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2019年11月21日 (木)

デニス・E・テイラー「シンギュラリティ・トラップ」ハヤカワ文庫SF 金子浩訳

「シリラがベイビーロックで探知した異常物を掘りだそうとしたんです。バスケットボールくらいの小さな物体です。プリチャードがそれを拾いあげようとして手をのばしたら、それからなにかが飛びだしてきて彼の右腕を包みこんだんです」
  ――p82

「…彼はいったい、なにを必要としているのかしら?」
  ――p187

「…肝心なのは、きみがいまもきみだっていうことだ」
  ――p215

意見は過大評価されている。意見を持つのは傍観者だ。傍観者にすぎない観客は意見を持つ。プレーヤーは決断をくだし、結果に責任を持つのだ。
  ――p334

「…どうして銀河系内に文明を発見できないのか、というのが、地球外文明の数を推定するドレイク方程式にまつわる長年の大問題でした」
  ――p398

「…軍事的解決策の問題は、道徳権利を有するほうではなく、また万全の策があるほうでもなく、強大なほうが好んで採用することだ」
  ――p464

【どんな本?】

 銀河系宇宙を舞台とした本格スペース・オペラ「われらはレギオン」で話題を呼んだカナダの新鋭SF作家デニス・E・テイラーによる、期待の新作長編SF。

 アイヴァン・プリチャードはコンピュータ技術者だ。妻と二人の子がいるが、暮らし向きは悪くなる一方。そこで一発逆転を狙ったプリチャードは、有り金をはたいて小惑星探鉱船<マッド・アストラ>に乗り込む。しばらくは家族と会えないが、資源の豊富な小惑星を見つければ大儲けできるはず。

 ところが<マッド・アストラ>、最近は空振りが続いて台所は身売り寸前の悲惨な状態。加えて今回も最初の探索は空振りに終わった。仕方なく延長戦に入ったところで、大当たりを引き当てる。はいいが、とんでもないオマケがついてきた。小惑星のすぐそばにあった岩塊をプリチャードがつついたところ、岩塊から飛び出した何者かが…

 人類の存亡がかかったファースト・コンタクトをユーモアたっぷりに描く、本格SF長編。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Singularity Trap, by Dennis E. Taylor, 2018。日本語版は2019年10月25日発行。文庫本で縦一段組み本文約496頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント41字×18行×4996頁=約366,048字、400字詰め原稿用紙で約916枚。文庫の上下巻でもいい分量。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。一応、天文学や物理学関係でソレナリの仕掛けが出てくるが、分からなかったら「なんかソレっぽいことを言ってるな」程度に解釈しておこう。

【感想は?】

 スペース・オペラには、大きく分けて二種類がある。光速を超えるものと、超えないものだ。

 一般に光速を超える作品はストーリーやキャラクターを重んじるもので、超えないものは科学的な整合性を重視する作品が多い。前者の代表が「スタートレック」や「星界の紋章」で、後者の代表は「火星の人」や「航空宇宙軍史」だろう。

 本書は、光速を超えない。となると、堅苦しい作品のように思うかもしれないが、とんでもない。著者の本邦初登場シリーズの「われらはレギオン」も、敢えて光速の制約を受け入れることで、ボブたちの「戦い」に緊張をもたらした。

 本作の前半では、カッチリした技術的なディテールが楽しい。地球の重力井戸から這い出す<スリング>の描写も、現代の力任せな化学燃料ではなく、費用対効果の高い方法を採っている事が伺える。たぶん磁気カタパルトだろうなあ。それでも宇宙では空間そのものが貴重なので、宿泊施設はアレだったり。そんなもん、なぜ著者は知ってるんだ?

 こういう、技術だけじゃなく経済面も考えているあたりが、21世紀SFらしいリアリティを感じさせてくれると共に、「案外と宇宙時代はすぐソコに来てるのかもね」的な高揚感を与えてくれる。と同時に、「でも、君が考えてるほどロマンチックじゃないよ」と釘をさすのも忘れない。窓とかスポンジとかスピン方向とか、そーゆー小技がスレたSF者には心地いいのだ。

 本作の舞台は、近未来だ。小惑星の採鉱は、民間企業に任されている。しかも、主人公プリチャードが乗り込む探鉱船<マッド・アストラ>は、大企業の所属じゃない。船長ジェニングスの持ち船だ。こういった所は、資本主義を信じ挑戦と起業を美徳とする、北米人らしいバランス感覚だろう。

 と同時に、本作の舞台裏にある人類社会の、技術的・政治的背景も巧みに仄めかす。プリチャードが乗り込むのに、株を買い入れるあたりは、「大航宙時代」を連想してニヤリとしたり。この世界が持つ、活気あふれるフロンティアの香りが漂ってくる。

 などと、科学的な細部はキッチリ書き込みつつも、本作は決して堅苦しくない。何より、いきなり冒頭で大風呂敷を広げてくれる。かの傑作「2001年宇宙の旅」や、SFマニア歓喜の「サターン・デッドヒート」を思い起こさせる、宇宙SFの王道展開だ。遠い遠い昔、知的種族が太陽系に飛来し、「道しるべ」を仕掛け、去っていった…。そう、これは先人の偉大な傑作に真正面から挑む、大いなる野心作なのだ。

 こういった底に流れる明るさは、プリチャードに変化が訪れる中盤以降で、更に勢いを増す。いや肝心のプリチャードは常識じゃ考えられない異常な状況にキョドりまくりなんだが、読んでる私たちは「どんな御利益があるのかな?」と妙な期待に胸がワクワクしちゃったり。ほんとゴメン、プリチャード。

 もっとも、単に明るいだけじゃ済まないのも、中盤以降の展開で。謎のエイリアンの目論見もそうだが、それより地球の事情がいささか不穏なのだ。温暖化は悪化し、世界は二陣営で睨み合っている。プリチャードの噂で暴動が頻発する場面でも、科学とテクノロジーを愛する著者らしい世界観が覗けて「やっぱり」と思ったり。この人、きっと「インディペンデンスデイ」も好きだろ。

 そして、終盤では、ファーストコンタクト物に付き物の大きな壁「ドレイクの方程式(→Wikipedia)」と「フェルミのパラドックス(→Wikipedia)」をめぐる問題に真っ向から立ち向かい、今世紀のSFに相応しい新たな解を提示してくれる。

 もちろん、スタートレックにはじまり2001年などのイースター・エッグも随所に仕込んであり、マニアを喜ばせるトラップには事欠かない。ばかりでなく、終盤での頭脳戦では、人類の命運をかけた大博打を打ちつつ、それに相応しい壮大なビジュアルが展開する。

 お得意のクセのあるユーモラスな会話は健在で、細かく章を分けた構成もスピード感があって親しみやすい。そして何より、本格SFの醍醐味ファースト・コンタクトに本腰を入れて挑んだのが嬉しい。最新の知見を折り込みつつも、SFの楽しさをギッシリ詰めこんだ、今世紀ならではの太陽系スペース・オペラだ。

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【どうでもいい話】

 たぶん次の記事はしばらく間が開きます。かなり歯ごたえのある本なんで。

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