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2019年4月10日 (水)

大森望監修「カート・ヴォネガット全短編1 バターより銃」早川書房

「この16人みんなが、わたしのやるチェスの駒になるんだよ」
  ――王様の馬がみんな……

「プロの兵士になる唯一の方法は流血だ」
  ――審判の日

「明日、戦争のない場所へおまえを連れていってやるよ」
  ――ハッピー・バースディ、1951年

恐怖を利用してなにかをさせる人間は、病気的で、哀れで、痛ましいほど孤独だ
  ――司令官のデスク

「真実を口にしちゃいけないのか?」
  ――化石の蟻

【どんな本?】

 「プレイヤー・ピアノ」「スローターハウス5」「猫のゆりかご」「タイタンの妖女」など、シニカルながらも温かみのある芸風でSFファンにもお馴染みのアメリカの人気作家カート・ヴォネガット。彼が遺した短編をまとめ、8個のテーマ別に並べた「COMPLETE STORIES」が、日本では四分冊に分かれての刊行となった。

 この巻「バターより銃」では、「戦争」と「女」を収録する。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は COMPLETE STORIES, by Kurt Vonnegut, 2017。2018年9月25日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約433頁に加え、大森望の解説7頁。9.5ポイント44字×19行×433頁=361,988字、400字詰め原稿用紙で約905枚。文庫なら上下巻に分けてもいい分量。

 いずれの作品も文章はこなれていて読みやすい。SFもあるが、1950年代の作品だけに、難しい仕掛けはほとんどない。むしろ、当時のSFだけに、現実に追い越された作品もある。当時は人工衛星がなかったのだと頭に留めておこう。

 それより、この巻で重要なのは、著者カート・ヴォネガットの戦争体験と、当時の時代背景だ。著者は第二次世界大戦の欧州で戦うが、ドイツ軍の捕虜になり、ドレスデンの捕虜収容所で連合軍の空襲に巻き込まれたが、なんとか生き延びた。この体験は後に傑作「スローターハウス5」として結実する。また、当時はアメリカとソ連が互いに核で脅し合う冷戦の最中であり、その緊張感が漂う作品が多い。

【収録作は?】

 それぞれ 作品名 / 原題 / 訳者 / 初出。

序文(デイゥ・エガース) / 鳴庭真人訳
イントロダクション(ジェローム・クリンコウィッツ&ダン・ウェイクフィールド) / 鳴庭真人訳

セクション1 戦争
解説:ジェローム・クリンコウィッツ / 鳴庭真人訳

王様の馬がみんな… / All the King's Horses / 伊藤典夫訳 / コリアーズ1951年2月10日号
 ブライアン・ケリー大佐は、家族と部下を引き連れ、インドに向かった。だが輸送機は嵐でコースを外れ、不時着する羽目になる。あいにくとそこは共産ゲリラが支配する地域で、大佐ら16人はゲリラに捕えられてしまう。ゲリラのボスであるピー・インはケリー大佐に取引を持ち掛けたが…
 映画「ディア・ハンター」を連想する作品。吐き気がするほどわかりやすい形で戯画化してはいるが、現実の戦争を指揮する者がやっているのは、まさしくこういう事なんだよなあ。それでも、そこに住む人たちを考えなければの話で…
孤児 / D.P. / 伊藤典夫訳 / レディーズ・ホーム・ジャーナル1953年8月号
 ライン川近く、ドイツの米軍占領地に孤児院がある。修道尼たちが、81人の子供を養っていた。その一人、ジョーは<褐色の爆撃機>と呼ばれている。ジョーは両親のことを知りたがるが、シスターは話を逸らす。ある日、村人がジョーに話しかけた。「ジョー、お父さんが町に来てるぞ」
 第二次世界大戦後、少し落ち着きを取り戻したドイツを舞台とした作品。世間は落ち着いてきても、ジョーが孤児であることは変わらないんだよなあ。これ日本を舞台にすると、更に悲惨な話になってしまう。
人間ミサイル / The Manned Missiles / 宮脇孝雄訳 / コスモポリタン1958年7月号
 私、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国イルバ村の石工、ミハイル・イワンコフは、アメリカ合衆国フロリダ州タイタスヴィルの石油商であるあなた、チャールズ・アッシュランドに、あいさつとお悔みの言葉を申し上げます。あなたの手を握りましょう。
 ユーリ・ガガーリンが世界初の宇宙飛行を成し遂げるのは、作品発表の3年後なのを考えると、見事に時流を言い当てた作品だろう。現実のガガーリンの家族も、ミハイル・イワンコフと似て素朴な人たちだったようだ(→「ガガーリン」)。
死圏 / Thanasphere / 伊藤典夫訳 / コリアーズ1950年9月2日号
 地球の二千マイル上空から、ライス少佐の通信が届いた。彼の任務は、上空から敵地を偵察し、非常時には味方の誘導核ミサイルを観測すること。月面を横切る物体を観測した者は多かった。だがロケット顧問のグローシンガー博士はシラをきる。最高責任者のデイン将軍はライス少佐からの連絡に最初は喜んだが…
 まぎれもないSF。低軌道には国際宇宙ステーションが浮かび、GPS用や通信衛星・気象衛星そして数知れぬ偵察衛星が飛ぶ現代ならともかく、1950年には宇宙に何があるか全く分からなかった。ヴォネガットらしい皮肉が効いた作品。
記念品 / Souvenir / 浅倉久志訳 / アーゴシー1952年12月号
 質屋のジョー・ベインは、安く買いたたいて高く売る。月曜の朝、店に入ってきたのは、貧しそうな若者だった。不景気で金がない、この時計を五百ドルで買ってくれ、と。ルビーと四個のダイヤがはめ込まれた、立派な時計だ。ドイツ語の銘が彫ってある。先の戦争で手に入れたという。
 第二次世界大戦で従軍し、捕虜になった著者の体験が活きている作品。欲の皮の突っ張ったジョー・ベインが、朴訥な若者を騙す手口には舌を巻く。ビンボってのは、人の心を折るんだよなあ。戦争終結直後の混乱を巧く描いている。
ジョリー・ロジャー号の航海 / The Cruise of The Jolly Roger / 浅倉久志訳 / ケープコッド・コンパス1953年4月号
 陸軍で17年を過ごしたネイサン・デュラント少佐は、朝鮮で負傷し、退役する。陸軍に身を捧げるつもりだったデュラントは、病院で隣のベッドにいた男に影響され、中古のキャビン・クルーザーを買う。プロヴィンスタウンの港に上陸した彼を、四人の若者がスケッチしている。その絵は…
 ケープコッド・コンパスは、きっとご当地雑誌なんだろう。地元の風景や人々、そしてイベントを盛り込むだけでなく、巧みに料理して、本来の読者の気分をよくするように工夫している。
あわれな通訳 / Der Arme Dolmetscher / 浅倉久志訳 / アトランティック・マンスリー1955年7月号
 1944年、第二次世界大戦の西部戦線、ベルギー。学生時代にルームメイトからハイネの<ローレライ>を仕込まれたせいで、わたしは大隊通訳に任命されてしまった。不安におびえていたが…
 これまた従軍経験を活かした作品。案外と実話じゃなかろかw
バゴンボの嗅ぎタバコ入れ / Bagombo Snuff Box / 浅倉久志訳 / コスモポリタン1954年10月号
 戦時中、レアドは大尉として基地にいた。11年ぶりに町を訪れたレアドは、元妻のエミーに会おうと思い立つ。今は別の男と結婚し、二人の子供がいるらしい。イラクやセイロンやアマゾンなどを、レアドは飛び回ってきた。
 派手に飛び回っているレアドと、日々の暮らしに追いまくられているエミー。エミーの夫ハリーの心中は複雑だろうけど、儲け話に心が動く気持ちはよくわかる。…と思ったらw
審判の日 / Great Day / 浅倉久志訳 / Armageddon in Retrospect 2008
 大柄だったおれは、16の時に歳を誤魔化して世界陸軍に入った。配属されたのはタイムスクリーン中隊。任務は極秘だ。ボスのポリツキー大尉も、重要な任務だとは言うが、中身についてはなにも話してくれない。
 これまた2037年を舞台としたSF。世界陸軍の名のとおり、国同士の争いがなくなっている、そんな想定で書かれている。そんな風に世の中が変わっても、アメリカの田舎の人間が考える事はほとんど変わっていない。アメリカの田舎に限らず、人はなかなか変わらないんだよなあ。
バターより銃 / Guns Befor Butter / 浅倉久志訳 / Armageddon in Retrospect 2008
 ドイツ軍の捕虜になったアメリカ兵の三人、ドニーニとコールマンとニプタッシュは、暇さえあれば食べ物の話ばかりしている。ここはドレスデン、三人は空襲の後片付けに駆り出された。監視役のクラインハンス伍長もやる気がない。ドイツ軍の士官が来たときだけ、忙しそうにしていればいい。
 やはり捕虜になった経験を元にした作品。どの国だろうと、人はそれぞれ。それは兵も同じで、いい人も入れば嫌な奴もいる。クラインハンス伍長は無愛想だけど…。
ハッピー・バースティ、1951年 / Happy Birthday, 1951 / 浅倉久志訳 / Armageddon in Retrospect 2008
 戦争が終わった日、老人は避難民の女から赤ん坊を預かった。以来、二人は、七年間も地下室に隠れて生き延びてきた。進駐軍に発見され、身分証明を書く段になって、老人はやっと気がついた。子供の誕生日も知らなかった、と。そこで、次の日を誕生日として、そのプレゼントを考えたが…
 「イワンの戦争」によると、多くの孤児が「連隊の息子」になったとか。家も家族も失った子供が、軍について行ったのだ。たぶんこれは赤軍だけじゃなく、他の軍も似たような事はあったんだろう。戦争を知っている老人と、何も知らない子供の対比が鮮やかな作品。子供のうちはこれでもいいけど…
明るくいこう / Brighten Up / 浅倉久志訳 / Armageddon in Retrospect 2008
 ドレスデンの捕虜収容所で、わたしはルイスと出合った。ニューヨークの貧民街で育ったルイスは、世の中をよく知っていた。わたしたちは外の作業に駆り出されたが、ルイスは監視兵に取り入って、当番兵になり、収容所に残った。また、捕虜仲間を相手に商売を始め…
 世の中ってのは往々にしてそんなモノで。目端が利いて商売っけのある奴ってのは、どこにでもいるんだよなあw
一角獣の罠 / The Unicorn Trap / 浅倉久志訳 / Armageddon in Retrospect 2008
 西暦1067年のイギリス。村には18の絞首台が並び、死者がぶら下がっている。征服王ウィリアムの友人、恐怖公ロベールに吊るされたのだ。すぐ近くに、木こりの一家が住んでいた。エルマー、妻のアイヴィー、十歳の息子エセルバート。そこに恐怖公ロベールの使いが現れ…
 フランスはノルマンディーの王だったギヨーム(ウィリアム一世、→Wikipedia)によるイギリス征服を背景とした物語。なんて歴史の知識はなくても、庶民から見た侵略者とその取り巻きって関係は、すぐにわかる。
略奪品 / Spoils / 浅倉久志訳 / Armageddon in Retrospect 2008
 ウォード氏はヨーロッパの戦場で、24人分の銀製食器をパクってきた。だがポールの略奪品は、錆びて曲がったドイツ空軍のサーベルだけで、それを妻のスーにからかわれる。それというのも…
 これも捕虜になった経験を元にしたお話。敗戦国ドイツでも西側はともかく、赤軍に占領された地域の悲惨さは「ベルリン陥落」などが詳しいが、ホラーやスプラッタが苦手な人にはお勧めしかねる。もっとも、東部戦線じゃドイツ軍も似たような真似をしてるんだけど。
サミー、おまえとおれだけだ / Just You and Me, Sammy / 浅倉久志訳 / Armageddon in Retrospect 2008
 戦前、ニュージャージーには親独協会があった。わたしはドイツ系で、父も一時期は協会に関わっていたが、正体を知って退会した。だが、家族でドイツに渡った人たちもいた。戦争が終わった時、わたしはジョージと共にドイツの捕虜収容所にいた。ジョージは監視兵に巧く取り入ったが、捕虜仲間からは煙たがられていた。
 これもやはり捕虜経験を元にした作品。「明るくいこう」と同じく、巧みに監視兵に取り入り捕虜仲間相手の商売で稼ぐ男がジョージ・フィッシャーの名で出てくる。ただしこちらには続きがあって…。
司令官のデスク / The Commandant's Desk / 浅倉久志訳 / Armageddon in Retrospect 2008
 チェコスロバキアの町ベーダ。戦争が終わり、ソ連軍にかわりアメリカ軍が進駐してきた。わたしは1916年にオーストリアの歩兵として戦って左足を失い、今は家具職人として娘のマルタと住んでいる。支配者は次々と変わった。ナチ、赤軍、チェコの共産党員。今度のアメリカ軍の司令官はイケイケのエヴァンズ少佐で、副官は落ち着いたドニーニ大尉。二人は折り合いが悪いようで…
 敗者であるチェコスロバキアの民間人の視点で描くあたりが、ヴォネガットらしい芸風。舞台こそ第二次世界大戦直後らしいが、現在のイラクやアフガニスタンやチェチェンに移しても充分に通用しそうな話だ。
追憶のハルマゲドン / Armageddon in Retrospect / 浅倉久志訳 / Armageddon in Retrospect 2008
 わたしは例の「ハルマゲドン事件」で有名なパイン研究所の管理職を務める者です。はじまりはドイツの故ゼーリヒ・シルトクネヒト博士の著作でした。博士は後半生をかけて世界に訴えましたが、その努力は実りませんでした。彼はこう信じていました。「精神を病む者たちは、悪魔にとりつかれている」と。
 どこぞの新興宗教の始まりと発展を描いた話、かと思ったらw 博士の肩書のある人が遺したケッタイな理論に、アレな金持ちが取り憑かれて財産をつぎ込み、そこに優れたプロデューサーが乗り込んで…。ヴォネガットがSF長編で発揮する、ひねくれたユーモアと馬鹿げたアイデアをたっぷりと詰めこんだ上に、オチも鋭いw
化石の蟻 / The Petrified Ants / 大森望訳 / Look at the Birdie 2009
 ヨシフと弟のピョートルは、ロシアを代表する蟻学の研究者だ。蟻の化石が見つかったとの報を受け、鉱山にやってきた。鉱山監督のボルゴロフはスターリンにコネがあるらしく、ふんぞり返っている。空気を読まないピョートルをヨシフがなだめつつ、肝心の蟻の化石の調査を始めると…
 冷戦時代のソ連を風刺した作品。ルイセンコ論争(→Wikipedia)が示すように、当時のソ連の科学界は悲惨な状況で。ロケットの父、セルゲイ・コロリョフですら収容所送りになってるし。まあ、似たような事は他の国でも起きてるんだけどね。
暴虐の物語 / Atrocity Story / 大森望訳 / 本書初出
 第二次世界大戦が終わり、解放されたアメリカ人捕虜の中で、わたしたちは最後のグループになった。戦争犯罪テントに呼ばれたのは三人。わたし、ドニーニ、そしてジョーンズ。マロッティが略奪の罪で銃殺された件を聞きたいらしい。マロッティは衛生兵で、ドレスデン爆撃のさなかにドイツ人の出産を助けたこともある。
 お得意の捕虜経験、それもドレスデン爆撃を元にした物語。ほんと、戦争ってのは何が生死を分けるかわからない。

セクション2 女
解説:ジェローム・クリンコウィッツ / 鳴庭真人訳

誘惑嬢 / Miss Temptation / 宮脇孝雄訳 / サタディ・イヴニング・ポスト1956年4月21日号
 スザンナは夏季劇場の端役女優で、消防団詰所の上に部屋を借りていた。夏の間、村のみんなは彼女にあこがれていた。彼女が話しかける相手は、ドラッグストアの薬剤師、72歳のビアス・ヒンクリーだけ。でもその日は違った。18か月の朝鮮での兵役を終え、フラー伍長が帰ってきたのだ。
 いろいろと若さを感じさせる作品。若くして朝鮮の戦場に送られ、そのショックに呆然とし、怒りでしか気持ちを表せないフラーを、村の人々がどう扱うかというと…。ヴォネガットが望んだアメリカの姿を、比較的ストレートに描いた話。
小さな水の一滴 / Little Drops of Water / 大森望訳 / Look at the Birdie 2009
 バリトン歌手のラリーは、副業にボイストレーニングのトレーナーもやっている。生徒は決まって豊かで若く美しい、歌手を目指す娘だ。たいてい生徒たちはラリーに憧れ恋をし、やがて「卒業」する。ラリーの暮らしは規則正しいスケジュールに従っていて、生徒や恋人、まして妻に割く時間はほとんどなかった。エレン・スパークスもラリーの教え子で…
 ヴォネガットにしてはテレビドラマ向きの作品で、今ドラマ化しても充分にイケる。主役はジャニーズあたりのイケメンがいい。向こうが了解すれば、だけどw 1950年代のリチャード・マチスンやロバート・シェクリイ、フレドリック・ブラウンの職人芸を感じさせる、スマートな短編だ。

 戦争がテーマなだけに、やはり捕虜の体験をネタにした作品が多い。私は「追憶のハルマゲドン」のような馬鹿話が、ヴォネガットらしくて好きだなあ。「小さな水の一滴」みたく小技の利いた作品も書けるとは知らなかった。いかにも売れそうな短編なのに。

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