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2019年4月 3日 (水)

ヴィクトル・ペレーヴィン「iPhuck 10」河出書房新社 東海晃久訳

本テクストはアルゴリズムによって書かれたものだ
  ――前書き

マシーンやプログラムに主体性なんかない。こいつらの監視対象は僕らじゃない。監視対象は情報なんだ。
  ――第一部 ギプスの時代

残念ながら、ロシアのアーティストが世界にとって興味があるのは、連邦保安庁に囚われたチンポとしてでしかないんですね。
  ――第二部 自分だけのための秘密の日記

こういう状況で偉大な文豪たちは何をしてきたんだろうか?
彼らは
<酒を飲み、鴨でマスかき、硝子を割って、高みを目指した>
  ――第二部 自分だけのための秘密の日記

明瞭な意味を失った哲学の蜘蛛の巣でこういうものを作るとなると、その結果は二つあるうちの分かりにくい方の蜘蛛の巣と同じくぼんやりとして印象的なものに仕上がるだろう。
  ――第三部 メイキング・ムービーズ

あるのはね、新たな波止場を……というか、新たな牢獄を無意識に探してるコードだけ。
  ――第四部 ダイバーシティ・マネージメント

【どんな本?】

 現代ロシアの人気作家、ヴィクトル・ペレーヴィンによる、ギミックを満載したミステリ仕立ての最新長編小説。

 21世紀後半。ジカ3の蔓延で人類の多くは直接の性交をやめ、アイファックやアンドロギュノスに移行する。ポルフォーリィ・ペトローヴィチは一種の人工知能だ。正式名称は刑事文学ロボットZA-3478/PH0バージョン9.3.物理的な身体はない。本庁に所属し、本来なら事件の捜査に当たる…はずが、今回は民間にレンタルされた。当然、有償で。

 依頼主はマルーハ・チョー、美術史家でキュレーター。依頼内容は<アート市場の機密調査>。主な対象はギプス、21世紀初頭から30年ほどに発生したオブジェで、後期バルト海沿岸社会主義リアリズムとも呼ばれる。

 事件捜査の傍ら、ポルフォーリィは捜査の様子を小説に書く。それがこの作品で…

 近未来に人工知能が事件を元に書いた小説という体裁をとり、現代ロシアの社会事情や、そこで足掻く芸術家たちと、それを取り巻くアートシーンを戯画化しつつ、タイトルで分かるように情報テクノロジーの行く末をシモネタ満載で描き上げる、メタで過激で濃密な現代ロシア風SFミステリ小説。

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2019年版」海外篇28位。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は iPhuck 10, Ви́ктор Оле́гович Пеле́вин , 2017。日本語版は2018年8月30日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約454頁に加え、訳者あとがき15頁。9ポイント47字×20行×454頁=約426,760字、400字詰め原稿用紙で約1,067枚。文庫本なら上下巻ぐらいの大長編。

 正直、かなり読みにくい。ロシア語・英語・イディッシュなど幾つもの言語を取りまぜた言葉遊びをギッシリと詰めこんでいて、訳者の苦労がしのばれる。また現代ロシアの事件や有名なロシア文学を元にしたネタも次から次へと出てくる。これも「オモン・ラー」の熊狩りのネタとか、私はてっきり作り話だと思っていたんだが、現実の話が元になっていたりするんで、全く油断できない。

 そういう点で、巻末の訳者あとがきはとても親切だ。本編を読む前はあまりピンとこないが、この作品が成立した背景、特に現代ロシアの社会情勢がよく伝わってくる。ギプスとかは、あとがきがなければ私は何の事だかサッパリわからなかった。

【感想は?】

 うう、重い。

 いや、語り口は軽いのだ。人工知能が書いた小説という体裁だが、書き手のポルフォーリィ君、言葉遣いは時代のネットスラングに通じているし、卑猥な軽口も叩く。というか叩きすぎ。

 人工知能とはいえ刑事という立場のためか、導入部は探偵物のハードボイルド小説みたいな雰囲気もある。一人称はオレだし。なんて恰好つけてるけど、民間にレンタルされシケた調査をやらされるのには、少々不満な様子。もっとも、あくまでアルゴリズムなので感情はない…はずなんだけど。

 彼の創作手法も、私のような底辺ブロガーにはなかなか突き刺さる方法で。ええ、すんません、オリジナリティなんかありゃしません。気に入ったフレーズの切り貼りで記事をデッチ上げてます。おかげで…

オレたちの作りだしてる情報の総量は信じられないスピードで増えてるけど、その情報の有用性が全く同じスピードで落ちてってる…
  ――第二部 自分だけのための秘密の日記

 なんて言われちゃったり。ああ、耳が痛い。

 本作のテーマの一つは現代のアートだろう。バンクシー(→Wikipedia)なんて名前も出てくるし。彼(女ら)の作品のややこしい所は、それが壁の落書きだったりすること。状況や環境もアートを構成する要素なので、バンクシーの筆による部分だけを取り出したら意味が失われてしまう。

 中でも強烈なのがピョートル・パヴレンスキィなどのアクショニズム。口を縫い付け、広場にタマを釘で打ち付け、耳朶を切り落とす。単なる露出狂のマゾじゃないかと思うが、それぞれちゃんと政治的なメッセージがあるのだ。

 とはいえ、メッセージを理解するには、彼のおかれている現代ロシア社会の現状がわかってなきゃいけない。それ以上に厄介なのは、アートとはいえ、絵画や彫刻と違って、彼の「作品」は美術館に飾れないこと。その時その状況で口を縫う行動に意味があるんで、その映像を撮ってもあまり意味がない。

 ってんで、ポルフォーリィ君の雇い主マルーハ・チョーの、美術史家&キュレーターって肩書が意味を持ってくる。こういう所は、人様の作品にゴタクをくっつけて記事にしてる私には、グサリとくる。

 加えて、タイトルにもある iPhuck だ。名前で見当がつくように、シモネタもある。と同時に、何でもコピーできる現代のデジタル技術の象徴でもある。更に、ネットワーク機器でもある。

 昔は自由な楽園または無法者の跳梁跋扈する荒野だったインターネットだが、今は法律や自主規制でかなり面倒くさい場所になってしまった。このブログも、スマートフォンで見ると広告がウザい。そういう余計なお世話が増えてきて、これに政治思想が絡まると…

 ばかりでなく、ロシアン・サイバーパンクとしても、案外と楽しめるのが意外だった。いや失礼かもしれないけど。「連装配列」や「ディストリ」などのソレっぽい用語も、ちゃんと座りのいい文脈で使ってるし。中でもRCPの発想は魅力的。でも「シンギュラリティ」を、そう使うかw

 そういう点だと、終盤の展開は、サイバーパンクの代表作を彷彿とさせる大ネタを繰り出してきて、立派にSFとしても成立してるのが嬉しい。

 現代ロシアの社会状況、文学とは何か、アートとは何か、批評とは何か、デジタル・ネットワークと多国籍資本の行く末、移民に揺れ動く欧州、政治的な正しさなど、重いテーマをこれでもかとブチこみつつ、言葉遊びとお下劣なシモネタで一見軽そうに仕立てた、とんでもない怪作。心身のコンディションがいい時に、たっぷり余裕を取って挑もう。

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