モルデハイ・バルオン編著「イスラエル軍事史 終わりなき戦争の全貌」並木書房 滝川義人訳 2
イスラエルの水資源は乏しく、しかも水源は北部に偏り、南部乾燥地帯にはない。(略)“砂漠の緑化”というシオニストの思想は、とくにネゲブ砂漠の緑化というビジョンの中に、強く表明されている。
――第5章 水資源戦争PLOを南レバノンの拠点から駆逐し、この地域をヒズボラに明け渡したのは、イスラエルである。
――第10章 ガラリヤ平和戦争
モルデハイ・バルオン編著「イスラエル軍事史 終わりなき戦争の全貌」並木書房 滝川義人訳 1 から続く。
【どんな本?】
戦火に包まれながらも1948年の建国をなしとげ、その後も絶え間なく戦いを強いられているイスラエル。彼らはどのような情勢で、どのような敵と、どのように交渉しあるいは戦い、それは中東情勢をどう変えてきたのか。
建国前の情勢から現在に至るまで、イスラエルと周辺諸国の国内事情や政治・軍事・外交政策、そして国際社会の対応を、主にイスラエルからの視点で描く、中東問題の論説集。
【はじめに】
前の記事では興奮しすぎたな、と反省しつつ、まず全体の感想から。
目次でわかるように、イスラエルはかなり特殊な国だ。なにせ建国前から途切れず戦争が続いている。しかも戦争の形が様々だ。
国家の正規軍を相手に、明確な目的を持って戦った六日間戦争(第三次中東戦争)もあれば、ゲリラ相手にダラダラと続いたガラリヤ平和戦争(レバノン内戦)もある。総力戦の1948年のアラブ・イスラエル戦争(独立戦争、第一次中東戦争)もあれば、限定的な水資源戦争もある。たいていはイスラエル単独で戦っているが、フランス・イギリスと組んだシナイ戦争(第二次中東戦争)もある。
そんなわけで、色とりどりな戦争の経緯が分かる点では美味しい本だ。ただし、視点は軍事研究家ではなく歴史家に近い。つまり、軍事より政治や外交に多くの頁を割いていて、個々の戦闘や兵器の名前は、ほとんど出てこない。また、中東問題の本としては、徹底してイスラエル視点であり、アラブ側の視点ではない。
【ナセル】
にも関わらず、人物として最も印象に残るのは、建国の父ベングリオン(→Wikipedia)でも隻眼の将軍ダヤン(→Wikipedia)でもない。エジプトのナセル(→Wikipedia)なのが皮肉だ。
アラブ・イスラエル紛争は、相異する三つの文脈で研究しなければならない。(略)ナセル前の時代(1947/8~1954年)、ナセル時代(1955~1970年)、そしてナセル後の時代(1970年以降)である。
――第7章 消耗戦争
実際、当時の中東情勢は彼を中心に動いていたし、21世紀の現代に至るまで、彼が掲げた理想・思想は、アラブの民の底流に流れている。彼はアラブの者に誇りをもたらした。もっとも、その誇りは、六日間戦争でひどく傷つけられ、その傷口からは今なお血が流れ続けているんだけど。それともう一つ、イスラエルへの憎しみも植え付け、これも不安定化の原因となっている。
【ムフティ】
実はもう一人、アラブの思想の源流となった人物がいる。ハッジ・アミン・アル・フセイニ(→Wikipedia)、エルサレムのムフティ(大法官)だ。ナセルは国家と正規軍そして国際社会による正攻法でイスラエルに立ち向かったのに対し、フセイニはパレスチナ人を中心としたゲリラ戦の源と言えるだろう。
もっとも、イスラエルのハガナも、早期(1930年代後半)からゲリラ戦に対抗する策を見いだしている。「塔と防御策」と称し、数百人が夕暮れに村に向かい、一晩で村を柵を囲い中央に塔を建て要塞化してしまう。現代中東版の墨俣一夜城かい。そんなこんなで、フセイニが扇動するゲリラは、イスラエル軍の土台となるハガナを鍛え全国的な組織化を促してしまうのが皮肉だ。
【シナイ戦争】
日本では第二次中東戦争として知られるシナイ戦争(→Wikipedia)を扱う第四章は、イスラエルが珍しく他国と連合した戦いだ。この章では、イギリスへの恨みつらみが滲み出ているのが面白い。よほど恨んでるんだろうなあ。
戦時中、イスラエル国防軍と英軍との間には、直接の連絡が一度もなかった。
――第4章 シナイ戦争
ただ、恨みつらみが先に立って、戦いの全体像が見えないのはつらい。
【水資源戦争】
島国の日本じゃピンとこないが、淡水の重要性を実感させられるのが第五章。
水をめぐる争いは、(略)シリアが自国内で流域変更計画を実施しようとし、イスラエルが軍事手段でそれを阻止したということである。
――第5章 水資源戦争
イスラエルはヨルダン川とキネレット(ガラリア湖)の水で南部のネゲブの緑化を計画する。対してシリアはレバノン・ヨルダンと組んでヨルダン川の流域を変え、水の横取りを目論んだ。そういえばシリアは今でもチグリス・ユーフラテス川をめぐりトルコと睨み合ってるなあ、とか思いつつ、国際河川の面倒くささが実感できる章だった。
【六日間戦争】
純軍事的側面からいえば、これは近代軍事史上、一方が圧勝した戦争の一つである。イスラエルは、600機を超える敵航空機を撃破し、同じく戦車及び機甲車両数千両を破壊、兵員に数万の損害を与えた。
――第6章 六日戦争
日本では第三次中東戦争(→Wikipedia)で知られる戦争。エジプト・シリア・ヨルダンを相手にイスラエルが圧勝し、今なおアラブの民のトラウマとなっている戦いだ。執筆者は「第三次中東戦争全史」と同じ人で、本書の中では軍事的な内容が濃い。
【消耗戦争】
…エジプトの総崩れという事態がせまれば、ソ連は必ず超大国の威信にかけて介入せざるを得ない。これがナセルの判断である。
――第7章 消耗戦争 1969~1970
イスラエル軍事史と言いつつ、この章はエジプトの話ばかりなのが面白い。強いカリスマを持つ理想家のナセルと、冷静に国際情勢を見極める実際家のサダトを対比してる。イスラエルの視点じゃどうしてもサダトの評価が高くなるんだろうけど、現代アラブ人の評価はどうなんだろう?
【ヨムキプール戦争】
戦争が長びけば、(イスラエル)国防軍は進出域を拡大できる。
――第8章 ヨムキプール戦争
日本では第四次中東戦争(→Wikipedia)と呼ばれる戦争を扱う。先の「六日間戦争」と同じく、軍事的な内容が多い章。エジプトとシリアがイスラエルの不意を突いて攻め込み、また対空ミサイルと対戦車ミサイル“サガー”が活躍した。互いの軍備にアメリカとソ連の睨み合いが反映していると共に、両大国の介入が早期の終戦に結びついたワケで、冷戦構造も悪い事ばかりじゃない、なんて気もしてくる。
【不正規戦】
パレスチナ革命運動の目的は、昔も今も変わらず一貫している。すなわち、イスラエルなきあとにアラブパレスチナ国家を建設する事である。
――第9章 不正規戦
主に PLO を扱う章。アルカイダなど国際的なテロ組織って今世紀のものかと思ったが、実は当時から国際的に共闘していたのだった。本書ではPLOの仲間として、南アフリカのアフリカ民族会議=ANC,モザンビークのモザンビーク解放戦線=FRELIMO,南西アフリカの南西アフリカ人民機構=SWAPO,ドイツのバーダーマインホフ,イタリアの赤い旅団=BR,日本赤軍をあげている。そういえばテルアビブ空港乱射事件(→Wikipedia)もあったなあ。
当時のPLOのパトロンはシリアだった。ハマスも指揮官はシリアのダマスカスに潜んでたね。他の組織のパトロンはどこなんだろう? 現代のアルカイダや自称イスラム国にも、パトロンがいる気がしてきた。もっとも、合衆国も南米じゃCIA経由で似たような真似をしてるんだけど。
ここでは、不法侵入を見つける方法が面白い。国境沿いの道路を、敢えて舗装しないのだ。砂地にしておけば、足跡が残るでしょ。
【ガラリヤ平和戦争】
ガラリヤ平和作戦は、(略)1982年6月6日に開始された。(略)しかし、作戦終結の日については答えがない。
――第10章 ガラリヤ平和戦争
レバノン内戦(→Wikipedia)への介入を扱う章。
黒い九月(→Wikipedia)でヨルダンを追われたPLOは、レバノンに流れ込み南部を支配下に置き、イスラエル攻撃の基地とする。シリアの介入などで弱体化したレバノン政府はPLOを制御できない。そこでイスラエルはレバノン国内のマロン派と組んで軍事介入を試みる。目的はレバノン国内のPLO殲滅と、親イスラエルのレバノン政権樹立。結果、レバノンからPLOは追放できたが…
これも今になって思えば、アメリカ vs アルカイダの雛型みたいな経緯を辿っている。地元のマロン派は頼りにならず、航空戦力には限界があり、地上兵力を投入して多くの犠牲を出した末にPLOが消えたのはいいいが、その間隙にはシリアとイランの支援を得たヒズボラが根付いてしまう。非対称戦はキリがない。まるきしモグラ叩きだ。
【パレスチナのインティファダ】
後年PLOはあたかも1987年以降の紛争(インティファダ)を主導したようなふりをしたが、(略)長い間インティファダの持つ意味に気づくことすらなかった。
――第11章 パレスチナのインティファダ
イスラエルではオリエント系の移民が増え、右派と左派の溝が深まり、対パレスチナ強硬派のリクードが力を増す。パレスチナでは高学歴の若者が増えるが、世界的な不況が押し寄せ、学歴に相応しい仕事はない。不満を抱える若者たちは投石でイスラエル軍に立ち向かうが…
という表向きの動きと、インティファダを支援した四つの組織を明らかにする。統一民族司令部=UNC,イスラム抵抗運動=ハマス,パレスチナ左翼集団,イスラム聖戦。
アラブと左翼運動って、とても相性が悪いって気がするんだが、どうなんだろ? はやりパトロンの関係なんだろうか。
【防盾作戦】
2000年9月18日、野党リクード党首のアリエル・シャロン議員が、エルサレムの神殿の丘を訪れた。(略)翌9月29日、神殿の丘に参集する信徒数万(略)の暴動でパレスチナ人6人が死亡、数十人が負傷した。この激烈な爆発が、エルアクサ・インティファダの始まりとなった。
――第12章 防盾作戦
せいぜい投石や火炎瓶だった最初のインティファダに比べ、第二次インティファダは自爆テロやロケット弾など、より暴力的になっている。いきり立ちつつも、イラク戦争などの関係で自重を求められるイスラエル。しかしパレスチナ代表のアラファトは矛盾したメッセージを発するばかりで指導力を発揮できず…
「イスラエルは我慢に我慢を重ねたんだ」という著者の叫びが聞こえてきそうな章。アラファトの狸っぷりは、その遺産で明らかになったけど、その後に台頭したハマスはやっぱり過激な暴力主義で、相変わらずパレスチナ問題は混迷を深めるばかりなんだよなあ。
【その後の『イスラエル軍事史』】
(アイアンドームの)ミサイル(タミール)は一発5万ドル。一発100ドル程度でつくられるカッサムロケットにいちいち対応するのは、費用対効果で疑問視する向きもある。
――「訳者あとがき」に代えて その後の『イスラエル軍事史』
原書は2004年出版なので、それまでの経緯しか書いていない。そこで著者らに代わり訳者がその後の10年以上の推移をまとめたのが、この章。主に扱っているのは三つ、対ヒズボラ戦、対ハマス戦、そして国境沿いに展開する国連軍/多国籍軍。
国境警備で多少なりとも役立っているのはシナイ正面の多国籍監視隊だけで、レバノン正面の国連レバノン暫定駐留軍は「無能、役立たず」、ゴラン正面の国連兵力分離監視隊は「百鬼夜行」と、実に情けないありさま。自衛隊が行ってたゴラン高原は、そんなヤバい所だったのか。さぞ苦労したことだろう。
【おわりに】
今はエジプトやヨルダンとは手打ちが済み、睨み合ってるシリアは内戦中なので、正規軍相手の戦争は当面なさそうなイスラエルだが、ハマスやヒズボラなど非対称戦は今後もケリがつきそうにない。長く続いた右派ネタニヤフ政権も組閣を断念した様子で(→CNN)、もしかしたらイスラエル側の政策は方向を変える可能性がある。少しは歩み寄りが期待できるんだろうか。
その中道「青と白」を率いるのは、ガンツ元軍参謀総長。軍人が政権の重要な座を占める事が多いイスラエルだが、彼らの政治姿勢はモシェ・ダヤンやイツハク・ラビンなど左派も多いのに気がついた。書名は軍事史だが、内容は軍事より内政や外交の比率が高く、より総合的な視点の本だった。
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