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2019年7月の12件の記事

2019年7月30日 (火)

門田充宏「風牙」創元日本SF叢書

お願い珊瑚ちゃん、<閉鎖回廊>を今すぐ止めて。
  ――閉鎖回廊

「初めまして、導きの御子さま。お目にかかれて、とても、とても嬉しいです」
  ――みなもとに還る

【どんな本?】

 2014年度の第五回創元SF短編賞を受賞した新人SF作家・門田充宏のデビュー連作短編集。

 舞台は近未来の日本。人は多かれ少なかれ、他人の気持ちを推しはかることができる。中には、それが極端で他人の感覚を我がことのように感じてしまう者もいる。過剰共感能力、HSPと呼ぶ。酷い場合は、他人の感覚と自分の感覚の区別がつかず、普通の暮らしが難しい。

 主人公の珊瑚はグレード5、最上級のHSPだ。幼い頃には感覚の洪水に流され自我の確立すら覚束なかったが、補助機器トランキライザーなどによってなんとか自立できるようになった。今は新興企業の九龍で、記憶翻訳者=インタープリタとして働いている。

 インタープリタとは、他人の記憶データに入り込み、それを解釈・翻訳する職業だ。ヒトの感覚は、人によりそれぞれ異なる。同じ刺激でも、それをどう感じるかは人それぞれだ。この違いを乗り越えるには、HSPの特性が役に立つ。

 幼い頃の記憶の欠落に悩みつつも、珊瑚は凄腕のインタープリタとして名を高めつつあったが…

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2018年10月31日初版。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約341頁に加え、あとがき4頁+長谷敏司の解説6頁。9ポイント43字×21行×341頁=約307,923字、400字詰め原稿用紙で約770枚。文庫本なら厚い一冊分ぐらい。

 文章はこなれている。一見、難しそうな言葉も出てくるが、わからなかったら「なんかソレっぽいコト言ってる」ぐらいに思ってテキトーに流しても構わない。むしろ登場人物たちの言葉や想いが大切な作品なので、そっちに注意して読もう。

【収録作は?】

 実はけっこう設定がややこしいので、できれば素直に頭から読もう。連作短編集としての仕掛けもあるし。

風牙 / 「年刊日本SF傑作選2013 さよならの儀式」2014年6月
 不治の病を患い、余命を宣言された社長の不二が、記憶のレコーディングを望んだ。ただし汎用化(他人に理解できる形に変換する)処理はしないまま。普通なら半日ほどで終わるはずの処理が、五日たっても終わらない。もちろん、不二は意識を失ったままだ。そこで不二の意識を取り戻すため、珊瑚は不二の記憶への潜行を試みるが…
 この作品集の売り物であるガジェット、「インタープリタ」を描く冒頭が、センス・オブ・ワンダー全開で気持ちいい。小さな手掛かりを元に、感覚の翻訳辞書をアドホックに構築し、少しづつ他人の感覚または刺激を自分なりに解釈できるようにしてゆく部分だ。逆に、SFに慣れてない人は、ここが一番の難所かも。
 でも大丈夫。ここさえ乗り越えれば、後は「心のつながり」を描く物語になるから。
 この記事を書くため改めて読み直すと、珊瑚に次ぐ重要人物である不二の印象が大きく変わり、それと共にタイトル・ロールである風牙も、全く違って見えるのが凄い。解説にもあるように、とても優れた犬SFだ。犬好きにはシマックの「都市」やクーンツの「ウォッチャーズ」と並んでお薦めできる傑作。
閉鎖回廊 / <ミステリーズ!>vol.88,89 2018年4月、6月
 新興企業の九龍が、社運を賭けて開発している疑験都市<九龍>。別人となって世界を体験し直すサービスだ。そのオープン前、公開ベータテストは好評を博している。特に、<閉鎖回廊>の恐ろしさは、病みつきになるほどだと評判が高い。しかし、その<閉鎖回廊>の開発者である由鶴から、珊瑚に連絡が入った。<閉鎖回廊>を止めろ、と。
 込み入った設定の説明が必要だった「風牙」に比べ、すんなりと物語を始められる分だけ、著者の特徴が強く出ていると思う。なんといっても、疑験都市のアイデアがいい。曰く、「全く別の誰かとして世界を体験し直す」。今だってオンラインRPGなどで別人になりすます事はできる。やがてSAO=ソードアート・オンラインのように、全感覚の没入だって可能かもしれない。
 だが、<九龍>の発想は、全く違う。私はゴーヤなどの苦い物も好きだ。でも苦い物が嫌いな人もいる。そういう人は、私より苦味を強く感じていたり、または苦い味に慣れていなかったりするんだろう。ちなみに「美味しさ」には味覚のほかに嗅覚や記憶や思い込みが強く関係していて、しかも味覚も嗅覚も人により千差万別らしい(→「おいしさの錯覚」)。
 だから、同じゴーヤチャンプルーを見ても、私はよだれが出るが、苦手な人は「ウゲッ」と感じるだろう。同じ刺激でも、そこから何を感じ取るかは、人によりまちまちだ。
 そこで<九龍>である。私には、ゴーヤが苦手な人の気持ちが分からない。でも、<九龍>なら、そんな人の気持ちも分かる。
 こういう仕掛けに、著者の特徴が出ていると思うのだ。つまり、他の者を理解したい、他の者の気持ちを分かりたい、そういう想いを強く抱いている人なんだろう、と。勝手な想像だけど、私はそういう所が好きになった。いや実はそれ以上にカマラさんが魅力的なんだけどw
みなもとに還る / 書き下ろし
 疑験都市は好評だ。クリエイタも増え、モジュールの売り込みも多い。珊瑚もモジュールのレビューに駆り出される。普通レビュアーはランダムに割り当てるのだが、今回は珊瑚をレビュアーに指名していた。それは明らかに過剰共感能力者を対象とした作品であり、しかも珊瑚に宛てたメッセージだったのだ。
 「閉鎖回廊」のカマラさんに続き、これまた個性的なジョージ君が登場する作品。典型的な理系の朴念仁というか、理屈先行で馬鹿正直なところがいいw
 それに対してお話は、珊瑚の過去を探りつつ、今までボンヤリとした見えてこなかった「過剰共感能力者とは何か」を、理屈ではなく感覚的に伝えてくる作品。出だしの疑験都市の場面で、過剰共感能力者が社会でどんな立場にいるのかを、巧みに描いている。なんと言っても、「子供の遊び」を使っているのが巧い。子供ってのは、時として残酷なほど正直だし。
 そんな過剰共感能力者が、この世界でどう生きていくか。テクノロジーを駆使して能力を武器にしようとする九龍と、全く違ったアプローチをとる彼ら。ある意味、SFが問うべき根本的な問題に、真正面から挑んだ意欲作だ。あと、ちょっと百合味。
虚ろの座 / 書き下ろし
 「みなもとに還る」の舞台裏を明かす作品。すんんません、私にはネタバレを避けて紹介するのは無理です。
 これも珊瑚の過去に関わるお話。先の「みなもとに還る」は、過剰共感能力者の立場で見た社会の話なのに対し、この作品はそうでない者から見た過剰共感能力者との関係を描いている。ちょっとゲストとして出て来た青年は、彼なのかな? みたいなイースターエッグも嬉しいが、「閉鎖回廊」から続く「他の者の立場で世界を体験する」テーマを、残酷なほど見事に突き詰めていると思う。

 最初の「風牙」は過剰共感能力というガジェットが主食のように見えるのに対し、続く作品では次第に人間関係に重点が移ってゆく。SFでデビューしたけど、そうでない小説でも充分に人気が出そうな人だと思う。でもお願いだからSFも書いてね。

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2019年7月28日 (日)

ジョシュア・ハマー「アルカイダから古文書を守った図書館員」紀伊国屋書店 梶山あゆみ訳

「トンブクトゥはからからに乾ききっているから(古文書の保存には)ラッキーだったのです」
  ――4 私設図書館第一号の誕生

ハイダラが信仰していたのは、文字で書かれた言葉の力だ。本の表紙と表紙のあいだには、人間の多種多様な経験と思想が閉じ込められている。
  ――9 危険な同盟

「私たちにイスラムを教えてくれるだと? ふざけるな! 私たちは生まれながらのイスラム教徒だ。イスラムはこの町に1000年も根づいてきたんだ!」
  ――11 征服と抑圧

「その古文書とやらをもってこい。燃やしてやる」
  ――17 ニジェール川の輸送計画

【どんな本?】

 トンブクトゥ(→Wikipedia)はアフリカのマリ共和国の中央部、ニジェール川のほとりにある都市だ。サハラ越えの交易の交点として、古くから栄え、様々な民族が往来した。時代により支配者は変わったが、特に14世紀後半からは学問と文化の都として名声を轟かせる。15世紀から写本づくりが盛んになり、16世紀では10万ほどの人口のうち1/4近くが各国から集った学者や学生だった。

 重要な都市だけあって、戦乱に巻き込まれる事も多い。古書を収集しまたは先祖伝来の書物を継承する者も多いが、彼らは戦火や略奪を避けコレクションを秘匿する傾向が強い。

 アブデル・カデル・ハイダラは名声高いマンマ・ハイダラの息子として生まれる。17歳の時に父マンマが亡くなり、遺言でマンマが継ぎかつ集めた古文書の管理役を継ぐ。やがて公的な機関アフマド・ババ研究所に属し、正式に古文書の維持管理や蒐集を学ぶ。また巧みに各国の財団や研究機関から基金を募り、父マンマが継承・収集した古文書を管理するマンマ・ハイダラ私設図書館を設立する。

 そして2012年冬。サハラ砂漠で勢力を拡大したアルカイダ系イスラム過激派組織AQIM(→Wikipedia)は、独立を求めるトゥアレグ族組織と手を組み、支配地域を南に広げトンブクトゥを支配下に置く。過激なワッハーブ派を独自解釈するAQIMに古文書が見つかれば、先人の叡智の結晶もアッサリと焼き捨てられてしまうだろう。

 危機を案じたアブデル・カデル・ハイダラは、大胆な手に打って出る。危険なトンブクトゥから、比較的に安全な首都バマコまで、約38万冊の古文書を密かに運び出そう。

 だがハイダラには一小隊の兵力もない。地縁・血縁から国際的な財団まで、あらゆるコネと知恵を駆使しつつ、ハイダラは隠密裏に移送計画を進め、みごとに古文書を救って見せた。

 古都トンブクトゥを中心としたニジェール川流域およびサハラ~サヘル地域の豊かな文化と歴史、そこに住む人々のバラエティに富む暮らし、現代のアフリカ大陸北部の社会情勢とAQIMをはじめとするアルカイダ系過激組織の内情、そして様々な立場で古文書を守る人々の姿を描き、北アフリカの歴史と現代を伝える、迫力に満ちたルポルタージュ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Bad-Ass Librarians of Timbuktsu : And Their Race to Save the World's Most Precious Manuscripts, by Joshua Hammer, 2016。日本語版は2017年6月30日第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約315頁に加え、訳者あとがき6頁。10ポイント43字×17行×315頁=約230,265字、400字詰め原稿用紙で約576枚。文庫なら普通の厚さの一冊分ぐらい。

 文章はこなれていて読みやすい。内容もわかりやすい。敢えて言えば、北アフリカの地図があると迫力が増すだろう。

【構成は?】

 このままドラマか映画になりそうな構成なので、素直に頭から読もう。

  • 関連地図
  • プロローグ
  • 1 重責を負わされた少年
  • 2 失われた黄金の歴史
  • 3 古文書を探す苦難の旅
  • 4 私設図書館第一号の誕生
  • 5 トンブクトゥの新たな春
  • 6 忍び寄るイスラム原理主義
  • 7 警戒を強めるアメリカ
  • 8 吹き荒れるテロの嵐
  • 9 危険な同盟
  • 10 トンブクトゥに迫る戦火
  • 11 征服と抑圧
  • 12 古文書救出作戦の開始
  • 13 破壊と残虐
  • 14 トンブクトゥ脱出
  • 15 南下する恐怖
  • 16 フランスの軍事介入
  • 17 ニジェール川の輸送作戦
  • 18 勝利と解放
  • 19 戦いの終焉
  • エピローグ
  • 謝辞/訳者あとがき/原注/索引

【感想は?】

 書名から受ける印象とは違い、主役アブデル・カデル・ハイダラによる「密輸」を描く部分は、思ったよりと少ない。全体の1/3ぐらいだろう。

 では残りの2/3はというと、その背景事情をじっくりと書き込んでいる。これが意外と面白いのだ。先にトンブクトゥを中心とした地域の歴史をアッサリと紹介したが、これが実に意外性に満ちている。

 まずトンブクトゥが古の学問の都ってのが興味をそそられる。日本だと萩や金沢みたいな感じかな? そこに住む人々も、ある意味で京都っぽい。家柄を重んじるのだ。いやホントに京都がそうなのかは知らないけど。アチコチに古文書が埋もれていたりするのも、歴史の風格を感じさせる。戦禍を避けるため、敢えて近隣の村などに避難させてたり。

 そんなわけで、研究員となった若きハイダラ君は、アチコチに散らばった古文書を集める仕事に就く。最初は蒐集家にナメられっぱなしのハイダラ君が、凄腕の蒐集家として成長してゆく過程も面白い。なにせ先祖伝来のお宝だ。どこの誰とも知れない若造に、ハイそうですかと譲ってくれるわけもなくw

 ここで描かれるニジェール川のほとりの風物も、読んでてワクワクした。ニジェール川の川筋が、これまた奇妙で、アフリカ大陸北部の西に出っ張ったあたりから始まり、東に向かって流れサハラの南西部を潤し、ギニア・マリ・ニジェール・ナイジェリアを通って大西洋にそそぐ。魚が採れるだけでなく、なんと水田まであるのには驚いた。

 そんなわけで、かつてのトンブクトゥが豊かな街だったのも納得がいく。サハラ越えの交易地でもあるから、民族や文化も国際的だったんだろう。治安さえよければ、今だって国際文化都市として発展する潜在力は充分にありそうだ。

 そう、治安さえよければ、だ。これを脅かすイスラム過激派についても、詳しく書いてあるのが、本書のもう一つの読みどころ。「ブラック・フラッグス」や「倒壊する巨塔」にあるように、国際化してるのが現代の特徴だ。この本でも、世界各国の地名・人名が登場する。

 サウジアラビアのジェッダにあるキング・アブドゥルアズィーズ大学、リビアのカダフィ、パキスタンの宣教組織タブリーグ・ジャマート、AQIMではモフタール・ベルモフタール、アブデルハミド・アブ・ゼイド。加えて独立を求める地元トゥアレグ族過激派の顔役イヤド・アグ・ガリー。

 彼らとカダフィ失墜や麻薬の密輸、そしてアルジェリア人質事件(→Wikipedia)がスルスルと結びついていくあたりは、推理小説を読んでいるような心地よさがある。いや実際は血生臭い話ばっかりなんだけど。カダフィの失墜がマリの情勢不安定に繋がっていくあたりは、何度も頷いてしまった。ゴキブリの巣を潰したはいいが、肝心のゴキブリは他に散らばった的な格好ですね。

ちなみに本書p145の麻薬密輸のルート、道筋はあってるけど流れは逆だろう。コカインの流れはコロンビア→ギニアビサウ→マリ→サハラ越え→欧州のはず(→「コカイン ゼロゼロゼロ」)。コカインは産地が南米で、消費地は欧米だし。原書は見てないんで、間違いが原文なのか翻訳なのかは不明。

 そんな中で、ハイダラの密輸大作戦が始まる。何せ連中は聖者の聖廟すら叩き壊すのだ。歴史や伝統なんざ屁とも思ってない。本書によると、1802年にサウド家の二代目アブドゥルアズィース・イブン・サウードは、シーア派の聖地カルバラー(現イラク、→Wikipedia)でムハンマドの孫フサインの墓を荒らしてる。そりゃイランとサウジの仲が悪いわけだ。

確かサウジはイスラム最大の聖地メッカでも、異端認定した伝統あるモスクや聖廟を壊してるって話があったような。

 とかの物騒な連中が占拠しているトンブクトゥに対し、終盤になってやっと米軍とフランス軍が重い腰を上げる。これ住民にとっては嬉しいニュースだが、読んでる私は実にハラハラした。

 というのも、イラクのファルージャの戦闘が再現したら怖い。なにせファルージャでは「3万9千戸の建物のうち1万8千戸が半壊または全壊」である(→「ファルージャ 栄光なき死闘」)。トンブクトゥでこんな真似をされたら、古文書なんざ跡形もなく吹っ飛んでしまう。奴ら遠慮なくヘルファイア・ミサイル撃ちまくるし。

 というか、バグダッドも世界に名の響き渡る古都だから、きっとたくさんの古文書があったはずで、その多くが戦火で失われたんだろう、と思うと、なんともなあ。

 などの物騒な話の合間に、なんとかトンブクトゥを文化と共栄の象徴にしようとする「砂漠のフェスティバル」(→Youtube)の話も混じり、悪夢のような社会情勢の中でも希望の灯を灯そうとする人々の姿も、強い印象を残した。あの辺の音楽って、撥弦楽器が多いせいかギター大好きな私は血が騒ぐんだ。

 意外性に満ちたトンブクトゥの歴史、バラエティに富んだニジェール川流域の地理と人々の暮らし、リビア・サウジアラビア・パキスタン・コロンビアと国際的に広がるテロ組織、思想や教義はもちろん天文学から性生活に至るまでの幅広い内容を含む古文書、そして文化を守るために知恵を振り絞る人々の努力。驚きとドラマに満ちた本だった。

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2019年7月25日 (木)

「伊藤典夫翻訳SF傑作選 最初の接触」ハヤカワ文庫SF 高橋良平編

交易か? 戦争か? しかし交易するには双方の合意が必要だが、戦争するには、一方の決断だけでよい。
  ――マレイ・ラインスター「最初の接触」

「われわれ=彼らは、この方向に、あなた=従属物を調節するために求愛した」
  ――ジェイムズ・ブリッシュ「コモン・タイム」

「医師は非常に小さな生命体で、患者は恐竜だ」
  ――ジェイムズ・ホワイト「宇宙病院」

「針は盗んだ、とね」あきれた顔でくりかえし、「すると、分身処置を受けていないのか?」
  ――デーモン・ナイト「楽園への切符」

【どんな本?】

 日本のSF黎明期に海外SFを翻訳・紹介し、日本のSF界を導いた翻訳家・伊藤典夫の、主に初期の作品を集め紹介する、「ボロゴーヴはミムジイ」に続く短編集。

 今回はマレイ・ラインスターの緊張感あふれるファースト・コンタクト物「最初の接触」をはじめ、宇宙SFを集めた7編を収録する。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2019年5月25日発行。文庫本で縦一段組み本文約400頁に加え、編者あとがき Seeker of Tomorrow 6頁。9ポイント40字×17行×400頁=約272,000字、400字詰め原稿用紙で約680枚。文庫本では厚い部類。

 文章はこなれている。内容も特に難しいものはない。ただし、発表が1945年~1958年なので、さすがに科学や技術の描写も古びている。その辺を許せる人向け。

【収録作は?】

 作品ごとに解説が1頁ある。各作品は 日本語著者名 / 日本語作品名 / 英語作品名 / 英語著者名 / 初出 の順。

最初の接触 / マレイ・ラインスター / First Contact / Murray Leinster / アスタウンディング1945年5月号
 地球から四千光年の彼方。観測船<ランヴァボン>は、異星の宇宙船を発見する。人類初の異星人との接触だ。互いの科学技術は同程度らしい。できれば友好的に交易の関係を築きたい。だが地球の位置を知られ、先手を打って攻撃されたら、人類は滅びる。それを防ぐには、今ここで敵船を皆殺しにするしかない。お互い睨み合ったまま身動きが取れず…
 第二次世界大戦のさ中という社会情勢を反映してか、ピンと張りつめた緊張感が全編に漂う作品。人類・異星人ともに、友好的な関係を築きたいが、同時に相手を信用しきれず、また自らの種も守らなければならない。一瞬後には自分たちが殺されるかもしれない恐怖を抱えつつ、なんとか妥協点を見つけ出そうとする緊張感がたまらない。両者の希望の光となるのは…
生存者 / ジョン・ウィンダム / Survival / John Wyndham / スリリング・ワンダー・ストーリーズ1952年2月号
 幼い頃はおとなしかったアリスは、夫とともに火星行きのロケット<ファルコン>に乗り込む。今、火星は開拓の途中。向こうの暮らしは決して楽ではない。<ファルコン>の乗員は6人、乗客は9人。うち女はアリスだけ。ところが、航路の途中で<ファルコン>に異常が見つかる。このままでは火星に着陸できない。救援は数カ月先だ。生存に必要な物資はギリギリで…
 「トリフィド時代」や「呪われた村」で有名な著者だけあって、状況が刻々と悪化していく中、乗員と乗客の苛立ちが募ってゆく描写が巧い。今になって読み直したら、「火星は開拓途中の荒っぽい所」なんて文章は見当たらない。これも登場人物の台詞だけで、それとなく読者に伝わるようになっている。こういうのが小説家の手腕なんだろう。
コモン・タイム / ジェイムズ・ブリッシュ / Common Time / James Blish / SF Quartery 1953年8月号
 超光速航行が危険なのはわかっていた。既にブラウンとセリーニが亡くなっている。DFC=3がオーヴァードライヴで光速を超えた時、ギャラードは異常に気づく。エンジンのハム音、重いまぶた、呼吸の欠如、時計の停止。その後、つのる恐怖に続き、理性を吹き飛ばすほどの苦痛。
 1950年代の作品でありながら、相対性理論がもたらす時間の歪みに真っ向から挑んだ前半には舌を巻く。もっとも、光速を超える理屈は未知すなわち架空の理論なんだけど、それを堅苦しい語り口でソレっぽく感じさせるのが、この人の芸風なんだろう。後半では全く様相を変えた話になるが、こちらでは堅苦しい文章がテーマにピッタリで見事な効果を上げていいる。
キャプテンの娘 / フィリップ・ホセ・ファーマー / The Captain's Daughter / サイエンス・フィクション・プラス1953年10月号
 地球の月に入港した貨物船に患者が出た。船長の娘だ。おまけに乗組員がひとり失踪している。医師のマーク・ゴーラーズは刑事のラスポールドと共に船に赴く。患者デビーの顔色は真っ白で、ひどくおびえている。けいれんと昏睡の発作があり、血糖値が異様に低く、口の中は傷だらけ。だが、他に異常は見当たらない。彼女らはレモー教徒の拠点メルビルから来た。
 医療ミステリ。ハーラン・エリスンとは違う意味でお騒がせ作家のファーマー、この作品も当時としては少し、いやかなりヤバいテーマを扱っている。特に自由の国アメリカではヤバいってのが皮肉だ。彼女の異常な症状の原因は中盤あたりで鋭い人なら見当がつくだろうが、その性質はなかなかに恐ろしい。正義とは何かって話も絡み、今なおちょっとした問題作でもある。
宇宙病院 / ジェイムズ・ホワイト / The Trouble wwith Emily / James White / ニュー・ワールズ1958年11月号
 第12空域宇宙総合病院は、銀河連合すべての知的生命の生活環境を用意している。コンウェイに与えられた仕事は、医師に協力すること。その医師アーレタペクは古いが最近発見された種族で、体は小さいが賢く謙虚でテレパシーを持ち、あらゆる物質をエネルギーに変換できる。しかも患者は正気で健康な…恐竜だ。
 ファーマーとは対極の、50年代の良心的・優等生的なSFを代表するような作品。一種のバディ物でもある。平和的で賢く精神も肉体も頑健ながら、いささか堅苦しいアーレタペク。社交的で熱意も行動力もあるが、アーレタペクには多少の反感を抱いてしまうコンウェイ。互いの生態・文化ギャップによる行き違いもあり、最初はギクシャクしていたコンビが、問題の解決に向けて走り出し、幾つもの支流が一つに収束してゆく終盤は、物語の心地よさの王道を味合わせてくれる。
楽園への切符 / デーモン・ナイト / Ticket to Anywhere / Damon Knight / ギャラクシイ1952年4月号
 リチャード・フォークは命を懸け、火星へ向かう貨物船で密航する。地球は変わった。分身処置により、人は心の中に<守り神>を持つ。これの普及により、犯罪も精神異常も減りつつある。そして戦争もなくなった。だが、フォークには分身処置が効かなかった。地球の将来に危機感を抱いたフォークは、最後の希望に賭けた。それは火星にある「ゲート」。
 ヒトが心の中に持つ、無謀で感情的で衝動的な、ケダモノのような何か。それは往々にして暴力や犯罪を引き起こす。だからソレを抑圧してしまえ、というのが分身処置だろう。まあ、実際、ヒトの脳は個体数が数十の小集団で狩猟採集してた暮らしに適応してて、数万や数億なんて集団には何かと不適合を興す。作品のカギとなるのはゲートで、なかなか意地の悪い仕掛けだ。遥か彼方の異星に通じてるんだが、どこに出るかわからない。でも、人類の祖先も、行く先に何があるか知らずに地球のアチコチへと広がっていったんだよなあ。
救いの手 / ポール・アンダースン / The Helping Hand / アスタウンディング1950年5月号
 クンダロアとスコンタールは半光年ほどの距離があった。地球人が両星と接触し、その科学技術が両星にもたらされた結果、両者は長く激しい戦争に突入する。地球の仲介により戦争は終結し、地球の支援による復興が話し合われることとなった。優雅かつ礼儀正しく振る舞うクンダロアの使者に対し、スコンタールの使者は無礼かつ敵意をむき出しにした態度で臨み…
 戦争で荒廃した社会に支援を与えって構図は、発表の時期を考えると、モロにマーシャル・プラン(→Wikipedia)を思い浮かべてしまう。これをアメリカ人のポール・アンダースンが書くかあ。実際、コカコーラ社がエッフェル塔を広告塔にしようとした、なんて話もあるから、あながち的外れでもないんだろう。

 いずれもガジェットこそ古いものの、扱っているテーマは今でも読者に刺さるものばかり。特に「楽園への切符」は、若いSFファンの心に強く訴えかけるものがあるだろう。「コモン・タイム」の後半の会話も、SFだからこそ味わえる感触に満ちている。私は「宇宙病院」のスタンダードな、でも巧みに物語を盛り上げる小説作法が好きだ。やっぱりSFは希望と野望に溢れていてほしい。

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2019年7月22日 (月)

ゼンケ・ナイツェル,ハラルト・ヴェルツァー「兵士というもの ドイツ兵捕虜盗聴記録に見る戦争の心理」みすず書房 小野寺拓也訳

我々が本書で再構築し、描写しようとするのはこの参照枠組みである。兵士たちの世界はどのようなものであったか。彼らは自分自身や敵をどのように見ていたのか。アドルフ・ヒトラーやナチズムについて何を考えていたのか。戦争がすでに敗色濃厚であったときでさえも戦い続けたのはなぜか。
  ――プロローグ

ジグムント・フロイドが言うように、錯覚を共有している人間には、それが錯覚であることがわからない。
  ――第2章 兵士の世界 「第三帝国」の参照枠組み

これらの事例において注目すべきなのは、(略)「ユダヤ的なもの」のさまざまな側面を見つけ出すために発揮される創造性であり、もうひとつは(略)反ユダヤ主義的な排除措置を自発的に、しばしば先回りする形で行っていたことである。
  ――第2章 兵士の世界 「第三帝国」の参照枠組み

本書で利用する史料を通覧する限りでは、ユダヤ人絶滅の事実ややり方に関する知識は兵士たちの間で広まっていたものの、彼らはこうした知識に特別な関心を示さなかったと判断せざるをえない。
  ――第3章 戦う、殺す、そして死ぬ 絶滅

ヒエラルキーの中での地位が高くなればなるほど、失敗を認める能力も低下する。
  ――第3章 戦う、殺す、そして死ぬ 勝利への信念

盗聴記録において印象深いのは、武装SSにおいては戦争犯罪というテーマについて語ることがきわめて当然であったこと、完全に無頓着であったことが示されている点である。
  ――第3章 戦う、殺す、そして死ぬ 武装SS

すでに第一次世界大戦において捕虜は、報復もしくは妬みから殺害されている。自分自身は戦い続け、自分の命を危険にさらし続けなければいけないのに、戦争捕虜は安全ではないかと考えられたためだ。
  ――第4章 国防軍の戦争はどの程度ナチ的だったのか

連合国の秘密情報機関にとって大いに喜ばしいことに、彼ら(捕虜)にとってのタブーテーマは、彼ら自身の感情だけであった。
  ――補遺

【どんな本?】

 1996年、ある資料が機密解除される。第二次世界大戦中、英米軍はドイツ兵の捕虜収容所に盗聴器を仕掛け、彼らの会話を盗み聞きし、記録を取っていたのだ。

 手紙や回顧録などの文書は、誰かに読まれる前提で書く。そのため、都合の悪いことは書かないなどの脚色が入るし、相応の教育を受けた者の手による資料が多い。後年での取材では、取材を受ける者がその後の経緯を知っているため、記憶が歪められがちだ。だが同時代のナマの会話なら、これらの改変を免れる。

 もっとも、会話ならではの問題もある。「武勇伝」は誇張されがちだ。話相手の期待に沿わない話題も出てこない。話題はアチコチに飛び、論理的な一貫性もない。

 それを踏まえた上でも、この史料は貴重である。この点に気づいた歴史学者のゼンケ・ナイツェルは、社会心理学者のハラルト・ヴェルツァーと組み、史料の研究を始める。

 目的は、捕虜であるドイツ軍将兵の「参照枠組み」を明らかにすること。

 私たちの言動は、多かれ少なかれ、その場の「空気」に従う。コンサートで優れた演奏を聴いた時、ヘビメタならスグに大声で歓声をあげるが、クラシックなら曲または楽章が終わるまで待つだろう。その場の言動の良し悪しを決めるのが、参照枠組みである。

 参照枠組みにも、強弱がある。一時的に集まった群衆、例えば同じ電車に乗り合わせた人々の場合、参照枠組みは弱く、それぞれの個性が発揮される余地が広い。対して軍隊は極めて参照枠組みが強く、各将兵が個性を発揮する余地はほとんどない。軍が求めるのは命令に忠実に従う兵士であって、自らの考えで善悪を判断する人間ではないのだ。

 著者らは捕虜となったドイツ軍将兵の膨大な会話記録を調べ、その根底にある当時のドイツ軍および第三帝国の、参照枠組み=「空気」を掘りだそうと試みる。

 彼らは敵をどう見ていたのか。ナチスやヒトラーを、本当に信じていたのか。敗色濃厚となっても、なぜ戦い続けたのか。民間人やユダヤ人の虐殺を、どう考えていたのか。

 歴史学者と社会心理学者のコンビが、盗聴記録という貴重な資料を基に、兵士たちの本音に迫る、重厚な研究書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は SOLDATEN : Protokolle vom Kämpfen, Töten und Sterben, by Sönke Neitzel&Harald Welzer, 2011。日本語版は2018年4月16日第1刷発行。単行本ハードカバー縦二段組み本文約393頁に加え、訳者あとがき17頁。9ポイント26字×22行×2段×393頁=約449,592字、400字詰め原稿用紙で約1,124枚。文庫なら厚めの上下巻ぐらいの分量。

 文章はやや硬い。内容も素人には不親切。捕虜の会話では、その背景が大事だ。だから第二次世界大戦でのドイツ軍の戦況・部隊の性質・ユダヤ人虐殺などの知識が要る。にもかかわらず、これらについての説明は少ない。読みこなすには、現代の普通の日本人の感覚からすると、学者とまではいかないまでも、ヌルい軍ヲタ並みの知識が必要だ。

まったく、社会学者ってのは、人の立場で考えるって能力が酷く欠けてるんだよなあ。

 第二次世界大戦の概要はこちら(→Wikipedia)。大雑把には、こんな感じ。1939年9月に始まり、1941年冬までドイツ軍は好調、1943年2月まで膠着状態、以後ドイツ軍は負け続け。

  • 1939年9月 ドイツ軍とソ連軍がポーランドに侵攻、第二次世界大戦が始まる。
  • 以後1940年にオランダ・ベルギー・ルクセンブルグ・フランス、1941年6月にはソ連にも侵攻、快進撃が続く。
  • 1941年冬に進撃が止まる。
  • 1943年2月、ソ連が逆襲に転じ、以降ドイツ軍は負けが続く。
  • 1945年4月30日 ベルリンが墜ち、ドイツが負ける。

 もう少し細かく、この本に関係が深い事柄を次にあげる。

  • 1939年9月 ドイツ軍とソ連軍がポーランドに侵攻、占領。
  • 1940年4月 ドイツ軍がデンマークとノルウェーに侵攻、占領。
  • 1940年5月 ドイツ軍がオランダ・ベルギー・ルクセンブルグおよびフランスに侵攻、占領。
  • 1940年8月 ドイツ空軍がイギリス攻撃を始める(バトル・オブ・ブリテン)。苦戦の末イギリスが守り切る。
  • 1941年2月 ドイツ軍ロンメルがアフリカ上陸、イギリス軍と一進一退の戦闘を繰り広げる。
  • 1941年6月 ドイツ軍がソ連に侵攻。最初は軽快に進軍していたが、冬に戦線が膠着。
  • 1941年12月 日本が参戦。
  • 1942年 ドイツ海軍のUボートが主に大西洋で活躍、連合国の補給を潰す。
  • 1942年10月 アフリカのエル・アラメインでイギリスがドイツ軍を破り、以後ドイツ軍ロンメルは後退を続ける。
  • 1943年2月 ソ連スターリングラードでソ連軍が逆襲に転じる。以後ドイツ軍は東部戦線で後退を続ける。
  • 1943年5月 イギリスとアメリカがアフリカからドイツ軍を追い出す。
  • 1943年9月 イギリスとアメリカがイタリアに上陸、ドイツ軍はジリジリと後退を続ける。
  • 1944年6月 イギリスとアメリカがフランスのノルマンディーに上陸。
  • 1944年12月 ドイツ軍がベルギーとルクセンブルグで大攻撃を始めるが(バルジの戦い)、1カ月ほどで力尽きる。
  • 1945年4月 ソ連軍がベルリン攻撃を始め、4月30日に陥落、ヒトラーは自殺する。
    ヒトラーの遺志によりドイツ海軍元帥カール・デーニッツが後を継ぎ、降伏の交渉を始める。

【構成は?】

 実際の将兵の声を収録しているのは「第3章 戦う、殺す、そして死ぬ」だ。著者のゴタクを抜きにして将兵の声が知りたい人は、3章だけを読めばいい。

  • プロローグ
  • 第1章 戦争を兵士たちの視点から見る 参照枠組みの分析
    基礎的な方向付け ここではいったい何が起きているのか/文化的な拘束/知らないということ/予期/認識における時代背景の文脈/役割モデルと役割責任/「戦争は戦争だ」という解釈規範/形式的義務/社会的責務/さまざまな状況/個人的性格
  • 第2章 兵士の世界
    「第三帝国」の参照枠組み/戦争の参照枠組み
  • 第3章 戦う、殺す、そして死ぬ
    撃つ/自己目的化した暴力/冒険譚/破壊の美学/楽しさ/狩り/撃沈する/戦争犯罪 占領者としての殺害/捕虜にたいする犯罪/絶滅/絶滅の参照枠組み/射殺に加わる/憤激/まともであること/噂/感情/セックス/技術/勝利への信念/総統信仰/イデオロギー/軍事的諸価値/イタリア兵と日本兵/武装SS/まとめ 戦争の参照枠組み
  • 第4章 国防軍の戦争はどの程度ナチ的だったのか
  • 補遺/謝辞/訳者あとがき/原註/文献/索引

【感想は?】

 「ベルリン陥落 1945」を読んで、納得できなかった点がある。

 ベルリンの防衛で戦ったドイツ軍将兵の気持ちだ。なぜ戦うのか。いくら後方にいて、政府が法螺を吹いても、戦況はわかったはずだ。緒戦じゃモスクワまで押し込んだけど、今はベルリンまで押し返されている。もう勝てないのはわかっただろう。守るべき国は、もうすぐ無くなる。時間を稼いだところで、何かが好転するわけでもない。なのに、なぜ命を懸けて戦うのか。

 それが知りたくて読んだ。ちなみに「ベルリン陥落 1945」には、こうあった。「やめてもいいと言ってくれる者がだれもいなかったから」。

 なぜ無駄な抵抗を続けたのか。その解は、この本で分かった気がする。彼らにとって、全体の戦況はたいして意味がないのだ。重要なのは上官と戦友である。

前線兵士がもっぱら義務感を覚えていた社会的単位は、戦友集団と上官である。(略)彼らの恋人や妻、もしくは両親がどう考えようと、それはほとんど重要ではない。
  ――第3章 戦う、殺す、そして死ぬ まとめ 戦争の参照枠組み

 戦友が戦っているから。戦友の敵を討つため。上官が命じるから。そういうことだ。思考の材料は自分の周囲10mの事柄だけ。今後のドイツの運命とか、この戦いがドイツの運命にどう影響するのかとか、そういう大きな枠組みは、全く考えていない。だから敗戦が決定的になっても…

全体が無駄であったとしても、自らの役割や任務を位置づけている参照枠組みが修正されることはない。むしろその逆である。
  ――第3章 戦う、殺す、そして死ぬ まとめ 戦争の参照枠組み

 「この戦争は無意味だ」とは思わず、目先の義務を果たす事だけに集中してしまう。こういう、視野が狭まる現象は、「太平洋の試練 真珠湾からミッドウェイまで」でも、大日本帝国が敗戦に踏み切った理由として指摘していた。帝国陸軍と帝国海軍の双方が、国内での勢力争い(というか予算の奪い合い)を止められなかったから、と。組織の権益に目がくらみ、国家の利害が考えられなかったから、と。

 あなたの職場でも、似たような現象がありませんか? 組織全体の目的より、職場の目的で方針が決まる、みたいな。

 まあいい。なんにせよ、戦況は絶望的だ。将兵は、総統に騙された、とは思わなかったのか。思わないのだ。じゃ誰のせいか、というと…

(1943年3月22日、爆撃機パイロット中尉)ホルツアプフェル 指導部がこんなに馬鹿だとは、想像もできませんでしたね。
  ――第3章 戦う、殺す、そして死ぬ 勝利への信念

(1944年6月以降、歩兵指揮官少佐)アルノルト・ターレ  目下我々の戦争指導部の問題は、誰一人として責任という感情をもっていない、もしくは誰一人とし何らかの責任を取ろうとしないということです。
  ――第3章 戦う、殺す、そして死ぬ 勝利への信念

 取り巻きが悪い、そう考えている。まあ、日本人も太平洋戦争についちゃ似たように考える人が多いし、今の日本でも「悪いのは首相じゃなくて官僚、特に財務省」なんて理屈まで出てくる。いや内閣人事局…まあいい。封建制でも、よくある形だ。平民は王を支持し、悪いのは貴族だと考えがち。だもんで…

(1942年6月28日、空軍少尉)ヴァーラー ひょっとするとあれ(ヒトラー)は影武者で、もしかすると彼はとっくの昔に死んでいるのかもしれない。
  ――第3章 戦う、殺す、そして死ぬ 総統信仰

 なんて無茶な発想まで出てくる。まあ、小説の設定としちゃ面白そうだが。敗色濃厚になっても、総統信仰は衰えない。報復兵器V1(→Wikipedia),V2(→Wikipedia)で一発逆転とか夢を見ている。ちなみにV2、連合国よりドイツ側の被害の方が大きかったとか。無茶な強制労働で労働者がバタバタ死んだのだ。

 それはともかく、なんでそこまでヒトラーを信じるのか。

(1945年3月22日、第17降下猟兵連隊長)マルティン・フッター大佐 ナチズムについては一人一人が好きなように考えればよいが、アドルフ・ヒトラーはまさに総統〔指導者〕であって、ドイツ民族ににたいして(略)多大なものをもたらしてきた。ついにふたたび、我々の民族を誇りに思うことができた。
  ――第3章 戦う、殺す、そして死ぬ 総統信仰

 そう、誇りだ。ドイツ人の誇りを取り戻した、だから総統は偉大だ、そういうことだ。もっとも、ここでは話者の属性も大事。降下猟兵(→Wikipedia)はエリート部隊で、武装SS(→Wikipedia)に次いで狂信的な者が多かった。その武装SSは狂信的な連中という印象が強く、国防軍の将兵もそういう目で見ていたが…

…歴史家リューディガー・オーヴァーマンは、武装SSにおける戦死者の比率は陸軍のそれと比べてもそれほど高いわけではなかったことを指摘している。
  ――第3章 戦う、殺す、そして死ぬ 武装SS

 と、特別に無謀だったワケでもなさそう。というか、国防軍と武装SSの違いとか知ってるのは専門家と軍ヲタぐらいだろうに、そういう解説がないあたり、この本は不親切だよなあ、と思う。

 それはそれとして、陸海空の違いも面白い。

…陸軍兵士たちの会話において、技術的な側面が登場することはほとんどない(略)。陸軍兵士たちの装備には、他の兵科と比較すると、六年にわたる戦争のあいだにもさほど変化がないのである。(略)
空軍の状況はまったく異なっていた。(略)六年間にわたる戦争のあいだに並外れた急速な技術革新が見られた。(略)1939年のMe109は、1945年のそれとはほとんど似て非なるものであった。
  ――第3章 戦う、殺す、そして死ぬ 技術

 銃や砲は成熟した技術なので進歩が穏やかで航空機は若いから進歩が速いのか、銃の性能は戦闘にあまり影響しないのか、陸軍の装備は生産量が膨大だから下手に更新できないのか、どうなんだろうね。この本じゃ戦車兵が出てこなかったけど、彼らはどうなんだろう? それはともかく、空軍が特に注目したのは…

航空機の性能は、たいていの場合エンジンで評価される。
  ――第3章 戦う、殺す、そして死ぬ 技術

 と、当時はエンジンが最も大事だった。たぶんこれは、現代でも大きくは変わってないと思う。また戦況についても、陸海空の違いは大きい。

…電撃戦の時期に兵士たちは、(略)非常に明るい将来への期待を強めていた。空軍と陸軍においては(略)自分が捕虜になったときでさえも、自信が根本的に揺らぐことがなかった。
これに対して海軍兵士にとっては、(略)巨大なイギリス海軍にたいして自分たちがいかに劣勢であるかということを、彼らはあまりにも痛感していたのである。
  ――第3章 戦う、殺す、そして死ぬ 勝利への信念

 電撃戦の時期とは1940年前半で、破竹の快進撃を続けていた頃。つまり彼らは、自分の部署の好不調=戦争全体の趨勢、みたく考えていたのだ。意外なのがUボートへの評価で…

(1940年11月、U32艦長ハンス・イェニシュ中尉)「私の意見では、Uボートは時代遅れですね」
  ――第3章 戦う、殺す、そして死ぬ 勝利への信念

 連合軍からは恐怖の象徴のように見られていたUボートだが、現場の将兵の評価はなぜか低い。1940年11月と、Uボートが猛威を振るっていた時期の言葉であることに注目しよう。なぜこうまでも低評価なのかは不明だけど。

 敵に対しては、パルチザンへの憎しみの強さが印象に残る。ちょっと「狙撃手」への憎しみに似ているかも。いつ、どこから撃たれるかがわからないって不安と恐怖が、怒りに転じたのかな。それだけに、パルチザンへの報復は激しく、民間人の巻き添えも厭わないものとなる。南京虐殺やソンミ村事件などは、こういう心理が高じた…ってのは、仮定を重ねすぎか。

 この記事では触れなかったが、ユダヤ人虐殺や民間人の強姦そして赤軍捕虜の虐待などにも、本書は多くの紙数を割いている。ちなみに西部戦線は激しくとも紳士的?な戦いだったが、東部戦線は独ソともに相手民族の殲滅を望み軍人民間人を問わない蛮行が横行した(「スターリングラード」「ベルリン陥落 1945」)。その東部戦線で戦った者が少ないのが、不満といえば不満かも。

 なぜナチス・ドイツはおぞましい蛮行に走ったのか。それを探る上で、重要な示唆を本書は与えてくれる。その結論は、平和な現代日本に生きる私たちを不安にさせるものだ。それだけに多くの人に読まれて欲しい。ただ、先の東部戦線と西部戦線の違いなど、読みこなすには軍ヲタでもなければ分からない知識が必要なのは惜しい。逆にニワカな軍ヲタにとっては、陸海空の違いや情報収集にかけるイギリスの執念など、美味しいネタ満載なのが嬉しかった。

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2019年7月17日 (水)

三方行成「トランスヒューマンガンマ線バースト童話集」早川書房

 とにかく、女の子がひとりおりました。
 名前はシンデレラといいました。環大西洋連合王国の臣民です。正式に名乗らせようとすると公開暗号鍵やら契約知性アドレスやら煩雑なので、ここでは省略しましょう。
  ――地球灰かぶり姫

【どんな本?】

 2018年の第6回ハヤカワSFコンテストで優秀賞に輝いた作品を加筆修正したもの。

 シンデレラ、かぐや姫、白雪姫、アリとキリギリス。誰もが知っているおとぎ話だけど、これの舞台をテクノロジーが進歩した遥か未来に移し替え、科学的な裏付けを与えたらどうなるか。奇矯な発想を元に妄想を暴走させ、丹念かつ強引な解釈でおとぎ話を語りなおす、アイデアとギャグに満ち溢れた連作短編集。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2018年11月25日発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約251頁に加え、第6回ハヤカワSFコンテスト選評6頁。9ポイント45字×18行×251頁=約203,310字、400字詰め原稿用紙で約509枚。文庫なら普通の厚さの一冊分。

 最近のインターネットの影響を受けた、ややくだけた文章。私は親しみやすくて好きだが、好みは別れるかも。内容は最新科学っぽいガジェットがたくさん出てくるけど、わからなかったら「なんか凄いモン」ぐらいに思っていれば大丈夫。

【収録作は?】

 一見独立しているように見えて、実はちゃんと構成上の工夫があるので、素直に頭から読もう。

地球灰かぶり姫
 シンデレラは幼い頃に母を事故で亡くしました。父は後妻を迎えましたが、やがて気力を失い体が弱り、シンデレラの看病の甲斐もなく、父も他界します。継母は連れ子の二人の娘とともにシンデレラを苛め抜きます。絶望したシンデレラの前に、魔女が現れました。魔女はシンデレラに尋ねます。「何が欲しい?」
 ああ、うん、そういう話ではあるんだけどw 話が始まって4行目から「公開暗号鍵」だの「契約知性アドレス」なんて言葉が出てくるので、まっとうなおとぎ話じゃないのはすぐ見当がつきますw とーちゃんが気力をなくすあたりも、現代風なのがなんともw カボチャの馬車や舞踏会のタイムリミットも出てくるし、それにちゃんと理屈がついているのも芸が細かいw
竹取戦記
 竹取の翁は、野山の竹をとって暮らしていました。しかし竹も黙ってはいません。マイクロフィラメントを張り巡らし、ウィルスを潜ませたメッセージを翁に送って防ぎます。それでも翁は竹の防御をかいくぐり、竹を手に入れるのでした。ある日、翁は謎の熱源を発見します。そこから翁は赤ん坊を拾い、育て始めたのですが…
 えっと…竹…なのかw やたら口が悪いし。つか普通、竹はしゃべらないだろw カグヤがやたらと育ちが速く、人を惹きつけるのも原作通りだけど、性格も雰囲気もだいぶ違うw そりゃ確かに竹は中身が空っぽだけどw つか何だよ日本粘菌機構ってw などと笑いながら読んでいたら、ティプトリーのネタの後、カグヤの意外な正体が。
スノーホワイト/ホワイトアウト
 女王さまは今朝も鏡に尋ねます。「鏡よ鏡、この世でいちばんいい朝を迎えられるのはだれ?」鏡は答えます。「あなたですよ、女王さま」。ここは女王さまの国なのです。しかし、そこに奇妙なモノが忍び込んできました。白く冷たい雪片です。鏡に尋ねても、雪の正体はわかりません。雪は次第に女王の国のアチコチに現れ…
 パンを焼きスーパーヒーロー着地を決める女王さまってw 白雪姫といえば可憐な美少女を思い浮かべるけど、この作品では不気味な白ヌキの影みたいな存在。もっとも女王さまも、かなりの戦闘能力を持つ暴れん坊だけどw などの語りのあと、この連作短編集の舞台裏が少しだけ覗ける、ちょっとした転回点をなす作品。
<サルベージャ>vs 甲殻機動隊
 ガンマ線バーストの数十年後、木星の第二衛星エウロパ。氷に覆われた海を行くはカニ・テナガエビ・シャコ・タダタダタダヨウガニかな成る甲殻機動隊。目的は放棄されたトランスヒューマンの都市の偵察。トランスヒューマンは彼らを使役するため知性化したが、なぜかエウロパから姿を消した。そこで彼らはトランスヒューマンの遺跡を漁りはじめたのだが…
 お話も後半に入り、舞台はガンマ線バースト後の世界。甲殻機動隊って、ソッチかいw これも芸が細かくて、タダタダタダヨウガニってネタかと思ったら本当にいたし。カニのサイドステップはすぐわかったが、シャコの右左はかなりマニアック(→Wired.jp)。ちょっとデビッド・ブリンの知性化シリーズを思い出してしまった。
モンティ・ホールころりん
 おじいさんとおばあさんは、モンティ・ホールのクイズに挑戦します。大中小、三つの箱からおじいさんは大きい箱を選びます。モンティが中ぐらいの箱に合図すると、中からヤギが飛び出します。そしてモンティはおじいさんに尋ねます。「チェンジ? オア、ノーチェンジ?」
 これまたガンマ線バースト後の世界だけど、舞台はなんと太陽系外縁のオールト雲。こういう舞台設定は、ジョン・ヴァーリイの八世界シリーズみたいだし、トランスヒューマンと○○の関係はブルース・スターリングの某シリーズっぽい。いや「竹取戦記」を考えると、グレッグ・イーガンの「ディアスポラ」かも。
アリとキリギリス
 公共広場で、女と男が出会いました。公共広場は管理を放棄されていましたが、いろいろあって里山の仮想環境イメージを維持するため、管理人を募りました。その一人が女です。男はバイオリンで調子っぱずれな音楽を奏でていました。つまりは暇を持て余している貧乏人です。
 今までの作品を束ね、一つの物語へと収束させるパート。

 「地球灰かぶり姫」で見事に発揮されているように、とにかくツカミが抜群に巧い。冒頭の数行でイカレきった作品世界に引きずり込まれてしまう。かといってただの一発屋ってワケじゃなく、途中でもテンションを保ったまま、一気に最後まで読者を掴んで離さない吸引力がある。ぜひとも、このままSFを書き続けて欲しい。

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2019年7月16日 (火)

ヘレン・スケールズ「貝と文明 螺旋の科学、新薬開発から足糸で織った絹の話まで」築地書館 林裕美子訳

貝殻をつくるというのは面倒な作業で、素材を集めて、それを貝殻につくり変えるという手間がかかる。このような理由から、軟体動物は常に殻をつくり続けているのではなく、殻をつくる余裕があるときに一気に大きくつくり足す。
  ――Chapter2 貝殻を読み解く

軟体動物はいつの時代にも人間の大切な食糧だった。理由は単純で、ほかの動物のように猛スピードで逃げ回らず、浅い海域や、満潮線と低潮線のあいだの浜に生息しているため、狩りがへたな人でも簡単に採集できるからだ。
  ――Chapter4 貝を食べる

人間によって絶滅の危機に追い込まれた最初の野生動物と考えられているのはシャコガイで、それは12万5000年ほど前にさかのぼる。シャコガイは地球上に現存する貝類でもっとも大きく成長し、長さは1メートルをゆうに超え、寿命は100年を超える。
  ――Chapter4 貝を食べる

アンモナイトを見ていくうえでややこしいのは、専門的に見たときにアンモナイトの多くがほんとうはアンモナイトと呼ばれるべきではないということにある。
  ――Chapter7 アオイガイの飛翔

海洋生物の多様性の豊かさでは(フィリピン諸島は)世界に冠たる海域で、世界の魚類の40%がここに生息し、サンゴは全体の3/4にあたる種類がここで見られる。
  ――Chapter8 新種の貝を求めて

「(ヒュー・)カミングのコレクションからは今でも新種が見つかる」
  ――Chapter8 新種の貝を求めて

貝殻はほとんどのものがチョークと同じ成分でできているので、ほんとうならばすぐに砕けてしまうはずである。(略)ところが貝殻は、(略)なかなか割れない。(略)貝殻はなぜ割れにくいのか。
  ――Chapter9 魚を狩る巻貝と新薬開発

分布域が狭い種類ほど絶滅しやすい。
  ――Chapter9 魚を狩る巻貝と新薬開発

寿命が短い生物のゲノムは複製がつくられる頻度が高いために、DNAの写し間違いが蓄積しやすく、自然選択がはたらく遺伝子はバラエティに富むことになる
  ――Chapter10 海の蝶がたてる波紋

【どんな本?】

 軟体動物。美味しいカキやサザエ、タコやイカやウミウシなど、海にいるものが思い浮かぶが、オカヤドカリ・カタツムリ・ナメクジなど、陸に住むものもいる。古生物ではアンモナイトが有名だ。ヒトは貝塚でわかるように大昔から食用にしてきたほか、タカラガイを貨幣として使い、戦や宗教など重要なイベントではホラガイを吹いた。

 彼らは、どこで何を食べて生きているのか。規則的でありながらも複雑な貝殻の模様は、なぜできるのか。「海の絹」の伝説は本当なのか。マテガイはどうやって砂に潜るのか。カキの養殖のコツは?

 節足動物に次いで多様性に富む軟体動物について、イギリスの海洋生物学者が彼らの不思議な性質や生態を紹介するとともに、食用・装飾・加工品の原料そして最新素材開発に至るまでのヒトとの関わりをユーモラスに描く、一般向けの科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Spirals in Time : The Secret Life and Curious Afterlife of Seachells, by Helen Scales, 2015。日本語版は2016年11月30日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約331頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント46字×19行×331頁=289,294字、400字詰め原稿用紙で約724枚。文庫本なら厚い一冊分ぐらい。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。ご想像のとおり色々な貝やタコやカニの名前が出てくるので、ついその姿形を調べたくなる。Google で探すなり図鑑で調べるなりしよう。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、美味しそうな所だけをつまみぐいしてもいい。ただし「Chapter 1 誰が貝殻をつくるのか?」は、この本のテーマである軟体動物全体を定義するところなので、ザッと目を通しておこう。

  • 日本の読者のみなさんへ
  • プロローグ
  • Chapter1 誰が貝殻をつくるのか?
    軟体動物は何種類いるのか/熱水噴出孔にいる軟体動物/軟体動物とはどんな生きものか/ことの始まり バージェス頁岩/軟体動物の祖先? ウィワクシア/軟体動物が先か、貝殻が先か/防弾チョッキに穴をあける歯 削り取り、噛み砕き、つき刺し、銛を打つ/サーフィンを覚えた巻貝/千に一つの殻の使い方 外套膜
  • Chapter2 貝殻を読み解く 形・模様・巻き
    イポーの丘で見つかった巻貝/螺旋の科学/貝殻をつくる四つの原則/貝殻の仮想博物館 考えられる限りの貝殻の形/なぜ形が重要なのか/右巻きと左巻き/自然界のお遊び 模様/マインハルトのシミュレーション・モデル/理論を裏付ける証拠/軟体動物の日記を解読する/コウイカの模様の解明
  • Chapter3 貝殻と交易 性と死と宝石
    貝殻の持つ神秘の力/最古の宝飾品/不平等の兆候/世界中で使われたスポンディルスの貝殻/旅するタカラガイ 貨幣/奴隷とタカラガイ/ヤシ油と貝殻貨幣
  • Chapter4 貝を食べる
    セネガルのマングローブの森で/イギリス人と貝/好ましい海産物?/事件の全容 貝毒による被害の原因/誰がシャコガイを食べたのか/カキの森の守護者 ガンビア/トライ女性カキ漁業者協会/二日にわたるカキ祭り
  • Chapter5 貝の故郷・貝殻の家
    失われたカキ漁/カキと生物群集/カキ漁の復活をめざして/カキの冒険/育成の足場になるカキ殻/共同体をつくる炎貝/ヤドカリ 殻をつくるのをやめたカニ/順番待ちするオカヤドカリ/ヤドカリに居候する生き物たち
  • Chapter6 貝の物語を紡ぐ 貝の足糸で織った布
    海の絹でつくられた伝説の布/ピンナの足糸/シシリアタイラギと海の絹/海の絹の神話と現実/海の絹の産地 ターラントとサルディニア/海の絹を織る姉妹/海の絹の殿堂 足糸博物館/極秘の足糸の採取方法/シシリアタイラギと共生する生き物
  • Chapter7 アオイガイの飛翔
    殻をつくるタコ/オウムガイの殻/アンモナイトが祖先?/蛇石と雷石/肥料になったコプロライト(糞石)/アンモナイトかナンモノイドか/白亜紀末の大量絶滅とアンモナイト/19世紀にアオイガイを調べた女性 お針子から科学者へ/自分で殻をつくるアオイガイ/アオイガイの奇妙な性行動/ジェット噴射
  • Chapter8 新種の貝を求めて 科学的探検の幕あけ
    オウムガイでつくられた器/海外遠征した博物学の先駆者たち/科学的探検の幕あけ/新種の貝を求めて太平洋を横断 ヒュー・カミングスの探検/二度目の探検 中南米の太平洋岸/サンゴ三角海域へ フィリピン諸島/商取引されるオウムガイ/カミングの標本と有閑階級/ロンドン自然博物館に収蔵されたカミングの貝コレクション/貝の図鑑 『アイコニカ』と『シーソーラス』
  • Chapter9 魚を狩る巻貝と新薬開発
    イモガイの秘密をあばく/複合毒素の複雑な作用/貝毒から薬をつくる/生物接着剤になったイガイの足糸/二枚貝がつくり出す液状化現象/割れない殻の秘密 真珠層/巻貝の鉄の鱗/危機に瀕するイモガイ
  • Chapter10 海の蝶がたてる波紋 気候変動と海の酸性化
    海の蝶を訪ねて グラン・カナリア島/海の蝶の不思議な生態/酸性度の問題/石灰化生物たちの困惑/軟体動物が受ける酸性化の影響/死滅への道を歩む海の蝶/海の蝶の糞の役割/生態系を調べる手段/酸性化の時間/海の酸性化と科学者/人間の活動と海
  • エピローグ
  • 貝の蒐集について
  • 用語解説/謝辞/訳者あとがき
  • 本文に登場する書籍(原著名)の一覧/参考文献/索引

【感想は?】

 真面目な本なんだが、どうにも腹が減って困る。

 軟体動物って言葉は気色悪そうだけど、つまりは貝・タコ・イカだ。本書で見慣れない名前が出てくると、思わず「どんな味なんだろう」と考えてしまうのは、日本人のサガというか業というか。

 中身は大きく分けて三つ。一つは軟体動物そのものの話、二つ目は軟体動物の研究者の話、そして最後はそれ以外の人間との関わり。

 人間との関わりでは、軟体動物の中でも貝が大きな比重を占める。というか、本書全体でも貝の扱いが大きい。やはり貝殻という形で、死んでからも痕跡が残るのが大きいんだろう。それが綺麗だったり大きかったりすれば、蒐集家も子供も喜んで集める。流通の発達した現代ならともかく、昔はこの傾向がもっと顕著だった。

 日本だと山伏が持ってるホラガイ、ギリシャ神話だとポセイドンの息子トリトンが吹いている。今、調べたらホラガイの生息域は「インド洋、西太平洋」(株式会社科学技術研究所ホラガイ)。なぜ地中海のトリトンが持ってるんだ? またチベットでも祈りの合図で使ってる。インド洋からチベットまで、ヒマラヤを越えはるばる運んでいったのだ。

 こういう国際貿易の話は、「Chapter3 貝殻と交易」が詳しい。昔から、綺麗で貴重なものは貨幣になる。

 西アフリカじゃ14世紀からタカラガイが使われた。原産地はインド洋のモルディブ。インドを経てアラビアの商人がサハラを越え西アフリカまで運んでた。これにポルトガル・オランダ・イギリスが目を付け、大規模な奴隷貿易に使った結果、インフレになる。更に19世紀にアフリカ東海岸のザンジバルでハナビラダカラが見つかった結果、インフレが加速して価値は暴落、市場は崩壊しましたとさ。

 なんか南米から金銀が雪崩れ込んで崩壊したスペイン経済みたいな話だ。ヒトは何度も似たような事を繰り返してきたんだろうなあ。そういえば日本も養殖真珠でペルシャ湾岸の真珠産業を潰してます。

 この章では光ルミネッセンス年代測定法(→Wikipedia)なんてのが出てきて、こでも面白い。石英や長石に光が当たると時計はゼロにリセットされる。暗い所、つまり地中に埋まっていると時計は進む。これで古代の遺物が、どれだけ地中に埋まっていたか=どれだけ古いか、が分かるのだ。モロッコ島北部の洞窟からは、10万~12.5万年前の貝殻の装飾品が見つかっている。人類は昔からお洒落だったのだ。

 交易も現代になると規模が大きくなりすぎて、漁場を枯らすことも増えてきた。今じゃ二枚貝の養殖の7割が中国産だとか。最も有名なのはカキだろう。「Chapter4 貝を食べる」ではセネガルのマングローブでの、ちょっと変わったカキ産業振興の話が出てくる。カキが難しいのは、群れてないと次の世代が育たない点だ。雄は海中に生死を放出するので、近くに雌がいないと受精しないのだ。

 生殖で面白いのが、「Chapter7 アオイガイの飛翔」の主役アオイガイ(→Wikipedia)。これも今調べて気づいたんだけど、小安貝ってこれか。見た目も名前もカイみたいだけど、実はタコ。殻を持つのは雌だけで、雄の体重は雌の1/600。腕の先にペニスがあって、雌にペニスごと植え付け、やがて死ぬ。雌は受け取ったペニスを複数持ち歩き(なんちゅうビッチだw)、好きな時に受精する。カマリキよか酷いw

 ここでは、アイオガイを研究した19世紀のジーン・ヴィレプレの生涯もドラマチックで楽しい。

 過去の話ばかりでなく、未来も垣間見えるのが「Chapter9 魚を狩る巻貝と新薬開発」。今まで新薬といえば植物由来の物が多かったが、ここでは魚まで毒殺するイモガイ(→Wikipedia)が大活躍。奴の毒は凶悪で、即効性+とどめを刺す毒の複数の毒を使う。毒が何の役に立つのかというと、痛みをブロックする、すなわち鎮痛剤になるのだ。効果はモルヒネの千倍で中毒になりにくい。

 ただし、これの投与法は、体に埋め込んだ「ポンプで脊髄液の中に薬剤を直接注入」って、まるきしSFだ。きっと某国はコレを使った「痛みを感じない兵士」を研究してるんだろうなあ。

 この章では「レナードの朝」でお馴染みのL-ドーパが意外な形で使えたり、貝殻の真珠層が軽くて丈夫な構造の秘密を隠してたり、マテガイ(→Wikipedia)の砂潜りが土木工法のヒントになったりと、SF者には興奮が尽きない章だ。

 奇妙奇天烈な軟体動物の生態から、それを巡る人間の世界にまたがる通商ネットワーク、彼らに憑かれた研究者たちの個性的な生涯、そして最新科学が解き明かした彼らの秘密とめくるめく応用範囲と、読みどころは満載。ただ、繰り返すが、どうしても読んでいるとお腹がすくのが欠点かも。

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2019年7月14日 (日)

クリスティー・アシュワンデン「Good to Go 最新科学が解き明かす、リカバリーの真実」青土社 児島修訳

「誰もが知っているアスリートが支持しているのなら、誰がその商品の効果の科学的根拠を求める?」
  ――第2章 水分補給

…肝心の質問が残っています。それは“運動後には何を食べればいいの?”です。端的に言えば、その答えは“身体が求めているものを食べればいい”です。
  ――第3章 栄養補給

人は治療が痛みを伴うものだと、“痛いのは効いている証拠だ”と考える傾向があるのです。
  ――第4章 アイシング

言葉巧みな商人が何世紀にもわたって栄えてきたのには理由があります――私たちは、何かを信じたがっているのです。
  ――第8章 サプリメント

「朝の気分や感情は、おそらくリカバリーのもっとも正確な予測因子だ」
  ――第10章 データ

「その手法を使う人が積極的に関わったり、代償を支払ったりしているとき、プラシーボの効果はより大きくなると考えられている」
  ――第11章 プラシーボ効果

【どんな本?】

 スポーツの練習中には、水分を取るべきなんだろうか? 昔は水を飲んではいけないと言われていた。だが最近は水分を補給すべきとする説が多い。実際にはどうなんだろう? 疲れた時にマッサージを受けると心地よい。だが、それは本当に効いているんだろうか? アスリート向けに様々なサプリメントが売られているが、その効果はどれほどなんだろう?

 リカバリー、疲労回復。高みを目指すアスリートは、より迅速なリカバリーを望む。野球などのプロ選手は、短いシーズンに旅をしながらもコンディションを保ち、多くの試合をこなさなければならない。彼らにとって、効果的なリカバリーは必須だ。それだけに、色々なリカバリー製品や方法が世に溢れており、アマチュアのアスリートにも広がっている。

 スポーツドリンク、アイシング、マジックウィンドウ、アイシング、マッサージ、瞑想、サプリメント、スポーツウォッチ。これら「科学的」と銘打たれた製品や理論は、本当に科学的な裏付けがあるのか。プロのアスリートや私たちは、なぜこれらに惹かれるのか。そして、厳しいトレーニングをこなしているにも関わらず、伸び悩む選手がいるのはなぜか。

 より優れた結果を残すために、またはより長くスポーツを楽しむために、重要な要素でありながら往々にして見落とされがちなリカバリーについて、自らもノルディックスキー・ランニング・自転車などを楽しむサイエンスライターが、アスリートや科学者への取材に加え体当たり取材も交えて送る、リカバリーと現代科学のルポルタージュ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Good to Go : What The Athlete In All Of Us Can Learn From The Strange Science Of Recovery, by Christie Ashwanden, 2019。日本語版は2019年4月10日第一刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約277頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント46字×18行×277頁=約229,356字、400字詰め原稿用紙で約574枚。文庫本なら普通の厚さの一冊分。

 文章はこなれていて読みやすい。ただし、様々なリカバリーが流行している現代アメリカ向けの作品なので、無駄に厳しいだけの練習がハバを利かしている現代日本の感覚からすると、「へえ、今のアメリカってそうなんだ」的な雰囲気もある。

【構成は?】

 第1章は必ず読もう。「科学的とはどういうことか」を説明しており、以降の章の基礎となる部分だ。第2章~第8章は、個々のリカバリー方法を扱っている部分なので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。第9章~終章は、結論へと向かう「まとめ」のパート。

  • はじめに
  • 第1章 アルコール ビールはリカバリーに役立つ?
  • 第2章 水分補給 “喉が渇いてから飲む”でもパフォーマンスは落ちない?
  • 第3章 栄養補給 “運動直後の栄養補給のゴールデンタイム”など存在しない?
  • 第4章 アイシング 患部を冷やすのはリカバリーには逆効果?
  • 第5章 血流 マッサージにパフォーマンス向上効果はない?
  • 第6章 心理的ストレス 瞑想、フローティングのリカバリー効果は?
  • 第7章 睡眠 最強のリカバリーツール?
  • 第8章 サプリメント 効果を裏付けるエビデンスは少ない?
  • 第9章 オーバートレーニング症候群 真面目な選手ほど危ない?
  • 第10章 データ 数えられるものが重要なわけではなく、重要なものが数えられるとも限らない?
  • 第11章 プラシーボ効果 大半のリカバリー手法の効果はプラシーボにすぎない?
  • 結論 身体の声に耳を澄ます
  • 謝辞/訳者あとがき/注

【感想は?】

 健康に関して、科学が出す結論は往々にしてみもふたもない。本書の結論はこうだ。

「ちゃんと寝ろ。そして朝の気分に従え」

 リカバリー=疲労回復に関する限り、睡眠以外は総崩れだ。中には逆効果だったり、どころか悲惨な副作用を伴うものもある。ただし頭から否定しているわけでもなければ、ハッキリしたガイドラインも示していない。結局、「害がなく効くと思うならやれば?」みたいな結論だ。

 本書の最大の特徴は、著者自身がスポーツ好きであり、取り上げたリカバリー・グッズや方法を自分が実際に試している点だ。これは最初の「第1章 アルコール」からそうで、自らが被験者の一人となって効果を調べている。実験の目的はこうだ。「汗をかいた後のビールは美味しい。これリカバリー効果があるんじゃね?」

 そこで友人やアスリート仲間と組み実験に挑むが、結果は怪しげな数値になる。ここで大事なのは結果よりも、そこに至る過程、すなわち実験の内容だ。著者らが用いたのはRTE法、ドレッドミルで何分まで頑張れるか。これを一日一回、三日行う。被験者は二つの組に分かれる。1組は普通のビール、2組はノンアルコールビール。二重盲検を用い、被験者は自分がどっちの組かは知らない。被験者は10人。

 この実験、製薬会社で開発に携わっている人は、開いた口がふさがらないだろう。ツッコミどころが多すぎる。本当に二重盲検になっているのか? 実はなっていなくて、被験者はみな味で自分が何を飲んだのか知っていた。RTE法も怪しくて、むしろ距離を決めタイムを計る方がいい。実験以外の時間、被験者は何をしてる? 何よりサンプル数が少なすぎる。実験は一回だけで再現性を確かめてない。

概して、実験の規模が小さいとサンプル数も少なくなり、規模が大きな場合に比べて信頼性が低下します。また、実験者にとって好ましい結果が出やすく傾向があることも知られています。
  ――第1章 アルコール

 そんな風に、冒頭で「科学的」なんて言葉に疑問を抱くよう、読者に強く印象付けるのである。その上で、以降もグッズやメソッドを自ら試しつつ、それらの裏付けをメーカーや業者に問い合わせ、その実体を明らかにしてゆく。まあ、結論は「みんな鰯の頭みたいなもん」なんだけど。

 とまれ、体験取材してるのは、読み物として野次馬根性で面白い。睡眠グッズとしてパジャマまで買ってたり。私もフロートタンク(→Wikipedia)は試したくなった。要は濃い塩水に浮かぶってだけなんだけど、気持ちよく寝れそう。

 もっと手軽に試せるのが、スポーツ飲料。「第2章 水分補給」では、ゲータレードの誕生秘話が面白い。ちなみに最近流行りの「電解質」、これ下世話な言い方をすると「塩」です(→Wikipedia)。こういう耳慣れない言葉を使うのも、販売戦略なわけ。ちなみに熱中症の時は水を飲むのも善し悪しで、逆に水の取りすぎ=低ナトリウム血病の場合もあるとか。この辺は専門家、つまり医師に聞くべきだろうなあ。

 こういった「電解質」などの言葉にはじまり、企業はあの手この手で売り込みをかける。スター選手を広告塔にしたり、雑誌に広告を出したり。

 これらの手口を原理から暴いているのも、本書の楽しいところ。特に効きそうなのが、FOMO=fear of missing out、何かを見逃すことへの恐れ。これが最も有効なのが、サプリメント。だってあなた、日頃の自分の食生活で、すべての栄養素が充分に摂れている、と断言できますか? 栄養士じゃあるまいし、たいていの人は、なんとなく食べてるはず。これ突かれると弱いんだよね。

 と、そういうヒトの心の弱みにつけ込む形で商売する企業もあれば、アスリートが自ら罠に飛び込む場合もあって、それをテーマにしているのが「第9章 オーバートレーニング症候群」。理屈は簡単。

もっと練習すればもっと大きな成果が得られるはずだ
  ――第9章 オーバートレーニング症候群

 まあ、普通はそう考えるよね。これはスポーツに限らず、勉強でも同じだろう。ところが、これには落とし穴があって、それをこの本は何度も戒めている。それは何かというと、睡眠。

リカバリーの魔法の秘密が存在するとするならば、それは睡眠です。
  ――第7章 睡眠

 寝不足だと、どんなに練習しても無駄、どころか下手すると長期のスランプに陥るぞ、と繰り返し忠告してる。睡眠の重要性は「[戦争]の心理学」でも、合衆国陸軍の印象的な実験のデータがあるんで、ぜひ参考にしていただきたい。

 ちなみにこの本、注にも強烈なネタが埋まっているので油断できない。「第2章 水分補給」の注5は大笑い。某研究者が電解質も補給できるビールを開発しようと研究を始めたが…。うん、ヒトって、夢中になると、視野が狭くなるんだよねw

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2019年7月12日 (金)

草野原々「大進化どうぶつデスゲーム」ハヤカワ文庫JA

「大丈夫。小夜香ちゃんは絶対だから」
  ――p158

「大丈夫よ、わたしは八倉巻早紀なんだから」
  ――p330

【どんな本?】

 「最後にして最初のアイドル」で日本SF界をパニックに陥れた恐怖の若手作家・草野原々が送る、長編SF小説。

 その朝。星智慧女学院は異変に見舞われる。校舎はボロボロになり、生徒たちは猿のような生き物に変身してしまう。校舎にはヒトより大きい二足歩行の猫が侵入し、元は生徒だった猿たちを引き裂いてゆく。なぜか人の姿のままでいた3年A組の18人に、スマートフォンから奇妙なメッセージが届く。

「おめでとうございます! みなさんは、生命進化を守る戦士に選ばれました!」
  ――p70

 人類の生存を賭けた巨大猫とたちとの戦いに投げ込まれた少女たちの冒険を描く、「青春ハードSF百合群像劇」。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2019年4月25日発行。文庫本で縦一段組み本文約339頁。9ポイント40字×17行×339頁=約230,520字、400字詰め原稿用紙で約577枚。文庫本では標準的な長さ。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。ときどき難しげな理屈が出てくるけど、分からなければ読み飛ばして構わない。それより大事なのは登場人物なので、巻頭の登場人物一覧には栞を挟んでおこう。

【感想は?】

 魔法を使わない「魔法少女まどか☆マギカ」。ただし猫好きには向かない。なにせ猫が悪役だし。

 女子高生18人が、800万年前に飛ばされて、巨大猫たちと戦う。単に戦うだけじゃなく、どちらかが滅びるまで殺り合う。まるきしマンガな設定だ。この無茶な設定に入れ込めるかどうかが、一つの障壁だろう。

 この無茶な設定に、ソレナリに科学っぽい理屈をつけているのが草野原々の特徴というか。この強引な理屈付けは他にもアチコチに出てきて、例えば巨大猫が繁栄する原因なども、ちゃんと設定に組み込んでるあたりが楽しい。しかも、今になって読み返すと、冒頭の大惨事はコレの伏線になっていたり。

 こういう世界設定の細やかさは随所に見られて、当時の生物相を描くあたりは、かなりキッチリ調べてあるのに驚く。こういう所って娯楽小説としては加減が難しいのだ。というのも、あまり科学的に厳密に書いちゃうと、かえって感覚的にはリアリティが薄れちゃったりする。というのも、あの辺の生物には私たちになじみ深い種も多いのだが、当時の姿は私たちが知っている姿とは全く違うからだ。

 にも関わらず、ソコを敢えて現代の科学的知見に基づいて書くあたりに、私は作者のSF魂を感じた。他にもけっこうな量の蘊蓄も入ってて、「アレをこう使うか!」と感心させられる所も多いんだけど、全体を通してみると設定のおバカさで吹っ飛んじゃうのがナンというかw

 で、肝心の百合なんだけど、これスピード感が70年代の漫画なのだ。

 例えば「デビルマン」はコミックスで5巻、「幻魔大戦」が2巻。少女漫画だと「ベルサイユのばら」は本編10巻、「キャンディ・キャンディ」は9巻。いずれも今になって読むと、ストーリーのジェットコースターぶりが半端ない。現代の漫画なら4~5倍の枚数を費やすお話が、短い巻数にギッシリ詰まってる。それぐらい当時ヒットした漫画は濃い。

 それだけに、当時は一話の充実感が大きかった。これはこの作品にも共通していて、とにかくお話がポンポンと進む。

 なにせ登場人物が18人もいて、それぞれが独特の立ち位置を持っている。最初は昔の少年漫画っぽく、それぞれの登場人物の立ち位置は記号化されてる。例えば白鳥純華だ。登場時は八倉巻早紀の取りまきで気取った奴と思ったが、彼女のモノローグで印象はガラリと変わる。

 こういう、最初の印象が裏切られたり、それぞれの関係が変わっていくあたりが、この作品の百合描写の美味しいところ。犬猿の仲だった○○と○○とか、そうくるかw 中でも、最初に登場するだけあって、空上ミカと峰岸しおり、そして八倉巻早紀と龍造寺桜華には注目しよう。当然、生き残りをかけたバトルでも大暴れします。

 などの繊細な心の動きを描きつつも、血液ドバドバ内蔵グチョグチョなスプラッタ描写を随所に挟み込むのも、この作者の特徴で。冒頭の巨大猫 vs 猿からして、容赦なく内臓をブチまけるから容赦ない。そういう趣味なんでしょう、この人はw

 とまれ、不満もあるのだ。なんたって、短すぎる。

 例えば、小春あゆむと氷室小夜香。関係図では「親友」となっているが、明らかにタダゴトじゃない関係なのが、あゆむの台詞からうかがえる。きっと裏設定があると思うんだが、匂わせるだけで終わっちゃうのが切ない。

 やっぱり登場場面を増やしてほしいのが、飯泉あすか。所々でいいアクセントを務めてるんだから、もちっと登場場面を増やしてほしかったなあ。そして、あの終わり方。ミカと○○が××なのはいいが、となると当然○○と○○は××と感じるだろうから…とか考え出すと、妄想マシーンが暴走を始めてしまう。

 もしかしたら、「そんなに気になるならお前が二次創作しろ」という作者の陰謀なのかもしれない。

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2019年7月11日 (木)

ビョルン・ベルゲ「世界から消えた50の国 1840-1975」原書房 角敦子訳

切手の製造は、1878年にアルゼンチンの郵便制度が国営化されるまで続いた。この時期をはさんで多くの偽物が出たが、そのどれにもいえる特徴が、ほぼまちがいなくオリジナルより品質が高いということである。
  ――コリエンテス パン屋の切手

…イギリス人は何をすべきかを承知していた。なぜなら、独自の切手発行ほど社会がきちんと機能していることを証明する手立てはないからだ。
  ――マフェキング 陽動作戦に出たボーイスカウト

石油生産が1870年代に始まると、バクー油田はまもなく世界の石油の50%以上を産出するようになった。その中心で一切を取り仕切っていたのは、スウェーデンのノーベル兄弟社である。
  ――バトゥーミ 石油ブームとクロバエ

イニニの地表の面積はベルギーの売あるが、人口は3000人しかなかった。この数字には土着の先住民は入っていない。先住民の人数をわざわざ数えようとする者などいなかったのだ。
  ――イニニ 人を寄せつけない熱帯雨林の道徳の罪

…ほぼ確実にいえるのが、その大半がこの国をまったく通過せずに収集家に直販されているということである。
  ――タンヌトゥバ 封鎖された国と奇抜な切手

カロンジは有力なルバ族の族長で、(略)その施政は軍国主義に傾いた独裁制だった。他の部族民は放逐され、政敵は暗殺か追放の憂き目にあった。(略)その後の数週間で新首都には、コンゴ全域のルバ族がどっと押し寄せた。その多くが執念深いルラ族からやむをえず逃げてきたのだった。
  ――南カサイ 悲惨なルバ族と貴重な鉱物

【どんな本?】

 何をもって国家とするのか。この定義は、けっこうあいまいだ。独自の通貨を発行し、それが実際に流通していれば、充分に国家と言えるだろう。だが通貨を発行し、それが国民や他国の信用を得るとなると、けっこう難しい。例えば東ティモールだ。独立国として認められてはいるが、経済は米ドルで回っている。

 対して切手は、独自通貨よりも発行が簡単だ。また、切手を発行することで、その政府は郵便制度を整え運用できる由を、他国にアピールできる。

 著者は趣味の切手収集を通じ、世界史の中で埋もれた様々な国に出会う。シチリア王国やオレンジ自由国やビアフラのように名の知れた国もあれば、ヴァン・ディーメンズ・ランドやアルワルなど、どこにあるのかもわからない国もある。それぞれが独自の事情で独立国となり、それぞれの事情で消えていった。

 切手を通じ、世界史の重箱の隅を掘り起こす、ちょっと変わった歴史と塵の本。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は LANDENE SOM FORSVANT 1840-1970 (NOWHERELANDS 1840-1975), by Bjørn Berge, 2016。日本語版は2018年7月30日第1刷。単行本ハードカバー縦一段組み本文約373頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント45字×18行×373頁=約302,130字、400字詰め原稿用紙で約756枚。文庫本なら厚い一冊分ぐらい。

 文章はこなれている。内容も特に難しくないが、19世紀以降の世界史に詳しいとより楽しめるだろう。世界地図が欲しくなるが、マニアックな土地ばかりが出てくる上に、昔の地名で出てくるので、Google や Wikipedia に頼る羽目になるかも。

【構成は?】

 それぞれ6頁ほどの独立したコラムになっている。気になった所だけをつまみ食いしてもいい。

  • まえがき
  • 1840~1860年
  • 両シチリア王国 底なしの貧困と飽食の貴族
  • ヘリゴランド 島の王国から爆撃の標的へ
  • ニューブランズウィック うまい話に一杯食わされた移民
  • コリエンテス パン屋の切手
  • ラブアン いかがわしい南海の天国でどんちゃん騒ぎの酒宴
  • シュレスヴィヒ スカンジナビア主義と軍歌
  • デンマーク領西インド諸島 奴隷島のバーゲン・セール
  • ヴァン・ディーメンズ・ランド 流刑地と不気味な切手
  • エロベイ、アンノボンおよびコリスコ 反帝国主義と気の弱い宣教師
  • ヴァンクーヴァー島 木造の神殿
  • 1860~1890年
  • オボック 武器取引と山羊のスープ
  • ボヤカ 戦時の退廃
  • アルワル 尊大な藩王と甘いデザート
  • 東ルメリア 図面上の国
  • オレンジ自由国 讃美歌と人種差別
  • イキケ 不毛な土地の硝石戦争
  • ボパール ブルカをまとった王女
  • セダン シャンゼリゼからコントゥムへ
  • ペラ スズに取り憑かれて
  • 1890~1915年
  • サント・マリー島 熱帯ユートピアの文明人パニック
  • ナンドゲーアン 平和な熱狂
  • 膠州 惨めなゲームで気まぐれにふるまう皇帝
  • ティエラデルフエゴ 成金独裁者
  • マフェキング 陽動作戦に出たボーイスカウト
  • カロリン諸島 石貨とナマコの交換
  • 運河地帯 カリブ海のシベリア
  • 1915~1925年
  • ヘジャズ 苦いイチゴ味の切手
  • アレンシュタイン 独立の夏
  • ジュービ岬 砂漠の郵便機
  • 南ロシア 白い騎士が覇権を手放す
  • バトゥーミ 石油ブームとクロバエ
  • ダンツィヒ スポンジケーキとヒトラー
  • 極東共和国 ツンドラの理想主義者
  • トリポリタニア イスラム教発祥の地でのファシストのエアレース
  • 東カレリア 民族ロマン主義と陰気な森林地帯の悲哀
  • カルナロとフィウメ 詩とファシズム
  • 1925~1945年
  • 満州国 実験国家
  • イニニ 人を寄せつけない熱帯雨林の道徳の罪
  • セザノ 世界一寂しい場所の子どもの天国
  • タンヌトゥバ 封鎖された国と奇抜な切手
  • タンジール国際管理地区 近代のソドム
  • ハタイ 虐殺と仕組まれた国民投票
  • チャネル諸島 切手でサボタージュ
  • サウスシェトランド諸島 ペンギンの厳しい試練
  • 1945~1975年
  • トリエステ 歴史の交差点
  • 琉球 組織的な自決
  • 南カサイ 悲惨なルバ族と貴重な鉱物
  • 南マルク 香辛料とテロ
  • ビアフラ 飢餓と代理戦争
  • アッパーヤファ 泥の家と悪趣味な切手
  •  訳者あとがき/原注/参考文献

【感想は?】

 イギリス大暴れ。良くも悪くも。

 扱う時代が大英帝国の興隆と崩壊にまたがっているため、どうしてもイギリスの野望が遺した傷痕が多くなる。だが、ちゃんと役立つ遺産も残しているのだ。他でもない、ペニーブラック(→Wikipedia)、世界初の郵便切手だ。

 とはいえ、イギリスを持ち上げているのは「まえがき」だけで、本文中ではジョンブルの悪行を延々と連ねているように見えるのは、気のせいだろうかw 著者がノルウェー人だから、遠慮なく暴けるのかもしれない。

 その酷さがよく出ているのが、ヴァン・ディーメンズ・ランド。

 今はオーストラリアに組み込まれ、タスマニアと呼ばれている。元は囚人の流刑地で、オーストラリアと同じだ。囚人たちはカンガルーを狩って腹の足しにした。ところが、この島にはもともと原住民がいて、カンガルーは彼らの主な食材であるばかりでなく、皮や骨も衣類や道具になる。そのカンガルーが移住者によって狩りつくされ…

 今でもオーストラリアには白豪主義なんてのがあるけど、こういう歴史で成り立った国だとすれば、そういうのも残っちゃうんだろうなあ、なんて思ってしまう。誰だって悪役にはなりたくないし。

 これほどあからさまではないにせよ、アルワルでも植民地ならではの害が見える。1803年当時の名前はウルワル、インドの藩王国の一つだ。マハラジャとして君臨していたのはバクタワール・シン。彼はイギリス東インド会社と組む。東インド会社は、取引先の代表者がコロコロ変わると困る。だからたいていは現政体を支援する。おかげでマハラジャの地位は安泰となった。

 東インド会社は面倒を嫌い、藩王国の内政には原則として口出ししない。取引さえちゃんと履行すりゃいいのだ。ここでマハラジャが賢く国民を導けばいいが、バクタワール・シンは皆さんが想像するインドの王族そのものの尊大さ。さすがにムスリムの虐殺は東インド会社にたしなめられたが、作物をアヘンに切り替えたのは反乱を招く。

 これ東インド会社がなければ、アルワルの王朝は他国の侵略か国民の反乱で滅びていただろう。なまじ大国イギリスのバックアップがあったために、愚かな王朝が続いてしまったのだ。1970年代の南ベトナムや、現在のシリア・北朝鮮みたいなもんだね。宗主国にとっては、愚かで威圧的な独裁者の方が都合がいいしなあ。だって賢いと取り引きしにくいし、民意を重んじると宗主国に対し反乱を企てるし。

 逆に賢く立ち回った藩王国もある。ボパール、史上最悪の化学工場事故(→Wikipedia)で有名な所だ(「ボーパール午前零時五分)。ムガル帝国の撤退に始まる1818年の建国以後、四代続いて女王が治める。国民の多くがムスリムだったため反発はあったが、いずれも賢く治めたようだ。特に最後のカイフスラウ・ジャハンは、選挙に基づく立法議会を設立している。

 などと白人のやらかす事は…ってな気分を覆すのが、サント・マリー島。マダガスカルの東にある島だ。フランスの植民地だが、17世紀から海賊の根城だった。海賊というと物騒なようだが、実は意外と民主的で、福祉もちゃんとやってる(「図説 海賊大全」)。

リバテーシアの海賊船は(略)、海洋を忙しく横断していた奴隷船を拿捕したときは、その場で捕虜を解放してやり、サント・マリー島に住んで仲間になる機会も与えた。
  ――サント・マリー島 熱帯ユートピアの文明人パニック

 はずが、「25年で突然行き詰った」。原因は不明どころか、「その一切が壮大なホラ話であったかだ」。海の底には今も海賊船の残骸が眠っているというから、もしかしたら隠したお宝も…

 切手収集家の面目躍如と思えるのが、ヘジャズ。「知恵の七柱」では、ヒジャーズと呼ばれている土地だ。

 そう、ここではアラビアのロレンスことT.E.ロレンスが活躍する。なんと「ロレンスは最終的な印刷工程も監督している」。「知恵の七柱」でも印刷に強いこだわりを見せたロレンス、ここでも「糊にイチゴの風味をくわえた」。おかげで「切手を舐めるためだけに購入する者が続出した」。なんと見事な商売人っぷりw ちなみに著者も舐めて確かめてます。

 とかの歴史の片隅のエピソードもあれば、最初の「両シチリア王国」では現在のイタリアにも残る南北の経済格差の源流が見えたり。切手を通して世界史を辿ることで、意外な視点が得られる、そんな本だ。

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2019年7月 8日 (月)

SFマガジン2019年8月号

「ぼくの掲げる理念はつねに、すべての人が自分らしく生きて、自分の信じる価値を追求することだ」
  ――宝樹「だれもがチャールズを愛していた」稲村文吾訳

「このに入るときに銃を取り上げないのは、どのみちエンハンサーから能力を取り上げることはできないからだ」
  ――冲方丁「マルドィック・アノニマス」第26回

里見:そこはゆるく考えましょう。『ウテナ』の百合は、SFでいうとグレッグ・イーガンのようなものですよ。
溝口:『けいおん!』の百合はケン・リュウのようなものですね。
  ――イベント採録:SF雑談4 世界の合言葉は百合
    堺三保/里見哲郎/宮澤伊織/梅澤佳奈子(コミック百合姫編集長)/溝口力丸(本誌編集部)

 376頁の標準サイズ。

 特集は二つ。メインは「『三体』と中国SF」。次いで「『ガールズ&パンツァー』と戦車SFⅡ」。

 小説は13本。まず特集「『三体』と中国SF」として4本、王晋康「天図」上原かおり訳,何夕「たゆたう生」及川茜訳,趙海虹「南島の星空」立原透耶訳,宝樹「だれもがチャールズを愛していた」稲村文吾訳。次いで特集「『ガールズ&パンツァー』と戦車SFⅡ」でティモシー・J・ゴーン「子連れ戦車」酒井昭伸訳。

 連載は4本。椎名誠のニュートラル・コーナー「景気のいいチビ惑星の安売り火山」,冲方丁「マルドィック・アノニマス」第26回,藤井太洋「マン・カインド」第9回,夢枕獏「小角の城」第54回。

 読み切り&不定期掲載は4本。菅浩江「博物館惑星2・ルーキー 第8話 にせもの」,上遠野浩平「変身人間は裏切らない」,草上仁「エアーマン」,小川一水「ツインスター・サイクロン・ランナウェイ」冒頭。

 まず特集「『三体』と中国SF」。

 王晋康「天図」上原かおり訳。重度の自閉症である16歳の少年、張元一が心血を注いで描いたという「天図」。何かはわからないが、科学に関係しているかもしれない。いくつかの分野の数十人の科学者に問い合わせたが、返事が来たのは沈世傲のみ。若いながらも高い評価を得た科学者で、囲碁の愛好者だ。時間をかけて調べてみたいと言う。

 中国だと AlphaGo は阿法狗になるのか、なんて変なことに感心しつつ。そんなAIの進歩に棋士たちが抱える想いを足掛かりに、優れた才能を持ちつつも重い障害を抱える少年と、少年に細やかな愛情を注ぐ祖父の姿を描いてゆく。主人公らの動きは日本だと公私混同とも言われかねないが、こういう軽快なフットワークが中国の躍進を支えているのかも、などと思ったり。

 何夕「たゆたう生」及川茜訳。現在、灰灰は負のエントロピーを有する正の世界にいる。エネルギーの身体は、光の速度で動ける。鶯鶯の父・敖敖は、二百年にわたり実験を続けた末に鶯鶯を目覚めさせ、鶯鶯の身体を物質から解放した。今、鶯鶯は負の世界にいる。こちらのプランク定数は負の値だ。

 エントロピーだのプランク定数だのと使われている言葉はグレッグ・イーガンっぽいが、そこに描くビジョンはむしろバリトン・J・ベイリーのような気がする。つまりクレイジーながらも壮大なのだ。負のプランク定数なんて発想からして、やたらクラクラしてくる。終盤に出てくるブラウンワームも「そのブラウンかい!」と見事にしてやられた。

 趙海虹「南島の星空」立原透耶訳。平安市はスモッグに苦しんでいた。それを避けるため、二十個のドーム環境・珍珠城を作り上げる。これは人を二つに分けた。珍珠に住む資格のある者と、資格のない者。天体観測者の啓明と、環境保護業務に携わる天琴の夫婦も。天琴は十歳の娘・小鴿を連れ、珍珠に移る。スモッグのため天体観測は難しくなっていたが、啓明は自分の道を諦められなかった。

 今でも中国では信用スコアが浸透している。この作品でも、珍珠の居住資格は順位をつけてリスト化している。こうやって人の優劣を基準に沿ってハッキリさせちゃうのは、科挙の影響なんだろうか。冷酷で残酷ではあるけど平等で合理的でもあるんだよね。少なくともタテマエでは。そんな社会でも、人は足掻くのだ。短いながらも、しっとりした気持ちになる作品。

 宝樹「だれもがチャールズを愛していた」稲村文吾訳。感覚までもリアルタイムで共有できる感覚配信。チャールズ・マンは、その感覚配信のスターだ。航空艇<ペガスス>号を駆るパイロットであり、作家でもある。彼のファンは世界中で億を超える。今日、チャールズは太平洋横断選手権のため、アメリカから東京へ向かっていた。

 蒼井みやび(蒼井そら)はともかく朝倉南って、をいw それぞれモデルに沿った役柄なのも、よくわかってらっしゃる。リアルタイム配信のスターだけに、街中でファンと出会う場面も、よくできてるw 感覚の配信でどんなのが人気になるかというと、アレは当然として、やっぱりスポーツなんだろうか。

 立原透耶「『三体』のその後」。やはりヒューゴー賞受賞の影響は、中国国内でも大きかったようで、それまで「子供の読み物」だったSFが、純文学誌や新聞にも載るようになったとか。おまけに企業はもちろん政府まで国内外で支援してるというから羨ましい。

 陸秋槎「傷痕文学からワイドスクリーン・バロックへ」。「傷痕文学とは、文化大革命を経験した作家たちが時代の傷痕を描いた作品群」って、今の中国はソコまで書けるのか。なんか印象が大きく変わるなあ。「≪三体≫以外のSFをあまり読んだことがない『自称』SFファンも少なくない」って所で苦笑い。日本でも「日本沈没」が当たった頃はそんな感じだったかも。あ、でも、ゴジラがあったか。

 大森望の新SF観光局 第68回 『三体』こぼれ話。特集には入ってないけど、内容的に特集の続きみたいなもん。「中国語できないのに中国SFを中国語から訳す仕事」って、どうやるんだw

 特集「『三体』と中国SF」はここまで。

 椎名誠のニュートラル・コーナー「景気のいいチビ惑星の安売り火山」。奇妙な惑星を発見したニュースは、インデギルカ号に大騒ぎを引き起こす。興奮した乗客たちの勢いに押され、艦長は惑星への往復シャトル運航を決定する。ナグルスと市倉は現地滞在スタッフとなり、チコはシャトルの運航に携わる羽目になった。

 今回は、かなり急いで原稿を書いた雰囲気がある。インデギルカ号って、実はやたら大きな世代交代宇宙船だったのね。「しめつけツナギ」「宇宙おむつ」なんて命名が、微妙にマヌケで、いかにもシーナなセンスだ。

 冲方丁「マルドィック・アノニマス」第26回。ハンターは街の裏を仕切る面々を集め、協力を呼びかけようとする。だが<誓約の銃>の代表マクスウェルは、ケイトら<戦魔女>を挑発し、場を荒らしにかかる。バジルがなんとか騒ぎを抑えた後に、ハンターは会合の目的を、そして自らの目標を打ち明け…

 前半では、一触即発の緊張感あふれる悪党どもの会合の場面。みんな悪党だけあって、スキあらば美味しい立場を奪おうと誰もが狙っている。そんな油断ならない連中ばかりの組織を、ナンバー2としてまとめなきゃいけないバジル君の苦労が、ヒシヒシと伝わってくる。後半はバロット視点に移り、雰囲気もガラリを変わって…

 上遠野浩平「変身人間は裏切らない」。早朝、犬のモロボを連れて散歩するコノハ・ヒノオは、懐かしい顔を見た。ボンさんと呼ばれる老人だ。だが、何か違う。黙ってすれ違ったとき、老人から声を掛けられる。ヒノオが感じたとおり、別人だった。だが老人は別人と見破られたことに驚く。しかもフォルテッシモを恐れているらしい。

 「変装さん」はいいねえ。もちろん、統和機構の合成人間です。ブギーポップ・シリーズは外から見た統和機構を描くのに対し、このシリーズは合成人間の視点で統和機構の内幕を書いてるんだけど、やっぱりよくわからない。

 ティモシー・J・ゴーン「子連れ戦車」酒井昭伸訳。ケンタウルス座α星系の主惑星。人類はこの惑星をテラフォームしたが、やがて去った。現在、この惑星を管理しているのは、人類が作り出したロボットたちだ。電脳戦車の<古兵>は、ニュー・モールデン市へ急ぐ。<二倍幅>との子作りの許可が下りたのだ。

 人類なきあとも、その創作物たちは戦いを続けていた…って、バーサーカー・シリーズかよw マシンばかりの世界観が気持ちいい。マグマ級のスペックの馬鹿々々しさに大笑いw 戦車である必要はあるのかw その使い方も、まあ、なんというか。中盤に出てくる図書館の場面は、思わずため息が漏れそうな壮観。いいなあ、そんな図書館があったら、住みつきたい。

 小川一水「ツインスター・サイクロン・ランナウェイ」冒頭。ガス惑星ファット・ビーチ・ボールの主力産業は漁業だ。ただし漁場は海じゃないし、獲物も魚じゃない。漁場は惑星大気、獲物は昏魚。昏魚は大気の上層と中層のあいだを飛ぶ生物で、深層にある炭素・珪素に加え窒素・酸素・塩素なども含んでいる。普通、漁師は男女のペアで漁に出る。だがテラのパートナーは…

 百合アンソロジー『アステリズムに花束を』収録作品の冒頭のみを掲載。舞台は遠未来の異星系、木星みたいな巨大ガス惑星。そこで異星生物を狩る漁師が主人公って、どこが百合なのかと思ったら、ちゃんとそういう設定になっていたw しかも、自然環境だけでなく、テラたちが暮らす社会の構造まで作り込んでるから、そういう点でも美味しそうな作品。

 菅浩江「博物館惑星2・ルーキー 第8話 にせもの」。アフロディーテ五十周年として、絵画・工芸部門は贋作展覧会を企画した。贋作と真正品を並べ、違いを比べるのだ。同じころ、問題が持ち上がった。<都会焼>の「片桐彫松竹梅」とそっくりの壺が古美術商で見つかったのだ。来歴も同じで、違うのはシールだけ。そのシールは…

 今回は美術品の贋作騒ぎに、ペテンを絡めた話。たしかに贋作展覧会は面白そうだなあ。古美術商ってのも胡散臭い業界で、素人が下手に手を出すと痛い目を見る世界みたいで、しかもソレを込みにして業界が成り立ってる風があるから油断できない。今回は兵頭健の「失言」と同じことを考えてしまった。

 藤井太洋「マン・カインド」第9回。チェリー・イグナシオやレイチェル、そしてトーマ・クヌート。彼らは人間離れした能力を持つ。その秘密を握るゼペット・ファルキ博士は、何者かに射ち殺された。そして、今なお「彼ら」と同じ子供たちが生まれている。チェリーたちは脱出を試みるが…

 そういえば藤井太洋はデビュー作 Gene Mapper でも遺伝子改造技術を扱ってたなあ。私ももちっと賢いイケメンで髪も豊かに生まれたかった…って、そうじゃない。難しそうなのは層下視で、これに対応できる脳を持つってのは、どんな気分なんだろう。今の私たちとは、まるっきり違う現実の中で生きてるんだろうなあ。

 草上仁「エアーマン」。稀代のエア・アーティストが亡くなった。エア・ギター、エア・相撲、エア・クッキング、エア・クラフト…。幾つもの分野で、彼は本物のように装うことができた。刑事も実はエア死ではないかと疑ったのだが…

 3頁のショートショート。エアーマンって、そういう意味かいw しかもオチが酷いw それはともかく、久しぶりに草上仁の短編集が出るのは嬉しい。まさかエア告知じゃないよね?

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2019年7月 2日 (火)

デルフィーヌ・ミヌーイ「シリアの秘密図書館 瓦礫から取り出した本で図書館を作った人々」東京創元社 藤田真利子訳

「本を読むのは、何よりもまず人間であり続けるためです」
  ――p51

「サラエボのことを読むと、ひとりぼっちじゃないと思える。僕たちの前に、ほかの人たちも同じ困難を経験してきたんだって」
  ――p125

「町を破壊することはできるかもしれない、でも考えを破壊することはできない」
  ――p167

【どんな本?】

 2013年の末、ダマスカスの南西7kmの町、ダラヤ。反政府軍の支配地域として、アサド政府軍による包囲が一年ほど続いている。毎日ヘリコプターから樽爆弾が降り注ぎ、瓦礫だらけとなった町で、青年たちは崩れ落ちた家を掘り返していた。そこは小学校の校長の家だったが、一家は既に町から避難している。青年たちが掘り出していたのは、本だった。

 21歳のアフマド・ムジャヘドは、それまで本に縁がなかった。だが、友人に誘われて本の発掘を手伝ううちに、アフマドの何かが変わった。

 それからアフマドは仲間を集めてピックアップトラックで町を走り回り、瓦礫の下から本を掘り出し始める。やがて集まった本は一万四千冊になる。置き場所を考えなきゃいけない。

 そこで彼らは地下に公共図書館を作る。ダラヤで最初の図書館だ。それまで、アサド政権下のダラヤには図書館がなかった。青年たちは棚板を切り、本の破れを修理し、テーマ別に分類してアルファベット順に並べる。本には持ち主に返せるように、所有者の名前を書き入れた。そして窓には砂袋を積み上げる。

 やがて図書館が開館する。休館日は礼拝のある金曜日、それ以外は九時から十七時まで。無差別に投げ落とされる爆弾の雨が降る中、図書館には人々が集まり始める。十年前の抵抗運動の闘士、映像ジャーナリスト志望の青年、自由シリア軍の兵士、家で待つ妻や子供のために本を借りに来る人もいる。

 ダラヤから1500km離れたイスタンブールに住む著者は、フェイスブックでダラヤの図書館を知る。やがてアフマドに辿りついた著者は、スカイプやワッツアップを介して、彼らの物語に触れ…

 シリアはどんな国で、いったい何が起きているのか。自由シリア軍・ヌスラ戦線・自称イスラム国は、どんな勢力なのか。アサド政府軍は、どのように戦っているのか。包囲された町で、人々はどうやって暮らしているのか。そしてアフマドたちは、死と隣り合わせの状況にありながら、なぜ図書館を運営するのか。

 空襲の下で暮らす人々の視点で描く、ちょっと変わったシリア内戦のレポート。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Les Passeurs de livres de Daraya : Une bibliothèque secrète en Syrie, Delphine Minoui, 2017。日本語版は2018年2月28日初版。単行本ハードカバー縦一段組み本文約178頁に加え、訳者あとがき7頁。9ポイント40字×16行×178頁=約113,920字、400字詰め原稿用紙で約285枚。文庫本でも薄い一冊分。

 文章はこなれている。内容もわかりやすい。いちおうカテゴリーは軍事としたけど、特に軍事知識は要らない。「なんか今シリアは大変なことになってるよね」ぐらいに知っていれば充分。

【感想は?】

 内戦の現地報告だ。それだけに、読者の政治的な立場で評価は大きく変わる。

 この本だと、最大の悪役は大差をつけてアサド政府だ。次に自称イスラム国、ヌスラ戦線と続く。自由シリア軍は比較的にマシだけど、あまりいい扱いじゃない。だから、アサド政権を支持する人には腹立たしい本だろう。さようなら。

 ルポルタージュと言うには、客観性にいささかの疑問はつく。なにせ著者はイスタンブールにいて、現地ダラヤに行っていない。当時のダラヤはアサド政府軍に包囲されていて、ジャーナリストは出入りできなかった。

 では、どうやって取材したのかと言うと、これが今世紀ならではの方法。インターネット経由のお喋りソフトであるスカイプや、スマートフォンのメッセージ・アプリケーションのワッツアップで、秘密図書館のメンバーであるアフメドらと連絡を取り合ったのだ。そんなワケで、本書はダラヤの住民の視点で描かれる。

 ここが少々ややこしい。実のところ、アフメドらはノンポリってワケじゃない。アサド政府軍は包囲前に避難勧告を出していて、それでも残ったのが彼らだ。だから、反政府組織ではあるのだ。とまれ、いきなり「殺されたくなければ出て行け」と言われて、ハイそうですかと素直に住み慣れた家を出ていきますか? そうやって我が家から叩き出す政府を支持できますか?

 まあいい。この本では、なぜダラヤがしぶとく抵抗を続けたのかを、アフマドの父に遡って説明している。民主化を求める運動では、筋金入りなのだ、ダラヤという町は。また、そんなダラヤに対し、アサド政府軍がどう対応したのかも。加えて、為政者にとって、市民のデモがどんな意味を持つのかも、読み取れるだろう。これを読むと、香港のデモの解釈も違ってきます。

 そんな風に、サリンや樽爆弾が毎日降り注ぐ中、彼らは秘密図書館に通い続ける。この図書館が出来る前のシリアの出版事情は、独裁政権のお約束通りの検閲バッチリだ。が、彼らが作った図書館は文字通りの掘り出し物で、実はソレナリに色々あったのがわかる。だけじゃない。スカイプやワッツアップを使いこなす青年だけあって、電子図書まで扱い、さらには自主出版にまで手を出す。わはは。

 そんな彼らの多くが、包囲前はあまり本を読まなかった、というのも意外な話。そして本を読むようになって、どう変わっていったのかってあたりは、本好きの涙腺を刺激しまくりだ。爆弾もミサイルも検問も気にせず、気軽に書店や図書館に通える暮らしの有難みを、改めて感じさせてくれる。私って、実は贅沢な環境に恵まれてたんだなあ。

 とまれ、さすがに一万冊を超える本があれば、片っ端から全部読むって訳にもいかない。本の選び方にも性格が出る。うーむ、私はやっぱり優柔不断だったかw でもさ、ズラリと並ぶ本棚を眺めるのって、ちょっとウィンドウ・ショッピングみたいな楽しさがあるよね、ね。

 選ばれる本だって、人気不人気がある。彼らの間でベストセラーになるのは何かってのも、ちょっとした野次馬根性で楽しめた。いかにもアラブだなあと思う本もあれば、私たちにも馴染みの本もあるし、包囲下のダラヤならではの実用書もある。ここに少し不満があって、できれば「本書内に出て来た本の一覧」が欲しかったなあ。

 潤沢な予算と兵器と兵力に加え、イランやロシアの傭兵、そして御法度の毒ガスまでも使って、市民たちの自由を押しつぶそうとするアサド政府軍に対し、「秘密図書館」という奇想天外な方法で抗おうとした若者たちの物語。本が好きな人はもちろん、「市民から見たシリア内戦」を知りたい軍ヲタにもお薦めの一冊だ。

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2019年7月 1日 (月)

大森望監修「カート・ヴォネガット全短編4 明日も明日もその明日も」早川書房

…犬とアールは相性がよかった。どちらもよく吠え、人食いのようにふるまうのが好きだった。
  ――新聞少年の名誉

「あんたにはあんたの夢。ぼくにはぼくの夢」
  ――パウダーブルーのドラゴン

「オマール・ツァイトガイストはドイツ人で、この地上でただ一人、宇宙爆弾の知識を有する人物だった」
  ――ツァイトガイストのための鎮魂歌

「左に見えますのは」ガイドの大声が響いた。「ハロルド・メイヤーズ博士でございます」
  ――左に見えますのは

「するとそのとき、わたしは思い出すんだよ、ジム。この宇宙に、すくなくともひとつは、自分の思いどおりになるちっぽけな片隅があるってことを。そこに行けば、心ゆくまで満足感に浸って、気分をリフレッシュして、元気になれる」
  ――手に負えない子供

【どんな本?】

 「プレイヤー・ピアノ」「スローターハウス5」「猫のゆりかご」「タイタンの妖女」など、シニカルながらも温かみのある芸風でSFファンにもお馴染みのアメリカの人気作家カート・ヴォネガット。彼が遺した短編をまとめ、8個のテーマ別に並べた「COMPLETE
STORIES」が、日本では四分冊に分かれての刊行となった。

 完結編となる第4巻「明日も明日もその明日も」は、「ふるまい」「リンカーン高校音楽科ヘルムホルツ主任教諭」「未来派」の3セクションを収録する。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は COMPLETE STORIES, by Kurt Vonnegut, 2017。日本語版のこの巻は2019年3月25日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約512頁に加え、柴田元幸の解説7頁。9.5ポイント44字×20行×512頁=450,560字、400字詰め原稿用紙で約1,127枚。文庫なら上下巻ぐらいの分量。

 いずれの作品も文章はこなれていて読みやすい。

【収録作は?】

 それぞれ 作品名 / 原題 / 訳者 / 初出。

セクション6 ふるまい
解説:ジェローム・クリンコウィッツ / 鳴庭真人訳

フォスター・ポートフォリオ / The Foster Portfolio / 柴田元幸訳 / コリアーズ1951年9月8日号
 私は投資顧問会社の顧客担当だ。今回のお相手はハーバート・フォスター。暮らし向きはつつましいどころかいじましい。こりゃ手間の割に小さな仕事だ…と思ったのも束の間、彼の持つ証券リストは豪勢なものだった。だがそれは家族に内緒だし、フォスター氏は幾つものパート仕事を掛け持ちしている。
 冒頭では語り手の鈍さに苦笑い。ほんとアメリカ人ってのは、なんで口を閉じてるってことができないんだろうw 証券リストを見てコロリと態度を変えるあたりも、安物ドラマみたいでユーモラスだ。とはいえ、誠実ではあるんだよね、語り手。さてフォスター氏は、というと、こんな風に○○と付き合えるって生き方は素敵だと私は思う。もっと堂々とやれたら文句なしなんだがw
 ところで。
 当時の音楽界じゃ、ジャズは若さ・新鮮・衝動・叛逆・堕落・悪徳などを象徴していた。20世紀終盤にその役割はロックに引き継がれたが、21世紀初頭の現代で同じ役割を果たしているのは、何だろう? ヒップホップとテクノだろうか? クラブでDJにいそしむ父ちゃんを、あなたどう思いますか?
カスタムメードの花嫁 / Custom-Made Bride / 浅倉久志訳 / サタデイ・イヴニング・ポスト1954年3月27日号
 投資顧問会社に勤めるわたしは、オットー・クラムバインを訪ねた。彼は優れた工業デザイナーで相応しい稼ぎがあるが、資産管理は赤ん坊並み。右から左に浪費し、素寒貧のときに税務署から請求書が届いた。そこで資産管理を頼みたいという。実際に会って話してみると、オットーの頭の中はデザインの事ばかり。妻のファロリーンも美の化身で…
 これまた資産運用に関心のない顧客に悩まされる話。ある意味、語り手とオットーは似た者同士なんだよな。根は誠実で、仕事にのめり込んでる。もっともオットーは極端で、世界観の大半をデザインに支配されてる。私は好きだな、こういう人。あまり親しく付き合うとイラつくけどw とはいえ、そんなオットーも、人の気持ちには鈍いながら、同類の匂いを嗅ぎつけたのが、最後の一行で伝わってくる。
無報酬のコンサルタント / Unpaid Consultant / 浅倉久志訳 / コスモポリタン1955年3月号
 かつてわたしはハリーとセレスト・ディヴァインをめぐって争い、ハリーが彼女をモノにした。その後セレストは歌手として成功する。そのセレストから17年ぶりに連絡があり、夕食に招待された。夕食の席で、わたしは昔話を持ち出し、セレストは投資の相談を持ち掛けるが、ハリーはケチャップの話をまくしたてる。
 引き続き投資顧問シリーズ。やっぱり「人の話なんか聞いちゃいねえ」奴が大暴れ。妻が芸能界で荒稼ぎしてるんだから、その連れ合いが自動車整備工じゃ釣り合いが取れないって気持ちはわかる。たかがケチャップと私たちは思うが、どんな商品だろうと、それに関わってる人は真剣にやってるんだよね。
お人好しのポートフォリオ / Sucker's Portfolio / 大森望訳 / 本書初出
 投資顧問の今回の顧客はジョージ・ブライトマン、シカゴ大学神学部の学生だ。若い頃から私は彼の養父母の資産を管理し、堅実に育てた。しかし養父母は事故で亡くなり、ジョージが相続した。養父母はジョージを「正直でやさしい」と評した。私の印象も同じだ。もう少し自分の資産に興味を持ってほしいとは思ったが。そんなジョージが、いきなり金遣いが荒くなり…
 Wikipedia によるとシカゴ大学は神学じゃ全米トップだから、ジョージはたいへんな優等生だ。彼が継いだ資産は二万ドル、今のレートだと約200万円、当時のレートで約720万円。たいした額じゃないように思えるが、他の作品に出てくる物価からインフレを推定すると、今の日本円で数千万~2憶ぐらいか。おまけに50年代~60年代は利率や配当も5%を超えるのが珍しくないので…
雄蜂の王 / The Drone King / 大森望訳 / 本書初出
 投資顧問シリーズ最終回。ミレニアム・クラブにはダウンタウンの豊かなビジネスマンが集まる。シェルドン・クイックは50歳ほどに見える。彼はクラブを退会しようとしていた。父の遺産が尽きたのだ。給仕も名残惜しそうだ。最後に彼は事業を興そうとしていた。そして私を高給で雇いたい、と。事業内容は、蜜蜂。
 電蜂とは巧みな訳だw ミスター・シェルドンは、ちょっと「夢の家」収録の「ハイアニス・ポート物語」に出てくるコモドア・ウィリアム・ハワード・タフト・ラムファードを思わせる。シェルドンの妙なこだわりと、その異様な熱意、そして突飛な発想はちょっとしたドタバタSF風味。ちなみに世の中にはこんなのもあります(→Wikipedia)。アンゴラあたりではダイヤモンド原石の密輸に使われているとか。
ハロー、レッド / Hello, Red / 大森望訳 / Look at the Birdie 2009
 レッド・メイヨーが帰ってきた。はね橋の操作係として。20歳で出ていってから、8年ぶりだ。定食屋では、店員と常連三人がレッドを迎えた。だが、レッドは不機嫌だ。「だれもかれもが口をそろえて大嘘をつく」と。そして、こう続ける。「エディ・スカダーに会わなきゃいけない」
 平和で小さな町に、懐かしい男が帰ってきた。ただし、不穏な空気をまとって。最後の台詞がガツンとくる。
新聞少年の名誉 / The Honor of a Nwesboy / 大森望訳 / Look at the Birdie 2009
 ブルー・ドルフィンのウェイトレス、エステル・ファーマーが殺された。村でたった一人の警官チャーリー・ハウズには、犯人の見当がついている。アール・ヘドランドだ。アールは下司野郎で、エステルとも因縁がある。親の遺産で食っていて、家は村のはずれだ。そこは獰猛な野良犬サタンの縄張りだが、アールはサタンを手なづけていた。
 ならず者による殺人事件と、その結末を描く短編。とはいっても、ミステリってわけじゃない。10歳の新聞配達の少年マークの証言が、事件の重要な鍵となる。綺麗にまとまっているが、綺麗すぎて、ややベタな感じもする。
ほら話、トム・エジソン / Tom Edison's Shaggy Dog / 宮脇孝雄訳 / コリアーズ1953年3月14日号
 ハロルド・K・ブラードは、成功して引退した老人だ。今はフロリダのタンパで、愛犬のラブラドールと過ごしている。彼の趣味は過去の武勇伝。ただしそれを好む者はいないので、常に新しい獲物を探さなきゃいけない。今朝も公園で獲物を見つけた。新顔らしい老人だ。さっそく絡み始めたブラードだが…
 ヴォネガットの長編、特にSF長編には、ちょくちょく劇中劇として短いほら話が入る。そういうほら話が好きなんだ、と本人が語っていた気がする。いやソースは示せないけど。ネタとしてエジソンを使うあたりが、ヴォネガットのセンスなんだろう。これがニコラ・テスラだと、グッとSFっぽい雰囲気になるんだが。
腎臓のない男 / The Man Without Kiddleys / 大森望訳 / While Mortals Sleep 2011
 フロリダのタンパ。92歳のノエル・スウィーニーは、街で見かけた新顔らしい老人を相手に、自分の病院通いを自慢しはじめた。その老人は、なんとかスウィーニーをかわしてシェイクスピアのソネットを読もうと頑張ったが、ついにスウィーニーのしつこさに負け、妙な賭けに乗ってしまう。「あんたとおれの腎臓を足した数を当ててみないか?」
 前の「ほら話、トム・エジソン」と似た感じで話が始まるが、料理法は大きく違う。前作は1950年代ならSF雑誌に載せてもおかしくないが、これは無理だなあ。念願かなってヴォネガットがSFから足を洗った事を象徴するような作品だ。いやSFファンとしてはあまり喜んじゃいられないんだけど、漂う皮肉な空気はやっぱりヴォネガットだから、まあいいか。
パウダーブルーのドラゴン / The Powder-Blue Dragon / 浅倉久志訳 / コスモポリタン1954年11月号
 16歳で両親を喪ったキアー・ヒギンズは、昼間は自動車販売のダゲットの店で働き、他に二つの仕事も掛け持ちしている。町では正直な働き者で通っていて、クルマを欲しがっているのも知れ渡っていた。そのキアーが、四年間も働き通し、ついにお目当ての車を買うと言い出した。マリッティマ=フラスカーティ、アヴィニョンのロード・レースで二年連続優勝した車だ。
 「マリッティマ=フラスカーティ」で検索したが、ワインぐらいしか出てこない。名前からイタリア車だろうなあ、とは思うんだが。私も今思えば、若い頃にずいぶんと無駄遣いしたなあ、とかはあるんだが、さすがにこれほど派手な真似はできなかった。まあ、若いってのは、そういう事なのかも。
駆け落ち / Runaways / 浅倉久志訳 / サタデイ・イヴニング・ポスト1961年4月15日号
 古ぼけたフォードで十代の二人は駆け落ちした。州知事の娘アニー・サザードと、代用事務員の息子ライス・ブレントナー。マスコミは二人の逃避行に大喜びで食い付き、警察は広域手配した。やがて二人は別の州のスーパーで捕まり、これもマスコミが大きく取り上げる。州知事はカンカンに怒り…
 若者たちが LOVE&PEACE を合言葉に盛り上がり始めた、1960年代初頭の発表。当時の若者たちの間では「プレイヤー・ピアノ」が流行りヴォネガットも人気が出たんだが、そこでこれを発表するかw やっぱりこういうドタバタ風味の作品は、浅倉久志の訳が活きるなあ。難しい理屈をつける事も出来るけど、最近の日本には厨二病って便利な言葉があって。
説明上手 / The Good Explainer / 大森望訳 / Look at the Birdie 2009
 ジョー・カニンガムは35歳。結婚して十年になるが、子どもには恵まれない。そこで州を越えてレナード・アベキアン医師のクリニックを訪ねた。アベキアン医師は不妊治療で有名で、全国から診療を受けたい者が集まっている、そう妻は話していた。だが実際にクリニックに来てみると、とても有名とは思えない。待合室も閑散としている。
 「無報酬のコンサルタント」もそうなんだが、ヴォネガットの女性観が微妙に出ている作品かも。最初の奥さんには随分と尽くしてもらったはずなんだが(「人生なんて、そんなものさ」)。「雄蜂の王」でのシェルドン・クイックの演説は、まさか本気…じゃ、ないよなあ、きっと。
人身後見人 / Guardian of the Person / 大森望訳 / While Mortals Sleep 2011
 ロバート・ライアン・ジュニアは21歳でMITに通っている。九歳で親を亡くし、伯父と伯母に育てられたが、伯母も数年前に亡くなった。今はナンシーと結婚式を挙げたばかりで、伯父のチャーリーに挨拶するため車を走らせている。そのチャーリーは防風窓のセールスマンだ。アルコール依存症を克服すべく、ここ八年間は禁酒を貫いていた。
 日本だと、結婚する前に養父母に挨拶するのが普通だ。しないなら、よほど仲が悪い場合だろう。だが、「バーンハウス効果に関する報告書」収録の「ルース」を読むと、特に珍しくもないらしい。「ゴッドファーザー」は派手な結婚式で幕を開けたが、あれはシシリー系かつ名家だからか。こういった背景事情でオチの意味がまったく違ってしまう。にしても防風窓のセールスマンが好きだなあw
ボーマー / Bomar / 大森望訳 / While Mottals Sleep 2011
 アメリカン金属鍛造の経理部の株主記録課には窓がない。が実質的には窓際部署だ。スタッフは三人。トップは45歳のバド・カーモディ、相棒は28歳のルー・スターリング。二人とも宴会部長としては有能だ。64歳のナンシー・デイリーは勤続39年、間もなく定年だが一か月前に記録課に転属になった。バドとルーは、株主の一人ボーマー・フェッセンデン三世について駄法螺をナンシーに吹き込み…
 バドとルーにとって、株主記録課は居心地がいいんだろうなあ。こういう職に就きたいと思う人も多いはず。会社は大きくて業績もいいみたいだし。つか私も←をい。
ツァイトガイストのための鎮魂歌 / Requiem for Zeitgeist / 柴田元幸訳 / 本書初出
 閉店まぎわのバーで、若い男は語り始めた。オマール・ツァイトガイストについて。ツァイトガイストはドイツ人だ。たった一人で、宇宙爆弾を完成目前まで持っていった。研究所もなしに、頭の中だけで。スパイたちはそれを知っていて、終戦後はツァイイトガイストの激しい争奪戦になった。
 第二次世界大戦でドイツの降伏後、米ソがV1ロケットの争奪戦を演じた史実を元にした、しょうもないほら話。「ドライアイスとヨウ化銀を使って雨を降らせる技術」って、バーナード兄ちゃんのネタだろ(→「気象を操作したいと願った人間の歴史」)w
左に見えますのは / And on Your Left / 宮脇孝雄訳 / 本書初出
 新しく完成したフェデラル電器工業の研究所は素晴らしい。州の観光名所でもあり、毎日多くの観光客が訪れ、ガイド付きの見学ツアーが催される。研究者も一流で、ハロルド・メイヤーズ博士,エリザベス・ドーソン博士,エドワード・ハーパーズ博士と有名人が揃っている。ただし研究環境としては、いささか難があって…
 ヴォネガットのドタバタが楽しめるユーモラスな作品。ボスが変わると組織の体質がガラリと変わるってのは、往々にしてありがちでw 研究や開発に携わる者にとって、イケイケな営業出身のボスは、まあ、アレなもんですw 売れなかったみたいだけど、SF雑誌だけじゃなく、日本だと「トランジスタ技術」や「情報処理学会誌」など研究者・開発者向け雑誌なら喜んで載せただろうなあ。ただし原稿料はムニャムニャだけど。

セクション7 リンカーン高校音楽科ヘルムホルツ主任教諭
解説:ダン・ウェイクフィールド / 鳴庭真人訳

手に負えない子ども / The Kid Nobody Could Handle / 大森望訳 / サタデイ・イヴニング・ポスト1955年9月24日号
 ジョージ・M・ヘルムホルツは40歳。リンカーン高校の音楽科主任で、学校の楽団に指導に人生を賭け、楽団はそれに相応しい名声を得ている。彼の高校に転校生が来た。ジム・ドニーニ。親に捨てられ、あちこち転々とした末に、いけすかないクインに押し付けられた。ソーシャル・ワーカーも少年裁判所も。ジムは手に負えないと判断している。
 不良少年と中年の熱血教師、という構図。ヘルムホルツ先生が音楽を語る台詞が、ヲタクの心の叫びそのもので胸に刺さる。ジョン・フィリップ・スーザは「星条旗よ永遠なり」を創った作曲家(→Wikipedia)。スーザを巡る会話にも、ヘルムホルツ先生のヲタク気質がよく出てるw
才能のない少年 / The No-Talent Kid / 浅倉久志訳 / サタデイ・イヴニング・ポスト1952年10月25日号
 リンカーン高校のバンドは三つ、Aバンド,Bバンド,Cバンド。新人はCバンドで修業を積み、B→Aと階梯を登ってゆく。ウォルター・ブラマーはCバンドでクラリネットを吹いている。肺活量はあるが、それだけだ。だがブラマーは自信満々で、クラリネット以外は見向きもしない。今度はAバンドの首席クラリネット奏者に挑戦すると言い出した。
 音楽で例えれば、前作は淀んだ悲しみと怨念が漂うブルース、今作はやや調子っぱずれながら威勢のいいマーチといったところか。意欲と自信は人一倍あるが、才能と自覚には乏しいブラマー君が、エネルギッシュに走りまくる話。目的を実現するために、あらゆる努力と工夫を怠らず、挑戦を恐れない彼の勇気には頭が下がる。
野心家の二年生 / Ambitios Sophomore / 浅倉久志訳 / サタデイ・イヴニング・ポスト1954年5月1日号
 リロイ・ダガンは、Aバンドのピッコロ奏者だ。腕はいいが引っ込み思案で恥ずかしがり屋。そのためリハーサルでは優れた演奏を聴かせるが、本番ではヘロヘロになってしまう。おまけに体形が極端な鐘型で、普通のユニフォームでは合わない。そこでヘルムホルツ先生はリロイ用に特注のユニフォームをあつらえたが、その支払いで教頭のヘイリーと悶着が起きた。
 ヘルムホルツ先生がバンドに注ぐ熱情と、その熱狂ゆえにアレな面を描いた作品。まあヲタクなんでみんな似たようなもんだw 人間の注意力と集中力には限りがあるから、何かに集中すれば、別の何かが疎かになるのは仕方がないw とまれ、バンド・フェスティバルを描く場面では、アメリカの教育機関が地域の人々と強く結びついているのが伝わってくる。
女嫌いの少年 / The Boy Who Hated Girls / 浅倉久志訳 / サタデイ・イヴニング・ポスト1956年3月31日号
 ヘルムホルツ先生は、二年間バート・ヒゲンズにトランペットを指導してきた。その甲斐あってバートはAバンドに昇格を果たす。バートの腕にさらに磨きをかけるため、ヘルムホルツは町で一番のトランペット奏者ラリー・フィンクにバートを預ける。ところが、とたんにバートは下手糞になり…
 これまたヲタクの、そして教師の暗黒面を強烈に見せつける作品。ほんと、教師って、なんだってあんなに自信満々なんだろうねえ。もっとも、「暴力教室」あたりを読むと、そうでないと務まらない部分もあるんだろうけど。下手にナメられたら収拾がつかなくなるし。
セルマに捧げる歌 / A Song for Selma / 大森望訳 / Look at the Birdie 2009
 アル・シュローダーは間違いなく天才だった。バンドでも優秀で、Aバンドの首席クラリネットを務め、行進曲を百曲近く作っている。Cバンドのビッグ・フロイド・ハイアーはCバンドのバスドラムだ。裕福な家庭と大きな体に恵まれ、性格もいいが、成績までは恵まれなかった。ある日、シュローダーは音楽をやめると宣言し、ビッグ・フロイドは自作の曲をヘルムホルツに持ち込んだ。
 小柄な天才少年シュローダーと大柄で穏やかな少年ビッグ・フロイド、そして内気な少女セルマが繰り広げる青春グラフィティ。構図は間違いなくラブコメの布陣なのに、肝心のヒロインであるセルマの登場が遅いあたりが、ヴォネガットの芸風というか。
 もう一人、女の子を増やし四角関係にして、セルマ視点で描けばラブコメ漫画としてイケると思うんだけど、あなたどう思います? 勝気なトランペット奏者で親はビッグ・フロイドの父ちゃんとライバル関係とか。

セクション8 未来派
解説:ジェローム・クリンコウィッツ / 鳴庭真人訳

ハリスン・バージロン / Harrison Bergeron / 伊藤典夫訳 / F&SF 1961年10月号
 近未来。政府は徹底した平等を実現するため、ハンデキャップ機器の着用を義務付ける。賢い者には雑音を発して思考を邪魔するハンデキャップ・ラジオを、優れたダンサーには動きを鈍らせる重りを、美しい者には醜い仮面を。ジョージとヘイズルの息子、14歳のハリスン・バージロンンは、当局に目を付けられ連行されてしまう。
 ヴォネガットのダークサイドが遺憾なく発揮された短編。思いっきり戯画化してるけど、現実にも似たような構図があって、下手に職場で優れた能力を発揮して難しい仕事を難なくこなしちゃうと、次から次へと面倒くさい仕事を押し付けられた上に、「君ならもっと出来るはずだから」なんて理由で評価はアレなんてのが、世の中には珍しくなかったり。
モンキー・ハウスへようこそ / Welcome to the Monkey House / 伊藤典夫訳 / プレイボーイ1968年1月号
 近未来。増えすぎた人口に悩む世界政府は、二つの政策を打ち出す。一つは道義自殺ホーム。希望者は施設に赴き、若く美しいホステスに世話されながら安らかな死を迎える。もう一つは道義避妊ピル。これの服用により男女ともに不感症になる。ただし生殖能力は保ったまま。だが反逆者が現れた。詩人のビリー、ピルを拒み自殺ホームのホステスをかどわかす。その人相は不明だ。
 人口爆発をネタにして、禁欲主義を皮肉る短編。ヴォネガット本人はSF作家ってレッテルを貼られるのを嫌がっていたけど、SFを書く時のヴォネガットは芸風が思いっきりコテコテのギトギトになって、彼の本質がよく出ていると思う。実はけっこうノリノリで書いてたんじゃなかろか。かなり意地の悪さを感じさせるオチも、キレと衝撃が増してると思う。
アダム / Adam / 宮脇孝雄訳 / コスモポリタン1954年4月号
 所はシカゴ。真夜中の産院で、二人の男がわが子の誕生を待っている。スーザは六人の子持ち。全て女の子。今回も女の子だと聞いて、ご機嫌斜めだ。クネヒトマンは22歳、ユダヤ人収容所で妻のアヴシェンと出合った。スーザに少し遅れて、クネヒトマンにも声がかかった。「男のお子さんです。奥さんも元気です」
 実はこれ、最初はピンとこなかったんだが、Kamaブログ洋書を原文で読む事の大切さで、やっとわかった。とても優れた解説記事です。私に付け足せることは何もない。
明日も明日もその明日も / Tomorrow and Tomorrow and Tomorrow / 浅倉久志訳 / ギャラクシー・サイエンス・フィクション1954年1月号
 近未来。不老薬で人は死ななくなったが、増えすぎた人口で暮らしは苦しくなった。家の中は一族の者ですし詰めだし、年長者はしぶとく生き続け一族の長として君臨し続ける。遺産を盾にわがまま放題だが、彼らの資金と票は政府にも強い影響力がある。ルウとエメラルドの夫婦も祖父に頭を抑えられ…
 再び人口爆発ネタ。少子高齢化で苦しんでいる現代の日本では、あまりに切実すぎて苦すぎるかも。幸か不幸か、最初のオチは現代アメリカじゃ実現しなかったけど。この辺の会話のリズムも心地いい。やっぱりヴォネガットはお馬鹿コメディが巧い。にしてもテレビのチャンネル争いとかは、スマートフォンと動画サイトが普及した近い将来には意味が通じなくなるかも。
ザ・ビッグ・スペース・ファック / The Big Space Fuck / 伊藤典夫訳 / Again, Dangerous Visions 1972
 近未来。アメリカ合衆国は、成人した者は、幼い頃の育て方を理由に親を告訴できるようになった。言葉遣いのマナーも変わり、大統領もためらいなく四文字単語を使うようになっている。そしてアメリカはビッグ・スペース・ファックを計画する。疲弊した地球から、宇宙へ人類の種を蒔くために、アンドロメダ銀河系に向けロケットを打ち上げる。
 SF界のお騒がせ男ハーラン・エリスンが編んだアンソロジー「危険なヴィジョン再び」向けの作品だけに、敢えてお下劣で露悪的かつ無茶苦茶に書いた作品。にしても、なんじゃいその○○の名前はw クラークに恨みでもあるのかw とまれ、児童虐待を理由に親を訴えられるようになったり、言葉遣いが変わってきているあたりは、現実を予告してるんだよなあ。本人もまさか当たるとは思ってなかっただろうけど。
2BR02B / 2BR02B / 伊藤典夫訳 / ワールズ・オブ・イフ1962年1月号
 世界は理想を実現した。刑務所もスラムも精神病院も貧困も戦争も、そして老1いも消え、アメリカ合衆国の人口は四千万に固定された。まだ若い56歳のウェーリングは、産院にいる。妻が身ごもっているのは三つ子。待合室にはもう一人いた。脚立に座り、壁画を描いている。いずれここは記念室になる。
 また不老不死もの。よっぽど、このアイデアが気に入ってたんだろうなあ。人口は固定で、三つ子が産まれる。この設定で、イヤ~な予感はしたんだが、やっぱり。タイトルは、かの有名なナニのアレ。
無名戦士 / Unknown Soldier / 浅倉久志訳 / Armageddon in Retrospect 2008
 西暦2000年のニューヨーク出産第一号には、いくつもの豪華な賞品がかかっていた。なにしろ次の千年紀を象徴する子供なのだ。ただし、コンテストはあまりフェアとは言い難い。そもそもキリスト生誕の日時があやふやな上に、第三千年紀が始まるのは2001年だ。おまけに障害を持つ子供には受賞資格がない。
 やはりヴォネガットの暗黒面が出ている作品。最近になって、Twitter で「みんなの忘れたニュースBOT @wasureta_news」をフォローし始めた。ブームが去って一カ月ぐらいしたネタをつぶやくBOT。見ていると、つくづく自分の忘れっぽさに唖然とする。

 この巻では、ドタバタ・ギャグと暗く苦い作品が多くて、絶望の中に笑いを見いだそうとするヴォネガットの苦闘を見るような気がする。「左に見えますのは」「モンキー・ハウスへようこそ」「明日も明日もその明日も」とかのドタバタは大好きなんだけど、アメリカでもギャグは一段下に見られちゃうのかなあ。笑いにはスピード感やリズムが大事だから、書き手のセンスが出る分野だと思うんだが。

 それと、短編じゃアレがでないってのは発見だった。そう、アレです。「ハイホー」と「そういうものだ」。

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