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2019年11月 7日 (木)

高野史緒編「21世紀東欧SF・ファンタスチカ傑作選 時間は誰も待ってくれない」東京創元社

「私はこんなに老けて、こんなに孤独で、こんなに疲れて……」
  ――オナ・フランツ「私と犬」

「現実に人間にしてもそうたくさんのタイプがあるわけではありませんよ」
  ――ロクサーナ・ブルンチェアヌ 「女性成功者」

テレビの背面カバーのネジを外そうとしてもつれた配線に指で触れる時、転がった鉛筆を拾おうとベッドの下にもぐり込もうとする時、私たちが姿を現すのは謎の洞窟のなかなのだ。
  ――ミハル・アイヴァス「もうひとつの街」

世界の終わりは日曜日の正午に始まった。
  ――シチェファン・フスリツァ「カウントダウン」

首都の名門銀行の上級顧問、ホートーニン氏は、列車の中で神と出会った。
  ――ゾラン・ジヴコヴィッチ「列車」

【どんな本?】

 東欧のSF作家というと、チェコのカレル・チャペックやポーランドのスタニスワフ・レムが思い浮かぶ。チャペックは大戦間の人だし、レムは冷戦期の人だ。その東欧は1989年のベルリンの壁崩壊以降、大きく変わった。と同時に、冷戦前から受け継いできた文化も再び芽を出し始めている。

 その東欧(とロシア)における、ファンタスチカの概念は広い。序文によると、「SF・ファンタジー・歴史改変小説・幻想文学・ホラー等を包括したジャンル」である。

 50年代アメリカSFを思わせるおおらかなアイデア・ストーリー,ヒネリの利いた短編の佳作,現代の問題を扱う生々しい作品,激動の歴史を感じさせる短編など、バラエティ豊かな東欧ファンタスチカの世界を紹介する、贅沢な作品集。

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2012年版」のベストSF2011海外篇で8位に食い込んだ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2011年9月30日初版。単行本ハードカバー縦一段組み本文約272頁に加え、沼野允義による解説「東欧の『幽霊』には足がある? 見えざる『もう一つのヨーロッパ』の幻想の正体を探る」12頁+編者あとがき5頁。9ポイント43字×19行×272頁=約222,224字、400字詰め原稿用紙で約556枚。文庫なら普通の厚さの一冊分ぐらい。

 お堅い文章を覚悟していたのだが、意外と軽快でノリのいい作品も多い。全般的にサイエンス・フィクションは少なく、ユーモラスな社会批評や幻想的なホラーが中心なので、理科が苦手でも大丈夫。むしろ歴史や地理の知識があると、より深く味わえる作品が多い。

【収録作は?】

  国ごとに1~2頁の解説が。各作品は 日本語著者名 / 日本語作品名 / 著者名 / 作品名 / 訳者 / 初出年 の順。

序文 ツァーリとカイザーの狭間で 高野史緒
<オーストリア>
ヘルムート・W・モンマース / ハーベムス・パーパム(新教皇万歳) / Helmuth W. mommers / Habemus Papam / 識名章喜訳 / 2005
 2866年。ローマ教皇ベテディクト17世死去に伴う教皇選出会議は難航していた。ヴァチカンには179名の枢機卿が集い、既に28回の選挙が行われたが、まだ白い煙はあがらない。人類の宇宙進出に伴い、ローマ・カトリックも宇宙へと版図を広げ、そればかりか…
 宇宙時代のローマ・カトリックはどうなるのか? 1950年代のアメリカSFを思わせる、おおらかながらSFらしい視点でチクリと風刺を利かせた作品。世の中が変わり、ローマ・カトリック信徒の範囲が広がれば、聖職者のメンバーも変わってくる。それも面白いが、敢えて変えない部分も面白かったり。
<ルーマニア>
オナ・フランツ / 私と犬 / Ona Franz / Eu și un cîine / 住谷春也訳 / 2005
 息子を安楽死させた三日後、安楽死禁止法が出た。妻は既に亡く、私は猫と共に一人で暮らし始める。火星で最初のコロニーの建設が始まったとニュースが報じている。医学では、最悪の病気を早期に犬が嗅ぎつける技術が完成した。私は今までどおり仕事を続けた。そして月日は過ぎ…
 髪が抜け始めたオッサンには身に染みる作品。ロボットなどの細部はやや古めかしい感はあるが、それが逆に切ない気分を盛り上げる。老いて何かと利かなくなる自分の体、それに比べて便利になり機能が増える身のまわりの品々。特に不満を持つでもなく、静かに日々の暮らしを続ける一人暮らしの男。犬との淡い交流が、読了後にささやかな余韻を残す。
ロクサーナ・ブルンチェアヌ / 女性成功者 / Roxana Brincoveanu / O femeie de succcess / 住谷春也訳 / 2005
 建築家として華々しく成功した女は、夫を買うことにする。欲しいのは仕事で役に立つロボットじゃない。人生の伴侶だ。大会社の有名モデルじゃ誰かとカブりいかねない。そこで無名の会社を選んだ。テクニカル・チームの細かい質問に答え、何日かして再び訪れると、夫が私に永遠の愛を誓ってくれた。
 これまた1950年代のアメリカSFを思わせる、おおらかなアイデア・ストーリー。加えてこの作品は、かなり高ピーでお喋りな女の語りが巧くハマり、テンポのいい文章に乗せて物語がポンポンと心地よく進んでゆく…と思ったら、こうきたか。このオチもまた、フレドリック・ブラウンや草上仁みたいな味がする。
<ベラルーシ>
アンドレイ・フェダレンカ / ブリャハ / Андрэй Федарэнка / Бляха / 越野剛訳 / 1992
 チェルノブイリ事故のあと、村から人がどんどん出ていく。残ったのは村一番の顔役だった爺さん夫婦、年寄りの准医師、そしてうすのろでろくでなしでのんだくれのブリャハだけ。元顔役の爺さんは、豚の解体を手伝ってくれとブリャハに頼みにきた。
 非SF。チェルノブイリ事故のあと、地元に残った人たちの物語。今更 Google Map で調べたら、チェルノブイリはウクライナ北端でベラルーシの国境近くなんだね。立入禁止地区に「ゾーン」なんてルビがついてると、ストルガツキー兄弟の名作「ストーカー」を思い出すんだが、そういう連中はチェルノブイリにも徘徊してて…。
<チェコ>
ミハル・アイヴァス / もうひとつの街 / Michal Ajvaz / Druhé město / 阿部賢一訳 / 1993, 2005
 私たちの街より古く、だが私たちが何も知らない世界。それは小さなひび割れなどの向こうに広がっている。<私>はその存在に気づき、しるしを求めてプラハの街を探して歩きまわる。その朝、向かったのはポホジェレッツ。しばらくすれば観光客でいっぱいになるだろうが、今は誰もいない。開いているビストロに入ると…
 長編の抜粋。幼いころ、熱を出して寝込んでいた時、天井の木目模様が様々なモノに見えた。そんな感覚が蘇ってくる、不気味な雰囲気に溢れた作品。チャイナ・ミエヴィルの「都市と都市」も二重都市を扱った作品だが、いずれの都市も人間の領分だった。だがこの作品の「街」は、もっと物騒で禍々しい。
<スロヴァキア>
シチェファン・フスリツァ / カウントダウン / Štefan Huslica / Odpo č ítavanie / 木村英明訳 / 2003
 ヨーロッパの十数カ所の原子力発電所が同時に襲われた。犯行グループは民主主義急進派。中国共産党体制に対し、民主主義のために戦争を布告せよ、さもなくば原子炉を爆破する、と。EUは平和的な解決を打診するが、犯行グループは一歩も譲らない。
 今世紀に入ってから中国の経済成長は著しいだけに、発表当時とは作品の印象が大きく変わっているんだろう。だが、中国が共産党の一党独裁なのは変わりないわけで、私たちのオツムは結構いいかげんなモンだと改めて考え込んでしまう。そんな状況で普通の市民に何ができるのか、というと…
シチェファン・フスリツァ / 三つの色 / Štefan Huslica / Tri Farby / 木村英明訳 / 1996
 ハンガリーとスロヴァキアの対立は市民戦争となり、町が戦場に変わった。街角では国連軍や赤十字、そしてCNNを見かける。
 スロヴァキアの国旗は白・赤・青、ハンガリーの国旗は赤・白・緑。なぜ戦争になったのかは語らず、市街の様子を突き放した文体で描いてゆく。「ボスニア内戦」や「セカンドハンドの時代」を読むと、社会ってのは意外と簡単にこういう事態に陥ってしまうような気がしてくる。
<ポーランド>
ミハウ・ストゥドニャレク / 時間は誰も待ってくれない / Michal Studniarek / Czas nie czeka na nikogo / 小椋彩訳 / 2009
 僕が幼いころ、祖父はよく若い頃の話をしてくれた。ワルシャワのシェンナ通りにある、レンガ造りのアパートでの暮らしを。祖父の誕生日に、シェンナのアパートの写真か絵葉書を送ろうと考えた僕は、骨董品店を訪ね歩く。<ヴィエフの店>を紹介された僕は、ハロウィーンの日に彼と待ち合わせ…
 第二次世界大戦でドイツはポーランドを占領、ソ連へと進撃するが、やがてソ連に押し返される。赤軍が目前に迫った時、ポーランド国内軍は蜂起し拳銃と火炎瓶でドイツ軍に立ち向かうが、赤軍は足を止める。国内軍はドイツ軍に蹂躙され、ワルシャワは瓦礫の山と化す(→「ワルシャワ蜂起1944」)。そんなワケで、戦前のワルシャワの写真や絵葉書は、ワルシャワっ子には特別な意味があるのだ。
 ハロウィーンは、日本だとお盆にあたるだろうか。いや季節は全く違うけど、雰囲気的に。東京の下町や広島に住んでいた人なら、より深く味わえる作品だと思う。
<旧東ドイツ>
アンゲラ&カールハインツ・シュタインミュラー / 労働者階級の手にあるインターネット / Angela & Karlheinz Steinmüller / Das Internetz in den Händen der Arbeiterklasse - Ein Begebnis aus dem jahr 1997 / 西塔玲司訳 / 2003
 ヴァルター・アダムチクは東欧崩壊の直前に西へ亡命し、今は遠隔医療の専門家として研究所で働いている。その日、ヴァルターに妙な電子メールが届いた。送信者はヴァルター本人、ただしアドレスは東独の科学アカデミーの研究所。イタズラかと思ったが…
 シュタージ=国家公安局やIM=民間諜報協力者=チクリ屋といった言葉から、東独時代の重苦しい気配が伝わってくると共に、その時代に生きたヴァルターの心には、今も冗談では済ましきれないモノが残っているのがわかる。実は自分のメールアドレスから来る迷惑メールって手口は既にあって(→脅迫スパム)、現実がSFを超えてしまった。ちなみに特撮ファンには嬉しいクスグリもあります。
<ハンガリー>
ダルヴァシ・ラースロー / 盛雲、庭園に隠れる者 / Darvasi László / Sen-Jün, a kertrejtőző / 鵜戸聡訳 / 2002
 千年も続いたと言われる竜たちの戦場を、公の家祖たちは清朝庭園に仕立てた。若き君主は庭園を愛で、自ら草を抜き枝を剪り手入れに勤しんだ。そこに盛雲と名乗る男が訪れてくる。面相は間抜けで体臭はきつい。不遜にもこう述べる。自分は清朝庭園に隠れ、公が一日かけても見つけ出せないだろう。
 編者の解説によると、ハンガリー文学には「中国もの」というサブジャンルがあるとか。確かにちょっと聊斎志異っぽい雰囲気はある。改めて考えると、いい歳こいた野郎二人が、必死になってかくれんぼするってだけの話なんだが、そこまで意地になるかw
<ラトヴィア>
ヤーニス・エインフェルズ / アスコルディーネの愛 ダウガワ河幻想 / Jānis Einfelds / ASKOLDĪNE / 黒沢歩訳 / 2009
 ダウガワ河の川岸に人が集まり、大笑いしている。人の群れをかきわけて川を見ると、不思議な幻が見えた。二本マストの船が大きな波に揺れている。ブリッジやデッキには、酔った水夫や士官がよろめいている。一人、美しい娘がいたが、引き立てられてどこかに閉じ込められてしまった。
 ダウガワ河と美しい娘と船が登場する、メルヘンっぽい話の断片が続く。それぞれの話は少しづつ重なり合い、だが微妙に違っている。どの話もバルト海にそそぐ川に相応しく、冷たく残酷で荒々しい。
<セルビア>
ゾラン・ジヴコヴィッチ / 列車 / Zoran Živković / Voz / 山崎信一訳 / 2005
 銀行で上級顧問を務めるホートーニン氏は、列車のコンパートメントで神と出会った。退役軍人のように見える神は、ホートーニン氏に告げる。「どんな質問にも答える、見返りは求めない」と。
 「神です」には笑ったw 全知全能の存在に対し、何を尋ねるべきか。宇宙の成り立ちやリーマン予想とかカッコつけたいところだが、きっと答えを聞いても私には理解できないだろうなあ。リーマン予想に至っては問題すら理解できないし。やっぱりホートーニン氏みたいな問いになるんだろうけど、なんちゅうオチだw
解説:東欧の「幽霊」には足がある? 見えざる「もう一つのヨーロッパ」の幻想の正体を探る:沼野允義
編者あとがき:高野史緒

 軽妙な「ハーベムス・パーパム」「女性成功者」「列車」や、不気味な「もうひとつの街」は、私のような古いSF者には妙な懐かしさを感じる。「私と犬」の、しみじみとした情感も心地いい。中でも最も気に入ったのは、書名にもなっている「時間は誰も待ってくれない」。東京の下町を舞台にして翻案したら、多くの日本人を泣かせるんじゃなかろか。

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