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2019年9月22日 (日)

高木徹「ドキュメント 戦争広告代理店 情報操作とボスニア紛争」講談社

本書は、番組(2000年10月29日放送の『NHKスペシャル「民族浄化」ユーゴ・情報戦の内幕』)で紹介しきれなかった取材の成果や、その後得た最新情報を加え、国際紛争の陰で戦われたPR戦争の凄まじい実態を書き表したものである。
  ――序章 勝利の果実

ボスニア・ヘルツェゴミナ外相シライジッチというキャラクターそのものをニュースにすること、それがこの会見の戦略だった。
  ――第2章 PRプロフェッショナル

「民族浄化」という言葉がなければ、ボスニア紛争の結末はまったく別のものになっていたに違いない。
  ――第6章 民族浄化

ユーゴスラビア首相ミラン・パニッチ「So, hekp me God」
  ――第9章 逆襲

セルビア共和国大統領スロボダン・ミロシェビッチ「真実というものは、やがておのずと明らかになるものさ。いずれ、今出ている話はみんな嘘だとわかるよ」
  ――第10章 強制収容所

「あなた方は、PRに使う資金があるのなら、それを現地で苦しんでいる人々の人道救助に使うべきではないでしょうか」
  ――第11章 凶弾

パニッチは、ひとつの覚悟を決めていた。
それは、セルビア、そしてユーゴスラビア連邦に対する悪のイメージをミロシェビッチ一人に負わせ、(略)大統領職を辞任してもらい、その後を西側に受けのいい自分がとってかわろう、という計画だった。
  ――第13章 「シアター」

元EC和平特使キャリントン卿「ひとつの国に“悪”のレッテルを貼ってしまうことは、間違いなんだ」
  ――第13章 「シアター」

「(ミロシェビッチは)まず国内のメディアにしか興味がなかったですね」
  ――第14章 追放

「紛争当時から今日に至るまで、ボスニアは名前だけの“多民族国家”にすぎませんからね」
  ――第14章 追放

ボスニア・ヘルツェゴッビナ共和国外務大臣ハリス・シライジッチ「これがお前らと仕事をする最後だ!」
  ――終章 決裂

【どんな本?】

 1989年の東欧崩壊に続き、元ユーゴスラビアはスロベニア・クロアチア・マケドニアが独立、これに続きボスニア・ヘルツェゴビナも独立を求める。そのボスニア・ヘルツェゴビナには多くの民族が住んでいた。主にカトリックのクロアチア人,主に正教のセビリア人,主にモスレムのボスニア人、そしてロマなど。これが原因となり、ボスニア・ヘルツェゴビナは激しい内戦に突入する(→Wikipedia)。

 新ユーゴの主体はセビリア共和国だ。軍もセビリア人が多い。そのため、内戦も当初はセビリア人勢力が優勢だった。しかし、人口ではモスレムが最も多いため、ボスニア・ヘルツェゴビナ政府はモスレムが中心となる。

 この内戦を収めるべく、ボスニア・ヘルツェゴビナ政府は国際社会の協力を求める。だが誕生したばかりで、たいした産業も地下資源もない小国家の内戦に、国際社会の目を集めるのは難しい。

 それでも、ボスニア・ヘルツェゴビナ政府の努力は実を結んだ。マスコミは「セルビア人が悪、ボスニア人が被害者」という構図の報道を続け、ついにはNATOの介入へとつながる。

 その陰にあったのは、アメリカの民間PR企業の活躍だった。

 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を素材に、国際的な世論の動向すら動かすPR企業と、それに影響される合衆国そして国連の政治を生々しく描く、衝撃のルポルタージュ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2002年6月30日第1刷発行。私が読んだのは2002年11月7日の第7冊。売れたんだなあ。今は講談社文庫から文庫版が出ている。単行本ハードカバー縦一段組み本文約311頁に加え、あとがき2頁。9ポイント43字×19行×311頁=約254,087字、400字詰め原稿用紙で約636枚。文庫なら少し厚い一冊分。

 文章はこなれていて読みやすい。内容もわかりやすい。ただし、書いてあるのは「いかにマスコミと政治家を動かしたか」であって、肝心のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の実態は、ほとんど書いていない。実態については、「国際社会と現代史 ボスニア内戦」が参考になるだろう。というか、私はそれしか読んでない。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に進むので、素直に頭から読もう。

  • 序章 勝利の果実
  • 第1章 国務省が与えたヒント
  • 第2章 PRプロフェッショナル
  • 第3章 失敗
  • 第4章 情報の拡大再生産
  • 第5章 シライジッチ外相改造計画
  • 第6章 民族浄化
  • 第7章 国務省の策謀
  • 第8章 大統領と大統領候補
  • 第9章 逆襲
  • 第10章 強制収容所
  • 第11章 凶弾
  • 第12章 邪魔者の除去
  • 第13章 「シアター」
  • 第14章 追放
  • 終章 決裂
  • あとがき

【感想は?】

 15年前の作品だ。それでも、この本の衝撃は全く衰えていない。

 世間的なボスニア紛争の印象は、先に書いた通り「悪のセルビア人がボスニア人を虐殺した」だろう。だが、実態はもっと複雑だ。私は、こう思っている。ネタ元は佐原徹哉著「国際社会と現代史 ボスニア内戦」。

はじまりはヤクザの火事場泥棒だ。独立のドサクサに紛れてヤクザが民族主義者を装い、または民族主義者を抱き込み、権力と財産を奪おうと争いを始めた。セルビア・モスレム・クロアチア、いずれもヤクザがいた。

 しかし、こんなややこしい構図を、世間は納得しない。ハッキリした悪役が欲しい。そこで悪役を割り振られたのが、ユーゴスラビア連邦の最大権力者ミロシェビッチである。彼がボスニア・ヘルツェゴビナ国内のセルビア人をそそのかして虐殺を煽った、そういうストーリーで、世論は納得した。なんたって分かりやすいし。

 人は分かりやすい話が好きだ。私も銀英伝は帝国vs共和国だと思っている。実際にはフェザーンも暗躍してるんだが←わかりにくい例えはやめろ。 この本は、そういう「分かりやすい話」を、どうやって流布したか、その手口を鮮明に描いている。

 主な役者は新ボスニア・ヘルツェゴビナ外相ハリス・シライジッチと、そのプロデューサーを務めるPR企業ルーダー・フィン社国際政治局長ジム・ハーフ。一国の外相が、米国の民間企業と組んで、世界に広告を打ったのだ。

 これ自体が恐るべき話だ。そうなったのも、冷戦の終結が大きい。なにせ合衆国が唯一の超大国だ。だから合衆国政府を動かせば国際世論も動く。その合衆国政府は、何で動くか。そこが本書のキモだろう。結論を言えば、閣僚と議員とマスコミである。

 中でも私が最も興味を惹かれたのが、マスコミの動かし方だ。マスコミが動けば米国世論が動く。そして政府も議員も世論には敏感だ。では、どうやってマスコミに売り込むか。この手口の幾つかは、出世を求めるビジネスパーソンにも優れた指針となる。例えば、ハーフはシライジッチにこう指示している。

記者会見では必ず「数項目のポイントを立てた新提案を行え」
  ――第3章 失敗

 目新しい中身はなくてもいい。「n個の提案」など、記事タイトルをつけやすいネタを記者に与えろ、そういう意味だ。他にも「情報機器を備えたプレスセンターを作れ」など記者の便宜をはかれ、という趣旨のアドバイスが続々と出てくる。

 だけでなく、有名記者や有力NPOに、FAXで速報を送ってたり。「いかに売り込むか」のコツを、生々しく描いている。そういう点では、営業さんにも役立つ本かもしれない。いや辣腕の営業さんには常識かもしれないけど。

 加えて、現在のマスコミ、特にテレビのニュース報道のクセもよくわかる。本書では、新ボスニア・ヘルツェゴビナ外相ハリス・シライジッチがマスコミの矢面に立つ。元は大学で歴史の教授だったシライジッチ、素で話をさせると、困ったことになる。前置きが長すぎるのだ。

正確に事実を伝えるには、そうなった経緯が大事だ。だから歴史から話を始めようとする。だが、これは米国のマスコミに好かれない。マスコミが欲しいのは、数秒で伝わるキャッチフレーズだ。本書では「サウンドバイト」と呼んでいる。ソコだけ切り取って電波で流せば人々の目を惹きつける、そういう映像をマスコミは求める。そこでプロデューサーのハーフは役者のシライジッチに釘をさす。

PR企業ルーダー・フィン社国際政治局長ジム・ハーフ「重要なのは今日サラエボで何が起きているか、それだけです。それに絞って話をしてください」
  ――第5章 シライジッチ外相改造計画

 歴史も背景も省け、起きている事だけを話せ、と。困ったことに、現在の日本のマスコミも、背景は説明せず起きた事だけを報じる形が中心になっている気がするんだが、あなたどう思いますか。例えばボスニア紛争の実情を、あなた知ってました? 私は知りませんでした。で、結局、背景事情や歴史的経緯は書籍などで補わなきゃいけないんだけど、その書籍の売り上げはブツブツ…

 まあいい。お陰でセルビア人が悪役というイメージが定着してしまい、前線で紛争の実態を見ていた国連防護軍サラエボ司令官ルイス・マッケンジーが、こう語ると…

「悪いのはセルビア人だけではない。戦っているすべての勢力に問題がある」
  ――第12章 邪魔者の除去

 「お前はセルビア人の肩を持つのか!」と袋叩きにされたり。

 対して、新ユーゴおよびセルビア共和国も合衆国の市民権を持つミラン・パニッチを首相に引っぱりだし、巻き返しを目論む。このパニッチとミロシェビッチの考え方の違いも、政治劇として面白い。立場こそ首相ながら国際的な視野で事態を見るパニッチと、セルビアに権力基盤を置くミロシェビッチでは、方針が違って当然なんだろう。

 他にも日本の外務省への愚痴もあって、これが実に辛辣だったり。正直、著者の主張には素直に賛同できない。だが、現実をありのままに伝えるという点では、文句なしに優れた著作だと思う。今後、最新ニュースを見る目が、少しだけ変わるかもしれない。

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