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2019年2月11日 (月)

ジョージ・ダイソン「チューリングの大聖堂 コンピュータの創造とデジタル世界の到来」早川書房 吉田三知世訳 1

1953年3月、地球上に存在した高速ランダムアクセス・メモリは合計53キロバイトだった。
  ――第1章 1953年

【どんな本?】

 1930年代、アメリカのニュージャージー州プリンストンに、一つの研究機関が誕生した。その名も「高等研究所」。目指すは学者のパラダイスである。欧州ではナチスが台頭し始め、アインシュタインなど優れた頭脳が新大陸に逃れてくる。そして高等研究所は彼らに格好の避難所となった。

 その一人がハンガリー出身のジョン・フォン・ノイマンである。卓越した頭脳と斬新な発想、旺盛な行動力と新分野への臆せぬ開拓心、そして豊かな社交性を持った彼は、純粋数学の功績はもちろん、ゲーム理論など新しい数学を生み出し、現在の私たちに欠かせない「プログラム内蔵型コンピュータ」も創り出した。

 ENIAC など黎明期のコンピュータは、どのようなものだったのか。開発にはどんな障壁があり、どう乗り越えたのか。プログラム内蔵型コンピュータの何が斬新だったのか。誰がどんな貢献をなしたのか。黎明期のコンピュータは何に使われたのか。そして、高等研究所とはどんな組織なのか。

 膨大な資料を駆使して再現する、プログラム内蔵型コンピュータ誕生の物語。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は TURING'S CATHEDRAL : The Origins of the Difital Universe, by George Dyson, 2012。日本語版は2013年2月25日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約546頁に加え、訳者あとがき6頁。9ポイント45字×20行×546頁=約491,400字、400字詰め原稿用紙で約1,229枚。文庫なら厚い上下巻か薄めの上中下巻ぐらいの大容量。今はハヤカワ文庫NVから上下巻で文庫版が出ている。

 文章はやや硬い。語り手の多くが数学者や物理学者だからかもしれない。内容も、特にコンピュータの実装の話は、かなり突っ込んだネタが出てくる。ここではソフトウェアよりハードウェアの知識が必要だ。中でも重要なのは真空管の知識。私は完全にお手上げだった。

【構成は?】

 ほぼ時系列ではあるが、章ごとに人や事件にスポットをあてていく形なので、かなり時間は前後する。面白そうな所だけを拾い読みしてもいい。

 内容的に大雑把に四部ぐらいに分かれている。コンピュータを主人公とすると、1)前史・2)誕生・3)活躍・4)未来、といったところか。

  • まえがき 点源解
  • 謝辞 はじめにコマンド・ラインがあった
  • 主な登場人物
  • 第1章 1953年
  • 第2章 オルデン・ファーム
  • 第3章 ヴェブレンのサークル
  • 第4章 ノイマン・ヤーノシュ
  • 第5章 MANIAC
  • 第6章 フルド219
  • 第7章 6J6
  • 第8章 V40
  • 第9章 低気圧の発生
  • 第10章 モンテカルロ
  • 第11章 ウラムの悪魔
  • 第12章 バリチェリの宇宙
  • 第13章 チューリングの大聖堂
  • 第14章 技術者の夢
  • 第15章 自己複製オートマトンの理論
  • 第16章 マッハ9
  • 第17章 巨大コンピュータの物語
  • 第18章 39番めのステップ
  • 訳者あとがき/原注/原注中の引用元略語一覧

【感想は?】

 私が副題をつけるなら「ジョン・フォン・ノイマンと愉快な仲間たち」または「プログラム内蔵型コンピュータの誕生と成長」かな?

 今となっては、プログラム内蔵型ではないコンピュータを想像する方が難しい。というか、実は私もよくわかってない。イメージ的には「たまごっち」が近いかも。一つのプログラム=アプリケーションだけが動くコンピュータだ。もっとも、実は「たまごっち」も、中身はプログラム内蔵型なんだけど。

 昔は、解くべき問題=アプリケーションごとに、異なるハードウェアが必要だったのだ。そして、みんなソレが当たり前だと思っていた。想像してみよう。Excel専用機とかメール専用機とかPhotoShop専用機とか。アプリケーションごとに別々のマシンが必要な世界を。

プログラム内蔵型コンピュータのルールの一つは、ルールを変えられるということだ。
  ――第6章 フルド219

 ルールというより、アプリケーションと言う方が現代の読者には分かりやすいだろう。パソコンもスマートフォンも、アプリケーションを入れる事で出来ることが増える。これが、実は画期的な事なのだ。それ以前の世界の考え方からすれば。

 この本では、弾道計算にルーツを求めている。

 敵の位置が分かっているとき、銃や砲をどの角度にすればいいか。単純に考えると微分方程式を解けば良さそうな気がする。でも、現実には、砲や砲弾により飛び方が違う。おまけに技術の進歩で飛距離が伸びると、コリオリの力とかも関係してくる。じゃ、どうするか。

 試しに幾つか撃って、結果を表にしよう。でも予算も時間も限りがある。やたらと撃ちまくるわけにはいかない。だから表は隙間だらけのスカスカだ。そこで数学者を雇い、間を計算で埋めるのだ。もっとも、数学者は式を考えるだけ。実際に計算するのは、学生バイトだったり。

ノーバート・ウィーナー「第一次世界大戦後何年ものあいだ、アメリカの優れた数学者の大多数は、(弾道)性能試験場で訓練を受けた者たちだった。こうして世間の人々は、われわれ数学者にも実世界で果たせる役割があるということに初めて気づいたのである」
  ――第3章 ヴェブレンのサークル

 そんなワケで、当時から計算の需要はあったのだ。切ないのは、目的が軍事だってこと。これは、本書の最後まで一貫している。インターネットや画像認識など、コンピュータは軍事と分かちがたく関わっている。

 さて。当時の発想としては、方程式を解く専用機を造ろうって方向に行く。でも、専用機だって、データを与えなきゃいけない。そこでアラン・チューリングとジョン・フォン・ノイマンは考えた。「プログラム=アプリケーションもデータも、結局はビットの集まりだよね。なら同じに扱えるんじゃね?」

アラン・チューリングが考案しジョン・フォン・ノイマンが実現したプログラム内蔵型コンピュータは、「何かを意味する数」と「何かを行う数」の区別をなくした。これによってわれわれの宇宙はすっかり変貌し、その後二度と元に戻ることはなくなったのである。
  ――まえがき 点源解

 実は上の文章、一つ飛躍がある。データがビットの集まりだってのはいい。でも、プログラムがビットの集まりってのは、ちと納得しがたいだろう。が、これ、既に17世紀に発想の兆しがあったってのが驚きだ。

ゴットフリート・ウィリアム・ライプニッツ「無謬の計算を行うことによって、人生に最も有益な原理、すなわち、倫理の原理と形而上学の原理を(この方法に基づいて)理解するためには、たった二つの記号しか必要ないだろう」
  ――第6章 フルド219

 まったく、数学者ってのは、なんだってこう突拍子もない事を考えるんだろう。これは20世紀になっても相変わらず、どころかコンピュータに妄想を刺激された数学者・科学者たちが中盤以降にゾロゾロと出てきて、SF作家を凌ぐ豊かな発想力を見せつけてくれるんだが、それは次の記事で。

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