藤井青銅「『日本の伝統』の正体」柏書房
「日本の伝統」はいつ、いかにして創られ、日本人はどのようにしてそれをありがたがり、受け入れてきたのか? そこにいくつかのパターンがあることがわかりました。
――まえがき 「これが日本の伝統」は、本当か?伝統というものは、朝廷に淵源を求めたがるものなのだ
――正月は「伝統」を作りやすい七世紀に、喪服は白だった。
――喪服の色に、白黒をつける肉食が一般的になるのは、文明開化の明治以降だ。誰でも知っている。なのに、近江牛や但馬牛といった、いかにも古い名前のブランド和牛があるのはどういうわけだ?
――旧国名の伝統感当時(明治20年代、19世紀末)、政治的意見を言えばすぐに弾圧される世の中だった。そこで、「これは演説ではなく歌ですよ」という形で民衆の不満を歌った…
――演歌は「日本人の心の歌」なのか?
【どんな本?】
初詣、七五三、お花見。いずれも日本の伝統行事だとみんな思っている。伝統とはいえ、何にだって始まりはある。では、それらは、いつ、どのように始まったんだろう? 古典落語や相撲や演歌などの芸能はどうなんだろう?
これらの中には、葵祭のように実際に古いものもあれば、恵方巻のように新しいものもある。だけでなく、比較的に新しいものには、幾つかのパターンがある事が見えてくる。
伝統行事・伝統芸能・ご当地名物などの由来を調べ、私たちの身の回りにある行事やモノゴトの歴史を探り、意外な事実を明らかにする、一般向けの歴史雑学本。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2017年12月10日第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約215頁に加え、あとがき3頁に充実したフラフと表がつく。9ポイント40字×17行×215頁=約146,200字、400字詰め原稿用紙で約366枚。文庫本なら薄めの一冊分。
文章はこなれていて親しみやすく読みやすい。内容も分かりやすい。奈良→平安→鎌倉→南北朝→室町→戦国→江戸…程度に日本の歴史を知っていれば、充分に楽しめる。
【構成は?】
それぞれ3~6頁の独立したコラムになっている。気になった所だけをつまみ食いしてもいい。
- まえがき 「これが日本の伝統」は、本当か?
- 第1章 季節にすり寄る「伝統」
- 日本人はいつから初詣をしているのか?
- 正月は「伝統」を作りやすい
- 大安や仏滅は禁止?
- お中元・お歳暮・七五三に共通するもの
- 夏の鰻はいつからか?
- 恵方巻のもやもや感
- バレンタインデーが作ったもの
- 第2章 家庭の中の「伝統」
- 古式ゆかしい神前結婚式?
- 夫婦同姓は伝統か?
- 良妻賢母と専業主婦
- サザエさんファミリー型幻想(三世代同居)
- おふくろの味は「伝統の味」か?
- 夏の郷愁・蚊取り線香
- 正座は正しい座り方なのか?
- 喪服の色に、白黒をつける
- 告別式は葬式か?
- 第3章 「江戸っぽい」と「京都マジック」
- 「江戸しぐさ」はいつから?
- 「古典落語」はいつから古典になったのか?
- 忍者はいたのか?
- 「都をどり」の京都マジック
- 千枚漬けと「京都三大漬物」
- 「万願寺とうがらし」の堂々とした伝統感
- 旧国名の伝統感
- 第4章 「国」が先か?「伝統」が先か?
- 元号は、結構いいかげんだ
- 皇紀はいつから?
- 相撲は日本の国技か?
- 桜はパッと散るから美しい?
- 「錦の御旗」の曖昧な伝統感
- 「鎖国」は祖法なり!
- 第5章 「神社仏閣」と「祭り」と「郷土芸能」
- 京都三大祭りの「時代祭」
- 古くて新しい神社
- 御朱印帳の伝統
- 民謡「〇〇音頭」
- 民謡「〇〇節」
- 津軽三味線のパッション
- 「よさこい」と「ソーラン」の関係
- 第6章 外国が「伝統」を創る
- 日本は東洋なのだろうか?
- 武士道はあったのか?
- 演歌は「日本人の心の歌」なのか?
- 木彫りの熊とけん玉
- マトリョーシカとアロハシャツ
- あとがき 「これが日本の伝統」に乗っかかるのは、楽チンだ
- 一目でわかる「伝統の長さ」棒グラフ
- 年表「日本の伝統」
- 主な参考文献
【感想は?】
うわ、もったいない。
あ、いや、中身はとっても面白いのだ。じゃ何がもったいないのかというと、売り方とか味付けとか、そういうところで。
書名から伝わってくるように、「伝統」に疑問を呈する、そんな感じの売り方だ。勘違いした右派を揶揄する雰囲気が強く漂っていて、左派にウケそうな本に見える。
実際、コラムなどでは、そういう姿勢も滲み出ている。が、この本が本当に面白いのは、ソコじゃない。
何が面白いと言って、これ、文化史とか産業史とか技術史とか風俗史とか、そういう面でやたら面白いのだ。つまり「教科書とは違った切り口で見る歴史」として面白い。私の好きな本だと、「50 いまの経済をつくったモノ」とか「完璧な赤」とか「キッチンの歴史」とか、あと忘れちゃいけない「戦争の世界史」とか、そういうのが好きな人にウケる本だ。
…などと並べてみたけど、いずれの本もマニアにしか売れそうにないなあ←出版社の皆さんごめんなさい いや私は好きなんだけどね。ただ、政治的な姿勢を、しかもあざ笑う態度で露わにして、右派にソッポを向かれるのは、本当にもったいない。むしろ、右派にこそ届けるべき本だろうし。
まあ、それぞれのコラムは短いので、例に挙げた本に比べると、やや食い足りない感はある。が、だからこそ、とっつきやすいし、次々と目新しい話題が出てくるので、読んでいて飽きない。おまけに、それぞれのコラムは独立しているので、忙しい人は少ない空き時間で興味がある所だけ拾い読みもできる。そうやって人を惹きつけて、やがては民俗史の泥沼に←をい
とっつきやすいとはいえ、けっこうキチンと調べてあるし、目の付け所も「鋭い」と感心する所も多い。例えば「お中元」。ここで「中元というくらいだから上元と下元もありそうだ」とくる。言われてみれば、確かにそうだ。私たちは、こういう言葉を「そういうものだ」と深く考えずに使っているけど、ソコには何かしら意味なり由来なりがあるのだ。
バレンタインデーのチョコレートが菓子業界の仕掛けなのは皆さんご存知の通り。改めて考えればチョコレート、というかカカオの原産は中央アメリカで(→Wikipedia)、巷で言われる3世紀の聖ウァレンティヌス(→Wikipedia)とは結びつきようがないw にしても「サンジョルディの日」は当たらなかったのか。残念。
やはり「言われてみれば」なのが蚊取り線香。原料の除虫菊(→Wikipedia)の原産がバルカン半島ってのも驚きだが、それを線香にして、しかも火の持ちがいい渦巻き型に改良したのが1895年(明治28年、→Wikipedia)あたりは、見事な工夫だ。
この辺まで読むと、明治時代の日本の起業家精神の旺盛さにほとほと感心する。間違いなく、あの頃は日本にもフロンティア・スピリットが溢れていたんだなあ、と思う。もっとも、失敗した事業は残っていない、つまり生存者バイアスが入っているわけで、詳しく見ていけば死屍累々なんだろうけど。
とかの本論に加え、ついでに書かれたトリビアも楽しい。例えば、演歌の話だと…
戦後はジャズがブームになっている。もっとも外国の音楽はみんな「ジャズ」で、その中にはラテン、ハワイアン、タンゴ、シャンソン、カントリー、ヨーデル……など、なんでも含む。
――演歌は「日本人の心の歌」なのか?
なんて、衝撃的な文章がある。つまり、戦前や戦後の人が言う「ジャズ」は、「Jazz」じゃないのだ。もっと広い意味で、西洋、特にアメリカから入ってきたポップ・ミュージックは、みんな「ジャズ」らしい。がび~ん。こういった西洋かぶれの流行歌に対抗して出来たのが演歌という概念で、それを最初に押し出したのが藤圭子、あの宇多田ヒカルのお母さんだとか。親子そろって音楽の新しい境地を切り開いてるんだから凄い。
加えて、青江三奈・八代亜紀・前川清・美空ひばり、いずれもデビュー前は「ジャズやオールディーズを歌い」って、マジかい。
すんません、つい自分の趣味に走ってしまった。音楽じゃ津軽三味線の歴史も楽しくて、やっぱアレは野外で演じ聴くものだったり。それと落語の江戸と上方の違いも、実はルーツがブツブツ…
などと、私たちが暮らしの中で馴染んだモノゴトの起源を探り、教科書には出てこない日本史の意外な一面を集め、「こういう歴史の捉え方もあるんだよ」と教えてくれる本だ。そういう意味では、歴史が好きな人より、「歴史の何が面白いの?」なんて言っちゃう人にこそ向く本かもしれない。
【関連記事】
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