域だが、父親が認知さえすれば、すべての王子はみな同等なのだ。少なくとも、タテマエ上は。実際、「オスマン朝においても、ほとんどの君主の母は奴隷であった」。お陰で姻戚は頼れないが、鎌倉幕府みたく北条氏に乗っ取られることはなくなる。もっとも、北条氏に頼らず源頼朝が幕府を開けたかというと疑問だが、それだけオスマン王家の権力基盤は強かったんだろう。

 ちなみにオスマン王家の初代はオスマン1世だが、その父の名はエルトゥールル。かのエルトゥールル号(→Wikipedia)は、彼から取ったんだろうなあ。

 次の兄弟殺しは、まんまだ。王権を掌握したら、ライバルとなる兄弟を処刑する。残酷なようにも思えるが、将来の反乱の芽を摘むには優れた予防策だろう。もっとも、これは代が下るに従い殺さず軟禁する形に変わり、それに伴い兄弟間の帝位継承も起こるんだけど。

 最後の奴隷の積極的な登用は、イェニチェリが代表的な例だろう。キリスト教徒の農村から見どころのある少年を徴用し、ムスリムに改宗させてトルコ語を仕込む。中でも優れた者は宮廷や常備軍に登用する。これをデヴシルメ制度と呼ぶ。

 何せ彼らは奴隷であり、家族、特に親から切り離されている。そのため、彼らが出世しても、その親がデカいツラする心配はない。当然、彼らの忠誠はスルタンに捧げられる。高級官僚や軍人などの中枢権力を奴隷が占めれば、スルタンのライバルになりそうな国内の有力な一族の台頭を抑えられる。

 もっとも、これも代が下るに従って崩れてきて、イェニチェリも面倒な存在になってくるんだけど。

17世紀には九人のスルタンが即位したが、じつに六度の廃位が行われた(略)。反乱――いずれもイェニチェリ軍団が絡んでいる――による廃位は四回であり、二名のスルタンが殺害されている。
  ――第3章 組織と党派のなかのスルタン

 築城術や火砲の進歩、そして軍制の変化などの近代化にも、既得権益者となったイェニチェリが抵抗したり。それでも西欧やロシアの圧力は次第に強まり、オスマン帝国も改革を余儀なくされてゆく。特に19世紀後半の状況は、日本とよく似ていて胃が痛くなったり。

こうした危機的状況のなか、列強、とくに英仏からの支持を引き出すため、オスマン政府は自分たちが近代国家であることを示す必要性に迫られた。その決め手と考えられたのが憲法制定である。(略)1876年12月23日、オスマン帝国憲法が発布された。
  ――第4章 専制と憲政下のスルタン=カリフ

 大日本帝国憲法が1889年だから、ほぼ同じ時期だ。日本がラッキーだったのは、西欧から遠い上に、ロシアも極東をあまり重視してなかったため、かな?

 対外的には、ウィーン包囲などヨーロッパとの対立が思い浮かぶが、クリミアやバルカン半島を舞台としたロシアも存在感が大きい。また、東では、現在のイラクあたりをめぐりサファヴィー朝と因縁の対決が続いたり。特に終盤の現トルコ共和国誕生のあたりは、記述は短いながらもギリシャとの遺恨がヒシヒシと伝わってきて、トルコの立ち位置の微妙さが少しだけわかった気がする。

 バルカン半島・北アフリカ・シリア・イラクなど、かつてオスマン帝国の勢力下にあった地域は、現代でも紛争が続く。その原因の一つは、民族や宗教の複雑な構成であり、それにはオスマン帝国の興亡が深く関わっている。現代史の背景を知る上でも、なかなか収穫の多い本だった。

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2020年6月10日 (水)

SFマガジン2020年6月号

「ここにある書物は、すべて“道”に関する書物ではないですか」
  ――ゼン・チョー「初めはうまくいかなくても、何度でも挑戦すればいい」大谷真弓訳
「“SF考証”って滑稽な名前だと思いません?」
  ――藤津亮太「アニメもんのSF散歩 連載最終回 アニメとSFの関係性について」
「ジャムは人間に、人間とはなにかという究極の問いを突きつけてくる存在だ」
  ――神林長平「戦闘妖精・雪風 第四部 対話と思惑」
「芸術は人間の魂の代弁者です」
  ――菅浩江「博物館惑星2・ルーキー 最終話 歓喜の歌」

 376頁の標準サイズ。

 特集は「英語圏SF受賞作特集」。

 小説は豪華13本。

 まず英語圏SF受賞作特集で4本。P・ジェリ・クラーク「ジョージ・ワシントンの義歯となった、九本の黒人の歯の知られざる来歴」佐田千織訳,アマル・エル=モータル「ガラスと鉄の季節」原島文世訳,ゼン・チョー「初めはうまくいかなくても、何度でも挑戦すればいい」大谷真弓訳,キャロリン・M・ヨークム「ようこそ、惑星間中継ステーションの診療所へ 患者が死亡したのは0時間前」赤尾秀子訳。最近は長いタイトルが流行っているのか?

 連載は6本+1本。神林長平「戦闘妖精・雪風 第四部 対話と思惑」,飛浩隆「空の園丁 廃園の天使Ⅲ」第3回,椎名誠のニュートラル・コーナー「メコン・イグアナの見上げる世界は」,夢枕獏「小角の城」第59回,冲方丁「マルドゥック・アノニマス」第30回,菅浩江「博物館惑星2 ルーキー 最終話 歓喜の歌」。加えて「三体」で話題の劉慈欣の短編連続掲載が始まる。初回は「鯨歌」泊功訳。

 読み切りは2本。上遠野浩平「憎悪人間は逆らわない」,平山瑞穂「獺祭の夜」。

 劉慈欣「鯨歌」泊功訳。ワーナーは問題を抱えていた。南米で精製したヘロイン25トンが豪華クルーズ船にある。アメリカ本土に持ち込めば大金になるが、最近は監視が厳しく、どうやっても国境を抜けられない。このままでは、せっかく育てた麻薬帝国が潰れてしまう。そこで息子が科学者を連れてきた。デイビッド・ホプキンス博士、海洋生物学者だ。博士の提案は…

 麻薬マフィアのボスを「ワーナーおじさん」と呼ぶなど、童話っぽい語り口がトボけたいい味を出してるw タイトルと海洋生物学者で、聰い人は手口の見当がつくだろう。実際、合衆国海軍は似たような研究をしてたみたいだし。が、そこはベストセラー作家。見事に想像を裏切るオチがついてて、トボけた語り口の仕掛けも巧みに効いてくる。

 P・ジェリ・クラーク「ジョージ・ワシントンの義歯となった、九本の黒人の歯の知られざる来歴」佐田千織訳。アメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンは、黒人の歯を九本使った入れ歯を買った。それぞれの歯の持ち主は…

 鍛冶屋、人魚の友、魔術師、戦士の娘…。歯を提供した九人の黒人たちは奴隷としてモノ扱いされたが、それぞれに人生があった。ジョージ・ワシントンの入れ歯という史実を元に、その持ち主の魂を蘇らせようとする、おとぎ話風のファンタジイ。短いながらもアメリカ合衆国の歴史の裏面を鮮やかに照らし出すのは、ファンタジイならではの効果だろう。。

 アマル・エル=モータル「ガラスと鉄の季節」原島文世訳。タビサは七つの鉄の靴を持って旅に出た。だいたい一年で一足を履きつぶす。鉄の靴はタビサの足を痛めつけるが、残るはあと三足。アミラは高いガラスの山の上で、黄金の林檎を膝に抱え、玉座から動かない。アミラを求め男たちが麓から押し寄せてくるが、みな足を滑らせて落ちてゆく。

 これまたおとぎ話風のファンタジイ。だが、タビサもアミラも「王子様と幸せに暮らしました」とはならないのが、この作品の味。そういえば「少女革命ウテナ」は、もう20年以上前なんだなあ。何食わぬ顔で夕方に放送していたけど、今思えば凄まじく意欲的な作品だった。

 ゼン・チョー「初めはうまくいかなくても、何度でも挑戦すればいい」大谷真弓訳。イムギは、韓国に伝わる龍になり損ねた大蛇の一種(→ピクシブ百科事典)。バイアムは二度試み失敗した。三度目に挑んだ際、レスリー・ハンに目撃されまたも龍になり損ねた。バイアムは人に化けてレスリーを訪ねる。レスリーは天体物理学者で…

 日本じゃ龍になるのは鯉だけど、韓国じゃ蛇なのか。そんなわけで、これもおとぎ話を元にしたロウ・ファンタジイ。イムギと龍の関係が、私には斬新で楽しかった。こんな風に諸国の素材を取り込むことで、ファンタジイは更に豊かになるんだろうなあ。

 キャロリン・M・ヨークム「ようこそ、惑星間中継ステーションの診療所へ 患者が死亡したのは0時間前」赤尾秀子訳。5頁の掌編。毒虫に噛みつかれ、惑星間中継ステーションにやってきたが…。ゲームブック形式の語り口で進む、ドタバタ風味のブラック・ユーモア作品。

 神林長平「戦闘妖精・雪風 第四部 対話と思惑」。特殊戦を率いるクーリィ准将から、ブッカー少佐に連絡が入る。新しい飛行部隊を編成する、と。ジャムとの戦闘でFAFは全戦力の三割を失い、ジャムの地球侵入を許してしまった。FAFと地球との関係も、FAF内の権力バランスも、そしてジャムとの戦い方も大きく変わるだろう。

 ヒトとは大きく異なる知性とのコミュニケーションを描くのが、ファースト・コンタクト物の醍醐味。その点で、雪風シリーズはヒトと雪風・雪風とジャム・ヒトとジャムと、三つのコンタクトを描いてくれるのが嬉しい。ジャムは得体が知れないが、雪風は猫みたいで可愛い…とか思ってるけど、実は虎みたいだし。

 冲方丁「マルドゥック・アノニマス」第30回。事態が大きく進展する。ハンターから直接バロットに電話がかかってきた。しかも、内容は会談の申し込み。囚われたウフコックへの糸が繋がった。レイ・ヒューズから学んだ交通整理術と、大学で学んだディスカッション技術を活かし、バロットはこの機会を掴むべく頭をフル回転させる。

 ほとんどアクションがなく、会話が中心で進む回なのに、全編に強い緊張感が漂っている。私たちが日頃から交わしている会話も、細かく分析していくと、こんな風に幾つもの思惑が飛び交ってるんだろうか? 人と話すのが怖くなるような、楽しみになるような、そんな回だ。

 飛浩隆「空の園丁 廃園の天使Ⅲ」第3回。夜の11時過ぎ、杉原香里に電話がかかってくる。相手は山下祐。夜のあいだ、杉原香里は計算されないはずだ。何かが起こっている。山下は告げる。「青野にまた<天使>が出た、早坂だ」。

 昔のNHKの少年ドラマ・シリーズみたいな高校生の登校風景の描写で、現実の世界そのものと思わせておいて、「朝が来るまで、自分は計算されない」なんて文章が入ってきて、ドキリとさせられる。こういう「自分は計算された存在である」由を自覚してるってのは、どんな気分なんだろう?

 菅浩江「博物館惑星2 ルーキー 最終話 歓喜の歌」。50周年イベント開催前夜で、<アフロディーテ>には人が溢れている。尚美・シャハムは、細かいトラブルの対応で追いまくられ大忙しだ。同じころ、兵藤健は大役を仰せつかっていた。ずっと追いかけていた国際的な美術犯罪組織<アート・スタイラー>との接触がかなったのだ。

 懐かしのゲスト総出演で送る、シリーズの最終話。「歓喜の歌」というサブタイトルが、フィナーレを盛り上げようとする意気込みを感じさせる。マシュー・キンバリーもティティも、相変わらずのトラブル・メーカーぶりで安心した←をい 健の叔父、兵藤丈次の正体やいかに。もう一度、単行本でシリーズ頭から読み直したい。

 上遠野浩平「憎悪人間は逆らわない」。戦闘用合成人間にピッチフォークは、無能人間コノハ・ヒノオを吊るし上げで問う。「おまえはほんとうに特別なのか? おまえに何があるというんだ?」問われても、コノハ・ヒノオには答えようがない。本人だって、自分がなえ生きているのかわからない。なのに周囲では次々と人が死んでいく。

 ピッチフォークにせよフォルテッシモにせよ、戦いに長けた者はどうしても脳筋になるんだろうかw こんな物騒な連中を作り出す統和機構って、何を考えているんだか、または考えてないんだが。

 平山瑞穂「獺祭の夜」。首都圏が震災に見舞われた。30歳独身の柏葉尚登は、遠縁の首藤家に厄介になる。首藤家は渓流の奥、人里離れた広い一軒家だ。住人は三人。老いた主人の首藤政宗、その妻の純子、そして尚登と同じく東遠で居候の若い娘、凪。居候とはいえ何もしないわけにもいかず、尚登は凪と共に「オソ」の世話を仰せつかるのだが…

 Google で調べたら、「獺祭」は「だっさい」と読むようだ。山深く人里離れた奥地、何を考えているのか全く分からない主人の首藤政宗、そして謎の「オソ」。とくれば、因習と怨念にまみれたホラーに…と思わせて、オソの正体は意外と早く明らかになる。読者に解釈を任せる作品なんだろうか。だとすると、私は純子さんは一番怖い。

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