オーウェン・ジョーンズ「チャヴ 弱者を敵視する社会」海と月社 依田卓巳訳
本書の狙いは、(略)「チャヴ」という戯画の陰で見えなくなっている大多数の労働者階級の実像を、多少なりとも示すことだ。(略)われわれが最終的に取り組まなければならないのは、差別そのものではなく、差別を生み出す源、すなわち社会だ。
――はじめに…本書には、重要なテーマが三つあった。
第一に、イギリスは階級のない社会であるという迷信を打破すること。(略)
第二に、貧困などの社会問題は個人の責任であるという有害な主張に立ち向かうこと。
そして第三に、同じような経済的利益をめざす人々が改革に取り組むことで社会は進歩する、という考えを後押しすることだ。
――ふたたび、親愛なるみなさんへ「保守党は特権階級の仲間の連合で成り立っている。大きな党是はその特権を守ることだ。そして選挙に勝つ秘訣は、必要最小限のほかの人々に必要最小限のものを与えることだ」
――2 「上から」の階級闘争…「福祉のたかり屋」を叩けば、低賃金の労働者の支持が集まりやすい。(略)しかし、現実に社会保障制度で攻撃されたのは、「怠け者」ではなく、工業の崩壊で最大の被害を受けた労働者階級のコミュニティだった。
――3 「政治家」対「チャヴ」よく知らない人のことを馬鹿にするのは簡単だ。
――4 さらしものにされた階級「フランク・ランバートやデイビッド・ベッカムといった労働者階級のヒーローが、まず何をすると思う? 労働者階級のいる地域からチェシャー州やサリー州に引っ越すんだ。ロールモデルたちも、自分の階級を信頼していないということだ
――4 さらしものにされた階級英国犯罪調査は、労働者階級の人々の方が、中流階級より明らかに犯罪被害に遭いやすいことを示している。
――7 「ブロークン・ブリテン」の本当の顔
【どんな本?】
チャヴ。イギリスで、貧しく教養のない白人労働者を示す言葉。アメリカならホワイト・トラッシュやプアアホワイトが近いと思う。日本だと、ヤンキー、かな?
進学する能力も意思もなく、定職につかず気分次第で低賃金の仕事に就いたり辞めたりして、若いうちに子供を作り、公共住宅に住み、失業手当や生活保護に頼って暮らし、酒を飲んで街をほっつき歩いちゃ仲間内の喧嘩に明け暮れ、隙があれば盗みや恐喝で小遣いを稼ぐ。服はジャージやパーカーなどのスポーツウェアにスニーカー。新聞やワイドショウの犯罪報道の常連。
そんな印象の人を示す言葉だ。往々にして蔑み嫌う意図で使う。
だが、彼らの本当の姿は、どうなのか。なぜ彼らは蔑まれ嫌われるのか。かつては産業の基盤を支える誇り高い存在だった労働者は、どこに消えたのか。
著者は1970年代以降のイギリスの政治・経済政策を追い、チャヴの存在やその印象は、保守党政権によって作られたものだ、と主張する。その政策とは何で、どのように作用したのか。貧しい者の代弁者であるはずの労働党は、何をしていたのか。
20世紀末から現代にいたる、民主主義国家の政治・経済政策を、「階級」という視点で鋭く分析し批判する、熱い怒りに満ちたアジテーションの書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は CHAVS : The Demonization of the Working Class, by Owen Jones, 2012。日本語版は2017年7月28日初版第1刷発行。私が読んだのは2018年9月1日の第2刷。売れてます。ソフトカバー縦一段組み本文約370頁。10ポイント49字×19行×370頁=約344,470字、400字詰め原稿用紙で約862枚。文庫なら厚い一冊か薄い上下巻ぐらいの分量。
文章はこなれていて読みやすい。内容はイギリスの経済政策の批判である。なので、多少は政治と経済の知識があった方がいい。外国の話なので、ちょっと見は近寄りがたく感じるだろう。だが、ここに書かれている保守党サッチャー政権の政策は、日本の自民党政権の政策とよく似ているし、対抗する労働党の政策も、旧民主党と似ている。加えて、貧しい人の話なので、豊かな人にはピンとこないかも。
【構成は?】
全体を通してのストーリーはある。が、それぞれの章は独立した記事としても読める。なので、気になった所から拾い読みしてもいい。
- まえがき
- 1 シャノン・マシューズの奇妙な事件
- 2 「上から」の階級闘争
- 3 「政治家」対「チャヴ」
- 4 さらしものにされた階級
- 5 「いまやわれわれはみな中流階級」
- 6 作られた社会
- 7 「ブロークン・ブリテン」の本当の顔
- 8 「移民嫌悪」という反動
- 結論 「新しい」階級政治へ
- 謝辞
- 親愛なるみなさんへ
- ふたたび、親愛なるみなさんへ
- 原注
【感想は?】
はじめにハッキリさせておこう。本書は貧しい人向けの本であり、学歴のない人向けの本だ。「貧しい」にもいろいろあるが、年収500万円に満たないなら、読む価値はある。これはあなたの本だ。もちろん、私の本でもある。
中には豊かでないにもかかわらず、右派を支持する人もいるだろう。そんな人は、「8 『移民嫌悪』という反動」だけでも読んでほしい。特に「ガイジンは俺たちの職を奪い、安い公共住宅を占領している」と思うなら、是非とも読んでほしい。あなたの本当の敵は、ガイジンじゃない。
移民が賃金の影響を与えたという問題について、タブロイド紙が先頭に立ったキャンペーンでは、攻撃の矛先がまちがったほうに向いている。雇用者が賃金削減の口実に移民を用いたのなら、国民の非難を受けるべきは雇用した側だ。(略)
移民を取り締まらなくても改善はできる。たとえば、最低賃金を引き上げ、外国人労働者をほかの労働者より低賃金や悪条件で雇用するのをやめればいい。
――8 「移民嫌悪」という反動
すまん。興奮して突っ走りすぎた。仕切りなおす。
読みながら感じたのは、「これは本当にイギリスの話なのか。日本の話ではないのか」だ。
たしかに固有名詞は違う。自民党ではなく保守党だし、民主党ではなく労働党だ。だが、描かれるストーリーはほとんど同じなのだ。
もともと、イギリスは福祉国家として名をはせていた。だがイギリス病(→Wikipedia)と呼ばれる不況に陥り、サッチャー政権が登場する(→WIkipedia)。大胆に民営化し、金融緩和を推し進めた。結果、シティ(金融業)は活気を帯びたが、製造業は壊滅する。
製造業壊滅の例として、本書は炭鉱を挙げている。これが私には国鉄民営化や郵政民営化と重なって見えた。イギリスの労働運動は炭鉱の労働組合がリードしていたが、廃鉱で組合は壊滅する。日本も国鉄の労働組合が賃上げをリードしていたが、民営化で影響力を失う。郵政民営化でも、最近は派遣労働者の待遇が問題になった。結果はイギリスも日本も同じだ。全国的に労働組合が力を失い、労働者の権利を代弁する全国的な組織がなくなったのだ。
クビを切られた炭鉱労働者は、別の職を探す。ないわけじゃない。だが、あるのは低賃金で不安定な派遣やパートだ。人の出入りが激しいから、労働組合もない。
2009年12月に発表された統計によると、金融危機にもかかわらず、就労者の数は増えはじめている。だが、5万件の新しい仕事の大部分はパートタイムだった。
――5 「いまやわれわれはみな中流階級」
…まるきし、今の日本じゃないか。まあいい。これに対しイギリス政府の見解はこうだ。「自己責任」。小泉改革かよ。資本主義である以上、競争があるのは仕方がない。私も能力主義は正しいと思っていた。しかし…
「…純粋なメリトクラシー(能力主義)を導入するなら、財産の相続は無効にし、私立校も廃止しなければならない」
――3 「政治家」対「チャヴ」
そう、能力主義を主張する者は、相続税の増税を主張するだろうか? ねえ、麻生太郎さん。しかも、だ。
イギリスで私立学校にかよえるのは100人中7人だけだが(略)上級公務員の半数近くは私立学校出身で、財務担当の重役の7割、著名ジャーナリストの半数以上、弁護士の10人中約7人…
――6 作られた社会
能力を身に着けるための教育の機会が、生まれつきで決まっているのだ。そもそも日本の自民党は世襲議員ばっかりだし。加えて、能力主義には困った弊害もある。
…メリトクラシー(能力主義)は、「頂点に立っている者はそれだけの価値があるから」とか、「底辺にいる者はたんに才能が足りず、その地位がふさわしいから」といった正当化に使われる。
――3 「政治家」対「チャヴ」
昔なら産業の礎としての誇りを持てた労働者が、能力主義では無能と蔑まれてしまう。働いて子供を養うトーチャン・カーチャンが、自分に誇りを持てないってのは、国としてもヤバいんじゃないの? というか、昔は働く者が誇りを持てたのだって所に、私は全く気付かなかった。そう、労働者は誇りを持っていいい、というか持つべきなのだ。
同様に、「保守系の人は犯罪などを家族の問題にしたがるけど、それ自己責任と同様に、制度や政策のツケを個人に押し付けてるんじゃね?」なんて指摘には、目からうろこが落ちる気分になった。
これに対し、労働者の代弁者であるべき労働党は、何をやっているのか。実は、労働党の議員は、労働者の暮らしの実態を知らないのだ。なぜって、彼らの多くは中流階級出身の高学歴だから。昔は労働組合出身で叩き上げの議員がいたけど、今は組合がアレだし。だから…
タイムズ紙メラニー・レイド「私たちのようなおとなしい中流階級には、この事件は理解できない」(略)「なぜならこの種の貧困は、アフガニスタンで起きることのように私たちの日常からかけ離れているからだ。デュースベリーの白人労働者の生活は、まるで外国のようだ」
――1 シャノン・マシューズの奇妙な事件
そして、労働党は戦略を誤った。労働者の生活改善を放置して、マイノリティに優しいリベラルを演じた。だが…
リベラルな多文化主義は、不平等を純粋に「人種」の視点からとらえ、「階級」を無視している。
――8 「移民嫌悪」という反動
これに失望した労働者は、労働党を見限る。その票を喰ったのは、愛国を訴え、生活保護を不正受給するたかり屋を叩くナショナリストだ。本書ではBNP=イギリス国民党だが、日本なら維新の会だね。だが、不正受給ったって…
(公認会計士リチャード・)マーフィーの試算では、脱税による財務省の損失は年間700憶ポンド(約10兆円)にのぼり、生活保護の不正受給額の70倍以上だ。
――5 「いまやわれわれはみな中流階級」
なんだけど、彼らはパナマ文書(→Wikipedia)には大人しいんだよなあ。失業手当にしたって…
雇用者側から見ると、失業を「偽装」して生活している何十万人もの人々から給付金を奪い取ることは、少なくとも利益になる。いっそう多くの人が低賃金の仕事をめぐって競い合い、賃金の下落に拍車がかかるからだ。
――7 「ブロークン・ブリテン」の本当の顔
資本主義の基本、需要と供給の関係だね。労働力の需要が変わらず供給すなわち求職者が増えれば、安い賃金で働く者も出てくる。それで得するのは雇う側だ。
不況が労働者の生活を踏みにじり、何千人もの人を失業させているなかで、再富裕層1000人の富が2009年から10年の間に30%も増え、史上最高の増加率だった…
―― ――結論 「新しい」階級政治へ
もう一つ、維新やBNPが得意とする手口がある。宣伝だ。
徹底した宣伝活動には、お決まりの仕掛けがある――極端な例を見つけ出し、偏った情報にもっぱら取材し、統計や事実による裏づけのない大胆な主張をするのだ。
――ふたたび、親愛なるみなさんへ
増えてもいない事象を「相次いでいる」と言って増えているように思い込ませる(→「日本の殺人」)なんてのは日本のマスコミの常套手段だが、BBCの例はもっと怖い。
2009年にリンジー石油精製所でストライキが起きた。労働者の一人はこう話した。「ポルトガル人やイタリア人とはいっしょに働けない」。これを見た人は、こう思うだろう。「この労働者は人種差別主義者だ」。だが、放送は次の言葉をワザと省いていた。
「彼らから隔離されているからね」
これでは意味が正反対になる。あのBBCですら、そういう印象操作をしているという事に、私は暗澹たる気持ちになった。
他にも、
ジャーナリストのニック・コーエン「富裕層が見事にやりとげたことのひとつは、中流階級以下の多くの人々に、自分たちは中流だと信じ込ませたことだ」
――結論 「新しい」階級政治へ
なんてのに、「そういえばかつて日本も一億総中流社会とか言われたなあ」なんて遠い目になったり。あれで「労働組合って、なんかビンボくさくてダサいよね」的に思い込まされたんだ。
やたらエキサイトしたせいで、無駄に長いわりにまとまりのない記事になってしまった。中身はわからなくとも、興奮している事だけでも読者に伝わればいいと思う。つまり、そういう本です。
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