« 2020年2月 | トップページ | 2020年4月 »

2020年3月の6件の記事

2020年3月23日 (月)

マイケル・ベンソン「2001: キューブリック,クラーク」早川書房 中村融・内田昌之・小野田和子訳 添野知生監修

キューブリック「腰を落ちつけて脚本を書くんじゃない。腰を落ちつけて長編小説を書くんだ」
  ――第4章 プリプロダクション

「ジョージ朝やヴィクトリア朝がひとつの時代であるのとまったく同じように、われわれは一時代として『2001年』をデザインしたんだ」
  ――第5章 ボアハムウッド

「キューブリックといっしょに仕事をする者はいない――彼のために仕事をする者がいるだけだ」
  ――第5章 ボアハムウッド

街中へ戻ったとき、彼(フランク・プール役のゲイリー・ロックウッド)はどちらの方角を向いてもロンドンの通りが目のまえで上向きにカーブしているように見えて、そのせいで自分がわずかに前傾姿勢になっていることに気づいた。
  ――第6章 製作

キューブリック「ぼくに説明できないとすれば、きみはそれを理解していないのだ」
  ――第6章 製作

ヒトザル役のダン・リクター「ニ十分と、タオルが二本と、レオタードと、舞台があれば充分です」
  ――第7章 パープルハートと高所のワイヤ

わたしは七つの磁石を派の中に仕込んだ。
  ――第8章 人類の夜明け

暑さを別にすると、八月に(ダン・)リクターとその仲間たちの撮影が始まったとき、すぐに持ち上がった問題の一つは窒息だった。
  ――第8章 人類の夜明け

「ワルツのリズムは星の速度から生まれたものなんだよ」
  ――第9章 最終段階

けっきょく信じがたいほど信じられる異星人、もしくは信じられるほど信じがたい異星人をつくるという問題は、やたら忙しいだけで得るものなし、というかたちで終わってしまった。
  ――第10章 対称性と抽象性

クラーク「物事のやり方には、正しいやり方とまちがったやり方、そしてスタンリーのやり方があるらしい」
  ――第11章 公開

クラーク「はじめて見て理解できた人がいたとしたら、我々の意図は失敗したことになる」
キューブリック「わたしはアーサーの意見には賛成できないし、彼は冗談のつもりでいったのだろうと思っている」
  ――第12章 余波

【どんな本?】

 21世紀の現在でも傑作の呼び声が高く、映画ファンに多大な人気を誇ると共にカルトな崇拝すら集める映画「2001年宇宙の旅」。

 それまでSF映画は「チャチな子供だまし」と思われていた。だが「2001年宇宙の旅」は、この思い込みを見事に覆す。圧倒的な完成度の映像。科学・工学的に真摯な特撮。壮大かつ哲学的なストーリー。徹底的してナレーションを省き映像と音響で伝える手法。そしてMGMの屋台骨を揺るがすほどに桁外れの製作費。

 あらゆる点で掟破りの革命的な映画「2001年宇宙の旅」は、以降のハリウッドを「スターウォーズ」「未知との遭遇」「エイリアン」「ターミネーター」などの莫大な製作費をかけたSF大作への突破口を切り拓く。まさしく映画の歴史を変えた、記念的作品である。

 その革命は、どのように始まったのか。革命を仕掛けたスタンリー・キューブリックとアーサー・C・クラークは、どんな人物なのか。脚本のどこまでがクラークの案で、どこからがキューブリックによるものなのか。ランニングやスターゲートのシーンは、どうやって撮ったのか。「ツァラトゥストラはかく語りき」や「美しく青きドナウ」などの音楽は、いつ決まったのか。

 SF映画の代表作「2001年宇宙の旅」の制作過程を、大量の一次資料とインタビュウに基づいて生々しく再現する、映画ファンとSFファンが待ちかねたドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は SPACE ODYSSEY : Stanley Kubrick, Arthur C. Clarke, and the Making of a Masterpiece, by Michael Benson, 2018。日本語版は2018年12月25日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約549頁に加え、監修者あとがき8頁。9.5ポイント49字×20行×549頁=約538,020字、400字詰め原稿用紙で約1,346枚。文庫なら上中下の三巻でもいい大容量。

 文章はこなれていて読みやすい。もちろん、映画「2001年宇宙の旅」を観た人向け。当然、映画の製作過程のネタが次々と出てくる。そのわりに、映画製作の素人にも分かるように、さりげなく工程や役割を説明しているので、意外とわかりやすい。というか、私も素人なんだが、「え、映画の撮影って、そうなの?」的な驚きが詰まっている。

【構成は?】

 お話は時系列に沿って進むが、気になる所だけを拾い読みしてもいい。

  •  主要登場人物
  • 第1章 プロローグ オデッセイ
  • 第2章 未来論者 1964年冬~春
  • 第3章 監督 1964年春
  • 第4章 プリプロダクション ニューヨーク 1964年春~1965年夏
  • 第5章 ボアハムウッド 1965年夏~冬
  • 第6章 製作 1965年12月~1966年7月
  • 第7章 パープルハートと高所のワイヤ 1966年夏~冬
  • 第8章 人類の夜明け 1966年冬~1967年秋
  • 第9章 最終段階 1966年秋~1967年-68年冬
  • 第10章 対称性と抽象性 1967年8月~1968年3月
  • 第11章 公開 1968年春
  • 第12章 余波 1968年春~2008年春
  • 謝辞/訳者あとがき/索引

【感想は?】

 浅草みどり「内容を大きく変更だ!」

 …はい。相変わらずTVアニメ「映像研には手を出すな!」から頂きました。あの無茶ぶりにも驚いたけど、実は映像制作じゃよくあるケースなのだ、とこの本を読むと納得できる。

 映画「2001年宇宙の旅」の完成度は凄まじい。ストーリー、背景、台詞、演技、小道具、音楽、効果音…。すべてが計算されつくしている。そう私は思っている。きっと、製作を始める時から、キューブリックの頭の中には全部が出来上がっていたんだ、と思っていた。ソフトウェア開発で言う、ウォーターフォール・モデル(→Wikipedia)なんだろう、と。

 が、しかし。

 それはとんでもねえ勘ちがいだった。もう、ほとんど泥縄式というかアドリブ全開というか。そもそも撮影に入っても、エンディングが決まってないし。お陰でクラークは何かと酷い目にあってるw 特に切ないのが、報酬の契約の話。ちゃんとエージェントを通して契約してるんだが、そのエージェントも映画界には疎かったらしい。そのため、小説「ラスト・ドン」と同じ落とし穴にハマっちゃったり。

 もっとも、キューブリックも悪党ってわけじゃなく、むしろクラークみたいな知識人には話していて心地よい人物なんだろうなあ。なにせ周囲の人が口をそろえて「スポンジのように知識を吸い取る」と評している。知識欲旺盛で、かつ理解力があり物覚えがいい人なのだ。もっとも、カール・セーガンとは相性が悪かったようだがw

 と同時に、かなりの度胸もある人だとわかる。何せ当時のSFの立場は…

この十年ほど、SFに敬意をいだいてもらおうという試みが大々的になされていたものの、1960年代初頭、そのジャンルが社会に受け入れられている度合いは、ポルノグラフィーと五十歩百歩だった。
  ――第3章 監督

 と、悲惨なもの。そんな状況だってのに、キューブリックが目指したのはオラフ・ステープルトンばりの大風呂敷だ。そう、人間を描くんじゃない。人類を描く作品なのだから。

クラーク「彼(キューブリック)が作りたかったのは、この宇宙におけるヒトの位置を描いた映画で――そのたぐいのものは、映画史上かつて存在したことがないどころか、一度も試みられたことはない」
  ――第3章 監督

 そんなこんなでクラークと組むことになったキューブリック、両者の関係は、というと、きましたね、かの有名なやりとり。

「スタン、きみに知ってもらいたいことがある。わたしは精神的にたいへん安定したホモセクシャルだ」
「ああ、知ってたよ」
  ――第4章 プリプロダクション

 ってな感じで、小さないさかいはあるものの、全般として両者の関係は良好そのもの。もっとも、肝心のストーリーは、土壇場まで決まらす、金欠のクラークは切ない思いを味わう羽目になるんだがw

 製作に入っても、泥縄式は続く。最初から方針としては…

キューブリックの本能は、純粋に視覚的な手がかりと音響的な手がかりのほうを選んで、言葉による説明はできるだけ省く方向に動いた。
  ――第1章 プロローグ

 と、なるたけナレーションを使わず、映像で伝える方向に決まっていた。このナレーションをめぐる迷いは、最後までふんぎりがつかなかった模様。

 なかなか決まらない話は次々と出てくる。中でも、モノリスの話は印象深い。デザインがなかなか決まらず、なんとか1×4×9の立方体になったのはいいが、色と素材で迷い、数千万円をドブに捨てたネタとかは、なんとも切ないばかり。

 こういうドタバタは撮影に入っても続く。私はディスカバリー号のパートが大好きだ。無重力を感じさせる浮遊感や、地球を遠く離れた孤立感が染みる船外活動の場面。観ている時は「おお、スゲえ!」だけだが、改めて考えると、あれどう撮ったんだか。

 と同時に、あの宇宙服やヘルメットのデザインも見事。何が見事といって、不自然さが微塵もないのが凄い。もっとも、中の人の苦労は並大抵じゃなく、マジで何度も死にかけてる。しかもその理由が酷いw 宇宙服で××とか、シャレにならんw

 やはり印象的なのが、音楽。なにせ「ツァラトゥストラはかく語りき」が、バッチリ決まってる。あれこそ計算づく、と思ったら、さにあらず。映像も音楽も、ほとんど思い付きと偶然で決まったのだ。

 公開時の評判も、今からは想像もつかない状況で。いや結局は大当たりになるんだが、そこに至るまでの紆余曲折は、時代と世代の変化をつくづく感じさせてくれる。それもこれも、すべては「2001年宇宙の旅」が変えたのだ。

 などの大ネタはもちろんだが、製作に入ってからの苦労やスタッフの機転のエピソードが、やたらと面白い上にギッシリと詰まっているのが嬉しい。この凄まじい頁数は伊達じゃないぞ。少しでも特撮やSF、または映画製作に興味があるなら、無理してでも時間を割いて読む価値は充分にある。あの映画に相応しい超大作だ。

【関連記事】

| | コメント (0)

2020年3月15日 (日)

ジェイムズ・リーソー「ディエップ奇襲作戦 グリーン・ビーチ」ハヤカワ文庫NF 清水政二訳

「南・サスカ・連。RDF専門家はいかなる状勢といえども敵の手中に渡してはならないので、万全の保護を準備すること」
  ――p36

「ああ、それからここに特別の薬がある。きみには是非とも必要なものだ」(略)
「あまりおいしいものじゃない。数秒で死ぬことになる」
  ――p87

「彼女、カナダが気に入るでしょうか、どう思います?」(略)
「なにしろものすごく広いんです。隣りの家が50マイル(約80km)離れているなんてざらなんです。冬になれば屋根までとどく雪」
  ――p153

「おい、ジャック、大丈夫か?」
「大丈夫、ただ紙がない」
  ――p207

わしが発砲を抑えている、それを利用して逃げ出せ
  ――p285

「わたしが殺さなきゃならなかった男がいる!」
  ――p385

【どんな本?】

 1942年。ドイツは欧州を席巻していた。かろうじてモスクワは持ちこたえているが、ターリンの悲鳴は連日のように英米に届く。早く第二戦線を開け、と。

 これに応えるため、英米は幾つかの奇襲上陸作戦を行う。フランスが安泰でないヒトラーが考えれば、戦力を東部戦線から引き抜き、フランスに移すだろう。

 ディエップ奇襲作戦(→Wikipedia)は、その一つだ。目標はイギリス海峡に面したフランスの街ディエップ。約五千名のカナダ軍と千名のイギリス軍そして若干名のアメリカのレンジャー部隊が、奇襲・上陸し幾つかの目的を果たし、撤退する予定だった。

 当時はレーダーの黎明期でもある。枢軸・連合とも技術開発に励み、また味方の秘密を守り敵の能力を探ろうと、激しい諜報戦を繰り広げた。ディエップ奇襲でも、レーダーが目標の一つに挙がる。ドイツ軍のレーダー網フレイヤの基地を襲い、その性能を確かめよ。

 この目的を果たすため、一人のレーダー技術者が作戦に加わった。ジャック・モーリス・ニッセン、イギリス空軍軍曹。現在はレーダー基地に勤め、運営・保守そして改良に携わっている。ポーランド系移民の息子でロンドン育ち。ユダヤ人の彼がドイツ軍に捕まれば命はない。ばかりか、彼が持つレーダー技術がドイツ軍に渡れば、戦況すら大きく傾くだろう。

 それゆえに、彼の護衛には異様な命令が下された。「彼が敵の手に渡りそうな時は、彼を殺せ」。

 護衛に選ばれたのは、カナダ第二師団南サスカチェワン連隊。ドイツ軍と戦うため、大草原の国から大西洋を渡ってきた。レーダー技術の貴重さゆえ、ジャックの正体は味方にすら秘密とされた。機密保持のため互いの名前すら知らぬまま、死地へと赴いてゆく。彼らに割り当てられた上陸地点は、コードネームで呼ばれた。グリーン・ビーチ。

 約六千名の参加者のうち帰還者は約二千五百名と大きな犠牲を払い、後に大失敗と評されるディエップ奇襲作戦。その中でも極めて危険かつ重要な任務に赴いた、レーダー技師と将兵の戦いを生々しく描く、迫真のドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は GREEN BEACH, by James Leasor, 1975。日本語版は1981年5月31日発行。文庫本で縦一段組み本文約381頁に加え、「著者から読者へ」4頁+訳者あとがき4頁。8ポイント43字×20行×381頁=約327,660字、400字詰め原稿用紙で約820枚。文庫本としては厚い部類。

 軍事物には珍しいぐらい文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。敢えて言えば、単位がヤード・ポンド法な事ぐらい。1マイルは約1.6km、1ヤードは約90cm。

 ただ、今となっては入手が難しい。新刊は無理で、古本も滅多に見つからない。図書館も置いていない場合がある。近隣の区や市、または都道府県立の図書館から取り寄せよう。

【感想は?】

 自慢する。これは正真正銘、掘り出し物のお宝だ。古本の山からこれを掘り出した昔の自分を褒めたい。

 ディエップ奇襲は、あまり知られていない。その中でも、ジャック・ニッセンと護衛となると、かなりマニアックなネタだろう。そんな無名のネタを扱った作品だが、読むとやたら面白い。

 著者はイギリスの小説家だ。だから、多少は話を盛っているだろう。が、それを差し引いても、随所に出てくる小ネタはニワカな軍ヲタを唸らせるに充分だし、戦いに参加した方々はイギリス・カナダ・ドイツと多方面に取材しているのに加え、現地ディエップに住み戦いに巻き込まれた民間人にも取材しており、充分なリアリティと立体的な視点を保っている。

 面白さの一つは、一種のスパイ物である点だ。なにせジャックはレーダーの専門家である。休日すら返上して保守と改良に勤しみ、多くの功績を挙げている。そんな彼の頭脳が敵に渡ったらヤバい。ってんで、彼の正体は護衛にも明かせない。しかも、「イザとなったら殺せ」なんて命令が出ている。情が移ったら困るってんで、お互いの名前すら知らぬまま。

 正体不明の者の護衛とか、まるきし探偵物の小説みたいだ。その護衛役が、これまた濃い面子で。

 オタワやトロントなど大都市に住む現代のカナダ人がこれを読んだら、どう思うだろうってな描写が次々と出てくる。なにせ国土は広い上に3/4世紀も前だ。縁日でのボクサーの稼ぎ方や<氷の橋>、一番近いお隣まで80kmとか、とんでもねえ国である。ナイフ投げのスモーキーの登場場面は、「荒野の七人かいっ!」と突っ込みたくなったり。

 また、軍隊と機密の相性の悪さが身に染みる場面も多い。特に、作戦行動中で、ジャックは機密に足を取られ何かと苦労するのだ。

 そもそも作戦行動中は、まずもって何でも予定通りにいかない。必ず幾つもの齟齬が出る。それでもキチンと身分証明になる物を身に着けてりゃどうにかなるが、ジャックは正体不明でないとマズい。海岸を目前にしてジャックが上陸用の舟艇に乗り込む所でも、海軍からワケのわからん横やりが入ったり。

 軍は規律が大事とは言うが、戦場はどうしても混乱する。しかも、作戦行動中は時間もなきゃ銃声も轟き話もロクにできない。おまけに作戦が予定通りに進むことはまずない。だもんで、与えられた命令に従うだけじゃだめで、実は自分の頭を使って考えにゃならんのだなあ、と思い知ったり。なんたって、いきなり…

彼らは間違った場所に上陸したのであった。
  ――p195

 ときたもんだ。なにせGPSもない時代だしなあ。

 スムーズにいかないのはドイツ軍も同じで、侵攻してくる艦艇を見つけた後のドイツ軍の混乱ぷりも、「戦場の霧」を思い知らされる。ドイツ海軍の沿岸哨戒艇が最初に見つけたんだが、ソレが敵か味方かわからない。ってんで、アチコチに問い合わせようとするのだが…。当時の無線は真空管で、これがかなり繊細なシロモノなんだよなあ。後の陸上戦闘の場面でも、通信兵が真っ先に狙われたり。

 この通信の重要性は、目立たないがキッチリと描かれてて、ジャックもソコに目をつけて賢い指示を出してる。

「電線を見つけたら片端から切断しろ。ドイツ軍の監視兵がわが軍の所在を認めると、迫撃砲隊や砲兵隊に電話報告をしているに違いないのだ」
  ――p254

 もっとも、ドイツ軍もこれで学んだのか、ノルマンディーの際には電線を地下に埋め、かつ砲の衝撃で切れないよう、適度にたるませてたり。お互い経験から学んでいるのだ。

 「自転車の歴史」でも、戦車部隊に追随する自転車部隊の話が出てたが、この本でも自転車が出てくる。とまれ、いささか残念なオチになるんだが。砲撃で荒れた地面に自転車は向かないのだ。

 とかのエピソードの中でも、最も心に残るのが、三人のオッサンの話。ジャックたちは、ドイツ兵に囲まれ進退窮まってしまう。そこに通りがかったのは、地元のオッサンたち。いずれも第一次大戦でドイツ軍を相手に戦った老兵である。小銃はもちろんナイフすら持たない丸腰のオッサンどもは、ジャックらの窮地を見ると…。この場面は、まるきしジャック・ヒギンズの小説みたいだ。

 当時のフランス民間人の気持ちは、カナダ人捕虜が連行される場面でも、様々な形で描かれている。またドイツ軍の戦車部隊が海岸へと向かう所では、疲弊した機械化部隊にはどんな不都合が現れるかを、まざまざと見せつけられる。花屋に集まる意外な情報や、オスロからの奇妙な連絡など、諜報物としても楽しい。

 残念ながら今となっては手に入れるのは難しいが、隠れた名作の名にふさわしい傑作だ。軍ヲタに加え、ジャック・ヒギンズやアリステア・マクリーンなどの冒険小説が好きな人にも自信をもってお薦めできる。

【関連記事】

【つぶやき】

 新型肺炎のあおりで図書館が閉まり一瞬「げげっ」となった活字中毒者だが、ふと目を横にやるとそこには積読の山が…

| | コメント (0)

2020年3月11日 (水)

飛浩隆「零號琴」早川書房

「ジャリー・フォームの少年よ、覚えておきたまえ。磐記は怪獣の都なのだ」
  ――p27

「勝ち負けの世界にしているのはワンダよ。あのひとは何にでも殴り込みをかけるの」
  ――p175

「いい機会だ。とっくり教えてやるよ」
  ――p273

「これは地下から――文字どおりの地下ではなく、皆さんの中にある『地下』から何かを取り出すお話です」
  ――p306

いまわたしは最終回の「その先」にいる。
  ――p430

美縟が美縟であり続けるにはわたしは戦わなければならないのだ。
  ――p499

「<零號琴>とは、いったい何なのだ?」
  ――p551

【どんな本?】

 寡作なベテランSF作家の飛浩隆が、それまでの芸風をかなぐり捨て、思い切り娯楽に徹した長編SF小説。

 遠未来。人類は<行ってしまった人たち>の遺産を手に入れる。遺産を利用し外宇宙へと進出した人類は、銀河系の一部、快適に整備された<轍>世界へと広がった。その<轍>世界のそこかしこは、<行ってしまった人たち>が遺したとおぼしき、様々な特殊楽器が埋まっている。

 特殊楽器技芸士は、特殊楽器の専門家だ。その一人エルジゥ・トロムボノクと相棒シェリュバンに、大富豪のパウル・フェアフーフェンから依頼が入った。まもなく美縟の首都<磐記>は開府五百年祭を迎える。美縟には独特の文化「假劇」があり、人々は週末に假面をつけ町に繰りだし、假劇を楽しむ。特に五百年祭では、世界最大級の特殊楽器である美玉鐘が、秘曲<零號琴>を五百年ぶりに奏でるだろう。

 大富豪パウル、その娘で假劇作家のワンダ、五百年祭を司る咩鷺、そしてセルジゥとシェリュバン。それぞれが思惑を隠し持ちながら、謎を秘めた美縟へと集まる。<零號琴>とは何か、假劇は何を表すのか、そして美縟の真の姿は。

 ベテラン作家がイマジネーションを駆使して描く、壮大なオペラ。

 2019年の第50回星雲賞日本長編部門受賞のほか、SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2019年版」のベストSF国内篇でもトップに輝いた。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 SFマガジン2010年2月号~2011年11月号に連載した作品を改稿したもの。2018年10月25日発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約591頁に加え、著者の「ノート」3頁。9ポイント45字×20行×591頁=約531,900字、400字詰め原稿用紙で約1,330枚。文庫なら2~3巻の巨編。

 見慣れない漢字や奇妙な当て字がたくさん出てくるのを除けば、意外と文章はこなれていて読みやすい。ただアイデアをギッシリ詰めこんだ濃いSFなので、相応の覚悟をして挑もう。いや科学とかはかなりアレなので理科は苦手でも大丈夫だが、イカレきった発想のネタが次々と出てくるのだ。ついていくには、ソレナリに頭を柔らかくしておこう。

 なお、作中で重要な役割を果たすカリヨン(carillon,→Wikipedia)は、キーボードで鐘を鳴らす楽器だ。Youtubeにも、バッハのトッカータとフーガ などがある。パイプオルガン同様、楽器というより建物と呼ぶのが相応しい規模のメカだが、街全体に鳴り響く音の大きさはパイプオルガンすらしのぐ。移動や調律の難しさもあり、楽器の皇帝と言えるかも。

【感想は?】

 オトナが真剣かつ全力で仕掛けた悪ふざけ。

 假面や假劇なんてネタは、ジャック・ヴァンスの「月の蛾」かな、と思ったが、アレを遥かに深化したシロモノだった。

 <行ってしまった人たち>の設定はありがちだが、それに<行ってしまった人たち>なんて投げやりな名前なのは、「肩の力を抜いて楽しんでください」的な著者のメッセージだろうか。なにせハードカバー600頁近い大作だ。どうしても読む方は力が入ってしまう。が、その中身は、池上永一の「シャングリ・ラ」に匹敵する、お馬鹿で楽しいアイデア満載の娯楽作だったり。

 そんなワケで、真面目に検証しちゃったら、アチコチにかなりの無茶はあるが、あまし真面目に突っ込んではいけない。

 例えばエルジゥが面倒を見る特殊楽器の美玉鐘。つまりはカリヨンの化け物なんだが、スケールが違う。そもそもカリヨンがやたら大げさでパワフルな楽器だ。キーボードの鍵を叩くと、それぞれの音程に応じた鐘を鳴らす。鍵ったってピアノやオルガンみたく指で弾くんじゃない。ぶっとい棒を腕で叩く。しかも、鳴るのが鐘である。その音は街中に鳴り響く。これが美玉鐘ときたら…。

 音楽が好きな人にとっては、夢…というより悪夢のような楽器だw

 なんちゅうお馬鹿な楽器だ、と思うのだが、この美玉鐘とセットになる假劇が、「たしかにコレは美玉鐘でなきゃ務まらん」と納得するぐらいに狂ったシロモノで。なにせ舞台は磐記の街そのものであり、演じる役者は祭りの参加者全てなのだ。うーん、まるきしSF大会だ。となると、台本や台詞は? と疑問がわくが、ソコは假面に仕掛けがあって。あなた、人間やめる覚悟はあります?

 他にも亞童などSFな仕掛けが満載なのだが、それに加えてプリキュアをはじめとする漫画やアニメのネタも随所に仕込んであるから油断できない。そもそも冒頭のアヴァンタイトルからして、「魔法少女まどか☆マギカ」みたいだし、かと思えばオッサンにしか通じないネタもチラホラ。そうか、浩一君は桃太郎だったのかw

 もちろん、それらを馬鹿にしているワケじゃない。むしろ、台本を任されたワンダの苦悩は、二次創作に勤しむ者への応援歌でもあり、だからこそ冒頭に「まどマギ」を持ってきた、とすら思えたりする。そして、ワンダの書く台本も、この作品そのものと二重写しになっている仕掛けが、これまた見事。

 とはいえ、そういう世界の怖さ?もキチンと描いてるのが、この作品の楽しいところ。ハズミで巻き込まれたシェリュバンが、その道のベテランたちに凄まれるあたりは、「なんちゅう地雷を…」などと哀れんだり笑ったり。

 などの小ネタを次から次へと繰り出しつつも、肝心の美縟の真実に迫るあたりでは、「物語」そのものが持つ力への畏怖すら沸きあがってくる。だとすると、轍世界の仕掛けは、沼にハマり込み先人の莫大な遺産をヌクヌクと楽しんでいる我々の鏡像かな? なんて真剣に考え込むスキを与えず、ここでまた有名な小ネタを炸裂させるから憎い。

 エルジゥもシェリュバンも、実は重い背景を背負っているにも関わらず、こういう風に使われると、思わず笑っちゃうからなんともw ホント、最後までサービス精神旺盛な作品だ。

 こんな風に書くと、長い人生を浪費してネタを蓄積してきた年寄り向けの作品みたく思われるかもしれないが、もちろんそんな事はない。肝心のSFなガジェットも満載だし、物語は二転三転でドンデン返しの連続で、最後まで興奮は収まらない。パウル・フェアフーフェンの緻密にして稀有壮大な目論見、美縟の奇想天外な秘密、そして飽くまでも先を目指そうと足掻く人の姿。

 幾つものイロモノなネタをぶち込みつつも、SFとしての王道をキッチリと貫き通した、21世紀に相応しい豪華絢爛な娯楽SF大作。奇想天外でとにかく面白い小説が読みたい人向け。

【関連記事】

| | コメント (0)

2020年3月 5日 (木)

スティーブン・スローマン&フィリップ・ファーンバック「知ってるつもり 無知の科学」早川書房 土方奈美訳 2

何かに対してはっきりした意見を持っているという事実によって、私たちは自らの意見には確固たる根拠があると思い込む。
  ――第8章 科学について考える

自分が何を知らないかを理解する良い方法は、対象となる分野に関連する仕事をすることを通じてそれを学ぶことだ。
  ――第11章 賢い人を育てる

 スティーブン・スローマン&フィリップ・ファーンバック「知ってるつもり 無知の科学」早川書房 土方奈美訳 1 から続く。

【どんな本?】

 身のまわりの事柄を、私たちは「わかったつもり」になっている。だが、いざ「じゃ詳しく説明してよ」と言われると、あっさり馬脚を現す。案外と私たちはわかってない。にも関わらず、世の中はソレナリに巧く回っている。

 ホットな時事問題に対しても、たいていの人は何らかの意見を持っている。中には、強固に自分の意見を主張する人もいる。しかし「それってどういう事なのか、どんな影響があるのか」を問われると、シドロモドロになりがちだ。つまり、わかっていないのである。なぜ「わかっていない」のに、確固たる意見を持てるのか。

 このような意見は、誤解に基づいている場合もある。誤解をとき本当のことを知ってもらおうと、一生懸命に広報を繰り広げる専門家や化学者も多い。だが、世にペテン師は尽きず、相変わらずケッタイな商売が幅を利かせている。

 どうすれば勘ちがいが解けるのか。なぜ意味も分からず強固な信念を持つのか。たいして知恵のない者たちの集団なのに、なぜ世間は回っているのか。

 人類の文明と、それを生み出した知性について、「無知」からアプローチし、その特性をあぶりだそうとする、興奮の一般向け科学解説書。

【科学】

 幼い頃からSFアニメを見て育ち、アポロの月着陸に興奮した世代のためか、私は科学に大きな期待を寄せている。が、そうじゃない人も多い。例えば、こんな現実もある。

オクラホマ州立大学農業経済学部は消費者を対象に、遺伝子組み換え技術を使った製品は表示を義務付けるべきか尋ねた。80%近い回答者が義務化すべきと答えた。(略)
同調査の回答者の80%は、DNAを含む食品についても法律によって表示を義務化すべきだと答えた。
  ――第9章 政治について考える

 いや肉も野菜もDNAを含んでるんですが。むしろDNAを含まない食品の方が怖い…いや食塩は含まないか。とか判った風なことを言ってるけど、「じゃDNAって何よ、例えばどんな元素を含んでるの?」と言われたら、やっぱ説明できないです、はい。

 もっとも、この設問は、科学以外の要素も含んでいるのが面倒なところ。ネタが遺伝子組み換え技術なだけに、宗教や倫理によって、眼鏡に色がついちゃうのだ。

【政治】

 やはりよくわかってなくても、確固たる意見を抱きやすいのが、政治の問題。個々の政策について、キチンと説明できる人は滅多にいない。そもそも大半の人は法案なんか読まないし。というか、私も「どうすりゃ法案が読めるのか」すら知らない。ダメじゃん。

 そんな者同士が意見を交わしても、まずもって無駄に終わる。そして互いに「奴は馬鹿だ」と思い込んで別れる。これはマズい。どうすりゃ有意義な会話ができるのか。「相手を罵ってはいかん」なんてマナーは勿論だが、他にも工夫のしようはある。

 テレビのインタビュウなどでは、「なぜその政策を支持するのか」を尋ねる事が多い。だが、これじゃ、まずもって語り手の意見は変わらない。逆に変わりやすいのは…

必要なのは、政策そのものを考えること、具体的にどのような政策を実施したいのか、その政策の直接的影響はどのようなものか、その影響の影響はどのようなものかを考えることである。つまり、ふだん行っている以上に物事の仕組みについて深く考える必要がある。
  ――第9章 政治について考える

 「ソレはどんな政策か、その直接的な影響は何か、間接的な影響は何か、予算は幾らで効果はどれぐらいか」と、政策を詳しく説明させる。すると、「あれ?実は俺、よくわかってないいんじゃね?」と気づき、腰砕けになるのだ。つまりは前の記事のファスナーですね。

 もっとも、これが効かない場合も多い。宗教や倫理や価値観に基づく時だ。本書では妊娠中絶と尊厳死を挙げている。これはキリスト教的倫理観に基づくものだろう。日本だと、夫婦別性や児童の性教育かな? あと恵方巻などの食糧廃棄も。こういうのは…

政策が良い結果、あるいは悪い結果を生むかはどうでもいい。重要なのは、政策に現れた価値観である。
  ――第9章 政治について考える

 政治ってのは利害だけじゃなく、価値観や世界観の違いも対立の原因なのだ。また、勘ちがいを指摘するのも善し悪しで…

知識の錯覚を打ち砕くことは人々の好奇心を刺激し、そのトピックについて新たな情報を知りたいと思わせるのではないか、と期待していた。だが実際にはそうではなかった。むしろ自分が間違っていたことがわかると、新たな情報を求めることに消極的になった。
  ――第9章 政治について考える

 誰だって自分は馬鹿だと思いたくないし、恥をかくのも嫌いだ。面と向かって無知を指摘されるとムカつく。もっとも、私の場合は例外もあって、Webやこの本など相手の顔が見えない媒体だと、素直に受け入れる、どころか尊敬に変わったりする。まあ、本書の場合だと、無知を指摘されてるのは私だけじゃないしね。

【だが世間は】

 有名なジョークがある。「法隆寺を造ったのは誰か」「大工さん」。ジョークではあるが、けっこう本質を突いたネタでもある。なぜなら…

 法隆寺を造るには、たくさんの人の協力が必要だ。プロジェクトをブチあげ、予算と人を集め、場所を選んで確保し、工法を学び、設計図を描き、木を伐り、運び、加工し、組み上げ…。あ、もちろん、斧やカンナも調達しないとね。というワケで、聖徳太子が一人で全部をやったワケじゃない。にも関わらず、世間に流布している人物は聖徳太子だけだ。これにはヒトのクセが絡んでいる。

私たちは物事を単純化しようとする。その一つの手段が英雄信仰、すなわち重要な個人とそれを支える知識のコミュニティを混同することだ。
  ――第10章 賢さの定義が変わる

 木こりや大工まで、イチイチ憶えてたらキリがない。そこでヒトはモノゴトを単純化する。とりあえずプロデューサーの聖徳太子だけでいいや。そういうコトだ。その聖徳太子にしたって、一から考えたワケじゃなく、隋や帰化人から知識を仕入れたんだろうけど、そこまで追求するのは学者に任せよう。

 が、現実は違う。仕事をしていれば誰だって気がつくが、どんな仕事でも自分だけじゃ完結しない。職場に通うには道路や列車が要る。停電したら何もできない。営業しようにも商品が無けりゃ売れないし、モノを作るにも原材料と工具が必要だ。結局、みんなが少しづつ役割を果たすから、世の中は回る。

【チーム】

 つまり、そういう事だ。みんな、少しづつしか知らない。でも、そんな人たちが協力し合うから、世の中は回るし、進歩していく。ここで大事なのは、みんな同じじゃマズいって点。得意分野が違うから、全体として上手くいく。聖徳太子を千人集めても、法隆寺はできない。誰かがメシを炊かなきゃいけないし、薪を集める人も要る。

 これを一言で言えばダイバーシティとか多様性だろう。世の中イロイロだから私たちはカレーライスやトンカツを楽しめる。和食だけじゃ、こうはいかない。「みんな同じ」を求めると、ロクな事にならない。その見本が文化大革命やクメール・ルージュ、そして大日本帝国だ。そういう集団は、いわゆるエコーチェンバー(→Wikipedia)に陥りヤバい方向へと突っ走る。

【紙がない!】

 とか書いてる今(2020年3月5日)、日本はちょっとしたパニックが起きている。トイレットペーパーが手に入らない。これは経済が理屈通りに動いていないからだ。

世の中の誰もが地球は平らだと信じたところで、地球が平らになるわけではない。しかし経済は違う。
  ――第12章 賢い判断をする

 トイレットペーパーは足りている。でも多くの人が「足りない」と思い込む。その結果、本当に店頭からトイレットペーパーが消えてしまった。馬鹿な話だが、現実なんだからしょうがない。これもまた、一種のエコーチェンバーだろう。今までは、これらの問題に対し、「教育が大事」と叫ばれてきた。だが、オイルショックの経験を経ても、あまり学習が進んだようには思えない。

 じゃ、どうすりゃいいのか、というと…

【終わりに】

 うまくまとめられないけど、機会があったら「機械の再発見」を読んでみてください。少なくとも「自分が身のまわりのモノについてどれほどわかっていないか」は実感できます。

【関連記事】

| | コメント (0)

2020年3月 4日 (水)

スティーブン・スローマン&フィリップ・ファーンバック「知ってるつもり 無知の科学」早川書房 土方奈美訳 1

本書には三つの主張がある。無知、知識の錯覚、そして知識のコミュニティである。
  ――結び 無知と錯覚を評価する

私たちは「命題的」論理、すなわち特定の見解が正しいか否かを判断するための論理で思考するのではない。「因果的」論理、すなわち特定の事象がどのように起こるかという知識に基づく因果関係の論理でモノを考え、結論を導き出す。
  ――第3章 どう思考するのか

知的活動は脳内だけで起こるのではない。むしろ脳は身体その他の物質世界を巻き込んだプロセス体系の一部にすぎない。
  ――第5章 体と世界を使って考える

金融サイトを数分眺めても、投資の勘どころをつかむことはできない。だがすぐ手に入るところに世界中の知識があると思うと、まるでその多くが自分の頭の中にあるような気になってしまう。
  ――第7章 テクノロジーを使って考える

【どんな本?】

 地球温暖化,遺伝子組み換え食品,財政健全化,円とドルの為替レート…。世の中にはとても多くの問題があり、ニュースは連日それらの問題を報じている。現代社会で生きていくには、実に多くの知識が必要だ。しかも、問題は増える一方である。テレビのニュースについていくだけでも、毎日のように学び続けなければならない。

 …はずだが、皆さん、ホントに毎日勉強してます? もちろん、私はしていません。

 にもかかわらず、私たちの大半は、なんとなく毎日を過ごしていけるし、知識不足で悩むことも滅多にない。ばかりでなく、先に挙げた問題について、誰もが多かれ少なかれ意見を持っている。

 この本は、「無知」についての本だ。ヒトは、どれほど自分の無知について分かっているのか。無知であるにも関わらず、なぜ判断できるのか。なぜ問題なく暮らしていけるのか。どうすれば無知をカバーできるのか。

 ヒトの知能・知性について、その欠落部分、すなわち「無知」からアプローチした、ユニークな認知科学の一般向け解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Knowledge Illusion : Why We Never Think Alone, by Steven Sloman and Philip Fernbach, 2017。日本語版は2018年4月15日初版発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約277頁に加え、訳者あとがき6頁。9ポイント45字×20行×277頁=約249,300字、400字詰め原稿用紙で約624枚。文庫なら少し厚い一冊分。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。ただ、米国人向けに書かれているので、所によってはピンとこないかも。例えばブリンストン大学とMITの違いとか。

【構成は?】

 原則として前の章を受けて次の章が展開する。のだが、面白そうな所だけを拾い読みしても結構イケる。

  • 序章 個人の無知と知識のコミュニティ
    思考は集団的行為である/無知と錯覚/思考は何のためか/知識のコミュニティ/なぜこれが重要なのか
  • 第1章 「知っている」のウソ
    どれだけの知識があるか/錯覚の抗いがたい魅力
  • 第2章 なぜ思考するのか
    脳はなんのためにある?/賢い脳/フネスの苦しみ
  • 第3章 どう思考するのか
    人間は物事の因果を考える/前向き推論と後ろ向き推論/物語
  • 第4章 なぜ間違った考えを抱くのか
    必要十分/因果的推論には2タイプある/直感、熟慮、説明深度の錯覚
  • 第5章 体と世界を使って考える
    知能を具現化する/人間のデザイン/世界が私たちのコンピュータである/脳は知性の中にある
  • 第6章 他者を使って考える
    集団的狩猟/賢さ/志向性の共有/今日のチームワーク/境界での混乱/個人を知識のコミュニティに合わせてデザインする/集団意識の強みと危険性
  • 第7章 テクノロジーを使って考える
    思考の延長としてのテクノロジー/テクノロジーは(まだ)志向性を共有しない/真の超絶知能/未来を予測する
  • 第8章 科学について考える
    科学に対する国民の理解/コミュニティへの忠誠心/因果モデルと科学への理解/知識の欠乏を埋める
  • 第9章 政治について考える
    錯覚を打ち砕く/価値観と結果/ガバナンスとリーダーシップ
  • 第10章 賢さの定義が変わる
    知能/知能テストの歴史/知識のコミュニティからのインスピレーション/集団知能とその重要性
  • 第11章 賢い人を育てる
    何を知らないかを知る/知識のコミュニティと科学の授業/学習のコミュニティ
  • 第12章 賢い判断をする
    説明嫌いと説明マニア/情報量を増やすことは解決策にならない/集団意識が経済を動かす/より良い判断を「ナッジ」する/教訓1 かみ砕く/教訓2 意思決定のための単純なルールをつくる/教訓3 ジャスト・イン・タイム教育/教訓4 自分の理解度を確認する
  • 結び 無知と錯覚を評価する
    無知は絶対的に悪か/コミュニティの判断力を高める/錯覚を評価する
  • 謝辞/訳者あとがき/原注

【感想は?】

 質問です。

1.あなたはファスナーの仕組みをどれだけ理解しているか、七段階評価で答えてください。

 では、次に…

2.ファスナーはどのような仕組みで動くのか、できるだけ詳細に説明してください。

 もう一度、1.に答えてください。

 答えが変わった人は、「説明深度の錯覚」を理解した人です。ガッカリする必要はなくて、たいていの人は変わります。なんであれ、ソレについて「詳しく説明」させると、本当の理解度をあぶりだせるわけ。人に教えると更に深く理解できるとか、よくあるよね。

 プログラマはしゅっちゅう体験してる。「こんなん簡単じゃん」と思ったプログラムも、いざコードを書く段になると四苦八苦したり。コードとして具体化しようとすると、要求仕様をまとめた時は気が付かなかったアラが見つかるのは、よくある話。だからシステム開発の予算は際限なく膨れ上がり、納期はズルズルと延びてゆく。

 と、けっこう衝撃的な事実で本書は幕を開ける。私たちは、自分で思っているほど、モノゴトについてわかっちゃいない。にも関わらず、世の中は問題なく動いているし、特に不自由もなく暮らしていける。

 なぜ「わかっている」と思い込むのか。なぜ不自由を感じないのか。そんな不完全で傲慢なヒトが、なぜ高度文明を築き得たのか。この不完全さが、どんな問題を引き起こすのか。どうすれば問題を避けられるのか。

 これについて、序盤ではヒトの思考のメカニズムを分析・解明してゆく。こういう所は、SFファンには美味しいところ。または人工知能や哲学に興味がある人にもお薦め。例えば、知能の定義だ。かの有名なフレーム問題を語ったあと、こう結論づける。

知的であるとは要するに、五感から入ってくる膨大なデータから本質的で抽象的な情報を抽出する能力があるということだ。
  ――第2章 なぜ思考するのか

 そう、機械学習が脚光を浴びる前の人工知能研究は、これがネックになっていた。

 ヒトは音や形から、ほぼ瞬間的に重要な情報を抜き出し、それ以外は無視する。狩りの途中で虎の新しいフンを見かけたら、その横にある草の種類はどうでもいい。とりあえず、その場から離れるべきだ。でなけりゃ自分が虎のフンになる。従来の人工知能には、そういう「何が重要か」って判断ができなかった。少なくとも、実用的な速度では。

 ヒトは情報の重要性を瞬時に判断できる。だが、これは困った副作用がある。つまりは「社会はなぜ左と右にわかれるのか」の像と象使い、「リスクにあなたは騙される」の腹と頭だ。

 腹は判断が速い。でも、けっこうウッカリさんでもある。例えば…

バットとボールで合計1ドル10セントである。バットはボールより1ドル高い。ボールはいくらか。

 と聞かれると、腹は「10セント」と答えてしまう。これ、ひっかかる人の方が多いんだが、ひっかからないタイプを著者は「熟慮型」と呼び、幾つか面白い傾向がある。

熟慮型の人、すなわちCRTのスコアが高い人には、そうではない人ほど「説明深度の錯覚」が見られない。
  ――第4章 なぜ間違った考えを抱くのか

 しかも、モノゴトを説明するのが好きなのだ。また、モノを買う際に、短いキャッチフレーズより、ダラダラと長い説明があるモノを選んだり。もっとも、そういう人でも…

自分の専門分野(家庭用品、クラシックカー、オーディオ設備など)については説明マニアでも、興味のない分野については説明嫌いになる人も多い。
  ――第12章 賢い判断をする

 なんのこたあない、ヲタクの生態そのものじゃないかw つまりは誰だって自分の好きな事柄は喋りたがり、そうでない事は深く考えないのだ。もっとも、ヲタクにも自覚してるヲタクとそうでないヲタクがいて…

知識の呪縛とは、私たちは自分の頭の中にあることは、他の人の頭の中にもあるはずだと考えがちなことを指す。一方、知識の錯覚は、他の人の頭の中にあることを、自分の頭の中にあると思い込むことを指す。
  ――第6章 他者を使って考える

 そう、誰もが連邦とジオンの関係を知ってるワケじゃないのだ。にも関わらずガノタときたらブツブツ…。まあ、かく言う私も、「ポール・ロジャースはあまり知られていない」と最近になって思い知らされ、ガックリきたんだが。なんで知らないんだよ~。ちょっと前、Queen として来日したじゃないかあぁぁ!←落ち着け

 もっとも、逆にコレをよく実感しているヲタクもいる。

それぞれの個体が特定の役割に精通すると、その結果として生まれる集団的知能は部分の総和を超える。
  ――第6章 他者を使って考える

 これを実によく表しているアニメがあって、それは「映像研には手を出すな!」なのですね。優秀なプロデューサーの金森さやか、設定と演出にうるさい浅草みどり、動きにこだわる水崎ツバメのチームワークが心地よいアニメです。

 「映像研」にはもう一つ、私たちに気づかせてくれることがあって、それは映像を観ている者は映像についてほとんどわかっちゃいないのだ、と教えてくれること。まあ映像は観るだけだけど、使いながら自分でも不安になるテクノロジーは、やっぱりあるのだ。例えば漢字変換。

優れたテクノロジーというのは決まって使いやすい。(略)今後、複雑化しつづけるシステムに対する理解度は一段と低下していくが、それでも私たちは理解しているかのような感覚を抱き続けるだろう。
  ――第7章 テクノロジーを使って考える

 「鬱陶しい」とPCで書くのは簡単だけど、鉛筆じゃ私は書けない。おまけに最近の変換技術は凄くて、例えばGoogleはウロおぼえの言葉でも「次の検索結果を表示しています」で補ってくれる。私は何度 Neal schon の綴りを間違えたことか。にも関わらず、どうやって補っているのか、私は説明できない。ばかりか、Google が間違えても、私は間違った綴りを正しいと思ってしまうだろう。

 などととりとめのないまま、次の記事へ続く。

【関連記事】

| | コメント (0)

2020年3月 2日 (月)

トム・アンブローズ「50の名車とアイテムで知る 図説 自転車の歴史」原書房 甲斐理恵子訳

自転車は個人旅行に革命をもたらし、馬に頼る近・中距離移動は終わりを告げた。
本書は、200年以上にわたって発展してきた自転車の物語を、進歩の土台となった50種からひも解いていく。
  ――はじめに

フランスで流行しはじめたトライシクル(三輪車)は、イギリスでもすぐに広まった。1881~1886年には、自転車よりトライシクルの生産量のほうが多かったほどだ。
  ――12 コヴェントリー・レバー トライシクル

女性による自転車世界一周は、1894年にすでになしとげられている。同じアメリカ人女性、アーニー・コブチョフスキーがその人だ。
  ――16 エルスウィック・スポーツ 自転車に乗った女性たち

(レンタル自転車の)おもな目的は利益をあげることではなく、利用料で費用をまかないつつ都心の車の交通量を減らすことだ。
  ――43 ヴェリブ 都市型レンタル自転車

オランダは世界で唯一、人口より自転車の台数が多い国なのだ。オランダの人口は1650万人、自転車は約1800万台存在する。
  ――45 ガゼル 自転車の国オランダ

中国では車の5倍の電動自転車が走り、いまや世界トップクラスの電動自転車生産国でもある。毎年中国では1800万台の電動自転車が製造販売され、中国で使われている2輪車の25%以上が電動自転車だ。
  ――49 リビー 電動自転車

【どんな本?】

 お買い物の友ママチャリ。転ぶ心配のないトライシクル(三輪車)。坂道もラクラク電動アシスト自転車。頑丈でパワフルな実用車。持ち運べる折りたたみ自転車。スマートで華麗なロードバイク。荒野を駆け抜けるマウンテンバイク。映画「E.T.」で脚光を浴びたBMX。そして寝っ転がって走るリカンベント。

 ひとくちに自転車といっても、その姿や使われ方は様々だ。これらの自転車は、どのように進化・多様化してきたのか。進化の過程で、どんな技術やアイデアがどんな役割を果たしたのか。そして、どんな人々がどんな目的で自転車に乗ってきたのか。

 ペダルすらない1817年のドライジーネからカーボンファイバーを駆使した現代のレース用マシンまで、50のトピックで自転車の進化を辿る、一般向けの歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The History of Cycling in Fifty Bikes, by Tom Ambrose, 2013。日本語版は2014年9月21日第1刷。単行本ハードカバー横一段組み本文約212頁。8.5ポイント32字×42行×212頁=約284,928字、400字詰め原稿用紙で約713枚。文庫本なら厚めの一冊分だが、写真がたくさん載っているので、実際の文字数は7割ぐらい。

 文章は比較的にこなれている。内容も難しくはない。ただ、ダイヤモンド・フレームやスプロケットなど、自転車の専門用語が説明なしに出てくるので、素人はその度に Google などで調べる必要がある。

【構成は?】

 時代別に並んでいるが、各記事はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

  • はじめに
  • 1 自転車の原型 庶民の乗り物を求めて
  • 2 ドライジーネ フランス発の初期の2輪車
  • 3 ホビーホース ダンディな若者の選択
  • 4 マクミラン型ペダル自転車 両足を地面から離して
  • 5 ベロシペード 前輪駆動
  • 6 ボーンシェイカー 過酷なサイクリング
  • 7 アリエル 危険なペニー・ファージング
  • 8 ローバー 安全自転車
  • 9 ファシル ドワーフ・オーディナリ
  • 10 サルヴォ・クワドリサイクル マルチホイーラー(車輪の多い自転車)
  • 11 コロンビア・ハイホイーラー アメリカ生まれ
  • 12 コヴェントリー・レバー トライシクル
  • 13 空気タイヤ 快適な乗り心地
  • 14 スウィフト 事務員の自転車
  • 15 アイヴェル 2人乗り自転車
  • 16 エルスウィック・スポーツ 自転車に乗った女性たち
  • 17 ルーカス・ランプ 夜道を照らす
  • 18 ダーズリー・ペダーセン 奇抜なデザイン
  • 19 モルヴァーン・スター オーストラリア横断
  • 20 フランセーズ・ディアマン 初のツール・ド・フランス
  • 21 スターメーアーチャー 変速ギア
  • 22 ラボール・ツール・ド・フランス ねじれ剛性
  • 23 オートモート 初期の長距離レース自転車
  • 24 ヴィアル・ヴェラスティック マアウンテンバイク誕生前夜
  • 25 ヴェロカー レース用リカンベント
  • 26 ハーキュリーズ 女性レーサー
  • 27 バーステル・スペシャル 6日間レース
  • 28 シュル・フュニキロ 初期マウンテンバイク
  • 29 ケートケ トラック用タンデム
  • 30 変速機(ディレイラー) レース用ギア
  • 31 ベインズVS37 1930年代の傑作
  • 32 ビアンキ 偉大なるファウスト・コッピ
  • 33 BSAパラトルーパー 自転車の軍事利用
  • 34 モールトン・スタンダード・マーク1 折りたたみ自転車
  • 35 プジョーPX10 死の山
  • 36 ウーゴ・デローザ エディ・メルクス
  • 37 ブリーザー・シリーズ1 マウンテンバイク
  • 38 ハロー バイシクルモトクロス(BMX)の流行
  • 39 ロータス108 スーパーバイク
  • 40 コルナゴ タイムトライアル自転車
  • 41 スコット・アディクトRC カーボンフレーム
  • 42 プロ・フィット・マドン ランス・アームストロング
  • 43 ヴェリブ 都市型レンタル自転車
  • 44 サーヴェロS5 モダン・クラシック
  • 45 ガゼル 自転車の国オランダ
  • 46 マドセン カーゴ自転車
  • 47 スペシャライズド・ターマックSL3 未来の勝者
  • 48 ピナレロ ウィギンスのマシン
  • 49 リビー 電動自転車
  • 50 四角いホイール? 未来のデザイン
  • 参考文献/索引/図版出典

【感想は?】

 速く走ることに賭けるヒトの執念が伝わってくる。

 幕あけは1791年のパリ、シヴラック伯爵のセレリフェールだ。形はドライジーネ(→Wikipedia)に近い。

 木の枠組みに木の車輪を付けただけで、ブレーキはもちろんペダルもない。現代の幼児用バランスバイクみたいなモンだが、ハンドルはきれない。おかげで曲がる時は「そのつど乗り手が降り、車体を持ち上げて、進みたい方向へ向きを変えなければならなかった」。しかも値段は「乗馬用の馬なみ」。そりゃ流行らんわ。

 だが何故か自転車というアイデアは命脈を保ち続ける。いや飛び飛びに、だけど。とはいえ、さすがに費用は問題で、しばらくは貴族の坊ちゃんの道楽って時代が続く。やっぱり、こういうモノの進歩には、ある程度の社会格差が必要なんだなあ。

 これに動力、というか動力伝動装置がついたのが1839年のマクミラン型ペダル自転車。ただし回転させるんじゃなくて、蒸気機関車みたくペダルの前後動をシャフトでスポークに伝える。1860年代にはペダルで前輪を回すベロシペードが登場、「前輪をデカくすりゃスピードが出るよね」とペニー・ファージング(→Wikipedia)が勢いを得る。

 この辺までは自転車って値段は高いわコケたら危ないわで、今でいうエクストリーム・スポーツ的な位置づけだったことが伺える。これに一石を投じだのが1876年のローバー、安全自転車だ。チェーンで後輪を動かす姿は、現代の実用車に近い。足が地面につくので安全ってわけ。

 子供の頃、自転車を手に入れて、その移動能力に感動したことを覚えているだろうか? あれは、自由の味だ。移動手段を得ることは、自由を得ることでもある。これは女性解放論者にも影響を及ぼす。ただ、スカートで乗るには、トップチューブ(→Wikipedia)が邪魔になる。これを解決したのが1912年のエルウィック・スポーツ。トップチューブをなくし、今のママチャリに近い形になった。

 とかの進化を辿るのも面白いが、最も気にった記事は「33 BSAパラトルーパー 自転車の軍事利用」。そう、自転車と軍事の話だ。

 先陣を切ったのはイギリス陸軍。1885年の演習で偵察隊が自転車で活躍してる。もっとも、1890年に作った8人乗り8輪車は、さすがに失敗したけど。誰か止める奴はいなかったのかw さすがパンジャンドラムの国w もち成功した例も多く、ボーア戦争ではニュージーランド軍兵士が自転車でボーア人騎兵隊を追い捕まえている。馬より自転車の方が速いのだ。飼葉も要らないしね。

 ドイツ軍も電撃戦では…

第2次世界大戦(略)ドイツ軍は(略)ベルギーやフランスへ先頭をきって侵攻する戦車の後ろには、何千台もの自転車が走っていた。
  ――33 BSAパラトルーパー 自転車の軍事利用

 と、歩兵は自転車でグデーリアンを追いかけたのだ。同時期にマレー半島を南下した帝国陸軍の銀輪部隊も出てくるが、「ただし使用されたのは日本製ではなくマラヤ製」だった。日本から送るには船に積む空間が足りず、しかも現地で手に入るってんで、現地で調達…と言えば聞こえはいいが、ようは奪ったわけ。そりゃ恨まれるよ。

 もっとも、そのドイツ軍もベルリン防衛戦では少年兵が自転車にパンツァー・ファウスト(対戦車バズーカ)を括り付けてソ連の戦車T-34に立ち向かう、なんて無謀な手に出てるんだけど(→「ベルリン陥落」)。

 この知恵を継いだのが北ベトナム軍で、かの有名なホーチミン・ルートの補給は、自転車が活躍している。

 フランス相手の第一次インドシナ戦争では、「6万台の自転車」が食料と弾薬を運んでいる。もっともフランス製プジョーを改造して「200キロ以上の荷物を運べるよう」にしてあるんだけど。写真も載ってて、さすがに人が載って漕ぐんじゃなく、押して歩いてる。しいまいにゃ「救急車」まで作ってて、彼らの工夫の才には敬服するばかりだ。

 もちろんロータス108などスピードを追求した過激なレース用自転車も迫力のフルカラーでたくさん載っており、眺めているだけでも充分に楽しめる。

 馬やエンジンなど他の動力に頼らず、自分の力だけで、なるべく長い時間と距離を速く走る。自転車は、ただそれだけが目的のマシンだ。にも関わらず、ヒトはその時々の最新テクノロジーを取り入れ、ひたすらに高速を追及したり安定性を求めたりして、豊かなバリエーションを自転車にもたらした。その歴史は未だ発展途上で、多くの可能性を秘めている。

 歴史を辿ると共に未来への期待が膨らむ、ちょっと変わった技術史の本だ。

【関連記事】

| | コメント (0)

« 2020年2月 | トップページ | 2020年4月 »