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2020年3月15日 (日)

ジェイムズ・リーソー「ディエップ奇襲作戦 グリーン・ビーチ」ハヤカワ文庫NF 清水政二訳

「南・サスカ・連。RDF専門家はいかなる状勢といえども敵の手中に渡してはならないので、万全の保護を準備すること」
  ――p36

「ああ、それからここに特別の薬がある。きみには是非とも必要なものだ」(略)
「あまりおいしいものじゃない。数秒で死ぬことになる」
  ――p87

「彼女、カナダが気に入るでしょうか、どう思います?」(略)
「なにしろものすごく広いんです。隣りの家が50マイル(約80km)離れているなんてざらなんです。冬になれば屋根までとどく雪」
  ――p153

「おい、ジャック、大丈夫か?」
「大丈夫、ただ紙がない」
  ――p207

わしが発砲を抑えている、それを利用して逃げ出せ
  ――p285

「わたしが殺さなきゃならなかった男がいる!」
  ――p385

【どんな本?】

 1942年。ドイツは欧州を席巻していた。かろうじてモスクワは持ちこたえているが、ターリンの悲鳴は連日のように英米に届く。早く第二戦線を開け、と。

 これに応えるため、英米は幾つかの奇襲上陸作戦を行う。フランスが安泰でないヒトラーが考えれば、戦力を東部戦線から引き抜き、フランスに移すだろう。

 ディエップ奇襲作戦(→Wikipedia)は、その一つだ。目標はイギリス海峡に面したフランスの街ディエップ。約五千名のカナダ軍と千名のイギリス軍そして若干名のアメリカのレンジャー部隊が、奇襲・上陸し幾つかの目的を果たし、撤退する予定だった。

 当時はレーダーの黎明期でもある。枢軸・連合とも技術開発に励み、また味方の秘密を守り敵の能力を探ろうと、激しい諜報戦を繰り広げた。ディエップ奇襲でも、レーダーが目標の一つに挙がる。ドイツ軍のレーダー網フレイヤの基地を襲い、その性能を確かめよ。

 この目的を果たすため、一人のレーダー技術者が作戦に加わった。ジャック・モーリス・ニッセン、イギリス空軍軍曹。現在はレーダー基地に勤め、運営・保守そして改良に携わっている。ポーランド系移民の息子でロンドン育ち。ユダヤ人の彼がドイツ軍に捕まれば命はない。ばかりか、彼が持つレーダー技術がドイツ軍に渡れば、戦況すら大きく傾くだろう。

 それゆえに、彼の護衛には異様な命令が下された。「彼が敵の手に渡りそうな時は、彼を殺せ」。

 護衛に選ばれたのは、カナダ第二師団南サスカチェワン連隊。ドイツ軍と戦うため、大草原の国から大西洋を渡ってきた。レーダー技術の貴重さゆえ、ジャックの正体は味方にすら秘密とされた。機密保持のため互いの名前すら知らぬまま、死地へと赴いてゆく。彼らに割り当てられた上陸地点は、コードネームで呼ばれた。グリーン・ビーチ。

 約六千名の参加者のうち帰還者は約二千五百名と大きな犠牲を払い、後に大失敗と評されるディエップ奇襲作戦。その中でも極めて危険かつ重要な任務に赴いた、レーダー技師と将兵の戦いを生々しく描く、迫真のドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は GREEN BEACH, by James Leasor, 1975。日本語版は1981年5月31日発行。文庫本で縦一段組み本文約381頁に加え、「著者から読者へ」4頁+訳者あとがき4頁。8ポイント43字×20行×381頁=約327,660字、400字詰め原稿用紙で約820枚。文庫本としては厚い部類。

 軍事物には珍しいぐらい文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。敢えて言えば、単位がヤード・ポンド法な事ぐらい。1マイルは約1.6km、1ヤードは約90cm。

 ただ、今となっては入手が難しい。新刊は無理で、古本も滅多に見つからない。図書館も置いていない場合がある。近隣の区や市、または都道府県立の図書館から取り寄せよう。

【感想は?】

 自慢する。これは正真正銘、掘り出し物のお宝だ。古本の山からこれを掘り出した昔の自分を褒めたい。

 ディエップ奇襲は、あまり知られていない。その中でも、ジャック・ニッセンと護衛となると、かなりマニアックなネタだろう。そんな無名のネタを扱った作品だが、読むとやたら面白い。

 著者はイギリスの小説家だ。だから、多少は話を盛っているだろう。が、それを差し引いても、随所に出てくる小ネタはニワカな軍ヲタを唸らせるに充分だし、戦いに参加した方々はイギリス・カナダ・ドイツと多方面に取材しているのに加え、現地ディエップに住み戦いに巻き込まれた民間人にも取材しており、充分なリアリティと立体的な視点を保っている。

 面白さの一つは、一種のスパイ物である点だ。なにせジャックはレーダーの専門家である。休日すら返上して保守と改良に勤しみ、多くの功績を挙げている。そんな彼の頭脳が敵に渡ったらヤバい。ってんで、彼の正体は護衛にも明かせない。しかも、「イザとなったら殺せ」なんて命令が出ている。情が移ったら困るってんで、お互いの名前すら知らぬまま。

 正体不明の者の護衛とか、まるきし探偵物の小説みたいだ。その護衛役が、これまた濃い面子で。

 オタワやトロントなど大都市に住む現代のカナダ人がこれを読んだら、どう思うだろうってな描写が次々と出てくる。なにせ国土は広い上に3/4世紀も前だ。縁日でのボクサーの稼ぎ方や<氷の橋>、一番近いお隣まで80kmとか、とんでもねえ国である。ナイフ投げのスモーキーの登場場面は、「荒野の七人かいっ!」と突っ込みたくなったり。

 また、軍隊と機密の相性の悪さが身に染みる場面も多い。特に、作戦行動中で、ジャックは機密に足を取られ何かと苦労するのだ。

 そもそも作戦行動中は、まずもって何でも予定通りにいかない。必ず幾つもの齟齬が出る。それでもキチンと身分証明になる物を身に着けてりゃどうにかなるが、ジャックは正体不明でないとマズい。海岸を目前にしてジャックが上陸用の舟艇に乗り込む所でも、海軍からワケのわからん横やりが入ったり。

 軍は規律が大事とは言うが、戦場はどうしても混乱する。しかも、作戦行動中は時間もなきゃ銃声も轟き話もロクにできない。おまけに作戦が予定通りに進むことはまずない。だもんで、与えられた命令に従うだけじゃだめで、実は自分の頭を使って考えにゃならんのだなあ、と思い知ったり。なんたって、いきなり…

彼らは間違った場所に上陸したのであった。
  ――p195

 ときたもんだ。なにせGPSもない時代だしなあ。

 スムーズにいかないのはドイツ軍も同じで、侵攻してくる艦艇を見つけた後のドイツ軍の混乱ぷりも、「戦場の霧」を思い知らされる。ドイツ海軍の沿岸哨戒艇が最初に見つけたんだが、ソレが敵か味方かわからない。ってんで、アチコチに問い合わせようとするのだが…。当時の無線は真空管で、これがかなり繊細なシロモノなんだよなあ。後の陸上戦闘の場面でも、通信兵が真っ先に狙われたり。

 この通信の重要性は、目立たないがキッチリと描かれてて、ジャックもソコに目をつけて賢い指示を出してる。

「電線を見つけたら片端から切断しろ。ドイツ軍の監視兵がわが軍の所在を認めると、迫撃砲隊や砲兵隊に電話報告をしているに違いないのだ」
  ――p254

 もっとも、ドイツ軍もこれで学んだのか、ノルマンディーの際には電線を地下に埋め、かつ砲の衝撃で切れないよう、適度にたるませてたり。お互い経験から学んでいるのだ。

 「自転車の歴史」でも、戦車部隊に追随する自転車部隊の話が出てたが、この本でも自転車が出てくる。とまれ、いささか残念なオチになるんだが。砲撃で荒れた地面に自転車は向かないのだ。

 とかのエピソードの中でも、最も心に残るのが、三人のオッサンの話。ジャックたちは、ドイツ兵に囲まれ進退窮まってしまう。そこに通りがかったのは、地元のオッサンたち。いずれも第一次大戦でドイツ軍を相手に戦った老兵である。小銃はもちろんナイフすら持たない丸腰のオッサンどもは、ジャックらの窮地を見ると…。この場面は、まるきしジャック・ヒギンズの小説みたいだ。

 当時のフランス民間人の気持ちは、カナダ人捕虜が連行される場面でも、様々な形で描かれている。またドイツ軍の戦車部隊が海岸へと向かう所では、疲弊した機械化部隊にはどんな不都合が現れるかを、まざまざと見せつけられる。花屋に集まる意外な情報や、オスロからの奇妙な連絡など、諜報物としても楽しい。

 残念ながら今となっては手に入れるのは難しいが、隠れた名作の名にふさわしい傑作だ。軍ヲタに加え、ジャック・ヒギンズやアリステア・マクリーンなどの冒険小説が好きな人にも自信をもってお薦めできる。

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【つぶやき】

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