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2019年6月の11件の記事

2019年6月27日 (木)

オリヴァー・サックス「見てしまう人びと 幻覚の脳科学」早川書房 太田直子訳

…私はこの本を、幻覚体験とそれが体験者に及ぼす影響を語る、幻覚の自然経過記録、またはアンソロジーのようなものと考えている。なぜなら、幻覚の力を理解するには、当人による一人称の記録によるほかないからだ。
  ――はじめに

片側の失明や視力障害が負の症状だとすれば、それにとどまらず、正の症状も出ることがある。つまり、見えない領域やかすんでいる領域に幻覚が生じるのだ。突然半盲になった患者の約10%が、そのような幻覚を起こす――そしてすぐに、それが幻覚であると気づく。
  ――第9章 両断 半視野の幻覚

人は自分の夢に加わるか、加わっている人を観察するが、入眠状態では人は単なる傍観者だ。
  ――第11章 眠りと目覚めのはざま

ウェールズの一般開業医のW・D・リースは、配偶者に先立たれたばかりの人たち約300人と面談し、そのほぼ半数に、亡くなった配偶者の片鱗を錯覚でかいま見たり、またはその幻覚に正面から向き合ったりした経験があることを知った。
  ――第13章 取りつかれた心

【どんな本?】

 脳神経科医として勤務するかたわら、その経験を活かして「妻を帽子とまちがえた男」「レナードの朝」「音楽嗜好症」などの楽しいエッセイを書き続けたオリバー・サックスによる、幻覚や幻聴をテーマとした、科学エッセイ集。

 彼の著作の特徴は、単に一見奇妙な症状を紹介するだけではない。もちろん、医師として経過と原因そして治療法も紹介する。が、それに加えて、症状を抱えながらも、その人なりの形で症状と折り合いをつけながら暮らしてゆく人々の姿も詳しく描き、人の持つ知恵と逞しさ、そして心の不思議さを感じさせる点が、彼の作品の醍醐味なのだ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Hallucinations, by Oliver Sacks, 2012。日本語版は2014年10月25日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約343頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント45字×17行×343頁=約262,395字、400字詰め原稿用紙で約656枚。文庫本なら少し厚め。なお、今はハヤカワ文庫NFから「幻覚の脳科学 見てしまう人びと」の題で文庫版が出ている。

 文章はこなれていて読みやすい。ときとき脳の部位の専門用語が混じるけど、「脳みそのどっかなんだろう」ぐらいに思っていれば充分。

【構成は?】

 各章は比較的に独立しているので、美味しそうな所をつまみ食いしてもいい。

  • はじめに
  • 第1章 静かな聴衆 シャルル・ボネ症候群
  • 第2章 囚人の映画 感覚遮断
  • 第3章 数ナノグラムのワイン においの幻覚
  • 第4章 幻を聞く
  • 第5章 パーキンソン症候群の錯覚
  • 第6章 変容状態
  • 第7章 模様 目に見える片頭痛
  • 第8章 「聖なる」病
  • 第9章 両断 半視野の幻覚
  • 第10章 譫妄
  • 第11章 眠りと目覚めのはざま
  • 第12章 居眠り病と鬼婆
  • 第13章 取りつかれた心
  • 第14章 ドッペルゲンガー 自分自身の幻
  • 第15章 幻肢、影、感覚のゴースト
  • 謝辞/訳者あとがき/引用クレジット/参考文献

【感想は?】

 幻覚がテーマの本だ。だから他人事だと思っていたが、そうじゃない。これは私の事でもあるのだ。

 それを強く感じるのが、「第11章 眠りと目覚めのはざま」だ。ここで扱うのは入眠時幻覚。というと何か難しそうだが、誰だって経験があるはず。わかりやすいのが、居眠りの時に見るアレだ。完全に寝入ってる時ではなく、寝ぼけて見るモノ。

 実は私の場合、「見る」のではなく「聴く」のが多い。見知らぬ男たちが、何か仕事しながら喋っている。男たちも仕事も、私とは何も関係がないし、お喋りの中身はよく聞き取れない。最近はだんだんと真に迫ってきたんで、なにかヤバいんじゃないかと思ったが、この本を読んで安心した。寝ぼけての幻聴は「幻視と同じぐらい一般的」らしい。

 やはり「私の事だ」と思うのが、「第10章 譫妄」。この章では薬物による譫妄の例に加え、病気によるものも多い。特に「あるある」と感じたのが、子供の頃に熱を出した時の話。日本人だと、天井の木目が「何か」に見えた経験がある人が多いはず。ここでは、体が伸びたり縮んだりする譫妄が出てくる。ちゃんと名前もついていて、「不思議の国のアリス症候群」(→Wikipedia)と言うのだとか。

 居眠りなら大したことはないが、病気だと困ったことになる。ナルコレプシー、いわゆる居眠り病(→Wikipedia)の場合だ。これ生活習慣とかは関係なくて、肉体的な問題だとは知らなかった。ふつう、視床下部はオレキシン=覚醒ホルモンを分泌する。この部位に不調があると、不意に眠りに落ちたりするのだ。

 この章では金縛りも扱っている。いずれも睡眠の不調だ。金縛りもナルコレプシーも幻覚を伴う時がある。が、特にナルコレプシーの場合…

人はたいてい認めるのをためらい、ナルコレプシー患者でいっぱいの部屋でさえも、そのことがオープンに話しあわれることはほとんどなかった。
  ――第12章 居眠りと鬼婆

 こういう「幻覚や幻聴を隠そうとする」のは、ナルコレプシーに限らず、他の病気でも同じらしい。気持ちは分かる。いわゆる「頭がおかしくなった」と思われるのが嫌なのだ。だが、実はありふれた経験らしい。視覚を失った人は幻覚を見るし、嗅覚を失った人は幻臭をかぎ、四肢を失った人は幻肢に悩む。パーキンソン病や片頭痛も幻覚を伴うし、大切な人やペットを失った時もそうだ。

 つまり、幻覚や幻聴は、ありふれたものなのだ。ただ、私たちが勝手に「それは頭がおかしい」と思い込んでるだけ…と言いたいが、昔はそうでもなかった事を「第2章 幻を聞く」で暴露している。

 1973年、『サイエンス』誌の論文「狂気の場において正気でいることについて」が大騒動を引き起こす。八人の偽患者が「声が聞こえる」と症状を偽り、病院を訪れる。一人は躁鬱病、他の者はみな統合失調症と診断され、二ヶ月も入院する羽目になり、誰も仮病を見破られなかった。当時の精神医学は、その程度だったのだ。これに懲りてできたのがDSM(→Wikipedia)。

 この話にはオチがある。本物の患者の一人は、ちゃんと仮病を見破っていたのだ。ちなみに幻聴に関しては…

(オイゲン・)ブロイラーによると、「入院している統合失調症患者は、ほぼ全員『声』を聞く」。しかし彼は、逆が真ではないことを強調している。つまり、声が聞こえることは必ずしも統合失調症を意味しない。(略)声が聞こえる人の大半は統合失調症ではないので、これは大きな誤解だ。
  ――第4章 幻を聞く

 という事で、やはりありふれた現象らしい。

 他の著作に比べ、著者自身の話が多いのも、この本の特徴の一つ。中でも「第6章 変容状態」では、若い頃にドラッグを試した経験を語っている。特に著者の性格がよく出ていると思ったのが、常用していた薬物を断った時の話。激しい幻覚に襲われながらも、落ち着きを保つために症状を細かく記録し…

混乱、失見当、幻覚、妄想、脱水、発熱、頻脈、疲労、発作、死。もし誰かが私のような状態だったら、すぐに救急処置室に行くようアドバイスしただろうが、自分自身のこととなると、私は耐え抜いてすべてを経験しつくしたかった。
  ――第6章 変容状態

 と、あくなき好奇心に従って行動する。まったく、学者って奴はw

 そんな風に、ヒトの脳や神経系の不思議さ・絶妙さを実感するエピソードがたくさん載っている。と同時に、サックス先生らしいのは、それぞれの症状を抱えた人々の暮らしにまで踏み込んで描いていること。皆さん、いろいろと工夫して症状と折り合いをつけ、人生を楽しもうとしている。科学と人間が交わり、少しだけ心に余裕ができる…ような気がする本だ。

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2019年6月26日 (水)

ムア・ラファティ「六つの航跡 上・下」創元SF文庫 茂木健訳

マリアは、これまでに数回、ベッドの上で適切に管理されながら死を迎えたことがあった。
  ――上巻p29

わたしたちは新しいクローンを作れるし、その気になれば人格を変えてしまうこともできる。なのに、今そこにある脳は治せないのだ。これって、どこかおかしい。
  ――下巻p94

「死ねるものなら死んでごらんなさい。わたしたちが、何度でもあなたを再生してあげるから」
  ――下巻p120

「わたしたちはブタか」
  ――下巻p291

【どんな本?】

 アメリカSF・ファンタジイ界の新鋭、ムア・ラファティの新作SF長編。

 25世紀。ドルミーレ号は移民船だ。環境の悪化した地球を脱出し、くじら座タウの惑星アルテミスに向け航海している。乗客は2500名、うち2000名は冷凍睡眠中、500名はデータ化している。クルーは六人、いずれも犯罪者で、航海とひきかえに罪が清算される予定だ。

 ある日、クルー六人の全員がクローン再生された。ただしマインドマップ(記憶のバックアップ)は乗船直後のもの。今まで勤務していたクルーは、船長のカトリーナを除き全員が殺されている。そのカトリーナも重傷で意識がない。船を管理するAIのイアンも、ログを消されていた。クルーの死体は老化しており、記録によると約25年間も航海していた。加えて、AIのイアンやクローン作成用のソフトウェアなど、いくつかの機器に不調がある。

 いったい誰が、何の目的で、どうやってこんな事件を起こしたのか。クルーはみな犯罪者であり、誰もが後ろめたい過去を抱えている。それぞれの証言も、どこまで信用できるのかわからない。

 宇宙空間という密室で起きたクローンの殺人?事件をめぐる、娯楽SFミステリ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は SIX WAKES, by Mur Lafferty, 2017。日本語版は2018年10月12日初版。文庫本の上下巻で縦一段組み本文約273頁+295頁=約568頁に加え、渡邊利通の解説7頁。8ポイント42字×18行×(273頁+295頁)=約429,408字、400字詰め原稿用紙で約1,074枚。文庫で上下巻は妥当なところ。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。大事なのは、クローンの扱い。クローン技術で肉体はコピーできる。でも、記憶と人格は残ってない。記憶は、肉体とは別にバックアップを取り(マインドマップ)、新しい肉体にインストールする。

【感想は?】

 お話は「クローンの作製と管理に関する国際法附則」で始まる。法律の条文だ。

 あくまでも法律、つまり「やっちゃいけないこと」であって、「できないこと」では、ない。これが作品全体を通して、大事な意味を持ってくる。ミステリとして作者と謎解きを競うつもりなら、シッカリ読んでおこう。次の七つだ。

  1. クローンは一人一体まで。増殖しちゃだめ。
  2. クローンは子を作っちゃいけない。クローンは不妊にしなさい。
  3. 他人のクローンにマインドマップ(記憶と人格)を入れちゃだめ。
  4. クローンは最新のマインドマップを入れた記憶媒体を肌身離さず持ち歩きなさい。
  5. クローンのDNAやマインドマップは編集しちゃだめ。
  6. クローンの死体は手早く清潔に処分しなさい。葬式はやっちゃだめ。
  7. クローンは自殺しちゃだめ。

 「なんか不便だよな」と思うところは、ある。私だと、5.が辛い。もちっと賢いイケメンで機敏な力持ちになりたいが、それは不許可なのだ。いささかひねた性根もなんとかしたいが、それもだめ。老眼と砂漠化が進んだ頭頂部もなんとかしたいが、それはこの体を処分してクローンの若い体に移れば…

 と思ったが、実はこれも7.で禁止されてる。そんな殺生な。とはいえ、そこは蛇の道は蛇、合法・非合法ともにいろいろと抜け道はあって…。非合法はともかく、合法的な抜け道が私には面白かった。

 さいわい、技術の進歩で有難い点もいくつかある。例えば、新しい体は年齢を好きに設定できる。だから、赤ん坊時代は繰り返さなくていい。六人のクルー(のクローン)も、目覚めた時は、若いとはいえちゃんとした大人の身体で再生した。まあ、そうじゃないと移民船の保守管理なんて仕事はできないんだけど。

 そんなこんなで、「死」って概念が現在とは全く違っちゃってるあたりが、読んでてセンス・オブ・ワンダーを感じるところ。これにはテロリストも困るだろうなあ。それでもやっぱり殺し屋って商売もあるんだが、人殺しの意味も全く違ってるんで…。これ読んでて笑っちゃたんだけど、映像になったらうすら寒い気色悪さが漂うだろうなあ。

 ミステリとしては、やはり舞台設定の妙が光る。まずは密室殺人事件だってこと。誰も逃げようがない宇宙船の中だし。お断りしておくけど、「犯人は救命ボートで逃げた」とか「密航者がいた」とか、そういうのもナシです。しかも、犯人自身も自分が犯人だと知らないってのもミソ。誰も信じられない、どころか自分まで信じられないのだ。

 容疑者の六人も、なかなかに個性的で。

 最初の語り手はマリア・アリーナ。保守係兼機関長補佐とあるが、もっとわかりやすく言えば雑用係。ぶっちゃけ、クルーの中じゃ一番の下っ端。そのワリにヒネた所もないし言動は落ち着いてるしで、マトモそうに見える。

 ヒロことアキヒロ・サトーは航海士。やや毒を含んだ冗談を、のべつまくなしに吐きまくる。名前と身体は日本人っぽいけど、性格はエディ・マーフィーがよくやる役柄みたいだ。少なくとも、表向きは。

 船長のカトリーナ・デラクルスはガチガチの軍人さん。冷酷で高ピー、クルーの言い分は聞かず権力を振りかざす、いけすかないタイプ。彼女を補佐する副長のウルフガングも脳筋タイプ。いずれも物騒な雰囲気なんだけど、カトリーナは冷静かつ理論的なのに対し、ウルフガングはすぐ逆上して暴れまくるって感じ。

 そんなウルフガングの餌食になるのが、機関長のポール・スーラ。やたらビクビクしてて、目覚めてからも職場と自室に籠りっぱなし。ポールの職場にウルフガングが押しかける場面は、デスマーチが続くエンジニアなら涙なしには読めない切なさだw

 そんな怪しげな連中のなかで、ただ一人マトモそうなのが、船医のジョアンナ・グラス。なにせ車椅子だし、終始落ち着いて医師の職務に専念する。もっとも、それはそれで怪しいんだけど。何せ、この船のクルーはみんな元犯罪者だし。

 クローンとマインドマップを駆使したお話作りは、ちょっとP.K.ディックを思わせるけど、登場人物は行動派が多いためか読み心地は軽快で、サクサクと読み進める。上下巻のわりに心地よく楽しめる娯楽SF作品だ。

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2019年6月23日 (日)

ロイ・アドキンズ「トラファルガル海戦物語 上・下」原書房 山本史郎訳

ナポレオン・ボナパルト「我々が海を支配しなければならないのは、たった6時間でよい。そうしたら、イギリスという国はもはやこの世に存在しなくなる」
  ――第1章 侵略

…艦尾や艦首には数門程度の砲しか設置する余地がないため、軍艦の火力は舷側に集中していた。標準的な戦術は、戦艦の艦首または艦尾に対して垂直の位置につけることだった。こうすれば敵に対して片舷斉射をフルに見舞えるいっぽう、敵からはほんの数門の砲撃しか浴びない。
  ――第3章 舞台はととのった

トラファルガル海戦は帆走の木造戦艦からなる二つの艦隊が、まともにぶつかり合う最後の大決戦となる。
  ――第4章 戦闘開始

フランス・スペインの艦艇は、合計で三万名の人員を擁していたので、17000名だったイギリス艦隊に比べて、ほぼ倍の兵力だった。ところが、フランス・スペインの乗組員のうち、多くは陸兵だった。
  ――第4章 戦闘開始

(フランス艦ルドゥターブルの)643名の乗組員のうち、522名が戦闘不能となったが、そのうち死者は300名、負傷者222名だった。
  ――第7章 殺戮

あの当時、我々(フランス・スペイン連合艦隊)はマストを狙うことを原則としており、敵に真の損害をもたらすために、大量の砲弾をむだに使った。(略)彼ら(イギリス艦隊)は…水平に砲撃した。そのおかげで、たとえ砲弾が直撃せずとも、少なくとも海面を跳ね、跳弾としてきわめて大きな効果があった。
  ――第8章 地獄絵図

海戦の日に沈んだのは、爆発したアシルただ一隻だったが、それにつづく一週間のあいだに、さらに14隻のフランス・スペイン連合艦隊の船が難破もしくは沈没し、その結果イギリス軍の手に残った捕獲艦はわずか四隻(バハマ、サンイルデフォンソ、サンファンネポムセーノ、スウィフトシュール)にすぎなかった。
  ――第11章 ハリケーン

トラファガル海戦のニュースはフランスで一か月以上のあいだ首尾よく隠匿され、ついに新聞各紙がその話を掲載するにいたったときには、フランス・スペイン連合艦隊の空前絶後の大勝利として、大本営発表がなされた。
  ――第12章 使者たち

(英国海軍の)多くの者にとって、トラファルガル海戦の勝利の報酬として得たものは、死ぬほどの退屈と、未来への不安だった。
  ――第15章 英雄、それに悪者

スペインは、(略)トラファルガル海戦は名誉ある敗北と考え、(略)戦闘に参加したスペイン人士官はみな昇進をえて、どの水兵も兵士もその日のために三倍の給料をもらった。
  ――第15章 英雄、それに悪者

【どんな本?】

 1805年10月21日。ネルソン率いるイギリス艦隊27隻と、ヴィルヌーヴ率いるフランス・スペイン連合艦隊33隻が、スペインのトラファルガル岬沖で激突する(→Wikipedia)。帆船同士の戦いとしては史上最大級であり、またナポレオンが席捲するヨーロッパの命運を左右する戦闘でもあった。

 この戦いはどんな経緯を辿ったのか。それぞれの艦はどう戦ったのか。そして、戦いが終わったあと、戦士たちにはどんな運命が待ち受けていたのか。

 戦闘記録だけではなく、当時の風俗や軍艦そして乗り込んだ者たちについて、艦の構造・操艦・各所の住み心地にはじまり、軍船の積荷、砲の射程・精度・威力や発射までの手順、将兵の給与・食事・排泄・就寝・着衣、それぞれの部署や役職の平時・戦闘準備・戦闘時の行動などを、公的な資料に加え新聞や水兵の私信まで動員し、綿密かつリアルに再現した、迫真の歴史書である。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Trafalgar : The Biography of a Battle, by Roy Adkins, 2004。日本語版は2005年11月10日第1刷。単行本ハードカバー縦一段組み上下巻で本文約249頁+237頁=約486頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント45字×18行×(249頁+237頁)=約393,660字、400字詰め原稿用紙で約985枚。文庫本でも上下巻ぐらいの分量。

 文章は軍事物とは思えぬほどこなれていて読みやすい。また内容も当時の軍事・政治情勢から庶民の生活・風俗に至るまで綿密に描いているわりに、素人にも分かりやすく懇切丁寧に説明しているので、拍子抜けするほど素直に頭に入ってくる。また帆船の構造や操船方法など、初歩的なこともイラストを使って説明していて、入門書としても優れている。

 敢えて言えば、戦場となるヨーロッパ西部の地図があるといいだろう。また、随所に戦闘図や用語説明などが入っているので、栞をたくさん用意しておこう。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に進むので、素直に頭から読もう。

  •   上巻
  • 図版一覧(地図、海戦図、軍艦)/口絵
  • はじめに 商売をおぼえる
  • プロローグ 初弾発射
  • 第1章 侵略
  • 第2章 戦い前夜
  • 第3章 舞台はととのった
  • 第4章 戦闘開始
  • 第5章 初弾発射
  • 第6章 第二撃
  • 第7章 殺戮
  • 第8章 地獄絵図
  • 注釈/出典一覧
  •   下巻
  • 図版一覧(地図および海戦図)/口絵
  • 第9章 降伏
  • 第10章 失って、そして勝った
  • 第11章 ハリケーン
  • 第12章 使者たち
  • 第13章 余波
  • 第14章 勝利の果実
  • 第15章 英雄、それに悪者
  • 船と艦長/謝辞/参考図書/注釈/訳者あとがき/出典一覧/参考文献

【感想は?】

 原書房って、ややマニアックな本が多いと思っていたが、この本で大きく印象が変わった。

 いや内容がマニアックなのは確かだ。なにせ帆船同士の戦いを再現するって本だし。が、信じられないほど初心者に親切に書いてある。C・S・フォレスターのホーンブロワー・シリーズなどの帆船小説を読む前に、これを入門書として読んでもいいぐらい。

 なんたって、表紙を開いたら見返しにいきなり、帆船の帆と甲板の名前をイラストで説明してる。裏表紙にはマストと索の説明だ。実際、私は読みながら何度もこのイラストを見直した。また、「上手回し」「下手回し」などの基本的な用語も、その理屈から使い道まで、素人にもわかよう、イラストを交えて書いてある。なるほど、上手回しは速いけど難しく、下手回しは遅いけど易しいのね。

 なにせ舞台は19世紀初頭だ。外国でもあるし、21世紀に暮らす私たちにはピンとこない、どころかとんでもない勘違いをしかねないところも多い。そういう部分を、懇切丁寧に教えてくれるのが、この本の嬉しい点。私のようなSF者にとって、こういう私たちとは全く違う暮らしの描写は、とっても美味しいご馳走なのだ。

 例えば当時の通信システム。今なら携帯電話一発だが、当時は無線なんかない。手旗信号がせいぜいだ。これが艦隊だと、広い範囲に艦が散らばってるんで、手旗信号のリレーになる。だもんで、敵艦隊がカディス港を出たとの報は、発信してからネルソンに届くまで二時間もかかってる。ばかりか、戦闘が終わってから勝利の報がロンドンに届くまでも、戦闘後に艦隊が嵐に巻き込まれた事もあって…。

 やはり迫力あるのが、艦上の暮らしを描くところ。食事も酷いもんで、とにかく何でもすぐ腐る。水だって川の水を樽に詰めただけ。「数日もたてば(略)腐臭を放った」はいいが、「それがふたたび旨くなり、飲料可能となることも多かった」って、なにそれ怖い。ブランデーがあるんだから蒸留技術はあったはずなんだが、原因である細菌とかは知られてなかったのだ。

 バターやチーズもすぐ腐る。が、腐ったバターはロープに刷り込む。それで防水性を高めしなやかになるが、臭いは…。堅パンも最初は堅いが、やがて軽くグズグズになる。ゾウムシが沸くのだ。「この虫は食べると苦い味がした」って、ひええ。おまけにネズミも走り回り、これも水兵の腹の足しになった上に、壊血病も防いでくれた。とはいうが、病気になるがネズミを喰うかって、かなり厳しい選択だよなあ。

 そんなんだから入浴や洗濯は推して知るべしで。つくづく、電気と冷蔵庫の有難みを感じてしまう。加えてトイレの話もちゃんと出てくる。水洗便所はもちろんトイレットペーパーなんかない時代だから…

 とかの暮らしの描写も鮮やかだが、戦闘についても知らないことばかり。かの有名なネルソン・タッチにしても、思い込みを見事に覆してくれる。敵の縦列に対し横から二列で突っ込んでいく、あの有名な戦術だ。

 突っ込んでいくと書くと勢いよく突っ走ったように思えるが、当日はほとんど風がなかった。だもんで、戦闘準備が終わってから、実際に弾が飛んでくるまで、数時間かかっている。先頭にいるコリングウッドが乗るロイヤルソヴリンも大変で、数十分も敵艦隊の片舷斉射を受ける。その間、ひたすら耐えるだけ。艦隊の形こそ日本海海戦と似ているが、実際の戦い方は全く違うのだ。

 となれば指揮の方針も全く違う。ネルソンが狙ったのは、敵味方入り乱れての泥仕合だった。

サー・ホレイシオ・ネルソン「…混戦にもっていくつもりなのさ。それがわたしの狙いなんだ」
  ――第5章 初弾発射

ネルソンはわざわざ特別の取り決めをおこない、戦いがはじまってしまえば、それぞれの艦長が独自の判断によって行動してもよいことにしておいた。
  ――第5章 初弾発射

 勝手にやれってワケだ。なぜかというと、イギリスの方が練度が高く、それぞれがサシでやりあえばまず勝てると踏んだから。もっとも、それだけじゃなく、互いが撃ち合えば砲煙で真っ白になり、命令の伝えようがないってのもあるけど。たいした自信だけど、当時の軍は通信手段の問題もあって、前線指揮官に大きな権限を与えるのは普通だったんだろう。

 これを敵の司令官ヴィルヌーヴが、ちゃんと見通してたってのも意外だった。

ピエール=シャルル=ジャン=バティスト=シルベストル・ド・ヴィルヌーヴ「彼らは我々の戦列の真ん中を突っ切り、〔わが艦隊本体から〕分断された艦艇に兵力を集中させて包囲し、粉砕するだろう」
  ――第3章 舞台はととのった

 ヴィルヌーヴの最後は下巻で描かれるんだが、これを読むとナポレオンの印象が大きく変わる。

 砲についても、撃つまでの手順が細かく書いてあって、「確かにこれじゃたいした精度は期待できないなあ」と嫌でも納得できる。なにせ点火から発射まで数分かかるし、その間に艦も波で揺れる。だからよほど近くないと当たらないのだ。実際、砲口が敵艦にぶつかる場面もよく出てくる。これが実に怖くて…

 何が怖いと言って、火事が怖い。現在の火薬は火がついても燃えるだけだが、当時の火薬は爆発する。だから、弾薬室は最下層にある。ここに入るには、持ってる金属をみんな取り出さなきゃいけない。当時は照明もカンテラなんだけど、もちろん火なんか持ち込むワケにはいかず…

 そんなわけで、敵艦の砲口は怖い。弾が出てくるってだけじゃなく、砲口は熱くなってる。この熱が船体や索や帆に移ったら、艦が燃えて爆発炎上してしまう。だもんで、敵艦の砲口に水をかける場面が何度も出てくる。というか、そういう間近な距離で撃ち合ったのだ。

 弾丸にしても当時は信管なんてない鉄の球。または散弾銃がわりのぶどう弾(→Wikipedia)だ。ならたいして怖くない、なんて思ってたんだが、これも大間違い。

弾丸が貫通すると、さしわたし30ヤードの空間に木の裂片を雨のように降らせ、そこにいる者を殺傷する。
  ――第4章 戦闘開始

 おまけに、艦を貫通すりゃともかく、艦内に弾丸が残ると、これがゴロゴロ転がって人を踏み潰す。だもんで、撃つ方も、至近距離だとワザと貫通しないように火薬を減らしたり、砲に弾丸を二つ三つ込めて勢いを殺したり。しかも負傷した後も怖い。当時は感染症も知られてない。医者がやるのは、使いまわした刃物で傷ついた手足を切り取るだけ。麻酔もないから…

もっともすばやい医師が、もっとも手術の成功率の高い医師であった。
  ――第8章 地獄絵図

 さっさと切らないと、患者が痛みでショック死しちゃうのだ。この手術の様子もミッチリ書いてあるので、スプラッタなホラーが好きな人は楽しみにしておこう。

 と、そんな具合に、単に海戦を描くってだけじゃなく、当時の艦上の暮らしを、かぐわしい?香りが漂ってきそうなほど、詳細かつ鮮明に、かつ素人にも分かりやすく書きこんであって、これが迫力を増している。戦闘の記録なんでカテゴリはいちおう軍事/外交としたけど、むしろ歴史の一場面を再現するって点で、とても面白い本だった。

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2019年6月19日 (水)

高木彬光「成吉思汗の秘密」ハルキ文庫

「…源義経は、衣川で殺されたのではなくて、そこから逃げ出して、蒙古へ渡り、成吉思汗になったという伝説があるじゃありませんか」
  ――p19

「…この説は、徳川時代から始まって、今日までほぼ四回くり返されている」
  ――p200

【どんな本?】

 神津恭介、東大医学部法医学教室助教授、40歳目前ながら独身。その鋭利な頭脳で推理機械の異名を持つ。時は1957年。急性盲腸炎で入院し、暇を持て余す神津に、探偵作家である友人の松下研三が、暇つぶしのネタを持ち込んできた。源義経が大陸に渡り成吉思汗になったという伝説がある。この真偽を追及してはどうか、と。

 数々の難事件を解決してきた神津といえど、さすがに八百年前の事件を追うのは難しい。幸いにして手足となって動く松下研三に加え、歴史学者・井村梅吉の助手であり資料収集で頼れる大麻鎮子の助力を得て、病室にいながらも神津の頭脳は回転をあげはじめ…

 昭和のベストセラー作家・高木彬光が、ジョセフィン・テイの「時の娘」に着想を得て、「源義経=成吉思汗説」に挑む、傑作娯楽小説。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 解説によると、初出は1958年5月~9月の雑誌「宝石」。1958年10月に光文社から単行本を刊行。以後、何回か文庫が刊行されている。今は光文社文庫版が手に入れやすいと思う。私が読んだのは角川春樹事務所のハルキ文庫。文庫本で縦一段組み本文約319頁に加え、笹川吉晴の解説9頁。9ポイント40字×18行×319頁=約229,680字、400字詰め原稿用紙で約575枚。文庫本としては普通の厚さ。

 文体は、まあ昭和中期の娯楽小説の文体ですね。なんたってベストセラー作家だし。私はとても読みやすかったが、若い人はややイナタく感じるかも。

【感想は?】

 さすがに今となっては、ミステリというより伝奇小説に近いかな。

 お話の枠組みとしては、推理機械の神津恭介が「源義経=成吉思汗」説を支持し、歴史学者の井村梅吉がそれに反論する形だ。神津恭介は著者のお気に入りの探偵役な事でもわかるように、作品全体を通して「源義経=成吉思汗」説を裏付けようとしている。

 判官びいきなんて言葉もあるように、日本人は源義経が大好きだ。苦渋に満ちた幼少期、青年期での鮮烈なデビュー、寡兵で大軍を破る天才的な騎兵戦術、そして骨肉を分けた兄弟の争いの果ての悲劇的な結末。そんな義経が実は大陸に渡り、ユーラシアを席巻する成吉思汗になっていた。思わず信じてしまいたくなる魅力的な伝説だろう。

 とまれ、色々と障害は多い。まずは義経が妻子とともに自害して果てたといわれる衣川の戦いを、どうやって切り抜けたのかから始まり、なぜ・いかにして大陸へ渡り、異民族たちを従えて大軍団へと育て上げたのか。

 とはいえ、付け入るスキは多い。義経と成吉思汗の生年が近いことや、旗揚げするまでの成吉思汗の生い立ちが謎に包まれていること。21世紀の今でさえ、成吉思汗の墓が学術的には同定されていないのも、妄想マシーンの燃料になっている。

 この伝説に裏付けを与えていく過程が、この小説の最も面白い所だろう。

 なにより、出だしが巧い。神津恭介が最初に挑むのが、衣川脱出の謎だ。ここでは手慣れた推理小説の手法に沿って、比較的に飛躍の少ない形で義経一行を危機から救う。なにせ八百年前の話なので、遺留品があるわけじゃなし、攻守ともに決定打には欠ける中、ミステリというには少々荒っぽくはあるが、一応の筋道をつけてみせる。

 序盤で地に足の着いた推理を見せ、読者に「あれ、けっこうマトモじゃん」と思わせてしまえばシメたもの。その上で、話は地理的にも時間的にも、そして視点においても想定外の方向にポンポンと飛び、読者の鼻面を右に左に引きずり回す。当時の国内情勢や人間関係だけならともかく、まさか20世紀の話まで飛び出すとは思わなかったなあ。

 こういう「予想外の方面からの攻撃」を受けるのが、この手の作品の楽しいところ。まあ小説ファンって人種も、騙されて喜んでるんだから業が深いというかなんというかw でも気持ちがいいんだからしょうがないw

 とかの自由奔放な神津らの仮説に対し、正統的な歴史学者として正面から反論してくるのが、歴史学者の井村梅吉。ちゃんとこういう人物を登場させて、正論を述べさせるあたりは、さすがに「五回目のブーム」を仕掛けようとする著者の意気込みを感じさせる。こうやって「単なる蒸し返しじゃないぞ」と宣言しているわけ。

 ちなみにこの作品だけで判断すると、実は井村梅吉の「陰謀」が功を奏し神津に一矢報いているような気がするんだが、まあそれはいいかw

 さすがに昭和の作品だけに、風俗も当時のもので、例えば緊急の連絡もメールじゃなくて電報だったりする。私のようなオッサンには、こういう強烈な昭和臭も魅力なのだ。また野村胡堂や黒岩涙香なんて名前も出てきて、ちょっとニヤリとしたり。

 加えて、ヒロインの大麻鎮子さんがいいのだ。なんたって豊かな知識を持つ眼鏡っ娘だし。彼女と神津の関係や、それぞれの台詞を地の文で補強する文章作法は、当時の娯楽小説の定石なんだろうけど、今のライトノベルにも受け継がれてる…のかな?

 推理小説のような書き出しで読者のガードを緩め、斜め上からの奇襲で混乱させたところにパンチを叩きこむあたりは、伝奇小説のお手本通り。だが、この作品はそれだけじゃ終わらない。発表後に追加した最終章で、物語はガラリと様相を変え、激しく攻撃的ながらも低音部では哀愁を帯びた旋律を奏で始める。ベストセラーにしてロングセラーとなるに相応しい、娯楽ロマン作品だ。

 とか書きつつ、こんなモンを見ると全てがブチ壊しになるので、決してクリックしないように(→Youtube)。いや私は好きなんだけどね、こういうノリw

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2019年6月18日 (火)

デイヴィッド・W・アンソニー「馬・車輪・言語 文明はどこで誕生したのか 上・下」筑摩書房 東郷えりか訳

本書は印欧祖語を取り巻く中心的な謎を、いまならば解くことが可能であると主張する。すなわち、誰が、いつ、どこでその言語を話していたのかを。
  ――第1章 母言語がもたらす期待と政治

文献によって裏付けられた証拠もないのに、言語学者はどうやって再現された印欧祖語の正確さに確信が持てるのだろうか?
  ――第2章 死語をどう再構築するか

スワデシュは基礎語彙の置換率を、文字に書かれなかった言語において分離や分岐が起こった年代を確定するための標準化された時計として利用したいと考えた。
  ――第3章 印欧祖語の最後の話し手 言語と時代1

本章は印欧祖語の源郷の場所について、言語学的な証拠を挙げてゆく。(略)今日のウクライナとロシア南部に相当する黒海とカスピ海の北にある草原であり、ポントス・カスピ海ステップとしても知られている場所だ
  ――第5章 印欧祖語の源郷の場所 言語と場所

(オックスフォード大学のダニエル・)ネトルは西アフリカの言語集団の平均人口は、農業の生産性と反比例することを示した。
  ――第6章 言語の考古学

青銅とは何を指すのか? これは合金であり、最古のブロンズは銅と砒素の合金(砒素銅)だった。(略)砒素の含有率が混合物の2~8%ほどまで上がれば、できあがった金属は純粋な銅よりも色が薄くなり、冷やせばより硬くなり、溶かせば粘性が下がり、鋳造しやすくなることを古代の金属細工師が発見した。
  ――第7章 死滅した文化を再構築する方法

狩猟採取民は総じて、将来のためにわずかな貯蓄をするよりも、その場で分かち合い、寛大に振舞うことに重きを置く。そのため、畜産への転換は経済的なものであるのと同じくらい、道徳上の問題でもあったのだ。
  ――第8章 最初の農耕民と牧畜民

同じ場所に暮らすようになると、女性は一般により多くの子を産む。
  ――第9章 牝牛、銅、首長

人は徒歩でも、よい牧羊犬が1匹いれば、200匹ほどの羊を集めることができる。馬に乗って、同じ犬がいれば、その一人の人間で500匹の群れを追い立てることができる。
  ――第10章 馬の家畜化と乗馬の起源 歯の物語

前4200から前3800年にかけて気候が寒冷化したために、古ヨーロッパの農耕経済はおそらく衰退し、それと同時にステップの牧畜民がドナウ川河口周辺の低湿地と平原に押し入ってきた。
  ――第11章 古ヨーロッパの終焉とステップの台頭

遊牧の日常の自給自足経済は外部の国家からの援助は必要としていなかったのだ。
  ――第13章 四輪馬車に居住する人びと

廃れゆく言語にまつわる否定的な評価は、孫子の代によって重要度の低いものへと分類され直しつづけ、しまいには誰もおじいちゃんのように話したくはなくなるのだ。言語の交替とアイデンティティの蔑視は、密接に関連しているのである。
  ――第14章 西方の印欧諸語

シンタシュタで行われた供儀の細部は、『リグ・ヴェーダ』に描かれた葬送儀礼の供儀と驚くほど似通っていた。
  ――第15章 北部ステップの二輪馬車の戦士

最古の二輪馬車はおそらくステップで前2000年以前に出現したと考えられる。
  ――第15章 北部ステップの二輪馬車の戦士

【どんな本?】

 印欧語は、中国西部のトカラ語・インドのサンスクリット語・アフガニスタンのパシュトン語・イランのペルシャ語から、ロシア語・ラテン語・ケルト語そして英語まで、ユーラシアの各地で使われている言語だ。これらは一つの言語=印欧祖語から枝分かれしたものと考えられている。それは、どこで生まれ、どのように広がったのだろう?

 1991年のソ連崩壊に伴い、それまでアクセスが困難だったソ連の資料が使えるようになった。また元ソ連領だった所の学術調査も活発になる。これに伴い、それまで謎に包まれていた黒海とカスピ海の北岸や、ウラル山脈近辺の遺跡や遺物にも学問の光が当たり、意外なユーラシア史が浮かび上がってきた。

 言語学と考古学の間に広がる溝に、ソ連崩壊後に手に入った豊富な資料を基に橋を架け、壮大な人類史を描き出す、人類史の専門書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Horse, The Wheel, and Language : How Bronze-Age Riders from the Eurasian Steppes Shaped the Modern World, by David W. Anthony, 2007。日本語版は2018年5月30日初版第一刷発行。単行本ハードカバー上下巻で縦一段組み、本文約362頁+282頁=644頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント45字×19行×(362頁+282頁)=約550,620字、400字詰め原稿用紙で約1,377枚。文庫なら上中下の三巻に分けてもいい大容量。

 文章は比較的にこなれている。が、内容は思いっきり専門的で、かなり重い。ドラマチックで意表を突く仮説を、可能な限りの根拠に基づいて唱える本なので、やたらと専門的で細かい話が多い。充分に覚悟して読もう。また、舞台が黒海・カスピ海を中心にハンガリーから中国整備のアルタイ山脈にまで及ぶので、世界地図があると便利。また、序盤は発音記号が読めると良い。実は私は読めない。

【構成は?】

 訳者あとがきによると、第1章の後に最終章=第17章を読むといい、とある。私もそう思う。第1章でテーマを示し、最終章で結論を出す、そういう形になっている。途中の章は、結論に至る道筋を証拠で固める役割だ。いささか専門的で細かい話が多く、本筋を見失いがちになる。

 また、随所に地図や表や写真が出てくるので、栞をたくさん用意しよう。

  •   上巻
  • Ⅰ 言語と考古学
  • 第1章 母言語がもたらす期待と政治
    • 祖先
    • 言語学者と自国至上主義者
    • 母言語の誘惑
    • 古い問題に対処する新しい解決策
    • 言語の消滅と思考
  • 第2章 死語をどう再構築するか
    • 言語の変化と時代
    • 失われた音をどう再構築するか?
    • 忘れ去られた意味をどう再現するか?
    • 失われた言語の形
    • 死語を蘇らせる
  • 第3章 印欧祖語の最後の話し手 言語と時代1
    • 時代区分の長さ 言語はどのくらい永続するか?
    • 印欧祖語の末日 母言語から娘言語へ
    • 最も年長でもっとも奇妙な娘(あるいは従姉妹か?) アナトリア語
    • 次に長い銘文 ギリシャ語と古インド語
    • 親族を数え上げる 前1500年代にはいくつあったのか?
  • 第4章 羊毛、車輪、印欧祖語 言語と時代2
    • 羊毛の語彙
    • 車輪の語彙
    • 車輪はいつ発明されたか?
    • 車輪の意義
    • ワゴンとアナトリア源郷仮説
    • 印欧祖語の誕生と死
  • 第5章 印欧祖語の源郷の場所 言語と場所
    • 「源郷」という概念の問題点
    • 源郷を探す 生態学と環境
    • 源郷を見つける 社会・経済的状況
    • 源郷を突き止める ウラルとカフカースとの関連
    • 印欧祖語の源郷の場所
  • 第6章 言語の考古学
    • 恒常的な境界地帯
    • 移住がもたらす物質文化の変容
    • 生態学的境界地帯 生計を立てるさまざまな方法
    • 小規模な移住、エリート集団の募集、言語交替
  • Ⅱ ユーラシア、ステップの開放
  • 第7章 死滅した文化を再構築する方法
    • 考古学の誕生
    • 三時代区分の混乱
    • 年代測定と放射性炭素の革命
    • 食べていたものを知る方法
    • 考古学上の文化と現存する文化
    • この先で論じる大きな問題
  • 第8章 最初の農耕民と牧畜民 黒海・カスピ海の新石器時代
    • 「三人目」の神話と聖なる牛
    • 開拓農耕民の移住
    • 農耕民と採集民の遭遇
    • 牛を受け入れなかった人びと
    • 神々が牛を与える
  • 第9章 牝牛、銅、首長
    • 古ヨーロッパの銅の交易網
    • 境界地帯に生まれた文化
    • 牧畜への移行と権力の萌芽
    • フヴァリンスクの供犠と副葬品
    • カフカース山脈という障壁
    • 牝牛、社会的権力、部族の出現
  • 第10章 馬の家畜化と乗馬の起源 歯の物語
    • 馬はどこで最初に家畜化されたのか?
    • 馬はなぜ家畜化されたのか?
    • 飼い馬とは何か?
    • ハミ痕と乗馬
    • 印欧語の話し手の移住とデレイフカのハミ痕
    • ボタイと金石併用時代の乗馬
    • 乗馬の起源
    • 騎乗は文化に何をもたらしたか?
  • 第11章 古ヨーロッパの終焉とステップの台頭
    • 戦争と同盟
    • 東方からの馬と儀式
    • ドナウ川流域への移住
    • 戦争、気候変動、言語交替
    • 崩壊後
  • 原註/索引
  •   下巻
  • Ⅱ ユーラシア、ステップの開放(承前)
  • 第12章 ステップの境界に生じた変化の兆し 政治的権力の源泉
    • 交流と侵入 ステップの五つの文化
    • 都市よりも大きな町 トリポリエC1の特大規模の町
    • メソポタミアとステップとの関係
    • ウルク以前の北カフカース
    • どこでいつ出会ったか?
    • 大麻、馬、四輪荷車
    • 変わりゆく世界の地域言語としての印欧祖語
  • 第13章 四輪荷車に居住する人びと 印欧祖語の話し手たち
    • 移動生活と言語
    • 東の境界地帯を越えて アルタイ山脈への移住
    • 埋葬されるワゴン
    • なぜ東から広まった?
    • 牧畜と遊牧の有利・不利
    • 剣と斧と巨大な墓
    • 海上交通の革新
  • 第14章 西欧の印欧諸語
    • 騎乗者の役割
    • 移住の痕跡と言語の分離
    • ステップの大権力者
    • ドナウ川流域を遡る
    • 二つの文化の接触と交流 ゲルマン諸語の起源
    • ギリシャ語の起源
    • 西方の初期印欧諸語の消滅
  • 第15章 北部ステップの二輪戦車の戦士
    • 世界最古の二輪戦車
    • 森林境界地帯の消滅 森林の「縄目文」牧畜民
    • 狩猟民、牧畜民、交易者
    • 気候変動と技術革新
    • 環壕集落と武器 二輪戦車部隊の新しい戦術
    • 価値の競技会
    • アーリア人の起源
  • 第16章 ユーラシア・ステップの開放
    • 青銅器時代の帝国とステップから来た傭兵
    • バクトリア=マルギナ考古学複合体
    • ユーラシア・ステップの開放
    • 西部ステップの牧畜と採集 農耕なき定住
    • ウラル山脈の東、様相Ⅰ 牧畜から交易へ
    • 森林ステップ地帯の金属加工職人
    • ウラル山脈の東、様相Ⅱ 技術と言語の拡散
    • 『リグ・ヴェーダ』に残された痕跡
    • ユーラシアを横断する橋
  • 第17章 言葉と行動
    • 馬と車輪
    • 考古学と言語
  • 補遺 放射性炭素年代についての註記
  •  謝辞/訳者あとがき/原註/参考文献/索引

【感想は?】

 うう、重い。

 ジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」に雰囲気が似た書名だから、一般向けの本かと思ったら、とんでもない。とにかくやたらと細かく根拠に拘りまくる、考古学の本格的な専門書だ。

 テーマを表しているのは、印欧語族である。西はアイルランドから東はインドまで、ユーラシアを覆っている(→Wikipedia)。南北アメリカやアフリカでも使われているが、この辺の歴史的経緯はみなさんご存じだろう。問題は、文書が残っていない紀元前の時代に、どうやって言語が広がっていったか、だ。

 序盤では、言語学から謎に迫ってゆく。言語は生き物だ。某匿名掲示板が顕著なように、特定の集団では、特定の言語が発達する。この発達が一定の度合いを越えると、別の言語になる。日本国内だって沖縄と青森じゃ全く言葉が違う。というか、沖縄の言葉は琉球語と言っていいんじゃないかと思うが、それはさておき。

 この変化に一定の法則がある、というのが驚きだ。まあ日本語だって旧仮名の「ゐ」は「い」と違う音だったと聞いたことがある。この変化の具合は、ちゃんと測れるのだ。音によって変化しやすい音もあれば、単語の重要性による違いもある。これらを総合して、数値化できるっていうのが凄い。この手法が、遺伝子の変化を調べる生物学の手法と似ているのも驚き。

 ヲタクとして興奮しちゃうのが、『リグ・ヴェーダ』にアチコチで触れてるあたり。これは紀元前1500~1200年ぐらいに、インド北西部~パンジャブで編纂された。このインドの聖典に登場する神々・道徳観念・古インド語が、最初に文献として登場するのはシリア北部ってのに、厨二な心がビンビンと感じてしまう。

 のはいいのだが、以降はひらすら学術的で専門的な話が進む。しかも、主な舞台は黒海とカスピ海の北岸、カフカス山脈の北に広がるステップ地帯である。

 ここで発掘された遺跡や、その遺物について、とにかく細かい話が延々と続く。埋葬された人の姿勢や頭がどっちを向いているか。副葬品は何か。それぞれの素材は何で、どんな形をしていて、何に使ったのか。そして、年代はいつごろか。

 補遺に「放射性炭素年代についての註記」なんてのがついているのでわかるように、正確さには偏執的なまでの拘りを見せる。放射性炭素年代法は万能だと思っていたが、そうではない事もわかった。魚をたくさん食べていると、本来より古い年代と測定されてしまうのだ。なぜって、魚は水底の古い炭素を多く含んでいるから。そこで窒素で補正して云々。

 とかもあれば、土器の素材・文様・製造方法・焼成温度にもこだわりまくる。貝殻を混ぜるなんてのは知らなかったなあ。

 中でも重要なのは馬だろう。「銃・病原菌・鉄」でも使役獣の重要性はアピールしていた。が、本書に出てくる馬の主な用途が、実に意外。なんと食用なのだ。つまり、印欧語の元祖を話していた人たちは、黒海北岸あたりの遊牧民で、馬と牛と羊を飼育してたんじゃないか、みたいな話になる。

 牛や羊はわかるが、なぜ馬か。これの理由も面白い。つまりは冬を越すためだ。馬はもともと北方の種で、雪原でも蹄で雪を掘り返して餌をとれる。こんな芸当は牛や羊じゃ無理。だもんで、寒い地域で遊牧するには馬が便利なのだ。もっとも、おとなしく家畜化するには、気性が重要なんだけど。

 食肉用から乗馬用への変化を追いかける10章では、変化の根拠としてハミ(→Wikipedia)の痕を調べる話を詳しく述べている。つまりは臼歯の減り具合なんだが、それが根拠となり得るか否かを確かめる過程では、獣医師や馬のトレーナーなどを訪ね歩き、数年かけて馬の臼歯を集める。牧場主も、考古学者がなぜ馬の臼歯を欲しがるのか、不思議に思っただろうなあ。

 歯と言えば、遺跡から出てきた遺骨から、虫歯や貧血の症状を調べているのも、考古学の変化を感じさせる。「むし歯の歴史」にもあるように、穀物を多く食べると、虫歯になりやすい。逆に肉や魚が中心だと、虫歯は少ない。壺の底に残った粒なども合わせ、これで当時の食糧事情がわかるわけ。

 やはり科学の進歩を感じるのが、花粉だ。水中や土中に残った花粉の種類を調べれば、周辺にどんな植物が生えていたか、気候はどうだったかがわかる。

 そして青銅である。一般に青銅といえば銅と錫の合金と思われているが、最初は銅と砒素だったってのは意外だ。というのも、錫の鉱山は滅多に見つからないからだ。わかっているのは…

錫鉱山はどこにあったのだろうか?(略)最も可能性のある産地は、アフガニスタンの西武と北部(略)古代の採鉱地は発見されていない。もう一つの可能性はザラフシャン川流域で、ここでは古代世界最古の錫鉱山がサラズム(タジキスタン北西部)の遺跡付近で見つかっている。
  ――第16章 ユーラシア・ステップの開放

 とすると、メソポタミアやインドでは、どうやって錫や青銅を手に入れたのか。こういった多くの証拠から浮かび上がってくるのは、実に壮大な古代人類の交易ネットワークなのだ。なんかワクワクしてきませんか。

 一般向けのフリをしているが、とんでもない。考古学者がプロに向けて書いた、本格的な専門書である。それだけに証拠固めは詳細を極め、正直ウザいと感じる部分も多い。また出てくる地名も馴染みのないロシア語が多く、そこでつっかえたりもする。が、時代の霞を越えてうっすらと見えてくるビジョンは、胸躍るものがある。充分に体力と気力を整えて挑もう。

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2019年6月12日 (水)

ゼナ・ヘンダースン「ピープル・シリーズ 果てしなき旅路」ハヤカワ文庫SF 深町真理子訳

「また口をきいてしまった!」
  ――p13

「できるだけひととちがったままでいらっしゃい!」
  ――p94

わたしは≪故郷≫を覚えている。
  ――p163

「子供というのは、いつの場合も、毛色の変わっている人間にたいして残酷なものですよ」
  ――p226

「ぼくはもう人間になろうとは思わないんだ」
  ――p362

ぼくらは出てゆこう。このみすぼらしいたまり場から出てゆこう。どこかほかのところへゆこう――ぼくらがだれに恥じることもなく、つねにぼくら自身でいられる場所に!
  ――p399

【どんな本?】

 1950年代から1960年代に活躍したアメリカのSF作家、ゼナ・ヘンダースンの人気シリーズ「ピープル」シリーズの短編を元に、長編に仕立てた作品集。

 19世紀末。遭難した宇宙船が、地球に墜落した。乗っていたのは、見た目は地球人そっくりだが、幾つかの奇妙な能力を持つ者たち。彼らの一部は墜落する前に脱出はできたが、ちりぢりになってしまう。やがて仲間を見つけた者たちは、人里離れた山奥に町を作り、外の者たちとは深く付き合わないようにして暮らすようになる。

 そして50年ほどが過ぎた。町の人々は、安定して平穏な暮らしを続けながら、遭難の際にはぐれた仲間とその子孫≪同胞≫を、探し続けている。自分たちの正体が普通の人間たちに露見しないよう、慎重に、注意深く。

 「アララテの山」「ギレアデ」「ヤコブのあつもの」「荒野」「囚われびと」「ヨルダン」を含む。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は PILGRIMAGE, by Zenna Henderson, 1959。日本語版は1978年7月15日発行。文庫本で縦一段組み本文約427頁に加え、谷口高夫のあとがき4頁。8ポイント43字×20行×427頁=367,220字、400字詰め原稿用紙で約917枚。上下巻でもいい分量。

 さすがに50年以上も前の作品だけに、文章はやや古風だ。もっとも、著者は小学校の教師を長く勤めている人でもあるので、元がお行儀のよい文体なんだろう。ピープルたちは宇宙人って設定になっているけど、それを除くとむしろファンタジイに近く、「異世界から来た魔法使い」でも充分に通じそうだ。そんなわけで、理科が苦手な人でもファンタジイが好きなら大丈夫。

 敢えて言えば、学校が舞台の作品が多いので、アメリカの初等・中等教育制度を知っているといい(→Wikipedia)。日本だと新学期は春に始まるが、アメリカでは秋に始まる。また日本の小学校は6年生までだが、この作品では8年生(日本の中学2年生に当たる)まで同じ学校に通っている。子供が少ない地域では、小学校と中学校を一緒にしちゃってるんだろう。

【感想は?】

 ああ、これは確かにSFファンにウケるわ。

 これが雑誌に発表されたのは1950年代。今でこそSFやファンタジイはスターウォーズやらターミネーターやらパシフック・リムやらと、ハリウッドが社運をかけて大金をつぎ込む目玉商品になった。

 でも、昔は違った。SFは子供のもの、みたいな目で見られた。いい歳こいてUFOや怪獣を信じている変な奴、というのがSFファンに対する世間の目だった。当然ながら、SFファンは地元じゃ異端・少数派とされ、表立ってはSFに興味のないフリをして暮らす者も多かった。だからといって、身についてしまった習性をなくすこともできない。

 いかに文明が進んだアメリカとはいえ、1950年代である。インターネットなんて便利なものはない。今なら Facebook や Twitter など SNS で同志を募れば、全国いや世界中から同好の志が集まるだろう。でも当時はそんなモノはなかった。大都市に住んでいれば大きな書店で専門誌が手に入り、「おたより」欄で文通相手も見つけられるだろうが、ロクに書店もない田舎じゃそうもいかない。

 そんな孤独を抱えた当時のSFファンの立場は、この作品で描かれる≪同胞≫たちの姿と見事にカブる。

 この作品は、雑誌掲載の六編に、繋ぎの物語を加えて、長編に仕立てたものだ。その全てが、ほぼ同じパターンで話が進む。舞台は、世間が狭く住民同士がみな顔見知りな田舎だ。そこに、≪同胞≫でありながら、それを知らず、世間に正体を隠し孤独に暮らしている者(たち)がいる。彼(ら)は、自分が変わり者であり、正体を暴かれたらタダでは済まないと、今までの人生で思い知らされている。

 そこに≪同胞≫が現れる。ただし、正体を隠して。お互いに本性を隠しつつ、だが少しづつ相手が不思議な能力を持っている事に気がつく。そして、はぐれていた≪同胞≫を、仲間に迎え入れるのだ。

 なんとまあ、甘く心に訴える話である事か。田舎の狭い社会で孤立しながらも趣味をあきらめきれない当時のSFファンは、「これこそ俺の求めていたモノだ」と叫んだだろう。変わり者が抱える孤独、はみ出してしまう者の悲哀は、何度も繰り返し描かれる。中でも「囚われびと」に登場するフランチャー・キッドに、「彼はオレだ!」と己の姿を重ねた少年は全米各地にいたはずだ。

 もちろん、この作品の魅力はそれだけじゃない。いかにもこの著者ならではの、強烈な個性が溢れている。

 ≪同胞≫は超能力を持つ。これがハリウッドのSF大作なら、人類 vs ≪同胞≫の大戦争になるところだ。が、この作品には、ほとんど戦闘場面がない。暴力的と言えるのは、せいぜいがイタズラした悪ガキを懲らしめる場面ぐらいだ。

 そのかわりに、≪同胞≫たちの超能力は、実にバラエティ豊かである。例えば、空を飛ぶ能力。超能力物では当たり前のように登場する能力だが、このお話では見事なヒネリが入っていて、上手に制御しないとかなり間抜けな羽目に陥ってしまうw また、「ヤコブのあつもの」では、この能力が仇となって、なかなかに奇妙な光景が繰り広げられたりw 町中がそれじゃ、まるきしゾンビの群れだw

 派手なバトルシーンもなければ、18禁な場面もない。でも、この作品に描かれた≪同胞≫と同じ想いを抱えた少年少女は、いつの時代にだっている。時代背景などを小中学生向きにアレンジした「超訳」で出せば、今でも充分にヒットする作品だ。そうやって未来ある若者をSF沼に引きずり込んでしまえ。

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2019年6月 9日 (日)

セス・スティーヴンズ=ダヴィッドウィッツ「誰もが嘘をついている ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性」光文社 酒井泰介訳

よきデータサイエンスの方法はえてして直感的だが、結果は往々にして反直感的である。
  ――第1章 直感は裏切り者

ビッグデータ革命の勝負では、より多くのデータを集めるよりも、正しいデータを集めるほうが大切だ。
  ――第3章 何がデータになるのか 驚くべき新データの世界

ソーシャルメディア(SNS)上では、サーベイと同じく、真実を述べるインセンティブが働かない。
  ――第4章 秘められた検索

ビッグデータなら有意義な下位集団に絞り込んで人の性質について新たな洞察が得られる。
  ――第5章 絞り込みという強力な手法

「このデータで証券市況を予測できると思うかい?」
  ――第7章 できること、できないこと

本書の場合それは、社会科学は本物の科学になりつつあるということだ。
  ――結びに ここまで読み通した人は何人?

【どんな本?】

 Amazon で本を調べると、「よく一緒に購入されている商品」が出てくる。Twitter は、「おすすめユーザー」を教えてくれる。私が Youtube を開くと、70年代または70年代風のロックが「あなたへのおすすめ」にズラリと並ぶ。おかげで私はポール・ロジャースの歌声に不自由しない。ちなみにエッチなのは別のサイトで…いえ、なんでもない、ないったら!

 Amazon も Twitter も Youtube も、別に私の好みを知っているワケじゃない。知っているのは、今まで私が何を見たか、だ。そこから推測して、私の好みに合うものを薦めてくる。と言ってしまえば簡単だが、では、どうやって推測するんだろう?

 彼らは膨大な数の利用者を抱えている。その中には、私と好みが似ている人がいる。そこで、例えば Youtube なら、私に似た人が見ていて、私が見ていない動画を、私に薦めるのだ。

 似たような事を、Google や Facebook もやっている。私たち利用者が「どう使ったか」のデータを集め、より使いやすく、より楽しく使えるように、日々工夫しているのだ。だってたくさん使ってもらった方が儲かるし。

 と同時に、集まったデータの一部も公開している。例えば Google トレンド は、指定したキーワードが、いつ、どこから、どれぐらい検索されているかを教えてくれる。おお、津原泰水さん人気爆発してるなあ←記事を書いてる最中に遊ぶな

 いずれも、膨大なデータが集まったからこそ出来ることだ。また、インターネットが普及して多くの人が使っていること、そして大量のデータをコンピュータが処理できるようになったことも大きい。

 このような「ビッグデータ」は、私たちの意外な姿を明らかにしてくれる…場合も、ある。また、地域の治安や健康状態の向上にも役立つ。と同時に、使い方によっては困った事もできてしまう。

 ビッグデータとは何なのか。それで何ができて、何ができないのか。ビッグデータはどこにあるのか。どのように使うのか。そして、ビッグデータが暴き出した私たちの正体は、どんな姿をしているのか。それが何の役に立つのか。

 哲学と経済学を専攻した著者が、ビッグデータの基礎と面白話を集め、社会学の革命を目論む問題の書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は EVERYBODY LIES, by Seth STephens-Davidowitz, 2018。日本語版は2018年2月20日初版第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約314頁。9.5ポイント42字×17行×314頁=約224,196字、400字詰め原稿用紙で約561枚。文庫本なら普通の厚さの一冊分。

 文章はこなれている。内容も難しくないし、適度に野次馬根性を刺激するネタが入っているので、意外とスラスラ読める。社会学の本でこれほど楽しく読める本は珍しい。敢えて言えば、アメリカ人向けに書いているため、特にバスケットボールやアメリカンフトボールの例がピンとこないかも。

【構成は?】

 各章は比較的に独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。ただし、終盤で明らかになるのだが、けっこう真面目かつ理論的な話もしていて、それの全体像をつかむには素直に頭から読んだ方がいい。

  • 序文 スティーブン・ピンカー
  • 序章 いま起きているビッグデータ革命
  • パートⅠ 
  • 第1章 直感は裏切り者
  • パートⅡ 
  • 第2章 夢判断は正しいか?
  • 第3章 何がデータになるのか 驚くべき新データの世界
  • 第4章 秘められた検索
  • 第5章 絞り込みという強力な手法
  • 第6章 世界中が実験室
  • パートⅢ 
  • 第7章 できること、できないこと
  • 第8章 やってはいけないこと
  • 結びに ここまで読み通した人は何人?
  • 謝辞/注

【感想は?】

 え? 社会学の本なの? 社会学って、こんなに楽しかったっけ?

 とか言い出したくなるぐらい、面白いネタがギッシリ詰まってる。その面白さには幾つかの種類があるんだが、その筆頭は書名にあるとおり、著者の研究が明らかにした人間の本性だ。

 これは序章に巧くネタを配置していて、私たちが興味を持ちそうなネタを軽く紹介してくれる。これは巧い構成だ。映画でいえば、最初に予告編を上映するような感じだ。特に、アクション映画の。

 アクション映画の予告編は、たいていが「これでもか!」というぐらいの爆発の連続だ。そこで「おお!」とは思うが、お話が繋がっていないので、いまいちピンとこない。「いったい、何がどうなってこんなシーンになるんだ?」と気になって、私たちは映画館に足を運ぶ。この本もそんな風に、序章で美味しそうなネタをチラリと見せて、本文へと私たちを誘う。

 で、本文を読むと、やはり期待にキッチリ応えて野次馬根性を満足させてくれる。

 例えば男がポルノを検索する際、女役の職業設定は何を好むのか。これを青年・壮年・高齢者で比べてるんだが、実に意外なのが不動の一位だw きっとこれはアメリカ特有の現象だと思うんだが、どうなんだろうね。どうでもいいけど私の趣味はかなり爺ムサい事もわかってしまった。いや私が惹かれるキーワードは年寄りにウケるんだ。

 こういうシモネタは、やっぱり読んでて楽しい。と同時に、上の例では、もう一つ意外な点が明らかになる。データのソース、ネタ元だ。上では Amazon, Twitter, Facebook, Google を例に出した。もちろん本書ではそれらも使っているが、ポルノの例では PornHub を使っている。ほんと、あらゆる所からデータを調達しているのだ。

 これはインターネットに限らない。例えばアメリカの分断をテーマとするところでは、書籍からデータを得ている。とはいっても、グーグルがスキャンして電子化したモノなんだけど。ここでは、調べ方も面白い。

 合衆国は英語じゃ United States になる。複数形だ。だから、理屈じゃ be 動詞は複数形の are が正しい。が、現在では主に単数形の is が使われる。実は、18世紀じゃ are が多かったのだ。もともと、それぞれ別々だった植民地=州政府が、独立戦争の際に手を組んだってのが成り立ちだし。それがいつの間にか is に変わった。つまり、州政府の連合って感覚から、USA という一つの国って感覚に変わったのだ。

 それがいつごろからなのかを調べるために、どうしたか。書籍の中に出てくる States are と States is の数を、年代別に数えたのだ。まあ、数えるったってヒトが数えるんじゃなくて、プログラムにやらせたんだろうけど。お陰で、意外なことがわかった。従来の歴史学者は「南北戦争の終わりごろ」と主張していたのだが…

 これは単純に数えただけで見当をつけた例だ。だが、書名「誰もが嘘をついている」とあるように、出て来た数字は素直に信用できないって話もいくつかある。その代表がアンケート調査だ。

 要はみんな見栄をはるのだ。そのため、アンケートだと選挙の投票率が高めに出るが、実際はそれより低い。特に性生活じゃ見栄をはる人が多い。例えば性交回数について、本書ではコンドームの消費量で検証している。他にも気になるのが同性愛者の割合。一般に保守的な地域ほど、アンケートで同性愛者だと答える者が少ない。

 いちおう、言い訳はできるのだ。同性愛者は進歩的な所に引っ越すから、と。対して、著者は巧みな方法で覆す。サンプルを高校生に絞るのである。大人なら引っ越せるが、高校生じゃそうはいかない。で、検証してみると、ご想像のとおり。こうやって本性をあぶりだす手口も、読んでいてとっても楽しい。

ちなみに「ネット炎上の研究」では、炎上に火をくべるイイナゴどもを「高年収・ラジオやSNSをよく使う・子持ちの若い男」との相関が強いとしている。が、私はこれを疑っている。だってソースがアンケート調査だし。

 と、そんな風に、ビッグデータを巧く使えばヒトの本性を暴けるのがわかってきた。当然、Google や Facebook も、手をこまねいて見ているわけじゃないよ、なんてのを終盤では明らかにしてくれる。もちろん、他の企業だってイロイロと…

 やっちゃあいるが、その限界も明らかにしているのが、いかにも学者らしい所。そこを書いているのが「第7章 できること、できないこと」。なんだけど、実はここ、多少の確率の素養がないと難しいかも。要は大数の法則なんだけどね。でも、いい加減なニュースに踊らされたいためにも、この章は時間をかけてじっくり読んでいただきたい。

 俗なネタで耳目を集め、ちゃんと野次馬根性は満足させた上で、キチンとその裏付けとなる理屈や手法もわかりやすく説明し、より広い応用の可能性を示して希望を持たせると共に危険性も警告し、また限界があるとも明言し、最後に大風呂敷を広げて「うおお!」と興奮させる、実に読んでて楽しい本だった。

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2019年6月 7日 (金)

Q.Ethan McCallum「バッドデータ ハンドブック データにまつわる問題への19の処方箋」オライリージャパン 磯蘭水監訳 笹井崇司訳

要するに、バッドデータとは邪魔になるデータのことです。
  ――はじめに:バッドデータとは何か?

「バッドデータ」であったからこそ、私たちは新しいことを学べたのです。
  ――7章 バッドデータは起立して

私たちのお粗末な仮説が、データを「バッドデータ」にしているのです。
  ――7章 バッドデータは起立して

早く失敗しよう、たくさん失敗しよう(Fail early, Fail often)
  ――8章 血と汗と尿

経験によれば、分析プロジェクトに費やす時間の80%は、クリーニング、改変、変換などのタスクに費やされるそうです。
  ――15章 データサイエンスのダークサイド

私たちの戦略の中心にあるのが不変性です。私たちの処理のパイプラインがデータを何度も変換しても、私たちはもとのデータを決して変えませんでした(上書きしませんでした)。
  ――17章 データ追跡可能性

【どんな本?】

 必須のはずの項目がない。数字だけのはずなのにテキストが入っている。一部のデータがない。逆に重複している。値が大きすぎる。文字化けする。対応するデータがない。フォーマットが違う。特定範囲の値がない。データが分散している。

 仕事でプログラミングをした事があれば、誰もがこんなデータで困った経験があるだろう。サーバ管理やネットワーク管理などでログを集め分析する際に、ちょっとした道具が欲しくなることもある。ソフトウェアを開発する際には、テストデータも必要だ。最近流行の機械学習も、しつけ方・使い方次第で性能は大きく異なる。

 データの集め方・困ったデータの処理方法・手に入れたデータの検証方法・テストデータの扱い方など、データにまつわる失敗談や成功例を集めた、ソフトウェア・エンジニア向けの濃いエッセイ集。 

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Bad Data Handbook : Mapping the World of Data Problems, by Q. Ethan McCallum, 2013。日本語版は2013年9月25日初版第1刷発行。単行本ソフトカバー横一段組みで本文約280頁。8.5ポイント38字×32行×280頁=340480字、400字詰め原稿用紙で約852枚。文庫本なら厚い一冊分。

 文章はオライリーの標準的な水準。察してください。サンプル・ブログラムも幾つか載っていて、使っているプログラム言語は awk, perl, R, Python, SQL など。でも私は大半のソースをトバして読んだ。それぞれの言語を知らなくても、プログラミング経験者なら、地の文を読めばだいたい分かります。そもそもプログラムに関する本じゃなくて、データに関する本だし。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしていい。

  • 監訳者まえがき/著者について/まえがき
  • 1章 はじめに バッドデータとは何か?
  • 2章 気のせいかな。このデータ、何かおかしくないか?
  • 2.1 データ構造を理解する
  • 2.2 フィールドの検証
  • 2.3 値の検証
  • 2.4 単純な統計による物理的解釈
  • 2.5 可視化
  • 2.6 キーワードPPCの例
  • 2.7 検索参照の例
  • 2.8 推薦分析
  • 2.9 時系列データ
  • 2.10 まとめ
  • 3章 機械ではなく人間が使う事を意図したデータ
  • 3.1 データ
  • 3.2 問題:人間が使うためにフォーマットされたデータ
    • 3.2.1 データの配置
    • 3.2.2 複数ファイルにわたるデータ
  • 3.3 解決策:コードを書く
    • 3.3.1 扱いにくいフォーマットからデータを読み込む
    • 3.3.2 複数のファイルにわたるデータを読み込む
  • 3.4 あとがき
  • 3.5 ほかのフォーマット
  • 3.6 まとめ
  • 4章 プレーンテキストに潜むバッドデータ
  • 4.1 プレーンテキストのエンコーディング
  • 4.2 テキストエンコーディングの推測
  • 4.3 テキストの正規化
  • 4.4 問題:アプリケーション固有文字のプレーンテキストへの漏れ出し
  • 4.5 Python を使ったテキスト処理
  • 4.6 練習問題
  • 5章 Webにあるデータの(再)構成
  • 5.1 データを直接入手できないか?
  • 5.2 一般的なワークフロー
    • 5.2.1 robots.txt
    • 5.2.2 パターンの特定
    • 5.2.3 パースのためにオフライン版を保存する
    • 5.2.4 ページから情報をスクレイプする
  • 5.3 現実の難しさ
    • 5.3.1 できるだけ生のコンテンツをダウンロードする
    • 5.3.2 フォーム、ダイアログボックス、新規ウィンドウ
    • 5.3.3 Flash
  • 5.4 ダークサイド
  • 5.5 まとめ
  • 6章 オンラインレビューから嘘つきと混乱した人を発見する
  • 6.1 Weotta
  • 6.2 レビューの入手
  • 6.3 センチメント分類
  • 6.4 極性のある言葉
  • 6.5 コーパス生成
  • 6.6 分類器のトレーニング
  • 6.7 分類器の検証
  • 6.8 データによる設計
  • 6.9 学んだこと
  • 6.10 まとめ
  • 6.11 リソース
  • 7章 バッドデータは起立して
  • 7.1 例題1:製造時の欠損削減
  • 7.2 例題2:だれが電話をかけたのか?
  • 7.3 例題3:「平均値」が「標準的な値」とみなせないとき
  • 7.4 学んだこと
  • 7.5 これはテストに出ますか?
  • 8章 血と汗と尿
  • 8.1 とってもオタクな入れ替わりコメディ
  • 8.2 化学者による数値の作り方
  • 8.3 All Your Database are Belong to Us
  • 8.4 チェックしよう
  • 8.5 人生は太く短く、見栄えの良いコードを残すべし
  • 8.6 化学者とスプレッドシート乱用者のためのリハビリ
  • 8.7 まとめ
  • 9章 データと現実が一致しないとき
  • 9.1 それは何のティッカー?
  • 9.2 分割、配当、単位変更
  • 9.3 バッドリアリティ
  • 9.4 まとめ
  • 10章 バイアスとエラーの源
  • 10.1 補完バイアス
  • 10.2 報告エラー
  • 10.3 その他のバイアス源
    • 10.3.1 トップコーディング、ボトムコーディング
    • 10.3.2 継ぎ目バイアス
    • 10.3.3 代理報告
    • 10.3.4 サンプル選択
  • 10.4 まとめ
  • 10.5 参考文献
  • 11章 最善は善の敵、バッドデータは本当にバッドなのか?
  • 11.1 大学院時代
  • 11.2 プロフェッショナルな世界へ
  • 11.3 政府の仕事へ
  • 11.4 行政データという現実
  • 11.5 911緊急通報データ
  • 11.6 さらに先へ
  • 11.7 学んだこと、そして今後の展望
  • 12章 ファイルにこだわる
  • 12.1 昔のはなし
    • 12.1.1 ツールセットの構築
    • 12.1.2 データストアという障害
  • 12.2 ファールをデータベースと見なす
    • 12.2.1 ファイルはシンプル
    • 12.2.2 ファイルは何にでも使える
    • 12.2.3 ファイルには何でも入れられる
    • 12.2.4 データ破損が局所的である
    • 12.2.5 すばらしいツールがある
    • 12.2.6 導入コストがかからない
  • 12.3 ファイルの概念
    • 12.3.1 エンコーディング
    • 12.3.2 テキストファイル
    • 12.3.3 バイナリデータ
    • 12.3.4 メモリマップドファイル
    • 12.3.5 ファイルフォーマット
    • 12.3.6 区切り文字
  • 12.4 ファイルに基づいたWebフレームワーク
    • 12.4.1 モチベーション
    • 12.4.2 実装
  • 12.5 考察
  • 13章 Crouching Table, Hidden Network
  • 13.1 リレーショナルなコスト配分モデル
  • 13.2 組み合わせ爆発という繊細な響き
  • 13.3 隠れたネットワークが現れる
  • 13.4 グラフを格納する
  • 13.5 Gremlinを使ったグラフのナビゲート
  • 13.6 ネットワークプロパティに価値を見いだす
  • 13.7 複数のデータモデルから、仕事にふさわしいツールを使う
  • 13.8 謝辞
  • 14章 クラウドコンピューティングの神話
  • 14.1 クラウド入門
  • 14.2 「クラウド」とは何か?
  • 14.3 クラウドとビッグデータ
  • 14.4 フレッドについて
  • 14.5 最初はすべてがうまくいっている
  • 14.6 すべてをクラウドのインフラに任せる
  • 14.7 成長に合わせて、最初は簡単にスケールする
  • 14.8 やがて問題が起こり始める
  • 14.9 パフォーマンスを改善する必要がある
  • 14.10 高速なI/Oが必要になる
  • 14.11 局所的な機能停止が大規模なサービス停止を引き起こす
  • 14.12 高速なI/Oは高くつく
  • 14.13 データサイズが増加する
  • 14.14 地理的冗長性が最優先になる
  • 14.15 水平方向のスケールは思っていたほど簡単ではない
  • 14.16 コストは劇的に増加する
  • 14.17 フレッドの愚かさ
  • 14.18 神話1:クラウドはあらゆるインフラ構成要素にとって、素晴らしい解決策である
    • 14.18.1 この神話はフレッドの話にどう関係するのか
  • 14.19 神話2:クラウドはお金を節約する
    • 14.19.1 この神話はフレッドの話にどう関係するのか
  • 14.20 神話3:クラウドのI/Oパフォーマンスは、ソフトウェアRAIDによって許容できるレベルにまで改善される
    • 14.20.1 この神話はフレッドの話にどう関係するのか
  • 14.21 神話4:クラウドコンピューティングは水平方向のスケールを簡単にする
    • 14.21.1 この神話はフレッドの話にどう関係するのか
  • 14.22 まとめ
  • 15章 データサイエンスのダークサイド
  • 15.1 落とし穴を避ける
  • 15.2 汝、データについて知るべからず
    • 15.2.1 データをきれいにしてまとめる際には一貫性を持つべからず
    • 15.2.2 データは正しく完全だと思え
    • 15.2.3 時間区切りデータのあふれ
  • 15.3 汝、データサイエンティストにあらゆるタスクのための単一ツールを与えよ
    • 15.3.1 アドホックな分析のためにプロダクション環境を使う
    • 15.3.2 理想的なデータサイエンス環境
  • 15.4 汝、分析のために分析せよ
  • 15.5 汝、学びを共有するべからず
  • 15.6 汝、データサイエンティストに全能を期待せよ
    • 15.6.1 データサイエンティストは組織のどこにいるのか?
  • 15.7 最後に
  • 16章 機械学習の専門家の手なづけ方
  • 16.1 問題を定義する
  • 16.2 作る前に、うまくいっているふりをする
  • 16.3 トレーニングセットを作成する
  • 16.4 特徴を選び出す
  • 16.5 データをエンコードする
  • 16.6 トレーニングセット、テキストセット、ソリューションセットに分ける
  • 16.7 問題を説明する
  • 16.8 質問に答える
  • 16.9 解決策を統合する
  • 16.10 まとめ
  • 17章 データ追跡可能性
  • 17.1 なぜ?
  • 17.2 個人的経験
    • 17.2.1 スナップショット
    • 17.2.2 情報源の保存
    • 17.2.3 情報源の重み付け
    • 17.2.4 データを元に戻す
    • 17.2.5 フェーズを分ける(そしてフェーズを純粋に保つ)
    • 17.2.6 根本原因を特定する
    • 17.2.7 改善領域を見つける
  • 17.3 不変性:関数型プログラミングからアイデアを拝借する
  • 17.4 例題
    • 17.4.1 クローラー
    • 17.4.2 変更
    • 17.4.3 クラスタリング
    • 17.4.4 人気
  • 17.5 まとめ
  • 18章 ソーシャルメディア:消去可能インク?
  • 18.1 ソーシャルメディア:これはだれのデータか?
  • 18.2 コントロール
  • 18.3 商用再配信
  • 18.4 コミュニケーションと表現に関する期待
  • 18.5 新しいユーザが抱く期待の技術的影響
  • 18.6 業界は何をするのか?
    • 18.6.1 検証API
    • 18.6.2 更新通知API
  • 18.7 エンドユーザは何をすべきか?
  • 18.8 どのように協業するのか?
  • 19章 データ品質分析の解明:データが十分良いときを知る
  • 19.1 フレームワークの紹介:データ品質分析の四つのC
  • 19.2 完全である
  • 19.3 一貫している
  • 19.4 正しさ
  • 19.5 説明責任
  • 19.6 まとめ
  • 索引

【感想は?】

 ベテラン・プログラマの「あるある」集。

 多少なりとも仕事でプログラムを作った経験があるなら、一度は変なデータに手ひどく痛めつけられた経験があるだろう。特に、人間が入力したデータは危ない。数字のカラムのはずなのに、atoi() で変換できないとか。

 原因は位取りのカンマだったり、全角の数字だったり。酷いのになると、漢数字なんてのもある。そういうので苦労した経験がある人には、特に前半じゃ苦笑いが止まらない。そういえば日本のプログラマなら、みんな苦しむ「住所を都道府県・市町村・所番地に分割する」なんて問題もあるね。

 やはり日本のプログラマが昔から悩んでいた問題を扱ったのが、「4章 プレーンテキストに潜むバッドデータ」。要は文字コードの問題だ。最近は「とりあえず Unicode でいいじゃん」的な風潮になりつつあるが、古いデータだと姓名とかに外字が入ってたりするからタチが悪い。まあ、ここではそこまで突っ込んだ話はなく、HTTP や URL などの独自エンコーディングぐらいに留めてある。

 最近になると Web が流行って、様々なデータを集めやすくはなったけど、それをプログラムに食わせるとなると、これまた一筋縄じゃ行かない。各自治体が発表している統計データも、自治体ごとにサイトの構成もデータ形式も違う。Excel なら可愛い方で、中には PDF や Flash なんて凶悪な奴も。ほんと、皆さん一度はこう叫んだことがある筈だ。

最初から人間ではなくコンピュータが使えるようなフォーマットにしておけばよかったのに。
  ――3章 機械ではなく人間が使う事を意図したデータ

いやホント、政府が主導して XML の標準形式を定めてくれればいいのに。いまだに発想が紙ベースなんだよなあブツブツ。

そんな風に Web 経由でデータを集めようとすると、他にも色々と困ることがある。なにせ相手は「人に見せる」ために作っているので…

以前、何日か実行していたWebスクレイピングのスクリプトが突然エラーを吐き始めたことがありました。問題は、Webサイトがまったく違うデザインになったことでした。
  ――5章 Webにあるデータの(再)構成

 ああ、あるねえ。まあ、人様のデータを勝手に頂いてるんだから、文句も言えないシクシク。酷いのになると、訴訟沙汰になったり(→Wikipedia)。もっとも、中には Facebook や Twitter みたく親切な所もあって…

スクレイピングを最小限にするためによく利用されているのは、スクレイパーが実際に欲しがっているデータのための公式チャンネルを提供することです。
  ――18章 ソーシャルメディア:消去可能インク?

 ほんと、先の事件も全国の図書館が協力して蔵書 XML の標準形式を…って、もうあるみたいだ。おかげでカーリルなんて嬉しいサービスも始まった。ラッキー。

 データが集まったからといって安心しちゃいけない、と教えてくれる「7章 バッドデータは起立して」「9章 データと現実が一致しないとき」「10章 バイアスとエラーの源」「11章 最善は善の敵、バッドデータは本当にバッドなのか?」は、コードが少ない分、コラムとして面白かった。

 また「6章 オンラインレビューから嘘つきと混乱した人を発見する」は、自然言語処理ネタとして楽しめる。うん、確かにお気に入りを自分だけのモノにしたいって気持ちはわかるw 終盤では「14章 クラウドコンピューティングの神話」や「16章 機械学習の専門家の手なづけ方」など、大規模データにまつわる話も出てくる。案外と機械学習って、根気のいる地道な繰り返し作業も多いのね。

 そんな大容量データとくればデータ・マイニング。私も名前は知ってるけど中身はよくわからない。これは私だけじゃなく経営者も同じで、中にはこんな無茶ぶりする人も。

「データのところへ行って、価値を見つけてこい!」
  ――15章 データサイエンスのダークサイド

 わはは。コンピュータ絡みの世界って、昔から変わんないなあ。そこのシステム屋さん、似たような事を言われた経験、ありませんか?

 などと無駄口を叩いてなんとか記事をデッチあげたけど、実は記事を書いてるよりアクセス・ログを眺めている時間の方が多かったりする。そんなヒマがあったら、もっと面白い記事をかけよ、などと思ったりもするけど、この本は心強い言葉で締めくくられている。

データを調べている時間は必ず有意義である。
  ――19章 データ品質分析の解明:データが十分良いときを知る

 うん、そうだよね、きっと私がログを眺めている時間だって無駄じゃないはずだ←をい

【関連記事】

【おまけ:バッドデータの例】

 なんて言うほどでもないけど。このブログ、ときおり「著者別の書評一覧」が欲しくなったりする。「書評一覧」なんて記事があるぐらいだから、簡単そうに思えるけど、実は意外と手ごわい。というのも、他でもない、バッドデータがうじゃうじゃあるからだ。

 基本的に、記事タイトルはこんな形になっている。

著者名「書名」出版社 [ 訳者 ]

 ところが、こうなってない記事が幾つもあるのだ。例えば…

  1. SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2019年版」早川書房
  2. 宮内悠介短編集「超動く家にて」東京創元社
  3. 日下三蔵編「日本SF傑作選4 平井和正 虎は目覚める/サイボーグ・ブルース」ハヤカワ文庫JA
  4. 大森望・日下三蔵編「年刊日本SF傑作選2013 さよならの儀式」創元SF文庫
  5. C.L.アンダースン(サラ・ゼッテル)「エラスムスの迷宮」ハヤカワ文庫SF 小野田和子訳
  6. ギレルモ・デル・トロ&チャック・ホーガン「ストレイン 永遠の夜 上・下」ハヤカワ文庫NV 嶋田洋一訳

 また、表記の「ゆれ」もある。カート・ヴォネガットとカート・ヴォネガット・ジュニア、ベルナール・ウェルベルとベルナール・ウエルベルとベルナール・ヴェルベールとか。

 加えて、「スタートボタンを押してください」みたくアンソロジーになると、多数の著者が寄稿してて、かつ著者名は記事本文の中に埋もれてたり。

 この程度のブログでさえ、書籍データをキチンと定型化できてない。となると、すべての書籍のメタデータを規格化しようとしたら、どれほどの「想定外のパターン」が出てくることか。これをすべて洗い出すってのは、かなりシンドい仕事になるはずだ。モノゴトをコンピュータが扱えるようにデータ化するってのは、そういう事なんです。

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2019年6月 5日 (水)

森奈津子「セクシーGメン 麻紀&ミーナ」徳間書店

「きみたちの新たな任務だが、次の二組の夫婦に健全なる夫婦生活の場を提供してほしい」
  ――スワッピング大作戦!の巻

「そ、そんなけがらわしい行為を、一体、だれがしろとおっしゃるんですっ?」
  ――オナニスト・クラブに潜入せよ!の巻

(仲良き事は美しき哉)
  ――変態性欲夫婦を矯正せよ!の巻

【どんな本?】

 SFとSMの境界を容赦なく踏みにじり、読者の理性と腹筋を破壊する魔性の作家、森奈津子による変態ポルノSFギャグ作品集。

 近未来の日本。少子高齢化に悩む政府は、婚姻する男女を様々な形で厚く優遇している。しかし、この制度にタダ乗りする形で偽装結婚する者たちや、自分たちの主義主張によって子をもうけぬ者たちもいた。これらの不届きな者たちに正しい夫婦の在り方を指導するため、厚生労働省は秘密組織を結成する。少子化対策局夫婦生活捜査課、人呼んでセクシーGメン。

 その実体は謎に包まれていた。噂では好色な美男美女によって組織され、セックスレスが発覚した夫婦は組織によって厳しい矯正措置を受けると言われている。

 スレンダーでクールな香田麻紀と、グラマーでコケティッシュな瀬戸ミーナは、セクシーGメンである。今日も厳しい上司の山縣ヒロ子課長の命により、セックスレス夫婦に正しい性の営みを指導すべく、勤務に邁進するのであった。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2011年7月31日初刷。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約238頁に加え、あとがき3頁。9ポイント45字×19行×238頁=約203,490字、400字詰め原稿用紙で約509枚。文庫なら普通の厚さの一冊分。

 文章はこなれていて読みやすい。内容は…って、普通に変態SMポルノですw

【収録作は?】

 それぞれ 作品名 / 初出。

スワッピング大作戦!の巻 / 週刊アスキー2007年7月3日号,7月10日号,7月17日号,7月24日号
 獲物もとい任務は二組の夫婦。片や20代の芸術家と大学講師、一方は壮年の医師と女優。上司の山縣の命が下ったのは深夜にもかかわらず、麻紀はさっそく行動に移る。任務に熱心なのか単に好色なのか。それはともかく、麻紀とミーナはターゲットの確保を確保し…
 出だしからオヤジなキャラ丸出しなミーナちゃんが、なんというかw 今の若い女性歌手の衣装は大人しいけど、昔のピンクレディとかはなかなかに過激でありました。いやあいい時代だったなあ←をい クールビューティーな麻紀さん、ちょっと見は凄腕のように見えるけど、最中のチョッカイはどうなのよw もしかして邪魔されると余計に燃えるロミオとジュリエット効果を狙ってるとか?
ハネムーンに介入せよ!の巻 / 週刊アスキー2007年9月18日号,9月25日号,10月2日号,10月9日号、10月16日号
 バリの一流ホテルで優雅な休暇を過ごす麻紀とミーナに、突然の任務がおりてきた。ターゲットは20代で新婚一カ月の若き夫婦、しかしセックスレス歴は3年11カ月に及ぶ。どうやら法的な優遇措置を目当てに入籍したと思われる。二人をまっとうな夫婦に導くか、または婚姻関係を解消させるか、麻紀とミーナは奮闘するのだが…
 二話目ということか、段々と筆が乗ってきた感があって、何より最中の会話がやたらと楽しいw この夫婦、セックスレスとはいえ、ちゃんとお互いを理解し合い尊重し合ってる上に趣味もピッタリで、コンビネーションも息があってるあたり、実に似合いの夫婦なんだけどw 何より道正君のAV論に激しくうなずいてしまうw いやピアノとサンタクロースもいいけどw
オナニスト・クラブに潜入せよ!の巻 / 週刊アスキー2007年10月23日号,10月30日号,11月6日号
 今回の任務は危険である。なにせ秘密クラブへの潜入捜査だ。身元が露見したらタダでは済まない。クラブの名は「オナンの会」。その名のとおり、セックスを拒みオナニーに邁進する者たちの組織である。しかも会員は筋金入りで、セックスレス歴3年以上の猛者ばかりだ。なんとか会場に潜り込んだ麻紀とミーナだが、さっそく麻紀の正体が暴かれてしまい…
 麻紀さん推しの人には嬉しいやら切ないやらの回。つか、なんちゅう羨ましい罰だw ぜひ私もw 「変態には…」ってあたりから、著者の筆はノりにノるw かといって、モテない若者の傷口に容赦なく塩をすりこむのはいかがなものかとw つか麻紀さん、「過去にたしなんでいたもので」って、をいw 終盤での展開は、かの迷作「花と指」を彷彿とさせるスペクタクルですw
SMカップルを裁け!の巻 / 週刊アスキー2007年11月13日号,11月20日号,11月27日号,12月4日号
 弁護士の笹野文太29歳と会社経営者35歳、結婚歴2年6カ月の夫婦のセックスレス歴は5年6カ月に及ぶ。二人はSMカップルである。SMそのものは非難されることではない。性交そして妊娠に至るための段階としてなら、政府は関知しない。しかしSMに入れ込むあまり、性交すら拒むとあらば、セクシーGメンの出番である。
 やっぱりこの人が描くマゾヒストの心情は、かの名作「哀愁の女主人、情熱の女奴隷」で存分に実証済みなわけで、実に楽しいw 特にこの夫婦の場合、そこにキチンとスジを通してるあたり、むしろ尊敬の念すらおぼえてしまうw とはいえ、セクシーGメンにとってマゾヒストってのはなかなかに厄介な相手でw
変態性欲夫婦を矯正せよ!の巻 / SF Japan 2010Autumn
 本間定夢28歳会社員、ユキ25歳公務員。結婚2年1カ月ながらセックスレス歴4年4カ月。いずれも羨まれる職に就いた夫婦であり、また異性愛者でもある。にもかかわらず、両者は妊娠へとつながるセックスを頑なに拒むばかりか、ネットで自らの変態セックスを堂々と喧伝するありさまである。この夫婦を矯正すべく、麻紀とミーナは任務に邁進するのだが…
 序盤、生真面目で理想に燃える山縣課長の演説が楽しい楽しいw それに対して趣味を貫徹しようとする夫婦の主張も、妙に説得力があったりなかったりw かと思えば、それに反論するミーナの理屈も、あってるような違うようなw 麻紀もミーナも山縣課長もガックリきてるけど、これはこれでハッピーエンドだからいいんじゃないかなw
偽装結婚を粉砕せよ!の巻 / SF Japan 2011Spring
 母からの見合いの勧めも断り、麻紀と添い遂げ得ようと考えていたミーナに、衝撃が走った。なんと、麻紀が婚約したというのだ。相手は同僚の伊部、両刀使いの男である。
 今までとは打って変わって、かなりシリアスな作品。いやちゃんとアレな場面はあるんだけど。しかも、ちゃんとSFになってる。それも、かなりまっとうな。いやありがちなオチなんだけど、それを森奈津子ならではの解釈で全く別の形に着地させた、佳作SF短編。

 直前に読んだがズッシリと重い作品なので、気分をリセットすべく頭のネジを緩めてくれる本を選んだんだが、見事に大当たり。やっぱり森奈津子の斜め上にブッ飛んだ発想と異常な状況で連発するギャグは、脳みそをグチャグチャにシェイクしてくれる。中でも、煩悩まみれな小僧をイカれきった設定に投げ込む「オナニスト・クラブに潜入せよ!の巻」が好きだなあ。

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2019年6月 4日 (火)

マイケル・ギルモア「心臓を貫かれて」文藝春秋 村上春樹訳

僕らはいったい何を引き継いだのだろう? そしてそれはどこからやってきたのだろう? それが問題なのだ。
  ――夢

「あいつがそばまで迫っていたんだ」
  ――第2部 黒い羊と、拒絶された息子 第4章 さすらいの年月

「母さん、大丈夫だよ」と彼(ゲイリー)は言った。「俺が自分を傷つけてほどには、誰にも俺を傷つけることはできないんだから」
  ――第5部 血の歴史 第1章 ターニング・ポイント

【どんな本?】

 1977年1月17日、アメリカ合衆国ユタ州で死刑が執行される。処刑されたのはゲイリー・ギルモア(→Wikipedia)、罪状は二件の殺人。幼い頃から犯罪を繰り返し、人生の半分以上を監獄で過ごした男の末路だった。当時のアメリカでは死刑廃止に向けて動きつつあった。しかしゲイリーは自ら死刑を望み、当時のアメリカに大きな議論を巻き起こす。

 著者はゲイリーの弟である。父フランク、母ベッシーの間には四人の男の子がいた。長男フランク・ジュニア、次男ゲイリー、三男ゲイレン、そして四男の著者マイケル。

 ゲイリーは殺人の科で死刑となり、その前にゲイレンは刺された怪我が元で亡くなっていた。彼ら呪われた一族はいかにして生まれ、どのように暮らしてきたのか。

 ローリングストーン誌などに寄稿し筆力を磨いた著者が、長兄フランク・ジュニアなどの協力を得て描き出した、壮絶な一家の愛憎の物語。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Shot in the Heart, by Mikal Gilmore, 1994。日本語版は1996年10月15日第一刷。単行本ハードカバー縦二段組み本文約582頁に加え、訳者あとがき15頁。8.5ポイント25字×20行×2段×582頁=約582,000字、400字詰め原稿用紙で約1455枚。文庫本なら上中下の三巻ぐらいの大容量。今は文春文庫から上下巻で出ている。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。敢えて言えば、舞台の多くがアメリカの1940年代~1960年代なので、その頃の風俗を知っていると迫真感が増すかも。

【構成は?】

 ほぼ時系列で話が進むので、できれば頭から読んだ方がいい。

  • プロローグ
  • 第1部 モルモンの幽霊
  • 第1章 兄弟
  • 第2章 血の絆
  • 第3章 ジョーダン・レインの家
  • 第4章 アルタと死んだインディアン
  • 第2部 黒い羊と、拒絶された息子
  • 第1章 黒い羊
  • 第2章 拒絶された息子
  • 第3章 フェイの秘密
  • 第4章 さすらいの年月
  • 第5章 定着した一家
  • 第3部 兄弟
  • 第1章 見知らぬ者たち
  • 第2章 片隅の少年
  • 第3章 青春の暴走
  • 第4章 父との暮らし
  • 第4部 ある種の人々の死にざま
  • 第1章 兄たちの肖像
  • 第2章 丘の上の家
  • 第3章 あるセールスマンの死
  • 第4章 レクイエム
  • 第5章 武装強盗事件
  • 第6章 離散する家族
  • 第7章 それぞれの帰還
  • 第8章 反抗
  • 第9章 歩く死者
  • 第5部 血の歴史
  • 第1章 ターニング・ポイント
  • 第2章 高名なる殺人者
  • 第3章 最後の言葉
  • 第6部 涙の谷間に
  • 第1章 家族の最後
  • 第2章 新しい家庭、古い幽霊
  • 第3章 秘密と骨と
  • 第4章 故郷からの手紙
  • エピローグ 
  • 審判
  • 後記
  •  訳者あとがき

【感想は?】

 愛と暴力のクロニクル。

 この一家の歴史を掘り起こすのは、かなり骨の折れる作業だったと思う。特に父親フランクの足跡を辿るのはひどく難しいし、最後まで明らかになっていない部分も多い。

 父フランク、ある意味じゃ才人なのだ。奇術は巧みだし、金儲けも巧い。だが過去は詳しく語らない。母ベッシーと結婚してしばらくの間は、なかなかに謎な暮らしを続ける。長い間アメリカ各地を巡る旅に出て、大金を稼いで帰ってくる。ここでピンときた人は、かなり鋭いか、または古い映画のファンだろう。

 母ベッシーはユタのモルモン教徒で、ご多分に漏れず子だくさんの大家族に育つ。いささか進歩的な気質はユタの風土に合わず、父フランクと出合い正体も知らずに結婚。

 次第にフランクの正体が明らかになるあたりは、そこらの小説の上を行く驚きの連続だ。それでも愛想をつかさないのは、女が一人で生きてくのが難しい時代背景もあるんだろうけど、ベッシーの気性の激しさも感じさせる。またユタ州とモルモン教の歴史、特に血生臭い部分を拾い上げていて、ここが読者の意見の分かれるところ。

 つまりモルモン教の影響を感じるか、違うんじゃないかと思うか。私はあまり関係ないと思った。いやソレ以外の要素が大きすぎるのだ。

 やがてベッシーも父フランクの正体を知り、彼が奇妙な旅を続ける理由も理解するようになる。だが子供が生まれ成長するに従い、家族揃っての定住を望むベッシーが出すアイデアは、暗い場面が続く本作の中じゃ珍しく大笑いが止まらないところ。しかも、それが巧くいっちゃうんだから世の中は分からない。改めて考えると、まっとうにやれば充分に良き紳士となれる資質があるんだよな、父フランク。

 ところが、家庭の外じゃともかく、家の中じゃ暴れまくるのだ、父フランクが。何かとケチをつけては妻や子供を痛めつける。ベッシーも黙っちゃおらずにやり返したり、ちゃぶ台返しカマしたり。にも関わらず、別れようとはしないんだから、家族の関係ってのはわからない。

 そういう家庭で育ったゲイリーとゲイレンは、お約束通りの不良街道まっしぐら。事件を起こす度に、父フランクとベッシーは駆けずり回り、弁護士を手配して有力者に嘆願書を出し、何とか丸く収めようとする。ゲイリーのご機嫌を取るために車を買い与えたりしてるあたりは、単に外面を気にしてるだけじゃなく、やっぱり息子が可愛いんだろうなあ、としみじみ感じてしまう。

 なら家族で喧嘩なんかしなけりゃいいじゃん、またはサッサと縁を切りゃいいじゃん、と思うんだが、そんな事を思いつきすらしない絆の強さがあるのだ、この家族は。が、暴力の嵐に包まれて育ったゲイリーは、どうしても社会に適応できない。

「俺が権威というものを憎むのは、そいつらが俺に、親父のことを思い出させるからだよ」
  ――第3部 兄弟 第1章 見知らぬ者たち

 そのワリを食っちゃったのが、長男のフランク・ジュニア。読んでいて、私はこの人が最も切なかった。幼い頃はゲイリーのトバッチリで折檻を食らい、長じては家族の尻ぬぐいに奔走する。にも関わらず、グレもせずひっそりと生き続ける。本質的に賢くて優しい人なのだ。学歴さえあれば、是非とも教師になってほしいタイプ。にも関わらず、彼は全く報われない。

「…俺は、なんとかできるだけ母さんの役に立とうと、心血を注いできたんだ。でもその見返りに俺がもらったのは、ただ憎しみだけだった」
  ――第6部 涙の谷間に 第3章 秘密と骨と

そのときこう思った。そんなに自分が大変な思いをしていても、親に相談することもできないんだなって……。
  ――第6部 涙の谷間に 第4章 故郷からの手紙

 もう一つ、フランク・ジュニアの悲しさを際立たせる一文がある。あまり目立たないんだが、母ベッシーが、末っ子のマイケルにこう語る所だ。

「私はせめてひとりの子供にだけはまともに育ってもらいたいんだよ」
  ――第4部 ある種の人々の死にざま 第8章 反抗

 おいおい、なんでフランク・ジュニアを勘定に入れない? 彼だってまっとうに生きてるじゃないか。もっとも、本書の多くがフランク・ジュニアの協力によるものなので、そういう部分はあるのかもしれない。

 なぜゲイリーのように歩く凶器のような人間が生まれるのか。その謎の一端を、この本は示していると思う。著者の傾向か、オカルトっぽい記述もあって、その解釈は読者次第だ。著者が自らのルーツと心の暗黒部に向き合い、血と涙を流しながらも真実を掘りあてようと足掻き、なんとかその一端を日の当たる場所に引きずり出した、痛みと悲しみの年代記。

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2019年6月 2日 (日)

スー・バーク「セミオーシス」ハヤカワ文庫SF 水越真麻訳

わたしのまわりにある緑は、わたしが決して知ることのない秘密を持っている。
  ――p46

「親世代は新しい地球を欲しがった。わたしたちが欲しいのは、パックスよ」
  ――p135

鉄を感じる。
  ――p190

“わたしの都市”ですって!
  ――p304

「わたしたちには防衛が必要よね?」
  ――p389

「わたしたちはそれぞれ、自分である必要がある。おそらく、自分以上のものになる必要すらある。本当の自分に忠実なら、わたしたちは自分の最良の性質が伸びるのを手伝うことができる」
  ――p559

【どんな本?】

 アメリカの新鋭SF作家スー・バークの、本邦初紹介作品。

 環境破壊と戦乱で疲弊した地球を逃れ、50人が新天地を求め旅立った。彼らが降り立った星は地球より重力が大きく、地球より十億年ほど老いており、生命に溢れている。移民者はここをパックスと名づけ、それぞれの専門知識を活用しながら社会を築き始めた。長い航宙や着陸時の事故や製品の寿命などで仲間や文明の利器を失いながらも、パックスの生物相などを調べつつ、ヒトの生態的な地位を得ようとする。

 移民者たちが見つけた食べられる植物の一つが、スノーヴァインと名づけた蔓だ。これに成るオレンジ色の実はビタミンCが豊富で美味しい。少なくとも村の西のスノーヴァインは安全だった。しかし、東のスノーヴァインの実を食べた三人が死んだ。実に毒があったのだ。遺伝的には同じ個体なのに。植物学者のオクタボは謎に挑むが…

 未知の環境に適応して新しい社会を築き上げようとする植民者たちの姿を、七世代に渡って描く、宇宙年代記。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は SEMIOSIS, by Sue Burke, 2018。日本語版は2019年1月15日発行。文庫本で縦一段組み本文約572頁に加え、七瀬由惟の解説7頁。9ポイント41字×18行×572頁=約422,136字、400字詰め原稿用紙で約1,056枚。上下巻に分けてもいい分量。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。多少、DNAやRNAなど生物学の用語が出てくるが、わからなければ読み飛ばして構わない。というか、あまし厳密に考えるとイロイロとツッコミどころが多いので、その辺は軽くスルーしましょう。

【感想は?】

 じっくりと描く、ファースト・コンタクト物。

 ファースト・コンタクトにも、幾つかのパターンがある。1)異星人が地球に来る 2)宇宙でバッタリ 3)地球人が異星に行く。この作品は3)に当たる。

 異星で見つける場合、地球人が技術的に優位なケースが多い。こういう場合、結果がロクな事にならないのは、南北アメリカ大陸やオーストラリアの歴史が証明している。なんたってコミュニケーションが取れる同じ種を相手にしてさえ、共生できずにほとんど皆殺しにしてきたんだから。

 そこでSFでは色々と工夫を凝らす。少人数で非武装の学術探査船だったり、破損した宇宙船の不時着だったり。「アヴァロンの戦塵」では、冷凍睡眠技術の不備でおバカになってる、なんてユニークなアイデアを持ってきた。対して、本作では、長い航宙や着陸時の衝撃などで、幾つもの機器が壊れた事になっている。おまけに、人数も無事に地上に降り立ったのは31人だけ。

 そのため、人数的にも技術的にも移民者に大きな優位はない。否応なしに新世界パックスと共生しなきゃいけない状況だ。おまけに、地球を脱出した理由が、環境破壊と戦争を逃れるため、だ。移民者たちの総意として、野放図な開拓はできない。

 こういう理想ってのは、往々にして世代を経るごとに色あせ、偽善だらけのタテマエに変わってしまう。実際、この物語の中では裏切りも犯罪も起き、血も流れるのだが…

 ここで著者の優しさが出てるのは、地球人と異星人の生態が大きく異なっている点だ。同じ資源を消費し同じモノを排泄する生物同士が共存するのは難しい。例えば作物を荒らすアブラムシはヒトに嫌われる。だがアブラムシを食べるテントウムシは大歓迎だ。ミミズに至っては、その生態でほとんどヒトと共通点はないが、ミミズの糞は畑を肥やす。生態が似ていると競争になってしまうが、違えば共存の道も見えてくる。

 とはいえ、生態が違うということは、コミュニケーションも難しいということだ。何せ基盤となる感覚からして違う。そのため、この作品では、異星人と意思を通じ合わせるのに、数世代を費やす羽目になる。この緩やかな時間感覚が、この作品の特徴の一つだろう。

 だからといって、物語そのものまでゆっくりしているワケじゃない。巧みに各世代ごとの重要なイベントに焦点を定め、お話そのものは起伏に富んだものになった。最初の世代では物語全体の背景を語ると共に、三人の死をキッカケにパックスに潜む謎の存在を示唆する。次の世代では、もう一つの謎と、移民社会の変化を描く。

 この移民社会の変化が、なかなかに容赦ないあたり、著者の一筋縄じゃ行かない性格が出てるなあ、と思ったり。なにせ「環境破壊と戦乱に倦んだ」人々が「共生を目指す」物語だ。ニューエイジっぽい理想に満ちた甘ったるい話かと思ったら、チャンと毒を仕込んである。

 この毒が最後まで効いてるのが、やっぱりハヤカワの青背たる所以か。そう、決して「互いの善意」による共生では、ないのだ。この異星人、なかなかに頼れる奴ではあるけど、かなりムカつく台詞を吐くし、どこまで信用していいのか不安になる所もある。ときおり、「あまし余計な知恵をつけさせちゃヤバいんじゃないの?」なんて思ったり。

 と同時に、異星人の独白には、やはりSFに欠かせないセンス・オブ・ワンダーをタップリと仕込んであるのが、スレたSF読みには嬉しい描写。こういう、ヒトとは全く違う生物の視点を味わえるってのが、SFの醍醐味の一つだよなあ。もっとも、あんな生物になりたいかと言われたら、ちと悩んじゃうけどw

 ヒポキャットやヒポライオンなんて可愛い生物も出てくれば、肉食ナメクジなんて気色悪いのもうじゃうじゃ湧いてくるし、終盤での多種族入り乱れての決戦では、ちょっと「ホビットの冒険」のクライマックスを思わせるスペクタクルが味わえる。新しい世界の創生を描く、神話的なSF作品だ。

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