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2019年6月26日 (水)

ムア・ラファティ「六つの航跡 上・下」創元SF文庫 茂木健訳

マリアは、これまでに数回、ベッドの上で適切に管理されながら死を迎えたことがあった。
  ――上巻p29

わたしたちは新しいクローンを作れるし、その気になれば人格を変えてしまうこともできる。なのに、今そこにある脳は治せないのだ。これって、どこかおかしい。
  ――下巻p94

「死ねるものなら死んでごらんなさい。わたしたちが、何度でもあなたを再生してあげるから」
  ――下巻p120

「わたしたちはブタか」
  ――下巻p291

【どんな本?】

 アメリカSF・ファンタジイ界の新鋭、ムア・ラファティの新作SF長編。

 25世紀。ドルミーレ号は移民船だ。環境の悪化した地球を脱出し、くじら座タウの惑星アルテミスに向け航海している。乗客は2500名、うち2000名は冷凍睡眠中、500名はデータ化している。クルーは六人、いずれも犯罪者で、航海とひきかえに罪が清算される予定だ。

 ある日、クルー六人の全員がクローン再生された。ただしマインドマップ(記憶のバックアップ)は乗船直後のもの。今まで勤務していたクルーは、船長のカトリーナを除き全員が殺されている。そのカトリーナも重傷で意識がない。船を管理するAIのイアンも、ログを消されていた。クルーの死体は老化しており、記録によると約25年間も航海していた。加えて、AIのイアンやクローン作成用のソフトウェアなど、いくつかの機器に不調がある。

 いったい誰が、何の目的で、どうやってこんな事件を起こしたのか。クルーはみな犯罪者であり、誰もが後ろめたい過去を抱えている。それぞれの証言も、どこまで信用できるのかわからない。

 宇宙空間という密室で起きたクローンの殺人?事件をめぐる、娯楽SFミステリ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は SIX WAKES, by Mur Lafferty, 2017。日本語版は2018年10月12日初版。文庫本の上下巻で縦一段組み本文約273頁+295頁=約568頁に加え、渡邊利通の解説7頁。8ポイント42字×18行×(273頁+295頁)=約429,408字、400字詰め原稿用紙で約1,074枚。文庫で上下巻は妥当なところ。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。大事なのは、クローンの扱い。クローン技術で肉体はコピーできる。でも、記憶と人格は残ってない。記憶は、肉体とは別にバックアップを取り(マインドマップ)、新しい肉体にインストールする。

【感想は?】

 お話は「クローンの作製と管理に関する国際法附則」で始まる。法律の条文だ。

 あくまでも法律、つまり「やっちゃいけないこと」であって、「できないこと」では、ない。これが作品全体を通して、大事な意味を持ってくる。ミステリとして作者と謎解きを競うつもりなら、シッカリ読んでおこう。次の七つだ。

  1. クローンは一人一体まで。増殖しちゃだめ。
  2. クローンは子を作っちゃいけない。クローンは不妊にしなさい。
  3. 他人のクローンにマインドマップ(記憶と人格)を入れちゃだめ。
  4. クローンは最新のマインドマップを入れた記憶媒体を肌身離さず持ち歩きなさい。
  5. クローンのDNAやマインドマップは編集しちゃだめ。
  6. クローンの死体は手早く清潔に処分しなさい。葬式はやっちゃだめ。
  7. クローンは自殺しちゃだめ。

 「なんか不便だよな」と思うところは、ある。私だと、5.が辛い。もちっと賢いイケメンで機敏な力持ちになりたいが、それは不許可なのだ。いささかひねた性根もなんとかしたいが、それもだめ。老眼と砂漠化が進んだ頭頂部もなんとかしたいが、それはこの体を処分してクローンの若い体に移れば…

 と思ったが、実はこれも7.で禁止されてる。そんな殺生な。とはいえ、そこは蛇の道は蛇、合法・非合法ともにいろいろと抜け道はあって…。非合法はともかく、合法的な抜け道が私には面白かった。

 さいわい、技術の進歩で有難い点もいくつかある。例えば、新しい体は年齢を好きに設定できる。だから、赤ん坊時代は繰り返さなくていい。六人のクルー(のクローン)も、目覚めた時は、若いとはいえちゃんとした大人の身体で再生した。まあ、そうじゃないと移民船の保守管理なんて仕事はできないんだけど。

 そんなこんなで、「死」って概念が現在とは全く違っちゃってるあたりが、読んでてセンス・オブ・ワンダーを感じるところ。これにはテロリストも困るだろうなあ。それでもやっぱり殺し屋って商売もあるんだが、人殺しの意味も全く違ってるんで…。これ読んでて笑っちゃたんだけど、映像になったらうすら寒い気色悪さが漂うだろうなあ。

 ミステリとしては、やはり舞台設定の妙が光る。まずは密室殺人事件だってこと。誰も逃げようがない宇宙船の中だし。お断りしておくけど、「犯人は救命ボートで逃げた」とか「密航者がいた」とか、そういうのもナシです。しかも、犯人自身も自分が犯人だと知らないってのもミソ。誰も信じられない、どころか自分まで信じられないのだ。

 容疑者の六人も、なかなかに個性的で。

 最初の語り手はマリア・アリーナ。保守係兼機関長補佐とあるが、もっとわかりやすく言えば雑用係。ぶっちゃけ、クルーの中じゃ一番の下っ端。そのワリにヒネた所もないし言動は落ち着いてるしで、マトモそうに見える。

 ヒロことアキヒロ・サトーは航海士。やや毒を含んだ冗談を、のべつまくなしに吐きまくる。名前と身体は日本人っぽいけど、性格はエディ・マーフィーがよくやる役柄みたいだ。少なくとも、表向きは。

 船長のカトリーナ・デラクルスはガチガチの軍人さん。冷酷で高ピー、クルーの言い分は聞かず権力を振りかざす、いけすかないタイプ。彼女を補佐する副長のウルフガングも脳筋タイプ。いずれも物騒な雰囲気なんだけど、カトリーナは冷静かつ理論的なのに対し、ウルフガングはすぐ逆上して暴れまくるって感じ。

 そんなウルフガングの餌食になるのが、機関長のポール・スーラ。やたらビクビクしてて、目覚めてからも職場と自室に籠りっぱなし。ポールの職場にウルフガングが押しかける場面は、デスマーチが続くエンジニアなら涙なしには読めない切なさだw

 そんな怪しげな連中のなかで、ただ一人マトモそうなのが、船医のジョアンナ・グラス。なにせ車椅子だし、終始落ち着いて医師の職務に専念する。もっとも、それはそれで怪しいんだけど。何せ、この船のクルーはみんな元犯罪者だし。

 クローンとマインドマップを駆使したお話作りは、ちょっとP.K.ディックを思わせるけど、登場人物は行動派が多いためか読み心地は軽快で、サクサクと読み進める。上下巻のわりに心地よく楽しめる娯楽SF作品だ。

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