門田充宏「風牙」創元日本SF叢書
お願い珊瑚ちゃん、<閉鎖回廊>を今すぐ止めて。
――閉鎖回廊「初めまして、導きの御子さま。お目にかかれて、とても、とても嬉しいです」
――みなもとに還る
【どんな本?】
2014年度の第五回創元SF短編賞を受賞した新人SF作家・門田充宏のデビュー連作短編集。
舞台は近未来の日本。人は多かれ少なかれ、他人の気持ちを推しはかることができる。中には、それが極端で他人の感覚を我がことのように感じてしまう者もいる。過剰共感能力、HSPと呼ぶ。酷い場合は、他人の感覚と自分の感覚の区別がつかず、普通の暮らしが難しい。
主人公の珊瑚はグレード5、最上級のHSPだ。幼い頃には感覚の洪水に流され自我の確立すら覚束なかったが、補助機器トランキライザーなどによってなんとか自立できるようになった。今は新興企業の九龍で、記憶翻訳者=インタープリタとして働いている。
インタープリタとは、他人の記憶データに入り込み、それを解釈・翻訳する職業だ。ヒトの感覚は、人によりそれぞれ異なる。同じ刺激でも、それをどう感じるかは人それぞれだ。この違いを乗り越えるには、HSPの特性が役に立つ。
幼い頃の記憶の欠落に悩みつつも、珊瑚は凄腕のインタープリタとして名を高めつつあったが…
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2018年10月31日初版。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約341頁に加え、あとがき4頁+長谷敏司の解説6頁。9ポイント43字×21行×341頁=約307,923字、400字詰め原稿用紙で約770枚。文庫本なら厚い一冊分ぐらい。
文章はこなれている。一見、難しそうな言葉も出てくるが、わからなかったら「なんかソレっぽいコト言ってる」ぐらいに思ってテキトーに流しても構わない。むしろ登場人物たちの言葉や想いが大切な作品なので、そっちに注意して読もう。
【収録作は?】
実はけっこう設定がややこしいので、できれば素直に頭から読もう。連作短編集としての仕掛けもあるし。
- 風牙 / 「年刊日本SF傑作選2013 さよならの儀式」2014年6月
- 不治の病を患い、余命を宣言された社長の不二が、記憶のレコーディングを望んだ。ただし汎用化(他人に理解できる形に変換する)処理はしないまま。普通なら半日ほどで終わるはずの処理が、五日たっても終わらない。もちろん、不二は意識を失ったままだ。そこで不二の意識を取り戻すため、珊瑚は不二の記憶への潜行を試みるが…
- この作品集の売り物であるガジェット、「インタープリタ」を描く冒頭が、センス・オブ・ワンダー全開で気持ちいい。小さな手掛かりを元に、感覚の翻訳辞書をアドホックに構築し、少しづつ他人の感覚または刺激を自分なりに解釈できるようにしてゆく部分だ。逆に、SFに慣れてない人は、ここが一番の難所かも。
- でも大丈夫。ここさえ乗り越えれば、後は「心のつながり」を描く物語になるから。
- この記事を書くため改めて読み直すと、珊瑚に次ぐ重要人物である不二の印象が大きく変わり、それと共にタイトル・ロールである風牙も、全く違って見えるのが凄い。解説にもあるように、とても優れた犬SFだ。犬好きにはシマックの「都市」やクーンツの「ウォッチャーズ」と並んでお薦めできる傑作。
- 閉鎖回廊 / <ミステリーズ!>vol.88,89 2018年4月、6月
- 新興企業の九龍が、社運を賭けて開発している疑験都市<九龍>。別人となって世界を体験し直すサービスだ。そのオープン前、公開ベータテストは好評を博している。特に、<閉鎖回廊>の恐ろしさは、病みつきになるほどだと評判が高い。しかし、その<閉鎖回廊>の開発者である由鶴から、珊瑚に連絡が入った。<閉鎖回廊>を止めろ、と。
- 込み入った設定の説明が必要だった「風牙」に比べ、すんなりと物語を始められる分だけ、著者の特徴が強く出ていると思う。なんといっても、疑験都市のアイデアがいい。曰く、「全く別の誰かとして世界を体験し直す」。今だってオンラインRPGなどで別人になりすます事はできる。やがてSAO=ソードアート・オンラインのように、全感覚の没入だって可能かもしれない。
- だが、<九龍>の発想は、全く違う。私はゴーヤなどの苦い物も好きだ。でも苦い物が嫌いな人もいる。そういう人は、私より苦味を強く感じていたり、または苦い味に慣れていなかったりするんだろう。ちなみに「美味しさ」には味覚のほかに嗅覚や記憶や思い込みが強く関係していて、しかも味覚も嗅覚も人により千差万別らしい(→「おいしさの錯覚」)。
- だから、同じゴーヤチャンプルーを見ても、私はよだれが出るが、苦手な人は「ウゲッ」と感じるだろう。同じ刺激でも、そこから何を感じ取るかは、人によりまちまちだ。
- そこで<九龍>である。私には、ゴーヤが苦手な人の気持ちが分からない。でも、<九龍>なら、そんな人の気持ちも分かる。
- こういう仕掛けに、著者の特徴が出ていると思うのだ。つまり、他の者を理解したい、他の者の気持ちを分かりたい、そういう想いを強く抱いている人なんだろう、と。勝手な想像だけど、私はそういう所が好きになった。いや実はそれ以上にカマラさんが魅力的なんだけどw
- みなもとに還る / 書き下ろし
- 疑験都市は好評だ。クリエイタも増え、モジュールの売り込みも多い。珊瑚もモジュールのレビューに駆り出される。普通レビュアーはランダムに割り当てるのだが、今回は珊瑚をレビュアーに指名していた。それは明らかに過剰共感能力者を対象とした作品であり、しかも珊瑚に宛てたメッセージだったのだ。
- 「閉鎖回廊」のカマラさんに続き、これまた個性的なジョージ君が登場する作品。典型的な理系の朴念仁というか、理屈先行で馬鹿正直なところがいいw
- それに対してお話は、珊瑚の過去を探りつつ、今までボンヤリとした見えてこなかった「過剰共感能力者とは何か」を、理屈ではなく感覚的に伝えてくる作品。出だしの疑験都市の場面で、過剰共感能力者が社会でどんな立場にいるのかを、巧みに描いている。なんと言っても、「子供の遊び」を使っているのが巧い。子供ってのは、時として残酷なほど正直だし。
- そんな過剰共感能力者が、この世界でどう生きていくか。テクノロジーを駆使して能力を武器にしようとする九龍と、全く違ったアプローチをとる彼ら。ある意味、SFが問うべき根本的な問題に、真正面から挑んだ意欲作だ。あと、ちょっと百合味。
- 虚ろの座 / 書き下ろし
- 「みなもとに還る」の舞台裏を明かす作品。すんんません、私にはネタバレを避けて紹介するのは無理です。
- これも珊瑚の過去に関わるお話。先の「みなもとに還る」は、過剰共感能力者の立場で見た社会の話なのに対し、この作品はそうでない者から見た過剰共感能力者との関係を描いている。ちょっとゲストとして出て来た青年は、彼なのかな? みたいなイースターエッグも嬉しいが、「閉鎖回廊」から続く「他の者の立場で世界を体験する」テーマを、残酷なほど見事に突き詰めていると思う。
最初の「風牙」は過剰共感能力というガジェットが主食のように見えるのに対し、続く作品では次第に人間関係に重点が移ってゆく。SFでデビューしたけど、そうでない小説でも充分に人気が出そうな人だと思う。でもお願いだからSFも書いてね。
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