S・J・モーデン「火星無期懲役」ハヤカワ文庫SF 金子浩訳
「で、そこはどこなんだ? 七人の囚人を送り込んで刑務所を建てさせ、そこに死ぬまで閉じ込めようっていう場所は?」
「火星だ」
――p18フランクの命は息の数で勘定できた。体を動かせば動かすほど、残りの数が少なくなった。
――p198「…やつらはおれたちを、資源としか思ってないんだ」
――p257「働け。おれがおまえらに求めるのはそれだけだ」
――p288おれはどんな事故で死ぬんだろう? スーツの故障? 空気に問題が発生する?
――p432
【どんな本?】
21世紀半ば。フランクことフランクリン・キットリッジは51歳。工務店を営んでいたが、今は120年の懲役で刑に服している。息子に麻薬を売るバイニンを殺したのだ。
そんなフランクに、取引が持ちかけられた。民間企業が火星に基地を作ろうとしている。まず監督官と七人の囚人を送り込み、基地を建設して居住環境を整える。次に科学者を送り、囚人たちは基地の保守や増築を担う。基地建設の初期は最も厳しく危険な工程だ。エリートを使えば費用がかさみ、被害者が出れば大きな非難を浴びる。そこを囚人に任せれば、費用を節約できて失敗時の炎上も小さくて済む。
フランクは取引に応じた。同僚となる囚人たちは気難しい奴もいるが、人の良さそうな奴もいて、なんとかやっていけそうだ。だが監督官はいけすかないし、訓練場の様子もおかしい。それでも訓練の内容は生存と建設の技術を磨く相応しいながらも厳しいもので…
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は ONE WAY, by S. J. Morden, 2018。日本語版は2019年4月15日発行。文庫本で縦一段組み本文約517頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント40字×17行×517頁=約351,560字、400字詰め原稿用紙で約879枚。上下巻に分けてもいい分量。
文章はこなれている。内容も分かりやすい。科学考証はしっかりしているが、楽しむ分には特に気にしなくてもいい。敢えて言えば、火星の大気は地球の1/100未満で、しかも二酸化炭素ばかりって事ぐらい。要は空気がないも同じなんです。
【感想は?】
解説によると、出版社からは「火星の人」の二番煎じとして注文を受けたそうだ。確かにそういう部分はある。
似ているのは、火星でのサバイバルということ。この点で、特に技術面における迫真性は、「火星の人」とタメを張る。大きな違いは、生存者が万能のエリートではなく、それぞれが専門技能を持つ囚人である点と、複数である点だ。また、主催が民間企業なのも大きい。
お陰でマーク君のように多様な創意工夫の才はないし、生き残るための資源も大量に必要になる。その分、SFとしては技術面での面白さがグッと増えた。人が頼りない分、それを補佐するメカの役割が大きくなっている。
最初に頼もしく感じるのは、バギー。火星じゃ空気がないから、もちろん内燃機関は使えない。電動車である。ロケットで運ぶんで、軽くなくちゃいけない。ってんで、タイヤとエンジンをシャーシで結びつけただけみたいな、武骨なシロモノになる。もちろん、気密はない。宇宙服を着て乗る。しかも速度はせいぜい時速16km程度。地上なら渋滞してるかのようなスピードだ。
にもかかわらず、序盤から中盤にかけては、このバギーが実に頼もしく思えてくる。まさしく命綱の役割を果たすのだ。
バギーから始まって、彼らが自分たちの生存環境を整えていくあたりは、次から次へと想定外のトラブルが降りかかり、緊張感がまったく途絶えない。これには主催が民間企業である点も手伝って、けっこうセコい理由でピンチが訪れたりする。特に厳しいのが電力で、これの確保には最後まで苦労する。
などの自然相手の苦労に加え、チームならではの問題も持ち上がる。何せ囚人だけに、チームワークを築くのが難しい。だけでなく、一人また一人と死んでゆく。
というと犯人捜しのミステリのようだが、そこは巧みにヒネってある。けっこう早いうちに犯人の目星がつくのだ。これは、彼らにはわからないが読者にはわかるよう、作中にヒントを散りばめているため。おかげで誰が何のために犯行を重ねるのか、ミステリが苦手な私でも、だいたいの見当がついた。
じゃつまらないかというと、逆だから憎い。奴の目的がアレだとすると、彼らは極めてヤバい状況にある。しかも、環境が整うに従って、むしろヤバさは増してしまう。読者はわかるが、彼らはわからないし、わかっても対策がない。このサスペンスは最後まで続き、読者を引っ張ってゆく。
などに加え、個人的には主人公フランクがオッサンなのが嬉しい。
なにせ51歳、いい歳である。囚人仲間には、もっと齢を経た者までいる。おまけに長い刑務所暮らしで、体がナマっている。にも関わらず、孤立無援の火星で生き延び、基地まで建設しなきゃいけない。だもんで、訓練で感じる厳しさもひとしお。この辺は、SFが歴史を経て年配の読者が増えたからこその描写だろう。いやホント、ランニングの場面は実に痛々しかった。
真空に近い環境での作業に伴う困難や危険を描く場面では、意外な問題を指摘してSF者を唸らせつつ、巧みに捻った設定と小説ならではの構成でサスペンスを盛り上げ、最後まで読者をグイグイと引っぱってゆく、今世紀ならではの本格的なSF娯楽大作だ。
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