ジュリアン・ジェインズ「神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡」紀伊國屋書店 柴田裕之訳 1
…私たちは意識とは何かを規定することから新たに始める必要がある。(略)あるものの正体を明かす手がかりすら得られないとき、それが何でないかを問うことから始めるのは賢明なやり方だ。
――序章 意識の問題何かを理解するというのは、より馴染みのあるものに言い換え、ある比喩にたどり着くことだ。つまり、馴染み深さが、理解したという気持ちに通ずる。
――第1部 人間の心 第2章 意識意識が言語の後に生まれたとは!
――第1部 人間の心 第2章 意識おしなべて、『イーリアス』には意識というものがない
――第1部 人間の心 第3章 『イーリアス』の心…意思は神経系における命令という性質を持つ声として現われたのであり、そこでは命令と行動は不可分で、聞くことが従うことだったのだ。
――第1部 人間の心 第4章 <二分心>私が<二分心>と呼ぶ構造にまとめられた脳は、何千年もの間。人間の文明の基礎だった。それなのに、訓戒の声が聞こえなくなり、代わって意識という新しい仕組みを得るというような機能の変化を、どうしてこれほど短い間に遂げえたのだろうか。
――第1部 人間の心 第5章 二つの部分から成る脳…ほとんどの種にとって、群れの大きさの上限を決定するのは、この意思疎通システムだ。
――第1部 人間の心 第6章 文明の起源
【どんな本?】
約三千年前まで、人類は意識を持っていなかった。
本書は、この大胆かつ奇想天外な仮説を唱え、その根拠を示して検証し、現代にも残る名残を挙げてゆくものだ。
しかし、誰だって反論したくなるだろう。ヒトが歴史上のどこかで意識を獲得したのは確かだ。だが、三千年前=紀元前千年ごろとは、いささか近すぎるのではないか。もっと前から、メソポタミア/エジプト/インダス/黄河などの四代文明があったではないか。意識もなしに、どうやって文明を築き維持していたのか。そもそも、意識の有無を、どうやって検証するのか。
著者は、これらの問いに対し、まず「意識とは何か」「それは何の役に立つのか」から問い直し、古代の遺物・遺跡や『イーリアス』に代表される文献を検証し、仮説に裏付けを与えてゆく。
正規の大発見か、はたまたトンデモか、または今後の発展が期待される新たな学問の源なのか。各界に話題を読んだ問題の書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The Origin of Consciousness in the Breakedown of the Bicaameral Mind, by Julian Jaynes, 1976, 1999。日本語版は2005年4月6日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約560頁に加え、訳者あとがき8頁。9ポイント45字×18行×560頁=約453,600字、400字詰め原稿用紙で約1,134枚。文庫なら厚めの上下巻ぐらいの大容量。
学術書らしく文章はやや硬い。内容もけっこう難しい。何せ扱うのが「意識」だけに、深く考えないと理解できない部分もある。また、古代史の知識もあった方がいい。特に大事なのはメソポタミアとギリシア。そして、最も重要なのは『イーリアス』だ。いや私はいずれも疎いんだけど。
【構成は?】
序文では、こう説明している。
第1部では、私がたどり着いた考えの数々をそのまま提示する。
第2部では、歴史的な証拠を検証する。
第3部では、推論を行って現代における現象の説明を試みる。
そんなワケで、素直に頭から読むといいだろう。
- 序文
- 序章 意識の問題
- 第1部 人間の心
- 第1章 意識についての意識
- 第2章 意識
- 第3章 『イーリアス』の心
- 第4章 <二分心>
- 第5章 二つの部分から成る脳
- 第6章 文明の起源
- 第2部 歴史の証言
- 第1章 神、墓、偶像
- 第2章 文字を持つ<二分心>の神政政治
- 第3章 意識のもと
- 第4章 メソポタミアにおける心の変化
- 第5章 ギリシアの知的意識
- 第6章 ハビルの道徳意識
- 第3部 <二分心>の名残り
- 第1章 失われた権威を求めて
- 第2章 予言者と憑依
- 第3章 詩と音楽
- 第4章 催眠
- 第5章 統合失調症
- 第6章 科学という占い
- 後記/訳者あとがき/原注/事項索引/人名索引
【感想は?】
第2部の第5章まで読み終えた時点で、この記事を書いている。
何せ読み終えていないので、著者の説に賛成も反対もできない。が、とりあえず、野次馬根性をそそられるのは事実だ。なんたって、「ヒトが意識を獲得したのは三千年前だ」なんて大胆な話なんだから。
そんなことを言われたら、「ブラインドサイト」「エコープラクシア」「巨星」と読んできたSFファンとしては、読まずにいられないじゃないか。果たして意識を持たぬ者が、文明を構築できるのだろうか。そんな社会は、維持できるんだろうか。あ、でも、蟻やミツバチは社会を作ってるなあ。
と、突然にヒト以外の生物の話を出したのは他でもない、著者も最初は動物行動学の研究者としてキャリアを歩み始めたからだ。そこで興味深い実験の話がある。ネズミに電気ショックを与える実験だ。
単に電気ショックを与えるだけなら、腫瘍はできない。餌や水を得るには通電した格子板を通らなければならいと、腫瘍ができる。「食べたい、でもビリビリは嫌」という葛藤が腫瘍を作るのだ。葛藤のストレスってのは、相当に大きいものらしい。そういえばスティーブ・ジョブスはいつも同じ服を着ていたって話があるなあ。何かを選ぶのは、心の負担になるからって理由で。
そんなワケで、ヒトは指針を求める。指針が必要なのは、意識があるからだ。意識がなければ、そんなモノは要らない。自動的に体が動くんだから。でも、それで暮らしていけるのか?
案外と、たいていの事はできたりする。酔っぱらいは意識がなくても、ちゃんと自分の家に帰るし。本書では自動車の運転を引き合いに出す。助手席の人とお喋りしていても、たいていは問題なく運転できる。クラッチを踏みシフトレバーを入れ替えアクセルを踏んで再びクラッチをつなぐ。こういう動作を、ドライバーは無意識に行っている。
どころか、多くのスポーツは、個々の筋肉を意識すると、かえって巧くいかない。自分がどうやって歩いているのか、普通は考えたりしない。往々にして、意識なんてない方がいいのだ。
ここでは、私たちの活動の多くに意識はたいした影響を持たないと結論しておけば事足りる。
――第1部 人間の心 第1章 意識についての意識
では、それ以前の人々は、どうやって暮らしていたのか。そこでこの本のもう一つの大胆な仮説、<二分心>が出てくる。極論すると、神々の声を発する右脳と、それを聞く左脳だ。ヒトは、自らの脳が発する声を「神々の声」と考え、それに従って生きてきたのだ。
前章で導き出された途方もない仮説は、遠い昔、人間の心は、命令を下す「神」と呼ばれる部分と、それに従う「人間」と呼ばれる部分に二分されていた、というものだ。
――第1部 人間の心 第4章 <二分心>…人間の側に必要な機能は左(優位)半球にあり、神々の側に必要な機能は右半球により顕著に現れていると考えられる。
――第1部 人間の心 第5章 二つの部分から成る脳
もっとも、「生まれつき大脳の半分がないけど普通に暮らしてる60歳の男」なんてニュースもある(→RUSSIA BEYOND)。だから実はそれほどハッキリと右脳・左脳が役割分担してるワケじゃないらしい。物理的な脳の部位=ハードウェアと、それが担う役割=ソフトウェアは別、と考えれば、著者の説もアリかもしれない。コンピュータでアプリケーションが主記憶のどのアドレスにロードされるか、みたいな感じかな?←もっとわかんねえよ
それはともかく、著者の説を受け入れると、SF者としては第1部の終盤で強烈なアッパーを食らうから怖い。
現在、意識が神経学的にどのようであろうと、その状態がいつの時代にも不変であると考えるのは誤りだろう。
――第1部 人間の心 第5章 二つの部分から成る脳
おお、これぞまさしくピーター・ワッツの世界ではないか。将来、脳とコンピュータが直結したら、ヒトの精神構造は、根本的に変わるかもしれない。意識に成り代わる何者かが、立ち現れる可能性がある。なんかゾクゾクしてきたなあ。いや著者の視線=過去とは逆の方向=未来を向いた発想だけど。…ああ、ボーグって、そういうことか。
というところで、次の記事に続く。
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