アン・アプルボーム「グラーグ ソ連集中収容所の歴史」白水社 川上洸訳 2
監獄では収監者がしばしば協力し合い、強者が弱者を助けていたのに、ソ連の収容所ではどの囚人も「自分のことだけしか考えず」、他人を蹴落として収容所の序列のなかでわずかでも高い地位を獲得しようとしていた。
――第17章 生き残り戦略エヴゲーニア・ギーンズブルクもレフ・ラズゴーンもヴァルラーム・シャラーモフもソルジェニーツィンも、いちばん広く読まれた古典的な回想記筆者たちは実質上すべて、時期こそ違うが特権囚だった。
――第17章 生き残り戦略
アン・アプルボーム「グラーグ ソ連集中収容所の歴史」白水社 川上洸訳 1 から続く。
【どんな本?】
「シベリア送り」で有名な、旧ソ連の収容所。それはいつから始まったのか。どんな目的で、どんな所に作ったのか。どんな者が送られ、どの部署が管轄したのか。革命→大テロル→独ソ戦→スターリン死去などの事件は、収容所にどのような影響を与えたのか。そして、収容所内の暮らしはどのようなものだったのか。
有名な「収容所群島」などの文学作品や多数の人々が残した手記と直接の取材、そしてソ連崩壊に伴い公開された文書などをもとに、ソ連の収容所の実態を明らかにする、衝撃のドキュメンタリー。
【はじめに】
全体は3部から成る。
- 第1部 グラーグの起源 1917~39年:収容所の歴史・前半
- 第2部 収容所の生活と労働:収容所の中の暮らし
- 第3部 収容所=産業複合体の盛衰 1940~86年:収容所の歴史・後半
この記事では、「第2部 収容所の生活と労働」を中心に紹介する。当然、悲惨な描写が多いが、「塀の中の懲りない面々」的な面白さもある。
【逮捕】
- 第2部 収容所の生活と労働
- 第7章 逮捕
- 第8章 監獄
- 第9章 移送、到着、選別
- 第10章 収容所での生活
- 第11章 収容所での労働
- 第12章 懲罰と褒章
- 第13章 警備兵
- 第14章 囚人
- 第15章 女性と子ども
- 図版
- 第16章 死にざま
- 第17章 生き残り戦略
- 第18章 反乱と脱走
逮捕したのは、OGPU、後のKGBだ。逮捕の名目は、「その時点で疑惑の対象とされたカテゴリーの住民層」。具体的には…
- トロッキストなどスターリンの政敵
- 1920年代後期の技術者と専門家
- 1931年のクラーク=富農
- 独ソ戦中のポーランド人・バルト人(エストニア・ラトビア・リトアニア)
- 外国人の共産党員
- 外国にコネがある者
- ベーリヤ贔屓のサッカーチーム相手に活躍したサッカー選手
と、偏見丸出しな上に、お偉方の気分次第でもある。終戦後はドイツ軍の捕虜はもちろん、ポーランド国内軍などナチス相手に戦ったレジスタンスも収容所に送ってる。ナチス相手に逆らう気骨のある者は、ソ連共産党にも逆らうだろうって理屈。まあ間違っちゃいないけどね。おまけに占領した東欧諸国の共産主義者もシベリア送りだ。
なお、収容所とは別扱いだが、大戦中にはドサクサに紛れてチェチェン人やクリミア人を強制移住させている。出征しナチス相手に戦った兵士が復員してきたら、村ごとゴッソリ消えてたって話もあった。確か「イワンの戦争」だったかな?
人を属性で決めつけ、具体的な嫌疑もなく逮捕するってのも酷いが、その後の取り調べや裁判も、ご想像のとおり。抗議したところで…
「われわれは無実の者をけっして逮捕しない。かりにあなたが有罪でないとしても、釈放することはできない。そんなことをすれば、無実の人びとをしょっぴいているとみんなが言うだろうから」
――第7章 逮捕
と、連中が自分たちの間違いを認めるはずもなく。こういうのって、どうすりゃいいんだろうねえ。航空機事故の原因究明では、「人の罪を問わない」ことにして回避してるらしいけど。
こういった「政治犯」に加えて、人殺しや泥棒などの刑事犯も収容所に送ってる。これが収容所の暮らしに大きな影を落とすのだが、それは後に。
他に有名な囚人としては、後にロケット開発を主導するセルゲイ・コロリョフ(→「ロシア宇宙開発の巨星の生涯」)や航空機設計者のアンドレーイ・トゥーポレフ(→Wikipedia)がいる。
【監獄】
ソ連、特にチェカーの陰険さは収容所でも徹底していて、「各房にすくなくとも一人の密告者がいる」なんて状態。もっとも、チクリ屋がバレると村八分にされるんだけど。そりゃ嫌われるよなあ。
そんな中でも囚人たちは連絡を取り合おうとする。彼らは独自のモールス信号を開発するのだ。ロシア語のアルファベットを6×5の行列に並べ、壁などを叩く回数で文字を送る。うーん、賢い。
【移送、到着、選別】
収容所への輸送中、多くの囚人が渇き飢えた。警備兵が配るのを面倒くさがったのもあるが、それ以上に嫌がったのが排泄。そこで考え出した対策が「飲み食いしなけりゃ何も出さない」。となりゃ当然、輸送中に多くの者が亡くなり、たどり着いた者も瀕死の状態。森林伐採や鉱山などで働かせようにも、使い物にならない。これだからお役所仕事ってのは←いや問題はソコじゃないだろ
【収容所での生活】
やはり出す話だが、もちろん当時は水洗トイレなんかない。それでも室内に桶がありゃマシで、屋外だと切ない事になる。特に北方の冬、零下30~40℃なんて時にゃ、遠くの便所まで歩くのが億劫だってんで、野郎どもは途中でチョイとつまんで済まそうとする。冬の間は固まってるんだが、春になると…
そんな囚人同士の間でも、派閥ができる。後にはウクライナ・バルト・ポーランドなど民族で固まるんだが、当初「いちばんよく組織されていたのは、刑事囚だった」。中でも人殺しなど凶暴な奴ほど地位が高いから怖い。やがてこういうヤクザどもが房を仕切るようになり、ヤクザの掟が房を支配するようになる。これじゃ更生もヘッタクレもありゃしない。というか、似たような状況はどの国の刑務所でも起きてるんじゃなかろか。
【収容所での労働】
戦後に連行されたドイツ人科学者はロケットを設計していた(「ロケット開発収容所」)。また…
…首都モスクワには囚人が航空機を設計している収容所があり、中部ロシアの収容所の囚人は原発を建設、運営したし、太平洋岸の漁業収容所、南ウズベキスタンの集団農場収容所もあった。
――第11章 収容所での労働
おいおい、原発ってマジかい。まさか生物・化学兵器工場も(→「死神の報復」)…。
食糧の分配や刑期の短縮で囚人を釣るものの、生産高は上がらない。それもそのはず、機械は故障して動かず修理工もいない。技術者だからって専門でもないのに架橋の責任を負わされた囚人もいる。その橋は「最初の出水で流されてしまった」。まあ当然だよね。権限を振りかざすしか能のない奴が権力を握ると、たいていこうなるんだよなあブツブツ…
【懲罰と褒章】
ベーリヤは収容所の規則を細かく定めたが、複雑すぎる上にしょっちゅう変わるんで、結局は収容所長の気分次第となる。おまけに看守も面白半分で嫌がらせするし。手紙や小包のやりとりも制限される上に、看守たちが横領することもある。つまりは無法地帯ですね。
【警備兵】
面白いことに、囚人から看守に成り上がる場合もある。ナフターリイ・フレーンケリに至っては、収容所長になり白海運河建設まで仕切っている。もっとも、大半は無学で「1945年4月現在、グラーグ管理者の3/4近くが初等教育しか受けていなかった」。そんなん仕切る所長も大変だよなあ。
もっとも、中には悪い奴もいて、囚人にワザと脱走をそそのかすのだ。脱走兵を射ち殺せばボーナスと休暇がもらえるから。
逆に親切な看守もいるんだが、全体として統制をとるのに使う手口は、お馴染みのレッテル貼り。
…レッテル貼りは、たんなる無意味な言葉の遊びではなかった。配下の囚人どもを「敵」あるいは「下等人間」と描き出すことで、警備兵はみずからの行為の正当さを再確認したのだ。
――第13章 警備兵
卑劣な奴がやる事は、今も昔も、洋の東西も問わない。
【囚人】
先に書いたように、囚人は大きく分けて政治囚と刑事囚がいる。当初、房を仕切ったのは刑事囚、それも銀行強盗や列車強盗など筋金入りの悪党だ。役人もこれを利用し、刑事囚の配置を工夫して「他の囚人を統制させた」。比較的にまっとうな教育を受けた政治囚たちが、職業的犯罪者と一緒になって戸惑う場面は印象深い。
困ったことに刑事囚の多くは教育がなく、よって手記の類もほとんどない、と著者は嘆いている。記録を残すって、けっこう大事なんだなあ。
そんな刑事囚の派閥に対し、ウクライナやバルト諸国など民族や出身地別の派閥もできてゆく。面白いのは、最大多数であるロシア人の派閥がないこと。どうも派閥ってのは、互いを結びつける外からの圧力がないとできないらしい。
宗教別の派閥もあって、こっちは正教徒派とカトリック派が、互いの祝日に労働を交換して協力しあってたり。共産主義の世界で信仰を守る人ってのは、余程の覚悟がある人なんだろう。
【女性と子ども】
収容所内の女の立場は、まあご想像のとおり。同性愛もあるんだが、受け役の少年は悲惨だ。「彼らはのけ者あつかいにされ、共同のコップで水を飲むことをゆるされず、侮蔑の対象となっていた」。攻め役、守ってやれよ。
子供の環境も酷い。収容所内の仕事は色々ある。保育の仕事は楽なので、「『特権囚』の仕事とされ、職業的犯罪者にわりあてられるのがふつうだった」。こんな連中がマトモに仕事をするはずもなく…
興味深いのが、保育方針が子どもに与える影響。調べたところ、「ものを学習する能力をしめしたのは母親とのなんらかの接触を維持していた一人か二人だけ」というから、乳幼児とのスキンシップは大切なんだろう。
【死にざま】
そんな環境だから、囚人は次々と死んでゆく。飢餓の進行には段階があって…
顔や体を洗わなくなり、椀をまともに持てなくなり、侮辱にたいして人間としてあたりまえの反応を示さなくなった囚人は、最後には飢えのあまり文字どおり発狂した。
――第16章 死にざま
そんな死者に対し、他の囚人は、故人の服や帽子を奪い合うのである。
あんまし死者が多いと当局から目をつけられる。そこで…
死亡率が「高すぎる」と判断されたラグプーンクトの所長たちは処刑されるおそれがあった。(略)そのため、収容所監査官に見つからないよう死体を隠した医師もいたし、死にかけている囚人を早期釈放するのがあたりまえとなっていた収容所もあった。
――第16章 死にざま
きっと、死者は期末の方が多かったんだろうなあ。そうすれば食料をチョロまかせるし。
【生き残り戦略】
そんな地獄で生き残る秘訣の一つは、サボりだ。適当に働くフリをして休むのである。マトモに働く奴は村八分にされたり。その成果は班で水増しされ、収容所で水増しされ、収容所群で水増しされ…と、お決まりの共産主義的な統計数字となる。
もう一つは病院に入ること。中には「左手の指四本を切り落と」したり。統合失調症を装う者もいたが、これを見破る方法は…
ほんものの患者と同じ病室に入れることだった。「いいちばんしたたかなニセ患者までもが、数時間のうちにドアをたたいて、ここから出してくれと言うのだった」。 ――第17章 生き残り戦略
政治囚は立場が弱いが、特技を活かして生き延びる方法もある。娯楽の少ない収容所では、芸が身を助ける。絵を描ける者、彫刻の心得がある者は、作品とひきかえに食料を得た。音楽家はもっと有利で、所長に取り入ることもできる。また多くの政治囚は…
回想記を書いたおどろくほど多数の政治囚たちが(略)自分たちが生き残れたのは「語り」の才能のおかげだったと言っている。
――第17章 生き残り戦略
知っている小説や映画を房のボスに語り、おこぼれにあずかったのだ。人ってのは、生死に関わる時でも物語を求めるんだなあ。
【反乱と脱走】
脱走は難しい。収容所がタイガなど自然環境で隔絶されている上に、町にたどりついても通報される。通報すれば賞金250ルーブルが出るのだ。それでも脱走者はいて、1933年だと脱走者45,755名、うちつかまったのは28,730名。成功率は約4割だから、賭ける価値はあるかな? 特に…
脱走予備軍の圧倒的多数が職業的犯罪者だった(略)。首尾よく大きな町にたどりつくと、地元の犯罪世界のなかにまぎれこみ、証明書を偽造し、隠れ家を見つけることができた。
――第18章 反乱と脱走
と、刑事犯の方が有利だった上に、追う側も刑事囚はテキトーに済ますのに対し、政治囚は「近隣のすべての村落を動員し、国境警備隊の支援を要請」した、というから熱の入れ方が違う。そんなに政治犯が憎いのか。こういう心理は、なんなんだろう?
さて、脱走しても、すぐに食料が尽きる。そこで、刑事囚たちは、例えば二人で脱走する際は、三人目も誘う。なぜかって? 自分で歩く食糧って、便利だよね。
【おわりに】
などの収容所も、バルバロッサ作戦の発動と共に大きな変化が訪れる。それについては、次の記事で。
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