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2019年5月16日 (木)

ポール・ブルーム「反共感論 社会はいかに判断を誤るか」白揚社 高橋洋訳

本書の目的の一つは、読者も共感に反対するよう説得することだ。
  ――はじめに

…共感は、特定の個人ではなく統計的に見出される結果に対しては反応を示さない。
  ――第1章 他者の立場に身を置く

最善の結果は理性に依拠することで得られる。
  ――第1章 他者の立場に身を置く

…(共感は)焦点の狭さ、特定性、数的感覚の欠如という特質を持つがゆえに、自分の注意を惹くもの、人種の好みなどの影響をつねに受けている。私たちが少なくともある程度の公平さや公正さを保てるのは、共感の作用から免れ、規則や原理、あるいは費用対効果の計算に依拠した場合に限られる。
  ――第3章 善きことをなす

政治的議論は一般に、誰かに共感すべきか否かではなく、誰に共感すべきかに関して見解が分かれるのである。
  ――幕間Ⅰ 共感に基づく公共政策

他者を怒らせた自分の行為は、罪のないものであるか、強制されたものであり、自分を怒らせた他者の行為は、理不尽なものであるか、邪悪なものなのだ。
  ――第5章 暴力と残虐性

共感は私たちが戦争の恩恵を考慮するよう仕向ける。それを通じて被害者のために復讐し、危機に直面している人々を救い出させようとするのだ。それに対して戦争のコストは抽象的かつ統計的であり、しかもコストの大きな部分は、自分たちが気づかうことがなく、したがって共感の及ばない人にのしかかる。
  ――第5章 暴力と残虐性

【どんな本?】

 嫌な小話がある。

朝起きたばかりの、ぼおっとした頭で洗面台に向かった。歯ブラシを手に取って磨いていたんだが、様子がおかしい。洗面台が血だらけになっている。よく見ると、歯ブラシだと思っていたのはカミソリで…

 嫌な話を書きやがって、と思う人もいるだろう。共感とは、そういう事だ。他の人の痛みを、わがことのように感じること。ヒトには、そういう能力が備わっている。だから、苦しんでいる人を助けようとする。少しでも他人の苦しみを取り除こうと、お互いに助け合う。

 いいことじゃないか。

 ところが、著者はこう主張する。「本書の目的の一つは、読者も共感に反対するよう説得することだ」。

 は? 何を考えている? 自分の利益だけを追求しろ、とでも? 心を捨ててマシンになり、合理性だけで生きていけ、と言いたいのか? 世界を弱肉強食のジャングルにしたいのか?

 違う。

 むしろ著者は互いに助け合い分かち合う世界を望んでいる。だが、そのためには、時として共感が邪魔になる、と言っているのだ。

 なぜ、そんなケッタイな理屈が成り立つのか。苦しむ者を助けようとして、何がいけないのか。それなら、私たちはどうしろというのか。

 挑発的な書名で読者を煽りつつ、ヒトの心の動きを解き明かし、より適切な判断と行動を促す、一般向けの啓蒙書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Against Empathy : The Case for Rational Compassion, by Paul Bloom, 2016。日本語版は2018年2月26日第一版第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約284頁に加え、訳者あとがき8頁。9.5ポイント44字×18行×284頁=約224,928字、400字詰め原稿用紙で約563枚。文庫本なら普通の厚さだろう。

 文章はやや硬く、二重否定などの面倒くさい表現もある。が、落ち着いて読めば充分に意味はわかる。内容も特に難しくない。国語が得意なら、中学生でも充分に読みこなせるだろう。敢えて言えば、アメリカ人向けに書いた本なので、出てくる例もアメリカの話が多いってぐらい。ドナルド・トランプは共和党で保守系、バラク・オバマは民主党でリベラル、程度に知っていれば充分だろう。

【構成は?】

 「はじめに」に読み方のガイドがあるので、それに従おう。忙しい人は第1章だけを読めばいい。

  • はじめに
  • 第1章 他者の立場に身を置く
  • 第2章 共感を解剖する
  • 第3章 善きことをなす
  • 幕間Ⅰ 共感に基づく公共政策
  • 第4章 プライベートな領域
  • 幕間Ⅱ 道徳基盤としての共感
  • 第5章 暴力と残虐性
  • 第6章 理性の時代
  • 謝辞/訳者あとがき/原註

【感想は?】

 本書の結論を私なりに解釈すると、こうなる。「落ち着け。そして収支を計算しろ」。

 何やら偉そうだが、誰だって多かれ少なかれやっている。例えば。子供は注射が嫌いだ。だが、たいていの親は、子供に予防接種を受けさせる。親として、子供に痛い思いをさせるのは嫌だ。でも、伝染病で死ぬよりは、注射で痛い思いをする方がマシだ。

 つまり、「子どもが痛がっている」という共感より、「将来の伝染病を防ぐ」という理性に従って行動する。その結果、一時的に子供は痛い思いをするが、その後は健やかに育つだろう。

 予防接種の例は、収支がわかりやすい。政府や自治体も教育と宣伝に力を入れるので、多くの人がその利害を知っている。

 だが、そうでない場合も多い。政治が絡む場合は、政党や派閥によって主張が違う。それでも政治の場合はまだマシで、両派が損益をめぐって論戦を繰り広げる。根気強く両派の主張を読み解けば、支持すべき意見を判断できる…かもしれない。

 もっと怖いのは、そもそも収支を無視している場合だ。本書では、こんな例を挙げる。

 10歳の少女シェリは難病にかかった。療法はあるが、順番待ちの列は長い。療法を受けるまで、シェリは痛みに苦しみ続ける。シェリを列に割り込ませるべきか?

 シェリの痛みに共感し、割り込ませろと考える人もいる。だが、その場合、割り込まれた他の人は、どうなるんだろう?

 著者が指摘する共感の欠点は、そこだ。「10歳の少女シェリ」なんて具体的な年齢や名前が出てくると、私たちはその人物像を思い浮かべる。だが、問いの中に、割り込まれる人の事は何も書いていない。だから、私たちは割り込まれる人の事を失念してしまう。シェリの利益は考えるが、割り込まれる名無しの損害は思い浮かべない。

 これが共感のやっかいな点の一つだ。問いの中に割り込まれる人の事も含めれば、名無しの損害を考える人も増えるだろう。だが、テレビのワイドショウや Twitter の140文字では、そこまで触れない。ひたすら視聴者やフォロワーの感情を刺激しようとする。だって、その方が数字が取れるし。

 また、共感には偏りがある。

 誰だって家族や恋人には強く共感するが、遠い地域のオッサンへの共感は少ない。ケニアのキクユ族の農家は更に少ないだろうし、北朝鮮の朴氏ともなれば敵意すら示すだろう。その人と自分との関係により、強くなったり弱くなったり、時として反転することだってある。

 しかも、共感が暴力を呼ぶことだってあるのだ。どころか、たいていの戦争は共感を利用して始まる。

 わかりやすいのがパレスチナ問題だろう。パレスチナ側はイスラエル軍に撃たれたパレスチナ人をアピールし、イスラエル側はハマスのロケットによる被害を報道官が発表する。お互いが自分を被害者だと主張し、人々の共感を勝ち取ろうと報道合戦を繰り広げる。

 共感には偏りがある。自分に近い者には強く共感し、異なる者への共感は少ない。これを巧みに利用すれば、人々を争いへと駆り立てることができる。イスラエルとパレスチナは極端な例だが、似たような図式は Twitter や匿名掲示板でしょっちゅう見かける。社会問題などに対し、○○派 vs ××派という対立構造に仕立て上げ、罵倒の応酬にしてしまうのだ。

 ネットでの泥試合ならたいした害はないが、法や条例を決める議会でやられたら、たまったものではない。

 では、どうしろと言うのか。著者の主張はこうだ。「最善の結果は理性に依拠することで得られる」。もっとくだけた言い方をするなら、こうだろう。「落ち着いて考えよう」。

 …とか書いてて、やっと気がついた。つまりはそれだけの本なのだ。思いやりがイカン、と言ってるんじゃない。少し落ち着いて、視野を広げて、問題の本質を見つめなおして、見落としがないか確かめて、費用対効果を計算して、もっといい案がないか検討しようよ、そういう事なのだ。

 なんだツマラン、と思う人もいるだろう。でも、ヒトは自分に何が見えないかには気づかないものだ。ソコを指摘してくれるという点では、ありがたい本でもある。

 とりあえず、政治家が具体的な個人の例を挙げて議会の空気を誘導しようとしている時は要注意、と私は考えるようになった。

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