シオドア・スタージョン「ヴィーナス・プラスX」国庫刊行会 大久保譲訳
レダム人に対しては、どんなシンボルが使われるのか? 火星プラスXか? 金星プラスXか?
――p109「私たちが求めているのは意見です。あなた自身の意見なんですよ、チャーリー・ジョンズ」
――p144「両親が子どもを作る。子どもが両親を作る」
――p173「人間の世界に及ぶ神の手というのは、死者が生者に科した枷となるのがしばしばです。神の命令は、共同体の中の年長者たちの解釈を通して告げられる。しかしそうした人々は、歪んだ記憶を持ち、過去に浸っているばかりで現実を直視せず、心の中の情愛は干上がってしまっている」
――p193何の取りえもない人間が自分が優れていると証明する唯一の方法は、他の誰かを劣った存在とみなすことだ。
――p209
【どんな本?】
短編の名手として有名なSF作家シオドア・スタージョンが、冷戦の火花が散る時代に叩きつけた、思いっきり過激で挑発的なユートピア小説。
チャーリー・ジョンズ、母親と二人で暮らす27歳の男。昨夜やっと、恋人のローラと思いを遂げたばかり。仕事から家に帰った…はずだが、目覚めたのは銀色の世界。
レダムと呼ばれるそこは、奇妙な世界だった。空は一面の銀色で、建物は逆立ちしているみたいだし、空中と思った所はエレベーター。そして何より変なのは人だ。ファッションがケッタイなのはともかく、男か女かわからない。いや、男らしき二人が妊娠している。
変わった世界だが、チャーリーを呼び寄せた者たちは、害意も敵意もないようだ。彼らの目的もわかった。「私たちについて知り、意見を聞かせて欲しい」。
不思議な世界レダムを鏡として使う事で、私たちの社会の歪みをデフォルメして見せる、思いっきりスパイスの利いた長編SF小説。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Venus Plus X, by Theodore Sturgeon, 1960。日本語版は2005年4月25日初版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約288頁に加え、あとがき3頁+訳者あとがき9頁。9ポイント44字×18行×288頁=約228,096字、400字詰め原稿用紙で約571枚。文庫なら普通の厚さだろう。
文章は読みやすい。内容もわかりやすい。SFとはいえ科学や技術の描写はアレなので、気にしてはいけない。まあ半世紀以上も前の作品だし、主題もソッチじゃないし。そんなんだから、理科が苦手でも大丈夫。
あ、それと。性も重要なテーマだけど、ポルノとしては使い物にならないので、そのつもりで。
【感想は?】
これはわかりやすいスタージョン。
短編集「海を失った男」は技巧に走った作品が多い。「ビアンカの手」とか、私は結局最後までオチが分からなかった。
が、この作品は、とってもわかりやすい。「夢見る宝石」や「人間以上」もそうだったけど、スタージョンの短編は玄人好みで、中編・長編はわかりやすいのが多いのかも。また、内容も「ガリバー旅行記」や「すばらしい新世界」に続く、一種のユートピア/ディストピア小説だし。
もちろん、SFならではのセンス・オブ・ワンダーもある。さすがに世界が銀色なのは半世紀間のセンスだよなあ、と思うが、昔はそういう感覚だったんです。これを変えたのがスター・ウォーズで、微妙に汚れてボロいミレニアム・ファルコンとか…あ、いや、それは置いて。例えば、チャーリーがレダム語で、「ここは何という惑星なんだ?」と尋ね、「地球だ」と返ってきた後の、こんな台詞。
「要するに、どんな言語にも『地球』を意味する言葉があるってことだ。(略)火星語なら火星のことを『地球』と呼ぶはずだし、金星語では金星のことを『地球』と呼んでいるだろうし」
――p45
私たちが「地球」と言うとき、そこには「母星」という意味がこもっている。火星で生まれ火星で育ち火星で生きている火星人は、火星を母星だと思っているだろう。だから、火星にいる火星人に「ここはどこだ?」と尋ねたら、「ここは私の母星だ」と答える。これを日本語に訳せば、「地球」が最もしっくりくる。
こういう、言葉へのこだわりもスタージョンの特徴だろう。それだけに訳者も相当に工夫しているようで、ルビも見落とせない。三人称単数を示す単語をめぐる考察も、作品のテーマである性を含みつつ、いかにもスタージョンな味がする。そういえば、日本語だと、アイツ/あれ/奴/あの人/あの方とか、性を含まない三人称単数って、けっこうバリエーションは豊かだなあ。
この小説、実はチャーリーのパートと並行して、現代の普通の家庭生活の話も進む。もっとも、こっちはたいした事件が起きるわけじゃないんだけど。だからこそ、レダム世界の引き立て役として、強いコントラストをなすパートだ。でありながら、彼らの職業が広告代理店で、言葉に縁が深いのも、スタージョンらしいところ。
などの細かい芸が光る序盤に対し、中盤から終盤にかけては、むしろ武骨とすらいえる骨太なスタージョンが味わえるのが楽しい。もっとも、序盤でもちゃんと準備運動が入っている。例えば先の「地球」だ。立場が違えば、同じ言葉でも示すモノは違ってくる。これを出発点として、本作では次々と私たちの足元をすくい、ノーミソの溝に溜まったホコリをジャブジャブと洗い流してくれる。ああ、気持ちいい。
激動の60年代らしく、宗教にキッチリと切り込んでるあたりも、なかなか愉快だった。現代アメリカ・パートの教会のエピソードとか、いかにも広告代理店が考えそうなシロモノだが、さすがにこれはネタだろうなあ。
逆にレダム世界の宗教は、今から思えば、冷戦下とはいえ科学技術と経済が足を揃えて発展していた、当時の明るい気分が根底にあるんだよなあ。私のようなオッサンは、そういう雰囲気の中で書かれたSFで育っただけに、その発想を支える未来への希望が、「ああ、これぞ俺のSFだ」な感じで心地よかったり。
奇妙な世界レダムを鏡として使い、私たちの世界の歪みを見せつける、皮肉たっぷりのユートピア小説。「SFは気になるけど数式は苦手」な人にお薦め。
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