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2019年4月25日 (木)

グレッグ・イーガン「ビット・プレイヤー」ハヤカワ文庫SF 山岸真編訳

ショーンが送ってきたアプリは、インプラント群に指示してぼくの持つスペアのすべてを覚醒させ、さらに、覚醒したスペアをもともとの三色の帯域のあいだとその両側、計四つの新しい帯域に同調させることができた。
  ――七色覚

「重力が横むきになったときのこと。重力がわたしたちを地球の中心にむけて引っぱるのをやめて、そのかわりに東に引っぱるようになったとき」
  ――ビット・プレイヤー

「コストがほんのわずかで、だれかがそのプロセスから数セントをほじくり出せるかぎり、人間は黙々とガラクタをゴミ粉砕機に投入して、クランクをまわしつづけるのよ」
  ――ビット・プレイヤー

タルーラは太陽を持たないのだ。この惑星は少なくとも十億年間は宇宙の孤児として、なににもつなぎとめられることなく銀河系内を漂流してきた。遠い彼方の天文学者たちは、タルーラの地表は流水で覆われていると推測してきた
  ――孤児惑星

【どんな本?】

 硬派な芸風で人気を誇るオーストラリアのSF作家グレッグ・イーガンによる最近の短編を集めた、日本独自の短編集。

 ヒトの色覚を拡張する「七色覚」、売れっ子脚本家の記憶の多くと遺産を受け継いだロボットを描く「不気味の谷」、イーガン流の異世界転生物「ビット・プレイヤー」、難民問題を扱う社会派作品「失われた大陸」、そして「白熱光」と同じ舞台の超硬派SF「鰐乗り」「孤児惑星」の六編を収録。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2019年3月25日発行。文庫本で縦一段組み本文約426頁に加え、編・訳者あとがき5頁+牧眞司の解説「神なき世界で『私』の根拠を問えるか?」7頁。9ポイント40字×17行×426頁=約289,680字、400字詰め原稿用紙で約725枚。文庫本としては厚い部類。

 最近のイーガンにしては、比較的に文章はこなれている方だろう。ただし、中身はキッチリとイーガンしてる作品が多く、ヒトの認知や原子の中身など、充分に味わうためには相応の素養と頭の柔らかさを求められる作品が多い。

【収録作は?】

 それぞれ 作品名 / 原題 / 初出。

七色覚 / Seventh Sight / Upgraded 2014
 12歳のとき、ぼくは視覚インプラントに新しいアプリを入れた。普通の人は赤緑青の三色しか見えないが、ぼくは七つの色を見ることができる。しばらくは何を見てもぞっとしたが、すぐに慣れたし、それどころか豊かな色に溢れた世界を大切に思うようになった。その反面、テレビや映画は、のっぺりとして見える。ある日、公園の看板に手書きのメッセージを見つけ…
 現実に四色の色覚を持つ人はいるとか(→Wikipedia)。それをさらに拡張して七色にしたらどうなるか、というと…。とりあえず軍は赤外線が見える兵を欲しがるだろうなあ。一種の特殊能力だから何かと便利そうなんだが、このオチはw ちなみに絶対音感は缶詰の品質検査やコンクリートの劣化調査などに重宝するそうです。
不気味の谷 / Uncanny Valley / Tor.com 2017.8.9
 売れっ子だった脚本家の遺産と多くの記憶を、アダムは受け継いだ。あくまで「多く」であって、すべてではない。脚本家の葬儀に出席した時、初老の男に話しかけられた。だがアダムは彼を知らない。老人が住んでいた屋敷で暮らすうちに、アダムは幾つもの記憶のヌケに気が付く。その中の一つは…
 ロボットが記憶を受け継いだら、なんて発想は、P・K・ディックが好みそうなパターン。ただ、自分が「記憶を受け継いだロボットだ」と自覚しているあたりが、ディックと違うところ。やっぱりデジタルに関しちゃエストニアは進んでるなあ。比較的に小さい国だからインフラを充実させやすいためだろうか。
ビット・プレイヤー / Bit Player / Subterraneam Online 2014. Winter
 洞穴の中でサグレダは目覚めた。太陽は、ほぼ水平に洞穴を照らす。そして上にも下にも、ずっと垂直の壁が続いている。ここでは、モノは東に向かって落ちるのだ。ガーサーと名乗る女が、そばにいた。そこでサグレダは考え始める。だとしたら、この壁は何が支えている? 重力異常は、どこまで続いている? 海や川は、どうなっている?
 一種の異世界転生物。だが、小石を落としたらどうなるかとか、海はどうなるかとか、エネルギー保存則とかを考え始めるあたりが、いかにもイーガンw そこで示される仮説と、主人公たちの悩みは、「ゼンデギ」や先の「不気味の谷」と共通するもの。サグレダが世界の矛盾(またはバグ)を突いて前に進もうとするあたりは、懐かしい冒険SFの高揚感が蘇ってくる。と同時に、最初の意図とは全く違う***になっちゃってるやんけ!と突っ込みたくなったりw まあ、それはそれで面白い***だけどw 『皇帝の新しい重力』(→元ネタ)なんてお遊びも楽しい。
失われた大陸 / Lost Continent / The Starry Rift 2008
 アリが物ごころついてから、ホラーサーン地方は戦乱続きだ。最初は未来から来た奴らだ。彼らは武器をバラ撒き、将軍たちは争いあった。若い男たちを徴兵しに来たが、村は結束して抗った。そこに四年前に<学者たち>がきた。将軍たちや無法者どもを追い払い、平穏になったのはいいが、シーア派を差別し始める。アリを守るため、おじは時間旅行者を手配し…
 舞台はイラン東部またはアフガニスタン西部だろう。時間旅行なんてガジェットを使っちゃいるが、明らかに現代の難民問題を取り上げた社会的な作品。東欧及びソ連崩壊時には、大量の移住者がイスラエルに押し寄せた。ロシア・中国・北朝鮮のいずれかが戦乱に陥ったら、日本も対岸の火事とは言ってられなくなる。とまれ、この作品は主人公が男の子だけど、女の子を主人公にしたら、また違った側面が見えてくるんだろうなあ。
鰐乗り / Riding Crocodile / One Million A.D. 2005
 リーラとジャシムは結婚して一万年ほどたち、死ぬことを考えはじめる。銀河系の周辺地域は融合世界が広がり、多くの種族が暮らしている。だがバルジ=内縁部は孤高世界と呼ばれ、一切のコミュニケーションを断っている。プローブの類は送りかえされるので、何かがいるのは間違いない。百万年近く、この状況が続いている。リーラとジャニスは死ぬ前に孤高世界との接触を試そうと思い立ち…
 「白熱光」と同じ世界を舞台とした作品。「失われた大陸」を読んだ直後だからか、多くの種族が仲良く暮らす銀河って設定にイーガンの想いが詰まってる気がする。直径約10万光年もの広さがありながらも、光速の壁は破らずに話が展開するのもイーガンならでは。孤高世界を調べる方法は、悶絶物のマッドさ。しかも一回だけじゃないのが嬉しい。それを実現するプロセスも、オープンソースが盛り上がり始めた時代の熱さを感じる。
孤児惑星 / Hot Rock / Oceanic 2009
 融合政界で発見されたタルーラは放浪惑星だ。恒星系に属さず、銀河の中をさまよっている。なら地表は凍りついていそうなものだが、タルーラの表面には流水がある。アザールとシェルマはタラールの探査に赴く。奇妙なことに、タラールは単に温かいだけではなかった。自転極に近いほど寒く、四季まである。そんなエネルギーを、どこから捻りだしているのか?
 これまた「白熱光」と同じ世界を舞台とした作品。放浪惑星ってアイデアは昔フリッツ・ライバーが扱ってたけど、この作品は21世紀に相応しく科学の進歩を色々と取り入れてて、ワクワクするネタが次々と飛び出してくる。中には意味がわかんないのもあるけど、とんでもない発想なのはなんとなく伝わってくる。様々な切り口で証拠を集め、異常なエネルギーの源に、少しづつ近づいてゆく過程がとっても楽しい、SFの王道まっしぐらの作品。

 気のせいか、だんだんと盛り上がってくるような順番になってる。特に終盤を飾る「鰐乗り」と「孤児惑星」は、不可能と思われた事業に一歩一歩にじり寄っていったり、理不尽と思われる謎を明かすために証拠を集め仮説を立て、といった過程の、次第に高揚感が高まってゆく流れに、黄金期のSFのキラメキを感じた。

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