岩瀬昇「日本軍はなぜ満州大油田を発見できなかったのか」文春新書
杉山元参謀総長「本報告の調査および推論の方法はおおむね完璧で間然とするところがない。しかしその結論は国策に反する。したがって、本報告の謄写本は全部直ちに焼却せよ」
――第5章 対米開戦、葬られたシナリオ
【どんな本?】
蒸気機関の戦争だった第一次世界大戦に対し、第二次世界大戦は石油の戦争となった。戦車も航空機も空母も燃料は石油だ。太平洋戦争では、南方の油田を目指し帝国陸海軍が突進した。陸軍・海軍ともに、石油の重要性はわかっていたようだ。
では、戦前・戦中の石油を含む大日本帝国のエネルギー政策は、どんなものだったのか。例えば満州には大慶油田(→Wikipedia)や遼河油田(→Wikipedia)が眠っているが、大日本帝国はなぜ発見できなかったのか。米国が先導する経済制裁に対し、どのような対応策を取ったのか。更には、日米の圧倒的な経済力の差を、どう認識して開戦に踏み切ったのか。
著者は三井物産及び三井石油開発に勤務し、退職後もエネルギーアナリストとして研究を続けている。終戦直後、軍や政府の資料は多くが焼却されてしまった。しかし、石油関連会社など民間の資料は残っている。
本書はこれらに加え、戦後に出版された軍人・民間人の手記や回顧録などを丹念に漁り、また仕事を通じて培ったエネルギー関連の豊かな人脈を駆使して、戦前・戦中における大日本帝国のエネルギー政策を検証する。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2016年1月20日第1刷発行。新書版で縦一段組み本文約238頁。9ポイント42字×16行×238頁=約159,936字、400字詰め原稿用紙で約400枚。文庫本なら少し薄めの一冊分ぐらい。
文章は比較的こなれている。内容も特に難しくない。全体を理解するには日本現代史と石油の双方の知識が必要だが、本当に重要な点は本書内にちゃんと書いてあるので、あまり前提知識は要らない。その分、頁数の割に中身は濃い本だが、じっくり読めば必要な事は理解できるので、あせらずに読もう。また日付を元号と西暦の双方で書いてある工夫が有り難い。
【構成は?】
ほぼ時系列順に進むので、なるべく頭から読もう。
はじめに
第1章 海軍こそが主役
第2章 北樺太石油と外交交渉
第3章 満州に石油はあるか
第4章 動き出すのが遅かった陸軍
第5章 対米開戦、葬られたシナリオ
第6章 南方油田を奪取したものの
第7章 持たざる者は持たざるなりに
主な引用・参考文献
【感想は?】
今も昔も、国の盛衰はエネルギー次第なのだ。
昔については、「森と文明」で思い知った。大英帝国の躍進も、豊かな炭田があったからだ。では、大日本帝国のエネルギー政策はどうだったのか。これを検証するのが、この本だ。
全編を通し、著者の静かな怒りが伝わってくる。決して罵らず口調も荒げず、淡々と事実を記すだけだ。だからこそ、当時の大日本帝国の支配層が、いかに現実を受け入れようとしなかったか、思い込みにはまり込んで愚行に走ったかを、根拠に基づいて冷静かつ論理的に指摘してゆく。
なにせ冒頭の「はじめに」から、「戦前、戦中を通じ、国家としての統一された石油政策が存在したとはいいがかたく」とある。当時の大日本帝国が、マトモな経済政策や軍需政策を持っていなかったのは、「海上護衛戦」でも散々に指摘されていた。
第一部では、海軍は比較的に早くから石油の重要性を認識していた、とある。が、その直後に、水ガソリン詐欺事件を引っ張り出す。1938年、詐欺師が水をガソリンに変えると触れ込んで、海軍上層部が危うく騙されかけた事件だ。技術屋はペテンだと指摘したにも関わらず、井上成美軍務局長曰く「上長批判はけしからん」。いや化学に上長もヘッタクレもねえだろうに。
もちろん著者は「ヘッタクレ」なんて下品な言葉は使わない。調査と取材で得た事実を記すだけである。それだけに強い説得力を持って、当時の軍はそういう体質だったのだ、という現実が痛いぐらいに伝わってくる。
実はもう一つ、重要な点がある。本書全般を通し、陸軍と海軍を対比して描いている点だ。「第6章 南方油田を奪取したものの」では、1942年11月に海軍のタンカー黒潮丸がパレンバンで陸軍の製油所から給油を受けた事件を紹介している。上との連絡が取れず、独断で給油を指示した陸軍の廠長、なんと上からお叱りを受け、昇進も邪魔されている。独断はけしからん、と。
独断云々はタテマエで、陸海軍の睨み合いが原因なのは、読んでいればだいたいわかる。そもそも陸海軍が別々に石油政策を持っている事がおかしい。まあ、他にもあらゆる軍需品に関してマトモな計画がなかったのは、「海上護衛戦」で散々に毒づいてるけど。
とかの分かりやすい量の問題に加え、当時の大日本帝国は質の問題も抱えていた。走り屋はみんな知ってるオクタン価(→Wikipedia)だ。これも当時の事情は…
揮発油(ガソリン、ジェット燃料)の品質基準に「オクタン価」というものがあることを、日本の石油関係者が知ったのは、昭和七(1932)年から一年間、海軍機関少佐だった渡辺伊三郎が欧米視察に出たときのことだった。
――第4章 動き出すのが遅かった陸軍
というから、陸海軍の技術軽視は凄まじい。もっとも、「兵士というもの」にも、陸軍兵士は技術の話をほとんどしなかった、とあるので、世界的に陸軍は技術を軽んじる傾向があるのかも。対して空軍兵はエンジンを重視したとかで、空軍が独立してたドイツじゃ技術屋は比較的にマシだったんだろうなあ。
終盤では、開戦前に日米の経済力を比べた秋丸機関(→Wikipedia)と、それとは別に陸軍参謀本部が新庄健吉陸軍主計大佐に命じて行った経済力調査の顛末が出てくる。結果は、ご想像のとおり。なんで「愚行の世界史」か取り上げなかったのか、と不思議に思うぐらい、愚か極まりない結論に向かって突っ走ってゆく。
他にもソ連に翻弄される北樺太油田、満州での関東軍あげてのペテン、軍事機密に阻まれ必要な統計すら取れない縦割り組織の悲劇、「軍人、軍馬、軍犬、軍鳩、軍属」と揶揄される軍の技術者軽視など、もはや笑うしかない当時の大日本帝国の出鱈目さを、あくまでも冷静沈着に事実だけを記す形で綴ってゆく。
歴史を掘り起こし、そこから国家のエネルギー戦略の教訓を学ぶと共に、あの戦争の原点を探ろうとする、見た目は薄いながらも中身は極めて濃い本だ。
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