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2019年8月 9日 (金)

ピーター・ワッツ「巨星 ピーター・ワッツ傑作選」創元SF文庫 嶋田洋一訳

名前はどうでもいい。名前は居場所の記号に過ぎない。バイオマスはどれも交換可能だ。
  ――遊星からの物体Xの回想

正しい受容ニューロンを刺激すれば、脳が勝手にスパムを生成するのだ。
  ――神の目

「あの人たちがずっとやってきたのは、流行する専門用語をでっち上げることだけでしょ」
  ――乱雲

「道徳って本当は何だかわかる?」
  ――付随的被害

それはわたしの決断でなくてはならなかった。彼らが手を血で汚さなくても済む方法はそれしかない。
  ――ホットショット

「難局?」
「接触シナリオなんだ、たぶん」
  ――島

【どんな本?】

 「ブラインドサイト」「エコープラクシア」と、突き放した目線でクールかつドライな作品で話題を呼んだピーター・ワッツの、日本独自の短編集。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2019年3月22日初版。文庫本で縦一段組み、本文約351頁に加え、高島雄哉による解説5頁。8ポイント42字×18行×351頁=約265,356字、400字詰め原稿用紙で約664枚。文庫本では少し厚め。

 文章は硬い。内容も、かなり取っつきにくい。異常なモノゴトを当たり前のように描いたり、普通のことを科学の言葉で表したり。つまりは思いっきり濃いSFが読みたい人向きの芸風です。

【収録作は?】

 それぞれ日本語作品名 / 英語作品名 / 初出。

天使 / Malak / Engineering Infinity 2010
 死の天使、アズラエル。与えられた計画に従って空中を哨戒し、プログラムに従って自ら標的を選び攻撃する、自動戦闘機械。友軍は緑、中立は青、敵は赤。敵味方の識別は、彼らの行動により変わる。攻撃してくれば敵。味方を攻撃すれば敵。攻撃した際の利益と、守るべき対象の損害の割合、付随的被害の予想値=PCDを常に計算し、攻撃実施後に再評価する。
 今のところ、無人攻撃機はヒトが操縦している。でもいずれ妨害電波によるジャミングや乗っ取りが激しくなるだろうし、そうなれば自律的に判断して攻撃するモノも出てくるだろう。そんなマシンが野良になったら…と思ったが、実は既に野良の殺戮マシンが世に溢れているのだった。地雷・機雷そして不発弾である。頭が悪いわりに辛抱強く寿命も長い上に補給要らずだから実にタチが悪い。
遊星からの物体Xの回想 / The Thing / Clarksworld Magaazine 2010年1月号
 わたしは無数の世界を渡り歩いてきた。探検家として、外交官として、伝道師として。だが衝突時に多くの派生体を失い、蓄えた叡智も失い、氷に包まれた。再び目覚めたとき、二本足の派生体がわたしを囲んでいた。そこで彼らと交霊しようとしたが…
 みんな大好きジョン・カーペンターの傑作「遊星からの物体X」を、物体Xの視点で語りなおした作品。「わたし」が人間の世界を学ぶ過程の描き方が、実にセンス・オブ・ワンダーに溢れていて気持ちいい。
神の目 / The Eyes of God / The Solaris Book of New Science Fiction Vol.2 2008
 空港の搭乗前セキュリティには、スキャン待ちの列ができている。スワンク、脳をスキャンし、犯罪を犯しかねない者を見つけ出す。そして危険と判断された者は、一時的に脳の配線を変える。これで空は安全になった。
 宗旨替えしたオックスフォード大学の無神論者は彼(→Wikipedia)だろうなあw 今でも脳の一部を刺激することで、人為的に宗教的な法悦を作りだせるらしい(→「確信する脳」「書きたがる脳」)。また、時間はかかるし精度も極めて荒いが、その人の倫理的な傾向も洗い出せるとか(→「社会はなぜ左と右にわかれるのか」)。P・K・ディックが好みそうな主題だが、料理法はいかにもワッツらしい。
乱雲 / Nimbus / On Spec 1994年夏季号
 雲が人を襲い始めた。戦いを挑む者もいるが、まったく相手にならない。生き残った者は城壁内の要塞に立てこもり、なんとか命をつないでいる。雲が何を考えているのか、誰も分からない。でも娘のジェスは、今日も屋外で雲の声を聴いている。雲から漏れる電波を受信器で拾うのだ。だが、雲が何を語っているのかは、ジェスにも分からない。
 今だってクジラやイルカの声を聴く人はいる。だが、それが何を意味しているのかまでは分からない。それぞれ勝手に解釈してるけど、解釈があっている保証は全くない。考えてみりゃ、同じ人間同士でさえ互いが何を考えてるか理解しあえず、結局は武力で解決してきたのが人類の歴史なわけで、他の種族とコミュニケーションが取れるなんてのは、たいへんな思い上がりなのかも。
肉の言葉 / Flesh Made Word / Prairie Fire 1994夏季号
 ウェスコットは実験を重ねる。チンパンジーなどの動物が、死の瞬間に何を考えるのか。脳の活動を記録して、それを探ろうとする。その日、実験が終わった時、恋人のリンが入ってきた。飼い猫のゾンビが事故に遭った。助かる望みはない。獣医は安楽死を薦めている、と。ウェスコットの昔の恋人キャロルもまた…
 次々と実験動物を殺し実験を重ねるウェスコットは、心底から冷たい機械のような人間に見える。長く飼っていた猫のゾンビが死んだ時も、全く動じない風だし。とまれ、リンが見切りをつけたのは、別の理由じゃないかと思うんだが、どうなんだろ?
帰郷 / Home / On Spec 1999夏季号
 北太平洋、アリューシャン列島近辺の海中。それは元は人間だった。身体を改造し、海中の暮らしに適応した。400気圧の水圧にも耐え、何でも食べる。その代償に、人間としての理性を失い、知能は蜥蜴並みになった。何かに導かれ、ここに来たようだ。ステーションは呼びかける。「ようこそお帰りなさい」
 ちょっとシマックの名作「都市」の第四話「逃亡者」に似た風景だけど、その背景にある事情は見事に裏返ってる。「命がけで南極に住んでみた」に、南極基地で冬を越す常連さんが出てくるけど、そんな感じなのかも。異論はあるだろうけど、ハッピーエンドだと私は思う。「ティファニーで朝食を」のホリーなら、どうしただろうか。
炎のブランド / Firebrand / Twelve Tomorrows 2013
 ライアン・フレッチャーは、煙草に火をつけようとした時、炎を吹き出した。メイ=リー・バドゥラは仮設トイレで爆発した。グレタとロジャーのヤング夫妻はベッドで焼死体となった。いずれもドーラは巧く始末した。グリーンヘックス社から目をそらすよう仕向けたのだ。グリーンヘックス社は藻のプラスミドを改造し、食料やドラッグやガソリンを生み出すようにしている。
 プラスミド(→Wikipedia)はDNAだが、核でもミトコンドリアでもない。油をつくる藻の研究は、今でも行われている(→Wikipedia)。石油輸入国の日本としてはなんとか実用化したい技術だが、今はまだ費用的に難しいようだ。煙草が安全の印になるのも、ここ半世紀の煙草産業がやってきた事を考えると、皮肉が効いている。
付随的被害 / Collateral / Upgraded 2014
 ナンディタ・ベッカー伍長は改造人間である。人工筋肉などで肉体を強化しているだけでなく、脳にもコンピューター・インタフェースを埋め込み、反応速度も高速化した。意識が決定を下す前に、肉体が行動を起こすのである。その日、ベッカー伍長は作戦区域に入り込んだ者を射ち殺した。それは民間人だった。この事件をジャーナリストのアマル・サブリエが嗅ぎつけ…
 軍とサブリエの盗聴・防諜合戦が楽しい。ドローンが街中をウロチョロするようになると、インタビュウの場所を選ぶのも大変だw 兵を強化しようって発想を遡ると、棍棒や投石まで遡るかも。その時代にも誤認・誤射はあっただろうから、これは古くて新しい問題…かと思ったら、お話は思わぬ方向へとスライドしていき…。
ホットショット / Hotshot / Reach for Infinity 2014
 ディアスポラ計画。巨大な宇宙船で宇宙を航行し、超光速航行を可能とするワームホール網を作り上げる。その乗務員は生まれる前から遺伝子を改造され、乗務員となるべく育てられる。自ら乗務員となる事を望むように。しかしベッキーは違った。乗り込む前、ベッキーは二ヶ月の猶予を求め、太陽へのダイブを試みる。
 以降、「巨星」「島」と続く三部作(実は四部作だが第二部は未訳)の開幕編。この選択は自分の意志なのか、強いられたものなのか。というベッキーの悩みが主題なんだけど、それより太陽へのダイブの描写が強烈すぎて、そっちの方が強い印象を残してしまうw
巨星 / Giants / Extreme Planets 2014
 ワームホール構築船<エリオフォラ>。普段は人工知能のチンプが管理し、乗務員は眠っている。チンプが処理できない事態になった時、何人かの乗務員を起こす。今、起きたのは、ぼくとハキムの二人。この星系は、デブリと小惑星を除けば、赤色巨星と氷結した巨大惑星。<エリオフォラ>は赤色巨星への衝突コースを辿っていた。
 人工知能チンプとリンクしているぼくと、リンクを壊したハキム。コンピュータの記憶・計算能力を、モニタ越しなんて不細工なインタフェースではなく、リアルタイムで使いたい、と思うことはよくある。そうすりゃいつどこでもポケモンGOが…って、違うw この作品も、そういう主題より、描かれる風景に圧倒されてしまうのが難点かもw
島 / The Island / The New Space Opera 2 2009
 <エリオフォラ>が航行を初めて十億年ほどが過ぎた。起きたサンディは、息子と名乗るディクスと問題にあたる。目前の赤色矮星が、奇妙な変動をしている。変動は対数直線的に増加し、92.5標準秒で繰り返す。恒星の光を信号に使うほどのテクノロジーを持った知性からのメッセージだ。
 チンプとリンクした者の視点で描かれた前作に対し、今回はリンクがない者の視点で描く作品。やはり今作も仕掛けの大きさや鮮やかさの輝きが見事すぎて、主題がかすれてしまうのがなんともw 改めて考えると、ヒトを超える知能を作る技術が可能なら、いつかは作ってしまうのがヒトなんじゃなかろか。とすると、アレもコレも…

 クールかつ乾いた文体で、思いっきり奇想天外かつ過激な発想を叩きつけてくるのが、ピーター・ワッツの怖いところ。でもテーマの原点を突き詰めると、例えば「天使」だと落とし穴にまで遡って考えちゃったり。それはそれとして、末尾の三作は、とにかく描かれる場面の迫力が凄い。じっくり、時間をかけて楽しもう。

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