ゼンケ・ナイツェル,ハラルト・ヴェルツァー「兵士というもの ドイツ兵捕虜盗聴記録に見る戦争の心理」みすず書房 小野寺拓也訳
我々が本書で再構築し、描写しようとするのはこの参照枠組みである。兵士たちの世界はどのようなものであったか。彼らは自分自身や敵をどのように見ていたのか。アドルフ・ヒトラーやナチズムについて何を考えていたのか。戦争がすでに敗色濃厚であったときでさえも戦い続けたのはなぜか。
――プロローグジグムント・フロイドが言うように、錯覚を共有している人間には、それが錯覚であることがわからない。
――第2章 兵士の世界 「第三帝国」の参照枠組みこれらの事例において注目すべきなのは、(略)「ユダヤ的なもの」のさまざまな側面を見つけ出すために発揮される創造性であり、もうひとつは(略)反ユダヤ主義的な排除措置を自発的に、しばしば先回りする形で行っていたことである。
――第2章 兵士の世界 「第三帝国」の参照枠組み本書で利用する史料を通覧する限りでは、ユダヤ人絶滅の事実ややり方に関する知識は兵士たちの間で広まっていたものの、彼らはこうした知識に特別な関心を示さなかったと判断せざるをえない。
――第3章 戦う、殺す、そして死ぬ 絶滅ヒエラルキーの中での地位が高くなればなるほど、失敗を認める能力も低下する。
――第3章 戦う、殺す、そして死ぬ 勝利への信念盗聴記録において印象深いのは、武装SSにおいては戦争犯罪というテーマについて語ることがきわめて当然であったこと、完全に無頓着であったことが示されている点である。
――第3章 戦う、殺す、そして死ぬ 武装SSすでに第一次世界大戦において捕虜は、報復もしくは妬みから殺害されている。自分自身は戦い続け、自分の命を危険にさらし続けなければいけないのに、戦争捕虜は安全ではないかと考えられたためだ。
――第4章 国防軍の戦争はどの程度ナチ的だったのか連合国の秘密情報機関にとって大いに喜ばしいことに、彼ら(捕虜)にとってのタブーテーマは、彼ら自身の感情だけであった。
――補遺
【どんな本?】
1996年、ある資料が機密解除される。第二次世界大戦中、英米軍はドイツ兵の捕虜収容所に盗聴器を仕掛け、彼らの会話を盗み聞きし、記録を取っていたのだ。
手紙や回顧録などの文書は、誰かに読まれる前提で書く。そのため、都合の悪いことは書かないなどの脚色が入るし、相応の教育を受けた者の手による資料が多い。後年での取材では、取材を受ける者がその後の経緯を知っているため、記憶が歪められがちだ。だが同時代のナマの会話なら、これらの改変を免れる。
もっとも、会話ならではの問題もある。「武勇伝」は誇張されがちだ。話相手の期待に沿わない話題も出てこない。話題はアチコチに飛び、論理的な一貫性もない。
それを踏まえた上でも、この史料は貴重である。この点に気づいた歴史学者のゼンケ・ナイツェルは、社会心理学者のハラルト・ヴェルツァーと組み、史料の研究を始める。
目的は、捕虜であるドイツ軍将兵の「参照枠組み」を明らかにすること。
私たちの言動は、多かれ少なかれ、その場の「空気」に従う。コンサートで優れた演奏を聴いた時、ヘビメタならスグに大声で歓声をあげるが、クラシックなら曲または楽章が終わるまで待つだろう。その場の言動の良し悪しを決めるのが、参照枠組みである。
参照枠組みにも、強弱がある。一時的に集まった群衆、例えば同じ電車に乗り合わせた人々の場合、参照枠組みは弱く、それぞれの個性が発揮される余地が広い。対して軍隊は極めて参照枠組みが強く、各将兵が個性を発揮する余地はほとんどない。軍が求めるのは命令に忠実に従う兵士であって、自らの考えで善悪を判断する人間ではないのだ。
著者らは捕虜となったドイツ軍将兵の膨大な会話記録を調べ、その根底にある当時のドイツ軍および第三帝国の、参照枠組み=「空気」を掘りだそうと試みる。
彼らは敵をどう見ていたのか。ナチスやヒトラーを、本当に信じていたのか。敗色濃厚となっても、なぜ戦い続けたのか。民間人やユダヤ人の虐殺を、どう考えていたのか。
歴史学者と社会心理学者のコンビが、盗聴記録という貴重な資料を基に、兵士たちの本音に迫る、重厚な研究書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は SOLDATEN : Protokolle vom Kämpfen, Töten und Sterben, by Sönke Neitzel&Harald Welzer, 2011。日本語版は2018年4月16日第1刷発行。単行本ハードカバー縦二段組み本文約393頁に加え、訳者あとがき17頁。9ポイント26字×22行×2段×393頁=約449,592字、400字詰め原稿用紙で約1,124枚。文庫なら厚めの上下巻ぐらいの分量。
文章はやや硬い。内容も素人には不親切。捕虜の会話では、その背景が大事だ。だから第二次世界大戦でのドイツ軍の戦況・部隊の性質・ユダヤ人虐殺などの知識が要る。にもかかわらず、これらについての説明は少ない。読みこなすには、現代の普通の日本人の感覚からすると、学者とまではいかないまでも、ヌルい軍ヲタ並みの知識が必要だ。
まったく、社会学者ってのは、人の立場で考えるって能力が酷く欠けてるんだよなあ。
第二次世界大戦の概要はこちら(→Wikipedia)。大雑把には、こんな感じ。1939年9月に始まり、1941年冬までドイツ軍は好調、1943年2月まで膠着状態、以後ドイツ軍は負け続け。
- 1939年9月 ドイツ軍とソ連軍がポーランドに侵攻、第二次世界大戦が始まる。
- 以後1940年にオランダ・ベルギー・ルクセンブルグ・フランス、1941年6月にはソ連にも侵攻、快進撃が続く。
- 1941年冬に進撃が止まる。
- 1943年2月、ソ連が逆襲に転じ、以降ドイツ軍は負けが続く。
- 1945年4月30日 ベルリンが墜ち、ドイツが負ける。
もう少し細かく、この本に関係が深い事柄を次にあげる。
- 1939年9月 ドイツ軍とソ連軍がポーランドに侵攻、占領。
- 1940年4月 ドイツ軍がデンマークとノルウェーに侵攻、占領。
- 1940年5月 ドイツ軍がオランダ・ベルギー・ルクセンブルグおよびフランスに侵攻、占領。
- 1940年8月 ドイツ空軍がイギリス攻撃を始める(バトル・オブ・ブリテン)。苦戦の末イギリスが守り切る。
- 1941年2月 ドイツ軍ロンメルがアフリカ上陸、イギリス軍と一進一退の戦闘を繰り広げる。
- 1941年6月 ドイツ軍がソ連に侵攻。最初は軽快に進軍していたが、冬に戦線が膠着。
- 1941年12月 日本が参戦。
- 1942年 ドイツ海軍のUボートが主に大西洋で活躍、連合国の補給を潰す。
- 1942年10月 アフリカのエル・アラメインでイギリスがドイツ軍を破り、以後ドイツ軍ロンメルは後退を続ける。
- 1943年2月 ソ連スターリングラードでソ連軍が逆襲に転じる。以後ドイツ軍は東部戦線で後退を続ける。
- 1943年5月 イギリスとアメリカがアフリカからドイツ軍を追い出す。
- 1943年9月 イギリスとアメリカがイタリアに上陸、ドイツ軍はジリジリと後退を続ける。
- 1944年6月 イギリスとアメリカがフランスのノルマンディーに上陸。
- 1944年12月 ドイツ軍がベルギーとルクセンブルグで大攻撃を始めるが(バルジの戦い)、1カ月ほどで力尽きる。
- 1945年4月 ソ連軍がベルリン攻撃を始め、4月30日に陥落、ヒトラーは自殺する。
ヒトラーの遺志によりドイツ海軍元帥カール・デーニッツが後を継ぎ、降伏の交渉を始める。
【構成は?】
実際の将兵の声を収録しているのは「第3章 戦う、殺す、そして死ぬ」だ。著者のゴタクを抜きにして将兵の声が知りたい人は、3章だけを読めばいい。
- プロローグ
- 第1章 戦争を兵士たちの視点から見る 参照枠組みの分析
基礎的な方向付け ここではいったい何が起きているのか/文化的な拘束/知らないということ/予期/認識における時代背景の文脈/役割モデルと役割責任/「戦争は戦争だ」という解釈規範/形式的義務/社会的責務/さまざまな状況/個人的性格 - 第2章 兵士の世界
「第三帝国」の参照枠組み/戦争の参照枠組み
- 第3章 戦う、殺す、そして死ぬ
撃つ/自己目的化した暴力/冒険譚/破壊の美学/楽しさ/狩り/撃沈する/戦争犯罪 占領者としての殺害/捕虜にたいする犯罪/絶滅/絶滅の参照枠組み/射殺に加わる/憤激/まともであること/噂/感情/セックス/技術/勝利への信念/総統信仰/イデオロギー/軍事的諸価値/イタリア兵と日本兵/武装SS/まとめ 戦争の参照枠組み - 第4章 国防軍の戦争はどの程度ナチ的だったのか
- 補遺/謝辞/訳者あとがき/原註/文献/索引
【感想は?】
「ベルリン陥落 1945」を読んで、納得できなかった点がある。
ベルリンの防衛で戦ったドイツ軍将兵の気持ちだ。なぜ戦うのか。いくら後方にいて、政府が法螺を吹いても、戦況はわかったはずだ。緒戦じゃモスクワまで押し込んだけど、今はベルリンまで押し返されている。もう勝てないのはわかっただろう。守るべき国は、もうすぐ無くなる。時間を稼いだところで、何かが好転するわけでもない。なのに、なぜ命を懸けて戦うのか。
それが知りたくて読んだ。ちなみに「ベルリン陥落 1945」には、こうあった。「やめてもいいと言ってくれる者がだれもいなかったから」。
なぜ無駄な抵抗を続けたのか。その解は、この本で分かった気がする。彼らにとって、全体の戦況はたいして意味がないのだ。重要なのは上官と戦友である。
前線兵士がもっぱら義務感を覚えていた社会的単位は、戦友集団と上官である。(略)彼らの恋人や妻、もしくは両親がどう考えようと、それはほとんど重要ではない。
――第3章 戦う、殺す、そして死ぬ まとめ 戦争の参照枠組み
戦友が戦っているから。戦友の敵を討つため。上官が命じるから。そういうことだ。思考の材料は自分の周囲10mの事柄だけ。今後のドイツの運命とか、この戦いがドイツの運命にどう影響するのかとか、そういう大きな枠組みは、全く考えていない。だから敗戦が決定的になっても…
全体が無駄であったとしても、自らの役割や任務を位置づけている参照枠組みが修正されることはない。むしろその逆である。
――第3章 戦う、殺す、そして死ぬ まとめ 戦争の参照枠組み
「この戦争は無意味だ」とは思わず、目先の義務を果たす事だけに集中してしまう。こういう、視野が狭まる現象は、「太平洋の試練 真珠湾からミッドウェイまで」でも、大日本帝国が敗戦に踏み切った理由として指摘していた。帝国陸軍と帝国海軍の双方が、国内での勢力争い(というか予算の奪い合い)を止められなかったから、と。組織の権益に目がくらみ、国家の利害が考えられなかったから、と。
あなたの職場でも、似たような現象がありませんか? 組織全体の目的より、職場の目的で方針が決まる、みたいな。
まあいい。なんにせよ、戦況は絶望的だ。将兵は、総統に騙された、とは思わなかったのか。思わないのだ。じゃ誰のせいか、というと…
(1943年3月22日、爆撃機パイロット中尉)ホルツアプフェル 指導部がこんなに馬鹿だとは、想像もできませんでしたね。
――第3章 戦う、殺す、そして死ぬ 勝利への信念(1944年6月以降、歩兵指揮官少佐)アルノルト・ターレ 目下我々の戦争指導部の問題は、誰一人として責任という感情をもっていない、もしくは誰一人とし何らかの責任を取ろうとしないということです。
――第3章 戦う、殺す、そして死ぬ 勝利への信念
取り巻きが悪い、そう考えている。まあ、日本人も太平洋戦争についちゃ似たように考える人が多いし、今の日本でも「悪いのは首相じゃなくて官僚、特に財務省」なんて理屈まで出てくる。いや内閣人事局…まあいい。封建制でも、よくある形だ。平民は王を支持し、悪いのは貴族だと考えがち。だもんで…
(1942年6月28日、空軍少尉)ヴァーラー ひょっとするとあれ(ヒトラー)は影武者で、もしかすると彼はとっくの昔に死んでいるのかもしれない。
――第3章 戦う、殺す、そして死ぬ 総統信仰
なんて無茶な発想まで出てくる。まあ、小説の設定としちゃ面白そうだが。敗色濃厚になっても、総統信仰は衰えない。報復兵器V1(→Wikipedia),V2(→Wikipedia)で一発逆転とか夢を見ている。ちなみにV2、連合国よりドイツ側の被害の方が大きかったとか。無茶な強制労働で労働者がバタバタ死んだのだ。
それはともかく、なんでそこまでヒトラーを信じるのか。
(1945年3月22日、第17降下猟兵連隊長)マルティン・フッター大佐 ナチズムについては一人一人が好きなように考えればよいが、アドルフ・ヒトラーはまさに総統〔指導者〕であって、ドイツ民族ににたいして(略)多大なものをもたらしてきた。ついにふたたび、我々の民族を誇りに思うことができた。
――第3章 戦う、殺す、そして死ぬ 総統信仰
そう、誇りだ。ドイツ人の誇りを取り戻した、だから総統は偉大だ、そういうことだ。もっとも、ここでは話者の属性も大事。降下猟兵(→Wikipedia)はエリート部隊で、武装SS(→Wikipedia)に次いで狂信的な者が多かった。その武装SSは狂信的な連中という印象が強く、国防軍の将兵もそういう目で見ていたが…
…歴史家リューディガー・オーヴァーマンは、武装SSにおける戦死者の比率は陸軍のそれと比べてもそれほど高いわけではなかったことを指摘している。
――第3章 戦う、殺す、そして死ぬ 武装SS
と、特別に無謀だったワケでもなさそう。というか、国防軍と武装SSの違いとか知ってるのは専門家と軍ヲタぐらいだろうに、そういう解説がないあたり、この本は不親切だよなあ、と思う。
それはそれとして、陸海空の違いも面白い。
…陸軍兵士たちの会話において、技術的な側面が登場することはほとんどない(略)。陸軍兵士たちの装備には、他の兵科と比較すると、六年にわたる戦争のあいだにもさほど変化がないのである。(略)
空軍の状況はまったく異なっていた。(略)六年間にわたる戦争のあいだに並外れた急速な技術革新が見られた。(略)1939年のMe109は、1945年のそれとはほとんど似て非なるものであった。
――第3章 戦う、殺す、そして死ぬ 技術
銃や砲は成熟した技術なので進歩が穏やかで航空機は若いから進歩が速いのか、銃の性能は戦闘にあまり影響しないのか、陸軍の装備は生産量が膨大だから下手に更新できないのか、どうなんだろうね。この本じゃ戦車兵が出てこなかったけど、彼らはどうなんだろう? それはともかく、空軍が特に注目したのは…
航空機の性能は、たいていの場合エンジンで評価される。
――第3章 戦う、殺す、そして死ぬ 技術
と、当時はエンジンが最も大事だった。たぶんこれは、現代でも大きくは変わってないと思う。また戦況についても、陸海空の違いは大きい。
…電撃戦の時期に兵士たちは、(略)非常に明るい将来への期待を強めていた。空軍と陸軍においては(略)自分が捕虜になったときでさえも、自信が根本的に揺らぐことがなかった。
これに対して海軍兵士にとっては、(略)巨大なイギリス海軍にたいして自分たちがいかに劣勢であるかということを、彼らはあまりにも痛感していたのである。
――第3章 戦う、殺す、そして死ぬ 勝利への信念
電撃戦の時期とは1940年前半で、破竹の快進撃を続けていた頃。つまり彼らは、自分の部署の好不調=戦争全体の趨勢、みたく考えていたのだ。意外なのがUボートへの評価で…
(1940年11月、U32艦長ハンス・イェニシュ中尉)「私の意見では、Uボートは時代遅れですね」
――第3章 戦う、殺す、そして死ぬ 勝利への信念
連合軍からは恐怖の象徴のように見られていたUボートだが、現場の将兵の評価はなぜか低い。1940年11月と、Uボートが猛威を振るっていた時期の言葉であることに注目しよう。なぜこうまでも低評価なのかは不明だけど。
敵に対しては、パルチザンへの憎しみの強さが印象に残る。ちょっと「狙撃手」への憎しみに似ているかも。いつ、どこから撃たれるかがわからないって不安と恐怖が、怒りに転じたのかな。それだけに、パルチザンへの報復は激しく、民間人の巻き添えも厭わないものとなる。南京虐殺やソンミ村事件などは、こういう心理が高じた…ってのは、仮定を重ねすぎか。
この記事では触れなかったが、ユダヤ人虐殺や民間人の強姦そして赤軍捕虜の虐待などにも、本書は多くの紙数を割いている。ちなみに西部戦線は激しくとも紳士的?な戦いだったが、東部戦線は独ソともに相手民族の殲滅を望み軍人民間人を問わない蛮行が横行した(「スターリングラード」「ベルリン陥落 1945」)。その東部戦線で戦った者が少ないのが、不満といえば不満かも。
なぜナチス・ドイツはおぞましい蛮行に走ったのか。それを探る上で、重要な示唆を本書は与えてくれる。その結論は、平和な現代日本に生きる私たちを不安にさせるものだ。それだけに多くの人に読まれて欲しい。ただ、先の東部戦線と西部戦線の違いなど、読みこなすには軍ヲタでもなければ分からない知識が必要なのは惜しい。逆にニワカな軍ヲタにとっては、陸海空の違いや情報収集にかけるイギリスの執念など、美味しいネタ満載なのが嬉しかった。
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