ティム・ハーフォード「50 いまの経済をつくったモノ」日本経済新聞出版社 遠藤真美訳
この本は、紙、バーコード、知的財産、文字など、50の発明をとりあげて、世界経済はどのように動いているのか、その知られざる物語にスポットライトを当てる。
――はじめに1960年代初めには、世界の商品貿易額は世界国内総生産(GDP)の二割に満たなかった。それがいまでは五割前後になっている。
――17 輸送用コンテナ貨幣とは債務なのである。
――20 取引できる債務とタリースティック都市の光景はひっくり返ろうとしていた。そのきっかけをつくったのは、エレベーターを発明した男ではなく、エレベーターのブレーキを発明した男だった。
――22 エレベーターグレース・ホッパー「いままで誰もそんなことを考えなかったのは、みんな私のようにものぐさではなかったからだ」
――29 コンパイラiPhone の開発の基礎をつくったのはスティーブ・ジョブスではない。アンクル・サムだったのだ。
――30 iPhone世界の財の輸送コストのうち、燃料は約七割を占める。科学者のバーツラフ・シュミルは、グローバリゼーションの原動力がディーゼルではなく蒸気だったら、貿易の発展はずっと遅くなっていただろうと指摘している。
――31 ディーゼルエンジン原油生産量の約8%がプラスチック生産に使われており、うち半分の4%が原材料、残り4%がエネルギーになる。
――36 プラスチック「いま年収七万ドル稼ぐのと、1900年に七万ドル稼ぐのと、どちらがいいですか」
――50 電球
【どんな本?】
エルトン・ジョンとペーパーレス・オフィスの関係は? 40年間、ある発明を禁止することで、日本の社会が被った影響とは? FRB議長と元の皇帝フビライ・カンの共通点は?
人類の歴史は、様々な発明に彩られている。必要に迫られて生み出されたものもあれば、たまたま巧くいったものもある。車輪のように他の発明の基礎となったものもあれば、他の発明を幾つも組み合わせたものもある。それ自体で便利に使えるものもあれば、しくみ全体の改革を促すものもある。
発明の経緯が様々なら、それが生み出す結果も多種多様だ。風が吹けば桶屋が儲かる的に、一つの発明が思わぬ所で役に立ったり、または大きな損害をもたらす場合もある。
発明から始まるバタフライ効果の例50個をジャーナリストがまとめた、一般向けの解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は FIFTY THINGS : That Made the Modern Economy, by Tim Harford, 2017。日本語版は2018年9月21日1版1刷。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約391頁に加え、訳者あとがき3頁。9.5ポイント42字×17行×391頁=約279,174字、400字詰め原稿用紙で約698枚。文庫本なら少し厚い一冊分ぐらいの分量。
文章はこなれていて読みやすい。内容もわかりやすい物が多い。敢えて言えば世界史を少し知っていた方が楽しめるが、知らなくても特に問題はないだろう。
【構成は?】
それぞれの項目は独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。
- 1 ブラウ
- はじめに
- Ⅰ 勝者と敗者
- 2 蓄音機
- 3 有刺鉄線
- 4 セラーフィードバック
- 5 グーグル検索
- 6 パスポート
- 7 ロボット
- 8 福祉国家
- Ⅱ 暮らし方を一変させる
- 9 育児用粉ミルク
- 10 冷凍食品
- 11 ピル
- 12 ビデオゲーム
- 13 マーケットリサーチ
- 14 空調
- 15 デパート
- Ⅲ 新しいシステムを発明する
- 16 発電機
- 17 輸送用コンテナ
- 18 バーコード
- 19 コールドチェーン
- 20 取引できる債務とタリースティック
- 21 ビリーブックケース
- 22 エレベーター
- Ⅳ アイデアに関するアイデア
- 23 楔形文字
- 24 公開鍵暗号方式
- 25 複式簿記
- 26 有限責任株式会社
- 27 経営コンサルティング
- 28 知的財産
- 29 コンパイラ
- Ⅴ 発明はどこからやってくるのか
- 30 iPhone
- 31 ディーゼルエンジン
- 32 時計
- 33 ハーバー=ボッシュ法
- 34 レーダー
- 35 電池
- 36 プラスチック
- Ⅵ 見える手
- 37 銀行
- 38 カミソリと替え刃
- 39 タックスヘイブン
- 40 有鉛ガソリン
- 41 農業用抗生物質
- 42 モバイル送金
- 43 不動産登記
- Ⅶ 「車輪」を発明する
- 44 紙
- 45 インデックス・ファンド
- 46 S字トラップ
- 47 紙幣
- 48 コンクリート
- 49 保険
- 結び 経済の未来
- 50 電球
- 謝辞/訳者あとがき/原註
【感想は?】
「世界を変えた6つの『気晴らし』の物語」や「人類を変えた素晴らしき10の材料」に似た面白さがある。
つまりはアイデアやテクノロジーが、私たちの暮らしをどう変えたか、という話。で、違うのは、大きく分けて三点。
ひとつは、著者の立場だ。本書の著者は経済学に詳しい。そのためか、「ソレがGDPを何%押し上げたか、または費用が掛かったか」などの数字が出てくる。数字が好きな人に、こういうのは嬉しい。いや私の事なんだけど。もっとも、その大半は「○○の試算によれば」的な断り書きがつくんだけど、とりあえず数字が出てくれば見当がつけやすいのだ。
次に、扱うモノの数が多いこと。これは良し悪しで、料理で言えば小皿が次々と出てくる感じだ。バラエティ豊かな味を楽しめるのはいいんだが、それぞれの量が少ないため、ちょっと食い足りない気分も残る。もっとも、その辺は、例えば「3 有刺鉄線」は「鉄条網の歴史」を、「17 輸送用コンテナ」は「コンテナ物語」を、「44 紙」は「紙の世界史」を読めばいいんだけど。
そして最後に、発明が社会に与えた影響を大きく取り扱っていること。特に利益だけでなく、費用や損害についてもキチンと書いているのが特色だろう。
パッと見ても分かるのが「40 有鉛ガソリン」で、ガソリン・エンジンの効率を上げる反面、都市に住む人に多大な健康被害をもたらした。ハーバー=ボッシュ法は人類を飢餓から救ったが、困った副産物も創り出してしまった。詳しくは「大気を変える錬金術」をどうぞ。いやマジであの本は傑作です。
私のようなオッサンは、「流しのギター弾き」なる存在を知っている。だがカラオケにより彼らは駆逐された。昔は多少ギターが弾けて愛想がよければ食っていけたが、今は相応の技術とセンスとルックスとコネと若さがないと無理だ。それもエジソンの蓄音機に始まる録音・再生技術の発展によるもの。ジェフ・ベックの妙技に慣れた者は私のギコギコ音なぞ騒音としか思わない。おのれエジソン。
だが、お陰で私はいつでもエルトン・ジョンの「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード(→Youtube)」を楽しめる。二流三流のミュージシャンは淘汰され、一流ミュージシャンは大金を稼ぐ。「上位1%のアーティストのコンサート収入は、下位95%のアーティストの収入を合計した額の5倍を超える」という、たいへんな格差社会になってしまった。
今や音楽は聴くものであって自ら演奏するものではない…と思ったが、「隠れた音楽家たち」によると、1980年代まではソレナリに生き残っていた様子。日本でも繁華街には楽器屋もあるし、暫くは大丈夫かな? ちなみにクラシック界にも大変動が起きてて、それについては、「音楽の進化史」が詳しいです。
著者が気づいているかどうかはわからないが、実は似たような変化が19世紀に起きている。主役はチャールズ・ディケンズ、イギリスのベストセラー作家だ。当時のアメリカは新興国で、ディケンズ作品の違法コピーを新聞が堂々と載せていた。まるでちょっと前の日本のアニメと中国の関係だね。これに怒ったディケンズは、1842年にアメリカに渡り抗議するが、新聞に袋叩きにされてしまう。
幸い晩年になって、ディケンズは大きな利息を手に入れる。25年後に再びアメリカを訪れたディケンズは、公開朗読会で大儲けするのだ。違法コピーによって彼の名は多くの人に知れ渡り、大人気になっていた、というオチ。
これを今のポピュラー音楽で言うなら、無料配信で名を売りライブで稼げって形か。ちなみに既に20世紀に成功させた人たちもいて、その名をグレイトフル・デッドと言います。まあ知的財産にはご存知のような利害があって、私は「Free Culture」が唱える形が現実的かな、と思ってます。一定期間は全部を無料で保護するけど、それ越えたら延長料を払ったモノだけ保護するって形。
ちょっと前に某銀行の情報システム改修が話題になった。これにピッタリ合致する例が、「16 発電機」に出てくる。19世紀末から20世紀初頭のアメリカの製造業で起きた、蒸気機関から電気駆動への置き換えだ。これが、意外にも手間取った。
蒸気機関はデカく、気難しい。起動にも停止にも時間がかかる。だから工場全体で一個の大型蒸気機関を置き、その動力を工場全体にシャフトなどで配っていた。当時の工場は壮観だろうなあ。
そんなんだから、当時の工場を設計する際は、蒸気機関を中心に考えていた。工場だけじゃない。人員配置も、製造工程も、蒸気機関が支配していた。いかに巧く蒸気機関を使いこなすかが、工場の経営のカギだったのだ。
これが電気駆動だと全く違ってくる。巨大な蒸気ボイラーに比べたら電気モーターは豆粒だ。すぐ動くしシャフトで動力を伝える必要もない。電線をひいてもう一つモーターを足せばいい。蒸気機関は工場全体の動力を賄うが、電気モーターは必要なラインだけを動かせばいい。
つまり、蒸気機関から電気への移行は、工場経営の概念そのものを変える必要があった。これに時間がかかったのだ。
これが某行とどう関係してるかというと、あそこ既存システムを単に合体させただけなんだよね。業務の基本概念は変えてない。だから無駄に手間が増えてる。これを本書では、コンピュータ導入による効果の大小で論じてる。曰く、コンピュータに合わせて経営を変えれば効果は大きいが、経営に合わせてコンピュータを組み込んでも成果はない、と。日本でホワイトカラーの生産性が上がらないのも、そういう事だろう。
さて、その某行でかつて活躍していたのが、「29 コンパイラ」に出てくるCOBOL。もっとも主役を務めるのはその母グレース・ホッパーだけど。
彼女の言葉が、FORTRAN の開発者ジョン・バッカスとソックリなのが笑える(→Wikipedia)。ちなみに PERL の開発者 Larry Wall 曰く、「プログラマの三大美徳は怠惰・短気・傲慢」。加えてCOBOLのライブラリが充実していく過程は、Linux のデバイス・ドライバが充実していく様子とソックリだったりw ったく、この半世紀でコンピュータは進歩してるのに、プログラマはほとんど進歩してないw
などと、ハードウェア・ソフトウェア・概念などを取りまぜ、面白ネタを次から次へと紹介してくれるのが、本書の楽しいところ。もっとも、私のように妄想逞しい者が読むと、そっちに気を取られてなかなか頁がめくれないのが欠点かも。
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