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2019年10月17日 (木)

コリン・エヴァンス「不完全犯罪ファイル 科学が暴いた100の難事件」明石書店 藤田真利子訳

本書は、現代の犯罪捜査における科学の役割を確立するのに重要な役割を果たした百件の犯罪を世界中から集め、事件の簡潔で正確な要約を通して科学捜査の進歩の跡をたどろうとするものである。
  ――序文

死体を発見したら、三つの質問に答えなければならない。被害者は誰か? 死後どの程度の時間が経過したか? 何が原因で死んだのか?
  ――2 死因

刑務所は「完全殺人」を犯した人々でいっぱいである。
  ――2 死因

爆弾のかなりの部分は爆発後もそのまま残っている。
  ――5 爆発物と火事

一人一人の指紋が違うということは、古代中国やバビロニア文明の時代から知られていた…
  ――6 指紋

指紋の耐久性についてはよく知られている。エジプトのミイラからも、無傷の指紋が見つかっている。
  ――6 指紋

人体の組織のうちで死後も変質しにくいのが歯だ。
  ――8 法医学

殺人事件の犠牲者の大半は顔見知りによって殺害されている…
  ――10 死体の個人識別

血清学の進歩によって今や三百種類の血液型識別法が可能になっている
  ――11 血清学

人が死んでからどれくらい時間がたっているかを知る伝統的な指標は、死後硬直、死斑(または血液沈滞)、死体の体温の三つである。(略)このうちのどれを根拠にしても、確実な死亡時刻は割り出せない。この三つは、周囲の温度、身体の状態、運動、酒、薬など、様々な要素によって早くなったり遅くなったりする。
  ――12 死亡時刻

17世紀までには、裕福な家ではプロの毒殺者を雇うのが日常茶飯事になっていたし、お家騒動を落着させるためにヨーロッパの王室が毒殺者を使うことも珍しくなかった。
  ――13 毒物学

1989年には、合衆国で18,954件の殺人事件があったが、その中で毒物を用いたケースはわずか28件だった。
  ――13 毒物学

中性子放射化合分析(NAA,→Wikipedia)とは、試料を(略)原子炉に挿入して、中性子で衝撃を与え、放射性にする(略)。放射性原子が崩壊する速度を計ることによって、試料に含まれる微量元素を識別することができる。
  ――14 痕跡証拠

【どんな本?】

 犯罪の捜査で物的証拠を掴むには、その時々の最新の科学が動員される。最も王道とされるのは指紋だろう。70年代のミステリでは血液型が多く登場したが、今はDNA鑑定にその座を譲った。最近では、ごくわずかな繊維でも重要な証拠となる。

 本書は、弾道学・毒物・犯罪心理分析・声紋などの技術ごとに、18世紀半ばから1990年代初頭までの事件を例に、それぞれの技術に何が出来るか・どのように発達したか・どう捜査で使われ法廷で認められるようになったかを示し、科学捜査の進歩と発達の歴史を辿ってゆく。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Casebook of Forensic Detection : How Science Solved 100 of the World's Most Baffling Crimes, by Colin Evans, 1996。日本語版は2000年9月20日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで約504頁。9ポイント45字×18行×504頁=約408,240字、400字詰め原稿用紙で約1,021枚。文庫本なら上下巻ぐらいの分量。

 文章はこなれている。内容も分かりやすい。というのも、実はあまり科学には踏み込んでいないのだ。むしろ犯罪と捜査の実例集として面白い。

【構成は?】

 それぞれの技術ごとに、古い事件から新しい事件の順に並んでいる。各事例は4~6頁程度で、それぞれ独立した記事なので、気になった事例を拾い読みしてもいい。

  • 序文
  • 1 弾道学
    チャールズ・スティーロウ事件/サッコとヴァンゼッティ事件/ブラウンとケネディ事件/ジョン・ブレイニオン事件/ジョゼフ・クリストファー事件/ジェームズ・ミッチェル事件
  • 2 死因
    ノーマン・ソーン事件/デイヴィッド・マーシャル事件/ジェームズ・キャム事件/ケニス・バーロウ事件/カール・コッポリーノ事件/リチャード・カクリンスキー事件
  • 3 書類鑑定
    ジョン・マグヌソン事件/アアーサー・ペリー事件/ヒトラーの日記事件/グレアム・バックハウス事件
  • 4 DNAタイピング
    ロマノフ家事件/コリン・ピッチフォーク事件/カーク・ブラッズワース事件/ロミー・リー・アンドリュース事件/イアン・シムズ事件
  • 5 爆発物と火事
    フレデリック・スモール事件/チャールズ・シュワーツ事件/シドニー・フォックス事件/ジョン・グラハム事件/スティーブン・ベンソン事件/パンナム103便事件
  • 6 指紋
    フランセスカ・ロハス事件/ストラットン兄弟事件/トーマス・ジェニングス事件/ウィリアム・バーガー事件/ケリー団事件/エドワード・モリー事件/ピーター・グリフィス事件/ジョージ・ロス事件/ヴァレリアン・トリファ事件/リチャード・ラムレス事件/ステラ・ニッケル事件
  • 7 法人類学
    ミシェル・エロー事件/アドルフ・ラトガート事件/ジョージ・ショットン事件/ウィリアム・ベイリー事件/ジョン・ウェイン・ゲイシー事件/ヨーゼフ・メンゲレ事件/ジョン・リスト事件
  • 8 法歯学
    ジョン・ウェブスター事件/ハリー・ドブキン事件/ゴードン・ヘイ事件/セオドア・バンディ事件/カーマイン・カラブロ事件
  • 9 犯罪心理分析
    ジョージ・メテスキー事件/リチャード・チェイス事件/ジョン・ダフィ事件
  • 10 死体の個人識別
    ソーンとナック事件/パトリック・ヒギンズ事件/ハンス・シュミット事件/エドワード・ケラー事件/ベッカーとノーキン事件/パトリック・マホン事件/ヘンリー・コリン・キャンベル事件/パトリック・ブレイディ事件/バック・ラックストン事件/アーサー・エガース事件/リチャード・クラフツ事件
  • 11 血清学
    ピエール・ヴォワルボ事件/ルードヴィッヒ・テスノウ事件/ジェシー・ワトキンズ事件/ジャニー・ドナルド事件/ジョゼフ・ウィリアムズ事件/W・トーマス・ジーグラー・ジュニア事件/アーサー・ハッチスン事件
  • 12 死亡時刻
    ジェームズとシャック事件/アニバル・アルモドバル事件/スティーブン・トラスコット事件/ウィリアム・ジェニングズ事件/デイヴィッド・ヘンドリクス事件
  • 13 毒物学
    メアリー・ブランディ事件/チャールズ・ホール事件/ロバート・ブキャナン事件/エヴァ・ラブレン事件/ジョン・アームストロング事件/ゲオルギ・マルコフ事件
  • 14 痕跡証拠
    ウィリアム・ドー事件/コリン・ロス事件/ドートルマン兄弟事件/ブルーノ・ハウプトマン事件/ジョン・フィオレンツァ事件/サミュエル・モーガン事件/ジョン・ヴォルマン事件/チェスター・ウェーガー事件/スティーブン・ブラッドリー事件/ロジャー・ペイン事件/ジェフリー・マクドナルド事件/ライオネル・ウィリアムズ事件/ウェイン・ウィリアムズ事件/ジョン・ジューバート事件/マルコム・フェアリー事件
  • 15 声紋
    クリフォード・アーヴィング事件/ブライアン・フッソン事件/ジミー・ウェイン・グレン事件
  • 付録 法医学の先駆者たちと代表的事件
  • 索引

【感想は?】

 科学というより、事件物として面白い。

 有名な事件も扱ってるんだが、素人は目次じゃわからなかったりする。例えばセオドア・バンディ事件。世間じゃテッド・バンディ(→Wikipedia)の名で通っている。同様にブルーノ・ハウプトマン事件は、リンドバーグ長男誘拐事件(→Wikipedia)だ。

 このリンドバーグ長男誘拐事件では、犯人が残した手製のはしごが重要な証拠物件の一つとなる。これの材料の木はもちろん、仕上げに使った「ベルト駆動式かんな盤」まで、科学捜査が特定した。だが、科学にできるのはここまで。その後、各地の製材所に問い合わせ、木材のルートを突き止めるのは、しらみつぶしの捜査によるもの。科学は役に立つけど、最終的なケリは従来通りの地道な捜査だったりする。

 心理分析も、ちょっと前に話題になった。最初のジョージ・メテスキー事件では、見事に犯人像を予言してみせる。

「逮捕のときには、(犯人は)ダブルのスーツを、ボタンをかけて着ているだろう」
  ――9 犯罪心理分析

 他にも多くの特徴をあげている。40~50代の男で偏執病、内向的で均整の取れた体、きれい好きで身なりもいい。高学歴だが米国育ちじゃないスラブ系。熟練の機械工で女に関心がなく信心深い…。いずれもちゃんと根拠があったりする。とはいえ、意外とネタは月並みで。

犯罪心理分析の核となるのは、犯罪統計学に対する完璧な知識である。
  ――9 犯罪心理分析

 例えば、暴行殺人は同じ人種間で多い。白人は白人を襲い、黒人は黒人を襲う。また暴行殺人の多くは若い男だ。なんのことはない、ベテラン刑事が経験を積んで身に着けるカンを、統計で裏付けたのが犯罪心理分析なのだ。

 殺伐とした事件が多い中、本好きのニワカ軍ヲタとして目を惹かれたのが、「ヒトラーの日記事件」。1981年2月、ドイツの大手出版社グルーナー・ウント・ヤールに、お宝らしき物が持ち込まれる。

(略)ほとんど読めない字でドイツ語で書かれていたその原稿は、出版界における今世紀最大の掘り出し物だった。ヒトラーの日記である。
  ――3 書類鑑定

 お宝を持ち込んだゲルト・ハイデマンは、約200万ドルを要求する。本物なら、確かにそれぐらいの価値はあるだろう。なんたって20世紀ドイツ最高の有名人だし。とはいえ、いかにも怪しげだ。だから本物かどうか確かめなきゃいけない。そこで、有名な筆跡鑑定の専門家オードウェイ・ヒルトンに真贋判定を頼む。ヒルトンの鑑定結果は…「本物」。

 残念ながら、後の調査で日記は偽物とバレる。紙の漂白剤は1954年以降のもの、紋章の糸はポリエステルで工業化されたのは1953年(→Wikipedia)、インクも戦後のもの。

 実はヒルトンが間違ったのには、ちゃんと理由がある。まず「ヒルトンはドイツ語をまったく理解」しなかった。それより切ないことに、本物のヒトラーの手書きサンプルとして渡されたブツも、「日誌と出所が同じ」だったのだ。そりゃ間違えるよ。

 やはり歴史好きの血を騒がせるのが、「ロマノフ家事件」。そう、スリラーやミステリの定番、ロシア最後の皇帝ニコライ二世とその家族、特に伝説の主役となりがちな皇女アナスタシアの真実を突き止めた話。ここでは現代の犯罪捜査の切り札DNA鑑定が大活躍する。

 時は1991年、場所はエカテリンブルク近くの沼の多い牧草地。見つかったのは骨だけだが、ミトコンドリアDNAの鑑定で本物と結論が出てしまう。いけず。とはいえ、これからも、作家は色々な抜け道を考え出すんだろうなあ。

 などと活躍するDNA鑑定は、真犯人を突き止めるだけでなく…

ブラッズワース釈放の際(1993年6月28日)に、全米刑事弁護人教会DNA作業会会長のピーター・ニューフェルド氏は、これまでに10人前後の在監者がDNA鑑定の結果釈放された、と述べた。
  ――4 DNAタイピング

 と、無実の人の潔白を証明するのにも一役買っているのが嬉しい。日本にもDNA鑑定を望む在監者はいるんだろうなあ。

 この本ではアメリカとイギリスの例が中心だ。向こうは土葬が多いためか、墓を掘り返す話もよく出てくる。こういうのを読むと、日本の火葬も善し悪しに思えてくる。特に犯罪被害者は、犯人が明らかになるまで保存した方がいいかも。

 遺体の調査で凄いのが、「チャールズ・ホール事件」。1871年の事件の真相を、ほぼ一世紀後の1968年に解き明かしたケースだ。

 1871年、合衆国の支援を受け蒸気引船ポラリス号が北極探査に出かけるが、グリーンランドで越冬する羽目になる。船長チャールズ・フランシス・ホールは船医のエミール・ベッセルスと折り合いが悪かった。1871年11月、船長ホールは昏睡状態に陥り亡くなり、凍った岸辺に葬られる。

 当時からベッセルスによる毒殺の疑いはあった。再調査が行われたのは約一世紀後の1968年。調査隊が送られ、彼の遺体が見つかる。「遺体の保存状態は驚くほどよく」「眼孔が空洞になっていたことと鼻の先端が萎んでいたことを除けば顔は無事」というから、さすが永久凍土。さて、彼の遺体から検出されたのは…

 どの事件も科学技術を使っているのは共通しているが、それと共に現場で集めた小さなサンプル、例えば繊維の切れ端や自動車の塗装片などが重要な手掛かりになるケースも多い。科学は発達しても、刑事さんたちの地道な努力が必要な事に変わりはないようだ。何せ大量の事件を収録しているので、ミステリ作家のアンチョコとしてもやたら便利だろう。

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