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2019年2月21日 (木)

アンディー・ウィアー「アルテミス 上・下」ハヤカワ文庫SF 小野田和子訳

…いい計画はぜんぶそうなのだけれど、この計画もクレイジーなウクライナ人の男がいないと成立しないのだった。
  ――上巻p103

「アルテミスがあたしの故郷なの」
  ――下巻p112

親愛なるジャズ
ニュースを見たら、アルテミスがおかしなことになっているという。街全体がオフラインになっていて、まったく連絡がつかないといっている。
  ――下巻p237

【どんな本?】

 デビュー作「火星の人」で大ヒットをカッ飛ばしたアンディ・ウィアーによる、期待の第二作。

 時は21世紀終盤、舞台は五つのドームで構成される月面都市アルテミス。直径500mほどの街にいるのは、超リッチな観光客と、彼らの暮らしを支える労働者、合わせて二千人ほど。

 ジャズことジャスミン・バシャラはポーター。船外活動(EVA)ギルドに入れば更に稼げるんだけど、実地試験であえなく玉砕。

 そこでジャズは裏稼業に精を出す。アルテミスは何かと規制が厳しい。でもお金持ちはわがままだ。魚心あれば水心、ポーターのジャズには彼女ならではのルートがある。そう、密輸業だ。今日も常連客のトロンド・ランドヴィクにブツを届けたところ、デカいビジネスが舞い込んできた。

 若く野望と才気あふれるジャズを中心に、テンポのいいサスペンスが続く、SFエンタテイメント。

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2019年版」のベストSF2018海外篇でも8位に食い込んだ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は ARTEMIS : A Novel, by Andy Weir, 2017。日本語版は2018年1月25日発行。文庫本で上下巻、縦一段組みで本文約271頁+264頁=535頁に加え、大森望の解説10頁。9.5ポイント39字×16行×(271頁+264頁)=約333,840字、400字詰め原稿用紙で約835枚。上下巻としては普通の厚さ。

 文章はこなれていて読みやすい。「火星の人」と同じく、時おり「です・ます」調を混ぜた文体が、軽さと親しみやすさを醸し出している。内容は、かなり突っ込んだ工学のネタが多い。特に化学と溶接。ただし、事件に続く事件がお話を引っ張るので、分からなければ難しい所は読み飛ばしても問題ない。

【感想は?】

 これは珍しい溶接SF、または「月は無慈悲な夜の女王」前日譚。

 私が知る限り、溶接を扱ったSFは、かのベストセラー作家ロイス・マクスター・ビジョルドの「自由軌道」ぐらいだ。そういう点では、なんとも野心的な挑戦状でもある。

 それだけに、肝心の溶接の場面は迫力満点。まず主人公ジャズの父アマーが熟練の溶接工で、幼いころから彼女を仕込んでいる。彼の造形も、いかにも頑固で腕のいい職人って雰囲気がビンビン。特に安全に関しちゃ滅茶苦茶に怖いあたりが、アマーの気質をよく物語ってる。

 この物語で活躍するのはガス溶接だ。アセチレンを燃やし、その熱でアルミを溶かす。ただし月面なので、地上とは何かと勝手が違う。なにせ空気がない。これがどう影響するかを、キッチリ考えてあるのがSF者としては嬉しい。単に酸素がないってだけじゃなく…

 他にも月面ならではの厳しい品質上の条件があって、腕のいいアマーが重宝される理由も次第に伝わってくる。ほんと、命にかかわるのだ。

 溶接というと私たちは鉄を連想するが、ジャズが主に扱うのはアルミ。なぜアルミかってのも、著者らしい拘り。これは貨幣単位のスラグにも強い関係がある。

 何せ月だ。何であれ、地球から月まで持っていくには、凄まじいエネルギーが要る。必要なエネルギーは、質量に比例する。たいていのモノは、原材料費より運送費の方が高くつく。そんなわけで、自給できるモノならともかく、地球から持ち込むモノの価格は…

 ってな経済面を考えているのも、この作品の面白いところ。この影響はジャズのねぐらや裏稼業、そして食事やパブのメニューにまで大いに関係してくる。何かと厳しい環境の中、新しいメニューを開拓しようと奮闘するビリーの闘志には感心するやら呆れるやらw

 何にもないってあたりは、開拓時代の西部を思わせる。初期のアメリカが、出身地ごとに町を作っていったように、アルテミスでは出身地で職能が分かれているのが面白いところ。例えばアマーなどの溶接工はサウジ人だし。

 これ、ちょっと意外だけど、もしかしたらビンラディン一家みたく、ご先祖はイエメンからの移民かも。アルカイダのウサマの父ちゃんはイエメンからの移民で、レンガ職人から身を興しサウジアラビア随一の建設会社にまで育てたんだし。

 などのジャズを巡る人も色とりどりなんだが、中でも私が気に入ったのがマーティン・スヴォボダ。いや頭はいいんだ。優れた発明家だし。ただ、色々とズレてるだけで。つか、何作ってんだw 実用性しか考えないあたり、親近感は持てるけどw ジャズも、なんで気が付かないかなあw

 さて。先のスラグが示すように、この作品の特徴の一つが、経済をキッチリ考えてある点。

 当然、「火星の人」のアンディだから、塵など月の自然条件の書き込みは見事だ。その厳しい環境の中で、手に入る物は限られている。地球からの輸入品は運送費がバカ高い。だから、なるたけ手に入る物でやりくりするしかない。都市の外壁はアルミで、バーを営むビリーは「密造酒」を造り、マーティンはケッタイな発明をする。

 そんな彼らの姿は、一つの方向性を示す。今は地球に依存しなければならないにせよ、できるだけ早く自立したい。この作品のタイトルが「ジャズ」でも「月の人」でもなく「アルテミス」なのは、都市が自立を目指す物語だからなのか、と思ったり。

 ジャズはトラブル・メーカーのわりに、けっこう人望があるあたりは、ちとアレだが、そんな彼女が巻き起こす騒動はスリルたっぷりだし、仕掛けも著者ならではの凝ったもの。相変わらずのダクトテープとおっぱいには少し安心w なんにせよ、物語に入り込めば一気に読める、明るく楽しいエンタテイメント作品だ。

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