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2019年9月29日 (日)

菅浩江「永遠の森 博物館惑星」ハヤカワ文庫JA

自分にはそう見えるからこれでいいんだ
  ――この子はだあれ

「あそこの人魚、今どうなってるんですか」
  ――嘘つきな人魚

街路樹は変わらないのに、その名前を知らないことを思い知っている自分は、自分ではないような気がする。
  ――きらきら星

【どんな本?】

 口当たりのいい文章に乗せ、新しいテクノロジーに関わることで露わになる人間の業を容赦なく暴き出す菅浩江が、芸術をテーマに綴る連作短編集。

 <アフロディーテ>は、巨大な博物館だ。月と地球のラグランジュ点3に、小惑星を引っ張ってきた。大きさはオーストラリア大陸ほど。マイクロ・ブラックホールにより重力を制御し、深海から火星の地表まで、あらゆる環境を再現した。

 部署は大きく三つに分かれている。音楽・舞台・文芸全般の<ミューズ>、絵画と工芸の<アテナ>、動植物の<デメテル>。学芸員の多くは手術でデータベースと直結しており、頭で思い浮かべたイメージで古今の芸術や生物の情報を引き出せる。

 田代孝弘は<アポロン>に属している。先の三部門の調停を行う部署だ。例えば、歴史的な意義を持つピアノは、音楽を扱う<ミューズ>と工芸を受け持つ<アテナ>の奪い合いになる。珍しい木材を使っていれば、植物を縄張りとする<デメテル>も乱入しかねない。どう決着しようと、三部署から恨まれる立場だ。

 珍しい物が持ち込まれたり、斬新なイベントが行われたりするたび、やっかい事が孝弘に降りかかってくる。そして<アフロディーテ>は旺盛に収集と活動を続け、揉め事は絶えないのであった。

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2001年版」のベストSF2000国内篇でトップ、2001年星雲賞の日本長編部門受賞。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2000年7月、早川書房より単行本で刊行。私が読んだのは2004年3月15日発行のハヤカワ文庫JA版。文庫で縦一段組み本文約435頁に加え、三村美衣の解説「美しい科学と文学の殿堂へようこそ」9頁。9ポイント39字×17行×435頁=約288,405字、400字詰め原稿用紙で約722枚。文庫本としては厚い部類。

 文章はこなれていて読みやすい。最新の科学の成果をコッソリ使っているが、ソコはあまり気にしなくていい。わからなくても「そういうものだ」程度に流しておけば楽しめる。それより重要なのは芸術や工芸の素養だろう。でも、実はコッチも大丈夫。たいてい二種類の登場人物が出てくる。詳しい人と素人だ。わからない人は、素人側の登場人物の目線で読めば、美味しく味わえる。

【収録作は?】

天上の調べ聞きうる者
80号の大きな抽象画が届く。描いたのはコーイェン・リー、無名の作曲家で、三年前に亡くなった。脳神経科病棟の絵画療法で描いた作品だ。題して「おさな子への調べ」。絵画の専門家の多くは無価値と切り捨てるが、辛口の美術評論家ブリジッド・ハイアラスが珍しく絶賛し、また病棟の患者の一部も作品を熱心に見つめていた。果たしてこの作品に価値はあるのか?
 病院の名前にちゃっかりネタを仕込むあたり、やっぱり好きなんだろうなあw そういえばバブルの頃は、日本の金持ちが絵画を買い漁って価格を吊り上げた事があったっけ。ほんと投資家って厄介だ。「冬の時代」と言われながらもSFを愛し続けた者には身に染みる作品。好きなんだからしょうがないよね。
この子はだあれ
 職場をでた孝弘は、若い女に呼び止められる。セイラ・バンクハースト、資料室の所属だ。直接接続に妙な思い入れがあるらしい。要件は人形の名前を探り当てること。元は博物館が招いた恐竜学者と人類学者の老夫婦だ。博物館が別件で協力を仰ぎ招いたところ、夫妻は資料室に籠り調べていた。目的は二人が所有する抱き人形。骨董市で買ったものだが、不思議な表情をしている。
 ぬいぐるみも人形も、しょせんはモノだ。にも関わらず、私たちはそこから感情を読み取ってしまう。邪神セイバーみたいな安物の量産品なら、デザインなり製造なりのミスだろうでケリがつくし、手作りの一品ものなら作者の腕のせいにできる。だが、そのハイブリッドとなると…
夏衣の雪
 デメテルで笛方の家元襲名披露を行う。広告代理店がからみ、大きなイベントになる。主役は十五代目鳳舎霓生、16歳だ。先代の祖父が襲名時に行った「夏に雪を降らせる」演出を再現したい。そこで霓生の兄で自らも笛方であり、マネージャーも兼ねる瑛にリハーサルを頼んだが、うまくいかない。しかも衣装の手配が混乱していて…
 和服や笛のネタが満載。こんなん書けるのは世界広しといえど菅浩江だけだろう。私はさっぱりわからなかったが、幸い主人公の孝弘も私同様の野暮天だったw 孝弘と滝村さんのアレも、仕事で部外者と打ち合わせした経験の多い人には、けっこう身につまされる話。よくあるんだよね、困ったことにw そこのSE、身に覚えがあるでしょ。
享ける手の形
 シーター・サダウィはダンサーだ。十代のころには、天才としてもてはやされた。しかし、客ウケを狙い演出が過剰となった上に、彼女の影響を受けたダンサーが次々と出てきたため、次第に自分の芸を見失ってゆく。年齢を重ねると共に体も利かなくなり、性格も僻みっぽくなった。そんなシーターが<アフロディーテ>で公演することになったのだが…
 珍しく孝弘の出番がない作品。ロック・ミュージシャンには若くして才を認められる人が多い。エリック・クラプトンとジェフ・ベックは、いろいろと試したあげく原点のブルースに回帰して何度も復活してきたが、ジミー・ペイジは何やってんだ? まあ、そういう人にファンが何をできるかというと、うーん。
抱擁
 展示室で老いた男が倒れた。マサンバ・オジャカンデス、<アフロディーテ>の元職員。<アテナ>のネネ・サンダースの先輩らしい。実は倒れたわけではない。彼は直接接続者だった。初期の版のため、使うには集中する必要があり、また応答も遅い。そのため、傍からは体調を崩して倒れたように見えたのだ。
 その昔、メロトロンて楽器があった。キーボードを押すと、その音を録音したテープを再生する。一種のアナログ・サンプラーだね。なら色んな楽器の音を録音すりゃどんな楽器も代用できそうなモンだが、再生時にテープの回転が微妙にフラつくため、やや陰鬱な不安定さを持つメロトロン独特の音になる。これをわざわざデジタル・サンプラーで録音してるもの好きなプレイヤーもいたり。まあ、将来は…いや、現在でもそういうデジタル・エフェクトがあるんだろうなあ。そんな風に、昔のアイデアが再利用される事もあるんです。
永遠の森
 お騒がせ新人のマシュー・キンバリーが、また騒動を引き起こしている。マシュー自らが企画した「類似と影響」展の所長のOKが出たのだ。共通点のある作品を並べて展示しようという企画だ。問題は、バイオ・クロック。これは遺伝子組み換え技術で制御した植物の変化で時間を測る。その展示物は、オリジナリティを争って裁判になっている。
 作中じゃ酷くけなされてるけど、私はいいと思うなあ、「類似と影響」展。槍玉にあげられてる一つ、インカのタペストリとモンゴルのショールも、技術史に興味を持つ者としちゃ是非じっくり見たい。もちろん、詳しい解説付きで。それはともかく、作品そのものは、初期の傑作短編のリベンジといった感がある。終盤では、総毛だつほどの盛り上がりだ。
嘘つきな人魚
 最新の技術を駆使しているとはいえ、環境の維持は手間がかかる上に神経をすり減らす。<アフロディーテ>の海を管理するアレクセイ・トラスクは機嫌が悪い。原因は児童主体の博物館惑星見学ツアーだ。イタズラな子供が海にゴミを捨てたら、海の微妙なバランスが狂う。そんなアレクセイに、10歳ほどの子どもが声をかけた。「あそこの人魚、今どうなってるんですか」
 現代の工業製品で盛んに使われている技術を、こう使うか~、と感心した。ならあの本はアイデアの宝庫ではないか。まあ、そこから宝を見つけられるか否かが、優れたクリエイターと凡人の違いなんだろう。何であれ、過去の作品を黒歴史として封じている人には、いろいろと刺さる作品。ええ、ブログなんか書いてると、黒歴史ばっかりです。開き直って公開してるけど。
きらきら星
 二週間ほど前から、<アフロディーテ>は注目の的だ。小惑星イダルゴで発見された物体の解析が、<アフロディーテ>に任されたのだ。物体は二種類。1cmほどの種子らしき物二つと、一辺14mmの五角形で厚さ3mmほどの彩色片が数百。彩色片は<アテナ>のクローディア・メルカトラスのチームが預かった。その助っ人に呼ばれた図形学者のラインハルト・ビシュコフが問題で…
 SF者はラインハルトって名前で金髪の小僧を思い浮かべるが、見事に予想を裏切ってくれるw ワザとだろうなあ、きっとw 性格はともかく、数学者や物理学者の語る「美しさ」と、芸術家の語る「美しさ」の溝は、埋められるんだろうか。そこに橋を架けるのも、SFの役割の一つなのかも。ちなみに小惑星イダルゴは実在します(→Wikipedia)。
ラヴ・ソング
 ベーゼンドルファー・インペリアルグランド、人呼んで「九十七鍵の黒天使」。世界的に有名な老ピアニストのナスターシャ・ジノビエフの愛器だ。海上施設キルケ・ホールの杮落し公演のため<アフロディーテ>に運ばれたが、ナスターシャの許可が下りず調律もままならない。かつてのナスターシャの演奏データを聴いたところ、奇妙なことに…
 お騒がせ小僧マシュー、「九十七鍵の黒天使」、謎の遺物、姿を消した美和子など、今までの作品で張った伏線を鮮やかに回収し、更なる高みへと読者を誘うグランド・フィナーレ。

 テクノロジーと芸術は、一見あまり関係なさそうだけど、「倍音」や「音楽の進化史」を読むと、実は密接に関係してるんだなあ、と感じる。マイクやアンプなど音響機器が発達しなければ、ロックもヒップホップもなかっただろう…って、音楽ばっかだな。まあ現代アートも合成塗料あってのものだし。そういう「未来の芸術」を垣間見せてくれるセンス・オブ・ワンダーと共に、それでも掴み切れない美の本質を求める人々の足掻きがドラマを醸し出す、まさしくサイエンスとフィクションの狭間にある「何か」に挑んだ意欲作だ。

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