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2019年6月12日 (水)

ゼナ・ヘンダースン「ピープル・シリーズ 果てしなき旅路」ハヤカワ文庫SF 深町真理子訳

「また口をきいてしまった!」
  ――p13

「できるだけひととちがったままでいらっしゃい!」
  ――p94

わたしは≪故郷≫を覚えている。
  ――p163

「子供というのは、いつの場合も、毛色の変わっている人間にたいして残酷なものですよ」
  ――p226

「ぼくはもう人間になろうとは思わないんだ」
  ――p362

ぼくらは出てゆこう。このみすぼらしいたまり場から出てゆこう。どこかほかのところへゆこう――ぼくらがだれに恥じることもなく、つねにぼくら自身でいられる場所に!
  ――p399

【どんな本?】

 1950年代から1960年代に活躍したアメリカのSF作家、ゼナ・ヘンダースンの人気シリーズ「ピープル」シリーズの短編を元に、長編に仕立てた作品集。

 19世紀末。遭難した宇宙船が、地球に墜落した。乗っていたのは、見た目は地球人そっくりだが、幾つかの奇妙な能力を持つ者たち。彼らの一部は墜落する前に脱出はできたが、ちりぢりになってしまう。やがて仲間を見つけた者たちは、人里離れた山奥に町を作り、外の者たちとは深く付き合わないようにして暮らすようになる。

 そして50年ほどが過ぎた。町の人々は、安定して平穏な暮らしを続けながら、遭難の際にはぐれた仲間とその子孫≪同胞≫を、探し続けている。自分たちの正体が普通の人間たちに露見しないよう、慎重に、注意深く。

 「アララテの山」「ギレアデ」「ヤコブのあつもの」「荒野」「囚われびと」「ヨルダン」を含む。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は PILGRIMAGE, by Zenna Henderson, 1959。日本語版は1978年7月15日発行。文庫本で縦一段組み本文約427頁に加え、谷口高夫のあとがき4頁。8ポイント43字×20行×427頁=367,220字、400字詰め原稿用紙で約917枚。上下巻でもいい分量。

 さすがに50年以上も前の作品だけに、文章はやや古風だ。もっとも、著者は小学校の教師を長く勤めている人でもあるので、元がお行儀のよい文体なんだろう。ピープルたちは宇宙人って設定になっているけど、それを除くとむしろファンタジイに近く、「異世界から来た魔法使い」でも充分に通じそうだ。そんなわけで、理科が苦手な人でもファンタジイが好きなら大丈夫。

 敢えて言えば、学校が舞台の作品が多いので、アメリカの初等・中等教育制度を知っているといい(→Wikipedia)。日本だと新学期は春に始まるが、アメリカでは秋に始まる。また日本の小学校は6年生までだが、この作品では8年生(日本の中学2年生に当たる)まで同じ学校に通っている。子供が少ない地域では、小学校と中学校を一緒にしちゃってるんだろう。

【感想は?】

 ああ、これは確かにSFファンにウケるわ。

 これが雑誌に発表されたのは1950年代。今でこそSFやファンタジイはスターウォーズやらターミネーターやらパシフック・リムやらと、ハリウッドが社運をかけて大金をつぎ込む目玉商品になった。

 でも、昔は違った。SFは子供のもの、みたいな目で見られた。いい歳こいてUFOや怪獣を信じている変な奴、というのがSFファンに対する世間の目だった。当然ながら、SFファンは地元じゃ異端・少数派とされ、表立ってはSFに興味のないフリをして暮らす者も多かった。だからといって、身についてしまった習性をなくすこともできない。

 いかに文明が進んだアメリカとはいえ、1950年代である。インターネットなんて便利なものはない。今なら Facebook や Twitter など SNS で同志を募れば、全国いや世界中から同好の志が集まるだろう。でも当時はそんなモノはなかった。大都市に住んでいれば大きな書店で専門誌が手に入り、「おたより」欄で文通相手も見つけられるだろうが、ロクに書店もない田舎じゃそうもいかない。

 そんな孤独を抱えた当時のSFファンの立場は、この作品で描かれる≪同胞≫たちの姿と見事にカブる。

 この作品は、雑誌掲載の六編に、繋ぎの物語を加えて、長編に仕立てたものだ。その全てが、ほぼ同じパターンで話が進む。舞台は、世間が狭く住民同士がみな顔見知りな田舎だ。そこに、≪同胞≫でありながら、それを知らず、世間に正体を隠し孤独に暮らしている者(たち)がいる。彼(ら)は、自分が変わり者であり、正体を暴かれたらタダでは済まないと、今までの人生で思い知らされている。

 そこに≪同胞≫が現れる。ただし、正体を隠して。お互いに本性を隠しつつ、だが少しづつ相手が不思議な能力を持っている事に気がつく。そして、はぐれていた≪同胞≫を、仲間に迎え入れるのだ。

 なんとまあ、甘く心に訴える話である事か。田舎の狭い社会で孤立しながらも趣味をあきらめきれない当時のSFファンは、「これこそ俺の求めていたモノだ」と叫んだだろう。変わり者が抱える孤独、はみ出してしまう者の悲哀は、何度も繰り返し描かれる。中でも「囚われびと」に登場するフランチャー・キッドに、「彼はオレだ!」と己の姿を重ねた少年は全米各地にいたはずだ。

 もちろん、この作品の魅力はそれだけじゃない。いかにもこの著者ならではの、強烈な個性が溢れている。

 ≪同胞≫は超能力を持つ。これがハリウッドのSF大作なら、人類 vs ≪同胞≫の大戦争になるところだ。が、この作品には、ほとんど戦闘場面がない。暴力的と言えるのは、せいぜいがイタズラした悪ガキを懲らしめる場面ぐらいだ。

 そのかわりに、≪同胞≫たちの超能力は、実にバラエティ豊かである。例えば、空を飛ぶ能力。超能力物では当たり前のように登場する能力だが、このお話では見事なヒネリが入っていて、上手に制御しないとかなり間抜けな羽目に陥ってしまうw また、「ヤコブのあつもの」では、この能力が仇となって、なかなかに奇妙な光景が繰り広げられたりw 町中がそれじゃ、まるきしゾンビの群れだw

 派手なバトルシーンもなければ、18禁な場面もない。でも、この作品に描かれた≪同胞≫と同じ想いを抱えた少年少女は、いつの時代にだっている。時代背景などを小中学生向きにアレンジした「超訳」で出せば、今でも充分にヒットする作品だ。そうやって未来ある若者をSF沼に引きずり込んでしまえ。

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