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2020年5月14日 (木)

シオドア・スタージョン「人間以上」ハヤカワ文庫SF 矢野徹訳

かれは知らなかったのだ……せおっていた荷物の大きさを“知らなかった”のだ!
  ――第1章 とほうもない白痴

プロッドの家は、ローンをその中に入れてくれると、なにか別のものになったのだ。
  ――第1章 とほうもない白痴

「などほど、わたしたちは一つの物だけど、物であるだけじゃあ、まだ白痴なんですって」
  ――第1章 とほうもない白痴

人というものは、どこからか救いの手がさしのべられる機会があるときにだけ泣くのだと思う。
  ――第2章 赤ん坊は三つ

「きみは学びはするが、考えないんだ」
  ――第2章 赤ん坊は三つ

「あなたは、わたしから本を取り出して読んだわ。あなたは……わたしを読めないの?」
  ――第2章 赤ん坊は三つ

かれは、彼女の微笑を見たことはあったが、これまでは気がつかなかったのだ。
  ――第3章 道徳

「あなたは自分でやったわ、ヒップ。全部よ。わたしがしたことは、あなたが、できるようになるところに置いただけなのよ」
  ――第3章 道徳

【どんな本?】

 1940年代から1950年代にかけて活躍したアメリカのSF/ファンタジイ作家、シオドア・スタージョンの代表作。

 白痴の青年,生意気な幼女,言葉を話さない双子,ダウン症の赤ん坊。親に疎まれ、または「いない」事にされ、世の中に居所が見つからないはみだし者たち。彼らは奇妙な能力を持っていた。はみだし者たちが集まった時、集団は人類を大きく超えた能力を発揮するのだが…

 「とほうもない白痴」「赤ん坊は三つ」「道徳」の三部から成る、SFの古典的名作。1954年の国際幻想文学賞を受賞。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は MORE THAN HUMAN, by Theodore Sturgeon, 1953。日本語版は1978年10月31日初版発行。私が読んだのは1984年の11刷。名作だけあって、着実に売れる作品なのだ。文庫本で縦一段組み本文約360頁に加え、水鏡子の解説「スタージョン・ノート」6頁。8ポイント43字×20行×360頁=約309,600字、400字詰め原稿用紙で約774枚。文庫本では厚い部類。

 文章はや癖があるので、好みが別れるところ。これについては後に述べる。内容はSFというよりファンタジイに近い。「ジョジョの奇妙な冒険」や「とある魔術の禁書目録」同様の異能力物だ。とはいえ、バトルや派手なアクションはほとんどなし。難しい理屈も出てこないので、理科が苦手な人でも大丈夫。ただ、さすがに原作も翻訳も古いので、一部の言葉遣いが若い人には通じないかも。例えばモウコ症は現在だとダウン症と呼ぶ。

【感想は?】

 読み始めてまず気が付くのは、文章の癖だ。例えば、書き出しはこう。

白痴は、黒と灰色の世界に住んでいた。飢えの白い電光と、恐怖のゆらめきのなかに。
  ――第1章 とほうもない白痴

 この段落が描いているのは、風景すなわち客観的な事実じゃない。白痴の心に映る世界を描いている。こういう書き方は、いわゆるサイエンス・フィクションとだいぶ感触が違う。この書き出しだけで、読者の好みに合うか否かがハッキリわかる。ある意味、親切な書き出しだ。

 好みに合う人にとっては、たまらない文章がアチコチに散らばっている。書き出しの次に感服したのは、ここ。

キュー氏はりっぱな父親だった。父親たちのなかでも最上だった。
  ――第1章 とほうもない白痴

 りっぱな父親って、どういうんだろう? と思わせて、こう続く。

かれは、19歳の誕生日をむかえた娘のアリシアにむかって、そう言った。

 あれ? なんか変だぞ? 自分で自分を「りっぱな父親」なんて言うか、普通? と、どうにもイヤ~な予感を漂わせてくる。実際にどんな奴かと言うと、ご想像の通りかなりイっちゃってるヤバい奴です。

 そんな風に、マニュアル書きが目指す「スッキリと理屈立てたわかりやすい」文章では、ない。でも、「そういう感じ」がビンビンと伝わってくる、読む快感に満ちた文章だ。スラスラとストーリーを追いかける類の作品ではない。ところどころ、ちとわかりにくい表現がある。でも、じっくり読むと、その巧みさに感じ入ってしまう文章なのだ。

 例えば、組織に属するエンジニアなら、次の文章に激しく頷くだろう。

あいつはエンジニアに技術のことを話してきかせるような馬鹿だったんだ。
  ――第3章 道徳

 あなたの周りにもいませんか、そんな上司。

 しかも、その視点は、「期待される役割」からはみだした者への共感に満ちている。

この子には毅然としたところがあった。それは子供にあってはまちがっていることだった。
  ――第1章 とほうもない白痴

 そう、子供ってのは、愚かで無邪気で従順でなきゃいけない。しっかりした自己と主張を持ち、スラスラと意見を述べるような者は、「生意気」とか「可愛げがない」とか言われる。

 こういう所は、当時のSF者の心に強く訴えただろう。今でこそハリウッドや Netflix は大予算をかけたSF大作を作るけど、昔のSF者は肩身が狭かった。いい歳こいて宇宙人や怪獣に夢中なガキみたいな奴、そんな扱いを受けていた。そんな者たちにとって、同じ趣味を分かち合える仲間が、どれほど有難いものか。

最初に知ったことは、自分が役に立たず、欲しがるものは、きまってつまらないものばかりということだった。ぼくは仲間から離れて、自分の新しい世界には古い世界とちがった値打があり、新しい世界で自分に価値があるということを見つけ出すまで、ほとんどそのことをたずねたりしなかった。ぼくは求められ、まわりに属したんだ。
  ――第3章 道徳

 SF/ファンタジイの古典的名作とこの作品が評されるのも、世の中のそういう風潮が多少は影響していると思う。物語も、はみだし者・半端者が集まって、「人間以上」へと成長していくお話だし。ただ、そこには、スタージョンならではの警句も忘れちゃいない。

「うん、変ってはいる。でも、優れているんじゃない」
  ――第2章 赤ん坊は三つ

 これは言葉だけに留まらず、農夫プロッドのエピソードや、完結編となる「道徳」で、大きなテーマとして浮き上がってくる。

 もちろん、名作と評される理由は、それだけじゃない。じっくりと個々の文章をかみしめて読み進めよう。そうすれば、最後に示されるヴィジョンで体中の垢を洗い流されるような快感を味わえる。優れたSF長編の醍醐味が、ここにあるのだ。

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