コーネリアス・ライアン「史上最大の作戦」ハヤカワ文庫NF 広瀬順弘訳
これから読まれるのは、戦史ではない。連合軍の兵士たち、かれらと戦ったその敵たち、Dデーの凄惨な混乱にまきこまれた市民たち――こうした人間の物語である。
――まえがきエルヴィン・ロンメル「上陸作戦の最初の24時間がすべてを決するだろう」
――第1部 待機「この戦いは、征服王ウィリアム(→Wikipedia)が自分の目と耳だけをたよりに戦わねばならなかったのと同じだ」
――第3部 その日サント・メール・デグリーズの町中では、パラシュート兵たちは床屋が看板を、ドイツ語の“フリゼール”から英語の“バーバー”に替えるのを見た。
――第3部 その日「アイゼンハワー最高司令官の指揮下、強力な空軍によって擁護された連合国海軍は今朝、北部フランス海岸に連合国陸軍の揚陸を開始した」
――第3部 その日
【どんな本?】
1944年6月6日。ヨーロッパを席巻していたナチス・ドイツに対し、連合軍は全力で反攻に出る。目指すはフランス西岸、コタンタン半島の根本。連合軍の陸海空戦力を結集した史上最大の強襲揚陸、ノルマンディ上陸作戦である。
智将ロンメルが心血を注いで要塞化した海岸線に対し、連合軍はいかに挑んだのか。その日、枢軸・連合軍双方の将兵は何を見て何を体験したのか。ノルマンディに住む人々にとって、Dデーはどんな日だったのか。
アイルランド出身のジャーナリストが、正規の政府記録はもちろん、両軍の兵からレジスタンスや民間を含む人千人を超える人びとに取材して「あの日」を再現した、軍事ドキュメンタリーの金字塔。
1962年にはハリウッドが巨額を投じたオールスター・キャストで映画化し、映画も大ヒットした。またオマハ・ビーチの場面はスピルバーグの Saving Private Ryan でも鮮やかに描いている。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The Longest Day, by Cornelius Ryan, 1959。日本語版は1962年に筑摩書房より近藤等訳で刊行、後に1995年1月31日にハヤカワ文庫NFから広瀬順弘訳で刊行。文庫版で縦一段組み本文約364頁に加え、訳者あとがき5頁。8ポイント42字×18行×364頁=約275,184字、400字詰め原稿用紙で約688枚。文庫本としてはやや厚め。
文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。浜辺の場面などは Youtube でキーワード Longest Day や Saving Private Ryan などで検索すれば、ド迫力の映像がゴロゴロ出てくる。ただ、単位がヤード・ポンド法なのがちとつらいかも。
【構成は?】
だいたい時系列順に話が進むので、できれば頭から読もう。
- まえがき
- 第1部 待機
- 第2部 その前夜
- 第3部 その日
- Dデーの戦死傷者に関する注記
- 謝辞/訳者あとがき
【感想は?】
様々な立場で事件を体験した人々の声を集め、モザイク状に全容を浮き上がらせてゆく、そんな手法を切り拓いた記念碑的作品。
この後、ドミニク・ラピエール&ラリー・コリンズやジョン・トーランドなどのジャーナリストに加え、ノーマン・デイヴィスウやアントニー・ビーヴァーなどの歴史学者も、ライアンの手法を取り入れ、生々しい迫力を備えた傑作を生み出してゆく。
「まえがき」にあるように、軍事的な視点で作戦を描いた本ではない。地図も冒頭の一枚だけだし、戦力配置も書き入れていない。舞台背景の説明として最低限の記述があるだけだ。それより著者が重点を置いているのは、その場にいた人が何を見て何を感じたかだ。
視点は多岐にわたる。民間人では学校の教師,保育園の保母,雑貨屋の夫婦,農場の親子,レジスタンスの闘士など。
ドイツ軍はエルヴィン・ロンメルとゲルト・フォン・ルントシュテットなどの将官に始まり、ラジオに耳を澄ます情報将校,魚雷艇Eボート指揮官,戦闘機乗り、そして壕に潜む将兵など。
連合軍は総司令官アイゼンハワーはもちろん、潜水艇艇長とその妻,従軍牧師,軍医,工兵隊,空挺部隊など。最も多く登場するのが陸軍の下士官と兵なのは予想通り。
これらの多様な人びとの体験・エピソードを時系列順に並べ、一つの大きな現象としてのノルマンディー上陸作戦を浮かびあがらせてゆく。
軍事の面では陣を整えたロンメルの狡猾さが印象深い。沖には機雷を浮かべ艦艇の邪魔をする。波打ち際には杭を並べ上陸用舟艇が乗り上げられないようにする。それをくぐり抜けても、浜は対人地雷だらけ。そこで立ち止まった敵は、コンクリートで固めた陣から機関銃で狙い撃ち。
万全の準備と言っていい…はずが、当時のドイツ軍の対応はチグハグだった。これは「連合軍の陽動だろう」とのドイツ軍の思い込みもあるが、レジスタンスと空挺部隊の活躍が大きい。彼らがドイツ軍の電話線を切るなどして、ドイツ軍の連絡網をズタズタにしたのだ。そのため、ドイツ軍はなかなか作戦の全貌を掴めなかった。
と書くと空挺部隊は大活躍したようだが、大変な苦労をしたのが本書で分かる。これもロンメルの狡猾な罠で、空挺部隊が降下しそうな地点を、予め幾つかの連絡通路を除いて水びだしにしておいたのだ。何せ目標は敵地、しかも作戦決行は真夜中だ。何せGPSもない時代、パイロットも目標地点なんかよくわからない。多くの空挺隊員が戦う前に沼にハマって溺れ死ぬ場面は、実に切ない。
そんな空挺隊員を運ぶのは輸送機DC-3に曳航された木製のグライダーだ。空中じゃ時速160kmは鈍足だが、地上じゃ猛スピードである。そんな勢いでも整備された平らな草地に降りればともかく、木や建物などの障害物に突っ込めばどうなるか、想像に難くない。
切ないのは浜から上陸する陸軍兵も同じで、待機の時から彼らの苦しみは始まる。慣れぬ海上で狭いボートに閉じ込められ、波に揺られ続ける。となりゃ酔う者も多く、ディーゼル油とゲロと便所の匂いのミックス攻撃にさらされる。そりゃストレス溜まるよなあ。
なんとか海峡を越えて目的地が見えても、お迎えは機雷・逆茂木・地雷原に加え機銃掃射。海に落ちりゃ背に背負った50kgの荷物が海底に引きずり込む。よくも生存者がいたもんだと思う。
まあ迎えるドイツ側も一枚岩とはいかず、東部戦線から引っ張ってきたソ連兵やポーランド兵が混じってて、当然ながら彼らは全くやる気なし。ちなみに連合軍にもポーランド軍が参加してるんで、下手したら同士討ちの可能性もあった。
乱戦のドサクサに紛れて容疑者を「始末」するゲシュタポ、真夜中に空から庭に若者が降ってきて目を白黒させた老婦人、浸水で沈む上陸用舟艇、暴走して味方を轢き殺す戦車など、印象的な場面は数限りない。あらゆる角度から戦場を写し取り、混乱をそのまま混乱として読者に差し出す、ドキュメンタリーの力作にしてジャーナリズムの底力を見せつける作品だ。
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