アン・アプルボーム「グラーグ ソ連集中収容所の歴史」白水社 川上洸訳 3
…強制移住させられた民族は公式文書から抹殺され、『ソヴィエト大百科事典』からさえも末梢された。当局は彼らの故郷の地を地図から消し去り、チェチェン・イングーシ自治共和国、ヴォルガ・ドイツ人自治共和国、カバルジノ・バルカール自治共和国、カラチャーイ自治州を廃止した。
――第20章 「よそ者」たち東ドイツの収容所の入所者の大半は、ナチ高官や札つきの戦争犯罪人ではなかった。そのたぐいの囚人は(略)ソヴィエトの捕虜収容所またはグラーグへ入れられた。
「スペツラーゲリ」は(略)ドイツ・ブルジョアジーの背骨をへし折ることを目的にした。その結果、(略)裁判官、弁護士、企業家、実業家、医師、ジャーナリストらが収監されることになった。
――第21章 恩赦 そしてそのあとで1953年に党中央委員会の命令で実施されたもう一つの監査は、収容所の維持費が囚人労働から得られたすべての利潤を上回っていることを明らかにした。
――第22章 収容所=産業複合体の絶頂期政治囚の数もスターリン時代よりずっと少なかった。1970年代半ばのアムネスティ・インターナショナルの推定によれば、ソ連の囚人100万人のうち政治的判決を受けたのは1万名以下で…
――第25章 雪どけ そして釈放「私たちは彼らを暴露したり、裁判にかけたり、断罪したりしなかった……そういう質問をするだけで、われわれ一人ひとりが愛する誰かを裏切るリスクを冒すことになるのだ」
――エピローグ 記憶これらの数字を合算すると、ソ連における強制労働者の犠牲者は2870万人になる。
――補説 犠牲者の数は?
アン・アプルボーム「グラーグ ソ連集中収容所の歴史」白水社 川上洸訳 2 から続く。
【どんな本?】
- 第3部 収容所=産業複合体の盛衰 1940~86年
- 第19章 戦争勃発
- 第20章 「よそ者」たち
- 第21章 恩赦 そしてそのあとで
- 第22章 収容所=産業複合体の絶頂期
- 第23章 スターリンの死
- 第24章 ゼークたちの革命
- 第25章 雪どけ そして釈放
- 第26章 異論派の時代
- 第27章 1980年代 銅像のうちこわし
- エピローグ 記憶
- 補説 犠牲者の数は?
- 訳者あとがき/文献・出典一覧/主要人名索引
アレクサーンドル・ソルジェニーツィンの「イヴァーン・デニーッソヴィチの一日」で一躍有名となり、西側諸国にもその冷酷かつ悲惨な実体が明らかになったソ連の収容所。それはどのように始まり、どのように変わっていったのか。革命→スターリンの君臨→独ソ戦→東欧吸収→スターリン死去→フルシチョーフによるスターリン批判→アンドローポフの締め付けなど政治情勢の変化は、グラーグにどんな影響を及ぼしたのか。
文学作品や手記そして直接の取材はもちろん、ソ連崩壊に伴い公開された資料も漁り、集中収容所の全貌を明らかにする衝撃のノンフィクション。
【はじめに】
全体は3部から成る。
- 第1部 グラーグの起源 1917~39年:収容所の歴史・前半
- 第2部 収容所の生活と労働:収容所の中の暮らし
- 第3部 収容所=産業複合体の盛衰 1940~86年:収容所の歴史・後半
この記事では、「第3部 収容所=産業複合体の盛衰 1940~86年」を中心に紹介する。つまり独ソ戦以降ですね。
【戦争勃発】
ただでさえ苛烈な収容所の環境は、独ソ戦勃発で更に悪化する。食糧をはじめとする物品の補給が滞った上に、逮捕対象のカテゴリーが広がって入所者が増え、政治囚の刑期が伸びた。つまり入ってくる囚人は増えたが、出ていく囚人は減る。当然、ただでさえ過密な収容所にさらに囚人を詰め込んだというのに、配分すべき物品は減り、作業ノルマは増える。
おまけに西部の収容所は急いで引っ越しだ。囚人の移送が間に合わない? 刑事囚は釈放していい、だが政治囚は始末しておけ。前の記事にも書いたけど、政治囚に対する冷酷さと憎しみは、なんなんだろうね。その結果…
…二百万を優に超える人びとが戦時中にグラーグの収容所とコロニーで死んだ。
――第19章 戦争勃発
アウシュヴィッツのユダヤ人収容所を見つけたソ連は、解放者として盛んにそれを宣伝したけど、似たような真似を自分たちもやっていたのだ。
【「よそ者」たち】
1939年のソ連によるポーランド侵攻やバルト三国占領などで、ソ連国内には異邦人が増える。彼らに加え、もともとスターリンの気に入らなかった民族も、戦争を言い訳に弾圧を加える。強制移住だ。
その対象は様々なカフカース人、クリミア・タタール人、メスヘト・トルコ人、クルド人、ヘムシル人、ブルガリア人、ギリシャ人、アルメニア人などだ。その理屈も無茶苦茶である。
…ヴォルガ・ドイツ人(→Wikipedia)の誰ひとりとして、そのような多数の破壊工作員およびスパイ(略)をソヴィエト当局に通報していない。すなわちヴォルガのドイツ人住民は(略)敵を自分らのあいだに隠匿している。
――第20章 「よそ者」たち
通報がないから、みんなグルにちがいないって、言いがかりにもほどがある。
加えて、戦争が進むに従い、敵国の捕虜もこれに加わる。ドイツ人捕虜の惨状は「ベルリン陥落」に詳しい。もっとも、捕虜の扱いはドイツ軍も似たようなモンだけど(「スターリングラード」)。もちろん、多くの日本人も捕虜になってます(→Wikipedia)。
ドイツに対し反旗を翻したポーランド国内軍(「ワルシャワ蜂起」)まで流刑にしてるんだから、その目的は対独戦とは関係ないのがわかるだろう。この手の連中は、国家存亡の危機すら、都合の悪いやつを強引に叩き潰す機会として利用するのだ。たとえそれが戦争遂行に不利になるとしても。連中にとって最も大事なのは自分の権力維持であって、国家の利害は二の次でしかない。
そんな捕虜や強制移住者たちが追いやられたのは、もちろん何もない荒野である。そして今もロシアはクリミアやチェチェンを牛耳り、ウクライナも東部に居座ろうとしているんだから、たいした鉄面皮だよなあ。
【恩赦 そしてそのあとで】
とはいえ、戦争中は兵隊が足りない。そこで、政治囚と重い刑事犯を除き、恩赦となる。ったって、行先は悪名高い懲罰大隊(→Wikipedia)だけど。
ポーランド人にも恩赦が与えられる。ヴワディスワフ・アンデルス将軍が率いるポーランド軍師団を結成するためだ。とはいえ、ソ連は補給も移動手段も与えない。結局、アンデルス将軍はイラン経由で欧州戦線に参加、モンテ・カッシーノ攻略(→Wikipedia)で勇猛果敢の名をはせるんだから、歴史ってのはわからない。加えて、彼らの生き残りの証言は、後に西側諸国にグラーグの実態を知らしめてゆく。
このグラーグ制度は後に中国に輸出され、今でも北朝鮮で盛んに利用されている。
【収容所=産業複合体の絶頂期】
戦後も恩赦は続く。政治囚でない女も恩赦の対象となる。というのも、孤児がやたらと増え、それが浮浪児や愚連隊となったからだ。「イワンの戦争」にも「連隊の子供」が出てきたけど、子供こそが戦争の最大の被害者だよなあ。これを扱った「廃墟に生きる戦争孤児たち」も凄い迫力です。
収容所の管轄も大きく変わる。というのも、NKVDがMGB(後のKGB)と内務省=MVDに別れ、収容所はMVDの管轄となったからだ。それまでに釈放された元囚人も、1948年に再逮捕の波が来る。秘密警察はアルファベット順に逮捕したというから、律義というか間抜けというか。
この騒ぎは、収容所に大きな変化を起こす。それまでの政治囚は大人しかったが、今度の政治囚の多くは戦場帰りである。ヤクザ共を返り討ちにし、癒着した看守たちにだって歯向かう。この辺は、読んでて気分がよかった。
【スターリンの死】
しまいにはユダヤ人の収容所送りまで目論んでいたスターリンだが、1953年3月にお陀仏となる。後を継いだベーリヤは果敢に改革を進め、複数の運河計画など無謀な土木工事を取りやめる。中には「サハリーンへの海底トンネル」なんてのもあったから驚きだ。収容所も100万人以上を恩赦とする…が、フルシチョーフによってあえなく塀の中へ。諸行無常ですなあ。
【ゼークたちの革命】
そのフルシチョーフ、スターリン告発などで路線を大幅に変更、「雪どけ」と呼ばれる方向へ向かう。この頃、収容所は幾つかの民族系派閥が力をつけている。ウクライナ人、バルト人、ポーランド人などだ。いずれも元は筋金入りのパルチザンで、一筋縄じゃいかない。チクリ屋は一掃され、しまいには大規模ストライキへと発展する。
ただしこのストライキ、MVDの画策だって話もあるから闇が深い。雪どけが進み収容所が閉鎖になったら、失業しちゃうからね。結局、最後は戦車T-34まで投入して鎮圧するんだけど。天安門事件かい。
【雪どけ そして釈放】
54年6月に実施されたグラーグ財政についての再度の調査は、多額の国庫補助金を受けていること、とりわけ警備の費用が財政を赤字にしていることを改めてしめした。
――第25章 雪どけ そして釈放
MVDが懸念したのも当然で、つまりは赤字だったのだ、収容所は。ここでMVDは改革を進めようとし、KGBは骨抜きにしようとする。KGBの体質がよく分かるね。
駆け引きのためか、恩赦は進むが元囚人の名誉回復は進まない。その理屈が凄い。
もし一挙に全員無実と宣言したら、「この国が合法的な政府ではなく、ギャング団によって動かされていたことが明らかになってしまう」
――第25章 雪どけ そして釈放
「俺たちがギャングだとバレたら困る」ってわけだ。ちなみに戦中と冷戦時の国際会議におけるソ連代表団の素行の悪さは有名で、パリのホテルじゃ備品がゴッソリ消えたとか。フランス外交部は、次の舞台となるロンドンのイギリス外交部にその由を警告したって話をどっかで読んだ。
フルシチョフの演説は上層部しか知らないが、知人だった囚人が戻ってくれば民衆も雪どけを実感する。もっとも、彼らをチクった連中は居心地の悪い思いをする羽目になるんだが。なお、収容所は釈放に当たって「中であったことを言いふらすな」との文書に署名を求めている。どんだけ往生際が悪いんだか。
そこに爆弾がさく裂する。アレクサーンドル・ソルジェニーツィンの「イヴァーン・デニーッソヴィチの一日」だ。元囚人による感想は、「戦地の図書館」冒頭に出てくる海兵隊員の手紙に匹敵する極上のファンレターだ。
「涙で顔がぐしゃぐしゃになりましたが、私はそれを拭きませんでした。雑誌のわずかなページに込められたこれらのいっさいが私のもの、私自身が収容所で過ごした15年の毎日毎日身をもってあじわったものだったからです」
――第25章 雪どけ そして釈放
【異論派の時代】
1950年代末から、新たなタイプの囚人が出現する。「異論派」だ。人権活動家たちの多くがスターリンの犠牲者の子弟ってのが興味深い。そりゃ体勢に反感を持つよ。
中には変わったのもいる。ロシア正教会の古い儀式を守る古儀式派だ。1919年に北部ウラルの原生林に住み着き、「KGBのヘリコプターが50年後に発見するまでそこで完全に秘密に生活していた」。同じころアメリカで流行ったヒッピーのコミューンとは、覚悟も年期も違う。
古儀式派は例外として、新しい時代の政治囚たちは、「自分がなぜ逮捕されたのかを知って」いるのが、かつての政治囚との大きな違い。しかも、彼らは準備ができていいた。
というのも、「物語創世」にも出てきた地下出版「サミズダート」が発達していたため。中でも「時事クロニクル」は、人権侵害・逮捕・裁判・デモ・新刊サミズダートを扱い、「スターリン後のソヴィエト収容所の生活についての主要情報源」へと成長する。
「時事クロニクル」は西側にも漏れ、風当たりが強くなる。これに対するKGBの対策が古典的だ。異論派を精神病者に仕立て上げ、MVD直轄の病院に閉じ込めるのだ。奴らは変わらないなあ。
この章にはもう一つ、面白い挿話がある。
1991年、国外追放されていたヴラジーミル・ブコーフスキイが里帰りする。時のロシア大統領エーリツィンは共産党の禁止を求め、反発する共産党は裁判に持ち込んだ。ブコーフスキーは憲法裁判所にハンドスキャナーとラップトップ・パソコンを持ち込み、堂々と証拠書類のコピーを始める。ロシアじゃ誰もパソコンやハンドスキャナーなんか知らないと踏んだのだ。
彼の目論見は見事に当たり、バレたのは完了間近。ブコーフスキイはまっすく空港に向かい、ロシアから逃げましたとさ。なんつーか、ロシアになっても、まず隠そうとする体質は変わってないんだなあ。
【1980年代 銅像のうちこわし】
どころか、明らかに逆方向に向かうだろう、と思うのが、フルシチョーフ路線からの逆走を始めたアンドローポフの経歴が…
1956年にブダペスト駐在のソ連大使だった彼(アンドローポフ)は、知識人の運動があっという間に民衆革命に転化するようすをまのあたりにした。
――第27章 1980年代 銅像のうちこわし
現ロシア大統領のプーチンも、元KGBで、1989年に東ドイツでベルリンの壁崩壊を体験してるんだよなあ。
さて、1980年代の収容所で、政治囚は刑事囚と隔離されている。お陰で収容所は「一種のネットワークづくりのための施設」になった。アラブの刑務所と同じだね(「倒壊する巨塔」,「ブラック・フラッグス」)。ここで若い異論派は、第二次世界大戦の古強者たちと出会い、交流を深めていくのである。
そしてゴルバチョーフが登場し、市民の間でも新しい動きが現れる。「レーニンの墓」にも出てきた、メモリアール協会だ。メモリアールは、「収容所生存者からの聞き書きを収集していた」。ほんと、事実の記録を残すってのは大切だよね。そして…
ゴルバーチョフは1986年末、ソヴィエトの政治囚全員の全面的釈放を決定した。
――第27章 1980年代 銅像のうちこわし
【記憶】
過去に光を当てようとする動きに対し、元ソ連の人々の反応は様々だ。ロシア人は「昔のことを掘り返すな」、沈黙、そして「もっと知りたい」。リトアニアは追悼施設を、ラトヴィアは占領博物館を、ハンガリーもドイツ占領とソ連時代をいっしょに展示する博物館を開く。対してベラルーシは虐殺跡地を道路にしようとする。わかりやすいね。
そして肝心のロシアは…
ロシアは弾圧の歴史をあつかった国立博物館をもっていない。ロシアは国立の慰霊場所、犠牲者とその家族の苦しみを公式にみとめるモニュメントももっていない。
――エピローグ 記憶
この点については、日本もロシアを責める資格はないだろう。なにせ特高や憲兵の弾圧を記録し国民に示す国立博物館を持たない。犠牲者の慰霊碑もない。そもそも、この本「グラーグ」に該当するような、特高や憲兵の弾圧を手記から統計まで広く含めた本すら、まず見当たらない。もしご存知なら、ぜひ教えてください。
【おわりに】
権力が暴走するとどうなるのか、言論弾圧の向こうに何があるのか、自らの間違いを隠すため役人がどこまでやるのか。そんな真面目な意味でも面白かったし、刑事囚と政治囚の関係などは下世話な野次馬根性で楽しかった。分量は多くてちょっと尻込みしたくなる本だが、書かれているエピソードは「まとめブログ」記事が余裕で三桁書けるぐらいの濃いネタがギッシリ詰まってる。やっぱりソ連・東欧物ドキュメンタアリーは刺激的な本が多いなあ。
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【つぶやき】
悪役令嬢をきっかけに、「小説家になろう」にハマった。今、読んでるのは、「異世界のんびり素材採取生活」と「ラスボス、やめてみた ~主人公に倒されたふりして自由に生きてみた~」。ポンポンとハイテンポでストーリーが進んでいくのが心地いい。